「有機農業」あれこれ: 2011年11月アーカイブ

2011年11月15日

有機農業で街を救う日を -ベトナム体験記③

 

本ブログにコメントを寄せていただいた千葉県佐原市の K さん。

アップするにはちょっと悩む部分があり、保留になってます。

記されていたアドレスにお返事を書いたのですが、エラーで返ってきました。

できましたら再度アドレスをお知らせいただけますでしょうか。

それにしても、懐かしいお名前にビックリしましたよ。

K さんに読んでもらっていたとは、とても嬉しいです。

 

コメントによれば、職場で TPP 問題で議論になったとのこと。

「考え方の合わない人との議論は疲れる。」

お気持ちはよく分かります。 

でも論争って、論破しようとすればするほどかみ合わなくなりますよね。

根本的な違いがどこにあるのか、双方で突き止めていこうという合意がないと、

なかなか生産的な議論になりません。

そういう自分も、すぐに否定から入ったりするんですけど。

先に大人になる必要があるのでしょうが、これが難しいです。

お互いまだまだ精進ということで。

 

さて、ベトナム体験記を終わりにしないと。

 

ホアビン省タンラック郡ナムソン村では、

ルンさんという副村長さんのお家に泊まらせていただいた。

伝統的高床式住居。

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といっても土台はコンクリだし屋根はトタンなので、

昔のまんまということではないと思うのだが、正確には分からない。

熱帯モンスーンの湿度対策が生んだ建築様式、

といったうろ覚えの知識しかないくせに、

床の下で犬や鶏が家族のように振る舞っている風景に懐かしさを覚えたのは、なんでだろう。

 

ここはムオン族という少数民族の地域。

若者は今もわりと残っていて家族農業を営んでいる。

 

客人が来た時に、おもてなしの料理を作るのは

若者男子の仕事なのだそうだ。 

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ルンさんが気を揉んで、調理場と待っている我々の間を行ったりきたりする。

「暗くならないと鶏をつぶせない (捕まえられない) もんで・・・」

これが本当なのか冗談なのか、確かめられなかった。

 

料理は辛い味つけを想像していたが、意外とほどよく、

どれもこれも口に合った。

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ただ生野菜のなかに 「ウッ・・・やられた!」 みたいに苦いのがあった以外は。

その一つはよく知っているドクダミってやつだ。 初めて生で齧った。

そこら辺の草なら何でも食べられるような気になってくる。

 

宴会風景。 

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焼酎をお猪口に注いで、一気飲みで乾杯!

これを延々と強要された以外は、言うことなし。

 

寝袋で寝ようとすると、奥さんが蚊帳を吊ってくれた。

これまた懐かしさが込み上げてくる。

夜は何度となく、激しいスコールの音に起こされる。

まったきアジアの一夜。。。

 

その間、僕のワーク・ブーツが犬たちにしゃぶられていたのを知るのは、朝のことだった。

靴紐がち切れて散乱していた。

ルンさん家の犬は僕のことが大好きになって、帰したくなかったんだと思う。

翌日のワークショップではこう言って笑いを取るしかなかった。

多少フォーマルな席があることも意識して選んだつもりだったが、

ベトナムの農家に泊まる場合は、革はやめておこう。

 

朝の散歩で見た風景。

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一見すれば、伝統的パーマ・カルチャーの世界。

しかしここに広がってきているのは、換金作物としてのさとうきび栽培だ。

農薬が当たり前のように撒かれるようになった。

 

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こちらはホアビン市での夜。 

ベトナム各地から集まってきた農家と農業専門機関・行政の職員たちと交流する。

 

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愛媛・中島のレモン農家、泉精一さんみたいな闊達で笑顔のおじさんが来て、

しきりと日本を褒めてくれる。

「中国と日本を選べと言われれば、ワシは間違いなく日本を選ぶ。」

いやいや・・・仲良くやりましょうよ。 「いや、日本が好きじゃ」 てな感じで。

このおじさん、人民委員会でのプレゼンでは、じっと僕を見て、

通訳のたびにウンウンと頷いてくれる。 特にベトナム戦争のくだりのあたり。

 

