あんしんはしんどい日記: 2011年5月アーカイブ

2011年5月 5日

GWは堰さらいから -福島行脚その①

 

福島行脚中です。

 

3日から会津・山都に入り、堰さらいに参加して、

今日は福島市で4つの生産者団体とつらい会議を行なって、

いま福島駅前のホテルに潜り込んで、シャワーして飯を食って

ひと息ついているところ。 

明日6日~7日は日本有機農業学会の方たちと一緒に、

相馬~南相馬の被災地を回り、現地の生産者と交流する予定です。 

以下、順次振り返りながら報告を。

 

5月3日(火)、我々「大地を守る会堰さらい隊」 は、

東北道の渋滞情報をチェックしながら、常磐道に迂回して、

いわきから郡山へ、そして磐越道を走って会津若松で降り、喜多方市に入る。

大和川酒造に立ち寄り、差し入れ用の酒 (種蒔人+α ) を積んで、山都に向かう。

 

5年連続となった堰さらいボランティアも一人二人と仲間が増えてきて、

今年の参加者は6名となった。

 

変わらぬ里の風景が出迎えてくれる。

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ちょうど桜の満開に当たるのも嬉しい。

 

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今年のボランティアは総勢30名弱といったところか。

大地を守る会からは6名だが、

他のグループや単独参加者にも会員さんがいらっしゃって、ちょっと誇らしく思ったりして。 

 

3日の夜は公民館で、前夜祭と称して地元のリーダーやボランティアの方々と懇親会。

そして4日、朝飯をみんなで作って食べ、昼のおにぎりも用意して、

例によって上流から下る組 (早稲谷チーム) と

下流から上る組 (本木チーム) に分かれて、出発。

我々は上流組に編成される。

 

一番上の取水口に到着。

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この 「本木上堰」 の長さが6kmというから、それぞれ約3kmの行程を、

落葉や土砂をさらいながら、ムカデのように進んでいく。

こんな感じで。 

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江戸時代に掘られたという 「本木上堰」。

どれだけの年月がかかったのだろうか。 全貌を示す記録は残ってないようなのだが、

この疏水のお陰で麓の田んぼに水が行き渡るようになった

(いや、これによってたくさんの新田が開かれたのだろう) ことを思えば、

米にかけた執念が偲ばれる。

毎年々々雪や災害で潰されながらも、

連綿と水循環の血脈となって会津山間部の暮らしを下支えしてきた。

5月4日は、田植え前の、集落総出での堰の清掃日というわけだ。

水は地域共同体の絆もつないできたに違いない。

 

コンクリ等で修復された箇所も随所にあって、

人と水路の長い長い付き合いの歴史が想像される。 

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今年の冬は尋常じゃなく雪が多かった。

まだ雪に埋まっている場所もある。

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大雪の影響か地震によるものか聞きそびれたが、

壁が壊れた箇所もある。 

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大人が四つんばいになってようやく入れるかという洞穴がある。

これもいつ掘られたのか、定かな記録はない。 

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山の随所から湧き出る水が一本の水流となって、それを堰が受け止める。

緩やかに下りながら、水は温められ、水田を潤す。 

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堆積した落葉や土砂を浚いながら進む我々にまるで寄り添うように、

水もついてくる。 水量を少しずつ増しながら。 

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途中、スギの大木が倒れて水路を塞いでいたりする。

これはチェーンソーでも持ってこないと始末できない。

何とか枝だけでも落とし片づけ、水を通すようにする。

花粉を10年分くらい浴びただろうか。 スギ花粉症の方には無理な仕事だ。

 

作業の合い間は、風景で癒される。

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こういう生命と自然が一体となった姿を眺めながら汗を拭くときが、

「ああ、今年も来てよかったな」 と思い、感謝するひと時である。

 

下から上ってきた班と合流したのは午後3時前くらいだったか。

終了後は、公民館前で恒例の打ち上げ。

お酒や豚汁が振る舞われ、これまたいつものように豆腐一丁にサバの水煮缶。

豆腐とサバ缶を出すようになった由来は地元の人もよく分からない。

たぶん手軽に用意ができ、その場で食べてもよし、そのまま持ち帰ってもよし、

蛋白源として誰にとっても 「ほど良くありがたい」 ものとして定着したのではなかろうか。

勝手な想像だけど。

 

堰に水が通り、いよいよ田の仕事が始まる。

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この棚田にも、間もなく水が入る。 

 

こうしていつもなら元気が涌いてくるところなのだが、

人々の気持ちに陰鬱な陰を落としているものがある。

原発事故と放射能汚染という問題だ。

夜に開かれた交流会は、そんな今を反映して、

地元住民に広く呼びかけての原発勉強会からスタートした。

 

続きは、スミマセン。 帰ってから。

 



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