遺伝子組み換えの最近のブログ記事

2013年2月20日

「種」 を守れ -とバンダナ・シバ博士が迫る

 

今日は、全有協 (全国有機農業推進協議会) などで一緒に活動する

自然農法の団体 「NPO法人 秀明自然農法ネットワーク」

の方からお誘いを受け、

SEED FREEDOM 未来へつなぐ 種・土・食 』

と題した講演会に出席した。

主催は秀明さんの国際組織 「NPO法人 秀明インターナショナル」 と

インドの 「ナブダーニャ財団」。

会場は渋谷・表参道にある国連大学の 「ウ・タント国際会議場」。

 

ナブダーニャ財団は、環境活動家として世界に名を馳せる物理学者、

バンダナ・シバ博士によって、1987年に設立された。

ナブダーニャとは 「9つの種子」 という意味だそうで、

「種」 は生物と文化の多様性を象徴するものとしてあり、

人々が共有する (=独占しない) 普遍的財産としての 「種」 を

自家採種(自分たちで種を採り、その品種を残していくこと) して伝えていく

「新しいプレゼント」 という意味も込められている。

自家採種する農家をネットワークし、有機農業を支援するこの活動は、

インド17州に広がり、111地区でシードバンク (種子銀行) が設立されている。

 

講演会では、最初に

福島県二本松の菅野正寿さん(福島有機農業ネットワーク代表)

同県石川町で自然農法を営む小豆畑 守さんの発表があった。

菅野さんのお話は、1月20日に立教大学で開催された 公開討論会

での話とも重複するので、ここでは省きたい。

小豆畑 守(あずはた・まもる) さん。

まるで 農業をやるために生まれてきたような お名前。

自然農法の提唱者、岡田茂吉師の教え-「すべては自然が教えている」

にしたがって、 自然順応・自然尊重をモットーに

年間100種類以上の野菜を栽培する。

「いのちのつながりが、種。それこそが生命力の根源」 と語り、

100%自家採種を実践されている。

ユーモアも交えながら、いろんな生き物を育む農業の美しさや楽しさが語られた。

 

メインとなる記念講演では、二人の海外ゲストが招かれた。

アメリカ・ペンシルベニア州で135ヘクタールのオーガニック実験農園を有する

「ロデール研究所」 の主任研究員、イレイン・イングハム博士。

そして 「ナブダーニャ財団」 代表、バンダナ・シバ博士。

 


世界的に著名な土壌生物学者でもあるイレイン・イングハム博士の話は、

「ソイルフードウェブ (土中食物網)」 の世界。

僕らが 「生態系」 と呼んでいる  " 生命のつながり "  が

土中においても重要な役割を果たしているということだ。

植物残さや動物の排泄物、いわゆる有機物を分解する微生物や菌から始まり、

バクテリア・菌類を食べる生物-節足動物そして肉食生物と

生命の連鎖がバランスよく保たれた土壌から、健全な作物が育つこと。

そのために、それぞれの役割を正しく理解することが必要であること。

オーガニック農産物はまた、栄養価も高いことが証明されてきていること。

 

イングハム博士が各種データに基づいて有機の優位性を語れば、

シバ博士は、企業による 「バイオパイラシー(生物資源の略奪)」 を激しく糾弾した。

種子は我々の存在の根源である。

しかし遺伝子組み換え作物と種子の特許は、

生物多様性と文化の多様性と、食料の安全保障の基盤を揺るがすものである。

世界中で種の単一化が進んでいる。

単一文化は、病気に弱い、環境変化に弱い、脆弱な社会につながる。

多様性を大切にするとは、人々と共生することであり、共存社会を築くことである。

民主主義と自由には、多様性が必要なのだ。

種子の支配 (種子に対する暴力) は、精神のモノカルチャー化につながっている。

 

● 農民は多様性のために品種改良するが、企業は画一性のために品種改良する。

● 農民は復活力のために品種改良するが、企業は脆弱性のために品種改良する。

● 農民は味、質と栄養のために品種改良するが、

  産業はグローバル化した食糧システムにおける工業的加工と

  長距離輸送のために品種改良する。

 

農民が種の保持と供給をやめ、

特許権によって守られた遺伝子組み換え種子に頼った結果として

得たものは、「負債」 である。

そのためにインドの綿花生産者たちは自殺に追い込まれた。

(15万人! が自殺した、という。)

多国籍企業による種子の支配とは、私たちの大切な食(=いのち)

を支配しようというものである・・・・・・・・・・

 

迫力のある語りに圧倒される。

バンダナ・シバ博士の生の講演を聴くという貴重な時間をいただいたことに

感謝したい。

 

講演会終了後にレセプションがあり、

思いがけず、バンダナさんと記念写真を撮る機会までいただいた。 

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講演会では写真禁止だったので、実に嬉しいお土産となった。

 

伝えたいバンダナさんの言葉はたくさんあるが、

数年前にも紹介したこの一節を再び-

 

   遺伝子組み換え作物と食糧をめぐる対立は、「文化」 と 「科学」 の間での対立ではない。

   それは二つの科学文化の間の対立である。

   ひとつは透明性と公的説明責任と環境と人々に対する責任に基づく科学であり、

   もうひとつは利潤の問題と、透明性と説明責任と環境と人々に対する責任の欠如に

   基づいている科学である。

 

   遺伝子工学が解決策を提示している多くの問題に対する答えは、

   すでに生物多様性が提供している。

 

   農民は何を栽培するかを選択する自由を奪われ、

   消費者は何を食べるかを選択する自由を奪われる。

   農民が、生産者から、企業が持つ農業製品の消費者に変身させられる。

                               (『食糧テロリズム』/明石書店刊より) 

 

秀明インターナショナルとナブダーニャ財団はパートナーシップを結み、

「SEED FREEDAM 希望のガーデン」

キャンペーンを世界的に展開すると宣言した。 

「一つの種は、生命の源であり、私たちの生命に繋がっている」 と。

届いた招待状は、連帯への呼びかけだったのね。

 

もちろん、種は守らなければならない。

そのためには、生産と消費のネットワークが強化されなければならない。

100%異論はない。

しかしこのたたかいは、理念だけではすまない。

とてつもない大きなハードルに向かって、長い戦略が必要だ。

 

今週は忙しい。

レセプションの途中で退席させていただき、

国連大学の前で上田昌文さん (NPO法人市民科学研究室代表) と落ち合って

近くのカフェに入り、オーガニック・コーヒーを飲みながら、

日曜日にさし迫ってきた放射能連続講座の打合せをする。

上田さんには、講演をお願いするにあたって、

大地を守る会の放射能測定結果をすべてお渡ししてある。

そこから見えてきた世界を語ってほしい。

微妙な問題は残っているけれど、隠すワケにはいかないことだから、と

すべて前向きに進む決意をお伝えした。

「分かりました。やりましょう」 と上田さんも言ってくれた。

1時間という短い時間で2年間の総括をお願いするなんて無理だよね、

とは分かりつつ無理なお願いをするのだった。

 



2012年9月 2日

有機の種は増やせられるのか-

 

気を取り直して、

8月24日の報告を記しておかなければ。

 

アイフォーム (IFOAM/国際有機農業運動連盟)・ジャパンのセミナー。

永田町の憲政記念館にて。

テーマは、有機種苗をどう広めるか。

一見地味な話のようで、とても重要な課題なのである。

 

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有機農業の基本精神に則れば、

種や苗そのものが有機栽培されたものであることが望ましい。

法律である有機JAS規格においても、それは規定されている。

ただし、「有機栽培された種の入手が困難なときは」、

やむを得ないものとして一般栽培の種を使うことも許容される。

現状は・・・・・今の有機農産物のほとんどは

「やむを得ない」 状況になってしまっている。

しかしこれが、なかなかに高いハードルなのである。

 


 

基調講演は、市民バイオテクノロジー情報室代表・天笠啓祐さんによる

「種子メーカーの世界戦略」。

 

いまスーパーやホームセンターで売られている種のほとんどは

海外で生産されている。

京野菜の種子はニュージーランド産、大根は米国産、という具合。

日本独自の野菜と思われているものでも、

種の生産は海外に頼っているのが現状なのだ。

 

理由の一つは、種子の生産では、その品種の形質を守るために、

他の品種の花粉が飛んで来ない場所が求められること。

それを種子会社にとって必要な量を安定的に (+低価格で) 確保するためには、

条件の合う一定の面積を確保もしくは農家と契約することが必要となり、

必然的に海外に生産基地を求めるようになる。

 

このウラには、企業による種子生産が主流になったという構造的変化がある。

種を自身で採る農家はすでに稀少な存在になってしまった。

この変化を牽引してきたのが、F1(雑種一代) と言われる品種開発である。

病気に強いとか、収量が多いとか、味の特徴とか、

それぞれの特徴を持った親同士を掛け合わせると、

一代目の子は両親の強い特質を受け継いだ形で現われる。

しかしその品種で種を採った場合、孫以降は形質がバラけてくる。

このメンデルの法則を利用して、

企業は優れた品種をもたらしてくれる親をしっかり確保して、

掛け合わせ続けることで、ある優位性を持った品種を独占することができる。

これによって農家は毎年企業から種を買うようになっていった。

 

その上に、企業の多国籍化と寡占化 (大手企業による種子会社の買収等)

が進んできたのが今日の様相であり、

GM(遺伝子組み換え)作物が開発されるに至って、

その種子は 「特許品」 となり、独占がさらに進むこととなる。

現在すでに、世界の種子の半分近くが

米国・モンサント社、米国・デュポン社、スイス・シンジェンタ社の

GM種子開発企業3社によって占められるまでになった。

 

タネとは、生命の土台である。

そのタネがわずかの多国籍企業に独占されるという状況は、極めて危険なことだ。

しかしこの状況をもって、農家を責めるわけにはいかない。

土地土地の気候風土に適応し、農家が種採り更新していくことで

種の多様性が維持され、暮らしの安定を支えてきた筈なのだが、

今では農家の経営も市場の価値観に縛られているのである。

花を咲かせ、種を育てる時間的・空間的余裕も失われてきている。

 

かつてあった世界を取り戻す可能性があるとしたら、

それは有機農業が引っ張るしかない。

とはいえ、このハードルは高い。

 

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パネルディスカッションでは、

一貫して自家採種を続けてきた千葉県佐倉市の有機農家・林重孝さんや、

自然農法国際研究開発センター(長野県松本市) の品種育成の取り組み、

自家採種できる伝統品種を守ろうとしている野口勲さん(埼玉県飯能市・野口種苗研究所)

からの問題提起などが語られた。

司会は、大地を守る会の取締役であり、

埼玉県秩父市で有機農業を実践する長谷川満が務めた。

 

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今回の特徴は、「サカタのタネ」 と 「タキイ種苗」 という日本の2大種苗会社が

パネリストとして参加したことか。

両社は世界のトップ・テンに名を連ねる種子企業である。

種子生産は海外に依存しているが、

天笠さんはこの2社にも、GM作物に対抗するポジションにある存在として

エールを送ることを忘れないのだった。

 

GM作物も、殺虫成分に対する耐性を持った虫が現われるなど、

生物の生き残り戦略とのイタチごっこの世界に入っている。

除草剤耐性を持った大豆というのは、

モンサント社のラウンドアップをかけても枯れないということだが、

それはラウンドアップという除草剤の使用を前提とするもので、

単一の薬剤に依存しては、いずれ雑草に乗り越えられる。

GM作物の開発は、すでに8種類の遺伝子を組み込むまでに進化(?)

してきている。 いや、せざるを得なくなっている。

どんどんスピードアップする開発コストを回収するには、

モンサント・ポリスと言われる調査員を駆使して、

勝手に種を採って播いた農家だけでなく、

自然に花粉交配した畑の持ち主まで、特許侵害として訴える。

これはもはやファシズムと言わざるを得ない。

 

幸い日本では、まだGM作物は商業栽培まで至っていない。

スーパーで売られているお豆腐などに 「有機大豆使用」 と謳われたものがあるけど、

それらの多くは外国産のオーガニック大豆が原料として使用されている。

しかし僕としては、海外産オーガニックより、「国産大豆」 を選択することをお願いしたい。

食材の選択は、投票と同じ行為なのです。

願わくば、大地を守る会で地方品種や自家採種野菜をライン・アップさせた

とくたろうさん」 にもご支援を。

 

さて、セミナー終了後、懇親会に誘われたのだが、

この日の夜は以前から高校時代の仲間と飲む約束をしてあって、

辞退して引き上げた。

地下鉄に向かう途中、毎週金曜日の恒例となった

首相官邸前デモに集まってくる人たちに遭遇する。 

警備もバッチリ?

 

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(交差点の向こうにあるのが首相官邸。)

 

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僕は 「地下鉄に乗る」 と言っているのに、なぜかお巡りさんがついて来る。 

問い質せば、「いえ、駅もいろいろ分かれてまして、間違えないかと思って・・・」 と、

実に優しいのだった。

地下鉄に乗って、ハタと気づいた。

僕はこの日、ゲバラ (キューバの革命家) のTシャツを着ていたのだった。

 



2012年6月21日

GM作物をめぐる攻防について

 

5月20日の日記 で、

映画 『フード・インク』 のロバート・ケナー監督の講演について報告した際に、

遺伝子組み換え(GM) 食品の表示を求める運動が

アメリカ国内で活発化していることについて触れたところ、

読まれた方から

「アメリカでそんな運動が起きているというのは、本当か?」

という驚きの声を頂戴した。

たしかに、ほとんど報道されてないので、驚かれるのも無理はないと思う。

 

そこで改めて、この間の動きを紹介しておきたい。

「市民バイオテクノロジー情報室」 が諸外国の関連報道をウォッチして

月刊で紹介している 「バイオジャーナル」 から、いくつか抜粋する。

 

GM食品表示を求める米国市民

 米国上下院両議会の55名の議員を始め、農業、保健、消費者、環境問題などに

 関わる約400の組織が署名した文書が米国食品医薬品局(FDA) に送られた。

 消費者団体の食品安全センターが2011年10月に提出したGM食品表示を求める

 請願書に賛同するもので、表示に賛成するコメントはこの間に85万件以上

 寄せられている。 文書では、自分たちが食べるものについて充分な情報を知った上で

 選択する消費者の権利や、すでに世界50カ国以上が義務化しているGM表示を

 米国でも実現するよう求めている。

  (Center for Food Safety 2012/3/12)

 


 米国では現在、18州でGM食品表示法案が準備されている。

 この取り組みは、昨秋500を超える消費者団体などが始めたもので、

 ニューヨークからワシントンへのデモも行なわれた。

  (St.Louis Post-Dispatch 2012/3/3)

 

 米国の消費者団体が、アンケート調査結果などを公表し、

 国民の圧倒的多数がGM食品への表示に賛同している、と訴えた。

 先月行なわれた市民1000人を対象にした調査では、91%が表示に賛成、

 5%が反対で、民主党、共和党、無党派の割合はほぼ均等だったという。

 GM表示を求める請願をFDAが却下すれば、次は法的対応も検討する、

 と消費者団体等は述べている。

  (ロイター 2012/3/27)

 

GM作物栽培農家、米国政府へ 「危険な」 除草剤の分析を求める

 4月18日、2000を超える農民と食品加工業者、食品大手セネカなどで

 結成された団体(SOCC) は、GM作物とそれに用いる除草剤散布によって

 もたらされる被害について、連邦規制当局に分析を求める法的措置を

 講じると発表した。 モンサント社やダウ社は新しい除草剤を開発しているが、

 対象だけに効かせることは難しく、逆にさまざまなものへの被害拡大が

 懸念されている。 SOCCはGM作物を支持する農民が多く参加しており、

 GM作物反対ではなく、化学物質の危険性を訴えている。

  (Thomson Reuters 2012/4/18)

 

2,4-D耐性トウモロコシ承認反対の声広がる

 米ダウ・ケミカル社が開発し、承認が間近と見られる除草剤

 2,4-D耐性トウモロコシに対する反対運動が強まっている。

 農薬2,4-Dは、ベトナム戦争時に2,4,5-Tと組み合わせて

 「枯葉剤・オレンジ剤」として用いられ、ベトナム市民や米兵に

 多くの健康被害を発生させた。 反対する市民は、発癌性に加えて、

 環境ホルモンとして作用する毒性をもち、健康障害をもたらす危険性があるとして、

 農務省に対して承認しないよう求めた。

  (The New York Times 2012/4/26)

 

 米国農務省は、2,4-D耐性トウモロコシの承認に反対するパブリック・コメントを

 36万5000通受け取ったことを明らかにした。

  (Center for Food Safety 2012/4/26)

 

米州議会委員会がGM食品表示法案を可決

 4月20日、米国バーモント州議会下院農業委員会は、GM食品表示法案を可決した。

 法案が施行されるには、さらに下院司法委員会、下院本会議、上院、知事の

 承認が必要なため、法律として成立するかどうかは不透明である。

  (Burlington Free Press 2012/4/20)

 

住民提案のGM食品表示法案、州民投票へ

 米国カリフォルニア州では、11月6日の大統領選と同時に行なわれる

 市民発議の州民投票に、GM食品表示法案がかけられることになりそうだ。

 これまで発議に必要な署名運動がすすめられてきたが、

 最低限必要な55万5236筆を超え、97万1126筆が集まった。

 10週間で100万に近い数が集まり、表示制度成立に向けた動きに

 はずみがついている。

  (Food Freedom News 2012/5/3)

 

その他にも、除草剤ラウンドアップが両生類に形態変化をもたらすという

研究結果がピッツバーグ大学で発表された、とか、

モンサント社がようやくスーパー雑草(除草剤に耐性をもった雑草) の存在を認めた、

とかの記事がある。

もちろん推進する国の動きもあって、GM作物をめぐる世界の動きは

なかなかに予断を許さない状況ではあるけど、

アメリカの市民運動は、日本より活発であることは間違いないようだ。

 

