放射能対策: 2013年5月アーカイブ

2013年5月30日

未来のために、チェルノブイリから学ぶ -放射能連続講座Ⅱ‐第3回

 

5月28日、ローソン久が原一丁目店の開店をたしかめて、

午後は熱海へと向かった。

正確には、静岡県田方郡函南(かんなみ) 町に。

丹那盆地にあって、ここは大地を守る会の低温殺菌牛乳の里であり、

またジャムやジュースやケーキでお馴染の (株)フルーツバスケットがある。

28日はその株主総会が開かれた。

 

株主総会といっても、

フルーツバスケットは (株)大地を守る会が100%出資の子会社なので、

出席は関係者のみ。

この総会で、あろうことか、取締役に指名されてしまった。

今月、特販課長を受けたばかりだというのに、3足目のワラジ・・・。

大丈夫か、オイ、と自分に問うている。

 

2年前、これが  " オレの大地人生 "  最後の仕事になるのかと

神を、いや原発を呪った放射能対策特命担当だったが、

しかし・・・ まだ次のページが残されていたとは。

まあ、バカはバカなりに、やれるだけのことをやる、しかない。。。

 

ため息をひとつふたつ吐いて、宿題をひとつ、片づけたい。

5月18日(土) に開催した、大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第3回。

『食の安全と放射能 -未来のために、つながりを取り戻す-』。

「NPO法人チェルノブイリ救援・中部」 理事、

河田昌東(かわた・まさはる) さんのお話し。

 

河田さんたち 「チェルノブイリ救援・中部」 は、

原発事故から4年経った1990年からウクライナに入り、

住民の健康調査や医療支援、土壌の汚染対策(菜の花プロジェクト) などを

粘り強く続けてこられた。

その経験から、ずっと原発に対して警告を発してきたのだったが、

こともあろうにこの日本で、地球汚染規模の事故を起こしてしまった。

悔しさを吐露して、河田さんは語り始める。

 

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河田さんはまず、チェルノブイリ原発事故を振り返りながら、

福島第1原発事故との類似点や相違点を整理された。

 

チェルノブイリは核暴走だが、福1 は水素爆発。

爆発時の温度の違いと爆発時までの運転履歴の違いによって、

放出された放射性セシウムの量(Cs137+134) はチェルノブイリの約4分の1。

137と134の比は、チェルノブイリが 2:1 に対して、福1 は 1:1。

(半減期2年の134の比が多いぶん、総量での減少は早い。)

ストロンチウム90 は 60分の1。

プルトニウム239 は 1万分の1。 問題にはならない量だと考えてよいのではないか。

 

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チェルノブイリは大陸の中にあり、ほとんどは土壌に降った。

福1 では事故当時は北西の風によって、9割方は海洋に流れた。

その後の風向きによって陸地 200km にわたって陸地に降ってしまったが、

もし事故が今の季節に起きていたら、日本全域が汚染されたかもしれない。

 

チェルノブイリ事故に対して日本では、

炉型が違うとか社会主義国だからとか理由をつけて

「わが国ではこのような事故は起こりません」

とキャンペーンした。

しかし事故は発生した。 傲慢な姿勢が事故をもたらしたのだ。

 

チェルノブイリ原発は石棺で囲われたが、

その後の地盤沈下によって屋根が裂け、雨漏りがしている。

いま、ひと回り大きな石棺で覆う計画が進んでいるが、

いったん事故が起きると、その対策には長い時間がかかることを物語っている。 

その間、何のプラスの価値を生み出さないのが原発というものである。

膨大な被曝労働とコストが積み上げられていっている。

福1 もいつまでかかるか、今もって分からない。

事故の本当の原因すら、分かっていないのだ。

 

原発事故は、汚染環境下で生きざるを得ない世界の扉を開けた。

私たちも原発の恩恵(電気) を受けてきたんだからみんな責任がある、

という意見があるが、私はそうは思わない。

私たちには電気を選ぶ権利が与えられなかったのだから。

 

原発事故はまだ収束していない。

「冷温停止」 と 「冷温停止状態」 とは違う。

今も毎時20トンの冷却水が注入されているし、

日量400トンの地下水が流入している。

 

