あんしんはしんどい日記: 2013年10月アーカイブ

2013年10月 2日

吉野を駆けながら、有機農業の受け皿づくりを考える

 

原発を推進してきた国家の宰相も務めた方が、

至極まっとうな発言をしている。

いや別に褒めるほどの内容ではない。

多くの国民が感じ取っていることだ。

「 原発ゼロは無責任だと言うが、核のゴミの処分場のあてもないのに

 原発を進める方がよほど無責任だ」

  (小泉純一郎氏の講演での発言。10月2日付 「朝日新聞」 朝刊より)

 

どうもフィンランドの 「オンカロ」(※) を視察して

原発はダメだと感じ取ったらしい。

「原発に未来は託せない」 と言い続けてきた人たちにとっては、

何を今さら、どのツラ下げて・・・ とムカつくところだろう。

政治的思惑を感じ取って警戒する人もいる。

ワタクシとしても、本音は精一杯皮肉ってみたいところだが、

ここは過去の責任や変節を批判するよりも、勇気ある転換だと

あえて拍手を送っておきたいと思うのである。

時代はこのように動いていくものだし。

もちろん信用するかどうかは、今後の動き次第として。

 (※ 「オンカロ」・・・フィンランドのオルキルオト島に建設されている

  放射性廃棄物の地層処分場の通称名。 " 隠された場所 "  という意味。

  固い岩盤を Z状に約 5km掘り、地下 500m の場所で永久保管される。

  設計された耐久年数は10万年。

  10万年後の安全は、そもそも人類は・・・誰も分からない。

  2020年、操業開始予定。)

  

さて、、、10月に入っちゃいましたね。

あっという間に上半期が終わり、事業年度の後半戦突入。

ここでまたも社内では部署再編が行なわれ、

私エビスダニは、農産物・畜産物・水産物の仕入部門として

生まれ変わった 「生産部」 の部長を命ぜられました。

2年ぶりの仕入部署への復帰です。

しかも今度は畜産も水産も含めての任務となって、

責任の重大さを噛みしめているところ。

加えて、5月からローソンさんへの営業を託された 「特販課」 は、

「特販チーム」 として生産部内に留め置かれた次第。

つまり引き続きやれ、ってことのよう。

「放射能対策特命担当」 も兼任で続きます。

6月から拝命した (株)フルーツバスケット(子会社の農産加工部門)

の取締役としてのプレッシャーも静かに満ち潮気味で・・・

どうなっちゃうんでしょうね。

やれるだけのことをやって、行けるところまで行って、

何が見え、つかめるのか、やってみなきゃ分からない、という心境。

 

それやこれやで追い詰められたような状況にありながらも、

9月下旬には 2つの産地と 1つの  " 地域 "  を回らせてもらった。

そんなに出かけていいのかと自問自答しながら、

しかしどれもたんなる視察とかではない。

次の展開、構想づくりに向けての模索である。

2つの産地に同行されたのは、

ローソンさんから常勤で派遣された山口英樹取締役。

ご本人たっての希望でもある。

 

以下、順番にご報告。

(遅れ遅れなのはお許しを。) 

 

9月19~20日、奈良県は五條市に本拠を置く

「農業生産法人 王隠堂農園」 を訪問。

この時期となれば、大地を守る会の柿では  " 顔 "  になっていただいている

仁司与士久さんから訪ねるのが順番である。

e13100201.JPG 

 


会うなり、

「戎谷さんはこの畑、10年ぶりくらいでしょう」 とやられた。

まったくその通りだ。

見に来たつもりが、見られている。

 

仁司さんには、その10年くらいの間、

農薬をどこまで減らすか、で散々苦労をかけた。

厄介だったのはタンソ病だ。

収量をかなり落とした年もあった。

e13100203.JPG

 

「果樹の減農薬栽培」 とひと言で言うが、その幅は広い。

特に大地を守る会の場合、自主基準のなかに  " 使ってはいけない農薬 "  がある。

農薬の使用回数を減らすだけなら手はある。

しかし 「その農薬は駄目」 あるいは 「できるだけ控えて」 という縛りがあって、

そこがけっこう厳しい、とよく農家に言われたりする。

「強い(=よく効く) 農薬を使って回数を減らした " 減農薬栽培 " 」

という傾向に陥ることなく、その上を目指したい。

口で言うのは簡単だが、現場は大変である。

過去の担当者が何度も仁司さんとやり取りしていたのを、覚えている。

 

今はだいぶ落ち着いてきた感じだが、

全ての課題がクリアできたわけではない。

でも、仁司さんが最大限頑張って育てた柿こそが、僕らが売る柿なのだ。

去年も、今年も、来年も、胸を張ってね。

 

