あんしんはしんどい日記: 2011年6月アーカイブ

2011年6月25日

「田んぼスケープ」-お詫び。

 

一昨日の日記 「田んぼスケープ」 に、農民たかはしさんからコメントが入った。

 

       この前スマートフォンから送ろうとしましたが、

       携帯から送って下さいとエラーメッセ来ました...

 

エ・エ~ッ!

そんなはずは。。。 もしかして、、、

至急、システム・チェックに入りましたので、

すみませんが、少々お待ちいただけますでしょうか。

ELP・アラカワさ~ん、お願いしま~す。 ヨ・ロ・シ・ク、です。

 

皆さま。

他にも何かお気づきの点がありましたら、情報お寄せ下さいませ。

 



2011年6月22日

特効薬はない、でも始めるのだ。

 

2022年まで生きてみたい。

そう書いたはいいけど、ドイツと違って僕らにとってこの10年余は、

けっして楽しい道のりではない。

明るい未来を信じたいと願いながら、目に見えない不安とたたかう。

この時間を、希望を失うことなく、かつ

ある種の覚悟を持って歩み続けなければならない。

 

前回、二つの会議から- 

と書き出したところで寝ちゃったのだけど、もうひとつ。 

先週の金曜日(17日) に、つくばにある国立環境研究所を訪問して、

セシウムを濃縮(吸収) する微生物の実証実験をやった実績をお持ちの

富岡典子さんからもレクチャーとアドバイスを頂戴してきたので、

そこでうかがった話も含めて、いくつか参考情報として整理してみたい。

 


まず、当初問題になっていたヨウ素131は、短期間で減衰していくので、

新たな放出がない限り、大きな問題にはならない、と考えてよい。

これからの問題はセシウム134 と 137 である。

プルトニウムは水に溶けない(=植物は吸わない) し、問題にする量ではない。

ストロンチウムも量的に問題ないとのこと。

 

土壌に降ったセシウムは、数十年以上、地表に留まっている。

それはアメリカや中国が核実験をやった影響を調べた過去のデータからも読み取れる。

(この半世紀で蓄積されてきたものがある・・・ってこと。)

 

いま表層 5cm くらいまでに留まっていると言われたりするが、

深度分布を調べたところ、実は表層 0~2cm にほぼ集中している。

特に表層 5mm に。 したがって 1cm 剥ぐだけでも充分に有効である。

処分する土の容積も格段に減らせることができる。

また一般的な測定では 0~15cm の表土をとって測るケースが多いようだが、

測定方法は統一させないと情報により混乱が生ずる (これは大気測定でも言える) 。

 

残留は土の性質によって異なることも頭に入れておかなければならない。

粘土はつかむが、砂地では流れやすい。

雨で除去されるということは、時間経過とともにあるだろうが、

土への吸着性が強いので、粘土質だと地下水への移行はかなり低い。

アスファルトの道路や家屋の屋根等に降ったものは、雨によって側溝に集り、

結果として下水処理場で高い濃度が出ることになる。

逆にみれば、浄水場で捕捉されやすいので、上水は心配ないと言える。

(これも新たな放出がなければ、の前提で。)

その意味で、下水汚泥は放射能を集めてきているとも言えるものなので、

焼却処分してしまうと、せっかく集めたアブナイものをまた拡散させてしまうことになる。

これは、はぎ取った土同様、埋めるしかないのではないか。

 

埋める場合は、30cm より地下に埋め、土をかぶせること。

校庭の土をはぎ取って、隅に積んでブルーシートをかけるなど、論外である。

 

また森林では、腐植層に捕捉されて留まるので、水への移行は少ないが、

長く林産物に影響する可能性がある。

きのこで高く出るのは、菌根菌のセシウム吸収能が高いことと、

菌糸を張り巡らせて表面積が増えることによって、

結果的により高い濃度となると考えられる。

重量に対して表面積が大きい葉菜類が高く出るのも、同じ原理であろう。

 

これまで農作物で検出されている放射性核種は

直接経路 (大気中から直接葉面に付着) によるものなので、

皮をむく、よく洗う、等である程度の減少は期待できる。

しかし今後はだんだんと経根吸収 (土壌から根による吸収) が問題となってくる。

経根吸収された農作物は、当然のことながら除染は難しくなる。

 

