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2014年4月22日

原点を思い出させてくれた丹那交流会

 

4月19日(土)、箱根の南に位置する静岡県田方郡函南町。

大地を守る会の低温殺菌牛乳(通称 「大地牛乳」) のふるさと

丹那盆地のこの日は、

とても風が強くて、時折小雨も降る肌寒い一日だった。 

満開で出迎えてくれた菜の花も、少々寒そうに震えている。

 

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伊豆・丹那盆地は 130年に及ぶ酪農の歴史を誇る里である。

360度山に囲まれ、町とか村とかではなく、里と呼ぶほうが似合っている。

ここで 函南東部農協 主催による 「丹那・生産者交流会」 が催された。

会場は、18年前に建設された 「酪農王国 オラッチェ」。

 

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この交流会の歴史も古い。

国内では当時ほとんどなかった低温殺菌牛乳(65℃・30分殺菌、最初は62℃だった)

を開発したのが82年 8月のことだから、もうかれこれ 32年になる。

今でも超高温殺菌(130℃-2秒) が主流という悲しい乳文化のこの国で、

それは画期的な取り組みだった。

 

相当な覚悟で導入してくれた低温殺菌の製造ラインを維持すべく、

まだ組織の小さかった大地を守る会は、

他の流通組織や静岡県下の消費者団体にも働きかけて、

共同でこのホンモノの牛乳を育てようと呼びかけた。

そこで結成されたのが 「丹那の低温殺菌牛乳を育てる団体連絡会」(略称 「丹低団」) だ。

当然のごとく生産者との交流も活発になる。

 

僕が入社したのもちょうどその頃で、

生まれたばかりの大地牛乳の生産と消費を安定させるべく、

にわか仕込みの知識で宣伝しては、

消費者の方々を事あるごとにお連れしたものだった。

東名高速道路から小田原厚木道路-箱根ターンパイクと自ら運転して。

丹那交流会は低温殺菌牛乳の歴史そのものと言ってもいい。

と偉そうに言いながら、僕がこの交流会に参加するのは

15年ぶりくらいなんだけど。

 


今回首都圏から集まってくれた会員さんは 80名ほど。

ちょっと寒い開会式となったが、

リピーターの方は 「去年もこんなだったし、慣れてます」 と笑ってくれる。

ま、バーベキューが始まれば体もあったまるか、ってなもんで。

 

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挨拶しているのは農協の組合長で、

オラッチェの代表も務められている片野敏和さん。

その後ろ(写真左)に控えているのが、

低温殺菌部会長の酪農家・川口さん。

 

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低温殺菌部会の酪農家は、現在10名。

そのなかで最も若手である大塚さん夫妻が紹介される。

 

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大塚さんは酪農家の次男として育ち、元教師だったのだが、

お父さんが体をこわしたのを機に酪農を継ぐことを決心した。

「やっぱり俺らの代で牛飼いを終わらせるわけにいかないと思って・・・」。

継いでから結婚もできて、子どもも生まれて、

子どものためにも良質な牛乳を生産し続けたいと思って、頑張ってます。 

 

有害な菌を死滅させて栄養価を残す、

そのための殺菌法としてパスツールがあみ出したのが 「パスチャライゼーション」

と言われる低温殺菌法(62~65℃・30分もしくは75℃15秒) である。

当然、超高温殺菌に比べると生産効率が落ちる。

しかも牛乳を低温で処理するということは、

もともとの原乳がきれい(衛生的) でなければならない。

雑菌数の少ない乳を生産するには、

牛舎の衛生管理から牛の健康管理まで細かく気を配る。

広大な牧野で育てる欧米では当たり前の殺菌法だが、

狭い面積で採算の合う乳量生産を余儀なくされている日本の酪農では、

なかなかに厳しい。

低温殺菌牛乳を維持させるためには、

少々高くても支援したいという消費者の存在が必須となる。

ホンモノの牛乳を理解してくれる消費者がいてくれる

と信じることで、生産者も頑張れる。

若い生産者が、誇りを持って牛を育てられる社会にしたいものだ。

 

酪農王国にはいろんな動物がいる。

小さい頃から生き物と触れ合うのは大切なことだ。 

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バターやアイスクリームの手づくりも体験できる。

ここのアイスクリームはメチャメチャ評判がいい。

それは原乳の質と新鮮さによる。

 

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大地を守る会が丹那牛乳(函南東部農協)さんに低温殺菌牛乳の開発を

持ちかけたのにはワケがある。

管内の牧場と工場の距離が極めて短いこと(新鮮なうちに処理できる)、

東京に近いこと(新鮮なうちに運べる)、

もともとの乳質がいいこと(牛を健康に育てている)。

 

1980年代に入り、原乳が余ってきたことも背景にあって、

大手乳業メーカーが無菌パックに詰めた LL(ロングライフ) ミルクを開発し、

それを常温で流通できるように法改正しようと厚労省に働きかけた。

それに対して中小メーカーや酪農団体が激しく反対し、

全国の消費者団体も呼応してLLミルクの反対運動がまき起こった。

大地を守る会も運動に賛同したのだが、

牛乳について学ぶなかで、低温殺菌という本来の牛乳を

生産者と一緒に開発しようという方針に至った。

そこで白羽の矢を立てたのが丹那牛乳だった。

 

生産者にとっては相当にリスクの高い、迷惑な話であったようだ。

それでも応じてくれたのは、酪農家としてのプライドがうずいたからだと思う。

どこよりも先んじてホンモノの牛乳を実現して見せようか、という

意気に火がついたというか。

 

LL牛乳反対から低温殺菌牛乳の開発へ。

反対に留まらず、あるべき提案をぶつける。

この運動論は、

以後の大地を守る会の生き方を決定づけたと言ってもいい。

 

バーベキューのお肉は岩手県山形村の日本短角牛。

やっぱ短角は美味い。

加えてオラッチェ自慢の 「風の谷のビール」。

どれも提案型運動の産物である。

交流もだんだんと打ち解けていく。

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空模様も怪しいので、急きょ農協の会議室に場所を移して

車座での懇親会となる。 

 

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生産者の思い、牛を育てる日々の苦労など聞いているうちに、

「そもそも何で低温殺菌をやろうと思ったんですか?」

の質問が飛び出した。

石川さんから 「そこは大地さんから・・・」 と目配せが。

喜んで、久しぶりでの低温殺菌牛乳開発秘話を披露させていただいた次第。

 

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駆け足で牛乳工場を見学して、

オラッチェ向かいにある、片野組合長の牛舎を見学。

昨今は伝染病の心配もあって、

道路からの説明となる。

 

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牛にストレスをかけないように配慮された、

仕切り壁なしのフリーバーン牛舎。

牛たちも僕らに興味を持って、じっとこちらを眺める。

もっと近づいて来てほしかったのかも。

飼い主の心が想像される。 

 

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久しぶりの丹那交流会で、自分の原点を蘇らせた一日。

今日は書けなかったけど、 僕は去年から、

オラッチェ内にあるジャム&ケーキ工房 「フルーツバスケット」 の

取締役を任免されている。

放射能対策やらローソンさん営業やら生産部長やら、

この間兼務が続いたので肩書きだけの状態だったのだけど、

  いよいよ本気でこの地に関わろうと思っているところである。

「地域」 とい うテーマとともに。

 



2014年4月20日

大地を守る会伝統の「合宿」、復活

 

3月の日記を焦りながらアップしているうちに 4月に入り、

桜吹雪を愛でる余裕もなく、

今日は早くも二十四節気でいうところの 「穀雨」 である。

気まぐれな春の天気に翻弄されながらも、植物は生育の足を一気に速める。

やっぱり、日本の新学期は春、4月がいいと思う。

古いヤツだとお思いでしょうが・・・

 

古いヤツだと・・ (鶴田浩二 「傷だらけの人生」) の名セリフも、

もはや遠い死語か。

特攻隊あがり(真実は微妙に違うらしいが) の名優・鶴田浩二が

上から目線で若者を叱る。

「お前たちはそれでいいのか。 俺たちの若い頃は・・・」

「へ~ん。 特攻隊だかなんだか知らねえけどよお」

とイキ巻いていた当時のチャラ男 (1976-82年 NHKドラマ 「俺たちの旅路」)

は、いま相棒を連れて紳士ヅラしている水谷豊だ。

僕もいつの間にか後輩に説教する歳になって、

鶴田浩二が懐かしいと思うようになってしまったか。

ちょっとっ寂しい。。。  いや、それじゃイカンよね。

 

4月から新しい辞令を受けた。

ま、それはいずれ報告するとして、

後輩に託す思いで、ひとつの試みを敢行させていただいた。

4月12日(土)、

2年ぶりに 「合宿」 と銘打っての社員研修が実施された。

例年は春と秋に行われていて、

ここ2年は緊縮財政ということもあって自粛していたのだけれど、

しかしやっぱり、こういう伝統は残していこうと、あえての開催となった。

「残すべきだ」 と助言してくれたのは、何を隠そう、

ローソンさんから来た取締役である。

 


幹事は部署持ち回りで、今回は生産部主催となった。

僕にとっては、異存なし、である。

限られた予算ではあったが、選抜したスタッフとともに工夫を凝らして、

楽しく、かつ為になってモチベーションが上がる企画を、

と考えながら用意させていただいた。

かねてより職員に聞かせたいと思っていた人に打診して、

二つ返事で協力を承諾してくれたのは、

一般社団法人 「ラブテリ東京&ニューヨーク」、細川モモさんである。

 

春の職員研修なので、

第一部は事業計画や目標について共有する時間として、

第二部にモモさんの講演を用意した。

いま進行する日本人の食と健康の危機的状況について。

我々がやらなければならないミッションを想像しながら聞いてほしい、と。

 

並行してラブテリの女性陣による社員の健康度チェック。

おっさんたちの嬉しそうな顔ときたら・・・

21世紀になっても、ニンゲンはまだ

生物進化学的にオスはオスの本質を残している。

いや、これは揶揄しているのではない。 健全性の証しだからね。

 

結果は・・ 会社の危機管理案件なので伏せさせていただきたい。

まあ、だいたいの人が嬉しそうな顔をしていた、ということで。

僕らは健康でなければならないのだ、なんて言える立場じゃないけど。。。

 

夕方からは懇親会。

チョー安い中華料理店を借り切って、我々の食材を持ち込めるだけ持ち込んで、

酒を含む飲み物は、ほとんど大地を守る会のものだけが消費された。

もちろんお金は約束通り払ったので、お店も満足してくれたはずだ。

社員に指示したのは、

「お店の料理もちゃんと食べよう。 食べて、我々のミッションを再確認せよ」。

こんな言い訳をサラッとできるのも、歳をとったせいだ。

 

この春の新卒入社も含めて 3年分の新人発表

(新人の顔見せパフォーマンス大会、これが合宿の伝統行事)

もやって、

まあまあの出来ではあったか、と思う次第。

生産部長として最後のご奉公、の一日だった。

 

この日記を実は、静岡県伊豆半島のつけ根、

丹那盆地のとある別荘地で書いているのだけれど、

その報告は次回に。

 



2014年3月23日

道場公基さんに


21~22日は大和川酒造店に行って、

仲間を募って実現させた袋しぼり酒の完成に立ち会い、

マイラベルを貼って祝い酒! の予定だったのだが、

訃報が入り、急きょお通夜に参列することになった。

1999年に(株)大地を守る会に統合された

元(株)大地牧場の社長を長く務められた道場公基(どうじょう・まさき) さんが

亡くなられたのだ。


情に篤く、面倒見のいい親分肌の社長だった。

大地を守る会の畜産部門を担い、

日本短角牛を通じた岩手県山形村(現・久慈市) との深い提携関係は

この人なくしては語れない、という存在だった。

中国残留孤児の帰国者たちの社会復帰にも尽力され、

多数の帰国者を畜産加工場に受け入れて表彰されたりもした。

大地牧場退社後も、初代会長だった藤本敏夫さん(2002年没) の事業を

陰で支え続けた。

肺ガンを患い、闘病生活は 3 年に及んだ。 

危ぶまれた時期もあったが、だいぶ回復してきて、

昨年の大地を守る東京集会では 「お~い、エビちゃん、復活したぞ!」 と、

元気な姿を見せてくれたのだったが。。。


自宅が近かったこともあって、家族ぐるみでお付き合いをさせていただいた。

道場さんはビール派だったので、

頂きものの日本酒などが手に入ると、よく呼ばれた。

ある時など、「日本酒に開眼したから来い」 と電話があって出向いてみると、

「ウマい、ウマい」 と飲んでいたのは焼酎だった。

焼酎をストレートでクイクイと・・・これにずっと付き合うわけにはいかないので、

恐る恐る 「道場さん、これ焼酎です」 と水を差してしまった。

道場さんは驚きながらも 「焼酎ってのもウマいもんだな」 と笑った。

楽しいエピソードを語り始めたら切りがないくらいある、

実に豪放な方だった。


今の時代、70歳は若すぎる。

良くなってきていると思っていただけに、

突然の訃報で、御礼を言えずじまいとなってしまった。

どうか安らかに、と祈るしかない。 合掌




2014年2月25日

大地を守る会の オーガニックフェスタ!

 

2月23日(日)、「大地を守る東京集会」 2日目。

「オーガニックフェスタ」 の開幕。

 

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メイン会場となる1階大展示ホールは 「オーガニックマルシェ」。

今年もたくさんの生産者・メーカーさんが出店してくれた。

この場を借りて、御礼申し上げます。

 

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長崎からは、長崎有機農業研究会(長有研)。

御大・松藤行雄さん自ら売り子に立って。

感謝です。 有り難うございます。

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すっかり定番となった、米の生産者軍団の勢ぞろい。

北海道から熊本まで、今日はみんな一体となって、

大地を守る会の米を PR 。

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野菜販売コーナーでも、

生産者が積極的に売り子に立ってくれた。

嬉しいね。

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京都からは、富士酢の飯尾醸造さん。

棚田を守り、

原料の米から無農薬でつくり続けてきた。

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秋山さんは、専門委員会「米プロジェクト21」 の

メンバーでもある。

 

駆け足で農産系のブースに挨拶回りして、

準備中の復興屋台に後ろ髪を引かれつつ、

3階の特別会議室に走る。

 

昨年6月に実施した 「放射能連続講座Ⅱ-第4回」 に続いて、

東京集会でも、麻布医院院長・高橋弘先生の講演が用意された。

野菜の持つ力-ファイトケミカルで、元気に生きる! お話。

 

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高橋先生が、ガンの患者さんたちのために開発した野菜スープの素

「ファイトケミカル・プラス」。

人参・玉ねぎ・カボチャ・キャベツの4種の野菜に人参の葉をプラスしたもの。

これらをすべて大地を守る会の野菜でやろう。

昨年の秋に入った頃から高橋先生とそんな話が進み、

「霜にやられる前に、人参の葉っぱを集めてくれないか」 と、

さんぶ野菜ネットワーク(千葉) にお願いしたのが、11月下旬だった。

かなりヒヤヒヤものだったけど、間に合った。

これまで畑で捨てられていた人参の葉。

実は根っこより栄養価は高い。

これを形にできたことが、今回の僕の隠れた自慢である。

 

階下ではお祭りが始まっているのだが、

80 名ほどの方が 3 階まで聞きに来てくれた。

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講演内容も、昨年6月よりさらに分かりやすく、

バージョン・アップされていた。

手抜きを許さない方なのだ。

 

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高橋先生との共同の仕事は、実はスープの素にとどまらず、

ファイトケミカルをテーマにした加工食品のラインアップが、

これから続々と登場してくる予定である。

来週には記者発表も予定されている。

今日のところは、乞うご期待! としておきたい。

 

さて、講演終了とともに高橋さんに御礼を言って、

今度は6階に上がる。

13時から、「お米の生産者と語ろう」 コーナーを始める。

 

お話いただいたのは、以下の7名の方々。

・あそ有機農園(熊本) 山本誠也さん。

・森の里工房(島根) 佐藤大輔さんと山崎大輝さん。

・蕪栗米生産組合(宮城) 千葉孝志さん。

・やまろく米出荷協議会(福島) 岩井清さん。

・みずほ有機生産者グループ(山形) 菅原専一さん。

・ライスロッヂ大潟(秋田) 黒瀬友基さん。

・おきたま興農舎(山形) 小林温(ゆたか)さん。

 

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それぞれに今の思いを語っていただいた。

「農業は一つの産業である前に、社会的保険のようなものではないか。

 農業が営まれることによって暮らしが成り立つ。

 息子は、むしろ将来性がある仕事だと言って継いでくれた。」(山本誠也さん)