よく言われていることだが、

原発と遺伝子組み換え食品(GMO) は構造がよく似ている。

国と業界を牛耳る企業が一体となって推進していること。

その企業に富が集まる仕組みが用意されていること。

環境やヒトの健康への影響についての科学的データは、

推進を妨げない範囲でのエビデンス(証明) によって固められ、

マイナスのデータやリスク情報はだいたい抹殺されるか、

無視され、科学者には研究予算がつかなくなるなど、圧力が加えられる。

結果的にある種の神話が形成されてゆく。

 

しかし実のところは、激しい攻防戦が繰り広げられているのである。

なかでも、GM作物と有機農業(オーガニック) は対立の両極にあって、

GM作物が広がる一方で、オーガニック市場も伸びている。

 

映画 『フード・インク』 の中で、

スーパーマーケットへのオーガニックの進出に積極的な農家と、

否定的な有機農家が登場するが、それはけっして対立するものではない。

消費者がオーガニックにアクセスできるチャンスは拡大されるべきであり、

理解者が増えることによって生産者と消費者をつなげる形は多様になり、

 " 地産地消 "  の活動なども発展するはずだ。

- というのが僕のスタンスであることも、表明しておきたい。

 

大変な事態となって、見直された時には取り返しのつかないことになっている、

という可能性を孕む点でも、原発とGMは似ている。

原発を乗り越える道が自然エネルギーなら、

GMの対案は有機農業である。

目の前の利益より持続可能性を、という点でも両者は酷似している。

 

つながりましょう、世界じゅうの  " 種と人権を守る人々 "  と。

 



2011年6月25日

遺伝子組み換えについて、そしてケント・ロックからのメッセージを

 

さてと、気を取り直して、お問い合わせへのお返事を、もう一本。

少し前に、遺伝子組み換え作物についての投稿をいただいておりました。

お名前が不明で連絡もできないので、この場を借りてお返事します。

このテーマに触れるのも、久しぶり、か。 いけませんね・・・。

 

5月23日、農水省が遺伝子組み換え作物の承認についての

パブリックコメントを募集しました。

内容は、「遺伝子組み換えセイヨウナタネ、トウモロコシ、及びワタの第一種使用等

に関する承認に先立っての意見・情報の募集(パブリックコメント) について」

 

申請されたのは、

1.除草剤グリホサートへの耐性を付与されたセイヨウナタネ 「識別番号:MON88302」

  の隔離ほ場での栽培について。 申請者は日本モンサント株式会社。

2.以下の作物の食用又は飼料用のための使用について。

  ① アリルオキシアルカノエート系除草剤への耐性を付与されたトウモロコシ

    (同:DAS40278) 。 申請者はダウ・ケミカル日本株式会社。

  ② チョウ目害虫およびコウチュウ目害虫への抵抗性と、

    除草剤グルホシネートおよびグリホサートへの耐性を付与されたトウモロコシ

    (上と同じく識別番号を付された特定の形質をもった種)。

    申請者はシンジェンタジャパン株式会社。

  ③ 除草剤グリホサートに耐性を付与されたワタ (ピマワタ、同上)。

    申請者は日本モンサント株式会社。

 

審査の結果、学識経験者からは生物多様性への影響はないとの意見を得た。

その結果にしたがって承認する前に、国民の意見を募集する、というもの。

 

この動きに対して、

こんな時に遺伝子組み換えナタネが入ってきて、

放射能の除染などに使われたら、大変なことになる。

アブラナ科の野菜すべてが交配の危険にさらされるのではないか。

さらに交配してしまった種をまくと、モンサントに訴えられるのではないか。

実際にアメリカやカナダではそんな事態が進んでいる。

日本の農産物の危機です。

大地を守る会でも動いてほしい。

 - という内容のご投稿でした。

 

正直申しますと、僕自身が最近このテーマであまり動けておらず、

本ブログでも、ここのところGMO関連の記事は書いてないのですが、

大地を守る会として何もしていないわけではありません。

大地を守る会では、遺伝子組み換えに関する運動は

市民団体 「遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン」 と連携して行なっており、

同キャンペーンでは、反対のコメントを出したとの報告を受けてます。

 

遺伝子組み換え作物についての情報は、

伝統品種や自家採種できる作物のタネを守る取り組みを続けている

「とくたろうさん」 のブログで取り上げられる機会が多いので

(今回のパブリックコメントについても、呼びかけてくれています)、

GM問題に関心ある方は、ぜひこちらもチェックしていただけると有り難いです。

最近は脱原発のブログみたいになってますが(苦笑)・・・・・

 


ちなみに、申請内容にある 「第一種使用規程」 というのは、

遺伝子組み換え生物の性状や使用内容によって第一種と第二種に区分され、

それぞれで管轄省庁が指定されています。

農林水産物は農林水産省、研究開発段階のものは文部科学省、

人用の医薬品は厚生労働省、動物用の医薬品は農林水産省、という具合です。 

 

さて、遺伝子組み換え食品に関する申請-審査-パブリックコメント-

といった手続きは今回に始まったことではなく、これまでにいくつもなされていて、

すでにトウモロコシやセイヨウナタネ、イネ、ダイズ、ワタなど10作物155種が

承認されています。

国内で商業的に栽培されているものは花のバラだけですが、

輸入され飼料に使われたり加工原料に回っているものが存在します。

 

大地を守る会では、上記の 「~いらない!キャンペーン」 と連携して、

輸入されたナタネの種子が輸送途中でこぼれて野生種等と交配していないかを調べる

追跡調査などに協力してきましたが、すでに交配の事実が報告されています。

 

というような状況ですので、

今回の申請が承認されたとしても、事態が急変するということもないかと思います。

もちろん認めてよい、という意味ではありません。

ナタネの隔離ほ場での栽培が認められれば、

どこかで栽培試験が始まる可能性がありますので、

当然そのチェックはし続けなければなりません。

呑気に構えているわけではないことは、ご理解願いたく、です。

 

また、大地を守る会では、

4月23日に行なった社員研修合宿 (春と秋の2回やってます) で、

映画 『パーシー・シュマイザー -モンサントとたたかう- 』 を上映し、

遺伝子組み換え作物の社会的な問題について、

多くの職員に学んでもらいました。 そんなこともやってます。

 

この機会を借りて、ご紹介したい話題を、もうひとつ。

アメリカで、今もしっかりと

ノンGM (非遺伝子組み換え) のトウモロコシ 「センチュリーコーン」 を

栽培する Mr.ケント・ロック から、

実は3月11日の震災直後に、私たちにメッセージが届けられていたのです。

懐かしい、あの男から。

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          (2007年10月に訪問した時の Mr.ケント・ロック) 

 

   ご自身やご家族は無事ですか?

   私の家族は私たちの友人の国・日本の大災害の状況をテレビで見続けています。

   私たちは、この困難な状況をとても悲しく思い、

   地震と津波後の状況について心配しています。

 

   私はNONGMO生産者5-10人からなるグループを作り、

   コーンのエンドユーザーの皆さんが農場・営業を復興させるのを助けるために

   日本へ行きたいと思っています。

   メンバーは様々な技術を持っています。

   イリノイ州のNONGMOコーンの生産者は、大工、溶接工、側溝工事夫、

   清掃作業員、電気技師、配管工、そしてトラック・ドライバーとして働けます。

   メンバーは観光に興味はありません。 ただ手助けしたいのです。

   早くて日曜日には出発でき、一週間滞在できます。 -自分たちのコストです。

   助けてほしいことは、私たちに何をすべきか伝えてくれる通訳を探すことと、

   休むことができる場所を見つけることだけです (マットレスで寝ます)。

   私たちのゴールは、私たちが育てたコーンの需要を元に戻し、

   私たちを助けてくれた人を助けるのです。

   (中略)

   人は人と仕事をするというのは、ただ仕事をする以上のことです。

   -人生で苦闘しているときに、互いに助け合うのです。

 

   ケント

 

翻訳して届けてくれたのは、カーギル・ジャパンの方。

震災直後の混乱の中で、さすがにこの申し出を受けられる体制は用意できませんでしたが、

NONGMOのネットワークは、こういう形で今も息づいています。

またケントだけでなく、センチュリーコーンの農家から、こういうメッセージも-

 

   日本の皆さんが何を経験しているのか、想像することもできません。

   報道や出来事の経過をとても悲しく思いながら見ています。

   無私無欲で困難な状況にある人に尽くし続けるヒーローが

   日本じゅうで現われていることには勇気づけられます。

   センチュリーコーンの生産者は、皆さんの無事を祈っています。

   日本の皆さんは、この困難な状況でも立ち上がって打ち勝つことでしょう。

   これは他国には決して真似できないことです。

   生産者として、皆さんのお役に立てることに感謝しています。

    - ダグ・スミス -

 

   私たちは、皆さんの名前さえ知りませんが、

   日々緊密になっているこの国際社会でつながっています。

   テレビで地震の知らせと映像を初めて見たとき、私たちの心臓はほとんど

   飛び出しそうになりました。

   そして津波を見たときには、泣いてしまいました。

   私たちの地元の人々、私たちの国の人々は、人々を思いやり、手助けします。

   この困難な状況の中、この心配しているという言葉が、

   皆さんの慰めと希望になることを望んでいます。

   いつか全てが記憶となり、皆さんは生き続けていることでしょう。

   私たちもまた大断層の近くに住み、小さな地震が起こると

   私たちは生きている惑星に住んでいることを思い出します。

   この出来事は全ての人々を思いやることが何より大事であることを

   教えてくれています。

    - ドン&ダイアナ マックレーリー -

 

2008年6月19日、大地を守る会の日本料理店 『山藤』 での

ケントとのツーショットは、今も大事に保管してあります。

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「センチュリーコーンによって、人とつながる事ができる」

ケントは、ノンGMコーンをつくる意味を、そう語りました。

この  " つながり "  を深く、強くしていくことが、

私たちのもうひとつの運動だと思っています。

 



2009年5月20日

Genetic Roulette -遺伝子のゲーム?

 

前日の日記の余韻を、頭の隅で引きずっている。

クローン技術も、GM (遺伝子組み換え) 技術も、科学ではなく

不確かな " 技術 " なのである、という天笠さんの言葉を反芻している。

 

昨日の日記の中で、ジェフリー・スミスという名前を出した。

アメリカでGM食品に反対する活動を展開している人だ。

彼の著書の和訳本がある。

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偽りの種子-遺伝子組み換え食品をめぐるアメリカの嘘と陰謀

( 訳:野村有美子・丸田素子、家の光協会刊 )

 

ここでは、実に恐るべき事実が明らかにされている。

GM食品の問題点を指摘した科学者やジャーナリストが実名で紹介され、

その丹念な取材を進めるとともに、いかに彼らが、

(民主主義を標榜するアメリカで) 研究費をカットされたり

左遷あるいは解雇されるなどの弾圧を受けてきたか。

そして研究成果が改ざんされ、あるいは闇に葬られてきたか。

まるでサスペンスドラマを見るような調子で語られている。

しかも、登場人物はかなり権威ある人々であったりするのだ。

 

GMO懐疑派の私でさえ 「本当かよ」 と思えるようなエピソードもある。

しかし実在の登場人物から、彼の著作を訴える人が出ていないところを見ると、

これは本当の話なのかもしれない、と思う。

どなたか日本のジャーナリストで検証していただけると有り難いのだが、

お金にならない地道な取材は誰もやってくれないようだ。

 

実は今年の2月、

スミス氏はインドから帰国する途中で、日本に立ち寄ってくれている。

そこで緊急にスミス氏を囲んでのミニ講座が企画され、

大地を守る会で場所を提供した。

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そこで彼は、GM技術の問題点や運動の進め方について、熱心に語ってくれた。

その時のメモによれば、

 -今、GMOをめぐる情勢は、重要なポイントを迎えている。

  健康への影響がもっと伝えられなければならない。

  伝える対象は、医者、宗教団体、学校給食、そして食生活に熱心な人たちだ。

  オーガニックの農家たちは教育者の役目を果たしてくれている。

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  アンケート調査によれば、アメリカ人の多くはGM食品を食べたくないと思っている。

  しかし食べている。 事実を知らされていないのだ。

  5%の消費者が反対の意思表示をすれば、食品メーカーも変わる。

  そのために誰にも理解できるようなパンフレットやDVDを作成し、

  置いてくれる店を増やす運動をしている。

  ターゲットは、健康に気をつけている人、そのための情報を受け入れる用意ができている人、

  子どもたちを守るために選択する意思を持った人たちだ。

  そのような人たちをネットワークすることで、変えることはできる。

  スターバックスだって非GMOを宣言したのだ。

 

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この席で、彼は最近出版した本を紹介した。

2年間かけて、30人以上の科学者を動員して、

GM技術の問題点を、65のポイントにまとめたものだという。

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遺伝子ルーレット、遺伝学的ルーレット ・・・・どう訳せばいいのだろう。

私なりに考えた訳は

- 『遺伝子のゲーム』 とか 『 遺伝子操作という賭け 』 とか。 だめか。

 

スミスさんが帰ってからすぐに入手して、

辞書を片手に読もうとしてるんだけど、どうにも進まない。

分厚いA4版のハードカバー、320頁ある。

スミス氏は、「翻訳権を与えてもいい」 と言ってくれた。

誰かやってくれないだろうか。

お貸ししてもいい。

 



2009年5月19日

クローン - この奇々怪々なる世界

 

夜の職員勉強会が開かれる。 

今回のテーマは、「クローン家畜の問題点」。

講師は天笠啓祐 (あまかさ・けいすけ) さん。

いつもながら、笑顔で優しい語り口がこの人の特徴だ。

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しかし語られた内容はと言えば、相当に奇っ怪な世界である。

とてもブログで解説できる代物ではないが、必死で整理してみるなら、

こういうことになるだろうか。


「クローン」 という言葉は、ギリシャ語で小枝を意味する。

それが、植物の挿し木技術の呼称として使われるようになった。

受精というプロセスを経ないため、同じ遺伝子を持った木を増やすことができる。

このように遺伝的に同じ生命体を作ることを、今日では 「クローン技術」 と呼ぶ。

しかし、細菌や植物では可能な技術も、動物となると極めて不安定な結果となる。

 

家畜のクローン技術には、三つの方法がある。

ひとつは 「卵割クローン技術」。

受精卵が細胞分裂した際に、それをバラバラに分割することで一卵性〇つ子をつくる。

しかし人間や牛では、8細胞になったところで 「全能性」

(その細胞が分裂を繰り返しながら臓器が形成されてゆく、その原初の力)

が失われてゆくため、4細胞 (一卵性四つ子) までが限界である。

その効率の悪さから、現在ではほとんど行なわれていない。

 

ふたつめが 「受精卵クローン技術」。

体外受精で受精卵をつくり、受精卵が16~64個に分裂した段階でバラバラにし、

細胞から核を取り出し、それをあらかじめ核を取り除いた卵子(未受精卵) に、

一つ一つ入れ込む。 それを代理母に出産させる。

これで遺伝的には同じ優良な形質を持った家畜を数十頭誕生させることができる。

現在では、核を取り出さずに細胞ごと入れるようになっているとのこと。

遺伝子 " 組み込み " 技術、と言っておこうか。

 

みっつめが 「体細胞クローン技術」。

上のふたつが受精卵を使うのに対して、こちらは体細胞を使う。

体細胞とは、読んで字のごとく、体の細胞組織のこと。

体細胞を培養して細胞分裂を促進させるのだが、培養液には細胞分裂を促進させる血清

が必須で、その血清を徐々に減らしてゆくと (これを「血清飢餓培養」と呼ぶ)、

細胞分裂が停止してくる。

その段階で体細胞をバラバラにして、その一つ一つを、核を取り除いた卵子に入れる。

それを代理母に出産させる。

上のふたつが人工的にせよ 「受精」 というプロセスを経るのに対して、

こちらは 「クローン胚」 によって、親の遺伝子を持つ子が誕生する。

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ここで不思議なのは、体細胞クローンで、なぜ 「全能性」 が発揮されるのか、ということだ。

受精卵は細胞分裂を進めながら、様々な臓器や組織に分化してゆく。

その過程で、遺伝子はその働きを特化させてゆく (=別な遺伝的働きを止める)。

心臓なら心臓に、耳なら耳に。

そこで鼻の形をつくる遺伝情報が働いてはおかしなことになる。

ではなぜ体の一部を形成してしまっている細胞が

全能性 (細胞分裂の初期段階) を持てるのか。

そもそも卵割クローン技術の段階では、4つ子(4個の細胞) までで止まったはずなのに。

1996年、英国で世界初の体細胞クローン動物として誕生した

羊の 「ドリー」 ちゃんは、6歳のメス羊の乳腺細胞が使われている。

 

その秘密が 「血清飢餓培養」 にある。 細胞分裂の周期が静止すると、

なぜか 「データの初期化」 (全能性の復活!) が起きる、というのである。

 

ここまでの話が完璧なら、夢のような技術、ということになるかもしれない。

しかし、生命とはそんなに単純なものではない。

日本でこれまでに生産された体細胞クローン牛の統計データが

農水省から発表されているが、それによると、

研究が開始された1998年から昨年9月までに出生した体細胞クローン牛は557頭。

そのうち死産が78頭(14%)、生育直後(24時間以内) の死亡が91頭(16.3%)、

それ以後の病死が136頭(24.4%)、という数字である。

全部を足し算すると、約55%。 豚になると57%になる。

つまり半数以上が不自然な死を遂げているという異常な事態なのだ。

なかには過大子という巨体で生まれるケースが一定割合あり、

そのため母体が死亡するケースもあるという。

 