チェルノブイリが教えている教訓は、内部被ばくの問題である。

事故直後から1年間の被曝の、半分は粉塵の吸入による内部被ばくだった。

事故後22年経った2008年のデータでは、

8-9割が食べ物や飲み物からの内部被ばくになっている。

ナロジチ地区住民の体内放射能を

ホールボディカウンター(HBC) で測定したデータがあるが、

事故後15年経った2001年でも7千~1万8千Bq(ベクレル) レベルの人が多くいた。

実は一ヶ月前にも現地で測定したのだが、

事故の後に生まれた20歳前後の学生でも数千Bq の値が検出された。

原因は野生のキノコやベリー類など食べ物である。

 

チェルノブイリ事故前の日本人の平均は 20Bq 程度だったが

(この数字の原因は過去の核実験と思われる)、

事故後 60Bq  に上昇した。 

その後徐々に減っていったのだが、福島の事故で上昇した。

すでに私たちはゼロBq はあり得ない、

そういう時代に生きているという覚悟が必要である。

 

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ウクライナでは、1平方メートルあたり 55.5万Bq 以上は居住禁止区域

とされている。

これは年間 5mSv 以上の外部被ばくの危険性があるとされる地域であり、

病院などで一般の人が立ち入ることを禁止した 「放射線管理区域」 に相当する。

しかし日本では、年間 20mSv まで居住が許容された。

ICRP(国際放射線防護委員会) が言うところの、

「事故直後は最大20mSvまでは許容されるが、

 できるだけ速やかに 1mSv まで減らすべき」

という勧告の最大値を採用した。 これは欺瞞である。

 

放射能汚染がもたらす問題は、

地域とコミュニティの崩壊、家族の崩壊、健康への影響などがあるが、

加えて、すべてのツケを未来世代に回しているという点が挙げられる。

そして農林漁業者と消費者の分断という悲しい事態が起きる。

こういった問題を、私たちは一緒に考えていかなければならない。。。

 

正しい事実を知り、正しく怖がろう、と河田さんは訴える。

 

すみません。 今日はここまでで。

 



2013年5月20日

福島の農業再生を支える研究者の使命

 

「特販課」 論議はまあ、これからの行動で語るしかないので、

とりあえず脇に置かせていただき、

福島報告はしておかねばならない。

18日は連続講座、19日は自然エネルギー・コンペ・・・と

どんどんネタが滞留してきているので、端折らせてもらうしかないけど。

 

5月15日(水)、

この2年間、農産物での放射能対策に挑んできた研究者たちの

成果発表と討議が行なわれた。

「福島の農業再生を支える放射性物質対策研究シンポジウム」。

主催は 「独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)」。

共催 「独立行政法人 農業環境技術研究所(農環研)」。

 

会場は、福島駅前にある 「コラッセふくしま多目的ホール」。 

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「原子力災害の克服は国家の課題だ」 と主催者は語る。

しかし 「克服」 とは、どういう状態を指すのだろう。

大地に降った放射性物質が消える、あるいは完全に封じ込められた状態か。

放射能に対する食の安全が達成された、と宣言できることか。

すべての農地で営農が再開され、

農産物が以前と同じように普通に売れようになることか。

15万人におよぶ避難者が帰還でき、あるいは新天地で、希望を取り戻すことか。

そしてみんなが放射能を恐れることなく、笑顔で暮らせるようになることか・・・

言葉の意味においては、それやこれやすべてだろう。

加えて、国民を欺き通してきた原子力政策を乗り越えること、

も忘れずに付け加えておきたい。

「克服」 には、気の遠くなるような時間と営為の積み重ねが必要である。

その代償がどれほどのものになるかは、誰にも分からない。

 

シンポジウムで発表された研究成果は、

だいたいこれまで聞き及んでいた内容だった。

上記の問いに照らし合わせるなら、

土壌や環境下での放射性物質の挙動について、

我々はようやくその原理を掴みかけてきた、というレベルか。

これはもちろん研究者を揶揄しているのではない。

みんな頑張ってきたなぁ、と敬意を表するものである。

研究者の社会的使命を強く自覚する人たちにも、たくさん出合った2年間だった。

国の研究機関に勤めているからといって、いわゆる御用学者ばかりではない。

善人と悪人がいるのではなくて、

みんなその間で悩み、判断を選択し、試行錯誤してきた、と言うべきか-

放射能に対して、科学はかくも不確かなものだった。

 

