放射能対策: 2013年8月アーカイブ

2013年8月12日

人体に影響ないなら・・・、自分にできることは・・・

 

『大地を守る会の放射能連続講座』 も、

昨年の6月からここまで、11人の講師を招いて続けてきたけれど、

坪倉さんの話を聞いて、改めて

" 原発とは、本当に罪作りなものだ "  と思わされた。

 

施設を強制退去させられ、悲しみうろたえながら、

死んでいったお年寄りたちがいた。

ふるさとから追われた仮設住宅で、病人が増えている。。。

これは、実にとんでもない報告である。

 

いったい何者の責任なのか。

ここでの退去は地震や津波のせいではない。

ヒバクシャとして病が進行したからでもない。

しかし、たしかにこれは、原発事故によってもたらされた不幸である。

やっぱ、ゲンパツという技術、それを推進する政策とは共存できないと、

つくづくと思ったのだった。

 

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(笑顔で質問に答えてくれる坪倉正治さん。)

 

聞いていただいた方は、みんなそう感じてくれたに違いない。

 - と思っていたら、返ってきたアンケートに、こんな一枚があった。

 

  私は、原発は廃炉にすべきと思って、食事に気をつけたり、

  情報を集めたり、反原発の一票を投じたりしていますが、

  今日のお話を伺って、原発事故が起きても、

  そ~んなに大きく人体に影響がなさそうなら、

  反原発でいる方がずっとストレスがたまって、体に悪いのかな、

  と少し思いました。

  ・・・・・人間は日々の生活の方が重要だし、その内、私も放射能になれてしまって、

  反原発でいる事をやめてしまうのかな。

  この前の参議院選挙は、福島県ですら、自民党が圧勝だったし、

  福島県の為には、放射能は恐くない、とした方が良いのかもしれませんね。

  だったら、何の為の反原発なのか、考えてしまいます。

 

この感想には主催者として答える義務がある、と思った。

 


論理的に展開しようと意識すると、

とてもくどいものになりそうな気がするので、

今の思いを箇条書きのような形で列記してみたい。

 

1.原発事故が起きても人体に影響がない、と言った方はいません。

  あくまでも今回の事故による放射能の影響を冷静に見た場合に、

  当初恐れていたような事態にはなってない、ということ。

  したがって食品や産地に対する偏見は別な問題を起こしていないか考えたい、

  という視点が示されてきた、ということであります。

  ただし初期被ばくの影響は、これから数十年先まで見ないと分からない。

  また今後の影響は、まだ予断を許さない。

  だからほとんどの講師が、継続的調査を訴えておられました。

 

2.原発事故による影響は、放射能被ばくによる

  人体への短期間の影響だけではありません。

  その前に、人間関係が壊れたり、

  ふるさとから全員が避難しなければならないような過酷事故として、

  目の前に現われている、ということです。

  これによって人が傷つき、病人が増えていることを

  坪倉さんは語っている、と僕は理解しました。

  避難させられた人たちと私たちは関係ないことなのか、

  原子力エネルギーに頼るとはどういうことなのか。

  考える義務が今を生きている大人には、あるのではないでしょうか。

 

3.原発事故はもう起きない、という保証はありません。

  今日、あるいは明日、どこかで発生するかもしれないのです。

  これまで講座の司会をしていて何度か発言しましたが、

  世界には 400 を超える原発が、今なお稼動しています。

  僕自身は、

  日本こそ脱原発社会(地球) の実現に向けて牽引力を果たす責任がある、

  と思う立場です。

  しかも私たちは、世界のためにも、

  福島第一原発事故による教訓をしっかり残さないといけません。

  そう考えるなら、福島を切り捨てた解決策はあり得ない。

  お呼びした講師がおしなべて福島への支援を語るのは、

  未来への責任の取り方を模索しているのだ、と僕は受けとめています。

 

