「有機農業」あれこれ: 2009年11月アーカイブ

2009年11月27日

『有機農業で世界が養える』-か? (続き)

 

有機農業で世界が養える! 

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足立恭一郎さんが手にしたデータとは、

米国ミシガン大学のキャサリン・バッジリー助教ら8名による共同研究チームが

2006年6月に発表した 「有機農業と世界の食糧供給」 と題する調査レポートのことで、

一昨年5月にローマで開かれたFAO(国連食糧農業機関) でも報告され、

検証されている。

僕が以前(8月16日付) にちょこっと触れたFAO情報の元データということになる。

 

このデータを解析するにあたって、足立さんはまずもって丹念に計算し直している。

そしてデータをただ礼賛するだけでなく、批判や反論も取り上げながら、

慎重に詳細に反証を試みていく。 

大切な恋人を汚さぬよう、一片の傷も見落とさぬよう、視野脱落を恐れつつ......

まさに 「30年来恋い焦がれ」、待ち続けた宝ものを確かめるがごとくに。

足立さんはきっと、書き上げた原稿を何度も読み返したに違いない。

そして速攻で上梓まで仕上げたコモンズの大江さんの力技に讃辞を送りたいと思う。

 

足立さんの論考をここで詳述して本が売れなくなってはいけないので、

深入りはやめておきます。 

関心を持たれた方はぜひ書店に、あるいはネットでご購入ください。

 

ただ、ここだけは紹介しておきたいと思う。

昨日の冒頭で紹介した 「有機農業で世界は養えない」 の主張に、

この調査データを重ねると、次のようになる。

 


農産物の単収(単位面積当たりの収穫量) 比に関する

53カ国293の標本から導かれた結果は-

A) 先進国においては、「有機農業は慣行農業より単収比が7.8%少ない」。

B) 途上国においては、「有機農業は慣行農業より単収が80.2%多い」。

C) 世界全体では、「有機農業は慣行農業より単収が32.1%多い」。

 

つまり、有機農業では単収が落ちる=人口扶養力が低い、というのは

先進国のデータでしかない、というわけだ。

上の3行だけでは、おそらく様々な疑問が湧いてくることかと思う。

途上国は農薬や化学肥料を買えないので単収が低いのではないか、とか・・・・

そう思われた方は、ぜひご一読の上、検証いただきたい。

農薬や化学肥料に頼るより合理的な形の提示も、足立さんは忘れていない。

 

また上記のデータは、研究者時代の足立さんを苦しめた次のセリフに対しても、

回答を指し示している。

「生産性が低く、価格の高い有機農産物は、金持ちの国や個人にしか買えない。

 有機農業は 『地球環境にやさしい』 かもしれないが、『貧乏な国や人には冷淡』 だ。

 結局のところ、『貧乏人は食うな』 ということか?」

答えは逆だよね。

有機農業は金持ちのための生産方法ではなく、お金を持たない人々でも実践できる

生産技術であり、考え方である、ということだ。

農薬や化学肥料で途上国の単収を上げる、という道筋ではなくて、

農薬などを買うためのお金を必要とせず、

地域資源を活用して生産を安定させることの方が、環境も暮らしも安定する。

それには途上国が換金作物の生産に依存しない社会へと進む必要があるけど。

いずれにせよ、足立さんの 「有機農業はけっしてぜいたくな農業ではない」 の主張を

僕は全面的に支持するものである。

 

現状ではまだ突っ込まれる部分もある有機農業だけど、

いつもはにかんだような優しい笑顔を投げてくれた足立さんの溜飲がもっと下がって、

喜び讃え合える時代が、そう遠くない将来、来ることを信じたいと思う。

 

『 民主主義の真の温床は肥沃な土壌であり、

 その新鮮な生産物こそ民族の生得権なのである。 』 

    -アルバート・ハワード著 「ハワードの有機農業」上巻(農文協刊) より-

 



2009年11月26日

『有機農業で世界が養える』-か?

