放射能対策: 2013年9月アーカイブ

2013年9月16日

" 進化を誓う " お祭りにしよう

 

台風による激しい雨と風に弄ばれながら休日出勤。

東北方向へと走り去っていく雲を眺め、

自然の猛威に叩かれては鍛えてきた我が民族の底力を思う。

e13091607.JPG 

 

大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第6回。

『福島と語ろう!』

最後に、3名の生産者からのメッセージを。

 

まだ福島を忘れずにいてくれたことに、とても嬉しい気持ちになりました。

心配なのは低線量被ばくの影響です。

データを取り続けていってほしいと願っています。

  -福島有機倶楽部・阿部拓(ひらく) さん。

 

原発事故は、過去の何にも比べものにならないくらいの困難だ。

それでも、これまで通り暮らしていきたいと思う。

これを普通の困難だと思って一日一日を暮らし続け、

ひとつひとつ解決していきたい。

これまで受け入れた新規就農者が36人。

事故後もやって来てくれる若者がいる。

いいところがあるから来てくれるんだと思うし、

東京ともつながってるんだなあ、と気づかされる。

彼らがやってんのに、オレたちが怖がって何もやんねえワケにはいかない。

真実を知りながら、一緒に歩いていきたいと思う。

  -ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会・佐藤佐市(さいち) さん。

 

福島県は、農業就業者の数が日本で第2位の県です。

それが今、県内の離農率が20%近い数字に跳ね上がってきている。

日本の農業(=将来の食生産) への影響はとても大きい。

どうかこのことを忘れないでほしい。

だから食べてくれ、と言いたいのでなく、

科学的なデータをもとに、大丈夫なものは

少しずつでも消費を取り戻していってあげてほしい。

  -稲田稲作研究会(ジェイラップ)・伊藤俊彦さん。 

    

コーディネーターの大江さんがまとめる。

 

皆さん、ぜひ福島に足を運んでほしい。

生産者に会ってほしい。

畑を見てほしい。

様々な取り組みが福島の地で行われている。

福島の復興なくして、日本の未来はないです。

 

僕もそう思う。

この秋、福島県須賀川市の稲田という地区の

丘の上にあるライスセンターの屋根に、太陽光パネルが敷き詰められた。

未来への責任を果たす、と何度も何度も自分に言い聞かせ

持続させた彼らの意思と願いが込められたものだ。

ゲンパツには絶対に頼らない!

必死の防戦だけじゃない。 オレたちは進軍するんだ!

ライスセンターの屋根にも進化への意思がある。

一人でも多くの人に、見てほしい。

 

10月26日(土)開催の

備蓄米 「大地恵穂(けいすい)」 収穫祭 

  ~ 3度目の秋、未来に向かってコメを作ります

目下、参加者募集中!です。

詳細はこちらから ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/event/2013/0902_4444.html 

 

伊藤俊彦さんから収穫祭に寄せた一文が届いたので、

ここに掲載して講座レポート終了としたい。

 


ここ福島は桃の季節が終わり、

秋を告げる  " 梨 "  や  " ぶどう "  が美味しい季節となり、

田んぼの稲穂が黄金色に色づいて、

まさに収穫の時を迎えようとしています。

 

大地を守る会の皆さまとの関係も四半世紀を超え、

この間、大勢の社員の方々や会員の方々との出会いがあり、

多くを学び、多くを感じ、食を通して五感でつながってきたように思えます。

 

特に3.11以降、放射能測定器を真っ先に貸与いただくなど、

身に余るご支援を賜りましたこと。

このご恩を私たちは生涯忘れることはありません。

何より、皆さまからの  " 憂いのこもった励まし "  の数々は、

不安払しょくの種となり、復興を目指す気概となり、

自立に向けて歩きだすきっかけとなりました。

 

原子力災害という先の見えない逆境の中、

家族や仲間や子どもたちを守るためにご案内いただいた多くの学びを

片っ端から生活の中に取り込み、精査しながら

2年半が過ぎました。

この2年半の学びと実践から得た多くの知見から、

科学的根拠をもって、今後

" 研究会の生産者がつくる農産物を食べ続けても内部被ばくを引き起こすことはない "

