あんしんはしんどい日記: 2009年4月アーカイブ
2009年4月26日
物語は続編に向かうのである。
先日(20日) の日記で紹介した 『それでも、世界一の米を作る』 の、
続きのような話。
福島・稲田の伊藤俊彦さんから、
奥野修司さんの出版を祝って一杯やろうか、という誘いの電話が入ったのだ。
断る利用はもちろんなく、設定したのが24日(金) の夜。
場所は有楽町。 伊藤さんがお店のコンセプトづくりにも関わったという居酒屋。
名前は 「 吟銀 (ぎんぎん) 」 という。
奥野さんに、伊藤さんとお付き合いのある関係諸氏、
そして稲田の関係者など、20名近くが集まって、お祝いの一席が出来上がる。
自然に思い出話が始まる。
「本当のことを言うと、最初はけっこう戸惑いました。
戎谷さんから伊藤さんを紹介されて取材に入ったんだけど、
どうみてもハッタリ臭いんですよ。 ところがその根拠を調べていくうちに、
" いや、伊藤さんの言うことは当たっているかもしれない " なんて思いだして、
のめり込んでいったんですねぇ。」 (奥野:下の写真右)
「いやあ、この人はホント、しつこくて。 だいたいクソ忙しい時に限って来るんだよね。
そんでもって、いつの間にか話し込んだりしちゃってるんだよな。
ジャーナリストってのは、ヤな奴だと思ったよ。」 (伊藤:同左)
それが今、笑いあっている。 ま、6年越しの取材だからね。
いつの間にか奥野氏が取材に入っているのを、
事務所の人も気にとめなくなるほどだったと言う。
それでもって中国まで取材範囲が及んで、今回の労作となった。
こういう形で、自分たちの行為にとどまらず思いまで受け止めて、
背景をも含めて語ってくれたことは、やはり素直に嬉しいものだ。
「いや、取材費用だけでも・・・。 言っとくけど、儲からないですよ、こんな仕事。」
なに? 貧しいの? ますます嬉しくなったりして。
俺たちのたたかいは、まだまだ続く。
奥野さんには、当然ながらこの続編を書く義務がある、なんちゃって盛り上がる。
これからの展開は、各章ごとに新しい登場人物が現れるような話になるはずだ。
そうでなければならない。
・
そんなこんなで酔っ払っちゃった翌日は、春の職員合宿。
今回は、各グループが自部署のビジョンなどをプレゼンするプログラムが用意され、
自分は二日酔いの頭をフル回転させて、声だけは張り上げて、
農産グループの夢などを豪語して、ごまかしたのだった。
用意したキャッチは、キューバの革命家、チェ・ゲバラの言葉を元ネタに、
" 農民が花ならば、オレたちはミツバチになろう! "
- ウケるかと思ったが、他部署のプレゼンのほうが完成度が高く、反応はイマイチで終了。
でもまあ、新生農産グループのPRは若手たちが頑張ってやってくれたので、よしとする。
恒例の新人発表では、歌ありダンスあり、一発芸あり、モップを使っての書の披露から、
海外派遣での体験や大学院時代の研究発表などなど、
それぞれに今時の若者らしい、怖じることのないパフォーマンス。 なかなかである。
そして、すっかりダレた頭で帰還した私を迎えてくれたのは、ブナの若葉だった。
いつの間にか、新しい葉が、まだ淡いけど瑞々しく生え変わっている。
春は若い季節で、思い切って後進に託す部分もあるけれど、
まだまだ老ける歳ではない。
僕らは懲りることなく、新たな荒野を目指さなければならない。
しつこいライターも逃がれられないくらいに。
世界がおかしくなっていく以上、この物語も、終わらせるわけにはいかないんだ。
2009年4月14日
棚田を守る人足(ボランティア)募集
今年もやってきました。
福島県喜多方市山都町の、山間部に張り巡らされた水路-本木上堰 (もときじょうせき)
の堰さらいの作業が、5月4日(月) に行なわれます。
毎年々々、田んぼに水を入れる季節になると、村の人たちが総出で行なう年中行事。
今年も米づくりを始めるぞ、という合図のようなものなのでしょうか。
今年も浅見彰宏さん ( 「あいづ耕人会たべらんしょ」 メンバー) から、
ボランティア募集の連絡が届きました。
この冬は雪が少なかったわりには倒木が多いとのこと。
11月に重い雪が降ったことによるそうです。
みんなの手で、棚田の水路を守る。