4.参議院選挙の福島選挙区での結果については、

  個人的な感想として率直に言うと、驚くものではありません。

  自民党と民主党を単純に比較すれば、

  自民党の福島県連のほうが脱原発の意思を示していたワケですから。

  それが党の政策に反映されるとも思えませんが、

  電力会社の労組の顔色をうかがっているような候補者が勝利しても・・・

  すみません、それ以上のコメントはここでは控えます。

  いずれにしても、

  「福島県の人にとっては、放射能は恐くない、とした方が良いのかも・・」

  などとは、誰も思ってはいないと思います。

  福島の人たちの思いはむしろ、

  「東京の人たちは、福島を切り捨てて、忘れようとしているのではないか」、

  あるいは汚染者のように見られることへの反発、 

  のような気がします。

  河田昌東さんの私たちへのメッセージは、「つながるためには、忘れないこと」。

  この意味を考えたいと思います。

 

5.何の為の反原発なのか-

  私が数年後にガンになる不確かな不安よりも、未来の子供たちのために、

  ではないでしょうか。

  健康への影響だけでなく、何も生み出さない廃棄物のために、

  管理を誤ると大変なことになる物質のために、

  何万年もお金を拠出され続けなければならない。

  そんなゲンパツ社会を、いま私たちは建設しているのです。

  幻想のようなエネルギー論に引き連られながら。

 

かたやこんな意見もあった。

 

  全部には参加できませんでしたが、

  各方面で放射能と向き合ってこられた方々の活動を伺うことによって、

  自分が何もできていないことを思わずにはいられません。

  多くの講師の方々が  " 忘れないこと "  と仰るが、

  むしろ、それを言い訳にしている自分がいます。

  日常できることは、できるだけ  " 福島を食べる "  と多少のカンパくらい・・・

  でよいのだろうか?

 

う~ん 。。。

" 食べる (=体に取り込む) "  とは命がけのことですから、

充分な連帯だと思うのではありますが、

そこでつながっているという信頼の輪を、確実なものにしたいですね。

語り合いましょう。

次回(8月31日) は福島の生産者の登場です。

ぜひお越しください。

 

講座終了後、

駆け寄ってきてくれた方から、こんな嬉しいお話も頂いた。

前回の高橋弘さんの講演を聴いて以来、

ファイトケミカルスープを続けてきたところ、

先日夫が足を骨折したのだけど、お医者さんもビックリするくらい回復が早くて、

これは野菜スープの力か、なんて話してるの。

ホントかどうか分からないけど・・・(笑)。

 

ホントかどうか分からないけど、

免疫力が強化されつつあることは、確かかもね。

野菜には力があります。

 

実は・・・僕も何度か試してるんだけど、

継続ができない。

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野菜のエキスだけではどうも味が薄くて、いや優しすぎて、

高橋先生に 「塩、入れちゃだめですか?」 なんて聞いてしまったのだけど、

呆れた顔をされ、続いて

懇々と塩分摂り過ぎの問題について説教されたのだった。

 

食でたたかえる。

しかし、だからといって問題の根源を見失ってはいけない。

食で鍛えながら、

自分のペースで種を播き続けるってことでしょうか。

バトンを握り締めて、歩き続けたい。

 



2013年8月10日

原発 23 kmでの医療支援から(Ⅲ)

 

坪倉正治医師の話-その3。

 

スーパーで産地を気にして買い物をしている人とそうでない人の間に、

内部被ばくの差はなかった。

これが坪倉さんがやったアンケート調査とHBC(ホールボディカウンター) 検査の

結果である。 

どっちの子供でも、HBCでは同じだった。

ただし検出限界値以下での違いまでは分からない。

ここが聞いているほうには微妙に悩ましいところではあるけれども、

まあ顕著な差はなかったということだ。

 

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現状においてハッキリ言えることは、

食品から均等に放射性物質を摂取しているワケではないこと。

どこどこ産という問題でもない。

むしろどういう類のものを食べたか、が問題である。

内部被ばく線量の高い人に特徴的なのは、

野生の獣肉(イノシシなど) や山菜を好んで食べた人。

内部被ばくは、毎日ちょっとずつ蓄積、というより、何かでポンと上がっている。

ポンと上がって、徐々に減り、ある時ポンと上がる、というような傾向。

 