そこで、原因がいろいろと考えられる。

まず、クローン胚は本当に 「全能性」 を獲得しているのか。

実はこれはまだ、解明されていない 「謎」 の部分が多くあるようなのだ。

次に、初期年齢の問題。

羊のドリーちゃんは、6歳の体細胞から生まれた。

羊の寿命は11~12歳らしいのだが、ドリーちゃんはその半分くらいで亡くなった。

それから、自然界に存在しなかった遺伝子の混在がもたらす影響。

これについては、まだ 「分からない」。

 

こんな状態なのだが、米国および日本では、すでにクローン家畜の肉は 「安全である」

というお墨付きを得ている。 しかも表示の義務はない。

理由は、「死産や生後の病死も、一定期間を過ぎれば問題ない」。

つまり、異常な家畜は死んでいるのだから、ということだ。

環境要因による遺伝子の異常の発現 ( 「エピジェネティクス異常」 と呼ばれている) や

母体への影響 (ガンの発生が指摘されている) など、

様々に指摘されている問題点は無視されている。

もはや牛や豚は生命体として認められてないようだ。

欧米では、まだ動物福祉や倫理的問題、生物多様性への影響などで議論が続いている。

 

ここでも遺伝子組み換え食品と同じく、「同等性」 なる論理が幅を利かせているのだが、

これはやっぱ、もうちょっと慎重に扱おう、というのが自然ではないだろうか。

最低限、市場に出回る際には、表示が必要だ。

消費者には選ぶ権利があるはずだし、その影響を長いスパンで見るためにも、

表示はゼッタイに欠かせない。

食べた人と食べなかった人の区別ができないと、因果関係は何も証明できなくなる。

米国で遺伝子組み換え食品に反対しているジェフリー・スミスさんは、

その著書-『偽りの種子』 (家の光協会刊) で、

米国でGM食品が出回り始めるとともに食物アレルギーが増大したことを指摘しているが、

しかしそれは、今となっては誰も証明不可能なのである。

したがって、「健康に影響が現われたというデータは存在しない」 ということになる。

 

世は食品のトレーサビリティ (生産履歴の追跡可能性) が必須となってきているのに、

こと遺伝子組み換え食品やクローン家畜については、推進派は 「表示不要」 と言う。

同じだから、というのがその理由だが、決して同じではないし、

「拒否したい」 「選択したい」 という権利は認める必要ない、という権利が

なぜ許されるのか。 「上から目線」 もいい加減にしてもらいたいと思う。

本音を代弁すれば、「表示すれば売れない」 からに過ぎないのだが、

こういう人がリスク・コミュニケーションなどと言って、「正確に伝えよう」

とか語っていたりするのは、噴飯ものだ。

 

とにかく、ここは 「予防原則」 に立つのが賢明であろう。

ちなみに受精卵クローン牛は、昨年9月までで718頭が誕生し、

食肉に回った数が319頭。 誰か知らずに食べたことになる。

そして行方不明が63頭、という数字がある。

逃亡したのではなく、トレースができない、ということである。

 



2009年1月 8日

今年もセンチュリーコーンをつくります -ケント・ロック

 

さて、新年らしい話題も書き残しておきたい。

今年もたくさんの生産者からの年賀状が届いていて、

それらを眺めるのが仕事始めの日のひとつの楽しみなんだけど、

海外からのグリーティング・カードというのは年末に届けられてくる。

向こうは Merry Christmas & Happy New Year! なんだね。

 

何度かここで紹介したベトナムのⅠさんからは、

現在の事業が3月で終了した後もベトナムの農家と関わり続けていきたい、

との便り。

去年の9月に一時帰国した際にお会いした時には、いろんな構想を温めておられたが、

決意は変わらないようだ。 みんな、偉いなあ。

 

そして、アメリカ・イリノイ州の、Mr.ケント・ロックからも届いた。

例によってカーギル・ジャパンの堀江さんが日本語に訳して送ってくれる。

ありがとうございます。

 

「2008年、センチュリーコーン (非遺伝子組み換えコーン) の

 バリューチェインの中にいる私たちは、皆 互いに強さを試されました。」 

- こんな書き出しで始まっている。

 


  この試練は私たちに、飢える世界のために価値ある食物のより良い供給者になる

  準備をさせました。 変わりゆく世界は私たちに、学び、対処し、新しい市場環境に

  適応する機会を与え、それは飢える世界に食物をより良く供給する方向に

  私たちを向かわせました。

 

  ロック農場では、私たちは以下のことを学びました。

  -少ない肥料は必ずしも少ない収穫を意味するとは限らない。

  -牛を太らすための餌はとうもろこしでなくても良い。

  -私の妻が入れるコーヒーは6マイル離れた町で飲むコーヒーと同じくらい

    美味しいし、かなり安い。

  -私たち農家は以前思っていたよりも、世界に食料と燃料を供給する重要な役割を担っている。

  -エネルギーや原料の節約を含む多くの小さなレッスン、などです。

  2008年はドルの対円や他の通貨との換算レート、バルト海運指数や

  パナマックスサイズの船の傭船費用、燃料サーチャージなどについても私に学ばせました。

  もし2008年に新しいジョンディア社の機材が欲しければ2007年に注文していなくてはならず、

  スクラップメタルは非常に価値があり(あった)、お腹をすかせている人は怒りやすく、

  私たちとうもろこし生産者は世界の食料を供給しているだけでなく、燃料も供給しています。

  エタノール製造業者と農家の両方が市場で損害を受けることもあり得て、

  リスク管理は大変重要です。

  2008年に私が学んだことは、私をより良い人間にし、環境への責務を考えさせ、

  カーギルのセンチュリーコーンのバリューチェインのつながりをより強固にしました。

 

  カーギルのためにセンチュリーコーン生産者になるということは、

  日本でのセンチュリーコーン消費市場に供給するということに関わることになります。

  反射反応は元来、人が持っているものです。

  2008年に私たちはとうもろこしの育て方を変更するための反応時間が短くなりました。

  普通の感覚より素早く2008年に私が決定したことは、

  私がじっくり考えた/場合によってはまだ考えているような決定よりも

  私の農場に良い結果をもたらしました。

  

  センチュリーコーンのバリューチェインは、一般コーンでのエタノール製造、高い輸送費、

  高い大豆価格、プレミアムの上昇、投機的投資家の影響を受けました。

  中西部の洪水はとうもろこし畑を洗い流してしまったりもしました。

  しかしセンチュリーコーンのつながりは、私たちセンチュリーコーン生産者に

  価値を与え続けています。

  なぜカーギルはセンチュリーコーンのバリューチェインをよく維持することができたのでしょうか?

  カーギルには最終消費者が喜ぶセンチュリーコーンを生産すると決めた

  農家たちがいるからです。

  輸送やリスクマネジメント、信用融資、品質管理、私たち農家からあなた方へ続く物流網を

  整えているカーギルジャパンや堀江氏に感謝しています。

 

  2008年は関係を試された年でした。

  私たちは皆、少なくとも一度は、センチュリーコーンは価値があるのか? と考えました。

  ケント・ロックでさえ (でもたった一度だけですが) 分別物流の努力をすることなしに

  エタノール工場へ持ち込んで7ドル/ブッシェルというのは魅力的でした。

  センチュリーコーンを生産すると決めたのは、100%経済的なことを鑑みてではありません。

  理由の一部は、安心できる食品をお客様に提供するために、

  私を信用してパートナーにしてくれた大地を守る会のような会社の

  信頼される供給者になるという誇りを得られるからです。

  大地を守る会が最高の食品を提供するのに力を添えることは、

  私が本当に感謝している日本のお客様と大地を守る会の結びつき、

  大地を守る会とカーギルの結びつき、カーギルと私の結びつきにやがてなる、

  母なる大地と次世代の人々との結びつきのひとつになります。

  私たちが皆恵まれた2008年を過ごしたことは、

  " 人は人と仕事をする " という環境のおかげです。

 

  センチュリーコーンを使用していただき、ありがとうございます。

  2009年は関係をより強固なものにし、お互いの仕事をより理解していく年になるでしょう。

  良いお年をお迎えください。

                        - ケント・キャロル・マリー・レネー

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          (2007年10月に訪問した時の Mr.ケント・ロック) 

 

ケントに限らず、センチュリーコーン生産者にとって、昨年は試練の年だったようだ。

もう一人、近況をレポートして送ってきてくれるチェットさんという生産者も、

息子さんと話し合い、「来年はセンチュリーコーンを増やそう」 と決めたようだ。

モンサントの組み換え種子の値が吊り上げられたことが、その理由のひとつになっている。

目の前の収益性だけでなく、様々なリスクや将来的な安定性なども分析しながら、

しかも生産者としての責任や誇りも維持するために、

彼らは、何をつくり・誰とつながるか、について真剣に考えてくれている。

 

ケントさんたちのつくったセンチュリーコーンは、

北浦シャモの下河辺さんはじめ、多くの家畜生産者に使われている。

ぼくらは安心して食べられるお肉を通じて、ケントとつながっているのだが、

ケントもまた、このコーンで 「大地を守る会」 とつながっている、と言ってくれる。

このバリューチェインの価値を共有できる生産者がいてくれることに感謝しながら

仕事に取り掛かれるシアワセをしっかりとかみしめて、

今年を始めようと思う。

 

※ 遺伝子組み換えに関する日記もけっこう溜まってきたので、

   改めてカテゴリーとして設定しました。

   一昨年のケント農場の訪問記なども含めて、このテーマでまとめ、

   時には振り返りながら、このテーマを考えていきたいと思っています。

   ご批評などいただけると嬉しいです。

 



2008年11月26日

遺伝子組み換え(GM) 論争の隘路

 

いつもコメントを寄せてくれる てん さんへ。

 

いつも拙いブログを読んでいただき、有り難うございます。

実は・・・・先だってのパソコンの故障と代替機へのデータ移管のドタバタで、

一件のコメントが入っていたのに気づかず(11月3日付記事)、

確認とアップがたいへん遅れてしまいました。 申し訳ありません。

この場を借りてお詫びいたします。 お返事も書きましたので、ご確認ください。

こちら、まだ代替機のままで仕事をつないでおります。

 

てんさんには、10月16日付の日記 (「遺伝子組み換えで食糧増産というロジック~」)

についても、貴重なコメントを頂戴していましたね。

インドでのGM綿花栽培で起こった出来事、それによって農民の暮らしが奪われたこと。

ベトナムでもインドの事例が伝わればいいのに、という感想でした。

僕はてんさんへのお返事の中で、ベトナムのⅠさんには、

インドの物理学者、ヴァンダナ・シヴァさんと接触してみてはどうかとメールしたこと、

またⅠさんもシヴァさんのことはご存知で、お会いできる機会を見つけたいと仰ってたことを、

お伝えしました。

 

さて、その後ですが、

先日Ⅰさんから送られてきたベトナムでのニュース・サマリーによれば、

残念ながらベトナム政府は、やはり本気でGM作物を推進したいようです。

サマリーは英語なので読むのに時間がかかりましたが、

GM品種によっていかに農民が儲かるか、というような政府機関(研究所?)の試算が

出されていました。 導入が企図されている作物は、大豆、とうもろこし、綿花です。

そしてここでも、推進理由は収量の増加と " お金 " です。


除草剤を撒いても枯れない種、害虫が食べたら死ぬ種、

特定の企業の特許品となった種を、特定の企業の除草剤と一緒に買い続ける。

これが農民にとっての遺伝子組み換え作物栽培の宿命になりますが、

それで本当に農家の暮らしが豊かになるのかは検証されることがなく、

たまさかの経済性と安全性でしか語られることがありません。

その作物は、種自体が食用に回るものなのに。

 

そしてその種は、生態系からの免疫反応 (抵抗性の獲得) に応じて

(技術革新の名で) リスクを高めてゆく技術でもあって、

誰も未来を予知することができない種に、未来を託そうとしていると言えます。

種というのは生命の根源です。

また「未来」 とは空想の時間ではなくて、私たちの子や孫の暮らしのことです。

 

つくづく思うことは、この論争には 「中立的科学」 が存在していない。

推進派の論理はいつも、「安全である」 と

「生産コストが下がる」 「生産量が上がる」=儲かる、に尽きるといってもいいでしょう。

加えて 「食糧危機や飢餓を救う」 という暴論がくっついたりします。

交雑による生態系への影響や生物多様性の問題は、

「実質的に同等なんだから」 これまでの品種交配と同じ、とかたづけられます。

一方で反対派の論は、

「安全とは言い切れない(将来的にはリスクは増す)」 であり、

「実質的同等性」 は科学とは言えない代物で、

「種子の交配による生態系のかく乱は環境や食糧生産の不安定化をもたらす」 であり、

「多国籍企業による種子支配による農民の隷属化」 (飢餓の拡大) です。

 

私は紛うことない反対派の人間で、上記の論点に加えて、

「人々の、そして地域の主体性や文化の喪失(=暮らしの不安定化)」

といった観点も大事にしたいと思っています。

 

食べ物の安全性というのは実験室で証明できるものではない、と思っています。

人類の長い歴史のなかで検証され、日常の食としてその地域で選択されたもの、

それは最も実直な 「科学」 的土台に基づいていて、

しかも地域の環境や風土にマッチした 「食文化」 として存続してきたものです。

科学的立証というのは、生態系 (生物) を相手にした場合には、

時間のかかるものだと心得るべきです。

しかし今、GM食品はまるで短兵急な人体実験にかけられているも同然の状態です。

実験なら追跡調査が必要ですが、それはまったくもって不可能です。

 

例えば、ロシアのエルマコバ博士のラット実験 (GM大豆による死亡率の増大) や、

ブシュタイ博士の実験は、弾劾されこそすれ、再試験は行なわれていません。

一方で審査に出されるデータは推進企業のものだけで、

時に不都合なものは伏せられていたことなども、後になって発覚したりします。

民主主義を標榜するアメリカでも、批判的なデータを提出した学者は、

その後研究費も出なくなり、左遷されたような話が聞こえてくる。

こと遺伝子組み換えに関して言えば、科学は健全に機能していない。

正確には、中立的に科学的判断をする機能がないのです。

推進しているのは施政者と企業、反対しているのは農民と消費者という図式のなかで、

科学者のどの論を採用するかは、まるで自己責任の世界。

結果的に、すべてのリスクは消費者がかぶることになります。

議論の最初から隘路(あいろ) に入り込んだ、不健全なテーマとしか言いようがありません。

 

有機農業を推進する立場からは、もうひとつの論があります。

「そんなうっとうしいものは、不要である。 頼る必然性もない」

-要するに 「なくても問題ない」 。 これが僕の結論です。

 

話が長くなってしまったついでに、他の海外の情報もお伝えしておきましょうか。

韓国では、消費者の知る権利および選択権の保障強化のために

GMOの表示対象を拡大して、GM農産物を使用したすべての加工食品に表示を義務化する

表示改定案が出されています。 11月まで意見を募集して最終決定するとのこと。

韓国のほうがずっと骨太の感あり、です。

また以前にお伝えしたオーストラリア・西オーストラリア州の、

9月に行なわれた州議会選挙は、なんと

GMモラトリアム継続を公約にした与党・労働党と、野党・自由党が

議員を半々に分け合うという結果になりました。

厳しいつば競り合いをやる国は、最後にしたたかな戦略を作り上げたりします。

健全な論争が必要なのです。

こういった動きは、ほとんど報道されませんね。

 

そういえば先般来日して温暖化対策を訴えた英国のチャールズ皇太子も、

8月に 「GM食品は史上最悪の環境災害を招く」 と発言して、

英国内での論争に一石を投じました。

その後の経過は知りませんが、こういうのこそ民主主義の底力なのではと感じたものです。

チャールズ皇太子はご自身の農場で有機農業を実践しているとか。

GM問題に対する判定は社会あるいは未来に委ねたいと思いますが、

今どっちを選択するかは、ギャラリーが多いほど適切な方向に向かうはずです。

 

冒頭に紹介したインドの物理学者で環境活動のリーダーでもある

ヴァンダナ・シヴァ博士は、こんなことを語っています。

 

   遺伝子組み換え作物と食糧をめぐる対立は、「文化」 と 「科学」 の間での対立ではない。

   それは二つの科学文化の間の対立である。

   ひとつは透明性と公的説明責任と環境と人々に対する責任に基づく科学であり、

   もうひとつは利潤の問題と、透明性と説明責任と環境と人々に対する責任の欠如に

   基づいている科学である。

 

   遺伝子工学が解決策を提示している多くの問題に対する答えは、

   すでに生物多様性が提供している。

 

   農民は何を栽培するかを選択する自由を奪われ、

   消費者は何を食べるかを選択する自由を奪われる。

   農民が、生産者から、企業が持つ農業製品の消費者に変身させられる。

                                  (『食糧テロリズム』/明石書店刊より)

 

   たとえば社会が環境問題に直面するにつれて、疫学、生態学、進化生物学、

   発生生物学が必要となる。 生物多様性の衰退の危機に対応するためには、

   微生物、昆虫、植物などの特定の分類集団についての専門知識が必要である。

   有用なもの、必要なものを無視し、利益をもたらすものにしか目を向けなくなった瞬間、

   わたしたちは知的多様性を創り出す社会的条件を破壊しつつある。

 

   農民の利益は人びとの生存のためだけでなく、国家の生存のためにも必要である。

   農業共同体が種苗の遺伝子資源に主権を持たなければ、

   国家が主権を持つことはできない。

 

   生物が本来的に持っている創造性。

   それが生物を進化させ、英気を養わせ、再生させる。

                     (『生物多様性の保護か、生命の収奪か』/明石書店刊より)