と判断できるまでになりました。

今では同居する6歳と3歳の孫たちが同じ食卓を囲み、

何に箸をつけても不安なく見守れるようになりました。

" 家族に不安なく食べさせられる農産物であること "

を当初からの出荷基準にしてきたことは、

皆さまとつながりを持ち続ける中で身についた 

" 食の安全 "  に対する信念の行使であり、

つながりの容(かたち) であると認識しています。

 

2011年秋の復興祭、2012年秋の自立祭では、

深い情けと憂いに感動した涙の収穫祭でした。

この10月26日に予定されています2013年の収穫祭では、

" 今後の進化を誓う "  おもいきり前向きな  " 決意のお祭り "  に

したいと考えております。

この災害から学び、そして実感した

" 頑張ってもできないことより、頑張ったらできることのほうが遥かに多い "

という生き方を合言葉にさせていただく所存です。

 

この7月、毎日新聞社主催の 「第62回全国農業コンクール」 が

昭和32年以来56年ぶりに福島で開催され、

農業生産法人稲田アグリサービスと (株)ジェイラップの連携による

農業振興活動が評価され、

グランプリには至りませんでしたが

毎日新聞社"名誉賞"、"農林水産大臣賞"、"福島民報社賞" 

などの賞をいただきました。

これを契機に、受賞に慢心することなく、さらに産地組織の結束を高め、

学んで、学んで、私たちなりの近未来を創造していくことを決意したところです。

 

皆さまのお陰で元気を取り戻した 「稲作研究会の収穫祭」 に

ぜひご来場いただけますことを願い、

生産者・社員・その家族一同でお待ちいたしております。

  -農業生産法人稲田アグリサービス、(株)ジェイラップ  伊藤俊彦

 



2013年9月15日

反転耕にかけた未来への責任

 

いやはや、こき使われる毎日。

なかなかスピーディに続けられないですね。

でも続けます。

 

8月31日(土)、大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第6回

『福島と語ろう! ~3.11を乗り越えて~』。

福島有機倶楽部・阿部拓さんの話を受けて、

コーディネーターの大江正章さんがフォローしてくれた。

 

有機倶楽部に残った2軒のうち1軒の方 (小林勝弥さん・美知さん夫妻)に、

大江さんは7月に取材で訪れている。

とても明るく元気な奥さんだが、話を聞いているうちに

感極まってきて、泣きながら当時の状況を話してくれたそうだ。

「 いわき市でも、2万4千人の人が避難を余儀なくされた。

 目立った活動をしている所ばかりが報道されがちだが、

 今も苦しんでいる地域がたくさんあることを知っておいてほしい。

 移る・移らない は各々に考えた末のこと。

 それぞれの選択を尊重しながら応援していく姿勢が

 私たちに求められているように思います。」

 

さて3番手は、

福島県須賀川市 「稲田稲作研究会」 伊藤俊彦さん(「ジェイラップ」代表)。

この2年半にわたって積み重ねてきた対策と、

そこから得られたデータを示しながら、伊藤さんは説明を進める。

どの知見も試行錯誤を経て獲得した  " 未来への財産 "  である。

 

e13090707.JPG

 

事故のあった2011年、伊藤さんたちは

「稲田稲作研究会」 メンバー全員の、341枚の田んぼごとに

土と玄米の測定を行なった。 

そこで一番高かった玄米の数値は 19.9 Bq(ベクレル)、平均で 3.11 Bq。

2年目となった昨年では、最大測定値が 11.8 Bq、平均値が 2.66 Bq。

着実に下げられたと思っている。

かたや、除染対策を行なっていない近隣の数値では、

最大値が 22.2 Bq、平均値が 6.71 Bq。

稲作研究会のほ場で、10Bqを超えたのは3つだったのに対して、

未対策地では66を数えた。

やれば結果はついてくる、

少しでも下げられるなら面倒でもやらなければならない。

それは生産者としての責任だと、伊藤さんは考える。

 

