あんしんはしんどい日記: 2009年2月アーカイブ

2009年2月 8日

きのこが循環を支えるのだ ‐ 新年会・群馬編 ‐

 

続いて産地新年会・群馬編を。

2月5日(木)、場所は群馬県前橋市三夜沢町。

赤城山南麓、赤城神社参道口の脇に構えられた三夜沢きのこ園

-会社名は 「自然耕房 (じねんこうぼう) 株式会社」 にて開催。

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左が事務所。 右が直売店、その奥が舞茸(マイタケ) の栽培施設。

ここに群馬各地から37名の生産者が参集。

ジャンルも、米、野菜、養豚、こんにゃく、梅、花、大麦、そしてきのこ、

とバラエティに富んでいる。

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例によって藤田会長の開会挨拶から。

今年の新年会の挨拶となれば、やっぱり世界経済から始めざるを得ない。

100年に一度といわれる世界同時不況の波。

名だたる大企業が次から次へとリストラに走る時代になってしまったが、

これは価値観を変えるべき時代に入っているということでもある。

若者たちを元気づけられる社会につくり直さなければならない。

それには農業の活性化が必要だ。

有機農業を先進的に担ってきた皆さんと一緒に、今年もその先陣を走りたい-。

1月早々にキューバの有機農業を視察してきた話も今年のネタのひとつであるが、

この話はいずれ改めて取り上げたいと思っている。

 


続いて、今回の幹事を引き受けてくれた自然耕房代表の佐藤英久さんから

挨拶と会社概要の説明がある。

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佐藤さんは、前身は冷蔵設備の仕事をされていた方なのだが、

とにかく自然循環に関わる仕事をしたいと、

1995年、きのこ栽培を主体にした今の会社を立ち上げた。

準備資金ゼロ、公庫からの借り入れだけでスタートして13年。

「あと1年で、何とか自分が思い描いていた形が出来上がる」

というところまで漕ぎつけた。

その資金繰りというか、いろんな名目の融資を利用しながら綱渡りで会社を大きくしてきた

経過は、並みの苦労ではなかったようだ。 詳細は伏せておくが、

「とにかくちゃんと返済さえやってれば、お金は借りられるんです」

と佐藤さんは胸を張っている。

13年で社員118名。 半分近くが60歳以上。

設立時からのメンバーの中には、80歳を超えてなお現役で働いている人もいるとか。

障害者の雇用も積極的に受け入れている。

 

佐藤さんが描く循環とは、こんな形である。

広葉樹の山から原木が伐り出され、しいたけ栽培に使われる。

役目を終えた原木は、オガ粉にして、今度はマイタケの菌床として利用される。

マイタケをとったあとは、さらにヒラタケ属やいろんなきのこの菌床として再利用され、

最後には堆肥となって土に還る。

山もいずれ野生のきのこが生える森にしていきたいと考えている。

大地の循環とともに生きる、と佐藤さんは何度も口にした。

 

これが舞茸の菌床。

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栽培室は大量の自然光が取り入れられる構造になっていて、

太陽光自動追尾式のシステムによって、クリーンで自給型のエネルギー利用に努めている。

一切の薬剤を使わず、仮に何かの有害な菌が発生した場合は、

「徹底的に掃除する。とにかく掃除です。」

 

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香り、味、歯ごたえ、ともに佐藤さん自慢のマイタケ。

 

廃菌床のリサイクルセンター。

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培地は、循環システムの中でふたたびきのこ栽培の原料となり、あるいは

畜産農家での利用、そして堆肥となって土に還る。

袋は自社の燃料に。 目指せ、ゼロエミッションというわけだ。

 

順番が逆になってしまったが、しいたけの原木栽培。

こんなふうにホタ木が組まれている。

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しいたけもよく見ると、可愛いもんだね。 

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会議室に戻って、今度は有機農業をめぐる情勢について、私から報告させていただく。

有機農業推進法の成立と、推進のためのモデルタウン事業が始まったこと。

その動きを後押しした 『農を変えたい!全国運動』 の展開。

農を変えたい運動からは、有機農業の技術の確立に向けたネットワーク組織も

生まれてきていること。

この運動をさらに大きく、かつそれぞれの地域で活かせられるように育てていきたい。

 

群馬でモデルタウンに指定されたくらぶち草の会の代表、佐藤茂さんにも

当地での進み具合を報告してもらう。

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しかしこのモデルタウンというヤツは、生産者が単独で進めてはダメで、

地元行政やJAなどとも一緒になって、「地域の取り組み(事業)」 の形に

しなければならない。

それがなかなか厄介で、行政の理解が足りなかったり、歩調が合わないと

やりたいことも一気に進めることができなくなる。

佐藤さんもだいぶ運営に悩んでおられるようだ。

こういうときは、周りの力が大切になる。

佐藤さんのお世話で倉渕に入植した元大地を守る会社員の諸君、

佐藤さんを孤立させないよう、力になってやって欲しい。

 