 



2008年10月16日

遺伝子組み換えで食糧増産というロジックについて

 

ベトナムで農村開発支援に携わるNGOのスタッフであるⅠさんから

しばらく前に届いたメールが気になっている。

ベトナムでも、遺伝子組み換え (以下、GM) 作物が大規模に推進されようとしているらしい。

彼女が知らせてくれた報道によれば、

「2020年までに作物栽培面積の30~50%で、GM作物が栽培されることになる見込み」

とのことである。

3分の1から半分ということは、その影響は国土全体に及ぶ可能性がある。

凄まじい数字、というか国家方針だ。

この情報だけでは栽培される作物までは分からないけど、

考えられるのは大豆、ワタ、トウモロコシ、ナタネくらいしかなく、

それでこんな数字になるのか、と思う。

2020年までの見通しなので、コメのGMが実用化される見通しまで

視野に入れているのかもしれない。

まあここで不確かな想像をしてもしょうがないけど、

食糧の増産と貧困の撲滅といった文脈でGM推進が語られているようなので、

やっぱりこの論には反論しておかなければならないと思う。

 


まずはっきりさせておかなければならないのは、

GM技術そのものが食料を増産させるわけではない、ということだ。

「収量が上がる」 仕組みとは、もともと収量の高い品種を選んで、

それに除草剤耐性とか殺虫成分をGM技術で導入しているに過ぎない。

つまりGM技術を使わなくても、元の品種を植えるだけで収穫量は上がるのである。

GM作物によって作業効率や歩留まりを上げるということはあるかもしれないが、

これで食糧増産と声高に叫ぶというのは、

結婚した相手の血統でおのれの能力をPRしているようなものだ。

 

また品種の特性というのはプラスもあればマイナス面もあって、

収量が高い一方で、存在するはずのデメリットの部分は何も語られていない。

その品種がベトナムという高温多湿な地域に適するかどうかは、

慎重に吟味されなければならないだろう。

 

GM技術で収量が上がる仕組みにはもうひとつあって、

機械で除草しなくてすむようになるので、高密度栽培が可能になる。

それによって単位面積当たりの収穫量が増えるという理屈だが、

これにも負の側面があって、高温多湿地帯では病気の発生確率も高くなるように思う。

密植が何をもたらすか、農家なら想像がつくはずだ。

農民に判断させるだけの、正確な事前情報が必要である。 

 

いずれにしても、単一品種・単一技術に依存することは、

天候の影響によっては逆に収穫が壊滅的になるリスクを抱えることを意味する。

多様な品種が植えられ、その地域で育んできた多様な技術が生かされることが、

最終的には安定を支えていることは、考慮されなければならない。

ましてや地球の気候変動はさらに激しさを増しているのだから。

 

またGM作物は、けっして貧困の撲滅にはつながらない。

むしろ逆に貧困を加速させないか、丹念にシミュレーションすべきだろう。

GMは企業の特許技術であるから、農家は自分たちで種を保持することができず、

毎年々々買い続けなければならない (保持すれば訴えられる)。

種はその地域で更新されてきたものより遥かに高価である。

加えて栽培プログラムは化学肥料と農薬を前提にしているわけだから、

農薬も肥料も一緒に買い続けなければならなくなる。

しかもそれらは全部同じ会社であったりするので、

農家にとって、収穫して得たお金が特定の企業に吸い取られる仕組みが出来上がる。

加えて種子の交配 (地域の遺伝資源が汚染される可能性) は、起きる。

土壌や環境へのリスクも視野に入れておかなければならない。

化学肥料が高騰していることはご存知だろうか。

 

大規模な面積で大型機械を使ってビジネスとして商品作物を作る農業をやるのと違って、

地域自給的な暮らしをベースにしてきたところにGM作物が入り込むことが何をもたらすか。

GMとは、食品としての安全性論争以前に、

農民や地域の自立性に、そして生命活動を安定させる根幹である生物多様性に

深く関わる問題なのだ、というのが僕の認識である。

ちなみに食品としての安全性論争について言えば、それは 「不確かである」 に尽きる。

食べて死ぬわけではなく、すぐに健康危害が起きるわけでもないので、

病気とか異常とかとの因果関係は証明不可能 (安全の強弁が可能) である。

問題は、GM作物はどんどん 「進化」 という名の複雑化が進んでいて、

たかだか10年程度で、自然界の必然である耐性とのたたかいが生まれ、

2種・3種の形質の組み合わせへと進んできていることだ。

それらは 「実質的同等性」 という造語によって庇護され、

たいして安全性の実験データも要せずに審査をパスしている。

将来への影響は 「誰も分からない」 。

分からない以上、分からないものは慎重に扱おう、という姿勢に立つ者は必要である。

 

最後に、貧困や飢餓の問題について言えば、

これはGMで解決できるものでは、けっしてない。

食糧問題の本質は、あるところでは大量に捨てられていて、ないところでは飢えている、

という分配の問題である。

GM技術は、さらに格差を広げる可能性のほうが高い、と僕は睨んでいる。

 

それにしても、ベトナムでGMOの推進とは・・・・・

彼らはどこから種や農薬を買うことになるのだろうか。 

かつてベトナム戦争で、森林に大量に撒かれた枯葉剤 (除草剤)、

猛毒ダイオキシンを含んだ2・4・5-Tを開発した、モンサント社からだろうか。

だとすると、この皮肉は、とても悲しすぎる。

 



2008年9月16日

ケント・ロックからの手紙

 

『 Dear Daichi ; 

 大地を守る会の皆さま

 

 家畜の品評会や展示会は、アメリカの農業関係者にとって、

 自分の仕事を同業者や消費者に見せる素晴らしい場所となります。

 消費者や農業に携わる者の両方にとってもです。

 私の気持ちも、消費者や私と同じ仕事をしている人々と意見交換をすることで

 リフレッシュされます。 』

 

そんな語り口調で、ケント・ロックからの手紙が届いた。

カーギル・ジャパンの方が、ちゃんと翻訳して届けてくれた。

以下、こんなふうに綴られている。

 


食品のことを考えている人と会った忘れがたい機会は、

7月にアイオワ州デモインで行なわれた、若手のための全米アンガス牛品評会でのことです。

一人の女性と彼女の娘が、展示会場の近くで、卵を勧める展示をしていました。

" 牛だけ " のショーで卵の展示とは・・・・・

ケントは調べに行かなければなりませんでした。

 

私は卵の展示をしている女性のことを知りませんが、

おそらく農家の人で (牛の出品者であるバッチをつけていましたから)

鶏と牛を飼っているのでしょう。

展示されている卵は4-Hプロジェクトに関係していました。

( 4-Hは、政府も資金を出している組織で、農村地帯の若者、子どもたちに

 活動を通して農業を学んでもらうものです。 )

 

その展示は、実際は味覚テストで、

スクランブルエッグにしたスーパーで買った白い卵と、

おそらく彼らの農場で育てられた桜色の卵の味を比べるものでした。

 

これはすばらしい機会です!

大松さんや下河辺さんのようなすばらしい家畜生産者が育てた鶏や卵の効能を

日本で見聞きしていたので、私はこのような比較をしてみたかったのです。

このテストでは割る前/割った後の見た目やサイズ、色、卵の殻などの比較もありました。

また、料理の見た目や香りのテストもありました。

味覚のテストは私がやりたかったものですが、

普通のスーパーの卵を選んでしまうのではないかという不安もあって、

本当はやるのは怖かったです。

分別流通 (飼料を使用している) 農場の卵から作られたスクランブルエッグを

選ぼうとするのではなく、どちらの卵だと思おうが、

私の好みにあった卵を選ぼうとしたことを憶えています。

 

驚いたことに、味に違いがありました。

(私は東京でゲテモノバーを探していた男だということを頭に入れておいてください)

私は分別流通された桜色の卵を選びました。

その女性は、私が選んだほうが多数派だと言いました。

多くの人が普通のスーパーの卵と比べると、彼女の方を好んだのです。

このテストは、塩などで味付けせずに行なわれました。

この展示はとても良く、女性たちは消費者が彼女たちの製品をどのように理解し、

評価するのかを学ぶのに、純粋に興味があるようでした。

味覚テスト前の私は、卵の選択は気持ちの問題で、

味覚の問題ではないのではないかと思っていましたが、間違っていました。

良く世話され、良い飼料を与えられた鶏からの卵の味は、より良いのです。

 

今までレポートするのを控えていた理由は、

テストがどうなったか、女性から結果をもらうのを待っていたのです。

彼女は結果を送ると言っていましたが、まだ送ってきません。

もう最終結果をもらうつもりもないので、大多数の反応は私と同じだと報告します。

(直後にテストの結果も送られてきたので、別紙に記載しました。) 

                  ≪ 別紙は割愛します。ケントの想像通りなので。 ≫

 

もしこれが、アイオワの牛の品評会でのシンプルな味覚テストでなかったら、

食物の味が、どのように育てられ、取り扱われるかによって変わるということに

気づくことはなかったでしょう。

 

最高の食物は、最高の生産者と取り扱い業者から生まれます。

大地を守る会が食物を提供する人たちの中で最高の人々だということを見て学びました。

私の農業技術と私の農場も  " 最高 "  のカテゴリーにしたいと思っています。

私は大地の食材から作られた様々な料理をともに楽しんだ時、

私は世界最高品質の食物を味わったということです。

 

お客さんのために、良い品質の食物を生産してくれて、感謝しています。

ケント ロック

 

 

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                             (2008年6月19日: 『山藤』 西麻布店にて)

 

つねに探究心を怠らず、自身の経営と栽培技術を高めようとしている

アメリカ農民からの、ウィットも含ませたエールでした。 

彼のセンチュリーコーン (非遺伝子組み換えトウモロコシの品種) は、

今年も順調に育っている、とのことです。

 



2008年8月27日

西オーストラリア報告会から

前回の話をすぐにも続けようと思っていたのに、

気がつけばもう四日も経ってしまっている。 なんてことだろう。

月曜日は、千葉・山武で開かれた有機農業推進法のモデルタウン事業についての

生産者向け説明会に出席。

火曜日は有明ビッグサイトでの「アグリフードEXPO」に出向き、

何名かの生産者・メーカーさんと接触してから、六本木で理事会。

そして今日、水曜日は会議に来客対応にメール処理。

その合い間に雑務と宿題 (本来の仕事)、という順番で時が過ぎていく。

そんな中で一番楽しい時間は、夜中にごそごそやる

週末の飯豊山 (いいでさん) 登山の準備だったりして。 

あ~、だからブログの更新を忘れてたんだ。 

 

さて、休み中にDVDで見せてもらった、職員のオーストラリア出張社内報告会の話。

報告者は、加工食品の開発に携わる商品グループの谷口麻紀嬢。

報告会は1ヶ月も前のことで、

オーストラリア訪問自体は6月9日から13日にかけて行なわれている。

 


訪問先は西オーストラリア州。

目的は、遺伝子組み換えしていないナタネの存続を州政府に要請し、

生産現場の視察とともに生産者と交流してくる、というもの。

 

オーストラリアでは現在、遺伝子組み換え (GM) のナタネ栽培は行なわれておらず、

栽培の解禁を留保するモラトリアム期間にある。

そのモラトリアムの期限切れが今年の12月で、

西オーストラリア州は現在、モラトリアムを継続するかどうかをめぐって、

GM推進派と反対派の攻防が続いているという状況である。

東部ではすでにモラトリアムの解除 (=栽培の解禁) が決定された州がふたつ現れている。

そこで、ナタネの主要な輸入国である日本として、消費者の多くが

GMでないナタネ (を原料とした菜種油) の存続を強く求めていることを

州政府や農民に伝えよう、ということでの訪問となった。

今回の訪問団は生活クラブ生協さんと大地を守る会。

他の州を回った団体もある。

つまり遺伝子組み換え食品に反対するネットワークで、

役割分担して訪問している、という格好である。

 

さて、西オーストラリア州では首相も農業大臣も、GMには反対の立場なんだそうだ。

日本からのGMモラトリアム継続を求める署名も快く受け取ってくれ、

首相は日本の訪問団にこのように語ったという。

「安全性が証明されていないGM作物を日本などの消費国に輸出することはできない。

 推進派は適切な研究を行なっていない。 反対派には検体を渡さず、

 情報も不正や偏りがある。」

「消費者は、手にとった商品にGM作物が使われているかどうかを知る権利がある。」

頼もしい限りである。

州で行なわれたアンケート調査では、8割の消費者がGM食品を食べたくないと答えたそうだ。

 

首相は訪問団に州議会の傍聴まで許可して、案内してくれた。

反対派に対するある種の示威行動として活用したフシもあるようだが、

反対派からは 「これは自分たちの問題だ。 なんで外国の人間を傍聴させるのか!」

という声があがり、日本人に対しては、

通訳の人が 「とても訳せない」 という野次も飛んだという。

栽培は自国の問題かもしれないが、何たって生産量の90%を輸出しているわけだから、

輸入国にも物言う権利はあるよね。 どの国にも下品な政治家はいるようである。

 

そんな西オーストラリア州だが、首相はすでに次の選挙には出ないことを表明していて、

その先はどうなるか分からないらしい。

 

一行は次に、ウィリアムズという町で、GMに関する討論集会に参加する。

賛成派の人たちの主張は、作業効率が上がる (楽になる)、農薬が減らせる、

生産量が上がる、GM品種はバイオ燃料に代替できる、といったように

いずこも同じ理屈である。 要するに " 儲かる " というわけだ。

また推進派のパネラーの発言の中には、こんなのもあったとか。

「日本の企業は (GMだろうが) 気にしていない。 表示義務がないから。

 我々が輸出先を失うことはない。」

さすがにこういうパネラーに対しては、「あなたの態度が気に入らない」 という

会場からの指摘もあったようだが。

 

反対派はこんな解説を試みている。

GM作物の栽培にあたっては、モンサントの計画に基づいて生産し、かつ

販売を行なわなければならなくなる。

非GM農家は、栽培前に種子が非GMであることの証明とトレーサビリティの保証を

求められるようになる。

非GM農家は、0.9%の種子汚染 (交雑や混入) を受け入れるか、

汚染回避のための厳しい管理が求められる。

つまりGMを受け入れると、なぜか非GMの方だけが保証や分別管理責任を

求められるようになり、結局、農家は強制的にGMへの移行を余儀なくされてゆく。

種子のターミネーター (「自殺」 と訳したい) 技術は、

農家が種子を更新できなくされていて、

生命特許による種子の支配は、土地の支配、そして食糧の支配へとつながる。

GMと非GM栽培の緩衝地帯は5メートルとなっているが (この狭さは信じ難いが)、

ナタネの種子は小さく、風でどこまでも飛んでゆく。

共存は不可能だ。

 

要するに、このような農家の主体性や品種の多様性が奪われてゆく方向に身を委ねてよいのか、

ということだが、集まっていた農民たちはどう考えただろうか。

 

一行は、夫婦で意見が分かれているという農家と出会っている。

夫は推進派、妻は反対派。

夫の論理は上記の推進派の論理そのままで、

「農薬が減らせるんだから、安全性も高くなる」 と日本人に説明している。

妻の反対理由は、「理屈は分からないけど、とにかく不安感が拭えない」 というもの。

感性派は、こういうテーマでは科学という名の論理に弱くなってしまうけど、

自分の内にある " 不安 " の根底を掘り下げていってほしいと、切に願う。

単純であっても、整理した理由がたとえば、

 「面倒でも、種は農民の手 (あるいは信頼できる輪の範囲) で守っておきたい」

という価値観のようなものなら、それは一人の農民の信念として、

最低限、フェアな形で共存を求める権利がある。 それを奪う権利は誰にもない。

GM作物は、フェアな関係を許さない、という危惧を僕は強く持っている。

 

少なくとも、このご夫婦が離婚の危機を迎えることのないように、

まだ当面はモラトリアムを設定しておく方がいい。

お二人は 「大丈夫。ちゃんと話し合っているから」 と言っているようなので、

ここは、科学と倫理のひとつの見識である 「予防原則」 (リスクの可能性がある場合は避ける)

に立って考えるのが、どう考えても賢明な選択ではないだろうか。

 

またここでも思うのは、GM作物は農薬の使用量が減るので安全である、

という論の狡猾 (こうかつ) さである。

彼らはけっして、安全性のためにGM作物を選んでいるのではない。

作業負荷が軽減でき、なおかつ都合よく雑草や害虫対策が打てて、

結果として歩留まりがよくなる (生産性が上がる) という効率を重視しているワケで、

消費者に向かって納得させるために、安全性という言葉を使っている。

だって彼らは普段、農薬の使用が作物の安全性を損なわせる、とはけっして言わない。

なんでこういう時だけ使うんよ、と言いたくなる。

語るに落ちている、とはこのことだ。

 

農薬が危険なものだと思っているなら、

除草剤とセットになってしまっている種は避けようではないか。

モンサントから除草剤を買わなければならない、除草剤を使わなければならない、

そんな種なのだから。

加えてすでにGM技術は、除草剤耐性+殺虫剤A耐性+殺虫剤B耐性・・・・・・と

果てしのない組み合わせに向かって進みつつある。

 

モラトリアムは必要である。

 

遅ればせながら、オーストラリア訪問団の方々、お疲れ様でした。

 



2008年7月 8日

カンガルー島からのお客様

 