(注:数値はすべてセシウム134 と 137 の合算値。)

 


昨年福島県で実施された米の全袋検査では、

農家の保有米も含めて検査されている。

結果は、99.7%が 25 Bq(検出限界値) 未満だった。 

  (注... ジェイラップも検査所となって地域の米の測定を引き受けている。)

 国の基準(100 Bq) を超えた米は 0.0001%、

100万分の1という数字である。

50 Bq以上は再検査に回されている。

稲田稲作研究会では県より細かいデータを取り、

11年秋の収穫後に反転耕(天地返し) の実施に踏み切った。

これまでに 120 haの田んぼでやり終えている。

その結果として、反転耕実施ほ場では

10 Bqを超える田んぼはゼロになった (平均値 2.14 Bq)。

 

e13090710.JPG

 

福1原発事故によって私たちは、

水田が汚染されるという世界で初めての経験をしたことになる。

まったくデータがない中で、いろんな実験にもトライしながら、

伊藤さんたちはいくつもの知見を獲得していった。

 

その過程で、田んぼと畑の構造的な違いも発見する。

高濃度の土に水を加えて撹拌して置いておくと、

だんだんと重い土が沈殿していって、上のほうに薄く濁った水の層が残る。

その薄濁った水の濃度が高いことに気づいたのだ。

つまり、畑は耕すことで分散していくが、

水田は水を張ってかき回す代かきという作業があり

(目的は、土の塊を砕いて田面を平にすることで田植えをし易くさせる)、

そこで放射性セシウム(Cs) は、「代かきすると表面に上がってくる(戻ってくる)」。

どうも Cs をよく吸着するゼオライの種類によって、

比重の軽いものにくっついている可能性がある。

かき回しても表面に戻ってしまうのであれば、

まだ Cs が沈降していない 15 cm下の下層土と入れ替え、

下に閉じ込めることが最も有効な手だということになる。

その場所の空間線量も確実に下げられる。

 

また表面の土ぼこりは風に舞う。

除染しても、吹き溜まりの場所は濃度(線量) が戻ってしまう傾向がある。

春風の舞う日に、農作業する農家やその脇を通学する子どもたちに、

土ぼこりを吸わせてはいけない。

 

仮に 4 Bq の玄米を精米した場合、白米は 1 Bq 以下になる。

その米を研いで水を加えて炊飯すると、さらに 5 分の 1 になる。

今の米であれば、年間 60 ㎏(日本人の平均消費量) 食べても、

1000分の1 ミリシーベルト以下である。

 

土ぼこり 1 g を吸う方が、米を食べるより内部被ばくのリスクが大きい。

 

伊藤さんたちが反転耕を徹底してやると決めた根拠は、

科学的データと、大人としての将来に対する責任感、に他ならない。

自分たちが農業できればいい、国の基準未満ならそれでいいではないか、

という話ではないのだ。

農作物のためだけでなく、地域の人たちの健康被害をできる限り防ぐために、

やれることは、やる。

そういう姿勢を持った農家になろうと、伊藤さんは言い続けてきた。

 

e13090708.JPG

 

そんな取り組みが、地域全体にも認められてきて、

今年の秋から 3 年かけて 1500 ha の反転耕を実施することになった。

自分たちの田んぼさえ良ければ、ではない。

地域全体を守ることで、自分たちの米も家族も守ることができる。

伊藤さんたちは、その率先垂範を見事にやってのけたのだ。

 

他の地域で反転耕が進まない理由の一つは、

日本のトラクターでは歯がたたないからだと、伊藤さんは言う。

そこでジェイラップでは、EU製の150馬力の大型トラクターを手に入れた。

チェルノブイリ後に開発されたトラクターで、

キャビンのドアを閉めると気圧が変わって、外からの埃が入らない構造になっている。

オペレーターの健康にも配慮されたものだ。

日本のメーカーから、なんで日本製を使ってくれないのかと聞かれ、

「日本のトラクターは零戦だ」 と言ってやった。

農作業者の体のことなんか考えてないだろう、と。

 