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講演は、以下の3題。

◆ 「農地における放射性物質の動態解明」

  - 農環研・研究コーディネーター 谷山一郎氏。

◆ 「農地除染及び農作物への放射性物質の移行低減技術」

  - 農研機構・震災復興研究統括監 木村武氏。

◆ 「福島県における水稲の放射性物質吸収抑制対策確立の取組と今後の研究について」

  - 福島県農業総合センター生産環境部長 吉岡邦雄氏。

 

吉岡さんについては、今年の 福島での生産者新年会 でもお呼びしたので、

ご参照いただければありがたい。

 

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パネルディスカッションを前に、

ゲストで招かれた飯舘村村長、菅野典雄さんが語る。 

 

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   どこよりも美しい村をつくろうと、

   誇りを持って築いてきた人口6000人の村が、全村避難となった。

   私たちは、放射能に対してまったく無知だった。

   放射能対策は、他の災害とはまったく違う。

   ゼロからの再出発なら頑張れる。

   しかしこれは、長い時間をかけてゼロに向かっていくたたかいである。

 

   何より心の分断がつらい。

   家族が分断される、離婚するケースもある、 わずかの差で賠償の有無が分かれる。

   戻って農業をやれるのか不安が消えず、勤労意欲が減退している。

   精神戦争をやっているような気持ちである。

 

   どうせなら除染の先進モデルになりたい。

   やれば間違いなく線量は下がる。

   栽培した(耕した) ほうが低くなるという結果も得られている。

   村を追われたものにとっては " 除染なくして帰村なし "  である。

   「対費用効果を考えれば除染は意味がない」 というのは、

   我々を冒とくする意見である。

   世界の笑いものにならないか。

 

   避難した先でも、農業の現場に入って頑張っている若手が20数人いる。

   どうか意欲をもって取り組んでほしいと願っている。

 

   毎日、いろんな対応に追われている。

   原発災害から私たちは何を学ばなければいけないのか。

   それは経済や  " 金しだい "  からの転換ではないか。

   成熟社会のありようを考え直したい。

   そして、世界から尊敬される国になりたい・・・

 

パネルディスカッションで事例提供をしたのは以下の3名。

◆ 「被災地の営農再開・農業再生に向けた研究をどう進めるか?」

  - 新潟大学農学部教授 野中昌法氏。

◆ 「小国地区における稲の試験栽培」

  - 東京大学大学院・農学生命科学研究科教授 根本圭介氏。

◆ 「水稲への放射性セシウム吸収抑制対策」

  - 東京農業大学応用生物科学部教授 後藤逸男氏。

 

二本松で詳細な測定を実施して対策を支援してきた

新潟大学・野中昌法さん。

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他の大学の研究者とも共同で、現場重視・住民主導の復興プログラム

に取り組んできた。

困難と言われてきた森林除染についても、

伐採した樹木をウッドチップにして敷き詰め、菌糸の力でセシウムを吸収させるという、

新たなバイオレメディエーションの実験を計画している。

 

土壌分析では第一人者といわれる東京農大・後藤逸男教授。

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後藤さんには、生産者会議や弊社の分析室職員の研修などで

お世話になった経緯がある。

 

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後藤さんもまた、農地再生と復興に向けた取り組みで最も重要なことは、

農家の営農意欲の復活と向上であると語る。 

 

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パネルディスカッションでは、

農林水産省の方が、復興に向けて先端技術の導入とか

農地の集約化(規模拡大) とかを語った際に

菅野村長が釘を刺したのが印象に残った。 

「 それは経済の発想であって、地域再生ではない。

 人口が半分になったところで地域を守っていけるのか。

 中山間地の環境保全につながる方向を検討してもらいたい。」

 

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人のための、地域のための、環境のための政策を、

小さなモデルでもいいから実践していく。

僕らはひたすら民から提起し続けるのみである。

それが強靭で柔軟性のある社会につながっていることを信じて、やるしかない。

社会的使命を自覚する研究者を育てるのも、

官や政治を変えるのも、民度にかかっている。

 



2013年5月 2日

児玉龍彦さんが語る、放射能対策と科学者の責任(Ⅳ)

 

児玉講座レポート、最後は除染と保管の問題について。

 