オーストラリアのカンガルー島という島から、お客さんがやってきた。

現地から5名の方々に、オーストラリア大使館の方。

引率してきたのは、菜種油をいただいている石橋製油さん。

つまり、彼らはオーストラリアのノンGMナタネの生産者たちである。

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訪問のお礼の挨拶とともに、

大地を守る会の概略説明をする藤田和芳会長 (右から二人目)。 


ここがカンガルー島。

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南オーストラリア州に属し、本土からの距離16km。 

州都アデレードから南西143kmに位置する。

開発や外来種からの影響を免れたため、オーストラリア独自の貴重な動植物の宝庫であり、

野生生物のパラダイスなどと言われる島である。

世界最古のミツバチ保護区もあるそうだ。

 

ここで彼らはノンGM (非遺伝子組み換え) のナタネを栽培している。

南オーストラリア州は、ナタネのGM栽培を禁止していたモラトリアムが解け、

どうやらGMナタネへの商業栽培が始まるようなのだが、

彼らは、カンガルー島という離島のメリットを活かして、

ノンGMの栽培を維持したいと考えている。

 

離島であるため、ここでは花粉の交配という心配もありません。

また自然環境の豊かさや生物多様性を守ることで、島の観光産業も支えていきたいのです。

日本で遺伝子組み換えに反対している消費者団体との関係を密にし、

互いに支えられる関係を築きたい。

 

私からは、大地を守る会の説明をするのに、

そもそもの設立の背景からお話させていただいた。

1960年代から進んだ日本の農業の近代化、農薬公害の発生、そして有機農業の発展の歴史。

それに対応しながら大地を守る会の活動や事業も深まってきたこと。

 

彼らの興味を引いたのは、生産者と消費者を具体的につないできた事業の歴史のようだった。

引き売りや団地での青空市から始まって、共同購入、そして戸別宅配、

さらには卸しやレストランなど、事業が拡がってきたこと。

まったくのゼロからスタートして、マーケットを開拓しながら、

なおかつ生産者と消費者の交流が、今でも盛んに行なわれていること。

 

来年の東京集会には我々も参加したい、という率直な感想に、

彼らが大地を守る会をどう見たのかが表現されているように思った。

 

皆さんがノンGMナタネを栽培し続ける以上、私たちもずっと応援し続けます、

と締めくくらせていただいた。

別れ際に記念の一枚を撮らせていただく。

南オーストラリアで種を守りたいと語る農民は、ごくフツーの快活な若者たちだった。  

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写真中央が、石橋製油の上野裕嗣さん。

ジャズが好きで、いつも加工品製造者会議や東京集会で遅くまで喋くり合ってしまう、

暑苦しい飲み仲間である。

 



2008年6月26日

ケント週間 (続き)

 

(昨日に続けて)

翌18日(水)は、

東京・丸の内にあるカーギル・ジャパン社でのセミナーに参加する。

参加者はほとんどスーツ姿の、商社や大手の加工メーカーなど

カーギルさんのお取引先の方々である。

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内容は夕べのケント講座と概ね重複するので割愛するとして、

この日は、カーギル社からコーンと大豆の情勢についての資料が配布された。


このまま推移すれば、ノンGM (非遺伝子組み換え) コーンは2010年に消滅する、

というシュミレーションが描かれている。 大豆も同様である。

中国は輸出国ではなくなり、アルゼンチンも輸出規制に入った。

世界景気に押され、飼料穀物の需要は増加の一途であり、バイオエタノールの登場や

投機資金の流入もあいまって、コーン価格は歴史的な高値となっている。

それをGM品種の反収差 (=収益性) があと押ししている。

韓国はGM解禁に転換し、日本の需要からは明確な意思が示されないままである。

今年は北米の多雨によって植え付けと生育が遅れていて、不安含みであるが、

仮に豊作となっても価格が下がる要因は乏しい。

 

ノンGMコーンの栽培面積は減り続けており、今やカウントダウンの状態に入っている。

GMとの分別コストや輸送にかかる燃料コストの上昇分も含めたプレミアムが

提示されなければ、ケントですらノンGMの維持は困難となるだろう・・・

これはすでに交渉ではなく、最後通牒のような形で

我々に覚悟 (明確なプレミアム保証の意思表示) を迫っているのだが、

しかし会場から出された質問や雰囲気から窺えたのは、

「これから価格はどこまで行くのか」 という不安のみだった。

「なんぼでも払いましょう」 とは誰も言えないのだ。

 

ここには深い陥穽 (かんせい) があるように思う。

ノンGMコーンを確保するためにはそれだけのコストを負担しなければならない。

これはリアリズムである。

とはいえ、我々だって、どこまでも保証したい意思はあっても、

体力を超えた現ナマは用意できない。 これもまた現実である。

 

つまるところ・・・・・互いがマネーゲームに翻弄される間に、ノンGMコーンが、

ひとつの、高騰する 「高付加価値商品」 というだけの存在になってしまったのなら、

これはもう続かないだろう。

展望の見えないろう城戦のようなものだ。

 

そこで思うのである。

ケントの輪作プログラムを支えるのは、コーンの価格だけなのだろうか。

彼の輪作のキーワードは、土壌保全である。

その 「合理性」 の中に、GM一色となってしまうことのリスクもまた表現されているのだが、

広大なアメリカの農地が、コーンのお値段だけで単一化されていくことに、

誰も疑問を挟まない、挟めないとしたら、我々は撤退するしかない。

 

ケントと僕らは、たんにノンGMコーンの商品流通として出会ったのだろうか。

そうではない。 我々は、

「豊かな大地を残したい」 という、その共通の思いによって、つながったのだ。

ケントは、センチュリーコーンを栽培する最大の理由を語っている。

「センチュリーコーンは、人とつながることができる。」

 GMコーンを植えて、相場を見ながらエタノール工場に運ぶだけでは、

その向こうにいる人の顔は見えない。

センチュリーコーンでは、収穫するトラクターのアームの向こうに、

「シャモのシモコウベサン」 や 「ダイチヲマモルカイ」 が見える。

「そのつながりを大切にしたい」 と、ケントは語ってくれたのだ。

 

GMコーンの拡大は、経営メリットだけでなく、その植物の生態的必然 (花粉の交配)

によってもノンGMを侵略する。 しかも交配が発見されると、

逆にモンサント社から 「特許権の侵害」 として訴えられるという、

ニッポン・ヤクザも腰を抜かすような野蛮な仕打ちが、自由の国・アメリカでまかり通っている。

誰も人の営農スタイルを奪う権利はないはずなのに。

こんなふうに、GMの拡大というのは、

それだけで一人の農民の考え方や主体性を奪うものとなっているのだが、

もうひとつ、人のつながりも破壊するものとして、今我々の前に立っている。

 

食のグローバリズムは、持続可能な農業 (=永続的な食料の確保) と、

その土台となる生物多様性の保全を壊している。

その地域で当たり前に存在していた地域共存型の農業や食文化が破壊されている。

地球の隅々まで。

長い時間をかけて築かれてきた、その土地に適した食料生産システムこそ、

持続可能であり、多様性を守る (というより多様性と一体化している) ものなのだが、

アメリカという国で、土壌保全に心を砕いて築かれてきた輪作体系が失われてゆくことに、

何の手当ても施せないのであれば、

もはや僕らにとって、カーギルの存在価値はない、と言わざるを得ない。

 

僕とケントは、友人であることはできても、食の供給チェーンを一緒に築くことはできない。

大地を守る会は、ひたすら国産運動に邁進しながら、

必要な海外とのトレードについては、新たなつながりを模索してゆくしかない。

 

またまた長くなってしまった。

この文脈の流れで整理しておきたかった、GMO論争のひとつの論点があったのだが、

次の機会にしたい。

GMOは 『世界の飢餓を救う』 という、悪魔のような論について、である。

 

さてさて、翌19日 (木) 。

昼間、北浦シャモの下河辺さんを訪ねたケント一行が、夜の食事に選んでくれたのが、

西麻布の 「山藤」 である。

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大地の食材を使った和の料理も、気に入ってくれたようで、こちらも嬉しい。

 

広大な農地で、輸出用の換金作物を作る農民と我々の間には、

農業感ひとつとっても相当な開きがある。 

それは当たり前のこととして受け止める必要がある。

大切なのは、互いの、置かれている環境の違いを理解し合うことだ。

 

僕はケントとまだまだ話し合いたい。

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僕たちは、ノンGMコーンという細くなってしまった糸をたよりに、

互いに一回ずつ訪問し合い、ようやくつながったばかりだ。

手遅れかもしれないが、胃袋を依存してきた国の一員として、

アメリカ大陸をGMモノカルチャー大陸にするかどうかに、

私なりの責任の意思は示したいと思う。

 

山藤で出くわした大地を守る会の藤田会長や理事さんたちにも紹介して、

記念写真を一枚、頂戴する。

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そして20日 (金) 、最後に習志野物流センターを見に来てくれる。

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農産物の宅配システムを始めて23年。

他に例がなく、すべてが手探りしながら築いてきたシステムだ。

消費者宅への戸別の宅配という細かい仕事が、アメリカ人にどう映ったかは定かではないが、

事業概要の説明に対して彼が漏らした感想はこうだ。

   -この事業を支えているのは、正確なトレーサビリティと情報だ。

    単なるオーガニック・マーケットではない事がよく分かった。

    シモコウベの鶏肉の写真の下に、餌はケントのセンチュリー・コーンだと書いてくれ。

 

ベリ・ナイス!を連発しながら、ケントは帰っていった。

センターの前で記念の一枚を撮るのを忘れた。

 



2008年6月25日

ケント・ロックがやってきた。

 

これまで何度か紹介してきたアメリカのノンGMコーン農家、

ケント・ロック氏が日本にやってきた。

去年秋の視察でお世話になって、来日の折にはぜひ大地を守る会を見に来てほしい、

とお願いしていたのだが、

16日夕方の成田着から20日までという短い日程の中で、

何と3度も大地を守る会関係の場所に足を運んでいただくことになった。

 

遅れてしまったけど、

ここで改めて、私のケント週間を記しておきたい。

 

まずは6月17日 (火) の夜、幕張本社でのスペシャル・ナイト。

社員向けの 『ケント・セミナー』 を開催する。

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普段は違和感なく過ごしていたが、

こうやって見ると、うしろにカゴ車や段ボール箱が無造作に置かれていたりして、

飾らないというか、飾れないというか・・・・・

ま、それはともかく、夜6時半からのセミナーに大地社員50人ほどが聞きにきてくれた。


改めて紹介すると-

Mr.ケント・ロック、44歳。

奥さんは中学校の物理の先生で、中学生と小学生の娘さんが二人。

ご両親は近くの別なお家に住んでいて、普段から行き来している。

イリノイ州エイボンという地 (※) で、約680haの農地を持つ、

" ここいらでは平均的規模の農家 " である。

日本の平均的農家のざっと500倍 (北海道だと約36倍)  ってところか。

日本で 「規模拡大!」 と叫んだところで、

その線でたたかうこと自体が土台無理、いや無意味ではないか、というレベルだ。

    (※) 地図でいうと、シカゴとセントルイスの中間にあるピオリアという町のあたり。

 

そこでケント家は、トウモロコシと大豆を育て、肉牛を飼っている。

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              (右はずっと通訳で同行していただいたカーギル・ジャパンの堀江勉さん

 

ケント家は家族農業である。

ケントは農業が好きだからやっている。 自分の農地と牛に誇りを持っている、と語る。

彼のポリシーは、土壌と環境を大切にして、娘に良い土地を残すことだ。

だから子どもたちにも早くから農業を体験させ、理解させようとしている。

実際に娘のマリーさんもレネちゃんも、"自分の牛" を育て、

コンテストで入賞したりしている。

こういう姿勢こそ競争すべきところだと思うが・・・

 

彼はカーギル社が持つノンGMOトウモロコシのブランド 「センチュリーコーン」 を栽培している。

しかし、だからといって遺伝子組み換えに反対している農家ではない。

GMコーンも植えている。

私の知る限りでは、どうもオーガニック系以外は、

米国内でGM作物への疑問を持っている農家はほとんどいないようだ。

それでも彼がセンチュリーを植えるのは、彼の輪作プログラムにフィットしているからである。

 

ケント農場の現在の輪作体系は、

ノンGMコーン → GMコーン → 大豆 ( → ノンGMコーン) となっている。

センチュリーコーンを植える理由のひとつは、

「2年以上同じものを連作しない」 という考え方による。

しかも土壌保全を考え、不耕起栽培で行なう。

前年の大豆の残渣を残して、表土が風雨で流されるのを防ぐのだ。

不耕起は燃料代の節約にもなる。

 

ノンGMコーンの栽培は、GMに比べてリスクが高く、コストもかかる。

( というより、GMのほうが作業が省力化できることと、雑草を効率よく枯らせるから、

 経営上のメリットが目に見える、ということなのであるが。 )

ノンGMは虫食いで穂が落ちやすいという比較デメリットもある。

しかしそこでケントは、牛を放すのである。

落ちた穂やコブは牛の餌になる。 無駄にはならない、と。

またGMコーン栽培のあとで、除草剤耐性を持った種が畑に残ったら、

翌年の大豆では、それは除草剤が効かない雑草と化してしまう。

そこで牛を放せば、種子や草をクリーンアップするフィルターの役割を果たしてくれる。

牛は肉だけでなく、肥料も生産してくれる。

彼の牛は、輪作体系に組み込まれた貴重な役割を負っているのだ。

経営はあくまでも合理的で、しかも持続性を意識して計算されている。

 

周りの農家はほとんどGMコーンに切り替わって、しかも連作に走っている。

すでにケントの考え方自体が変わりものになってきているらしい。

 

一方で、組み換え技術の進化 (?) は加速度を増していて、

最初は除草剤 (例えばラウンドアップ) 耐性、あるいは殺虫毒素といった

1品種に1因子の導入だったものが、それらの組み合わせが進み、

今では4種類の因子が組み込まれているものが出回ってきているという。

たかが10数年の歴史で、である。

しかし生命とは常に多様性に向かうがために、

自然の対応能力も追っかけながらついてゆくことになる。

以前にも書いたけど、このいたちごっこの行き着く先は、まだ誰も知らない世界だ。

いや、シングルからダブル、そしてトリプル、さらにクワッド(Quad)と、

これほどに早足で進まなければならないほど、

相手 (土壌と生態系のバランス) が壊れてきている、とは言えないだろうか。

 

加えて、コーンは肥料を食う作物だ。

化学肥料の原料も実は枯渇しつつあって、値段も高騰していることを、

彼は慎重に見ている。 

「肥料代は3倍になった。 水質汚染など環境への問題もある。

 使い方に注意が必要だ。」

 

肥料依存度の強い作物を連作しては、エタノール工場に流れてゆく。

その生産効率 (=収益) を支えているのがGMO、遺伝子組み換え作物である。

未来はあるか・・・・・誰も分からない。

 

すみません。 今日はここまで。 明日に続けます。

ケント講座のあと、おなかも空いたし、ということで居酒屋で一杯やる。

職員の質問が延々と続く。 10時を回って、ケントが目をこすり始めた。

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2008年6月 8日

こんなものか・・・では終わらせない。

 

先週は出張に総会と続いて、日記を更新できませんでした。

この間の報告を、つらつらと記しておこうかと思います。

 

まずは6月4日(水)、TBSテレビ 『NEWS 23』 。

2時間の取材 (インタビュー) を受けたわりには、登場は一分弱くらいだったか。

職場の仲間がTV画面から写真を撮ってくれてたので、恥ずかしながら掲載。

ま、こんな感じで。

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話は、穀物の価格高騰の裏で儲けているのは誰か、といった展開で、

投機マネーや穀物メジャーの動きを追いつつ、

しかし莫大な利益を上げている一方で、穀物メジャー・カーギル社にも意外な顔があった。

何と、ノンGMコーンの確保にも動いているのだ。

で、そのカーギル米国本社に招かれた遺伝子組み換えに反対する市民団体があった。

で、私のコメント。

「遺伝子組み換え品種に押される中で、ノンGMを栽培する農民に対して、

 日本には (ノンGMに対する) たしかな需要があることを明確に示す必要があった。」

と、ここまで。 見事に切り取られた。

 

それにしても、流れからして唐突な印象は拭えないし、

この場面の意味するところがちゃんと伝わったかどうかは、かなり心もとない。

穀物メジャーの意外な側面が瞬間的にも映し出されたという点では、

レアな報道にはなったかもしれないが。

 

深夜に、取材された記者さんからメールが入る。

 - 力不足ですが、一瞬でもGMの問題に触れておきたかったんです・・・・・

GM問題はいずれきっちりやりたい、とのことである。

 

一記者に対してあまり過度な期待をかけてはいけないのだろうが、

やる気なら、付き合おうじゃないの。 

懲りないワタシ? 

いや、遺伝子組み換えの問題を少しでも取り上げてくれるなら、

どんな小さな機会だって、たとえフラレるのが分かってたって、受けるつもりだ。

待ちたいと思う。

いや・・・・・このまんまじゃ終わらせない。

 

(すみません。今日はここまでで、後は明日に。)

 



2008年5月30日

今度はTBS-「NEWS 23」

 

『カンブリア宮殿』の余波というか、後始末というか、

これは俺が応えるしかないか、という意見が断続的に寄せられて、

そんな対応がまだ続く中、

性懲りもなく、今度はTBSテレビの取材を受ける。

依頼は平日の夜11時頃に放送されている報道番組「NEWS 23」。

昨年10月にアメリカのカーギル本社を訪ねた話を、

遺伝子組み換えの話とも合わせて、聞きたいと言う。

何と、自分のブログ (10/30~) を見ての取材依頼なのである。

 

なぜ今になって?