ベトナムでの米の有機栽培では、アヒル農法が広がっているようで、

日本の合鴨農法の権威、福岡の古野隆雄さんも指導に来られたのだとか。

どうやら、このおじさんたちの心を掴んだ日本人は古野さんと読んだ。

 

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有機農業はどこも元気だ。

加えて僕としては、熱心に聞いてくれた女性たちに期待したい。

 

ハノイに帰ってきて、

ふたたびこのエネルギーに巻き込まれる。

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伊能さんにわがままを言って、

ホーチミンの遺体が安置されているホーチミン廟と、

その隣にある 「ホーおじさんの家」 を訪ねさせてもらった。

 

ホーチミン廟。

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ここで、ホーチミンは宣言した。

「独立と自由ほど、尊いものはない!」

 

今やすっかり賄賂社会と言われ、開放経済にひた走るベトナム社会主義共和国。

観光名所となったホーさんの家も塗り替えられ、

きれいなウッディハウス調だ。

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期待した感慨は涌いてこず、夢の中に置いておけばよかったかしら。

 

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ハノイ市街の真ん中にあるハノイ大聖堂。

その下を、バイクと自動車が叫びながら駆け巡り、人は平然と横切っている。

 

いつか有機農業がハノイに向けて進軍してくる。

たたかう聖母の衣をまとって。

彼女たちは宣言するだろう。

「命を守るものはお金ではない。 いのちは、食べものにある!」

再び彼らと会えることを思いながら、玉石混淆の熱いベトナムを後にする。

 

最後に、プレゼンのスライドには 「原発に反対し・・・」

という文言も入れてあったのだが、宴席等でも質問はまったくなかった。

日本から輸出されようとしていることがどの程度伝わっているのか、分からずじまい。

ま、これは我々のほうの問題だけど。

 



2011年11月13日

食を守るとは- ベトナム体験記②

 

一週間ぶりに自宅に帰り、

録画してあったNHK 「クローズアップ現代」(11月8日放送) を観た。

放射能対策に挑む福島の農民リーダー、二人。

NHKなので団体名は出なかったけど、ジェイラップ(須賀川市) の伊藤俊彦さんと

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」(二本松市) の菅野正寿さんだ。

このブログにも何度か登場している二人。

う~ん、頑張ってるねぇ。 こっちまで自慢したい気分になってくる。

備蓄米収穫祭の映像も冒頭で、橋本直弘君の「カンパ~イ!」 の一瞬が映された。

予告通り、ホント一瞬だったね。

直弘君のお父さん、文夫さんが

長年かけて作ってきた土を慈しみながら涙をこらえる姿がたまらなく切ない。

彼らの必死のたたかいを支えられる我らでありたいと思う。

 

さて、ベトナム体験記を続ける。

 

ベトナム独立の英雄・ホーチミン像や、マルクス・レーニンの絵を背にして、

大地を守る会を一つの事例としながら、有機農業というものの力と、

生産と消費のあるべき関係作りについて、発表させていただく。

大地を守る会のたどってきた歴史や企業理念に自身の経験をかぶせながら、

僕はどこかで、自分が追っている夢も語っていたかもしれない。

 

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  (それにしても社会主義国というのは偶像崇拝が過ぎる。

   ホーチミンさんははたしてこんな国の形を望んだのだろうか。。。)

 

4ヵ所でのプレゼンは、まずは感謝の言葉から始めた。

 - 3.11震災に対する世界中からの温かい支援に対して、

  日本人の一人として、心から御礼申し上げたい。  

拍手をいただけたことで、少しは心が通じたように思う。

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(フーヴィン村でのミーティング風景)

 