チェルノブイリでは、トナカイと野生のキノコが大きな要因と言われている。

トナカイはコケを、イノシシはミミズを食べる。

 


坪倉さんの話を聞いていて、

イノシシなんてそう食べないよね、機会もないし、と思われたことだろう。

まったくその通りなんだけど、食べる人にとっては

" 殺めた以上、多少のリスクがあっても、食べる "  相手なのである。

今でも関東以北では調査用に捕獲されているが、

猟をする人の気持ちは、ただ検査するためだけに殺す手伝いはしたくない、

という感じらしい。

獲ったら食べる、美味しくいただく、が基本精神で、

3.11以降、狩猟をする人がめっきり減っている。

おかげで獣害も増えてきている。

原発事故は、いろんな悪循環を生み出しているということである。

しかも  " 食べる "  という生命の根源的営みから、喜びや楽しみや

生に対する敬虔の心根まで奪った。

それらはけっして賠償の対象にはならない。

 

坪倉さんの話に戻る。

内部被ばくは食べ物が主因だが、リスクが万遍なく分散しているワケではない。

特定のもの避ければ、大きく減らすことができる。

大事なのは産地ではなく、種類である。

出荷制限がかかっている食べ物を、しかも未検査のままで、

継続的に食べないこと。

逆に言えば、それくらい大胆に食べないと (線量は)上がらない、

というのが現状である。

もちろん、すべてが収束したわけではないし、

メカニズムがすべて明らかになったワケではない。

食品の検査はまだまだ継続してやっていく必要はある。

 

水も、限りなくゼロに近いけれども、ゼロではない。

しかし問題は水が運ぶ泥であって、水ではない。

ガラスバッジでの線量も明らかに下がってきている。

 

外部被ばくを避けるポイントは、ホットスポットを避けることより、

長時間生活する場所の線量を下げること (必要な場所の除染)。

皮肉な事例を挙げれば、

早期除染された学校の中にいたほうが、(除染していない) 家庭に留まっているより

子供の線量は下がる。

 

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医療の現場にいる者として、伝えておきたいことがある。

( 坪倉さんはむしろこっちを問題にしたいと思っているのではないか、

 と僕には感じられた。)

血圧、コレステロール、糖尿、肥満、それらのリスクが上がると、

心筋梗塞、脳梗塞の可能性が高まる。

心筋梗塞になると、3分の1は病院に辿りつけず亡くなる。

3分の1は病院から帰れなくなる。

残りの3分の1は、薬に頼って生きていかなければならなくなる。

 

仮設住宅で暮らす人の間で、

肥満が+10%、高血圧が+10%、糖尿病は2倍に増えている。

何が大事なのだろうか。

内部被ばく検査も食品検査も大事なことだけれども、

食生活のバランスを崩すことのほうが、よっぽど問題ではないか、と思う。

こういうことを言うと、「内部被ばくを隠すのか」 と言われちゃったりするんだけれど・・・

 

たとえば、ビタミンD という栄養素は骨を作るのに貢献している。

日本人はカルシウム摂取量が低いと言われるが、骨折率は低い。

貢献しているのはビタミンD であり、

その供給源はキノコと魚である。

内部被ばくと必要な栄養摂取のバランスをどう考えたらいいのか・・・

ひと言では言えない、と坪倉さんは口をつぐむ。。。

 

震災後、南相馬の老人ホームでは、

(一定期間内での) 亡くなる人の数が通常の6倍に増えた。

その方々には被ばくの症状はない。

家族の体調の変化は、家族でないと分からないことが多い。

それはとても重要な情報なのだけれども、

環境が変わったことで、キャッチできなくなる。

人間は環境変化にメチャクチャ弱い。。。

 

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今、HBC など検査への関心がとても薄れてきているのが心配だ。