「 数 km の面単位でやった時に、どれだけ線量が下がるのか。

 そのデータを、来年の春にはお見せしたい。

 そのために、今年の稲刈りが終わったら、すぐに作業に入ります。

 科学的根拠を持って、着々と進めていきたい。」

 

聞いてるだけで、胸が震えてくる。

僕たちは、命の糧を通じて、彼らとつながっている。

このつながりを築いてこれたことを、僕は腹の底から誇りに思う。

 

あと一回。

3人の言葉を拾って、終わりにしたい。

 

≪注≫

「大地を守る会の備蓄米」 については、

ゲルマニウム半導体検出器による自社測定を行ない、

すべてのサンプル玄米で 「不検出」(検出限界値=3 Bq) となっています。

 



2013年9月12日

新天地を拓く父と、残った農地を守る息子

 

千葉・海浜幕張にも赤とんぼの姿が見えたね。

収穫の季節に入ってきたんだな、と思う。

しかしこいつらはいったいどこで産卵-繁殖しているんだろう。

 

さて、放射能連続講座Ⅱ-第6回レポートを続けます。

アーカイブをご覧いただいた方には " 今さら " の記事かもしれないけど、

レポートを残しておくのが自分の義務だとも思っていて、お許しを。

 

ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 理事・佐藤佐市さんに続いては、

福島の浜通り、いわき市から 「福島有機倶楽部」代表の阿部拓さん。

6 年前に 7 軒の農家で結成。

有機JAS 認証を取得して野菜作りに励んできた。

そこに地震と津波、原発事故。

いわき市では津波で 446 人が亡くなった。

 

農家が移住するという、重大な決意を迫られるなか、

有機倶楽部では 5 軒のメンバーが移転を余儀なくされた。

双葉町の鶴見博さんは千葉に移り、新天地で有機農業を再開した。

一人は北海道に農地を求めて就農の準備中。

旧都路村の仮設住宅に移った仲間は、まだ農業をやれない状態。

原発から 40km 圏内にいた一人は、有機JAS認定を諦めて脱会した。

もう一人は津波による塩害によって、

作物を作っても夏になると枯れてしまう状態である。

 

阿部さんは1ヶ月避難した後に戻ったのだが、

畑の状態が悪く、撤退を決意。

その後、宮城県大崎市に農地を得て再スタートを切るも、

販売先がなく、無農薬でつくっても地元JAに出荷するしかなかった。

今年、大地を守る会に米と野菜を出荷する

「蕪栗(かぶくり)米生産組合」 野菜部会に入ることができ、

ようやく落ち着いて野菜作りができるようになった。 

e13090705.JPG

 

いわきにはもう一ヶ所、

40㎞(原発からの距離ではない) ほど離れた場所に畑があって

そこは息子さんが 「残って、やる」 というので、任せることにした。

離れ離れでの農業になってしまったが、

それぞれ懸命に有機農業でやっていこうと思っている。

そんなわけで 「福島有機倶楽部」 は

2名のメンバーで何とか続けている状態である。

 


しかし、2軒の農家で続けているといっても、

原発事故によって販路はまったく閉ざされてしまった。

取引のあった団体からはほとんど断られ、

窓口を開き続けてくれたのは、大地を守る会だけである。

(現在、他は直売所での販売という状態。)

 

宮城では、減反田を借りることができ、土づくりから始めた。

まったく最初からの出直しで、土ができるのに 3 年はかかるだろう。

収量も上がらない中で続けている。

それでも、いずれ有機認証を取るつもりでやっている。

 

とにかくこの2年間は、

虚脱感や精神的ダメージから抜け出すのが精いっぱいだった。

とても佐藤佐市さんや、ジェイラップの伊藤さんのような

元気の出る話はできないです。 申し訳ないけど。

 

e13090706.JPG

 