稲では、土壌が5,000ベクレル以下の田んぼでは作付が許容されたが、

それは、土壌から米への移行は最大でも10分の1 (500ベクレル=食用の基準値)

以下になるという計算による。 

過去のデータによれば、実際はもっと低く、100分の1~1000分の1 程度。

かなりの安全係数をかけているとは言える。

なお米では、放射性核種は胚芽と白米表面に多く残るため、

玄米のほうが濃度が高くなる。 白米では玄米の約半分になる。

 

汚染 (吸収) されにくい作物というのは、あるようだ。

ナス科 (トマト、ナス、ピーマンなど) は最も少ないと言われる。

続いて、ウリ科 (きゅうり・カボチャ・スイカ・メロンなど) 、ユリ科 (ネギ類)。

逆に吸収しやすいのは、アブラナ科、アカザ科、豆類。

じゃが芋はナス科だが、食する部位は茎なので、実よりは高くなる。

河田昌東さんおススメは、トマト、だって。

また、酢漬けにすると、セシウムは6~7割減るんだとか。

抗酸化作用物質 (ビタミンA、C、E、β-カロチン、カテキン、ペクチンなど)

もイイらしい。 この辺はもっと根拠を聞きたかったところだ。

「 まあ、少しでも避けたいという人は、産地を選ぶしかない。

 子どもや若い女性には、産地を選ぶ権利がある。

 しかし・・・・50歳以上は、ここは責任をもって、しっかり食べましょう。」

それが河田さんの答えである。

 

セシウムを吸着する効果の高い鉱物としては、

ゼオライト、ベントナイト、バーミキュライトがあるが、これに活性炭を併用すると、

逆に植物の吸収を促進させるというデータがある。

原因は分からない。

また窒素肥料も、粘土や鉱物が掴んだ放射性物質を剥離させ、

吸収を促進させるので要注意、とのこと。

 

チェルノブイリでは、牛乳対策として、

牛の餌にプルシアンブルー (シアン化鉄) を混ぜ、

効果があったことが確かめられている。

シアン化鉄とは人工の色素で、セシウムをくっつける力があり、

かつ水に溶けないので分離させることができるようだ。

 

ナタネやヒマワリによる除染 (ファイトレメディエーション) は、

メカニズムは同じだが、ヒマワリはバイオマスのかさが大きく、

またリグニン (木質) が多いので、残さの扱いが厄介になる。

チェルノブイリでのナタネ実験では、

種はバイオ燃料 (油) にし、残さはメタン発酵させてバイオガスに利用している。

セシウムは種に集まるが、油には入らず、

最終的に移行した廃水にゼオライトを施用する、という行程のようだ。

 

なお、国立環境研究所の富永先生が立証した微生物-ロドコッカス・エリスロポリスは、

能力を発揮するにはその条件を整えてやる必要があり、

実用化には至っていない、とのこと。 自然界にも存在しているものだが、

それを抽出して開放系で比較試験するのは無理なようだ。

 

いずれにしても植物や微生物がセシウムを吸収してしまうのは、

必須の栄養素であるカリウムとイオンのサイズが類似していることによる。

したがって、食用である植物にセシウムを貯めさせないことを優先するなら、

カリウムを多めに土壌に施用し、セシウムまで取りにいかせない、

という手もあるが、カリウム過剰となると、生育上の別な問題も発生させる。

 

結局、いろんな手があるにはあるが、

これでよし、と言えるカンペキな除染技術はないということだ。

各種の効果や技術を組み合わせ、自然の力を借りながら、

時間をかけて浄化させて行くしかない。

何という恐ろしいものと共存(?) しなければならなくなってしまったことか。

 

それでも、そのスピード (=効果) を高めるために人智を尽くしたい、

と思うのである。

福島・須賀川のジェイラップ (稲田稲作研究会) の伊藤俊彦さんに、

国立環境研究所に出向くことを伝えたら、つくばまで飛んできた。

環境や安全に配慮した米づくりをひたすら追求してきた者として、

「一日も早く、どこよりもきれいな田んぼを取り戻してみせる!」

 - それが彼の、必死の決意なのである。 

   僕はその意思に付き合う約束をしてしまった。

 