「弥栄村が好きになって、実家も農家なのに、ここに住み着いた。

 山間地で農業をすることは、地域を守ることだと思う。」(山崎大輝さん)

「安全な米づくりに必死で取り組んできて、検査でも安全性は確認された。

 それでも風評被害は今も続いている。 正確な報道がほしい。

 補償はもらっても、一方で買い叩かれているのが福島の現状。

 有機の継続も厳しくなっていて、地域の力とは何か問い直している。」(岩井清さん)

 

進む高齢化、農地をどこまで守れるか、除草対策、

続く異常気象、TPP ・・・ 

みんな静かに、いつもの調子で語ってくれた、時に笑い合いながら。

しかし語られた視点は多岐にわたり、思いや悩みは深く、

まとめようがない。

下は祭りがピークを迎える時間帯。

準備不足もあり、部屋のセッティングも入りづらくしてしまったかとの反省もあり、

生産者には少々申し訳ない格好になったけど、

話し合える場を一つでも多く、

という意図を汲んでくれて、話をしていただいた生産者に感謝したい。

 

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結局、メイン会場は歩けず、見えずじまい。

去年もそうだったけど、ま、そういう役回りなんだろう。

しょうがないね。

そのぶん夜は、トコトン交流派と一緒に発散する。

例によって、僕の東京集会は、

翌朝、「ここはどこだ?」 をもって終了する。

 



2014年2月24日

「2014 大地を守る東京集会」開催。 裏会議もやったりして・・・

 

二日間にわたる 「大地を守る東京集会」 、無事終了。

とことん交流派の生産者とはとことん付き合って、ふた晩にわたり外泊。

寄る年波を感じさせる今日。

気がつけばソチ・オリンピックも終わったのね、って感じ。

 

羽生クンにもしびれたけど、浅田真央選手のドラマはまれにみる感動だった。

高橋大輔クンやレジェンド・葛西の苦闘の軌跡も落涙に値する。

皇帝エフゲニー・ヴィクトロヴィッチ・プルシェンコの言葉は、

歴史に刻まれることだろう。

「神は怪我でしか私を止められなかった。 『エフゲニー、もう充分だ』 と~ 」

キザな台詞を決められる選ばれた英雄。

世界中の椎間板ヘルニアスト(私の造語) にとって、

君は我々を導く、天空に輝く星だ。

そして、 「ビリになっちゃったけど」 と泣いた彼女。

4年後、「あの日があったから」 と、今度は君がドラマを作る番だ。

オリンピック開催にはドロドロした世界もあるけど、

アスリートたちのたたかいは、やっぱ感動を与えてくれる。

そんななかで、サイテー! の登場人物も現れた。

「またひっくり返った」 とか 「負けるのが分かっていながら・・・」

とかのたまわった政治家、森某氏。

貴方にはスポーツを語る資格はない。

こんなお方が五輪組織委員長とは、選手たちが可哀想過ぎる。

国民の一人として恥ずかしいので、できれば退場してもらいたい。


とか何とか、ワンワン吠えてないで、

東京集会のレポートを急げっつうの。 すみません。


2月22日(土)13:00、「2014 大地を守る東京集会」 の開幕。

場所はいつもの、大田区産業プラザ PIO。

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まずは、藤田和芳代表の挨拶から始まる。

例によって時間制限を無視したスピーチ。

しかし、、、今年はいつもより  " 主張 "  に気合が入っていたように思う。

特に、脱原発の思いには熱がこもってたね。

原発と食の安全は共存できない! きっちり訴えてくれた。


ただちょっと気になったのは、反 TPP のくだり。

" TPP が合意されても負けない一次産業づくり "  

はもちろん我々が進めなければならないテーマなのだが、

あまりそこを力説してしまうと、場合によっては曲解される可能性がある。

諦めてんじゃないの、とか、結局認めてんじゃないの、とか。

あるいは敵に利用されるかもしれない。

やはりここは断固反対! でやり切ってもらいたいと思った次第である。


続いて、東京集会では初披露、

「配送員マイスター」 表彰式。

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生産者・メーカーさんが丹精込めてつくられた品々を、

会員宅にお届けする最終ランナー。

正確かつ丁寧、誠実なコミュニケーションを心がけながら、

雨の日も風の日も、猛暑の日も酷寒の日も、走り続ける彼ら配送員たち。

その中でも特に優秀と認められた者に贈られる称号が 「配送員マイスター」。

今年は、このハレの舞台で表彰して皆さんに見てほしい、となった


表彰するのは、CSR運営委員の消費者会員、見澤 海さん。

「私たちは普段、配送員の方たちを通して大地を守る会を感じています。

 いつも本当に有り難う。」

今年の表彰は 3 名。

「入社して 〇 年。 マイスターとして認められることが目標でした。」

「これからは後輩の指導にも頑張らねばと、気を引き締めています。」

頼もしいね。 これからも頑張ってください。

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次は、

「顔の見える自然エネルギープラン・コンペ」 の報告。

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生産者の自然エネルギーへの取り組みを支援しようと、

昨年 5 月に行なわれたコンペ の報告。

その支援が、形になって登場した第 1 弾が、これ。

会津・喜多方「大和川酒造店」 が蔵に設置した太陽光発電の

エネルギーによってつくられた、お米シャンパン(発泡性日本酒)。

名づけて 「おひさまスパークリング」 の誕生。

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宅配では、メニュー112(3/3~配布、3/17~配送) で登場。

美味い! はず。

飲むことで、エネルギーの地域自給を支える輪が広がる。

大地を守る会らしい、ひとつの形が生まれた。 いいね。


続いて、「もっと知りたい大地を守る会」 と題して、

生産者やメーカーさんたちのリレー・トークが展開されるのだが、

僕はここで 6 階の会議室に移動して、

直前になって設定された外部の会議に参加することになってしまった。

仮称 「ご当地エネルギー協会」 第 0 回準備会。


実は ISEP(環境エネルギー政策研究所) 所長の飯田哲也さんから、

会議室が空いていたら使わせてほしい、という連絡が入ったのが18日。

大和川酒造店代表で会津電力の仕掛け人でもある佐藤弥右衛門さん

この日はここにいるということで

蒲田で会議をやろうということになったのだ。


急きょ準備された会議に、遠くは兵庫県宝塚市から、

13人のメンバーが集まった。

いよいよ、各地で進む自然エネルギーのネットワーク組織が結成される。

しかもただの情報交換レベルではない。

21世紀の新しい電事連(電気事業連合会) 、" 僕らの電事連 "  をつくらないか!  

というノリである。


設立発表は 3.11 に、と決まった。 

あれから 3 年。 各地で広がりつつあるエネルギーの地産地消、

誰が名づけたのか 「ご当地エネルギー」 の、全国組織が誕生する。

結成式では、ぜひ 「おひさまスパークリング」 で乾杯してほしい!

とお願いするのを忘れた。。。


会議終了後、交流パーティへとなだれ込む。

鏡開きは当然、いつもの 「種蒔人」。

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今回は、大雪被害に遭われた生産地の、

一日も早い復旧を応援するための緊急募金も呼びかけられた。


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雪の影響で、残念ながら欠席になった生産者も多い。

こういう時に力を発揮できる大地を守る会でありたい。

 

会議室をタダで提供した替わりに、

飯田さんにもスピーチをお願いした。 

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会津電力へのエール、そして

全国各地で立ち上がってきた自然エネルギーの輪によって

次の時代を創造していくことを、ここで皆さんと確認しようではないか。

オーッ! てなもんで。 

 

あとは、飲み、語り合い、、、

東京集会一日目の夜は、ざわざわと更けてゆくのでありました。 

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2014年2月19日

オーガニックフェスタで、お米の生産者と語り合う場を

 

焦って焦ってしているうちに、

大地を守る東京集会 2014」 が、今週末に迫ってきた。

ここで一つの案内をお許し願いたい。


東京集会はいつも、前年の夏には実行委員会が結成され、

準備がスタートする。

年末にはほぼすべての企画が出揃ってきて、

予告チラシなどの制作も動く段階になっている。

そんなスケジュール感は先刻承知のベテランなわけだけど、

実は年末ギリギリになって新たな提案を出してしまったのだった。

きっかけは、米のメニューのひとつとして販売していた

「日本の原風景・里山の棚田米」 シリーズが、農林水産省主催の

フードアクションニッポン・アワードで、商品部門の 「最優秀賞」 を受賞 したことだ


我が専門委員会 「米プロジェクト21」 では、

事務局スタッフがすべて本業のほうの企画に回っていて、

とても独自に出展する余裕もなかったのだけど、

「みんなが集まる東京集会だから、やっぱささやかでも紹介の場は用意したい」

となった。 

言ってしまったのは自分である。 言わせたのは酒である。

吾輩は懲りない猿である・・・ てな感じで、引くわけにいかなくなった。

実行委員会に掛け合ってみたら何と! 6階の会議室がひとつ空いているよ、と。

ハマっちゃったよ。 本当に、やるしかなくなった。。。

1月の中旬頃にもなると、今度は逆に実行委員会から、

「ホントにやるんだよね」 「もうパンフレットには載せられないよ」 の波状攻撃。

「やるっつってんだろ!」 と強気で開き直りながら、

裏では農産・米担当をおだてたり頭下げたりしながら、

何とかギリギリ段取りつけた次第。


ということで、、、

2月23日(日)の 「オーガニックフェスタ 2014」 にて、

以下の特別セッションを行ないます。 どうぞ奮ってご参集ください!! 


お米の生産者と語ろう

 ~ 田んぼと台所が守る未来を ~


◆ 会場 : 6 階 「特別会議室 E」

◆ 時間 : 13:00~16:00

◆ 内容 : 

  ① お米 4 種類の食べ比べ 

  ② 生産者トーク

     Ⅰ) 森の里工房(島根) 佐藤大輔さんが語る 『 棚田の力 』

         - 「日本の原風景・里山の棚田米」 最優秀賞受賞を記念して

     Ⅱ) 蕪栗米生産組合(宮城) 千葉孝志さんが語る

        『渡り鳥と共生する田んぼの世界』

        - 水生生物にとっての貴重な湿地として、世界で初めて

          田んぼがラムサール条約に登録された場所からの報告

     Ⅲ) リレー・トーク  『オレにもしゃべらせろ!』

       ≪発言予定者≫

        ・ やまろく米出荷協議会(福島) 岩井清さん

        ・ みずほ有機生産者グループ(山形) 菅原専一さん

        ・ ライスロッヂ大潟(秋田) 黒瀬友基さん

        ・ あそ有機農園(熊本) 山本誠也さん  


フェスタも最高潮に盛り上がってくるであろう時間帯なので、

6 階まで上がって来てくれるだろうか。 しかも

正式プログラムにもおそらく一行程度しか書かれてないだろうし・・・

ということで、せめてこの場で PR させていただきました。


生産者の方々には、飛び入り大歓迎です。

小さな部屋なので、じっくりと語り合いましょう。

お題は自由です。 TPP でも、減反問題でも、自給率でも、栽培技術でも。

ただし人の悪口と喧嘩はご法度。

行儀の悪い人には 「退場」 を命じる場合があります。

以上




2013年12月 3日

日本の原風景・里山の棚田米-フードアクション最優秀賞受賞!


農林水産省が後援する 『食と農林漁業の祭典』 シリーズ。
その最後のイベントで、本日、ビッグなニュースが発表された。

国産農産物の消費拡大と食料自給率向上に寄与した
取り組みを表彰する
大地を守る会が頒布会形式(全6回) で販売してきた
「日本の原風景・里山の棚田米」 企画が、
最優秀賞 を受賞した。
 
コメの消費低迷と価格下落に加え、高齢化が進む中山間地農業。
里山の自然と暮らしを支えてきた棚田も荒れていく一方のなかで、
何とか販売で支えたいと力を入れてきたものだ。
 
島根県浜田市(旧弥栄村) 「森の里工房生産組合」 のお米を
「棚田米」 と銘打って販売を開始したのが2010年。
今年から 6ヶ所の契約産地を選んで、頒布会形式での販売にトライした。
 
地道に売った棚田のお米が、3 年間で約 70トン。
この取り組みが評価されての受賞となった。
地域にどれだけの貢献を果たせたのかは心許ないけど、
素直に胸を張りたい。

僕は出られなかったけど、授賞式での記念写真を貼りつけたい。
社長(前列中央) もいい笑顔だが、
左隣の佐藤隆さん(森の里工房生産組合) が喜んで参列してくれたことが、
何よりも嬉しい。
生産者にとって、これが励みになればと願うところである。

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日本の気候風土に絶妙にマッチした水田稲作は、
日本人の暮らしの土台となり、文化形成にも大きな影響を与えてきた。
そしてこの急峻な地形の多い国土で、傾斜地を見事に活用し、
食料生産と環境保全、生物多様性の維持(というより増進)
を支えてきたのが棚田である。

しかし平地のように効率化や生産性を上げられるものでなく、
その作業の大変さから、高齢化とともに放棄水田が増えてきた。
今では、日本の棚田の4割が失われたといわれている。

営々とマンパワーで築いてきた芸術的な棚田の崩壊は、
おそらく現代の機械技術では再現できない。
僕らは、途方もない知的財産を捨てた時代の人々に、
まさになろうとしている。


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今回の最優秀賞の受賞を、生産者とともに弾みにしたい。

これはたんに、懐かしい原風景を守ろうという情緒的な話ではない。
未来に残すべき、持続可能な社会資源の貯金システムがここにあるのだから。

しっかりと食べることで、それだけで、
生産者の誇りを支え、美しい環境とそれを支える技術を継承することができる。
もちろん食べる人の健康を守ることにもつながる。

【以下、案内】
大地を守る会では、この受賞を機に
ウェブストアでの取り扱いも開始しました。
1月には頒布会の追加募集も行なう予定です。

この機会にぜひ一度、食べてみてほしい。
そして一瞬でも、里山の保全につながっていることに思いを馳せていただけるなら、
嬉しいです。

会員向け頒布会で登場する生産者は以下の通り。

 1.石川県加賀市、橋詰善庸さんのコシヒカリ(有機栽培)
 2.富山県入善町、「富山・自然を愛するネットワーク」 さんのコシヒカリ(有機栽培)
 3.新潟県佐渡市、「佐渡トキの田んぼを守る会」 さんのコシヒカリ(農薬不使用)
 4.新潟県上越市、内藤利孝さんのコシヒカリ(有機栽培)
 5.新潟県十日町市、佐藤克未さんのコシヒカリ(有機栽培)
 6.宮城県大崎市、「蕪栗米生産組合」 さんのヒトメボレ(有機栽培)

ウェブストアのご利用は、こちらからどうぞ。

大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 では、
棚田を訪ね生産者と交流する機会も用意したいと考えています。
(来年夏には佐渡ツアーを計画中。)

=追伸=
フードアクション・アワードの商品部門では、
「純米富士酢」 の飯尾醸造さん(京都府宮津市) が優秀賞を受賞。
こちらも京都・丹後の棚田をしっかり守って、
伝統的な静置発酵法によって酢を作り続けてきた長年のお取引先です。
合わせて報告まで。



2013年6月 8日

CSR 総会から

 

今日は 「大地を守る社会貢献活動(CSR) をすすめる会」

2013 年度の総会が開かれた。 

 

1975 年に設立された市民運動団体(NGO) 「大地を守る会」 は、

3 年前の 10 月に(株)大地を守る会と統合し、

上記の 「(CSR) をすすめる会」 に衣替えして活動を継続してきている。

そこで 「総会」 も NGO 時代から続いてきたスタイルを踏襲して開催されてきた。

 

NGO 大地を守る会が、発展段階に入った流通事業部門を

株式会社に独立させたのが 1977年。

以来、「運動と事業は車の両輪」 と標榜しながら運営してきたのだが、

統合の際には、それを改めて内部に一本化する、と宣言した。

NGO の理念を、憲法のごとく、会社の定款の前文に据えて。

僕はこの一連の流れを、「運動部門を事業のエンジンに組み込んだ」 と表現した。

今もその思いは変わらずにある。

 

ただし、時代は変わっていくのである。

NGO 時代に理事だった僕は、統合とともに

「すすめる会」 の運営委員へとスライドされたのだが、

昨年の総会をもってその席を後輩に託した。

我らがエンジンは日々進化しなければならない宿命を負っている。

したがってそれは職員一人一人のハートのなかに存在しなければならない。

運営委員という無報酬の仕事は、

多くの職員が経験したほうがいい、と思ったのだ。

 