大地を守る会の話をする前に、押えておいてほしい時間がある。

日本で農薬・化学肥料が大量に使われるようになったのはたかだか50年前、

1960年代からのこと。

そして10年もしないうちに農家の健康被害が顕在化し始め、

「農薬公害」 と言われる言葉が生まれ、

70年には有機農業運動が全国的に広がる時代に入っていたこと。

それは有機農業を認めない市場流通のあり方に対する批判から、

生産者と消費者の直接提携という形で発展した (したがって 「運動」 と呼ばれた) が、

運動のエネルギーは必然的に 「社会化」 も求め始める。

大地を守る会が誕生した1975年とは、そんな時代だったこと。

それは生産からでもなく、消費からでもなく、

「生産と消費を健全な形でつなげる」 必要を感じとった若者たちが始めたもので、

新しい仕事スタイルの創出でもあった。

 

そして若者たちを突き動かした動機のひとつに、

ベトナム戦争で撒かれた枯葉剤の衝撃があったことも、ぜひ付け加えておきたい。

 


大地を守る会の企業理念の説明では、

「安全な食」 と言わず 「第一次産業を守る」 と掲げている意味について。

ソーシャルビジネス (社会的企業) としてのミッションでは、

社会への批判で終わらせない、オルタナティブを提案する行動原理を取っていること。

たとえば遺伝子組み換え食品に反対する一方で、

地域の風土と文化に育まれた種 (品種) を、販売を通じて支えようとしていること。

 

大地を守る会の事業概況や歴史をたどりながら、理念を重ね合わせる。

食を運ぶとは-

" 安全・安心 "  への責任を自覚する生産者と消費者をつなげ、

支え合う  " 関係を育てる "  仕事であること。

価格の前に  " 価値を伝えられる流通 "  でありたいと思い続けていること。

たとえば、無農薬の米とは、水系を守ってくれている米である、みたいな。

したがって生産と消費の交流・触れ合いは欠かせない運動であり、事業の一環である。

またグローバル化する世界にあって、

私たちもまた同じ思いで歩んでいる世界中の人たちとつながる必要がある。

 

生産者にその思いさえあれば、流通は作れる。

道に迷っている若者を数人たぶらかせば、いや、その気にさせればいいのです。

 

最後の、郡の人民委員会でのプレゼンでは、特に気合いを入れた。

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日本で今、新しい農業者を育てているのは、有機農業です。

消費者に安心を与えているのは、有機農業です。

有機農業とは、国土と、国民の健康を守る運動なのです。

食を守ることは、国の自立に関わる重要な課題なのです!

 

日本では5年前にようやく国が有機農業の価値を認め、

有機農業を推進する法律が成立しました。

有機農業運動の萌芽期から35年かかりました。

この時間と経験を参考にしていただけるのなら、喜んで協力したい。

(枯葉剤と戦い抜いた) 皆さんの強い意志とエネルギーをもってすれば、

10年もかからず成し遂げられるんじゃないでしょうか。

 

日本からの、もう一人のプレゼンテーター、

京都・太秦(うずまさ) で有機農業を営む長澤源一さん。

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この方もやはり農薬禍によって体を壊し、有機農業に転換した。

まったく収穫できなかった暗黒の時代から20年。

今では京都・嵐山の吉兆や、一流といわれるレストラン・卸から引き合いがある。

「値段はすべて自分がつけます。 それだけのものを作っているという自信があります。」

強気の関西弁が少々憎たらしい。

長澤さんは、同志社大学で有機農業塾を開講する先生でもある。

僕の言う 「次世代農業者を育てているのは有機農業である」 は、間違いない。

 

カンボジアで有機農業者をネットワークし、

有機米を海外に輸出するまでに成長しているCEDAC(シダック) 

という団体のダルンさん。

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エリート家庭の御曹司らしいが、

この仕事にやりがいを感じて、" こっち "  の世界に来てしまった。

カンボジアでもソーシャル・ビジネスが生まれ、成長している。

 

有機農業で野菜や米を作るティブさん。

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少し照れながら、しかし堂々と、いろんな苦労話を笑顔で語る。

気品を感じさせる、素敵な女性だった。

 

タイからの報告者は洪水で欠品となったが、

こうやってアジアの有機農業団体をつなげ、コーディネートする

伊能まゆさんの馬力には脱帽させられた。

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自ら動き、プレゼンし、通訳から解説まで、一人でこなした。 