ジェイラップでは、試験ほ場をこしらえて、

いろんなパターンでの除染方法での実験が進み始めている。

ありがたいことに、河田昌東さんもバックアップしてくれることになった。

ひとつのプロジェクトの絵が、描かれつつある。

特効薬はなくても、始めることで、前に進むことで、気持ちが変わってくる。

「美しい福島」 を、みんなの手で取り戻す10年に、したいと思う。

 



2011年6月15日

2022年まで、生きてみたい

 

福島行脚のレポートを続け、野菜の供給に明け暮れている間にも、

世界は動いていた。

6月6日、ドイツが、2022年までに脱原発を果たすことを閣議決定した。

新聞が報じている。

私たちはエネルギー構造の変革と経済成長とが調和することを

 世界に示す 」 (メルケル首相)

今日の決定はドイツ社会にとっての一里塚だ。

 私たちは先駆的な社会プロジェクトを始める 」 (レットゲン環境相)

このような変革を成し遂げる技術・経済力を

 我々以外のどこの国が持っているのか 」 (専門家委員会の会見より)

 

何という力強いコメントだろうか。

僕の内にあるナショナリズムが、悔しくて震えた。

いや、そんなことより、

明日からの10年を生きてみよう、生きて、2022年を見たい!

とさえ思わせる宣言だ。

 

続いて13日、イタリアの国民投票が成立し、

原発凍結賛成票が90%を超えたことが判明した。

こちらの首相は、

イタリアは原発にサヨナラを言わなければならない」 と、

気持ちイイくらいに潔よい、敗北宣言だ。

 

当の事故を起こしてしまったこの国では、

震災から3ヵ月後の6月11日(土)、

全国140ヵ所で脱原発を求めるデモが繰り広げられたのだが、

要職にある政治家が堂々と 「原発ヒステリー」 と他人事のように評し、

経済界は目先の電力コストに執着している。

廃炉や未来永劫にわたる核廃棄物管理のコストは、

国民の負担であって我が社とは関係ない、とでも思っているのだろうか。

君はいったい誰なのか、どこにいるのか -と問いたい。

21世紀の社会・産業革命のレースが始まっているというのに。

 

その陰で、全国デモが行なわれた11日、福島県相馬市では、

縊死 (いし ...首吊り自殺とは書きたくない) した酪農家が発見された。

牛舎の黒板には、

「原発で 手足ちぎられ 酪農家」 と書かれてあったそうだ。

 

そんななか、エビはというと、仕事の合い間を縫って、

放射能の除染 (土壌浄化) 技術情報の収集に歩き回っていたのだった。

 

6月3日(金) は、夕方から東京大学で開かれた

土壌物理関係の先生たちの勉強会を覗かせていただく。

5日(日) は、日本有機農業研究会の講演会を聞きに、渋谷の國學院大學に出向く。

講師は四日市大学講師の河田昌東(まさはる) さん。

チェルノブイリ原発事故の被災者救援や土壌浄化に取り組んできた方だ。

 

二つの会議から有用と思える情報を拾ってみると-

...... ごめん、眠いので、続く。

 



2011年6月 3日

福島・浜通りの苦悩 -福島行脚その⑤

 

さてと・・・・・ 忘れてはいません。

福島行脚レポートが、実はまだ終わっていないのです。

 

でもこれが、ななかな気が重くて、書けないでいました。

でも、書かなければならない。

ワタシはこの体験を記憶しておかなければならない、とも思うのであって。。。

 

どうも、いつまで経ってもまとめられそうな気がしないので、

どんな形で終了するのか判然としないまま、書き綴ってみます。

言葉が浮かばないところは、写真だけで、

しかも細切れで続くことになるかもしれないけど、お許し願いたい。

 

5月5日、福島の生産者たちとの会合を終えて (福島行脚④ 参照)、

僕は福島駅前のビジネスホテルに一人宿泊して、

翌6日、日本有機農業学会の有志で企画された

「被災地視察と生産者との交流会」 に参加した。

 

朝、福島駅集合。 

ホテルの玄関に掲げてあるスローガンに一礼する。

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参加者は、日本有機農業学会会長代行の澤登早苗さん(恵泉女学園大学) に、

このところ会うことが多い茨城大学の中島紀一さんやコモンズの大江正章さん他、

総勢21名。

 

一行はワゴンのレンタカーを調達して、まずは被災の現地・相馬市に向かう。

例年なら観光客も多いだろうと思われる新緑の山間地を過ぎ、 

海から2~3km という相馬市柏崎地区に入る。

 