ま、そんなワケで、今年の総会は出番もないだろうと、

とても気楽な気分でいたのだが、

今年から、活動報告はそれぞれの担当から発表してもらう、

というスタイルに変えるとのお達しが出た。

「大地を守る会の放射能問題への取り組み」 はエビがやれ - と。

 


もちろん自分で書いた活動報告と方針なので、

発表自体は全然 OK なんだけど、

やっぱ人前に出るのと出ないのとでは、気の持ちようが違ってくる。

緊張もするし。。。

 

内容にはそれなりの自負もあって、

喋る以上は 30 分は欲しいところだが、持ち時間は 3 分。

嫌がられるのを承知で、時間切れのチン! が鳴らされるまで

語らせていただいた。

 

放射能の昨年度の測定件数は、5,844 件。

毎週の配布物 「HAKATTE」 と HP で結果を公開する体制を継続させた。

放射能連続講座を 6 回開催。

講師の選定には気を使ったが、できるだけバランスよく選んだつもりである。

かつ歴史認識を新たにする意味で

耳を傾けるべき人をお一人含ませていただいた。

お陰さまで継続希望も多く、今年の第 2 クールへとつながっている。

 

生産地での除染対策支援では、

須賀川市・ジェイラップ (稲田稲作研究会) の取り組みは

特筆すべき成果を上げてくれた。

貴重な社会資産を残したと言っても過言ではないと思っている。

これも震災復興基金の力で、測定器を無償貸与できた力が大きい。

 

生協など 4 団体に呼びかけて結成した

「食品と放射能問題検討共同テーブル」 では、

延べ 2 万件を超えるデータを持ち寄って分析を進め、

震災後丸 2 年を経た今年の 3月11日 、

規制値や政策の見直しを求める 「提言書」 を政府に提出した。

 

基本とした姿勢は、

『食品の安全基準は、食べる人を守るためにある』 である。

リスクに対しては、可能な限り 「予防原則」 の立場に立つべきであり、

仮に規制値を超えた生産物・生産地に対しては、

国の責任をもって対策を講じ、支援する。

そういう仕組みを整えてこそ、食への信頼が回復されると信じるものである。

メディアからの反応も高く、雑誌での討論に呼ばれるなど、

一定の社会的発信はできたと思う。

 

「放射能対策特命担当」 を拝命してより

一貫して心掛けてきたことは、大地を守る会の行動が、

民からの取り組みとしてのひとつのモデルに、

あるいは行動規範やモノサシとなるような、

そんな活動にしなければならない、ということだった。

 

できなかったことはたくさんあるし、反省点も多いけれど、

まあ頑張ったよ、とは言わせてほしい。

 

この仕事には、終わりがない。

いずれ 「特命担当」 という非常時のような肩書きがなくなり、

大地を守る会を退職する日が来ても、

いったん背負ってしまったこの荷物は、もはや捨てられない。

河田昌東さんが言った 「忘れないこと」 、それは未来への約束だから。

胸にしまった以上、背負い続けて生きていくしかない。

 

総会議案書の項目からなくなっても、この仕事は終わらない。

それくらいの構えは持っているつもりである。

 



2013年3月14日

「Daichi & keats」 日本酒セミナー のご案内

 

季節の変わり目に入り、異常な風が吹く今年です。

日曜日には突然の 「煙霧」 に見舞われ、昨日はさらに強い 「風塵」 だとか。

電線に引っ掛かった自転車には驚きました。

皆様、体調のほどはいかがでしょうか。

 

さて、大地を守る会が昨年3月、東京・丸の内にオープンさせたカフェ&バル

「Daichi & keats」 では、開店一周年を記念して

4回連続での日本ワイン・セミナーを開催してきましたが、

記念企画の締めとして、「日本酒セミナー」 を開催します。

 

日時は3月30日(土)、18:30~20:30。

ゲストは、大和川酒造店の杜氏である佐藤和典工場長。

「種蒔人」 はじめ数種類の日本酒が堪能できます。

世界に誇る複雑な醗酵プロセスを経て醸される日本酒の世界に、

用意される 「D & k」 の料理。 さて、どんなコラボになるのでしょう。

参加費は、1周年特別価格! お一人様 3,900円。 

 

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飲みながら、食べながらのささやかな復興支援。

「この酒が飲まれるたびに、田が守られ、水が守られ、森が守られ、人が育つ」

(「種蒔人」 基金のキャッチフレーズ)。

そんな空間が生まれることを願って、多くの方のご参加をお待ちします。

詳細とお申し込みはこちらから (要予約です)。

 ⇒ http://ameblo.jp/daichi-keats/

 

おまけをもう一つ。

『つながろうフクシマ! さようなら原発 大行動』 に行けなかったお詫びに-

3月31日(日)、

大地を守る会の専門委員会 「原発とめよう会」 では、

ルポライターで 「さようなら原発 1千万人署名」 の呼びかけ人の一人、

鎌田慧さんをお呼びしての講座を開催します。

「鎌田慧さんと考える 原発にたよらない社会の作り方」

時間は14時~16時半。

場所は、池袋・豊島区生活産業プラザにて。

参加費 : 会員=無料、一般の方は500円。

お申し込み・お問い合わせは、原発とめよう会 tomeyoukai@daichi.or.jp まで。

 



2013年3月 2日

放射能から学んだこと -生産者の発言から

 

春一番が吹いても、気分はモヤモヤでしょうか。

中国からの、いま俄かに発生したワケでもない PM2.5 とかの影響も取りざたされて、

これからは黄砂もやってくるし、花粉が飛ぶ時期に入ったシグナルでもあるし。

 

東京集会開催にあたっての藤田代表の冒頭挨拶で、

中国で有機農産物流通組織をつくる支援を進めているという話が

少々控えめに報告されたけど、

中国で食と環境を守る担い手を育てることは日本にとってもメリットのあることだし、

「強い外交」 以上の国際連帯だと、

やる以上それくらいは断固言い切ってもらいたいものだと思った。

なけなしの金も人も使ってやるしんどい作業には、やっぱ大義が必要だから。

 

さて、「放射能連続講座」 の続き。

生産者2名の方に登壇いただいた。

 

福島県須賀川市・ジェイラップ代表の伊藤俊彦さん。

「稲田稲作研究会」 の米を守るために、正真正銘、命を張ってきたことを、

僕は知っている。

 

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原発事故があって、

安全神話に胡坐をかいて何ら危機に備えていなかったことを、

腹の底から後悔しました。

今は、ただしい知見とデータを残していくことが、

地球のどこかで何かが起きたときのための、恩返しになると思っています。

 

震災と事故のあと、心に決めたことは、農産物をただ売るためでなく、

「自分たちの家族を守る」 ために行動しよう、ということでした。

危ないと思うものは食卓に並べない。

同じように人に食べさせるワケにもいかない。。。

 

今年(2012年産) の福島の米は

全袋検査で 99.8% が 25Bq 以下という結果を得ましたが、

自分たちは独自の基準値を持って、1Bq でも下げようと努力してきました。

稲作研究会メンバー全部の田んぼの坪刈りをして、

稲刈り前から田んぼごとのデータを取ることで、米を出荷する際に

たまたま高いものが混ざるといったことも防ぐようにしました。

 

1年目(2011年産) は、玄米ベースで 3.1Bq。

2年目(2012年産) は、 2.5Bq まで下げられた。

もっと下げられると思って実験をやってきた田んぼでは 2.1Bq 平均を達成しています。

これだと年間60㎏(現在の日本人平均消費量) 食べたとして、

0.0005mSv (=0.5μSv/マイクロシーベルト) くらいですかね。

来年の目標は、玄米ですべて 2 以下 (白米で 1 以下) にしたいと考えてます。

  (注・・・これらの数値は、ゲルマニウム半導体検出器で相当に時間をかけて

   計測できる、通常はND -検出下限値以下- で語られるレベルである。)

 

自分も4世代8人同居で暮らしています。

「家族を守れなくてどうする」 という思いで一所懸命、

できることをやろうと試行錯誤してきました。

やろうと思ってもできないことはありますが、

それでもやればできることのほうがはるかに多い、ということも学びました。

その模索が、結果的に我々を進化させたように思います。

国ではなく、自分たちの基準で判断し、実践して、結果をちゃんと発信する。

これからもたしかな情報発信に努めながら、

いい百姓を目指して頑張りたい。

 

二人目は、「あいづ耕人会たべらんしょ」 の浅見彰宏さん。

大企業勤めをきっぱり捨てて、会津・山都町に入植して17年。

江戸時代から築かれてきた水路を守る活動を全国に発信し、

今ではすっかり地元の古老たちからも頼られる存在になっている。

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家族に安全なものを食べさせたいという思いで農業をやってきました。

福島原発から 100~120km の距離にあって、

最初は情報も知識もなく、安全かどうかも分からないまま、

このまま野菜を人に食べさせていいのか、と悩みながら悶々としました。

幸い 「食べらんしょ」 での野菜の出荷前に、大地を守る会で測ってくれたことは

本当に有り難かった。

 

今は2年経ってデータも集まり、何とか落ち着いて判断できるようになってきました。

地域資源を活用する有機農業にとって測定器を持つことのメリットは、

資材を計測できることだと思っています。

堆肥の原料の安全性も確認しながら使うことができる。

(それは地域にとっても安心の材料を提供できる、ということである。)

 

有機農業は、ひとつの生産手段とか営利活動ではなくて、

未来への財産を残す、引き継ぐ、そんな職業だと思っています。

この環境を未来に残すために、耕し続けたい。

 

一番怖いと思うことは、(消費が) 東日本産を避けることで

農業が顧みられなくなったとき、農家の意欲が喪われていくことです。

いま福島で耕作放棄地が増えています。

地域が衰えると、やる気のある農家も続けられなくなる。

もう一度、農業の価値を見直す作業を、皆さんと一緒にやり直したいです。

 

・・・・・・・・・・・・

放射能問題は、生きることの本質を私たちに突きつけている。

国に対して言いたいことは山ほどあるが、

社会の土台にあるのは人とモノの流れ (生産と消費のつながり) であって、

それは我々の日々の営みによって築かれていく。 あるいは壊れてゆく。

暮らしを他人任せにしては、社会は脆弱になり、

結果的に社会コスト (外部不経済) は膨らみ続ける。

格差社会を拡大再生産させる  " 顔の見えない "  グローバリゼーションの世界では、

そのしわ寄せは不均衡な帳尻合わせによって糊塗され、

ツケは未来世代が負うことになる。

その予兆が、目の前に迫っている増税である。

 

これは食品の安全性による切り分けではなくて、

大事なものを取り戻す作業なのだ。

 

東京集会レポート、もう一回続く、で。

 



2013年2月28日

「放射能連続講座」 第Ⅱクールのスタート

 

35年にわたって欠かさず続けてきた 「大地を守る東京集会」。

僕らはどこまで辿りつけたのだろうか・・・

「食」 や地球の健康はよくなったのだろうか。

世の流れを見ると疑問符がつくばかりだけれど、

食の安全と環境を守ろうとする人々の輪が広がったことは確かだ。

 

1日目(2/23) の夜は、

その輪を形成する人たちによる大交流会が開かれた。 

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「種蒔人」 もこの20数年、この場に欠かせない脇役として

和を醸し続けてきた。

僕もできることならば、こういう生き方をしたいものだ。

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交流は2時間では終わらず、解散後もさらに盛り上がる。。。

翌朝目覚めれば、メガネがなくなっていた。

今回の僕の役割は二日目が主だというのに。

 

ぼんやりした風景に包まれたまま

2月24日(日)午前10時、

「大地を守る会のオーガニックフェスタ」 開幕。

 

一階メイン会場では 「オーガニックマルシェ」 や 「復興屋台」 に

人が群がり始めていることだろうと想像しながら、

こちらは4階コンベンションホールで準備を進める。

10時半、「放射能連続講座Ⅱ」 シリーズのスタート。

第1回は 『放射の汚染の現状と課題』 と題し、

NPO法人市民科学研究室代表の上田昌文さんに講演をお願いした。

 

原発事故からほぼ2年が経ち、

食品での放射能汚染はどこまできたか。

何が分かり、何が分からないままなのか。

暮らしのなかで気をつけるべきことは何か。

残っている課題に対して、私たちはどう対処してゆくべきか。。。

上田さんには、この2年間で公開された膨大なデータを解析していただき、

現時点での傾向と対策を整理していただいた。

もちろん大地を守る会の測定データもずべてお渡ししてある。

 

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上田さんの話を整理すれば、こういうことになるか。

・食品に関しては、全体的にはほぼ問題ないレベルに落ち着いてきている

 と言ってもよいだろう。

 (微量レベルも含めて今も検出されているのは、

  米、大豆、キノコ類、山菜、一部の果樹、それに時々野菜といった感じだが、

  食べる量で勘案すれば心配するレベルではないと言える。)

・気になるのは魚。 今も高い値が出るケースがあり、まだ不確かな点が多い。

 データを引き続き注意しながら選ぶ必要がある。

 表層にいる魚はほとんど検出されない。

 イカ、サンマ、サケなどはまったく出ていない。

 昆布や若布などの海藻も安心して食べていい。

 しかし原発周辺では今も汚染が続いている現実は忘れてはいけない。

 

・今の状況では、スーパーなどで普通に食品を買って食べたとしても、

 ほとんどは年間 1mSv (ミリシーベルト) 未満に収まると思われる。

・福島での調査では、尿中の濃度が減ってない23歳・男性のデータもあったが、

 食事に気をつけている家庭の子供は確実に減少している、

 という結果が得られてきている。

 

上田さんは一枚のペーパーを配り、面白いテストを試みてくれた。

「 ここに米から始まって、大豆、魚、野菜、牛乳、卵、肉、果物・・・・・と

 48種類の食材があります。

 この中から、10種類の食べ物を買って子どもの夕食を作ってください。

 そしてその10種類が、それぞれ今までで検出された最も高い数値のものと仮定します。

 つまり最悪の食材を選んでしまったとして、

 子どもの摂取量からベクレル数を計算してみます。

 さて、いくらになるでしょう。 今から30秒で選んでください。 さあ、どうぞ。」

 

僕もやってみる。

ゼロだと分かっているトマトやキュウリや卵やサンマなどは外して、

やや意識的に出ていそうなものを選んでみる。

上田さんがそれぞれの食材で数値を発表する。

それを足し算した結果、会場で10ベクレルを超えた方は一人のみ。

5~10の間の方が3分の1くらいか。 あとは5ベクレル未満。

僕の意図的選択では、9.8ベクレルと出た。

そしてこの  " 現実に出回っているものの中で最も高いレベル " 

ばかりを選び続けたとして、年間の内部被ばく量は

0.1mSv (国の基準の10分の1レベル) くらいの計算になる。

だから大丈夫、と言いたいワケではない。

食事による内部被曝のリスクは、

ちょっとした工夫、少しの注意で乗り切れる。 それを意識しようということだ。

大まかにでも傾向を知っておくことが大切。

「今はもう、福島産だから食べない、というような時期ではありません。

 データを見て、冷静に選んでほしい。」

 

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ここで安心できないのは、放射性物質は均等に降り注いだワケではない、

ということだ。

ホットスポット、ミニ・ホットスポットと呼ばれる場所が広範囲に存在している。

時にホウレンソウなどで微量とはいえ検出されたりするのも、

畑の場所によって濃度が違っていることを表していると思われる。

 

研究者と住民が協力し合って、きめ細かい測定とマップづくりを実施した

二本松や南相馬のような調査を、もっと各地で進める必要がある。

そして徹底した除染。

これは住民合意と安全性の確保を前提として

国の責任でやらなければならないことだが、不充分と言わざるを得ない。

またこれからは、食品を測ればいい、ということではすまない。

水・飲料水は安心して飲んでよいと言えるが、

下水処理場の汚泥には蓄積されていっている。

焼却灰など環境への影響はきちんとチェックしていかなければならないが、

国の対策には疑問が残る。

 

野菜でも、ただ県・市町村と品目で判断するのでなく、

ほ場ごとにデータを取ることが、(大変なことだが) 本当は必要である。

この畑では ND でも隣の畑では高めに出たりすることがある。

そういう意味でも、大地を守る会がとってきたほ場ごとの管理は役に立つ。

また福島の米の生産者たちが取り組んだ対策は、優れた先行事例である。

昨年実施された1000万袋を超える全袋検査では、

99.8% が検出下限値の 25ベクレル 以下だった。

ゼオライトやカリ施肥、反転耕などの成果を、きっちり活かしてほしい。

 

当初は、堆肥などを使う有機農業のほうが怖いと言われ、打撃を受けた。

しかし筋の通った対処を取ったのは彼らである。

事実を知ること、対策を考え実行すること、結果をただしく発信すること。

この3つを、生産者は実践していってほしい。

 