成果が見えてくるには、まだ時間がかかることと思うが、

体に気をつけて頑張ってほしい。

 

この風景の裏にも様々な悩みが隠されているのだが、

未来に幸いあれ、と願わずに入られない。

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2011年11月12日

ベトナム-その凄まじい現実に立ち向かう女たち

 

11日、北ベトナムの土に漉き込まれることなく、無事帰還しました。

少し仮眠を取って都内での会議に出席し、夜は新しい事業戦略部の飲み会に合流。

でもって今日は、5日分のメールにため息をついている始末。

ベトナム熱を早く冷まさなければ・・・ と思いながら、

気がつくと頭の中で再現されてたりして。 この体験、さてどう整理しようか。

 

憧れのベトナムは、喧騒とジレンマに満ちた国だった。

全開の欲望、ギラギラした個人主義が突っ走っているような街と、

静かに矛盾を深めつつある農村。

 

首都ハノイの街は、まるで無政府状態のようだった。

バイクと車が朝から晩までクラクションを鳴らしあいながら、

日々のたたかいを繰り広げている。

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一方でハノイから100数十キロ離れた農村部には、

時間が止まったような光景が残っている。

 

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こんなのどかな山村で、農薬の問題を話さなければならないというのは、

実に罪な世の中だと思う。

 

今回、訪越の機会を与えてくれたのは

 「Seed to Table」 という日本のNPO団体。

代表の伊能まゆさんは元JVC (日本国際ボランティアセンター) のスタッフで、

2年前にベトナムでの環境保全型地域開発を支援するためにNPOを設立された。

その活動のなかで、伊能さんはいよいよ

有機農業で都市と農村をつなげるステップに入ろうと、

今回のワークショップを企画されたようだ。

 

ハノイから西北約120kmに位置するホアビン省タンラック郡の

3つの村と郡の人民委員会(行政機関) を回って、

日本での有機農産物流通の発展事例として大地を守る会の話をしろ、というミッション。

しかもこれは、

「有機農産物の品質・生産技術の向上および市場アクセスの改善を通じた

 小規模農家の生計改善事業」 という、

ちゃんとした外務省の助成によるプログラムである。

 


「キックオフ・ワークショップ」 と銘打たれて、

ナムソン村 - ディックザオ村 - フーヴィン村 と巡回する人使いの荒い行程。

日本からは、京都で有機農業を営む長沢源一さんと僕の二人だったが、

カンボジアから、有機農業の支援とネットワーク作りを展開しているCEDACという団体の

ダルンさんという若者と農家のティブさんという女性が参加された。

他にタイからも来られる予定だったが、洪水の影響で断念されたとのこと。

 

各村に建てられた公民館(?) はどれもステレオタイプだ。

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ワークショップでは、まず村の偉い人からの挨拶があり、

続いて伊能さんが今回の意義を伝える。

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ベトナムで広がる経済格差。

開発による農地収用で職を失う農家。

生産コスト増で借金を膨らませる農家。

物価は上昇しても農産物価格は低いままである。

都市化と工業化の進行、旱魃や洪水の多発化、森林の減少と土壌流出。

化学肥料と農薬への依存が強まる一方で病虫害は増加するという悪循環が進行している。

 

都市では大気や生活用水の汚染が進んでいる。

食の欧米化と 「顔の見えない農産物」。

そんななかで、健康志向と食の安全を求める声が高まってきている。

 

地域の自然を守り、安全な食べもの生産・持続的農業を拡げ、

都市の消費者とつながることで、環境を壊さず食糧確保と生計向上を図る。

そのために協力できることがある。

 

なかなかに力強いプレゼンである。

この主旨に沿って、日本での事例を語れということなのね。

 

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各村とも参加者は圧倒的に女性が多く、しかも熱心に聞いてくれる。

ベトナムは女が強い(実はどこもなんだけど) と聞いていたが、これは本当だ。

手前の、缶コーヒーのBOSSの宣伝に出てきそうなお父さんより

ずっと頼もしく感じられた。

 

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じゃあ、一丁やったろか、と気合も入る。

すみません、今日はここまで。 続く。

 



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