来週、ローマで開かれる食糧サミットに合わせて、

食の問題で特集を組むらしい。

その中で、世界最大の穀物メジャー・カーギルを日本の市民団体が訪れたという、

まあ普通あり得ないケースが面白いというか、

何でだよ、と思ったようだ。


そんなわけで、取材前から不安先行での、インタビューとなる。

何たって、世界の穀物を牛耳るとか言われたりするカーギル社に招かれた

「遺伝子組み換えに反対する団体」 という絵が描かれているのだ。

(予め断っておきますが、ちゃんと自腹切っての視察です。)

 

インタビューは2時間に及んだ。

 

「なぜ、カーギルが大地を守る会を招いたと思われるか?」

-実は大地に直接声がかかったわけじゃなくて、ノンGM(非遺伝子組み換え)の
 飼料用コーンを使っている生産者に話が来て、
 その方から「一緒に行かない?」って声がかかったんです。
 ・・・かなりつまらない説明だと自分でも思う。カットかな。

 

「では言葉を変えて、カーギルの戦略はどこにあると思うか?」

-「戦略」というものがあるとすれば、彼らには明確に
 ノンGMのコーンを維持しようとするプロジェクトが存在していて、
 それは思想というより穀物商社としてのビジネス上のリスクヘッジであって、
 それを維持するために、
 アメリカの農民に日本の需要の確かさを伝えようとしての仕掛け
 という意味合いだったと思われる。
 しかし(悲しいことに)日本の企業は実は腰が引けていて、
 多分、日本のなかでノンGMをしっかりと支持する実儒者であれば、
 相手は誰であってもよかったのだ。
 こちらにとっても、遺伝仕組み換え作物に対する姿勢は、
 ただの理念的な反対運動ではなくて、
 何を食べるかの具体的な話である。
 それは誰と誰をどのようにつなげて、
 何を守るのか、というリアリズムでもある。
 その一点において、我々は出会ったのだ。

 

私が強調したかったのは、カーギルがどうのではなく、

昨年の視察で得た最大の収穫は、

「ノンGMコーンを来年も植えるよ」と言ってくれる農民と出会えたということだ。

そのケント・ロックという農民と、日本の下河辺昭二という畜産農家、

そして彼の鶏肉 (北浦シャモ) を食べる消費者までをしっかりとつなげる作業こそが、

私にとっての遺伝子組み換え反対運動での役割だと思っている。

分かってくれただろうか。

 

もちろんカーギルという会社は、GM作物も大量に扱っている巨大企業である。

しかし広大な北米大陸の耕地を、GM一色にさせることの危険性 (リスク) も考えていて、

種屋から農民までのノンGMチェーンを維持させようとしている。

少なくとも私は、その農民は支援しなければならないと思っている。

 

そして話は遺伝子組み換えへの問題へと発展する。

私なりに考える重要な問題点は喋ったつもりだが、

さて、どのように編集されるか。

極めて短い時間で象徴的な話を切り取ってしまうテレビという制約の中で、

あまり多大な期待をしてはいけないのだろう。

ただ誤解されないかだけが心配だ。

 

まあ、あとは先方の判断となる。

放送は6月3日か4日あたりだとか。

 

さて、そんなやり取りしているうちに、噂をすればなんとやら。

ノンGMコーン生産者、ケント・ロックが6月に来日するとの連絡である。

 

大地にもお呼びするつもりで準備に入る。

ひと晩は自慢の「山藤」で、

美味しい和食に下河辺さんのシャモを食べてもらおうと思っている。

 

ケント氏によれば、今年のノンGMコーンの生育も順調だということである。

ありがたい話だ。

 

それから、もうひとつ。

冒頭に書いた、カンブリアの後始末というのは、

やっぱりここでも報告しておきたいと思う。

どうも歯に引っかかった小骨が取れないような気分が続いているので。

農産担当としての言い訳もしたいところがある。

では次回に-。

 



2007年11月17日

GMO-今度はナタネの集まり

 

アメリカ視察レポートで気が抜けたわけではないのだけど、

出張中のブランクに加えて、その後も色んなイベントやら会議やらに出かけ、

溜まった仕事の帳尻合わせをしているうちに、あっという間に一週間が経ってしまった。

日記も、続けるってのはしんどいもんだなぁ、と思うこの頃。

 

とか言いながら、都心の永田町で遺伝子組み換えの緊急集会をやるというので、

今日も出かける。

どうもこのところGMづいてる。

 

今回の緊急テーマは、オーストラリアのナタネである。

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いま日本でのノンGMナタネは、オーストラリアからの輸入に頼っている。

以前はカナダが多かったのだが、カナダはすでにGM国である。

 

そのオーストラリア・ナタネが岐路に立っている。

これまで設定されていたGM作物のモラトリアム(一時停止)が、

州単位での見直し作業が進められているのだ。

 

オーストラリアでモラトリアム政策がとられたのは、

カナダで、種子や花粉の飛散によって純粋な非GMナタネが確保できなくなり、

欧州市場を失ったことに起因する。

 

それが昨年の異常旱魃による不作と、バイオ燃料ブームが追い風になって、

推進派のオーストラリア政府にモンサント社などのバイテク企業が加わって、

各州政府への攻勢と圧力が強まっている。

 

対応の動きは州によって異なっていて、

モラトリアム撤廃(GM推進)の方向で動いている州とモラトリアムを継続すると思われる州

があるが、全体的にはGMへの移行に進む力が優勢のようである。

 

そこで先月、日本の消費者団体がオーストラリアの各州政府に出向き、

GM作物の栽培規制の継続を求める要請文を提出した。

この要請文に署名した団体は155で、その構成人員を数えれば290万人になる。

大地を守る会も名を連ねさせていただいた。

 

署名というのは、それだけのことでしかないのかもしれないが、

それはそれで一定の力を示すものではある。

この日本の消費者団体の要請行動は、オーストラリア国内で大きく報道されたようだ。

何たってオーストラリアにとって日本は、農産物の最大の売り先だから。

 

この日は、要請行動の先頭に立った天笠啓祐さんからの報告に加えて、

オーストラリアの科学者(医学博士)、ジュディ・カーマンさんの講演もあった。

 

そこでは、GM作物の安全性を判断する上での試験データがあまりに少なく、

また試験内容も相当にずさんなものであるという報告がされた。

かつそれらの試験データはほとんどモンサントら企業からのものである。

 

彼女は、よりニュートラルな立場の研究者による安全性試験を行なおうとしたが、

いろんな圧力がかかったと言う。

 

その上で、GM作物そのものの危うさに加えて、

いったん栽培が始まった場合に、非GM作物の確保が困難になる危険性について、

具体的なケースを示しながら訴えた。

 

大地からは、吉田和生生産グループ長が報告。

私のアメリカ・レポートも少し使いながら、

大地が取り組んできた国産飼料による畜産物生産-'THAT'S国産'運動を紹介した。

 

オーストラリアの最新の世論調査では、農民の52%がGM作物反対とのことである。

ここでも推進しているのは、上の人たちと、「経済」なのだ。

 

様々な知恵を絞りながら国内自給力を高め、

かつ国際的な農民と市民のネットワークを作り出す必要がある。

またしても同じ結論で申し訳ないが、プランは練りつつある。

呪文で終わらせないように。

 


さてと、明日から改めて

溜まった写真の整理もしながら、この間の活動を記しておこうと思う。

 



2007年11月10日

米国・コーン視察レポート-エピローグ

 

5回にわたってレポートを続けてしまったが、

改めて読み返せば、書き損じ、書き忘れ、意味不明な表現などが散在されて、

触れてなかった重要な点もある。

いくつかの補足や整理などして、

いったんアメリカ(視察)の '縛り' から開放させていただくことにしたい。

 

まず前提として、細かい数字やデータは省かせていただいた。

ブッシェルあたり何セントといった話をしても面白くないだろうし、

とりあえずは温かいままでのレポートとして、

いまアメリカで進行している動きと、迫りくる危機の感じを

つかんでいただければ、と思って報告したものである。

 

次に、遺伝子組み換え食品に関心を持つ方にとっては気になるところの

重要な問題が未整理のままである。

 

それで、GM作物の安全性についてはどうだったんよ、ってことよね。

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まず、作物の安全性については、ほとんど論議の対象にはならなかった。

というより、正直、できなかった。

 

もちろん、カーギルに遠慮したわけではない。

アメリカでは、特に今回回った中西部では、GMOそのものの安全性は論点にならない。

持っている情報がかけ離れすぎているのだ。

 

こちらでは読もうと思いさえすれば、

天笠啓祐さんの著書はじめ多くの書籍や情報を入手することができるが、

アメリカでは、マイナス情報が流れていない。

ミネアポリスでわずかながら本屋さんを覗く時間があったが、

その手の本は見つけられなかった(英語力の弱さもあるけど)。

 

自由の国・アメリカで、マイナス情報がほとんど流れていない。

こちらに伝わってくる情報では、

アメリカでも多くの科学者がGMOの安全性に異を唱えているはずなのだが......

これ以上の推測は、とりあえず避けておきたい。

 

つまるところ、アメリカ政府が「安全」というお墨付きを与えている以上、「安全」であり、

何を言ってるんだろう、という感じである。

 

敵陣で、正面切って安全性に異議を唱えることもできたのかもしれない。

しかし今回の目的は、状況を踏まえつつ、ノンGM飼料の可能性を探ることにあり、

ただ喧嘩をして、入口で帰って来るわけにはいかなかった。

自分の目でGMとノンGMを見定めてくれる農民を見つける旅でもあったし、

何よりも、我々日本人は自分たちの胃袋を彼らに預けてしまっている関係なのだ。

それなりの仁義は踏まえておかなければならない。

力不足の批判は、甘んじて受ける。

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また、GM品種での農薬の使用量について。

「除草剤や殺虫成分に対する耐性が広がっていて、結果的に農薬の使用量は増えている」

というような情勢分析もあるのだが、現地の答えはどうだったか。

 

生産者からの回答はすべて、「農薬は減った」である。

 

「現時点では」 とした上で、

GMにして農薬の総使用量は減っている、としておくのが妥当かと思う。

 

種代も高いようで、「コストはトントン」という答えもあったが、

コストが同じなら、収量(収入)の高い方が選ばれるのは責められない。

 

確実なことは、モンサント社の除草剤・ラウンドアップの使用量は増えている。

それが前提の品種であるからして、当然といえば当然のことである。

種子の占有率が上がれば除草剤の販売も増える。

農家は選択の余地なく種とセットで特定の除草剤を買わねばならなくなり、

結果として、モンサント社は売上・利益ともに大きく伸ばしている。

(連載(2)で、モンサントは種会社と書いたが、本体は農薬・化学メーカーである)

 

もはや有機農業の道筋とは正反対の方向なのだが、それだけでなく、

農民が主体性(自立と言ってもいい) を失うことの危険性について、

私たちはもっと想像力を逞しくしなけれなばらないのではないか。

私はこの一点だけでも、GM作物には反対しておきたいと思っている。

 

ケントの訪問記(5)で書いた '永続的生産技術の土台' とかの言い回しは、

そういう意味で捉えていただけたらと思う。

自立した農民こそが、生命の命綱である多様性を守る主体になるはずだから。

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もうひとつ補足しておかなければならないのは、耐性である。

その除草成分や殺虫成分に対する耐性をもった動植物の逆襲は、始まっている。

というか、これはGM作物普及の前提となっている。

(5)で触れた「Refuge」の存在で想像いただけると思うが、

殺虫成分を含んだコーンを皆が植えたら、品種として長持ちしないのである。

 

ひっきょう、耐性と品種改良(GMとGMの掛け合わせ)のいたちごっこになる。

そのサイクルは、静かに始まっている。

 

 ※ラウンドアップと耐性の問題については、9月7日の日記も参照いただけると有り難い。

 

加えて、もうひとつ。

BT(殺虫成分)コーンが、アメリカでは「農薬」として登録されているという事実も、

農家はあまりご存知ないようである。

コーン自体が、どこを食べても害虫は死ぬ、というものであるからなのだが、

これをもってしても、通常の育種で作られた他のコーンと「実質的同等」なもの、

という推進派の主張は、どうしても許しがたいものを感じる。

殺虫成分「BT」との同等性だろうが、と言いたい。

「BTタンパク」は人体には無害である -の科学論争は終わってないし

(推進派には「決着のついた話」らしいが)、

「人体」を保証する生態系への影響となれば、それは 「未知数」 の世界である。

どう考えても、「実質的同等」 という論は、科学ではない。

 

どうしても同等と言い張るなら、

勝手に交配してしまった畑に対して特許権の侵害を訴えるというような

野蛮な行動は、慎んでもらいたいものだ。

 

......というような話を、トコトンしたかったのだが、ごめんなさい。

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まあ言い訳はともかくとして、

安全性論争は、長い時間をかけてやるしかない。

しかも専門家相手の科学論争となるがゆえに、

気になるマイナス情報はしっかりつかんで、論戦を挑み続けなければならない。

なぜなら、マイナス情報は '将来へのリスク可能性' を示唆するものだから。

したがってその間は、生産の多様性(経営のリスクヘッジも含めて)と、

消費の選択権は死守しておく必要がある。

「安全である」 からといって 「選択の余地なし」 状態にする権利は誰にもないはずだ。

 

消費の選択ということで言えば、「嫌なものはイヤ」 もまっとうな権利である。

その被害に遭った男性は私も含めて少なくないはずだが、こちらに訴える権利はない。

<大地でひと昔前、「安全で安心な男」 のお墨付きをもらった男がいたが、

 女どもは「いただけない」と言った。理由は安全でも安心でもなかったようだが...>

 

笑い話ではなく、'違和感' というのは大事な判断基準である。自分を守る上で。

大切にした方がいいし、胸を張って言っていいことなのだ。

 

充分な議論はできなかったけど、

対話は始まったばかり。そのとば口は開けた、ということでお許し願いたい。

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ということで、私の米国・コーン視察記をまとめたい。

 

1.餌を含めて原料コーンの値上げは、現状では止められない。

  ノンGMの場合は、IP (分別) コストも含めて考えなければならないし、

  私はケントのノンGMコーン栽培の保証をする覚悟(シグナル)を見せたいと思う。

  最終製品の価格に跳ね返ることも、今はやむを得ない。

  高くなるけど、これが現状である。

  食べものを大切にしたいと思う (国の食料政策とかは別な論議として)。

  
2.GMの攻勢 (エタノール原料もすべてGM-正確には『不分別』-)

  の流れの中で、ノンGMの確保も極めて困難になりつつあるが、

  わずかでも希望があるなら、つなぎとめておきたい。

  将来の安定供給(安定価格)を目指すために。

  そのためにできることを、具体的に模索したい。

 

3.「具体的に」とは、人のつながりをつくることだ。

  そこから始めるしかない。

  たとえば、ケントと下河辺さん、そして消費者が支えあう関係は、

  けっして絵に描いた餅ではなく、実は今もそのように流れているのだけど、

  社会に見えるように、可視化したい。

  反対だけでなく、大地が30数年唱え続けてきた 「提案型運動」 のように。

 

4.そのために協力を惜しまない、と言ってくれる 「人がいる」 以上、

  ここでは、「カーギル」というレッテルで排除してはならない。

  たとえ特殊な付加価値商品(スペシャル・コーン・プログラム)というような位置づけで

  意図されたものであったとしても、その戦略は今の我々には出来えない 「力」 である。

 

  看板(組織)と喧嘩するのは簡単だけど、その向こうに、ノンGMを維持したいと考える、

  たとえばケント・ロックという生身の農民がいて、彼も手をつなぎたがっている。

  応えたいと思う。

 

  看板との喧嘩は、それはそれで不断にやろう。

  カーギルがグローバリズムを推進しているのは間違いのない事実だし。

  その点では、こっちだってたたかう準備はある。

  (ネズミがトラに向かって 「かかってこい!」 と息巻いている図のような気もするが、

   地球の未来への責任の立て方においては、一歩も引く気はない。)

 

5.という意気込みはさておき、日本はすでに相当量のGM作物を受け入れ、食べている。

  その中で、ノンGMの証明を確保しながら、生産に携わってくれている

  多くの生産者・メーカーがいる。

  ノンGMのサプライチェーンを通じての国際的なネットワークは、可能である。

  だって、すでにあって、モノが動いているのだから。

  問題は、人がバラバラに寸断されていて、要所要所で決壊しつつあることだ。

 

6.僕たちは、つながらなければならない。不可視の境界線を越えて。

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「エネルギーの多様化」という旗の下で、

中東への石油依存を減らし、かつまた農家所得の向上と補助金削減の両方を

達成しょうとする、アメリカというしたたかな国。

(しかも輸入バイオエタノールには日本より高い関税をかけている)

 

そこで遺伝子組み換え技術が切り札のように使われている。

 

世界の穀物価格が跳ね上がろうが、自分ところの貯金(石油のこと)は崩さない。

日本の食料品の値段がどうなろうと、それは'アンタの国の問題'である。

非難しても変わることはない。そういう国、というか、世界はそういう状態で動いている。

 

これは、我々の問題である。

 

大地では、ずっと 「国産のものを食べよう」 と訴えてきた。

畜産物でも、牛、豚、鶏、卵で、国産飼料による 「THAT'S国産」 品を実現してきた。

また地域に残る野菜の品種を守ろうと、「とくたろうさん」 というラインアップもある。

これは多様性のオリジン(源)を、シードバンクのような保管庫ではなく、

生産と消費がつながり、当たり前の文化として暮らしの中で育て合うものだ。

 

しかし、どうしても輸入(貿易)に頼らざるを得ない部分はたくさん残っている。

 

つながりたい。

世界中の、種を守る人たちと。

 

いま、そんな思いである。

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これにて米国・コーン視察レポートを終わります。

ちょっと疲れました...。

 



2007年11月 8日

米国・コーン視察レポート(5)

 