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いきなり、圧倒される。

防風林の松がきれいさっぱりと倒され、ここまで流されてきている。

 

田んぼがひび割れしている。

でもこれはただの乾いた田んぼではなくて、表面を覆っているのはヘドロである。

めくればその下に、津波で運ばれた  " 異物 "  が見える。

干からびた鮭とゴルフボールが、同居していたりして。

この田の再生は、、、想像するだけでため息が出てくる。

 

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ここに来る前に、相馬市で有機農業を営む生産者を訪ねたのだが、

集まってこられた生産者たちから聞かされた経験譚は

まるでSF映画のような話だった。

 

「海岸から200mくらいの交差点の赤信号で止まったら、前から津波が来るのが見えて、

 慌ててUターンして逃げた。 何も知らずに海に向かう車が通り過ぎていったが、

 助けることができなかった。」

「地震の時はトラクターに乗っていたが、まるで遊園地の回転木馬のようだった。

 降りたら立ってられなかった。」

「津波に遭って、姉は流木につかまって間一髪助かった。

 あちこちに悲鳴が聞こえて、家が壊れる音やらで凄い音とスピードだった。

 堤防が決壊して、地盤沈下もあるので、大潮になると今も水が入ってくる。」

「地震の時は浪江町を車で移動中だった。 津波が来たとは知らなくて、

 次の日に浜に行ったら海だった。 親戚を探そうとしたが、避難所も分からず、

 とにかく足で稼ぐしかなかった。 親戚夫婦が4km流されたところで発見された。

 供養できただけでも良かったと思う。

 (こっちも大変だったんだけれども) 原発で避難してきた方を受け入れて、

 しばらく3世帯10数人で生活した。」

そんな話を淡々と聞かされる。

 

相馬市は、今年も米の作付を行なうことを決定したが、

まだ行方不明者がいるので、捜索に支障をきたさないよう、

5月8日までは田んぼに水を入れないことも、申し合わせたという。

「捜索と営農のギリギリの選択が、5月8日っつうことになったわけです。」

田に水を入れることがどういうことか・・・

こんな米づくりを経験することになろうとは、、、言葉が出ない。

 

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相馬市から南相馬市に移動する。 

地震からもう2ヵ月近いというのに、立ちつくすしかない風景が続く。

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東京電力福島第1原発から20km圏ギリギリで圏外にある杉内清繁さん宅で、

20km圏内の根本洸一さんも同席されて、話をうかがう。

 

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杉内さんは93年から有機農業に転換したが、

今回の震災の影響よって、有機JAS認証は外さざるを得ない、

と認証機関から言われたとのこと。

そのあたりの判断は認証機関で統一されているのだろうか、心配なところである。

 

「 3月11日から二日間は余震も激しくて、夜は車の中で過ごしました。

 13日に行政の指示が出て小学校に避難したが、ドーンという音を聞いて

 原発が爆発したのではないかと思って、翌日に家族4人で郡山に避難しました。

 その後、宮城県亘理町の叔父の家に移って、4月24日に帰宅したんですが、

 周りでは空き巣や窃盗もあったようです。」

 

南相馬市は、原発事故とその後の行政方針によって、

「警戒区域」 と 「計画的避難区域」 「緊急避難準備区域」、

そして制限のない区域に分かれることになった。

制限のない区域には米の作付は問題ないとされたのだが、

4月14日、市は全域での稲の作付禁止を決めた。

損害賠償を睨んでの措置だと思われるが、

しかし稲以外の作物はOKとなったため、農家の悩みは深くなるばかりである。

 

20km圏内で有機農業を営んできた根本洸一さんは、

福島県の有機農業ネットワークの代表も務めた方。 

家の蔵から有機米50袋 (25俵=1,500㎏) を何とか持ち出したが、

大豆23袋を残してきたことが心残りである、と語る。

とにかく田畑を一刻も早くきれいにしたいと、あれこれ今から考えている。

 

地域のみんなが原発の安全神話を信じていた。

" 二重三重のセーフティネットが整っている "  と聞かされてきたんだけれど・・・

お二人の抑揚を控えた口調が、

かえってその悔しさや苦悩を感じさせるのだった。

(続く)

 



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