 

「有機農業では世界の人口を養えない」 

 - このセリフは長らく、有機農業を批判する際のお決まりの主張のひとつだった。 

しかしこの論には陥穽(かんせい、≒罠) が潜んでいて、

現在の農薬・化学肥料による単位面積当たりの生産量と、有機農業によるそれとを

単純に比較して結論づけただけのお手軽な仮説でしかないのに、

不思議に " 世界の常識 "  のように言われるのだ。

有機農業だと生産性が落ちるので世界の胃袋は満たせられない、と。

現場から離れた学者ほど、この論にはめられる傾向がある。

この計算根拠のミソは、" 現在の "  にある。

 


そもそも、農薬と化学肥料で世界じゅうを養えたという歴史的事実はないし、

農薬・化学肥料がない (つまり有機農業が当たり前の) 時代から

農薬・化学肥料がもてはやされるようになった時代までひっくるめて、

世界の食料需給は行ったり来たり (養えたり養えなかったり) してきたんじゃない?

地球上での飢餓の存在は、むしろ今日の方が恒常化している、ってことはないでしょうか。

「飢餓は生産方法の問題ではなく、分配(奪っている) の問題である」

という主張のほうが、僕にはずっと腑に落ちるのである。

いやいや、今日の穀物生産を支えているのは農薬・化学肥料じゃないか

(現状ではそうは言える)、と仰る向きには、

それはたしかにグローバリズムと食料の低価格化に貢献したとは言えますね、

と評価してお返ししたい。

もしかしたら飢餓にも貢献しているかもしれない、と思ったりもするのだが。

 

しかしこの議論をする際にもっとも重要なことは、現代の有機農業が、

農薬・化学肥料に依拠した近代農法への反省から生まれ(というより、復活し、か)、

今日さらに発展してきているという 「事実」 である。

その反省とは、近代農法による人の健康への影響に対する反省であり、

生態系バランスの衰退(環境汚染) への反省であり、地力の減退への反省であり、

農産物の生命力(安全性・栄養価・味等も含まれる) の減退への反省、等々である。

それらは見事に近代農法の不安定性を表すものであるし、

一方で有機農業によって地力が回復・向上することで収量が " 安定する " 

という世界が証明されてきているとしたら、さてどちらが将来の人口を養う力があるのか、

どちらに未来の生命を委ねるべきなのかが、見えてこないだろうか。

だからこそ、有機農業の技術体系の確立を急ごう! なのである。

 

とどめは、有機農業の資源はなくならないし、どこにでもあるが、

化学肥料の資源は有限である、という 「事実」 だろうか。

 

いま目の前にある数字で未来まで占って、

環境への負荷や健康リスクのほうを選択するわけにはいかないでしょう。

「世界を養えるかどうかは、近い将来、実力で示すことになるであろう」

という宣言で、この論争は終わりにしちゃいたい、というのが僕の感覚だった。

 

ところがしかし、ここにきてにわかに、

終わるわけにいかない事態へと進んできているのである、このテーマが。

論争が、新たなステージに移った、といってもいいだろうか。

科学的専門領域から、新しいデータが出されてきたのだ。 

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足立恭一郎さん。

農林水産省の研究所に勤めながら、ずっと有機農業の可能性を説き続け、 

それゆえにいじめられ続け、冷や飯を食らわされながら、3年前、退官された。

大地を守る会には、いつも温かい眼差しを送ってくれた方である。

その足立さんが、ついに念願の、いや悲願のデータを手にされた。

あとがきによれば、

「30余年の長きにわたり、恋い焦がれてきた恋人に、ようやく出逢えた」

と、その喜びを率直に語っておられる。

『有機農業で世界が養える』 -出版は畏友・大江正章さんのコモンズから。

統計データを扱う際の足立さんの真摯さと、執念がにじみ出た論考である。

 

スミマセン。 今日はここまで。 明日、もうちょっと解説を。

 



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