まずは、講演後の質疑で出された次の質問に対する、

児玉さんの回答から紹介したい。

「 東京電力の発表によれば、いまだに大量のセシウム137が

 事故原発から放出されている。

 そんな状態で除染作業をしても、イタチごっこになるだけではないか。」

 

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児玉さんの回答はこうである。

「 なぜ今、除染をやらなければならないかと言うと、

 チェルノブイリと違い日本では、

 新しい町をつくってそこにみんなを避難させることは不可能に近い。

 そんななかで、今もある程度の放射線量の中で暮らしている人たちが、

 100万人いる。

 そこに暮らす人たちにとっては、子どもの通う幼稚園をきれいにしたい、

 帰宅した際の靴の裏の線量を低くしたい、と願うのは、

 生きていくための基本的な生存権であり、健康権の問題である。

 

 放出されているのは事実だが、それが高い濃度で居住地にまで

 降ってきているという状態ではない。

 浄化する必要がある場所があって、できる技術があり、

 新たに降ってきている量が微々たるものであるとしたならば、

 そこに暮らす人々が希望している以上、

 除染に協力する義務が私たちにはあるのではないか。

 東大はその筆頭として引き受けるべきだとすら思っている。

 放射性物質が放出されているという問題と、

 人が暮らす街を放置するということは、まったく別問題である。

 

 チェルノブイリで起きたことは、家族や地域の崩壊だった。

 避難することが外科的手術だとすれば、除染は内科的な処方かもしれない。

 決めるのは住民であり、どちらにせよ

 安心して暮らせるよう支援する責任が私たちにはあって、

 それは無駄なことでも何でもない。」

 

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よく熱力学第二法則 (エントロピーの法則) を借りて、

いったん散ってしまったものは元には戻らないのだから除染はやっても無駄、

とか言われるが、それはこの法則をよく理解されてない方々だ、

と児玉さんは解説する。

ここで熱力学の話は省くが (分かった上で省くの? とは聞かないでね)、

第二法則が示していることを除染にあてはめるなら、

「外部に出すエネルギーを少なくして、内部をきれいにする」、

つまり効率的に無駄なく進め、隔離することによって、

(完璧は無理としても) 浄化は可能である、ということのようだ。

除染に対する児玉さんの責任感は、ただの  " 思い "  ではなく、

科学の法則に則ってもいる、ということか。

 


福島第1原発から放射性物質が拡散していったマップを見ると、

20年以上住めなくなった地域が広範囲に存在する。

チェルノブイリの経験で分かったことは、

事故後、半減期の短い核種が消えていくとともに放射線量は減っていくが、

6年後から下がらなくなった (半減期の長い核種が残ったから)。

放っておくと長く汚染が続くということである。

 

環境に散ったものを集め(濃縮させ)、隔離保管して、減衰を待つこと。

これによって長期的な内部被ばくと外部被ばくの可能性を減らすこと。

これが除染の本質である。

 

できるだけ濃縮させて(容積を小さくさせて) 保管したい。

濃縮で危険が増すと思われがちだが、そうではない。

少なければ少ないほど管理がしやすくなる。

 

汚染水が大量に溜められていき、漏れ出す、というのは

除染の原則に反したやり方である。

水の保管はとても難しい。

 

セシウム回収型の焼却炉は技術的に可能である。

セシウムの沸点は 641℃。

そこでガラス化防止剤を入れ (ガラス化すると抜けない)、1000℃ 以上にして

セシウムをいったん気化させる。

次にコジェネで温度を一気に 200℃ まで下げて液体化させ、

フィルターでセシウムを濾過させる。

それを仮置き場や中間処理場とかでない、きちんとした保管場所で隔離する。

保管場所と焼却炉はできるだけ近くに置き、

線量流量計を据え、24時間チェックする体制を整える。

 

しかし、この線量流量計を付けることを、環境省は拒否するのだ。

お金がかかると・・・

これでは住民の不信感は払拭できない。

 