これからの課題としては、

環境 (森林や水系など) からの影響を受けそうな品目に関して、

土壌濃度の継続調査などによって、早めの対策を打てるようにしたい。

(上田さんとは、そのための

 今後の測定品目の  " 選択と集中 "  について話し合っているところである。)

 

最も気になることは、福島の子どもたちの健康調査が徹底されてないことだ。

原発事故から26年経ったチェルノブイリでは、

今も深刻な健康への影響が続いている。

いろんな臓器での病気が増えている。

ウクライナでは事故から10年後に厳しい食品の基準を設定したが、

内部被ばくのコントロールは難しい。

EUでは、改めて健康調査の見直しと孫の代までの徹底した継続調査が

プロジェクトとして進められている。

それに比べて- 福島でのケアはまったく不充分だと言わざるを得ない。

 

・・・・・・・・・・

話の順番は違うけど、だいたいこんなところか。

上田さんには、1時間という短い時間で網羅的な整理を、

という無理難題をお願いしたのだが、

ポンポンと話を進め、ぴったり一時間で収めていただいた。

さすが、である。 改めて感謝々々。

 

現在、中継映像のアーカイブが

大地を守る会のHPからアクセスできない状態になっていて、

改善を管理人さんにお願いしています。

見れるようになったら、改めてご案内いたします。

 

さて、続いてゲストにお招きした二人の生産者の発言を。

 

続く

 



2013年2月27日

『2013 大地を守る東京集会』 無事終了

 

2日間にわたって開催された 「大地を守る東京集会」 が終了した。

23日(土) も 24日(日) も、終わった後で生産者たちと飲み、

帰れなくなって、某カプセルホテルに潜り込む始末。 

懲りないヤツ、と言われたりもするけど、生産者がいる以上、

先に帰るワケにいかない。 とまあ、そういう性分なのだ。

 

最後の最後まで付き合ったのが、

岡山県倉敷市・庄地区無農薬研究会の 山崎正人さん と、

秋田県大潟村・ライスロッヂ大潟の 黒瀬友基さん (ともに米の生産者)。

二人はこの展開を織り込み済みで、しっかり蒲田に宿を確保していた。

  (※ 上の名前をクリックすると、米の仕入担当が昨年取材した映像が見れます。)

 

ま、そんなことはともかく、

まずは、全国からお集まりいただいた生産者会員、消費者会員の皆様。

有り難うございました。

お陰さまで盛会裏に終えることができました。

この場を借りて、深く感謝申し上げます。

 

よる年波のせいか、まだ疲れをひきずっている感が否めず。

でも取り急ぎ、自分が回ったところだけでもアップしておかねば。。。

今年の 「東京集会」 はあまり全体を見れなかったけど。

 

2月23日(土)、12:20 の開会時には、

すでにあらかたの椅子が埋まる感じになった。 嬉しいね。

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代表取締役・藤田和芳の挨拶から始まり、

行動派の社会学者・宮台真司さん(首都団学東京教授) の記念講演がある。

テーマは、『食とエネルギーの共同体自治』。 

 

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宮台さんは、原発の是非は国民投票で決めようとキャンペーン活動を展開する

みんなで決めよう  「原発」 国民投票』 の共同代表も務めている。

 

「 これは脱原発を進めるための運動ではありません。

 原発を推進するための運動でもありません」

と宮台さんは説明する。

 


つまり、単純に投票による多数決での決済を求めているのではなく、

この国の在り方に対する判断力と決定権を国民が持つことの意味を、

国民に問いかけているのだ。

 

判断するための情報や決定権を専門家や役人に任せず、

自らが " 判断 " し、決定に " 参加 " するためには、

投票に至るまでのプロセスが必要になる。

住民主体によるワークショップや対立する専門家同士での公開討論会

などを重ね、国や自治体や企業に必要な情報を開示させてゆく。

この作業を宮台さんは  " 熟議 "  と表現する。

そして熟議を経た上での、世論調査としての住民投票が行われる。

こういった作業(経験) の積み重ねによって、

巨大なフィクション (いわゆる  " 神話 "  ) の繭を破壊し、

都市や地域や社会を我々のものにすることができる。

 

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「参加と熟議」 によって、分断された個々を包摂する 「自立した共同体」 の確立。

それによって民主主義をバージョンアップさせよう。

でなければ、私たちは生き残れない。

 

公共性を定義するのは市民である。

市民が定義しないから、役人が定義するしかなくなる。

国に  " 頼る "  のではなく、地域を守る主体を取り戻す必要がある。

これが3.11と原発事故が私たちに教えたことではないだろうか。。。

 

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宮台さんは戦後を代表した政治思想家、丸山真男の民主主義論を

批判的に検証しつつ、それを乗り越える 「共同体」 の再構築を説いた。

そのあたりは大学の政治思想か社会学講義のような展開だったので、

生産者の方々にとってはどんなふうに受け止められただろうか。

また若い世代に丸山真男って通じるのだろうか・・・と少し気になった。

本意が伝わったなら幸いである。

大学で社会学を学んだ者として個人的な感想を言えば、

当時強迫のように説かれていた 「個の確立」 といった主張の危うさは、

大いに共感するところだった。

(僕のゼミ論テーマは 「現代社会における人間疎外の構造」 という、

 斜に構えたものだった。)

 

さて、講演と並行して各会場では、

生産者とのおしゃべり会や映画上映会などが始まっている。

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いろんなところを覗いたり話の輪に加わったりしたかったのだが、

立場上、生産者向けに企画された 「自然エネルギー説明会」 に顔を出す。

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「大地を守る会 顔の見えるエネルギーコンペ」 ・・・って何だ?

 

要は、生産地での新たな自然エネルギーへの取り組みに対して、

大地を守る会として支援しますよ、という案内である。

ただし、地域の特性を活かし、地域社会とつながった (できれば広がりのある)

取り組みであること。

そのために必要な設備投資資金や調査研究費などを助成する。

ただし原資の都合もあるため、応募いただいた企画から選考し最大5件まで、

かつ1件あたり上限300万円まで。

 

この企画は、手を挙げた若手社員たちのアイディアで生まれたものである。

いや正確に言うと、これという企画にまとまらなかった結果が、コンペだった。

 

原発や化石燃料に頼らない、自然エネルギーを活用した持続可能な社会づくりに向けて、

新しい発想でチャレンジする産地を応援します。 奮ってご応募ください。

詳しくは、こちらを ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/cp/d-energy/ 

 

先進事例のひとつとして、

熊本県 「肥後あゆみの会」 代表の澤村輝彦さんが取り組む

木材チップを利用したトマトハウスの暖房設備が紹介された。

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通常ハウス栽培の暖房には重油が使われるが、

澤村さんは地域で産出される廃木材のチップを利用してハウスを温めている。

すべて手作りで、3年に及ぶ試行錯誤の上、ほぼ完成形にまで近づけてきた。

大学も注目して効果検証に協力してくれているとのこと。

 

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木材チップも重油もコストはほぼ同じだが、

チップのほうが灰の描き出しなどの手間がかかる。

「まだまだ改良の余地がある」

「竹も活用できると考えている」

と語る澤村さん。

ちなみに、澤村さんのトマトは

有機JAS認証を受けた 「有機トマト」 である。

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地域の未利用資源の活用と安全な食生産がつながり、

循環型で持続可能な社会システムの萌芽が各地でつくられていく。

その動きを少しでも後押しできる 「コンペ」 になることを願いたい。

 

「2013 東京集会」 編、続く。

 



2012年12月25日

《予告》 「オーガニックフェスタ2013」で企画2連発!

 

ノロウィルスが猛威を奮ってますね。

しかも新たな変異株が発見され、全国的に拡がっている様子。

ウィルスも進化(?) しながら対応能力を強化してゆき、

人間の衛生対策や免疫とのイタチごっこは永遠に続きます。

しかも都市というのは極めて繁殖・拡散しやすい環境にあります。

我々はもっと野生を取り戻さなければアカンのかもしれません。

とか言いながら、食品を扱う業界は、神経研がらせた年末商戦です。

皆様には、お変わりございませんでしょうか。  

 

さて、今年もあと一週間を切り、年明けの予告をいくつかお知らせします。 

 

まずは、2月24日(日)、年に一度の大交流会

「大地を守る会のオーガニックフェスタ2013」 にて、

二つの企画を用意しました。

これは10月に終えた放射能連続講座で、最後にお約束した宿題でもありました。

 

ひとつは、NPO法人市民科学研究室代表の上田昌文さんを再度お招きして、

放射能講座を開催します。

忌わしい原発事故から2年近く経って、今の汚染状況はどうなっているのか。

何がどこまで分かり、何がまだ分かってないのか。

何が大丈夫で、何に気をつけるべきなのか。

被ばくと健康リスクの関係についても未だ意見が分かれる中、

私たちはどう理解して対処すべきなのか。。。

この難題に対して、これまでの厖大な測定データをもとに、

可能な限り整理してもらいます。

明日からの暮らしに役立てていただけたら幸いであります。

 

もうひとつは、連続講座で示された大切な視座

- 「栄養バランスの取れた食生活で免疫力を強化すること」 について。

お呼びするのは、プロのアスリートやミス・ユニバースへの栄養指導に携わってこられた

予防医療コンサルタント、細川モモ さん。

株式会社タニタさんと提携しての食事指導ですっかり有名になって、

チョー忙しい身でありながら、「大地を守る会でお話しできるなんて光栄です!」

と快くお引き受けいただきました。

 

先週の17日、丸の内の新丸ビル・エコッツェリアのスペースをお借りして

講演の打合せを行なった際も、年内に発行される予定の新刊

Luvtelli  Baby  Book』 の校了を終えたばかりだと、

息をはずませながら登場されたモモさん。

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(左手前は、弊社広報課・栗本遼)

 

講演の打合せというよりも、

いかに人間の体や健康と食が密接につながっているか、

最新の栄養学で分かってきたことなど、矢継ぎ早にレクチャーを受けたっていう感じ。

しかしオッサンにはもはや手遅れの感もなくはなく、途中から

「くりもとクン! よ~く聞いておくように」。

 


ちなみに 「モモ」 さんという名前は本名。

ミヒャエル・エンデの小説 『モモ』 からとったもの。

生前は大地を守る会の会員で 「とにかく食の大切さを刷り込まれた」 という

お母さんの思いが偲ばれます。

 

講演では、健康のためのバランスのとれた食事のポイント、

醗酵食をはじめとする日本食のすごさ、妊娠前に知っておきたいこと、

などなど縦横に語っていただきます。

「放射能」 なんていう無粋な言葉は出ないかもしれません。

でも、これも間違いなく 「放射能に対する適切な防護」 の答えだと思うワケです。

 

当日はタニタの方も参加され、パネルトークを行なう他、

展示や体組成計を使った健康チェックも実施すべく準備に入っています。

しかし、なんと悔しいことに、むさくるしいオヤジが司会じゃまずいよね、ヘンよヘン、

というのが 「誰もが認める客観的判断」 だそうで、

進行は若者にゆずることになります。

 

昨年度 (今年の3月3-4日) のフェスタの様子を眺めながら、

「すごく楽しみになってきました」 と喜んでくれるモモさんでした。 

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「大地を守る会のオーガニックフェスタ」 はどなたでもご来場いただけます。

講演や映画、生産者のブースに試食コーナーなど、

盛りだくさんの企画でお待ちします。

もちろん無料。

会場は例年と同じ、大田区蒲田の 「大田区産業会館 Pio」。

年が明けたら 大地を守る会の HP でも告知されますので、

どうぞお楽しみに。

 

そして連続講座でお約束した3つ目。

水産資源学の勝川俊雄さん(三重大学准教授) の

「本業の話をちゃんと聞きたい」 の件。

こちらは専門委員会 「おさかな喰楽部」 が受けてくれて、

1月12日(土)、『おさかな喰楽部の新年勉強会』 として開催します。

 

豊かなはずの日本の海。

しかしこのままでは私たちの食卓から魚が消えるかもしれない・・・

水産資源をどう回復させるか、漁業再生の道筋を勝川さんが語ります。

 

時間は、13:30~16:30。

場所は、築地市場厚生会館。

参加費無料 (非会員の方は500円)。

まだ席に多少の余裕があるようです。

お問い合わせは、おさかな喰楽部メール・アドレス

 ⇒ Osakana@daichi.or.jp  まで、お気軽にどうぞ。

 

「オーガニックフェスタ」 では

次の連続講座(第Ⅱクール) 開催の予告ができるよう、準備を進めています。

「正しい理解、適切な対策、健全な食生活」 をベースに据えて、

「人と社会の健康を取り戻す」 ために、目下講師交渉中。

正直言ってちょっと苦戦してますが、

前回より前に進んだ講座にはしてみせたいと思ってますので、

乞うご期待ということで。

 



2012年11月23日

「希望」 を捨てないこと

 

「藤本敏夫没10年を語る」 第2部は、立食パーティ。

 

故人を偲ぶ場でもあるかと思うんですが、いいのでしょうか。

「いいのよ、希望を語る場なんだから。 やっちゃいましょう」

と登紀子さんのひと声で、「鏡開き」 での2部開演となる。

お酒は新潟・JA津南町から届いた樽酒 「霧の搭」 。

 

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藤本さんの戦友、『インサイダー』編集長・高野孟さんによる乾杯があって、

しばしご歓談タイムに。

古い仲間と、あるいは昔のライバルと、交流を楽しんでいただければ-

でもくれぐれも内ゲバは無しでお願いしますよ。

内ゲバは藤本さんが強く戒めた行為です。

 


今や各界で重鎮となった方々のリレートークが始まる。

 

本会実行委員を引き受けていただいた青果物流通研究会幹事長、

松源商事(株)代表取締役、鹿間茂 様。

 

島根から、(有)木次乳業相談役、佐藤忠吉 様。 

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「だいたいの病気は経験したからねえ、体はボロボロ」

と言いながら、90歳にして矍鑠(かくしゃく) たる振る舞いは脱帽するしかない。

 

全国産直リーダー協議会事務局長、千葉・さんぶ野菜ネットワーク常勤理事、

下山久信 様。

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「藤本さんから託された言葉を、私は忘れてません。」

有機農業の発展に尽くす覚悟であります、、、とそんな挨拶だったような。

 

伊藤忠食品(株)相談役、尾崎弘 様。

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藤本さんの遺影に向かって語りかける。

 

(株)きわむ元気塾社長、元・(株)すかいらーく代表取締役、横川竟(きわむ) 様。

あづま食品(株)会長、黒崎信也 様。

「種まき大作戦」世話人、鴨川T&T研究所長、田中正治 様。 

生活クラブ風の村理事長、池田徹 様。

 

その後も何人もの方が登壇しては、藤本敏夫を語るのだった。

藤本さんの交友の広さを、改めて思い知らされる。

 

残り30分となり、

歌手となった次女・Yae ちゃんに挨拶と歌をお願いする。 

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Yae ちゃんはますますお父さんに似てきたように思う。

二児の母になって、もう 「ちゃん」 で呼ぶ年齢ではないね、ごめん。

Yae さんが歌った

日本ユニセフ協会メッセージ・ムービー 「ハッピーバースディ 3.11」 のテーマソング、

名も知らぬ花のように」 は、ぜひ聞いて欲しい。

 

トリはもちろん、加藤登紀子さんしかいない。

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参加者にお礼を言いながら、

目の前にたしかな道が開かれていることを、

藤本さんが示した 「希望」 の道があることを、語った。

どんな辛い時でも希望を捨ててはいけない、が彼の口癖だった・・・

 

藤本敏夫が果たせなかった、農の革命、農による革命の姿が、

お登紀さんには見えているかのようだ。。。

 

エンディングでお登紀さんが提案。

「藤本が好きだった知床旅情を、みんなで合唱したい。」

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この曲が好きだった男を、僕はもう一人、知っている。

同僚だった彼との 「お別れ会」 でも歌った。

あれ以来、封印していたのに・・・ だめだ、泣きそうになる。

 

名残り惜しく、解散。

 

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参加された皆様が、それぞれに 「希望」 を感じ取っていただけたなら

本望であります。 

 

裏方はともかく、表向きは何とか回ったので、安堵する。

会計の締めなど面倒な残務が残っているが、

最低限の責任は果たせたかなと思う。

手伝ってくれたスタッフの皆様、この場を借りて御礼申し上げます。

 