あれだけ殺到してきていたのに、なんで来なくなったのか。

アンケートをとると、土日にやってくれないから、という声が多くあった。

でも、日曜日に開けても、来る人は増えなかった。

 

いかに現場の人たちに情報を伝え、継続的な検査の必要性を理解してもらえるか

が課題である。

そのためにも、と思って、坪倉さんは、

放射線の説明会や子供たち向けの授業を、こまめに積み重ねている。

子供を守ることは、検査の継続と、結果を正しく(冷静に) 解釈できる力を

子供たちに与えることだと考えている。

 

ま、そんなところで、少しでも何かお手伝いできれば、と思って、

ボチボチやってます。

今日は聞いていただいて有り難うございました。

 

・・・講演はピッタリ90分で終了。

すみません、本日はここまで。

 

あと一回、いくつか追記して、

坪倉講座レポートを終わりたい。

 



2013年8月 8日

原発 23 kmでの医療支援から(Ⅱ)

 

放射能連続講座Ⅱ-第5回、

坪倉正治さんの話を続ける。

 

放射線は、ゼロか1か、といった問題ではなく、あくまでも量の問題である、

と坪倉さんは力説する。

たしかに、ゼロということはあり得ない。

地球自体が大きな原子炉とも言えるし、宇宙からも飛んでくる。

60年代には大気圏核実験が頻繁に行なわれ、

世界中の人々が被ばくしている。

その影響はまだゼロにはなっていない。

今もフクイチからは汚染水が垂れ流されているし、

空中にも放出されているようである。

 

しかし、幸いなことに、

今のところ南相馬市内で空間線量が上がったり、

HBC(ホールボディカウンター) でヨウ素131 が新たに検出されるということは

起きていない。

つまり今のところ (あくまでも  " 今のところ " )

リスクが上がっているという状況ではない、ということは言えるだろう。

もちろん、モニタリングの強化と検査の継続が必要なことは

言うまでもないことである。

 

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内部被ばくも、その量や推移が問題になる。

そこで内部被ばく量を測るのに、一番手っ取り早いのが HBC である。

測定時間によって検出限界値が変わるのは他の測定器と同じ。

「ここまで測ることができますよ」 ということであって、

機械は完全無欠ではない。

ちなみに坪倉さんたちが行なっている検査は、

測定時間 2 分、検出限界値は 250Bq(ベクレル)/Body。

/Body(パー・ボディ) であることに注意してほしい。

数字を自分の体重で割って、/㎏ の数字になる。

仮に体重 60㎏ の人で 300Bq の数値が出たなら、

300 ÷ 60 = 5 Bq/㎏、ということになる。

 


2011年9月に、ようやく最新の機械が入った。

1台5千万円クラスのもの。

現在では福島県内に HBC が 40~50台配備されている。

今まで 30万人の検査が終わっている段階だが、

残念ながら、その結果が充分に伝わっているとは言えない。

 

検査をすれば、結果を伝えることになる。

当然、数字はゼロではないので、継続的な検査が必要だとか、

食べものに気をつけるように、といった話を家族にする。

一人(1家族) 20分くらい使っていただろうか。

しかし予約が殺到するようになって、翌年の3月まで埋まってパンクした。

話をする時間がなくなり、紙だけで伝える方法に変えたところ、

今度はクレームの嵐となった。

外来でつかみかかられたり、東京から送りこまれたエージェントだと罵られたり、

何のためにやっているのか分からなくなって、外来に出るのが嫌になった。

胃が痛くなって薬を飲んだり、顔面神経麻痺も経験した。

 

何とか1年で1万人の検査を終えた。

高性能の機械で測った大人8千人のデータでは、

5千人強が ND(検出限界値以下) という結果だった。

そこでチェルノブイリと比較したり、シーベルトに換算し直したりしながら、

リスクの程度を考えてみると、

例えば、大気中核実験が行なわれていた時代の日本人の

セシウム137の平均値が 10~15 Bq/㎏ である。

幸いなことに、南相馬で測定した 95% の人たちは、その数値を下回っていた。

例えば、年間1ミリシーベルトという基準値をベクレルに換算すると、

350~400Bq/㎏ になる。 それに比べればはるかに低い。

だから大丈夫、と言いたいのではない。

少なくとも、いきなり健康被害が起きるような事態ではない、

とは言えるのではないだろうか。

 