乾燥した空気が、冷涼な風となって北から吹いてくる。

紅葉も進んできた10月24日(日本では25日)、私たちは最後の訪問先である

ノンGMコーンの生産者、ケント・ロック氏を訪ねる。

 

ケントの家は、平原ではなく、なだらかな丘陵地帯にあった。

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家の隣には牛舎があり、

10数頭の黒毛の牛に数頭の子牛が集まって、我々を興味深く見ている。

ケントは有畜複合経営なんだ。

 

玄関にはたくさんの猫が、少し冷たい風を除けるように集まって、日向ぼっこしている。

人なつこい。動物好きの家族だ。

 

我々の到着が少し早すぎたのか、お留守のようで、

少し周りをブラブラと見ているうちに、ケントは帰ってきた。

 

挨拶を交わし、まずは家に招かれ、彼の農業経営の説明を受ける。

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彼の耕地面積は2000エーカー(約800ヘクタール)。

この辺りでは標準的な農家らしい。

でも続いて出たセリフが、我々の心をわしづかみする。

 

「しかし、センチュリーコーン農家として特別な農家でありたいと思っている」

 

彼は自身の経営方針や考えを、このように語ってくれた。

 

   色々な作物を作って、一年中色んな仕事があって、

   リスク分散しつつ、リスクを恐れず、リスクは高くとも他の人と違うことをしたい。

 

   持続可能な農業を考えている。子どもたちに良い農地を渡したいんだ。

   良い農地とは、有機物が豊富で、保水力があって、栄養たっぷりな土地のことだ。

   だから面倒でも家畜を飼っている。

 

   色々な作物を作るが、どの土地に何を作ってどう回していくかは、頭の中に入っている。

   センチュリーコーンを来年作付けするほ場も決めている。種も10月1日に発注した。

 

   以前にオーガニック(有機)で大豆を作ったが、検査員の印象が悪かったので、やめた。

   何かのテーマのためにやるのでなく、つながりの見えるもののためにやりたい。

   ただエタノール工場に売っただけではそれで終わり。相手の見える仕事がしたい。

 

   ビジネスとは、人と人が理解し合うことだと思う。

   センチュリーコーンは、人とつながれる。

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ケントにとってセンチュリーコーンとの出会いは、

ポスト・ハーベスト・フリー(収穫後農薬の不使用)の取り組みからで、

自然とGMフリー作物の栽培へと進んだようだ。

97年から作り続けている。

 

   このプログラムに入って、世界的視野で物事を考えるようになった。

   儲かってないが(笑)。

 

ようやく会えた・・・・・

今回のツアーの実りを実感した瞬間である。

 

アメリカの農民にとって、農業は基本的にビジネスである、と聞かされてはいた。

目の前で刻々と変わっていく穀物市況動向の分析と対応は、

たしかに彼らにとって生命線ともいえる重要な要素なのだろう。

 

しかし、もうひとつ、農業の大切な価値を一緒に考える相手が欲しかった。

この感覚が共有できさえすれば、連帯は可能である。

 

ケントだって、他の農家と同様に、GMもノンGMも栽培する。

しかし 「リスク分散のため」 と言いつつも、

ケントの語り口からは、豊かな土壌と農の持続性を守りたいという意思が感じられた。

 

ケント・ロックによる来年のセンチュリーコーンの作付は、

50エーカー × 2ヵ所。約40ヘクタール。

多い、少ない、と論議するところではない。

さっそく、見に行こうじゃないか。

 

これが、今年植えた畑。

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周囲を山林に囲まれて、コンタミ(汚染)の恐れの少ない場所を選んでいる。

それでも隣がGMコーンを植えると聞かされて、作業を変えたと言う。

つまり先方の花粉が飛んできても、こちらは受粉を終了しているように作業体系を早めたのだ。

 

そして、ここが来年植える場所。山の上にある。

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今年は大豆を作った。大豆はGMである。

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ケントは、大豆はノンGMはやれないと言う。

ノンGMの純度の要求が高すぎるというのだ。

輸出先(日本もそう)から求められている純度95%以上(=混入率5%以内)

を維持するには、カーギルに98%以上で納めなければならない。

とても無理だ、リスクが高すぎる、というのが彼の判断である。

 

シェアがある一定の水準を割ると、一気にゼロになる、ということがある。

これは、一人で思うようにはならない話ではある。

しかし、だからといって簡単に 「純度下げても植えろ」 とは、私の口からは言えない。

 

ケントはすでに割り切っているようである。

 

では、センチュリーコーンの未来はどうだろうか。

 

   来年は大丈夫だが、2009年以降、色んなGM品種が出てくる。

   保証はできない。

 

   しかし手はある。

   全米には膨大なコーン生産量があるが、作付面積の20%はノンGMでなければならない

   と政府が決めている。これを使うのだ。

 

20%の決まりとは、虫たちがGMの殺虫成分に耐性をつけるのを遅らせるために、

面積の20%は、refuge(レヒュージ:保護地帯)として別品種を植えろということである。

 

このこと自体が、GM品種のある種の限界性と本質を物語っているのだが、

仮に純度を度外視してそこに植えたとしても、

それではすでに勝負あったということになる。

そこまで農家に考えさせていること自体が、悔しい話である。

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このツアーで何度か訊ねた質問を、ケントにもしてみる。

 

GMとノンGMの収量の差はどれくらいだと計算しているか?

ケントの答えは、1割弱、である。

これまで聞いたところでは決まって、だいたい2割、という数字だった。

 

この検証は、当たり前すぎるほど極めて重要なことなのだが、

2割という数字が仮にここ数年の実績比較から導かれたものであったとしても、

色んな角度での、かつ長いスパンでの比較検証が必要なはずである。

これから先、GM一色で続けられたら、実は本当のことが見えなくなる。

 

必要なのは、農民自身の目による、様々な角度からの ' 違い ' の把握と分析力だろう。

これはゼッタイに残しておかなければならない ' 永続的生産技術 ' の土台だからして。

相手は自然であり、例えば何かの研究データの根拠となる平均的土壌や気候など、

実はどこにも実在してない、と言ってもよい。

その土地で、その土地と栽培品目の関係を見つめ続ける目を枯れさせてはならない。

だからこそ、多様性とか持続性を意識する農民(食糧の作り手)が必要なのであって、

GM一本では何も見えなくなる。

 

自分の実感や分析によって他人と違う 「1割弱」 (あるいは「いや2割半だ」)

と言える農民が、未来のために必要なのだ。

 

北浦シャモの生産者、下河辺さんも嬉しかったようだ。

「ケントの作ったトウモロコシを食べさせてる、って消費者に言えればいいなぁ」

 

『ケントたちセンチュリーコーンの仲間』

ならいいんじゃない、下河辺さん。

 

畑を回った後、近くに住むケントの両親宅に立ち寄る。

お嬢ちゃんたちも一緒にいて、

おばあちゃん(ケントのお母さん)手づくりのアイスクリームとクッキーを頂戴する。

 

柔らかくて優しい甘さのアイスクリームがとても美味しくて、みんなお代わりしている。

 

帰りがけには、残ったクッキーを全~部パックに詰めて、持たせてくれる。

 

おばあちゃんの心は、日本もアメリカも一緒だった。

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希望はあるか? -ある。

しかし宿題は、かなりしんどい。

 

ここにはきっとまた来ることになる

 -そんな予感を抱きながら、収穫期を終えつつあるコーンベルトをあとにする。

 

おおーい、しもこうべさ~ん、帰るよー!

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2007年11月 7日

米国・コーン視察レポート(4)

 

ワゴンのレンタカー車2台に分譲した我々は、さらに走る。


北海道の生産地帯を10倍、あるいは数10倍に拡大したような風景が続く。

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途中いたるところで目についた、細長~い装置。


潅水用の機械だそうだ。これで水を撒く。


片翼100メートル以上はある。何もかもがデカい国だ。

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次なる目的地は、コーンの集荷センター(カントリー・エレベーター)である。


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南イリノイ地帯のセンチュリー・コーンが集まるセンターを駆け足で回る。

 

そのひとつ、

シカゴから250マイル(約400km)南、セントルイスから北に200マイル(約320km)

の位置にあるベアーズタウンのセンターでレクチャーを受ける。

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この地域の概況を、地図を広げて説明してくれたのは、

所長のボブ・ヘイル氏(写真左)。

西部劇の舞台から飛び出してきたような陽気なオッサン(失礼)だが、

ここでの現場たたき上げらしい。

カーギル本社で講義してくれたスペシャリティ・プログラム開発マネージャー、

Mr.リックもボブの元で修行を積んだとのこと。

 

ここイリノイは、巨大な水がめの上にある。

水が枯れたことはない。灌漑設備も網羅されている。

スィートコーン、ポップコーン、ジャガイモ、野菜、その他エトセトラ、何でも作れる。

 

ボブは、同席していた若い生産者を紹介し、

彼らのお祖父さんの代から付き合っている、と胸を張った。

ここら辺の農家は、だいたい3代目か4代目らしい。

つまり開拓時代から、ボブはこの地域のコーン農家を見続けてきたというわけだ。

先にも書いたが、センチュリーコーンの95%は農家から直接買い取っている。

 

現場最前線の長が、朗らかに農家との絆を自慢できるというのは、

素敵なことだと思う。

基本的に利害や思惑の対立する関係となってしまう経済構造の中で、

厳しいだけでは誰もついてこなくなる、甘いだけでは組織が持たない、

もたれあうことは不可能だし、嘘をつき合っては続かない。

カーギルという巨大企業の '生きた集団の一面' として受け止めておこう。

 

こういうカントリー・エレベーターがイリノイ川に沿って、4ヵ所。

エレベーターは艀(はしけ)渡しと直結している。

ここから1500トンの積荷能力を持つ艀が、川を伝って運ばれる。

この川はミシシッピ川につながっている。

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しかし今の現実の状況となると、話は生々しい。

コーンも高ければ、燃料代も運賃もまた史上最高だという。

 

生産者(ライアンさんと言ったか。上記写真の右端の方)は、

いま農地を拡大中だが、地代も高騰を続けているらしい。

種の話も厳しい。

ここ1-2年で、最初からGM処理したものばかりになってきている。

数年でノンGM種子はなくなるのではないか...

 

色々と聞かされたGMとノンGMの比較整理や考察は最後にトライするとして、

次に進もう。

今度は、種子会社を訪問する。

 

イリノイからミズーリ州をエリアとして種を販売する、

こちらも今が3代目というBURRUS社。

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品種開発の難しさが語られ、

種の交雑を避けるための周辺の土地調査と汚染防止を徹底した、

BURRUS QUALITY 純度99.5%の種が彼らの誇りとなっている。

 

しかしここでも、やはりGMの勢いを見せられるばかり。

2002年に86%あったノンGMのシェアは、今年は26%まで落ちている。

ノンGMは契約のものだけが残っている状態で、自由に買えるものはなくなった、と。

 

それでも彼らは迷いもなく思っているのだ。

「農家のニーズに合わせて良質な種を用意し、

彼らの経営の発展を支えることが、我々種子会社の使命である」

言葉に自信すら感じさせる。

 

ならば、と聞く。

農業は、天候や相場やその年の気象条件との品種適性など様々なリスクを抱えていて、

それらを想定しての経営上のリスクヘッジを支えるためにも、

ノンGMも含めた品種の多様性を維持しておくのが、種屋こその任務ではないか?

 

意味は充分理解されているようだったが、

残念ながら、私には頷ける回答ではなかった。

 

アメリカ国内の各地で、種会社が潰れるか、統合されていっている。

GM技術は、モンサント含む3社による支配状態にあって、

地方で農家のために頑張っているBURRUS社のような会社においても、

GMの種のシェアを上げないとやってゆけないのが現実となっているのだろう。

種を回す際に相応の圧力がかかってきていることも推測される。

 

単一化してゆく社会は、危険である。

もともとアブナイ国だとは思ってるけど。

 

それにしても、

こういう地方の中堅種会社を回ってノンGMの確保を追求しているカーギル社という図は、

けっこう珍しいレポートになっているような気がしないでもない。

あいつも乗せられたか、というありがちな声が聞こえてきそうだが、

それは最後まで読んでからにして欲しい (早く書け!ってか)。

 

収穫を終えたコーン畑。

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車中から見た、コーンの収穫風景。

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みんな誰だって、お金の計算だけで生きているはずはないのだが、

現実は何かに支配され、追いまくられている。

収穫の歓びというやつが、何処の国からも奪われていっているような気がしてならない。

 

長々と話を続けてしまったけど、

最後に生のアメリカ農民を紹介して、まとめに入りたい。

 



2007年11月 6日

米国・コーン視察レポート(3)

 

あれやこれやと動き回れば回るほど、休みは消え、肉体は鈍重になり、仕事は溜まる。

ブログのネタも増えるけど、書く時間はなくなる。

それでもって 「好きなことして」 とか言われた日にゃ、一瞬にして "キレる中年" となる。

......と、泣き言というか言い訳から始めて、米国視察報告を再開します。

とにかくこれを終えないと次に進めないし。

 

10月22日(日本では23日)、

カーギル本社でのレクチャーと情勢分析を終えた我々は、

ミネアポリスから飛行機で1時間半ばかり、イリノイ州ペオリアへと飛んだ。

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しかし、この飛行機が30人乗りほどの、ちょっと古っぽい感じで、

一人しかいない長身の女性客室乗務員が身を屈めて細い通路を歩くようなやつ。

 

しかもチケットでは窓際のシートのはずだったのに、

そこには1.5席分くらいのサイズのお姉さまが先に陣取っていて、

こちらを見て立つわけでもなく、堂々と座席を指差しながら何やら早口で聞いてくる。

こっちに座ってても良いかしら?-とか伺ってくれているのかと勝手に想像して、

「OK,OK」と応えたら、ハーッハッハーと笑い出す。

もしかして、「アタイの膝の上にでもどう?」 とか誘ってくれてたんだろうか。

尻に敷かれた気分でずっとちぢこまって、

機体が傾いた時に、なるべく目を合わせないようにしながら景色を垣間見る。

ボクは・・・・・この大陸の色あいを上空から確かめたかったんだ。

でもジャンボなお姉さまは、そんないたいけな外国人の気持ちなどお構いなく、

雑誌の女性モデルの写真を食い入るように眺め、私の視界を塞ぐのだった。

しょうがないから、哲学者のように掌を顔にあて、眠ったふりをする。

こんな飛行機では、本を読む気にもならない。

時折、空を飛んでるという実感というか緊張感が、睡魔を凌いで迫ってくる。

 

ま、そんな話はどうでもいいとして(今日は愚痴っぽい)、ペオリアである。

 

夕刻、空港に降り立った時は、冷たい雨だった。

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その日はペオリア泊。
翌日は快晴。

レンタカーでホテルから約1時間突っ走り、

イリノイ州南部に建設中のエタノール工場を視る。

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この工場は地元260軒の農家の共同出資によって作られ、

協同組合の方式で運営される。

出資農家は一定量の原料供給義務を負うことになる。

 

建設費は125万ドル(この数字のメモはちょっと怪しい)。

だいたい1~3%が国からの補助金。

加えて地元からの雇用によって州からも助成される。

 

2003年から計画がスタートし、昨年10月に工事が着工。

ほぼ95%まで完成し、12月に稼動予定。

生産量は1億4500万リットル。相当するコーン原料は約30万トン。

 

生産効率としては、1トンの原料コーンの3分の1がエタノールに変わり、

3分の1が搾りカス、残りはCO2となって放出される、という説明。

エネルギー源は、くず石炭。

地域一帯が石炭鉱床の上にあり、潤沢に手に入るのだそうだ。

 

要するに、これは代替エネルギー政策には貢献できるのだろうが、

CO2とか温暖化対策と連動しているものではない。

まあ、京都議定書を批准しない国なのであるから、彼ら的には矛盾はないのだ。

 

野積みされたコーンの山。

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水分含有量が増えてもドライアイスを使って調整可能なので、コーン自体の規格は緩い。

 

前にも書いたが、問題はこれからである。

原料コーン価格の上昇に加え、エタノール価格の下落がすでに予想され、

いま新規に建設されている工場はほとんど採算割れを起こすのではないか、

との懸念が計算されつつある。

建設を止めて様子見に入った工場もあるらしい。

 

エタノール工場の建設には、カーギル社も資金的支援をしていると聞いているが...