おまけの一枚をアップしておこうかな。

誤解を恐れず・・・

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新右翼団体 「一水会」 会長、鈴木邦男氏と。

初めて生でお会いした 「鈴木邦男」 は、穏やかで、やさしいオジ様ふうだった。

藤本さんは政治信条や思想を超えて愛される方だったけど、

はたしてこの方とはどんな論争をやったのだろうか。

深く気になるところだ。

 

今や  " あいつは左翼に転向したか "  とか揶揄されたりしている鈴木さんだが、

右とか左とかの単純な色分けで語る時代は、とっくに終わっている、

と僕は思うのである。

 したがって、「赤から緑へ」 というのも違和感がある。

赤であろうが白であろうが、あるいは黒であろうが、

足元には緑がなければならない。

 

藤本さんが好きだった、

裕次郎最後の歌 (加藤登紀子作曲) の一節にある。

 

  右だろうが 左だろうが 我が人生に悔いはない (「我が人生に悔いなし」)

 

カラオケで歌って悦に入ってる場合ではないんだよね。

 

( 注:本レポートに使用した写真は、前回も含め、すべて弊社・宇都宮義輝撮影。)

 



2012年11月22日

「藤本敏夫」 後の10年を語る

 

大地を守る会初代会長、元 「鴨川自然王国」 代表理事、

藤本敏夫さんが亡くなられて10年が経った。

亡くなる前に、当時の武部勤農林水産大臣に宛て、

次代の食と農を再建する道筋を説いた 「建白書」 を提出し、

若者たちに向かっては 「農に帰ろう」 と呼びかけた。

「青年帰農」 は藤本さんの遺した最後のメッセージだ。

 

11月17日(土)、この10年の時を見つめ直す集い。

藤本敏夫没後10年を語る ~ " 土と平和の祭典 "  の前夜に~」。

 

場所は、学生運動に青年の血潮を燃やされた 「いちご白書」世代には

実に懐かしいことであろう、日比谷松本楼。

それらしい世代のひと癖ありそうなおじさんたちが続々と集まってくる。

なかに混じるように、藤本さんの影響を受けた我々世代や若者たちの姿がある。

これはけっして同窓会ではない。

この10年の流れを読み解き、未来への希望を確認するために、

僕らは集まったのだ。

 

妻の加藤登紀子さんが持参した写真が飾られた。

いい顔してる。 藤本さんはホントにカッコよかった。

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" 獄中の男と結婚!"  という、

芸能界では今もって例を見ない伝説のスキャンダルから始まり、

幾度かの離婚の危機を乗り越え (僕が知っているのは1度だけだけど)、

鴨川自然王国設立の時には  " 円満別居 "  なる新語が生まれた。

危うい関係のようでいて、僕らには分からない  " 絆 "  が二人をつないでいた。

 

定員180名の部屋にぎゅうぎゅうと詰め込む。

文句や不満は言わせず詰め込む。

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17:00、第一部の開会。

実行委員長・藤田和芳 ((株)大地を守る会代表取締役) の挨拶。 

 

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  いま世の中は大変な混乱のなかにある。

  もし藤本さんが生きていて、この状況を目の当たりにしたら、

  いったい何と言うだろう。 そしてどんな行動に出るだろう。。。

 

藤田のこの言葉が、今日の基調になったようだ。

 

司会をお願いしたのは、フリー・アナウンサーの山川健夫(ゆきお) さん。

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元フジテレビのアナウンサーだが、

いただいたプロフィールに、すでに気合いが入っている。

「 1970年、朝の情報番組内での 「ベトナム反戦通信」 がもとで番組を降ろされた挙句、

 その後の社内闘争でアナウンサー生命まで失う。  もっとも

 今も番組に出ていられたとしても、「反原発通信」 で間違いなく降ろされていただろう。

 1985年退社後、東京を離れ、房総の里山で 「農的暮らし」 を実践。

 しかし昨年の3.11後、放射能によって快適な循環的暮らしを断たれた。

 「いのち」 を無視した人間社会の在り方を根こそぎ変えたい。」

 

 明治大学 「野生の科学研究所」 所長・中沢新一氏による記念講演。

タイトルは、

「今こそ農業の時代 ~藤本敏夫から託された未来~」。

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開催近くなって、ご本人は 「赤から緑へ」 という表題を希望してきたのだが、

もう案内チラシにも書いちゃったんで、とやんわりお断りした。

もしかしてご機嫌ななめかと心配していたが、冒頭からその話で切り出された。

「 『赤から緑へ』 のタイトルでやりたいとお願いしたんだが、

 どうもみんなから不評を買ったようで・・・」

すみません。

 

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中沢さんは、大きな歴史的文脈のなかで

藤本敏夫という人物を捉え直されていたようだったが、

この会の事務局責任者としては、話は聞こえていても頭に入らない。

裏方はけっこうドタバタで、

あの人が来ない、あれがない、3階(第2会場) に中継がつながらない、、、

とかなんとか、いろんな調整と判断で焦ったり混乱したりしていたのだった。

覚えているのは、こんなくだり。

「 藤本さんはただ有機農業の必要性や意義を語っていただけでなく、

 文明の流れを読み、描き、しっかりした歴史観を持って、語り、行動された。

 ただ、ちょっとだけ早過ぎた。。。」

 

講演に続いて、登紀子さん司会によるトークセッション。 

「 『青年帰農』 から始まった10年 若者たちの新しい生き方 」  

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パネラーは、まず

農山漁村文化協会・編集局次長で季刊 「地域」 編集長、甲斐良治さん。

2002年、増刊 「現代農業」 の編集長時代に 『青年帰農』 特集号を組み、

病院で藤本さんのインタビューを行なった。 それが藤本さん最後の言葉となった。

次に、山形・米沢郷牧場代表の伊藤幸蔵さん。

1999年、藤本さんの呼びかけで結成された

「持続農業推進 青年農業者連盟」 の代表も務めている。

 

「茨城自然小国」 の斎藤博嗣さん。 脱サラを考えていた時に

『青年帰農』 特集号に出会い、鴨川自然王国を訪ね、茨城で就農した。

そして、現在の鴨川自然王国代表である藤本博正さん。

経過は斎藤博嗣さんと同様だが、こちらは自然王国のスタッフとなって畑を耕し、

藤本さんの次女・ 八重ちゃんと結婚した。

藤本さんが亡くなって自然王国をどうしようかという話になった時、

「私が受け継ぐ」 と宣言したのが八重ちゃんだ。 

その後の運営に、博正さんの存在が大きな力になった・・・んだと思う。

 

藤本さんはよく、農 「業」 に進まなくてもいい、「農業ごっこ」 のようなものでもいい、

とにかく 「農」 に触れる、「農」 を知る、「農」 的な暮らし方が大事である、

と説いていた。

そういえば大地を守る会の会長時代、

「大地を守る会は有機農業運動の小学校である」 と言われたことがある。

つまりどんな人にも門戸を開放して、

たくさんの人たちに有機農業に触れる機会を提供する、

そんな入門編的な役割がある、と。

藤本さんはあの時点ですでに、中学校も高校も大学も想定した

新たな構想を描いていたワケだ。

 

登紀子さんはステージで、よく語っていた。

「夢見る男は美しい」 と。

あの頃、オレたちチンピラは飲むたびに

「夢だけじゃ食えねえんだよ」 と野良犬のように吠えていた。

 

いまたくさんの若者が有機農業を目指す時代になった。

「有機農業で飯が食えるか」 という大人の問いかけなどモロともせず、

「農」 の世界に飛び込んでくる若者たち。

彼らは、「飯を食う」ため、の前に、「生き方」 として

「有機農業」 を土台にした暮らし方を求めているように思う。

彼らがこれからどんなふうに社会にコミットし、

どんなムーブメントを起こすのかはまだ未知数だが、

社会の価値観の地殻変動を示すひとつのマーカーであることは間違いない。

明日の 「土と平和の祭典」 の主役も彼らたちだし。

 

セッションの内容は、、、ちゃんと聞けてないので割愛。

藤本さんの思い出ではなく、「青年帰農」 から生き方を変えた男たちの

今今の  " 農への思い "  が語られたことと思う。

それが登紀子さんが願った藤本さんへの餞(はなむけ) だろうからね。

 

とりあえず、一部終了。

 



2012年11月20日

伸くんの大豆で作った豆腐 -「フード・アクション」で受賞

 

各種レポートの途中ですが、

早く伝えたいと思っていたニュースがあるので、はさませていただきます。

 

農林水産省が食糧自給率向上を目指して展開している

「フード・アクション・ニッポン」 なるキャンペーン活動があって、

そこで自給率向上に貢献する様々な取り組みを表彰する

「フード・アクション・ニッポン アワード2012」 にて、

大地を守る会で販売している 「東北想い・宮城の大豆の豆腐」 が

「食べて応援しよう!賞」 を受賞しました。

 

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これは、震災以降販売不振に苦しむ宮城県登米市の大豆生産者

「N.O.A」 さんの有機・無農薬の大豆を使って、

神奈川の豆腐メーカー 「おかべや」 さんが各種のお豆腐をつくってくれたもの。

販売が始まってから僕も毎週1丁か2丁は買うようにしているが、

なかなか大豆をさばききれないでいる。

そんな折りでのこういう受賞は、大変有り難いものである。

広報部隊も、少しでも販売に貢献しようと、

メディア関係にリリースしてくれている。  詳細は、こちらを見ていただければ。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/press/2012/11/2012.html

 

N.O.A の高橋伸 さんにしてみれば、

" 表彰状よりも発注(大豆の注文) が欲しい! " 

というのが偽らざる本音だろうと思うけど、

各方面に PR してるってことだけは、これを機にお伝えしておきたい。

 

「N.O.A」 高橋良・伸親子を紹介した記事は、もう2年以上前になるか・・・

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2010/02/04/

参考まで。

 

「フード・アクション・ニッポン」 については、だいぶ前に少々批判したことがある。

たしか、何億もの予算(税金) を使っていろんな広告やイベントを打っても

自給率は一向に上がらず、広告代理店(D通さん) に吸い取られてるだけだと、

そんな感じで皮肉ったと思う。

最近はバックナンバーを探すのもひと苦労で、、、、、これかな

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2008/10/27/

 

いや、もうひとつ、たしか

「朝ごはんを食べると成績が上がる」 といったような電車の広告に

神経逆なでされて、 

「余計なお世話じゃ! みんな必死で生きてんだ! こんなもんに税金使いくさって」

と噛みついた覚えがあるのだが、見つからない。

 

ま、しかし、それはそれとして、

自分たちの活動や食材が評価されるのは、素直に嬉しいことなのである。

堂々といただいて、宣伝にも使わせてもらいます。

 

表彰状は、現在、幕張本社の受付前に飾られている。 

先般いただいた、稲田・ジェイラップからの感謝状と並んで。

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お客様が眺めてくれるのを見たりするのも、素直に嬉しい。

 

「東北想い・宮城の大豆の豆腐」

まだ食べてない方は、ぜひ一度お試しを!

 



2012年11月19日

短角ナイトⅡ

 

ブナの森は広大な天然の水がめだった。。。

 

三陸や秋田の誇り高い漁師や百姓たちが、

汗を流して千年先まで守ろうとしている水源がある。

いっぽうで僕らは、水道代さえ払えば水は手に入る、

それが当たり前の日常を享受している。

水源地の保全に日々不安を感じながら暮らすこともなく、

ダムの貯水量が減って節水が呼び掛けられた時だって、

次に雨の降る日までのいっ時の辛抱のような感覚だ。

 

母国へのお土産に何が欲しいかと聞かれ、

「水道の蛇口」 と答えたアフリカ人がいたという話があるが、

笑ったり蔑(さげす) んだりしている場合ではないように思う。

安全な水と食料の安定確保は、

古今東西を問わず国家存続をかけた一大事業であったし、

常に争いの元になる生命資源なのに (今もシビアに進行している)、

いつの間にかこの国の政治家の多くは、土台の重大性を忘れちゃったみたいだ。

お金さえあれば国民を幸福にできると信じているのだろうか。

 

政治の 「治」 とは、もとは水利を管理することを表した文字である。

世界のあちこちで水道事業が企業に乗っ取られていってる時代にあって、

水保全と一体であるべき一次産業を育成できないで

自由市場主義にただ身を任せようとする政治とは相当に危うく、

愚かだと言い切っておきたい。

 

ま、政治への言及はしばらく慎重にしよう。 騒々しい事態になってるし。

それに、福島での収穫祭から小水力発電、秋田でのブナの森づくりと

振り返っているうちにもいろんな出来事があって、ネタがどんどん溜まってる。

 

17日(土)は 「藤本敏夫没後10年を語る」 会を何とか無事に終え、

昨日は朝から東京海洋大学のワークショップに出て、

午後は日比谷公園の 「土と平和の祭典」 に顔を出した。

 

いやその前に一本、この報告をしておかなければ。

11月10日(土) の夜に、丸の内 「 Daichi & keats 」 で開かれた食事会

- 「 短角ナイトⅡ 」。

 先日長々とレポートした農水省の 「山形村調査」 でお世話になった

下館進さん (JA新いわてくじ短角牛肥育部会長) が参加されるというので、

お礼を言いたくて申し込んだ。

調査の報告書もお渡ししたかったし。

 

この日、下館さんたち3名は、

横浜市青葉区にある 「こどもの国・バーベキュー場」 で開催した

「 " 食べて応援 "  バーベキュー大会」 に参加した足で

丸の内まで来られたのだった。

疲れも見せず、短角牛のPRに努めている。

強い思いと、誇りがあるのだ。

 

19時、「短角ナイト Ⅱ」 のスタート。

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「やまがたむら短角牛」 の特徴を説明する下館進さん。

 「牛と一緒に暮らしてきた」 という表現がすごく自然に受け止められる、

それが山形村の人たちである。

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東北山間地の風土に合って、健康に育てた  " 当たり前の牛肉 "  が

" 幻の和牛 "  とか言われて光を当てられるのは本来の望みではないだろうが、

安全性(=健康)へのこだわりでは 「比類ない和牛」 だと、胸は張りたい。

 

店内では、ずっと撮りためてきた  " 短角牛の1年 "  の映像が流されていた。 

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仔牛の出産風景や闘牛大会や放牧地で跳ねる姿など、貴重な映像が撮られている。

現在編集中とうかがった。

封切りは、、、東京集会あたりかしら (勝手な推測)。

 

「 Daichi & keats 」 自慢の農園ポトフ。

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このゴロゴロ感が、農家の庭先で野菜を食ってるぞって感じで、

何か分かんないけど、やる気になる。

 

そして、この日のメイン・ディッシュの登場。

「短角牛のワラ包み焼き」 

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一度焼いて、ワラで包んで、さらにオーブンにかける。

店長の町田正英が、「これからオーブンにかけます」 と披露して回る。

 

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ワラの香りがする牛肉!!!