今回、仁司さんから教わったのは、

環状剥皮(はくひ) という技術。

e13100212.JPG

 

枝の一部の樹皮をキレイに剥ぎとることで、

葉から作られた養分が根に送られないようにする。

 (枝葉からつくられた養分は樹皮を通って根に送られる。

  根からの養分は中心部を通って送られる。)

そのことで、葉からの養分が実に移行し大きくなる。

もちろん全ての枝でやるわけではなく、部分的に剥ぐことによって

樹勢を整える(樹勢が強すぎると実が落下する) という効果もある。 

順番に熟させることにもなるようだ。

 

二日間案内してくれた和田宗隆専務と。

和田さんは王隠堂農園の関連会社、(株)パンドラファームの代表も務めている。

e13100202.JPG

 

台風による落下もあったが、被害はそれほどでもなかった様子。

「かなり色づきも早い。予定通り(9月最終週) 出せまっせ」

と太鼓判を押す。

王隠堂農園からは、この刀根柿から始まり、

平核無柿(ひらたねなしがき、10月下旬)、富有柿(11月~) と続く。

順調に進みますように。

 

イノシシに齧られた痕。

e13100204.JPG

獣害対策は、どこの山間地も頭が痛い。

加えて奈良は、鹿が増えすぎて困っている。

 

もう一軒、柿の生産者(大植稔さん)を回り、

e13100205.JPG

(でっかい法蓮坊柿が自慢)

 

里芋やミブナをお願いしている高橋いさおさんを訪ね、 

e13100206.JPG

 

e13100207.JPG

(当地の里芋は、今年は不作のよう) 

 

僕が密かに注目している

ヤマトトウキの栽培地を見せていただく。

e13100208.JPG

生薬の原料である。

ここ奈良・吉野はかつて生薬の一大産地だった。

それが中国産原料に席巻され、ほとんど消えてしまった。

今や漢方薬の原料は中国に押えられ、

レアアース並みの戦略商品となっている。

僕らは知らない間に、胃袋から健康まで、他国に依存してしまった。

その結果の一つの姿が、荒れる山間地である。

栽培技術が残っている(栽培経験者が生きている) 間に、復活させたい。

中山間地の耕作を維持し、高齢者も活き活きと働き、

農業が健全に持続させることによって、私たちの健康も支えられる。

獣たちとも共存したい。

e13100209.JPG

和田さんと、何とか形にしたい、と話してきた

突破口としてのヤマトトウキ。

大手製薬会社に安く買い取られるのでなく、自分たちの力とネットワークで。

この宿題は、なんとしてもやり遂げたいと思う。

 

王隠堂さんの、貴重な文化遺産ともいえるご実家を改装して

開かれた里山レストラン 「農悠舎 王隠堂」 で昼食をとらせていただく。

e13100210.JPG

 

鎌倉時代が終わり、室町時代に移る間の南北朝時代(14世紀中期~後期)、

吉野に逃れた後醍醐天皇をかくまったことで授かった名前が

「王隠堂(おういんどう)」。

以来600数十年、この名を守ってきた。

その名が想像させる通り、この家は山の奥にある。

とても不便なところである。

当主である王隠堂誠海(まさみ) さん曰く。

「下の小学校に通うだけでも、大変なトレーニングだったわ。

 真っ暗になるときもあるさけな。 山道に柱時計を立てとったくらいや。」

 

「名前も家も残すゆうことは、大変なことですわ。」

悩んだ末に、誠海さんは改装して農家レストランに設えた。

野菜ばっかしの料理だが、これがかなり美味しい。

客も絶えないのだとか。

レストランを任されている女性陣(最高齢は80歳だとか)

も活き活き働いている。

 

誠海さんはじめ王隠堂農園のスタッフたちと、

弊社・山口取締役も交え、有機農業の近未来像を語り合う。

e13100211.JPG

農家の作る野菜をくまなく利用できる体制を築きたい。

みんなで共同して、いい産地づくりをしたい。

熱く語る王隠堂誠海であった。

 

最後に、

和歌山に建設した農産加工場、(株)オルトを視察する。

オルトは現在、息子の正悟哉(まさや) さんが切り盛りしている。

ここでもいろんな可能性について意見交換する。

二日間、駆け足で、

京都-奈良・吉野-紀州-大阪と回って岐路につく。

明日は土曜日、世間は 3連休。

ああ、熊野あたりを散策して帰りたい・・・・

しかし許してくれない。

次は福島が待っている。

 



大地を守る会のホームページへ
とくたろうさんブログへ