「有機農業」あれこれ: 2009年9月アーカイブ

2009年9月30日

有機農業推進と有機JAS規格

 

有機農業推進法や有機JAS規格については、これまで何度か書いてきたけれど、

先日、農水省の有機農業推進班 (正確には農林水産省生産局環境対策課)

の方と話をする機会があった。

話題は、今後の  " 推進 "  について。

有機農業推進モデルタウンの進捗によって生産が拡大してくれば、

それに応じた販路の確保が各産地の課題となってくる。

この流れに対して制度はどう対応していけばよいのか--

というのが話の主たるテーマだったのだが、

必然的にというか、当然のことながらと言うべきか、

有機JASとの関係やJAS規格そのものの問題点にも、話は及んだのだった。

 

有機農業の 「推進」 と、 JAS規格に基づいた監査・認証制度という名の表示 「規制」。

この二つがずっと不幸なねじれ関係を残したまま、今日まで至っている。

もういいかげん整理しなければならないよなぁ、と腹に溜めてきたが、

農水の方々と話をして機を感じたところもあり、

この際、思うところを一気に書いてみようかと思う。

 


有機農業推進法は、その名の通り  " 地域での有機農業の広がりを支援する " 

ということである。 そのための実践地区(モデルタウン) が全国各地に生まれ、

それぞれに栽培試験や土壌診断の活用、研修制度の充実と新規就農者支援などの

取り組みが進んでいる。 もちろん苦戦している地区もあるが。

 

一方で、生産者や畑が増えたとして、それを 「有機農産物」 と称して販売するには、

有機JAS規格に則っていることが第3者認証機関から認定されなければならない。

それには余計な手間とコストがかかる、ということで生産者からは極めて不評である。

しかもこの規格は、国際的な整合性を持たせる (国際基準と同一水準にする)

ことを前提としたために、国内の推進とは逆に

「お墨付きの輸入オーガニック食品の拡大」 へとつながったとの批判も根強い。

今では  「有機JASが、国内での有機農業の広がりを阻害している!」 

との論が、有機JAS批判の基本論点のひとつになってしまっている。

有機JASの認証取得生産者や認証機関は、この議論にうまくかめないでいる。

 

その批判の典型とも言える集まりが、さる9月5日にあった。

「日本有機農業学会」 が主催した 「社会科学系テーマ研究会」 。

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有機農業を総合的に研究し、その健全な育成と発展の道筋を提示しようという、

日本学術会議にも登録されているれっきとした学者・研究者主体の 「学会」 である。

とはいえ有機農業の研究というわけなので、生産者も入っていたりする、

そういう意味では開かれた学会と言える。 何を隠そう、私も会員の一人。

 

さて研究会の有機JAS論はというと、上記の批判的論点が基調になっている。

すなわち-

1.まがいものや不正を排除しようと制度の運用が厳しくなればなるほど、

  当の生産者にとっての手間やコストは増大する。 このコストは誰が負担するのか。

2.JAS規格そのものが欧米基準の押し付けになっている。

  欧米以外の地域の自然や環境条件に配慮した基準になっていない。

  WTO体制によるグローバリゼーションに 「有機」 までも

  (共通の基準・ものさしをつくるという名目で) 組み込まれてしまった。

   ・・・・・まるで、「してやられた」ってことか。

3.規格・基準が単純な 「無農薬・無化学肥料」 主義でしかなく、

  有機農業の意義や本質が反映されていない。

  (使用が許される農薬も設定されていて、いわば 「何を使う・使わない」 という

   投入資材の基準でしかない、という意味での批判である。)

4.不正表示の防止が最優先され、有機農業の推進という視点がまったくない。

  生産現場の技術水準や感覚とかけ離れた監査・認証となっていて、

  生産者は単なる取締りの対象の如くである。

 