 

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燻製の香りではない、ワラにくるまれて火を通ってきた牛肉の、

野趣でいて品のある風味が、とてもウマい。

短角牛の滋養がドレスアップされて・・・とか気取って言いたくなる、

短角牛の魂を伝えようという料理人のチャレンジ精神を感じさせる逸品だ。

 

短角牛センマイと雑穀のアラビアータとかいうのも美味かった。

酒が進んでしまって、雑穀おじやと D&k デザートは周りの方々に譲って、

あとで後悔する。

 

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山形村の調査報告書を下館さんにお渡しし、

町田店長のはからいで、参加者に農水省の検討会の報告もさらっとっさせてもらった。

 

地域で育まれた食文化をちゃんと見直すことが地域の活性化につながる、

そのモデル・ケースのひとつとして山形村と短角牛が指名された。

経済性の尺度だけで切り捨てられつつあった地域を、

地域再建のヒントを有する事例だと持ち上げるのも調子のいい話だけど、

社会資産の見直し、価値をはかるモノサシの転換に向けて、

引き続きホンモノをぶつけていきたいと思う。

 

「短角牛のワラ包み焼き」 ・・・今もあの香りが忘れられない。

短角もすごいが、ワラの力もあなどれない。

日本食文化の素材とは、美しい風景を構成する者たちでもあるのだ。

何としても守ろうよ! と叫びたい。

 

次に食べられるのはいつだろうか・・・

僕にとっては宴会2回分の出費に相当したのが、なかなか厳しいところだ。

 



2012年8月28日

今こそ農業の時代 ~藤本敏夫から託された未来~

 

「 原発の開発とともに進んできた第七次エネルギー革命の時代は、

 ゆっくりと衰退への道に入っていく。

 それに替わって、生態圏の生成の原理に立ち戻って、

 そこに別の豊かさを取り戻そうとする、

 第八次エネルギー革命の時代が隆起する。

 それに連動して、経済の思想が根底からの転換をはじめる。

 社会は再生への運動をはじめる。

 とてつもない災禍をくぐり抜けたあと、日本の進むべき道は、

 いまやはっきりと前方に見えてきているのではないか。」

   (『日本の大転換』 中沢新一著、集英社新書)

 

いまこの方を知る人たちは、思想家・人類学者としてより、

グリーン・アクティブ」 の代表としての中沢新一(明治大学野生の科学研究所所長)

に注目していると思われる。

この政治的仕掛けへの論評は僕にはまだ無理なので控えるとして、

今日は、11月に予定している 「藤本敏夫 没後10年を語る」 での記念講演について、

中沢さんの研究所までお願いに上がった。

藤本さんの奥様・歌手の加藤登紀子さんも一緒だった。

 

すでに登紀子さんや弊社・藤田社長から依頼され快諾を頂いていたもので、

僕としては概要説明や実務的な詰めを兼ねた表敬訪問のつもりだったが、

自ら同行されたところに、登紀子さんがこの日に託す思いの強さを感じた。

登紀子さんにはきっと、中沢さんの講演に期待するイメージがあるのだ。

 

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 (おねだりして1枚。 素人写真に登紀子さんは渋々OKを出してくれた。)

 

登紀子さんの思いは、当日の記念講演タイトルに表現されている。

 「 今こそ農業の時代 ~藤本敏夫から託された未来~ 」

 


大地を守る会初代会長・藤本敏夫が生前語っていた言葉がある。

 - 歴史は未来からやってくる。

 - 地球の上に土下座して、すべてをそこからはじめたい。

 - 自然と歴史を喪失した都市の中で、伝統の保存ではなく、

       伝統の創造のために行為しなければならない。

 - 農業の生命産業としての再構築しかない。

 - 危機だからこそ創造が可能だ。

 - 今、私たちは失望に向かって動いていっているかもしれない。

   (しかし) どんなことがあっても、どのような状況にあっても、

   希望を持ち続けなければならない。

 

「第八次エネルギー革命」 を、植物の光合成から、

つまり第1次産業の力に求める中沢さんが、

どんなふうに 「藤本後10年」 を整理し、3.11を踏まえた展望を指し示してくれるか、

期待したい。

 

案内チラシのリード文は、以下のようにしたためさせていただいた。

 - 希代の英傑・藤本敏夫が没し、10年の歳月が流れました。

  彼が語り描いた農からの希望と未来の姿は、未完のまま、

  しかし輝きを失うことなく、今も私たちを励まし続けています。 ・・・・・

 

登紀子さんからのメッセージも届いている。

「 藤本敏夫が他界してからの10年、めくるめくように時代が動きましたね。

 鴨川自然王国に若い人たちが来るようになり、

 娘の Yae が農業を目指す若者と結婚したことは、思いがけない喜びでした!

 去年の震災からまた新たな意味で、農的生活を求める人たちが増えています。

 楽しくなきゃ人生じゃない!

 生きる喜びこそが、社会を変える!

 何もかもが行き詰っているように見えるけど、

 スマイル・レボリューションはもう始まっていると思っています。

 藤本敏夫の時代から次の世代へ、革命のバトンをつないでいけるよう、

 大いに熱い思いを語りたく思います!

 どうぞ、たくさんの方のご参加を、楽しみにしております。」

 

では改めて- 

「 藤本敏夫 没後10年を語る

   ~ " 土と平和の祭典 "  の前夜に~ 」

2012年11月17日(土)17:00~21:00。

日比谷公園内 「松本楼」(まつもとろう) にて。

中沢氏の記念講演の他、

トークセッション - 「 『青年帰農』 から始まった10年 若者たちの新しい生き方」。

後半の立食パーティでは、

松本楼に顔向けできないはずの暑苦しい闘争世代 (土下座して入れ!) と

爽やかな若者たちのリレートーク、

そして登紀子 & Yae  さんの歌なども予定しています。

会費は、少々お高いですが、1万円。

 

大地を守る会の会員の方々には、10月1日の週にご案内を配布します。

それに合わせてHPでも告知します。

どうぞ、世代を超えてご参集くださいますよう。

 



2012年7月31日

やまももの樹に抱かれて -藤本敏夫没10年

 

幕張の通勤途上の街路に、ヤマモモの木がある。

ちょっと前の写真だけど、6月、今年もたくさんの実をつけた。

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しかしここで、その実を口に入れるヒトはいない。

落ちて、路面を赤黒く染めるだけである。

南四国に育った人間には、ヤマモモは子どもたちを猿にさせてしまう、

酸っぱい青空のような記憶としてあるのだけど。

 

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都会では 路傍に堕ちる 山桃の恋 ・・・なんちゃって俳句。

 

僕にとって、ヤマモモを見て思い出す人と言えば、

山桃忌の柳田国男ではない。

大地を守る会初代会長、故藤本敏夫さんである。

1983年に大地を守る会の会長を退かれ、

千葉県鴨川に 『自然王国』 なる専制君主の国、いや農場を建設した。

 

その鴨川自然王国での素人百姓の奮闘や暮らしぶりを

楽しく綴った本が手元にある。

『やまももの樹に抱かれて』(冬樹社,1988年刊)。

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  農業はエキサイティングなスポーツだ!

  残された  " お金で買えないもの "  がある所

  新鮮な感性で宇宙を実感しろ

 

その藤本さんが亡くなられたのが 2012年7月31日、

10年前の今日である。

享年58歳。

最後まで精力的に活動し、ペンを執りながら、逝ってしまわれた。

 


藤本さんの奥様、登紀子さんから、

社長の藤田に連絡があったのは春のどこか。

「藤本後の10年を振り返りながら、偲ぶ会を開きたいの」

と言ったかどうかは知らないけど、そういうことになって、

「じゃあ、エビにやらせるか」 となった。

 

藤本敏夫。 1944年、兵庫県は甲子園に生まれる。

京都・同志社大学の学生時代に全学連委員長となり、

1968年、国際反戦デーでの防衛庁突入という行動を指揮したカドでお縄を頂戴し、

獄中、歌手の加藤登紀子と結婚して芸能界にスキャンダルを提供した。

お腹に子供ができていたこともあって、登紀子さんが刑務所に面会に行って

結婚を迫ったのだ、と聞いている。

「ゴチャゴチャ言わずに、ハンコ押して!」 みたいな感じだろうか。

 

その間、藤本さんは内ゲバを批判して学生運動から離脱。

1976年、「大地を守る会」会長に就任、有機農業の普及運動に邁進する。

会長退任後は、いろんな運動や事業を仕掛け続けてきた (長くなるので省略)。 

1992年、政党 「希望」 を設立し、参議院選挙に挑むも落選。

当時、大地を守る会事務局長だった僕は、

会員から 「なんで大地を守る会は応援しないの!」 と責められた記憶がある。

だって、、、特定の政治家の応援はしない、という掟は藤本さんがつくったんだもの。

 

1997年、農業食品監査システム(現・アファス認証センター) 設立。

1999年、農水省関東農政局諮問委員に就任。 持続循環型農業の普及を提言。

2000年、全国の青年農業者とともに、持続農業推進全国集会を開催。

2002年、当時の武部勤農水大臣に 「建白書」 を提出。 2ヵ月後に病没した。 

 

いま藤本さんが生きてたら、どんなアクションに出るだろうか。

 

 

藤本敏夫没10年。。。  

この大役に、「オ、俺だって忙しいんですけど」 なんて、言えない。

腹を決めて、登紀子さんの事務所に出かけたのが6月1日。 

一気に進めることとなった。

 

 

日程は 11月17日(土)、

日比谷公園で例年開催している 『土と平和の祭典』 の前夜と決める。

題して、

『 藤本敏夫没後10年を語る

 ~「土と平和の祭典」 の前夜に~ 』 

 

記念講演は、人類学者の中沢新一さんにお願いした。

藤本さんが後世に託した  " 希望 "  を、

中沢さん流に紐解いてもらえたら嬉しい。

 

そして会場は、いろいろ探した末に、

日比谷公園内のレストラン 『 松本楼 』 に決定。

 

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明治36年、日比谷公園の開園とともに歴史を刻んできた老舗。

時々の政治の舞台となり、たくさんの文豪が愛した店。

1971年11月には、沖縄返還協定反対運動で

暴動学生が放った火炎瓶により焼失したという、いわくつきの洋館。

 

7月19日、会場との打ち合わせをお願いして伺ったところ、

何と玄関に 「戎谷 様」 の掲示が。

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ウ~ン、いい会場だ (エビは単純だ)。

 

お登紀さんと娘の Yae ちゃんにも歌ってもらって、

藤本敏夫が残した  " メッセージ "  の、

今日的価値を見つめ直す時間にしたい。

参加費は、パーティ代込みで1万円で計画中。

正式の案内と募集は9月上旬になるか。

どうぞお楽しみに。

 

藤本さんが愛した鴨川のヤマモモの樹は、今も健在なのだろうか。

あるのなら、来年の実が成る頃に訪ねてみたい。

 



2012年6月12日

復興未来ゆき @ 増上寺

 

【予告】

"でんきを消して、スローな夜を!"

100万人のキャンドルナイト@増上寺

6月16日(土),16:00~21:00/入場無料

 

ついに今年で10回目となりました。

東京タワーの消灯に皆さんの祈りを重ね、スローな夜のひと時を。

大地を守る会は、今年も三陸復興屋台を出します。

三陸鉄道切符@増上寺.gif

三陸復興募金=一口300円。

ご協力いただいた方には、感謝を込めてこの切符をプレゼント。

募金は三陸鉄道に寄付されます。

(この切符でご乗車はできません、念のため。)

 

ライブあり、トークあり、たくさんの仲間あり。 

詳細はこちらから ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/cp/candlenight2012/

 



2012年4月22日

アースデイ東京 2012

 

今日は、アースデイ東京・代々木公園会場に向かう。

トーク・ステージに出演しろとのお達しを受けて。

 

藤田社長と何人かのマラソン愛好家たちは荒川河川敷での駅伝大会を楽しんでいるはずだ。

今回は4チーム、エントリーしたという情報が入っている。

終わったらみんなで楽しくビールか、、、いいなあ。

僕はいつも何かと重なってしまって参加できたことがない。

 

実は先週17日の夜、他団体の方々からお誘いいただいた飲み会に出た際、

この駅伝メンバーにスカウトしたオーガニック検査員の草分け・水野葉子さんも顔を出されて、

「毎日一生懸命走ってるのよう!」

「エビちゃんは応援に来てくれるのよね~」 との圧力を受けて、

思わず 「行きますよ、勿論!」 とか調子のいい返事をしたのだった。

水野さん、ごめんなさい。 瞬間、こっちで仕事が入っていたことを忘れました。

<水野葉子スカウト後の格闘と当日の様子は、水野さんのブログ をぜひ。

  19日の飲み会に参加した証拠写真もアップされちゃってるけど。>

 

あちこちで同時開催された 「アースデイ東京」。

今日は 「地球目線」 で考える一日。

駅伝組も地球を走って心を清めてくれていることを信じて、

僕は代々木公園会場へ。

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大地を守る会も張り切って出展。 

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若手たちが頑張っている。 

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僕は11時45分からのトーク・ステージに出張る。

タイトルは 「放射能から身体を守る アースデイサミット」。

司会は、出版社「コモンズ」 代表・大江正章さん。

一緒に出演するのは、「ポラン広場東京」事務局長・佐藤昌紀さん、

福島の 「市民放射能測定所」理事長・丸森あやさん。

 

この1年を振り返りながら、生産者と頑張ってきたこと、

未来のために考えてほしいこと、などを語りながら、

ちょっと地球目線にも立って、、、

地球規模で進む食と環境の危機的な状況に立ち向かうためにも、

何を食べるか=どのような生産(者) や (その食の) 背景とつながるのか、

を考えることが大切であることを訴えさせていただいた。

「放射能汚染」 から身体を守るには、その大元を断たなければならないことも

忘れずに強調して。

 

さてこちらは、、、「大地を守る会 × TOKYO油田」 トーク・コーナー。 

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TOKYO油田? そう、東京は油田地帯、なのである。

 

大地を守る会では以前から、廃食油から作られたディーゼル燃料(VDF) で

トラックを走らせる取り組みに挑戦したりしてきたが、

昨年改めて取り組んだのが、

廃食油を会員宅から回収してディーゼル燃料に変え、

それを有機農業の農家のトラクターの燃料として使ってもらって、

その生産物を食べる、という循環の創造。

名づけて、「ゆかいな野菜物語」。

油が回る  " ゆかい "  な世界・・・・・ よく考えるね、まったく。

 

協力してくれた生産者は、千葉・さんぶ野菜ネットワーク代表の

富谷亜喜博さん (大地を守る会CSR運営委員)。

「ホントに、天ぷら油のにおいがするんだよね。 腹が減ってくるよ」

と面白がってくれた。

 

そんな取り組みを語る

TOKYO油田2017」 プロジェクトリーダー、染谷ゆみさん(上の写真右)

と大地を守る会・宇田川千夏。

今年はさらにパワーアップするのかな・・・乞う、ご期待、ということで。

 

少々寒い、小雨交じりの中だったけど、

未来へのエネルギーを共有する一日になったことと思う。

 

 - と、こんな一日になったので、

昨日のシンポジウムの報告の続きは明日に。

 



2012年4月21日

チェルノブイリから学ぶ 「低線量被曝」

 

今日は、年2回(春と秋) の大地を守る会の社員合宿の日。

部署持ち回りで幹事が指名され、自由に企画が練られる。

組織方針をめぐってディスカッションが行なわれることもあれば、

レクリエーション一色になることもある。

 

僕が幹事側になって仲間と企画したもので強く印象に残っているのは、

安全審査グループ時代にやったワークショップ型合宿かな。

千葉・さんぶ野菜ネットワークにお願いして有機農業体験する組、

船橋で船(大野一敏さんの太平丸) に乗って三番瀬を学ぶ組、

林業体験組、ゴミ処分場をめぐる組などに分かれ、

体験後はそれぞれの現地で 「運動と事業のつながり」 をテーマに議論し、

夕方に合流して懇親会、翌日、総括討論をやって提案型にまとめる、という趣向。

わずかなスタッフで皆よく切り盛りしながら働いてくれた。

 

さて今回は、宅配部主催。

出された企画は久しぶりの分散型、

しかもやっていただくことは街の清掃(ゴミ拾い)、という初物企画。

本社のある海浜幕張周辺組、六本木事務所周辺組、

今日明日と出展者として参画するアースデイ東京・代々木公園組に分かれ、

ゴミ拾いをやって、午後に浦安の温泉施設に合流して、

お風呂に入って宴会、という流れ。

 

アースデイ会場は、おそらくそんなにゴミは出ないと思うのだが・・・ 

とか言いながらワタクシはというと、

エプロンして街に繰り出す幕張組に 「ごめんなさい」 をして、

東京で行なわれるシンポジウムの聴講に向かわせていただいた次第。

テーマは、「低線量被曝に向き合う -チェルノブイリからの教訓-」。

会場は、本郷にある東京大学弥生講堂。

ウクライナとベラルーシから二人の研究者を招いて、

チェルノブイリ後に進行した住民たちの健康被害についての最新研究成果を学ぶ。

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招いたゲストは、

ウクライナ国立放射線医学研究所・小児放射線部長、Y・ステパーノヴァさん。

ベラルーシ科学アカデミー主任研究員、M・マリコさん。 

 

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ステパーノヴァさんの報告。

1986年4月26日深夜に発生したチェルノブイリ原発第4原子炉で発生した事故は、

「レベル7」 という最も深刻な事故災害となり、

この原子炉を鎮めるために80万人を超す作業員が動員され、

その作業者の中からも多くの被爆者を出した。 

被曝が原因とみられる死者の数は今も累積されていってる。

 

4km離れたプリピャチ市の住民を避難させるために

1100台のバスと3本の列車が用意され、3時間で4万5千人が避難した。

事故の規模が明らかになるにしたがい、

汚染地域・30km圏内からの避難が行なわれ、1993年末までに23万人が避難した。

 

ウクライナでは、チェルノブイリ事故の被災者を4グループに分けて登録している。

1) 事故処理作業にあたった人。

2) プリピャチ市と30km圏内から避難した人。

3) 放射性物質で汚染された地域に居住している人。

4) 被ばくした両親から生まれた子ども。

 