しかしデータを公表すればしたで、マスコミの餌食にされた。

「内部被ばくしている!」 と大々的に騒がれたのだ。

こういう事例を語る時の坪倉さんの話しぶりは、やや投げやりである。

「まあまあ、そんなこともあったというだけのことで・・・」

みたいな。

 

その後も検査を続けていくなかで、検出率はさらに下がっていく。

今では検出する大人が一部に残る、という程度である。

仮に、検出限界ギリギリの 249Bq/ボディ の人が

この数値のままで1年間過ごした場合の被ばく量は 0.01mSv/年、

程度となる。

リスクがゼロという意味ではない。

レントゲン写真1枚の 3分の1~4分の1 レベルのリスク、

と理解してほしい。

現在は、99.9%の子ども、96~97%の大人が、

そのリスク以下のレベルを維持している、ということである。

250Bq 以下の被ばくを見逃しているのではないか、と問われれば、

答えは YES と言うしかない。

 

放射性セシウムは体から排出される。

大人だと約4ヶ月で半分くらいになる (生物学的半減期)。

子どもの場合、6歳で1ヶ月、1歳だと10日で半分になる。

ということは、子どもを測って検出されたら、

それは新しい被ばく (今も受けている)、ということになる。

食べて、飲んで、吸って、おしっこで出して、を繰り返しながら、

測定した子どもの 99.9% は検出しない。 ということは、

この3ヶ月で以前より高く摂取している状況ではない。

 

逆に言えば、事故当時の被ばく量(その時の影響度)は、

今となっては調べられない、ということでもある。

家族全員を調べることの意味がここにある (大人から類推する)。

調べられない最たる物質がヨウ素131 である。

2011年7月には、消えていた。

ただ HBC で測定を開始した事故後4カ月時点での量から、

最大値を推測することは可能である。

そこから類推して、当時の人でも

ほぼ全員が 1mSv 以下だっただろうとは推測できる。

もちろん、この数値をどうリスク評価するかは別である。

少なくともデータが示していることは、

そのレベルのリスク未満にはおさまっている、ということである。

 

日常生活では、内部被ばくは少なくなっている。

しかし中に、下がらない人、時に上がる人、がパラパラと存在する。

この人たちは何を食べてきたのか。

それもほぼハッキリしてきている。

 

すみません。 今日はここまで。

 



2013年8月 7日

原発 23 kmでの医療支援から

 

暦では立秋となりましたが、

いやー、暑いっすね。

皆様、体調はいかがでしょうか。

 

夏は嫌いじゃない。 むしろ得意な方だけど、

フライパンに乗せられているような都会の夏は、やっぱキツイ。

日射しは強くても直球勝負のような爽快感があった太陽、

生命感でむせるような草いきれ、やかましく騒ぐクマゼミの山、

麦わら帽子にスケッチブック、時折吹いてくる涼しげな風、

タオル一枚持って毎日のように潜りに行った海、

あの頃の夏はもう返ってこない。。。

 

特販課長という新しい任務(放射能対策との兼務) に忙しなく追いかけられて、

まったくブログに到達しない日々が続いた。

要は  " あと一歩 "  の気持ちだけなんだけど、ビールが入るともう書けない。

体は睡眠を求めてくるし・・・

 

しかし、この間の諸々は省いても、これだけは自分に課した義務として

残しておかなければならない。

7月25日(木) 開催、

『大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第5回。

 " 福島の今 "  から学ぶ ~原発23kmでの医療支援を通じて~』。

ゆるゆると進めますが、お許しください。

 