夜の懇親会は、え~と・・・割愛。

上州赤木温泉郷の秘湯の宿で、いつまでも話は尽きず・・・・・なのでした。

 



2009年2月 6日

新年会は続く -茨城編-

 

2月に入っても産地での新年会は続く。

藤田会長は、「旧暦なら、まだ正月が始まったばかりですから」

と開き直って新年の挨拶をやっている。

まあたしかに、月暦では一昨日(2月4日/月暦1月10日)が

一年の始まりと言われる立春の日ではあるけど。

 

そんなわけで、今週は産地新年会後半のピークとなる。

2月3日(火)は茨城、一日置いて5日(木)は群馬。

ともに県内の生産者合同での、新年の初顔合わせ。

だいぶ疲れも出てしまっているので、それぞれの様子だけでお許しを。

 

茨城編-

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会場は、つくば市の国民宿舎 「つくばね荘」。

参加者39名。


千葉でもお伝えしたように、新年会といっても、ぼくらはただ飲むだけではない。

ここでは、八郷(やさと、現石岡市)で進められている有機農業推進モデルタウンの進捗について、

その事務局を務めるJAやさと総務課長の柴山進さんに報告いただく。

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旧八郷町は、古くから有機農業が盛んで、しかも新規参入者も多くいる地域である。

JAやさとでの野菜の販売額の20%が、有機農産物で占めている。

有機農業では全国区と言える著名な先進地区なのだが、

「古くから」 ということは、すでに消費者と直接提携して販路を確保している人も多く、

「いしおか有機農業推進協議会」 として立ち上げたものの、

生産者・消費者・JA・行政(市・県)・学者などで構成される運営委員会も、

足並みを揃えるのは容易ではないようである。

それでも新規就農希望者に対する研修制度や就農支援の体制は、

先達の作られた受け皿もあり、さすがに一日の長があるように思えた。

新旧の担い手がうまく連携できれば、農業だけでなく、地域発展の主体にもなれるはずだ

 -と思うのだが、そこは部外者がテキトーな口を挟むのは慎むべきか。

 

宴会が始まれば、そちこちに議論の輪ができる。

話は栽培技術から始まり、農業経営に仲間づくりでの悩み、それぞれの自己史などなど、

皆、真面目である。

県内合同のメリットは、普段は会うことのない人同士の交流ができることだ。

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米専業で有機JASを取得した下館の大島康司さん(左)と、

つくば・中根グループの野菜農家・井坂光男さん(右)。

 

その中根グループ代表の中根剛さん(左)と、下妻市の柴崎賢さん(右)。 

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大地にどうやってモノ申すか、で相談しあっている ...ってことはないか。 いや、あるかも。 

 

圧巻は、このお二人。

八郷の阿部豊さんと、大阪から新規就農した桑原広明さん。

阿部さんは昨年、新しい仲間として桑原さんを迎え、阿部グループとなった。

このたび、グループの名称を  『 頑固な野良の会 』  とした。

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自作の曲を披露しながら、俺たちを挑発する。

「オレが大地と付き合い始めた頃、

 集荷に来る大地のトラックの幌には " 頑固な八百屋 " って書いてあった。

 オレは今、改めて自分のグループ名を " 頑固な野良の会 " と名づけたから。

 大地にも、 あの頃の精神を忘れるな、と言いたい! 」

 

以前にも書いたけど、阿部ちゃんは今年、有機JASの更新をやめる、と決意した。

僕は了解した。

新しい地平を築くのに、有機JASマークはけっして必要条件ではないから。

でもそれはただやめてもいいよ、という意味ではない。

その向こうのイメージがあってのことである。

ぼくらが目指そうとしている " 大地独自の新しい認証の形 " に

阿部ちゃんは共感を示してくれたから、である。

挑発にはこう応えておきたい。

シンボルマーク (それを最近はみんな " ロゴ " と呼ぶ) は変わっても、

変わってはならないものがあることぐらい知っているから、

お手柔らかに、とは言わないよ。 これからも共に、です。 

 

部屋に戻っても、話は尽きない。

玉造 (現・行方市) の堀田義明さん(右から二人目)、

十王町 (現・日立市) の樫村健司さん(左端) と大地職員の語らい。 

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傍らで、音楽で共鳴しあう連中。

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ステージで桑原さんが演奏していた洗濯板のようなモノは、

「ウォッシュ・ボード」 というまさに洗濯板だったが、れっきとした楽器である。

既成の楽器を買えない黒人たちが、身近にあるものを使って演奏の道具にしたのだ。

頑固な野良の会にウォッシュ・ボードか-

 

ジャズにブルースにフォークに・・・・・音楽もまた人をつなぐ。

宿が貸し切り状態だったので、助かった。

 



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