今回はチェルノブイリ事故が子どもの健康に与えた影響について報告された。

ポイントを上げれば、

・30km圏内から避難した子供にも、放射能汚染地域の住民にも、

 機能障害から慢性病へ移行する現象が見られた。

 この傾向は子どもが18歳になるまで続いた。

・健康な(何も疾患がない) 子どもの割合は、1986-87年の27.5%から、

 2005年の7.2%へと減少した。

・甲状腺に高い線量を被ばくした子どものうち、健康な者は2.8%に満たない。

・プリピャチ市から避難した子どもの疾患レベルは、比較対象グループよりも、

 事故後一貫して高く、2003年の健康調査では、避難グループの疾患レベルは

 対象標準グループに比べて3倍高い。

・子どもに見られる慢性疾患の特徴は、

 以前には子どもには見られなかった病気が見られるようになったこと、

 複数の病気にかかりやすくなったこと、病気の長期化および再発傾向が見られること、

 そして治療効果が低い(治りにくい) ことが上げられる。

・子どもの発達期における障害頻度は、胎児期の甲状腺被ばく線量と相関する。

・放射線リスクに他の危険要因(様々な環境的要因ヤ生活要因) が加わることによって、

 発達異常数が増加する。

・子どもの軽度な諸発達異常数と総被ばく線量に、正の相関関係がある。

 また被ばく時の胎児に妊娠期間(週) とは負の相関関係がある

 (=妊娠初期に被ばくしたほうが発達異常が多い)。

・染色体異常と胎内被ばく線量には相関関係があることが明らかになった。

 

ステパーノヴァさんは、チェルノブイリの教訓をこうまとめた。

1.チェルノブイリと福島第一原発事故は、

  原子力発電でもっとも起こり得ないとされた事故でさえ起こり得ることを示した。

  (原発を有する) 国家は事故に備えて対応措置を高度なレベルで準備し、

  常に対応措置がとれるように態勢を整えておかなければならない。

2.チェルノブイリ事故が大事故であると認識するのが遅かったこと、また

  住民と環境への深刻な影響への理解が不足したことが、

  住民、特に子どもの健康に大きな被害をもたらした。

3.事故対応システムが欠如していたことが、事故状況下で、

  処理作業に用意を欠いた人を事故処理に充てることになった。

  この決定は不合理であり、作業員の健康状態に与えた影響は正当化されえない。

  (エビ注......日本では、この部分はまったく明るみにされてない。)

4.被ばく線量の大部分は事故が危機的状態にあったときに放出された。

  人々への健康、特に子どもの健康保護は何よりも優先されるべきである。

  住民の避難は正しいものであり、効果的だった。

  しかしながら若干遅れたために、最大限の効果は得られなかった。

  今は毎年、子どもたちは4週間以上、保養施設で健康増進を行なっている。

5.原発事故に関して、住民に遅れることなく、しかも十分客観的な情報が

  伝えられなかったことが、社会に心理的緊張を生み出す前提となった。

  避難と移住の過程は、時に家族関係、友人関係、倫理的・文化的価値観を破壊した。

  さらに、新しく住む場所に関する被災者の選択権も考慮されなかった。

  チェルノブイリ事故の教訓として、住民の生活条件を変えるような決定を下す際には、

  被災者の希望を考慮する必要があることを認識することである。

6.チェルノブイリに関するすべての健康問題は、被災者のモニタリング登録が

  事故直後に作成されていたら、より効果的に解決されていただろう。

  しかし登録簿はかなり後に作成された。

7.子どもの健康状態が変化した原因は放射能の影響である。

  放射能由来でない要素 (生活条件や食料条件の悪化、精神面での長期的緊張など) も、

  健康状態変化の原因にあげられる。 

  (しかしそれも 「事故による影響」 である以上) 放射能事故による悪影響を受けた

  子どもの健康を維持し、回復するための施策は、医療当局だけでなく

  国家政策の優先事項に他ならない。

8.放射能の影響に関する住民の知識を高めるため、

  また精神・感情面での緊張感やストレスを軽減するために

  啓蒙活動を常に行なう必要がある。

  また農村地域では、住民にとりわけ信頼される情報提供者である教師、

  医療従事者、社会福祉関係者などに対する研修プログラムを導入すべきである。

 

ステパーノヴァさんは、強調した。

「子どもたちの健康を守ることは、国家の責任であり最重要政策である。」

 

僕たちは、4半世紀前のチェルノブイリから何を学んだんだろう。

そして、フクシマから何を教訓に残せるのだろう。

 



2012年4月 5日

丸の内「つながる食」 と 「Daichi&keats」

 

昨年秋からの 「放射能対策特命担当」 なるミッションに苦戦しつつも、

以前より継続して当たってきたプロジェクトがある。

大丸有地球環境倶楽部 「都市の食ワーキンググループ」 で検討を進めてきた、

大丸有エリア・レストランによるこだわり食材の共同調達の仕組みづくり。

この話題、いつから書いてなかったかしら。。。

このプロジェクトが3月2日より 「大丸有つながる食プロジェクト」 という名称で、

実験的にスタートしている。

 

ここでいう 「こだわり」 とは、、、その安全性だけでなく、地産地消型食材、

環境保全に取り組む生産地、地域の食文化の維持発展などに貢献する食材、

といった価値基準を明確にした上で、それらを確認するための 

 " 認定 "  と  " 見える化 "  のためのシステムを用意する、というものだ。

概要は、「丸の内地球環境新聞」 でもレポートされているので、ご参照を。

 ⇒ http://www.ecozzeria.jp/shimbun/news/2012/03/21/shoku_wg_project.html

 

ちなみに 「大丸有(だいまるゆう)」 とは、大手町・丸の内・有楽町エリアの総称。

この巨大都市・東京のど真ん中で、レストランやホテル、企業の社員食堂等が

一緒になって共同の注文書を使って、物流を一本化させる。

低炭素(Co2 削減) 物流を進めるための新しい都市の実験。

僕にとっては、3年越しの挑戦だった。

 

この仕組みを具現化させる店として登場したのが、

3月2日、丸の内・永楽ビルにオープンした

 「Daichi&keats (ダイチ&キーツ)」。

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開店後、昼と夜は満員状態が続いていて、

" 職員がのぞくとニラまれる "  と言われ、遠慮していたのだけど、

3月29日、専門委員会「米プロジェクト21」 の年度末定例会後の慰労会

という名目で予約して、何とか入ることができた。

 

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新しく建てられた永楽ビル地下に誕生したレストラン街

「iiyo !!  yokocho」 (イーヨ !!  横丁) の一角。

 

都会で楽しむ農園的空気、というコンセプト。

スタッフもそれらしく意識したスタイルで。

 

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今なら平日夜は、自然派ワインと本格焼酎が

2時間 2,000円で飲み放題。

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我々「米プロ」 としては、さらに 「種蒔人」 をボトルで注文。

 

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国産有機野菜や雑穀をふんだんに使った農園感あふれるメニュー。

一番人気は 「農園ポトフ」 だとか。

 

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体によい食事は美味しい。 お酒もいろいろあって楽しめる。

気の合う仲間とリラックスした時間を過ごしてもらえれば、嬉しい。

 

安心・おいしい・環境にもイイ食、をこの街に広げることができるか。

実験とは言え、お店にとって日々の営業はたたかいである。

この間、有名シェフや一流ホテルの支配人に説明に伺ったりしながら、

理想と現実のギャップを実感させられている。

「実験」 ということは、期限があるということでもある。

三菱地所という企業も強力にサポートしてくれているので、

地道に店舗を増やしながら、育てていきたい。

 



2012年3月 8日

オリーブは平和のシンボルだから

 

バナナやコーヒーなど、フェアトレード製品でお付き合いのある

オルタートレード・ジャパン (ATJ) からの招きで来日し、

「大地を守る会のオーガニックフェスタ」 にも参加して挨拶をしてくれた

パレスチナのオリーブオイルの生産者、サイード・ジャナンさんが、

6日(火)の夜、大地を守る会の幕張本社を訪ねてくれ、

職員有志のために話をする時間を取ってくれた。

 

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オリーブの栽培と、オイルの製造・販売によって農民の自立を目指す彼らに対して、

大地を守る会がカンパを募ったのはもう4年以上前のことになるか。

私たちが送った資金によって建設された農道は 「だいち ロード」 と命名された。

平等で持続可能な農業、地域コミュニティの自立を目指し、

今も水資源の安定確保や失業・貧困対策に取り組んでいるのだが、

来られた時はいつも、 「道ができた」 ことへの感謝の言葉を、彼らは忘れない。

そして昨年は、オリーブオイルの販売利益から

東日本大震災の被災地への義援金を送ってくれた。

こういう関係を丹念に紡いでゆくことで、平和への道が拓かれてゆくのだろう。

 

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サイードさんは、1968年生まれ。

ベツレヘム大学から米国・フロリダ国際大学で学び、

カナダの酒造メーカーで史上最年少の海外支店長としてインドネシアに勤務した。

UNDP(国連開発計画) の仕事経験もあり、4ヶ国語を流暢にこなし、

その他に3ヶ国語も使えるというマルチリンガル。

僕がそのレベルに達するには、5回は生まれ変わらなければならない。

しかもリセットなしで。

 

そんな立派なキャリアの持ち主が、なぜ不安定な母国に戻り、

給料も少ないであろうフェアトレードの世界に?

答えは、女手ひとつで育ててくれた母が一人でエルサレムに暮らしているから。

母の愛は世界共通である。

 

オーガニックとフェアトレードの認証を取り、

より高品質なエキストラ・バージンオイルを目指して、

農家や搾油所のトレーニングを重ねている。

「オリーブは、私たちにとって平和のシンボルなのです。」

思いを生産物に託して、一歩々々歩みましょう、平和への道を。

 

そして昨日(7日) はフランスから来訪者あり、説明要員に狩り出された。

その話は、次に。

 



2012年3月 6日

大地を守る会の オーガニックフェスタ

 

続いて、東京集会二日目。

3月4日(日),「食べてつながる一日 大地を守る会のオーガニックフェスタ 」。

今回はさらに手抜き報告でお許しを。

雰囲気だけでも伝われば・・・ すみません。疲れてますね。

 

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大地を守る会の野菜売り場風景。 

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お昼の復興屋台は、満席状態。

 

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山形村のベコ丼も大人気。 

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今日僕に与えられた役割は、

12時からの生産者トークステージ・第一部の司会のみで、

終わった後に食べに行ったら、すでに売り切れだった。

 


駆け足でブースを回れば・・・・・

 

成清海苔店さん。 

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大地を守る会自慢の、お米生産者のラインナップ勢ぞろい。 

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去年は大変だったですね、水車村紅茶さん。

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会津の 小川光さん は、今年も研修生たちを連れてやってきてくれた。

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研修生諸君。 オヤジは厳しい人だけど、ただの一本気だ。 うまくやれ。

 

トークステージ・コーナー。 

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料理研究家・辰巳芳子さんと藤田社長とのトークは、立ち見も出た。

 

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こちらはキッズコーナー。 

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生物多様性の語り部、陶武利ハカセが、

しっかりツカミをとりながら熱弁をふるっている。

 

生産者トークステージ、第二部。  

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被災地からのメッセージ-②

右から遠藤由美さん(遠藤蒲鉾店)、成清忠さん、二宮貴美子さん(奥松島水産振興会)。

 

ちなみに第一部のトーク・ゲストは、

ジェイラップ・伊藤俊彦さん、仙台黒豚会・小原文夫さん、舟形マッシュルーム・海道弘子さん。

 

皆さんそれぞれに、この一年間の葛藤を深い言葉で語ってくれた。

 

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おまけの一枚は、これにしようか。

マヨネーズやきりたんぽ、温泉卵の安保鶴美さんと、

いつも一緒に来てくれる娘の小春さん。  

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いつも仲良し。 羨ましい。

苦労の連続だったけど、こんなに明るい娘さんをみると、

いつも  " あっぱれ "  と叫んでしまう。

 

最後に藤田社長からのメッセージを。

 

  大地を守る会からみなさまへ

  2011年3月11日、日本はかつてないほどの大災害に見舞われました。

  あの日から早くも一年の月日が過ぎました。

  地震、津波の被害により、多くの人が亡くなられました。

  大切な人や愛する人を失った人たちの気持ちを思うと、胸が張り裂けそうです。

  そして、その後に起こった福島第一原発の事故。

  どうして、もっと早く原発を止めておけなかったのかと悔やまれます。

  放射能が飛び散ってしまいました。

  生産者たちは、自分の責任ではない放射能という問題で苦しむことになりました。

  大地を守る会は、原発事故直後から

  「福島と北関東の農家がんばろうセット」 を販売するなど、

  生産者を支援しようと努力しました。

  しかし、野菜の出荷量という現実的な点では、

  充分な結果を出すことができませんでした。

  支えようとしても支えきれないもどかしさに、私たちも苦しみました。

 

  一方、消費者の中でも小さなお子さんを持つお母さんたちの

  「我が子を放射能から守りたい」 という、必死な気持ちも痛いほど分かりました。

  生産者も支えなければならない。 消費者にも安全な食べものを届けたい。

  大地を守る会は、ある意味で矛盾する問題のはざまで、

  もがき続けた一年だったといえます。

  二度とこのようなことを許さないよう、私たちは原発に頼らない社会を

  いまこそ作らなければならないと思います。

 

  時の流れはとめることができません。

  ただ、立ち止まることも大切です。

  2012年3月11日(日) の夜8時から10時の2時間、

  100万人のキャンドルナイトを呼びかけることを決めました。

  暗闇の中、キャンドルの灯りを囲み、大切な人と時間を過ごしてください。

  わたしたちには、必ず明日がやってきます。

  「2011年3月11日」 のことを忘れることなく、少しずつでも前に進んでいきましょう。

  「でんきを消して、スローな夜を。」

 

  株式会社大地を守る会

  代表取締役社長 藤田和芳 

 



2012年3月 5日

車座トークの一日

 

大地を守る会が一番大切にしている年に一回の大イベント、「大地を守る東京集会」。

二日間のプログラムが無事終了して、夕べは生産者とともに

朝まで蒲田で飲み、語り合いながら過ごした。

始発で幕張まで帰ってきて、今日は会社に 「存在している」 状態。

 

一日目(土) が地域に分かれての 「だいち交流会」、

二日目(日) はみんな集まっての 「大地を守る会のオーガニックフェスタ」 と、

今ふうに名前を変えても、僕にとっては、どちらも 「東京集会」 である。

 

今年は、二日目の会場でもある蒲田の 「大田区産業プラザ PIO」 が

前日の 「だいち交流会」 の一会場にも設定され、

専門委員会はこちらに招集がかけられた。

おかげで二泊三日、蒲田にどっぷりと浸かってしまった次第。

 

頭が回らないけど、取り急ぎ1日目の様子をアップしておきたい。

簡単なコメントでお許しを。

 

3月3日(土)、「だいち交流会」 蒲田会場。 

集められた 5 つの専門委員会がブースを分けて、それぞれで車座トークを展開。

加えて、各セクションの職員が順番に呼ばれて仕事の説明をする

「職員と話そうコーナー」 が設置された。

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こちらが、我が専門委員会 「米プロジェクト21」 ブースの開始風景。

(写真撮影:以下すべて西田和弘)  

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南から、北から~ 米の仕入担当・海老原康弘が撮り溜めた生産者のビデオを

約1時間ものに編集してもらって、まずは上映会から。 


続いて 「生産者リレートーク」。

ビデオに登場した生産者たちの生の声を聞いてもらう。

栽培技術へのこだわり、環境への取り組み、日頃の思いなどが

順番に語られていく。

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プログラムⅢ は、「頑張りました! 放射能対策」。

「大地を守る会の備蓄米・大地恵穂(けいすい)」 の

生産者集団・稲田稲作研究会(福島県須賀川市) を束ねる

ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんに、

取り組んできた放射能対策の成果を語ってもらう。 

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全国から集まった米の生産者たちが熱心に聞いてくれたのが嬉しい。

この一年の稲作研究会の試行錯誤で獲得した知見は、

実は稲作技術そのものにも応用できる理論が潜んでいる。 

 

他の専門委員会も盛り上がっている様子。

おさかな喰楽部。

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札幌中一の橋本稔さん。

声も通っていて、気合い入ってる感じ。

 

壁面では、三陸の復興支援を続けてきた数々の写真が掲示された。

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ホント頑張ったよね、おさかな喰楽部は。

 

「大地を守るエコ研究所」 では、

「富士酢」の飯尾醸造・秋山俊朗さんがお話し中。 

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棚田を守りながら米酢を作り続けている。

環境と食のつながりなど語ってくれているに違いない。 

ちなみに秋山さんは、米プロジェクト21のメンバーでもある。 

 