と質問してみる。

 

それは農家が建設資金を調達するのに頼まれて '信用' を提供するレベルだと言う。

彼らにとって、あくまでも本脈は農家とのパイプであって、

エタノール景気は穀物価格との関連で冷徹に分析されている。

 

いずれにしても、この結果というか、次の段階は、

わりと早いうちに見られるかもしれない。

 

(続く)

 

こんなふうに細切れで、連載のように続くことをお許しください。

 



2007年10月31日

米国・コーン視察レポート(2)-カーギル本社から(続)

 

≪昨日から続く≫

コーンの需給は楽観できない。

アメリカが大豊作なので持っているが、

世界全体でのコーンのストック(期末在庫)率は13%あたりで、

じわじわと下降線を辿っている。

一か月分の需要量に相当する10%を切ると危険域に入るとMr.クリスは言う。

 

需給と価格の関係は、1%足りなくなれば1%価格が上がるというものではない。

1%の緊張感は、モノと状況・条件によっては10%単位レベルでの価格変動を生む。

私自身、1993年のコメ・パニックは忘れられない記憶としてあるところだ。

 

もうひとつ当たり前のこととして、

熱帯(亜熱帯も能力的には含む)のコメを除いて、

基本的に穀物は年1作の収穫で一年分を賄う作物であることを忘れてはならない。

不作の年は、必ずある。

 

さて、カーギル本社での説明と個人的感想をこうして並べていくよりも、

むしろ現場の絵をお見せしながら、解説を挟んでいった方が分かりやすいかもしれない。

 

大事なN(ノン)-GMの「センチュリーコーン」についての要点を頭に入れてもらった上で、

現場に向かうことにしましょうか。

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建物の中から風景を眺めるだけでなく、広大なコーンベルトに。


我々の今回の目的であるN‐GMセンチュリーコーンについては、

とりあえず以下のようにポイントを整理しておきたい。

 

1.飼料用トウモロコシである 「センチュリーコーン」 は単一の品種ではなく、

  N-GM品種のラインアップ、つまりブランドのようなものである。

 

2.それはカーギルの製品ではなく、ある種苗会社が持っている。

 

3.アメリカ中西部-コーンベルト地帯において、猛烈な勢いで増えているGM品種は、

  種会社・モンサント社の戦略によるところが大きい。

  モンサント社は、来年には飼料用コーンをすべてGM品種に統一する方針だという。

 

4.カーギルは穀物を動かす商社であって、種屋ではない。

  かつて保有していた種会社もすでに放棄している。

  それだけ『種』とはリスクの大きい事業なのだ。

  モンサントは優良な種苗会社を買収しながら大きくなっている、というのが実態。

 

5.そんな中で 「センチュリーコーン」 は、カーギル社内では、

  スペシャリティ・プログラム、つまり特別な戦略のもとに位置づけられていて、

  その維持と安定を、彼らは模索している。

  「センチュリーコーン」の種会社との交渉も、粘り強く続けているらしい。

 

カーギルの強みはただ強力な世界情報網と市場戦略だけでなく、

意外と(失礼) 「農家との関係を大切にする」スピリッツを自慢とする、

そんな企業風土がまだ残っていて、

市場レートで大事な傘下の農民が損をしないような調整も欠かさない、と胸を張る。

 

「センチュリーコーンは、95%まで農家から直接カーギルが買い取ってます。

 だから誰がどこで作っているのかが、ほとんど把握できている。」

 

というのが、カーギルジャパン・堀江氏の説明である。

だからN-GMの生産者も一人一人案内できるし、

N-GM生産者の情報交換を密にするための情報誌まで発行している。

 

しかし、とはいえ、である。

先に見たコーンの市場動向の中で、

センチュリーコーンの維持は極めて困難になってきており、

日本のN-GM需要に対応できるかは、

金銭的インセンティブ(経費保証という意味でのプレミアム)の明確な提示も含めて、

「覚悟のいる」(堀江氏の弁)局面にきているのである。

 

我々はそんな渦中に連れてこられたのである。

ご理解いただけるだろうか。

 

日本人の、ノンGMに対する決意を農民に示してほしい。

 

日本に需要があるなら、ではなく、立場は逆である。

日本国内でGM反対を唱えるのとは異なる、リアリティを持ったシグナルが必要、

というわけだ。

 

カーギル社は、まぎれもなくモンサントとタッグを組んでGM作物を広めている会社であるが、

一方で、そのリスク・ヘッジは冷静に判断されていて、

需要さえ確保できるなら (むしろそれを喚起してでも) 、

N-GMは確保しておくべき物資として担保しようとしている。

 

現場は実に具体的で、明確な意思表示を求め合う、たたかいの場であった。

 

それを感じたくて来たのではあるけれど、

今回は、恥ずかしながら、我々の方が励まされたところがある。

 

山脈の向こうの伏魔殿のような存在としてあった 「カーギル」 という名前だったが、

正直に吐露すれば、どんな企業も生身の人間で構成されている、という

言わずもがなの真理をここでも実感できた、という心境である。

 

たとえどんなに頑張っても及ばない力関係が存在しようとも、

批判は批判としてたたかう気持ちはある。

しかし実際に現地で、ノンGMの種を維持しようとしている'彼ら' がいて、

こちらもその '人' の存在に頼らざるをえない関係を目の当たりにすれば、

問題は、敵ではなく、自分自身の具体的な決意であることを、改めて知らされるのであった。

 

そんな心持ちで、シャトーを後にする。

心境は心境として置いといて、もちろん記念撮影は欠かさず-

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(左から2番目がエビです)

 



2007年10月30日

米国・コーン視察レポート(1)-カーギル本社から

 

さてと、時差ボケも何とか落ち着いてきたところで、

アメリカでのトウモロコシ(以下、コーン)生産現場の視察報告とまいります。

 

日程は10月21日から26日の、5泊6日(うち一泊は機中泊)。

一行は、Non-GM(非遺伝子組み換え、以下N-GMと略す)の飼料用コーン・ブランドである

「センチュリーコーン」 を実際に使っている生産者2名を含む6名。

うち1名は「北浦シャモ」の生産者、下河辺昭二さん。


今回の視察は、実は下河辺さんからのお誘いだった。

 

出入国の手配から現地ガイドまで通してお世話になったのが、

カーギル・ジャパン穀物油脂本部の堀江さんと高橋さんのお二人。

 

では、まずはミネソタ州ミネアポリス郊外にあるカーギル本社訪問から。

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世界66カ国に販売組織を有し、従業員の数は15万8千人。

年商750億ドル(≒約9兆円。ちなみに07年は880億ドルを見込んでいる)は、

非上場企業では世界最大の売上高を誇る。

独自の人工衛星まで持って、世界の情勢分析を怠らない、

まさにアメリカの穀物戦略を担うメジャー中のメジャーである。

 

その本社は、日本でいえば軽井沢の別荘地のような、

しっとりと落ち着いた、紅葉も見ごろの森の中にあった。

 

別名 「シャトー」 とも呼ばれる、これが本社の外観。

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昔の大富豪から買い取ったものだという。

廊下の一角に、建物の模型が置かれている。

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邸宅を改造したものなので、間取りもそのまま残されている部分がある。

最近までここも事務所として皆が働いていたという部屋。

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すごいね。

この写真の時だけは、OKが出るのに一瞬の間があった。

たしかにこういうのは人に見せびらかすものではないし、

こちらもあんまり品のいい振る舞いではないように思う (でも撮っちゃう)。

広く取ってある受付玄関には、企業ポリシーが掲げられている。

日本語で、こうある。

「人々の食生活と健やかな暮らしをはぐくむ」

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さて、羨むような写真を並べても空しくなるばかりなので、次に進む。

我々は役員棟の会議室に案内され、

カーギル社の概況や、アメリカでのコーン生産の現状について説明を受ける。

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説明してくれたのは、

スペシャリティ・プログラム開発マネージャー、クリス・ラドウィッグ氏。

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様々なデータによって、

コーン価格の急騰やバイオエタノールの急激な増産状況などが示される。

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五大湖の南側を東から西へ、

オハイオ、インディアナ、イリノイ、アイオワ、ネブラスカといった各州に広がる

ベルト状の地域を、コーン・ベルト地帯と呼ぶ。

 

このコーン産地で、さらに急激にコーンの作付けが増大している。

06年の8000万エーカーから、07年は9300万エーカー(※)にまで増えた。

 

背景には、国策として進められているエタノール生産がある。

そこには政府や州からの補助金が落ちる。

コーンベルト地帯に重なって、どんどんエタノール工場が建設されている。

 

すでに国が予定した数字の倍近いエタノール生産量に達しているそうだ。

そして今年、ついにエタノール原料に回るコーン量が輸出量を上回った。

いま建設中のエタノール工場の半分が稼動すれば、

アメリカ国内で必要な飼料の量に匹敵する量が燃料用に回ることになる。

 

まさにレスター・ブラウンの言っていた

「ガソリンスタンドとスーパーマーケットが穀物を奪い合う」 様相である。

 

当然のことながら、コーン価格は激しく急騰しているわけだが、

それに拍車をかけているのが、アジアの巨大な胃袋-中国の輸入である。

 

コーン価格の高騰 (+エネルギー政策からの補助金) は、

コーン生産農家に支払われていた農業補助金を不要にさせるまでに至っており、

これでアメリカは、WTOの農業交渉でさらに優位に立つことになる。

「農業補助金の削減」を実現した国として、圧力はますます過激になるだろう。

 

この流れは、GMかN‐GMかに関係なく共通することだが、

現状ではGMとN‐GMの収量には差があって、生産者は今、

なだれを打ってGM品種への作付けに移行している (その辺は、あとで詳述)。

 

加えて、中国が輸入国に転じたことで、

中国からの輸出に依存していた韓国が買い付けにやってきた。

韓国は、N‐GM品種の確保では金をいとわず、高値で買い取っていっている。

ここでも日本が競り負けているわけだが、

作付けの減少+韓国の参入=需給の逼迫 ⇒N‐GM価格高騰

という図式があっという間に出来上がってしまった。

 

貿易の自由化推進論者は、外交と円の力で安い食料は安定的に手に入ると

豪語するが、果たして何を見て仰っているのだろう。

卵や鶏肉の餌というベーシックなところで敗北しつつあるのだが・・・。

おそらくは、そう言い切らないとご自身の論が成立しないからなのではないか。

しかも穀物を輸出できる国は限られているというのに。

この状況はまた、

「高品質の産物はアジアのお金持ちに売って、国内は安さで勝負する国」

と揶揄されつつある今の構造すら、危うくさせることになるだろう。

 

そしてもっと怖いのは、

急激な需要増を賄っているのは作付け面積の増加だけでなく、

ここ数年、アメリカのコーンが豊作で推移してきたことによる、ということだ。

しかも作付増は、大豆からの移行が大きい、ときている。

大豆の動きもまた、日本にとってはとても危険な話である。

 

けっして穀物は余ってはいない。

 

カーギルは、これら 「エタノール景気」の見込みや

需給の油断ならない状況を冷静に読んでいる。

 

すみません。終わりませんね。

今日は時間切れ。明日に続く、とさせてください。

 

(※)1エーカーは約4047㎡。

   数字を聞いて、下河辺さんは 「約4反か」 と換算した。僕もそれで覚えることができた。



2007年10月20日

カーギルとIPコーン視察

 

先週のネタがまだ2本ほどあったのに、もう週末。

しかも後半は、来週の仕事もいくつか前倒しでやっておかなければならず、

どうにも書く時間が取れずじまいとなってしまった。

 

というのも、明日(21日)から26日まで、アメリカなのです。


行き先は、ミネソタ州ミネアポリス。

そこで、かの世界の穀物メジャー (わたくしふうに言えば、帝国主義の牙城)、

カーギルの本社に出向き、

バイオエタノール増産などによって急騰するトウモロコシの生産状況を聞きとり、

イリノイ州からアイオワ州と回って、

Non-GM(非遺伝子組み換え)コーンの生産現地を訪ねてきます。

 

カーギルといえば、

種子会社のモンサント社とタッグを組んで、GM作物を世界中にばら撒いている会社、

というのが我々の一致する認識なのだけれど、一方で、

Non-GMの飼料用コーンもまた、彼らの手のなかにある、のです。

 

アメリカの農家はだいたいが合理主義的なビジネスマンであって、

彼らは、どちらがより儲かるかで種子を選択するのだそうだ (カーギルジャパンの方の説明)。

ちゃんとプレミアムがつけば、Non-GMも作る。

実際に多くの農家が、GMもNon-GMも両方作っている、とのこと。

なので今回の視察も、正確には、Non-GMコーンというより、

IP(分別)コーンの視察ということになります。

 

そんな日本人の胃袋を牛耳るお国で、いま、コーン価格が急騰していて、

農民はどんどん収益性の高いGMコーンへと、なだれ現象が起きている。

Non-GMコーンの確保は、断崖絶壁状態へと追い詰められつつあるのです。

 

さて、どこまで見てこれるか、行ってみないと分からないけど、

カーギル社が案内してくれる、というので、見に行ってきます。

 


と、そんなわけで前夜にバタバタと荷造りしながらTVをつけると、

NHKで 「日本の、これから-どうする?私たちの主食」 なる討論会をやっている。

 

後半しか観れなかったけど、どうも皆さん少し興奮気味で (こういう番組ではありがち、

しかもどれも何かが欠けているような印象。

 

何よそれ?-と思ったのは、前に座っていた経済学者の「規模拡大」論でした。

この人の規模拡大とは、たんに経営面積の増大という意味以上のものではないようで、

ちょっと噴飯モノの感あり。

 

ま、いずれ決着をつけなければならないテーマだが、

今はそれどころではない。

現地の天候をどうシミュレートするか、上着をどれにするか、が決まらないのだ。

 

では、みやげ話を乞うご期待、
ということで、一週間ほどお休みします。

 



2007年9月 7日

GMO(遺伝子組み換え作物)-もうひとつの視点

 

GMOに関するひとつのレポートをキャッチした。

つくばにある独立行政法人・農業環境技術研究所発行の

定期情報 「農業と環境」(№89/07年9月号) から。

 

独自の試験研究の発表ではなく、海外の研究発表に対する短い評論だが、

以前から 'こういう視点からの批評は出ないものか' と思っていた、

その観点からの論評なので、紹介しておきたい。

 

ひと言でいえば、遺伝子組み換え作物そのものの安全性とは別に、

その栽培体系からくる問題点があるのではないか、という疑問である。

専門家の指摘が欲しい、とずっと思っていたのだが、

浅学ゆえに、その手の論を見つけられずにいた。

 

以下、解説を含めながら要約すると-


1995年、

「Btトウモロコシの花粉でオオカバマダラ(蝶)の幼虫が死ぬ」

という記事が科学雑誌 Nature に掲載され、

その真偽や実験の正確さ、指摘されたリスクの評価などをめぐって、

推進派・反対派入り乱れて論争になった。

今でも反対派はこのデータを活用し、推進派は稚拙な実験で参考にはならない、とこき下ろす。

 

本論考でさらっと触れられているのは、こういうこと。

 

「そもそも、オオカバマダラの幼虫の餌となるトウワタは、

トウモロコシ畑の周辺だけでなく広い範囲に分布している雑草」で、

現実的には 「畑や周辺では多くの蝶が農薬で死んでいたはず」 として、

害虫防除に携わる多くの応用昆虫研究者は

「なんでそんなに大騒ぎするのか?」 と冷静だった、と。

 

「Btトウモロコシの花粉より、除草剤耐性ダイズやトウモロコシの普及によって、

畑内や周辺のトウワタが全部枯れるだろうから、

そちらの方がオオカバマダラ集団にとって影響が大きいのではないか?」

 

同様の研究報告がフロリダ大学昆虫線虫学会からも出されているとのこと。

 

除草剤耐性作物の普及とは、すなわち「非選択性除草剤の使用頻度の増加」 である。

 

たとえば、除草剤・ラウンドアップを撒いても枯れない(除草剤耐性)大豆は、

ラウンドアップという除草剤とセットになることで存在価値が発揮される。

除草剤というのは通常、選択性(枯らす植物が特定されている)だが、

ラウンドアップは大豆以外の雑草をすべて(非選択的に)枯らす。

そのことで労働力の削減や生産性の向上が謳われるわけだが、

一方で、こういう現実が進んでいるのである。

 

「ダイズやセイヨウナタネでは、除草剤耐性作物の普及によって、広い面積規模で

雑草管理(除草)の方法が変化したのは事実であり、

「組み換え作物、善か悪か?」という視点ではなく、栽培管理体系の変化に伴う

農耕地生態系における生物相の変化という観点からの報告が

北米や南米から多数出てくることが期待される。」

 

ずいぶんと客観かつ冷静である。

 

つまり、

『非選択性除草剤の増加がもたらす、生物多様性への影響』

という視点での調査あるいは研究が未だに少ないことの問題が、

率直に、簡潔に指摘されているのである。

 

そうなんだよ。だから言ってんだよ! -と言いたくなった次第である。

 

ちなみに、

「遺伝子組み換えした作物は、従来の品種改良して開発された作物と安全性は同じ」

という論に使われる 『実質的同等性』 という言葉があるが、

この点に関しては、気鋭の分子生物学者である福岡伸一さん(青山学院大学教授)が、

その著書 『もう牛を食べても安心か』(文春新書) の中で、

専門家の立場から明確に述べられているので、ちょっと長いけど紹介しておきたい。

 

  よく聞かされる議論の一つに、遺伝子組み換えは品種改良と何ら変わりがない、

  というものがある。品種改良は人類がずっと昔から営んできた自然に対する技術であり、

  私たちはその恩恵に浴し、その安全性を確認している。だから遺伝子組み換えを危険視

  する理由は何もないのだ。むしろ、品種改良がやってきたまどろっこしい試行錯誤を、

  ずっと合目的的に、効率的に、いわばピンポイント的に成し遂げるのが遺伝子組み換え

  なのである。そういう言い分である。

 

  語るに落ちるとはまさにこのことである。ずっと合目的的、ずっと効果的に行なうがゆえ

  に、その反作用の行方をじっくり見極めなければならないのだ。

  品種改良は、そのまどろっこしさゆえに時間による試練と選抜を潜り抜けているのだ。

  優れた品種を掛け合わせても、意図したような相乗効果がただちにもたらされないのは

  生命系の持つ様々な要素の相互作用と平衡の落ち着き先が、そのような場所、つまり

  人類にとって都合のよい場所には成立しないということを示している。

  ~(中略)~ 遺伝子組み換え操作の評価を、実質的同等性に求めることは、この陥穽

  に足をとられるということなのだ。

 

これ以上の説明はいらないかと思う。

GMOには、「慎重に考えるべきこと(組み換え技術の普及に対して)」 と

「今進んでいる危機(生態系への影響)」 が表裏として存在しているのだが、

どうも前者にかかわる試験研究に対する科学論争のみの土俵に、

反対派も陥っているフシがある。

 

研究所のレポートは、後段でまた別の問題点を提示しているのだが、

それはまたの機会にしたい。

私自身のGMOへの論点も、まだ他にあるので。

 



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