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農地の除染の目的は、作業者(農民)の健康維持と、

農作物に吸収させないことである。

放射性セシウムは表層 5cm の粘土に捕まっている。

したがって表土 5cm を剥ぐと線量は下げられるが、

同時に大切なミネラルも失われるので、客土が必要になる。

また天地返しして 30cm ほどの下層土と入れ替える方法が推奨されているが、

石などが多い土質だと表面に出てきてしまうので、

その土地の性質を知っている地元の人の意見を聞きながら進めなければならない。

環境省のマニュアルに則った方法しか認めない、

というのは実におかしなことだ。

 

剥いだ土や草木類がフレコンバッグ(合成樹脂の袋) で保管されているが、

パワーショベルで傷つけたりするケースがある。

また草木類など有機物が多いと、夏に発酵してガスが発生し、爆発する恐れもある。

できればコンテナ保管が望ましい。

セシウム回収型焼却炉を用意して容積を減らし、

人工バリア型処分場で隔離して、浅地中(地下水層まで掘らない) に保管する。

 

いま破断された常磐自動車道の除染に取り組んでいるが、

ここでも省庁間の問題がある。

除染は環境省の担当で、国交省がその後に道路を通すのだが、

アスファルトを剥ぎながら、後ろからアスファルトを敷いていく技術が

国交省にはあるにも拘らず、活用されていない。

交通網の復旧は地域経済と暮らしの復旧のために急がねばならないのに。

 

森林は、30~50年くらいの時間がかかるだろう。

ただ伐採だけやってもダメで、セシウム回収型の焼却炉と

バイオマス発電を組み合わせるとかの工夫が必要だと考える。

作業者が被ばくしないよう、機械化も必要だ。

問題になるのは、放射性物質が集まり溜まってくるダムの底。

決壊すると大変なことになるので、定期的に浚渫しなければならない。

やらないとダムは時限爆弾となる。

上流での対策が必要だということである。

 

1955年からのデータがあるが、

日本は雨が多いので、森林から舞い上がって飛んでくることは少ない。

ただ花粉からは考えられる。

 

海はボリュームが大きいので希釈されていくが、

まだまだ継続的なモニタリングが必要である。

 

日本には世界に誇れる環境技術があるにも拘らず、

最新の技術が生かされてない。

児玉さんはここでも官の問題を挙げる。

 

これは質疑での発言だが、

原発事故後から、行政は組織防衛のための  " 不作為 "  を徹底するようになった、

と児玉さんは厳しく批判した。

不作為とは、見て見ぬふりをする、ということだ。

例えば飛行機の中で病人が出た際に、

医者が名乗り出て処置を誤った場合、作為の責任が問われる。

しかし名乗り出なかった場合には、不作為の責任が問われる。

条件が整わない中で作為の責任を問われるのを恐れるあまり、

情報まで隠ぺいしてしまう。

「不作為の責任は極めて重い」 と児玉さんは強調する。

そして審議会などにも民間や自治体の代表が参画できる形にして、

透明性と公開性を持たせるべきだと訴える。

 

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最後に、児玉さんからのメッセージ。

「 原発事故は、日本における最大の21世紀型環境問題です。

 この環境変化によって、福島は大変な苦難の中に置かれてしまいました。

 もっと大きな力で現地を支え、住民の悩みや苦しみを助けたい。

 除染は無駄だというのは、そこに住む人々をさらに苦しめることを、考えてほしい。

 当事者の声というのはなかなか伝わりにくいものです。

 自分の子どもを心配するのと同じように、福島の人たちのことを考えてほしい。

 それが21世紀の日本における環境問題を考えることであり、

 皆さんがこれからどこかで暮らして、何かが起こっても、

 他の地域の人々から支えられる、

 そんな (支え合いのある) 社会につながっていくのだと思うのです。」

 

1時間も超過してしまったのに、児玉さんは終了後、

壇上から降りていって質問者との対話を続けるのだった。

 

実はこの会場に、児玉さんは奥様をお連れしていた。

あらかたの人が帰った会場の

出口付近で待っておられるのを見て、僕はふと

今日が 「この日の夜しか空いてない」 一日だったことを思い出した。

もしかして、日比谷周辺で食事でもする約束をしてたんじゃないか。。。

" 申し訳ない " と " ありがたい " がない交ぜになって、

「まだ話してるわ、あの人・・・」

と呆れる奥様に、僕はひたすら頭を下げる。

 

奥様が話してくれた感動的な愛の秘話があるのだけど、

機微な個人情報なので、ここでは伏せておきたい。

 



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