「原発事故さえなければ」 と、つくづく思う。

放射性物質は、土や海を汚染しただけでなく、

人間に対しても内部被ばくという汚染をもたらした。

風評被害の影響は今も続いていて、

放射性物質「不検出」 のデータを示しても、なかなか売れない。

 

損害賠償をすればいいじゃないか、という人もいるけれど、

販売して得るお金と賠償金では、喜びが違う。

賠償金では、虚しさしか残らない。 心が蝕まれていくようだ。

何度も何度も、書類を用意しては交渉を繰り返し、ヘトヘトになる。

苦痛になって、諦めが出てくる。

野菜の種をまいた方が、よっぽど元気が出る。

 

原発は人間の手に負えない、とつくづく思う。

賠償金だけでは、心の被ばくを感じる。

 

今は、2 軒の農家で必死で続けている。

やり続けることから、突破口を見い出したい。

消費者の方々にお願いしたいことは、

「不検出」 だったら食べてもらうことはできないだろうか。

私たちは手を尽くし、種をまき続けるしかない。

そんな農民がいることを、どうか忘れないでほしい。

種をまき続けながら、原発に頼らない生き方を模索していきたい。

 

続いてジェイラップ・伊藤俊彦さんの話へと進みたいのだが、

すみません。 今日はここまでで。

 

心の被ばく・・・・・今もこの被害は続いている。

それは賠償の対象にはならない。

阿部さんを受け入れてくれた蕪栗の生産者にも感謝しながら、

数年後に、有機JASマークの貼られた阿部さんの野菜が届くことを、

忘れずに待ち続けたいと思う。

 



2013年9月10日

福島と語ろう! ~放射能連続講座Ⅱ-第6回

 

2020年のオリンピック開催地が東京に決定した。

アスリートの物語にわりとウルウルしてしまう僕としては、

内心嬉しい出来事ではある。 プレゼンも素晴らしかった。

しかし、、、安倍首相の発言は、ブッたまげた。 

「(汚染水は) コントロールされている。」 

" 世界に発した世紀の大嘘 "  と評したいくらいだ。

実際はブロックされてもいないし、コントロールなんかできていないのに。。。

まあ、そうも言わざるを得ない舞台ではあった。

これを  " 国際公約 "  として、IOC は求めたのだ。

こうなれば、やってもらうしかない。

 

それよりも怒りを感じたのは、TOKYO は大丈夫、発言である。

なんと姑息な・・・

どうせなら、蘇った福島もお見せしたい、くらい言ってくれよ。

名画に垂れた一点の汚れのような残像。

4年前にPRした、環境都市をつくるという気概も消えてしまっている。

怒りを通り越して、悲しくなる。

 

僕らは粛々と、食を通じて、

福島の再生を未来への仕事として引き受けたいと思う。

8月31日(土)、大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第6回、

『福島と語ろう! ~3.11を乗り越えて~』 を開催。

3名の生産者をお呼びし、この2年5ヶ月の軌跡と

今の思いを語ってもらった。

 

コーディネーターは、出版社「コモンズ」 代表の

大江正章(おおえ・ただあき) さんにお願いした。

e13090701.JPG

 


トップバッターは、二本松市の佐藤佐市さん。

NPO法人「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 理事。

旧東和町で、有機農業を土台とした美しいふる里づくりを一歩一歩進めてきて、

ゲンパツ事故に見舞われた。

 

e13090703.JPG

 

旧東和町は、福島第1原発から西北に約40~50km の距離にある。

しかし阿武隈山系が南北に立ちはだかっていたことで、

山系の中の北側に位置する飯館村のような汚染は免れた。

最初は山の向こうの大事件と呑気に構えていたが、

3月26日にニューヨークタイムズの取材が入ってきて、

事の重大さに気づかされた。

記者は、ここではもう農業はできないだろうというスタンスだったのだ。

400年、17代にわたって続けてきた農業が、

突然にして存続の危機に襲われた。

 