そのお手伝いを募集します。
作業は早朝から始まりますので、前日(5月3日) には現地入りしていただきます。
JR磐越西線・山都駅から現地まで送迎します。
到着時間はご都合に合わせていただいて結構ですので、
行程等は時刻表にてご確認ください。
宿泊は地元の公民館で、楽しい前夜祭も用意されます。
4日の作業の後は、温泉に入って交流会。
宿泊もOKだし、お帰りになられても構いません。
営々と数百年にわたって守られてきた山間地の水路は、
たくさんのことを考えさせてくれます。
時に体を休め、棚田を眺めれば、なぜか癒されます。
行ってみようかな、と思われた方。 お気軽に、コメントにてお問い合わせください。
折り返し連絡させていただきます。
参考までに、昨年の様子 → 2008年5月6日の日記 です。
2009年4月10日
新しい年度も試練からですかね、今センセ。
3月中に書かなきゃいけなかった原稿も遅れ遅れになって、
いつものことながら、バタバタしながらの新年度突入となってしまった。
そんでもって、4月から、また新しい試練が押し寄せてきている。
わが農産グループに、営業チームが編入されてきたのだ。
営業チームは、量販店や生協さん、小売店や外食などへの卸し業務を主とする部署で、
3月までは販売企画グループに所属していた。
営業チームが農産グループに再編成された理由は企業秘密とさせていただくとして、
(というほどのこともないけど、説明もややこしいのでここは勿体つけて)、
有機農産物を社会に広げていくのに重要な役割を担っている部署である。
新しい発想を加えながら仕入部門と販売部門の連携をより密にして、
野菜の供給体制を強化させたい、と考えているところである。
そのうちスーパーさんへの営業の話などやり出すかもね。
まあどうせしんどい毎日なら、新しい夢を語れるところまで進んでみたいものだ。
そんな、今年の作戦会議などで忙しい4月9日、
フラッとやってきたのが北海道富良野の騒がしい、いや失礼、楽しい男、
今利一さんである。
今さんは農業の傍ら、富良野市議も務めている。
よく分からないけど、どうもこの時期、上京する仕事があるようなのだ。
去年も4月末だったか、春の社員合宿に飛び入りしてきた。
それなら、ということで-
ちょうど新入社員の研修が行なわれている時期ということもあり、
人事に無理言って、1時間の特別研修を入れてもらった。
題して、『 今利一先生の特別講義 -有機農業には勇気が必要だった- 』 。
「有機農業には勇気が~」 とは、今さんが市議選に出たときのポスターのコピーである。
僕は別の会議があったので、お任せしちゃったんだけど、
どうもタイトルとは全然関係ない話ばっかりだったようである。
夜も一席持とうか、ということになったのだが、
生憎の飲み会シーズンで、外はどこも一杯の様子。
急な話なので人数も分からないし、事務所でやろう、ということになった。
農作業本番前に、富良野からやってきてくれたというのに、
バカ話で盛り上がる我々。
急ごしらえなので、テーブルの上のつまみ類は見ないでください。
酒だけは用意できるから、すごいっしょ。 「種蒔人」 に 「雪の大地」 です。
「 いやあ、なんでかなぁ。 西松さんとかさ、ボクのところに来ないんだよね。
小沢とか言う人のとこには行くんだけどね。
いつでも貰ってあげるのにさ。 だ~れもボクと癒着してくれないんだもん。
いいことに使ってあげるのにさ。 」
寂しそうな、ひがみ根性丸出しの今センセーであった。
ま、議員給料を農業研修生の世話に使う人には、企業もなかなか・・・・・
しょうがない。 貧しい正義の味方でいくしかないですねぇ。
いや、楽しかったっす。 今さん、ありがとう。
これから忙しくなるけど、体に気をつけて、頑張ってね。
秋には、小ぶりだけど魂のつまった勇気玉ねぎの到着、待ってます。
最後は客人抜きで、職員同士でなにやかやと議論が続く。
誰かが撮ってくれた俺たち。 エビがなに喋ってるのか、分かりません。
気がつけば、朝。
米袋を枕に (商品ではありません。自分で買ったものです) 床に寝ていたワタシ。
そのまんまで、3時間の新人研修に臨んだのだった。
・・・今期も試練から始まって、さて、どんな一年になることだろうか。