などなど。

このような論点をベースにして、これからの基準・認証の方向性が理念的に語られ、

また第3者認証によらない形が欧米でもつくられてきている動きなども紹介されたのだが、

しかし、先生たちの主張を拝聴しながら、つくづくと思わされたのである。

有機農業を研究する学会においても、「有機JAS制度と認証制度」 については、

悲しいくらい深化できずにいる。

学者には、この制度の歴史的なけじめのつけ方 (消滅させることではなく) の

方向性が見えてこないようだ。 これはそもそも、大学の先生や研究者たちが

取り組むべき " 社会科学的 "  研究テーマなのだろうか・・・・・。

これは学問的なテーマというより、むしろ生々しい現実との向かい合いの中で

昇華 (より高い次元につくり変え) させてゆくしかないものなのではないか。

しかもこの論理には、手間とコストをかけて有機JAS認証を取得した生産者に対する

公正な評価が微塵もない。

彼らはまるで、市場で付加価値を狙うだけの、あざとい農民であるかのようだ。 

 

僕はけっして学会諸先生をただ批判しているのではない。

学会での分析は分析として受け止めつつ、我々はどう認識し、

現実の仕事の中に組み込むか、なんだと思っている。

そもそも学会が方向を指図するものではないのだし、現場仕事を通じて、

ちゃんと " 現実 "  のものとしてあげる、くらいの意思は持っているつもりだ。

 

とはいえやっぱ、学会の諸先生には 「してやられた」 感のような発言はしてほしくない。

これはグローバリゼーションの時代に起こった必然的現象であり、

有機農業にとっては次の時代に向かうための試練であった、

くらいの歴史認識に立つのが社会科学的というものではないだろうか。

どうもこの学会の先生たちは、半分運動家のような方々である。

 

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そこで僕が思う、学会にお願いしたい学究的テーマとは、

有機JASなんていう欠陥含みの制度論争ではなく、むしろ次の課題である。

1.有機農業の技術体系の確立。

  このテーマは有機農業推進法も支援しているもので、それに対応して

  「有機農業技術会議」 もできたので、こちらに期待することにしよう。

2.有機農産物の栄養的側面と人の健康との関係。

  栄養については、個々の成分比較という検証にとどまらず、

  食べ物のもつ本質的・総合的な価値という観点に立っての、

  人の健康との関連での疫学的検証はできないものだろうか。

  (この観点は、8月1516日付で書いた問題意識ともつながっている)

3.有機農業が果たしている環境への貢献の  " 見える化 "  をどう表すか。

  地域に有機農業が拡がってゆくことでどんな貢献ができているのかを示す、

  生産者が自分で確かめられる手法と社会的なスタンダードが欲しい。

  田んぼの生き物調査や、宇根豊さんたちの作業が先駆として生きてくる、

  そんな大きな体系を僕は夢見ているのだが。

4.外部経済効果の検証。

  上記3とも共通することだが、有機農業がもたらすであろう社会的・経済的利益を

  公益的観点で洗い出し、整理してもらいたい。

  分かりやすく言えば、水田の多面的機能は5兆8千億円分の社会資産価値がある

  (日本学術会議試算)、みたいな形での検証ができないだろうか。

 

これらが整理され可視化できたなら、

生産者も有機農業を実践することで生み出された食べ物以外の価値を検証できる、

豊かな監査体系を作り出すことができる。

そして、一方で税金を払い (徴収され) ながら、もう一方で食べることを通じて

多様な社会資産を支えている消費者 (国民) の溜飲も、下がるというものだ。

僕はひそかに、税金の使い方まで議論できるものになるのでは、と思っている。

そのような社会提言をまとめてほしいと切に願うものである。

 

有機農業の世界を理論的に追求した始祖とも言える

アルバート・ハワード卿の、70年も前の言葉を借りれば、

「国民が健康であることは、平凡な業績ではない。」 ( 『ハワードの有機農業』より )

有機農業がこの業績を支える基盤であることを、可視化したい。

 

さて、偉そうに喋ってるけど、じゃあお前さんは

有機JASについてどんな整理をしているというのだ。

-という声が聞こえてきそうだ。

大地を守る会が目指している監査体系を、お伝えしなければならないか。

まだまだ過渡期とはいえ、方向は間違ってないと自負するものである。

では次回に-。

 



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