講師は東京大学医科学研究所研究員、血液内科医の坪倉正治さん。

福島第1原発に一番近い総合病院である南相馬市立総合病院の

非常勤医も務めている。

月~水は南相馬で外来。 木曜日に帰ってきて、金・土は東京の病院で外来。

この2年、そんな日が続いている。

 

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都立駒込病院の血液内科医として働いていた坪倉さんが、

医療支援として東京都から派遣されたのが 4月の頭だった。

南相馬で起こったことを振り返ってみる。

 

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2011年3月11日、東日本一帯に大震災が襲う。

地震に津波。

南相馬市立総合病院はただちにトリアージの体制に入る。 

トリアージとは、非常事態時で医療の優先度を決める識別救急体制のこと。

翌日には DMAT(ディーマット/災害派遣医療チーム) が到着する。

若い医者が全国から駆り出された。

そこに原発事故が発生する。

3月15日の朝、3号機の爆発をテレビで見て、全体集会が開かれる。

病院に残るか、避難するか、判断は個人の意思に任された。

270人いたスタッフのうち、80~90名が残った。

医者では、常勤医4名と支援に入った大学の若い医者たちが残留に手を上げた。

 

残った者で病院のシステムを維持した。

その時点では、インフラは機能していたのだが、

原発から 30 km 以内が 「緊急時避難準備区域」 に設定されたことで、

補給が断たれることになる。

 

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最初になくなったのが、酸素の備蓄。

DMAT も救急車も入ってこなくなった。

マスコミの取材依頼があって、ぜひ実情を見て伝えてほしいとお願いしたところ、

30km の外に出てきてほしいと言われ、絶句した。

30km 圏内の特別養護老人ホームの方々は全員避難したが、

その4分の1の方が 3ヶ月以内に亡くなった。

「原発事故で一人も死んでいない」 って、どうなんでしょう・・・

 

坪倉さんが支援に入って最初にやったことは、

避難準備区域になったことで入院できなくなった人を、

30km の外に野戦病院のようなものをつくってそこに集めるお手伝い。

次に薬の処方箋書き。

レントゲンのフィルムが感光(放射線を受けている) しているのが見つかり、

防護を強化し、導線を作り直した。

 

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その時点で病院にあった線量計は1個だけ。

坪倉さんはその線量計を持ってあちこち測り始める。

一番高かったのは空気清浄機の中のエアフィルターだった。

朝の外来のあと、1個の線量計を持って順番に学校に出向き、

測定しては図に落として、学校に渡した。

 

しかしそれだけでは、どの程度安全なのか危険なのかが判断できず、

内部被ばくを測らなければ・・・ ということになったのだが、

機械もなければ人もいない。

何を使って、誰が、どうやって測るのか。

5月に、副院長が宮城の女川原発まで行って

HBC(ホールボディカウンター) で測ってもらったところ、

数千Bq(ベクレル) という値が検出された。

 - 内部被ばくしている。 これは測らなければならない。

それから機械を求めて奔走する。

 

2011年7月、人形峠(岡山と鳥取の県境、ウラン鉱山があった峠) から

第1号機が到着する。

しかし、誰が、どうやって・・・・・皆で目を合わせた。

しょうがないので、翌日、自衛隊の中央病院まで出かけて検査の方法を習った。

そして HBC での検査を開始。

日本国内で市民を対象に検査をやった初めての病院が

南相馬市立総合病院ということになった。

 

以後1年間で、福島全体で 5~6 万件の検査が行なわれたが、

その3分の1は南相馬での測定データである。

ベラルーシとウクライナでは、事故後1年で13万件の検査が行われている。

27年前のロシアですら、この数字である。

いかに日本の体制がお粗末であったか。 しかしこれが現実だった。

 

2台目の HBC が届いたのが、8月。

それは福島第1原発のオフサイトセンターにあったもので、

破壊と汚染で修復するのに5ヶ月かかったということ。

今では新型の機械が稼働しているが、

逆に測定を求めて来る人はめっきり減ってしまった。

 

すみません。今日はここまで。

 



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