出荷制限にあった葉物だけでなく、

順調に売上を伸ばしてきた家庭菜園用の苗も売れ残り、

廃棄せざるを得なくなった。 その数 1万本。

 

二本松市は避難せずに済んだ。

そこには政治的な意図も見えていたが、佐市さんはそれでもいいと思った。

避難所でものづくり(百姓) ができない苛立ちを想像すると、

それは 「見えない放射能」 よりも怖かった。

「俺はつくる」 と決めた。

みんなで運営してきた道の駅は震災翌日も営業を続け、

避難してきた浪江町の人たちを受け入れ、食料を確保し、支援活動にあたった。

東電への損害賠償請求では、8月に8時間におよぶ交渉をやって、

やっと勝ち取ることができた。

今も年3回ほど東電との交渉を続けている。

 

佐市さんは、「高校を卒業して、しかたなく就農した」 と笑う。

小さな田んぼ、急斜面な畑、蚕、わずかな牛の乳絞りなど、

まったく面白くなかった。 みんな出稼ぎに出ていくし。

青年団活動に入り、仲間10人くらいで原木しいたけに取り組んだ。

「結」 で原木切りを始めてから、山もいいな、と思うようになった。

その頃に、有機農業の先達、山形県高畠町の星寛治さんに出合い、

中山間地は有機農業に向いていると確信した。

「小農複合経営」 こそが、人間らしく自然に生きられる、と。

 

e13090704.JPG

 

二本松市との合併を機に、ふるさと 「東和」 を残そうとNPO法人を立ち上げた。

「農地の再生」 「里山の再生」 「地域コミュニティの再生」 を掲げ、

里山再生5ヵ年計画を立てたが、3.11によって

「里山再生災害復興プログラム」 に変わった。

 

地域のきめ細かい実態調査を進め、

耕すことで放射性物質を封じ込めることができることを学んだ。

農業を続けることで、地域コミュニティも復活できる。

「みんなでつくろう」 と決めたことは、間違いではなかった。

" 生きるために "  あらゆるものを測定した。

ホールボディカウンターでの測定も、これまで3回受けている。

 

こういった取り組みによって、地域の意識改善が進んだ。

放射能に対して、しっかり把握し判断する力を身につけていった。

「俺はもう歳だからいいんだ」 じゃダメ。

高齢者のあきらめが、地域の存続を絶望的にさせる。

子孫のために、できるだけの対策を打っていかなければならない。

 

里山はエネルギーの宝庫だ。

汚染されたけれど、持続可能なエネルギーは眠っている。

このエネルギーこそ、復興の鍵だと思う。

原発ゼロの社会を目指して、粘り強く共同・協働していきたい。

 

コーディネーターの大江さんがフォローする。

「東和地区には、今も新規就農者がやってくる。

 3.11後でも、6人の若者が東和で就農した。

 こんな場所は他にない。

 いかに魅力的な地域をつくってきたか、ということではないか。」

 

e13090702.JPG

 

続いては「浜通り」 いわき市から、

福島有機倶楽部代表の阿部拓(あべ・ひらく) さん。

地震・津波・原発事故の3重苦の影響は、今も現在進行形である。

 

続く。

 



2013年9月 7日

この田園に、たたかいの証しがある!

 

8月30日(金)、

後継者会議の現地視察途中で切り上げ、会社に戻る。

弥生ファームの皆さん、ごめんなさい。

 

実はこの日の夕方、福島県須賀川市では、

ジェイラップの 「全国農業コンクール 名誉賞・福島民報社賞

の受賞報告会が開かれていて、

伊藤俊彦さんから招待を頂いていたのだが、

出張で溜めてしまった仕事もあるし、翌日には放射能連続講座も控えていて、 

さすがに断念した。

羽田に戻ってその足で須賀川に向かえば

16時の開会に間に合わなくもない・・・

という思惑が捨て切れず、ギリギリまで迷ったのだった。

 

伊藤さんも忙しい。

受賞報告会には、須賀川市長から毎日新聞の福島支局長など

多数の来賓もあり、鏡開きでは何と、

原料米の契約栽培などでお付き合いのある酒造3社

(大和川酒造、金寶酒造、廣戸川酒造) の薦樽(こもだる) が3つ

並べられて行われたとのこと。

おそらく遅くまでたくさんの人に囲まれたことだろう。

しかも翌日は、大地を守る会の放射能連続講座のパネラーとして、

上京してもらわなければならないワケで。

ちなみに、大和川酒造店の樽酒は、

「種蒔人基金」 から提供させていただいたことも、お伝えしておきたい。

 

ここで放射能連続講座のレポートへと急がねばならないところなんだが、

先にこの写真をアップしておきたいと思う。

9月3日、実りの秋を前にする稲田地区の風景。

美しいでしょう、田が荒れてない。

e13090501.JPG

 

春にも書いた ことだけど、

伊藤さんたちジェイラップは、震災と原発災害後に減った耕作地を

見事に蘇らせていった。 

理論的根拠をもって除染し、科学的数値で米の安全度を示し、

自分たち(稲田稲作研究会) の米の信頼回復だけじゃなく、

地域全体の再生へと導いたのだ。

この田園は奇跡だ。 ここにこそ、たたかいの証しがある。

 

e13090502.JPG

 


 

伊藤さんは、8月31日には放射能連続講座で話し、

軽く一杯やってとんぼ帰りした後、

翌9月1日には、

チェルノブイリ救援中部の河田昌東さんや

栃木の民間稲作研究所・稲葉光圀さんとともに、南相馬へと飛んでいる。

現地の農家たちと放射性物質の移行や除染の考え方について、

これまでの経験に基づく知見を伝え、今後の対策を話し合ったようだ。

この模様は、

9月22日(日)10:05~10:58、NHKテレビの復興サポート番組

で流れるとのこと。

 予告はこちら ⇒ http://www.nhk.or.jp/ashita/support/index.html#next

ジェイラップの農地除染風景も紹介されるかもしれない。

お時間ある方はぜひ!

 

9月3日は、収穫前にと、駆け足で立ち寄ったのだが、

伊藤さんは疲れも見せず、田んぼを案内してくれた。

e13090713.JPG

 

今年の出来もいい、と伊藤さんは胸を張る。

田植え時の水不足、7月の長雨と時にゲリラ豪雨、8月の猛暑を乗り切って、

手をかけたぶん期待に応えてくれる稲たち。

慈しみたくもなる。

 

ここは実験ほ場。

2年間耕作が放棄されて、草だらけになっていた田んぼだ。

e13090712.JPG   

 

耕し直し、ゼオライトを投与し、反転耕をやって、もう一度ゼオライトを散布し、

放射性物質を封じ込める。

この作業によって周辺の空間線量も確実に下がっている。

子どもたちの内部被爆を限りなく防ぐ努力、でもあるのだ。

 

伊藤さんの心に、春はまだ戻っていない。

たたかいの終着点は見えないけど、

「いつか孫に褒めてもらえる仕事をしておきたい」 という願いは、

立派に果たしたんじゃないか。

本当に頑張ったと思う、ジェイラップの人たちは。

 

e13090503.JPG

すべての生命が讃えているよ、と

ポーズをとって迎えてくれたアキアカネに敬意を表して、記しておこう。

 

書いていて、後悔がぶり返してくる。

無理してでも、受賞報告会に行けばよかったなあ。

行って、天晴れ!のひと言でも発したかった。

ま、この思いは、10月26日(土) の収穫祭に取っておこう。

 

「稲田収穫祭」、現在募集中。

一般参加も大歓迎!!! です。

福島・中通りで起きた奇跡を、皆さんの眼で、しかと確かめてほしい。

案内と申し込みはこちらから。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/event/2013/0902_4444.html

 

すみません。

放射能連続講座のレポートは次回に。

 



大地を守る会のホームページへ
とくたろうさんブログへ