背中でも表現する人たち。

「原発とめよう会」 ブースにて。

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こちらは 「職員と話そう」 コーナー。  

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「誰も聞いてくれないんじゃないのかなぁ」

と心配していた職員がいたけど、けっこうイイ感じじゃないか。

 

米プロジェクト21 のプログラムⅣは、

TPP (環太平洋経済連携協定) の問題に挑んだ。

" WHAT'S TPP? "

問題提起者は、さんぶ野菜ネットワーク・下山久信さん。

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下山さんは、TPPは国家主権を失いかねない重大問題であると訴える。

それを受けて、自由に発言を求める。

「賛成」 論者もいたが、それは 「反対で日本の農業がよくなるのか」 という

苛立ちのようなものに感じられた。

「ただ反対するだけでなく、これをきっかけに国民的議論になることが必要だ」

「そもそもこの国の政府に交渉能力があると思えない」・・・・・

 

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全体的基調は、まさに 「この国をどうするのか」 に対する

両方からの怒りのようなものだった。

一人ひとりに主権者としての自覚が求められている。

TPPは食や農業だけの問題ではないわけだし。

この国のビジョンを示し合い、それでたたかいたいものです・・・ が

苦しまぎれのまとめだった。

 

一専門委員会で取り上げるには無理なテーマ設定だっただろうか。

そうは思わない。

僕らはいつだって語り合うことができる。

大地を守る会には、そんな空間があることを、示したかったんだ。

ビジョンはみんなの力で育てるものだと思うし。

 

ブース間で迷惑にならないようにと、マイクはなし、という指令。

会場の天井が高くて、地声ではなかなか声が通らず、聞きづらかったことと思います。

来ていただいた方々に、この場を借りてお詫び申し上げます。

 

明日もあるというのに、二次会、三次会と続いて午前2時半。

カプセルホテルに潜り込む。

普段の語り合いが足りないってことか。

しんどすぎるぞ ・・・

 



2012年1月27日

復幸の光

 

1月7日付の日記で、被災地支援用 紅白モチにご登場いただきました。

読み返せば恥ずかしいおバカなブログですが、

送り届けた岩手・宮城の方からお礼の言葉が届いたので

(メールは東京サポートの方からですが)、

転載させていただきます。

 

大地を守る会 ●●●●● さま

いつもお世話になり、ありがとうございます。

東北復興支援団体 祈望 東京サポート本部の佐々木です。

 

昨年に引き続き、今週も大変お世話になりありがとうございました。

被災地3ヵ所のたくさんの方々から、

食品の支援を再開してくださった大地を守る会と担当の皆様に

 「ありがとうございます」 と御礼を伝えてほしいと言われました。

本当にありがとうございました!

 

今週の加工品が3ヵ所に到着して、ありがたく分配いたしました。

このたびもたくさんのご支援をいただきまして、ありがとうございました。

久々のご支援に町内の皆さんは大変喜んでいらっしゃったそうです。

先の見えない不安ななか、美味しいソーセージ、納豆、お豆腐、

どれもどれも有り難くて涙を流す方々もいらっしゃったそうです。

 

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あと、昨年末のお餅のご支援もありがとうございました。

3地区とも大好評で、もったいないからと冷凍して、少しずつ頂いているそうです。

ニンジン嫌いの子供たちはニンジンの味が濃厚なので食べにくかったようですが、

ニンジン好きには美味しくて大好評だったそうです。

震災でたくさんの方々が亡くなられたので

お正月はできませんでしたが、餅を食べ力をつけ皆様から元気をもらい

この冬を乗り越えようと頑張っているそうです。

 

お餅の写真と、今週の加工品のお写真をいただいたので、送信します。

 

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昨年は震災直後の年でしたので、たくさんの方々が炊き出しやイベントなど

被災地で復興の太鼓や踊りや歌などが催されましたが、

被災地の方々からすると、実際のところ

「食べられる」 「食べられること」 「仕事を得る」 ことにつながらないので、

全国の皆さんからのお気持ちは有り難いけれど、複雑な心境のようです。

新聞やTVではどんどん復興しているように報道されていますが、

本当は被災地の1割にも満たないごく一例でしかないのだそうです。

 

漁業関係のがれき撤去もほぼ終了したため、がれき撤去の仕事もなくなり、

女性も男性も内職をしていますが、

被災地に内職仕事をということで、ミサンガ等をつくってはいるものの

1日2千円前後の収入にしかならないので、生きていくのがとても大変だと

おっしゃっていました。

沿岸部から1時間くらいバスで行った所に、電子部品の工場が再開したので

そこに勤めに行く方もいますが、交通費やガソリン代もかさむので通勤が大変で

収入から通勤費を引くとほとんど残らないらしいですが、

これも何もしないよりは、ということで、頑張っていらっしゃるそうですが、

なかなか生活再建するには厳しい状況です。

 

地元の商店のために、仮設店舗の場所が決まったそうですが、

5坪で家賃5万円かかるらしく、なかなか入店できる店舗が集まらず

11月でオープン予定がまだ先になるという状況で、

せめて最初の1年位は家賃無料にしていただければ、5万円で人を雇えるのに、

と地元の方々が町の商工会と交渉しているのだそうです。

 

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沿岸部はさらに地盤沈下で、いまだに埋め立てが進んでいないこともあり、

昨日の大潮で国道45号線沿いがみるみる海水が流れ込んできて、

満潮時は危険な地域になります。

今まで商店街がたくさんあった場所が、今は海の中になってしまいました。

お店を出すにも場所がなく、補助金の申請も通らずで、

地元の商店は事業を再開できずに苦しんでいるそうです。

蓄えも底を尽きる寸前なので、なんとか早くよい場所を見つけて再開したいそうです。

 

北上町の 「復幸の光」 と国道45号線の冠水風景も添付します。

 

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一日も早く、皆様からのご支援におこたえできるように

あらゆる面で参っているのですが、

皆で力を合わせて頑張ります、とおっしゃっていました。

 

今後ともどうぞよろしくお願いします。 

 

東北復興支援団体 祈望 佐々木千香子

(岩手県) 大槌町:土沢孝弘

(宮城県) 雄勝町:大槻敏也

             北上町:武山英明

 

これは、大地を守る会の 「震災復興支援基金」 にご協力いただいた

会員の皆様への手紙でもありますので、

ここに感謝とともに共有させていただきます。

 

お餅をきっかけにニンジン好きになってくれればよかったのですが、

ニンジン嫌いには濃厚すぎたようです。

 

それにしても、道のりはまだ遠いのか、もっと良い手はないのか・・・

考えさせられます。

 



2011年10月29日

土と平和

 

原発のコストは実はけっこう高いのだとか、

ようやく  " 裸の王様 "  の生の姿が晒されてきているね。

みんながお金を出して飾ってあげてたものだ、悔しいけど。

しかもそのツケ(核廃棄物管理) は、

100万年先の子どもたちにまで負担させるものとして眼前に (いや、隠しながら)

積み上げられていってる。

100万年・・・ 今から100万年前といえば、

ホモ・サピエンスが登場する前、ヒマラヤ山脈が形成された頃に遡る。

とてつもないゴミを今、僕らはどんどん作り出している。

このコストはみんなで負い続けなければならない、ずっと、ずっと、忘れずに。

推進派の方々は、このストレスをどんな理屈で解消しているのだろうか。

 

核燃サイクルの虚像も以前から訴えてきたのだが、

その声は力にならず今日を迎えてしまった。 この悔しさは今でも言葉にならない。

僕らにも、この現実の到来を先送りしていた甘えもある。

3.11以後に脱原発を唱え始めた学者やオピニオン・リーダーの方々、

頼むから語り続けてもらいたい。 変節や転向はなし、でね。

 

僕らが脱原発とセットで語ってきたこと。

生命の連鎖を支える土台となる世界 -「土」 と共に生きよう。

 

10月16日(日) の記録を残しておきたい。

日比谷公園で開催された 「土と平和の祭典 2011」

汗ばむような好天の下、

今年も 「土」 と聞くと胸ざわめかせる人たちが集ってきた。

 

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大地を守る会も出展。

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応援に来てくれた生産者の方々-

さんぶ野菜ネットワーク、埼玉大地、福島わかば会、新萌会、羽山園芸組合、長有研、

舟形マッシュルーム・・・遠方からありがとうございました。

他にも単独で出展されたり、福島の生産者共同でブースを出した方々、

お疲れさまでした。

 

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首都のど真ん中で、大地を謳う。

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お登紀さんと辻信一さん(明治学院大学) が、本当のシアワセについて語っている。 

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土を大事にする。 土と共に生きる。

それは自然環境と調査した暮らしを心がけることであり、

「平和」 の思想となる。

 

「土と平和のトークステージ」

どう放射能に向き合うか-  Yae ちゃん(種まき大作戦実行委員長) の司会で

藤田代表もゲストとして語っている。

ちゃんとした情報開示の上に、一人ひとりの判断力が問われている。

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単独出展のなかから今年はこの人。

茨城県筑西市で有機米を栽培する大嶋農場。 

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代表の大嶋康司さん。 自らの米を 「百笑米」 と名づけた。

若者たちを受け入れ、育てながら、未来につながる農業を目指している。

原発事故には希望も夢も失いかけたが、前に向かってやるしかないと、

田んぼの土の分析もやって意を込めて米づくりに入った。

土からはセシウムは出たけれど、米からは検出されてない。

今日は一生懸命アピールしたい、と胸を張る。

大嶋さん、いい笑顔です。

 

大地を守る会のブースに入って売り子を始めた途端、

OBの先輩がやってきて 「もう飲んでるのか」 と言われたので、やめることにした。

20代の青空市での売り子から始まった 「大地」人生。

口上は内心自信あるのだが、どうも、叩き売り調になってしまうのかな・・・

 

みんな元気、を確かめて日比谷から水道橋へ。

午後は、有機農業技術会議主催による 「原発と有機農業」 というシンポジウムに出る。

その報告は次回に。



2011年8月28日

みんなの力で 「第4の革命」 を進めよう!

 

8月18日(木)、

「脱原発と自然エネルギーを考える全国生産者会議」。

二人目の講師は、飯田哲也 (てつなり: 環境エネルギー政策研究所所長) さん。

用意されたタイトルは-

 

     -3.11フクシマ後のエネルギー戦略-

  自然エネルギーによる「第4の革命」

 

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テレビの討論番組などで、すっかりお馴染みの顔となった飯田さん。

論点は一貫している。

- 今は日本近代史における第3の転換期。 人類史での第4の革命が始まっている。

- 世界は大胆に自然エネルギーにシフトし、世界市場は急拡大しているのに、

  かつての自然エネルギー技術先進国・日本は取り残され、逆にシェアを縮小させてきた。

- 自然エネルギーは唯一の 「持続可能なエネルギー」。

- 自然エネルギーは豊富すぎるほどある(1万倍以上)。

- 「自然エネルギー100%」 は、すでに 「if」(仮定) ではなく、

  「when,how」(いつまでに、どのように) の議論になっている。

- 自然エネルギーは普及すればするほど安くなる。

  かたや原子力・化石燃料コストはどんどん高くなっている。

- ポイントは 「全量買取制度」。 当面の 「負担」 は 「将来への大きな投資」 となる。

- 東北は自然エネルギーの可能性に満ちている。

  東北での 「2020年に自然エネルギー100%」 は可能だ。

- 新しい 「エネルギーの地域間連携」 で、地域でお金が回るようにしよう。

  地域のオーナーシップを発揮させ、便益は地域に還元する。

  自然エネルギーの雇用創出力は原子力よりはるかに高い。

- 無計画停電から戦略的エネルギーシフトへ。

  持続的な 「地域エネルギー事業」 を推進するときが来ている。

 

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お二人の講演を受けて、戎谷より、

大地を守る会のこれまでの活動報告とともに、

次の展開に向けての野望も提出させていただく。

 

「 ここからは、我々が考える時です。

 大地を守る会の生産者・メーカーの総力を挙げて、

 脱原発と自然エネルギー社会を創造していくことを、この場で確認したい。」

無理矢理(?)、拍手で確認。

 

食の安全確保に向けて、水際でのチェックも放射能除染対策も、

我々の手でやれることはすべてやろう。

そして、データを蓄積するとともに、国の暫定基準をどう決着させるか、

という議論に入っていきたい。

できるならば、かつて、1970年代に原子力発電の危険性を訴えた物理学者、

武谷三男さんが唱えた 「がまん量」 の考え方も思想的に超えたい。

 

夜は大地を守る会の生産者たちの食材とお酒で語り合い、

翌日は、各地での実践例を出し合い、議論を深めた。

 

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「放射能除染対策から地域再生へ」

事例1-岩手県久慈市(旧・山形村)、JAいわてくじ・落安賢吉さん。

      日本短角牛の里で取り組む除染対策。

事例2-福島県須賀川市、ジェイラップ・伊藤俊彦さん。

      水田での様々な除染試験から総合対策へ。

事例3-福島県二本松市、ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会・佐藤佐市さん。

      動き出した 『里山再生・災害復興プログラム』 構想。

 

【資源循環・エネルギー自給に向けて】

事例4-山形県高畠町、米沢郷牧場・伊藤幸蔵さん。

      「自然循環・リサイクルシステム」 からの展望。 

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事例5-宮城県大崎市、蕪栗米生産組合・千葉孝志さん。

      「冬みず田んぼに太陽光発電」 から次の課題を考える。

事例6-群馬県高崎市、ゆあさ農園・湯浅直樹さん。

      ここまできたエネルギー自給農園。

 

意見交換では、互いの知恵を共有し新しい試験もやりたい、という提案も出され、

おそらく皆、希望と勇気をもらったのではないだろうか。

司会をしながら、少し熱くなる。

「私たちは今、先端の場にいて、未来を共有しているのです。」

 

午後はオプションで、希望者による習志野センター見学。

放射能測定の説明をするのは、品質保証グループ長・内田義明。

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ここにガンマ線スペクトロメータが4台。

現在、週120検体のペースで測定を続けている。

さらには現地(福島県須賀川市) に1台。

こちらでは、ジェイラップががんがんデータを取ってくれている。

そして月末には、ゲルマニウム半導体検出器がやってくる。

 

ただ到着した食品の安全性を確認するためだけではない。

生産者にとっての安心と、意図しない2次汚染を防ぐためでもある。

各種の試験データは次の有効な対策につながるだろう。

帰りがけに、伊藤幸蔵さんが言ってくれた。

「こういう体制を作ってくれるのは、本当にありがたいです。」

試行錯誤だけれど、一緒に前を見る仲間がいる。

こんな嬉しいことはない。

 



2011年8月26日

10万年の想像力を持って・・・

 

経済産業省原子力安全・保安院 (「不安院」 などと呼ぶ人もいる) が

今日発表したところによれば、

福島第一原発の事故によって大気中に放出されたセシウム137の量は、

広島型原爆の168.5倍に相当するという。

原爆168発分。。。

僕の軽薄な想像力は、読んだ時点ですでについてゆけない。

調べた人や発表した人は、どれだけ心を震わせたのだろうか。

 

ついてゆけないといえば、こんな数字もある。

「高レベル放射性廃棄物も含めた原発ゴミは、10万年にわたって管理しなければならない。」

10万年!!! 僕の文科系脳みそでの計算では、3000から4000世代・・・

今から10万年前といえば、

我々ホモ・サピエンスの大先祖がアフリカを出て長い旅を開始した頃だ。。。

今、ヒトは現実の話として、

10万年という時間を、この呪縛に囚われて生きなければならなくなっている。

僕らは、絶えることなく、後々の世代に

間違いのない指示書を受け継がせなければならない。

いつか、「あの山には鬼が出る。入ったら末代まで祟(たた) られる」 とか、

「ゼッタイにこの封印を解いてはならない」 とか、

恐ろしい伝説と化して語られることになるのだろうか。

ならば、子どもが一生忘れられないような怪談話を用意しなければならない。

それは今進んでいる、現在進行形の姿をどう語り継ぐか、なんだけど。

それぞれの言葉で、それぞれの実感を胸に刻みながら、

新しい人類の旅を始めるくらいの決意を持って。

 

しかし、、、別な意味で想像に苦慮するのは、

家やご先祖の墓や故郷と引き裂かれた難民ともいえる人々が目の前で叫んでいる

今この期に及んでもなお、原発輸出の途を残そうとする政治家や、

既得権益にしがみつく電力会社や大企業が、巌に存在することである。

彼らはどこを向いて、何を見ているのだろう。

それは人々を救う道につながっているのか。 誰か教えてくれ。

 

「核時代の想像力」 「想像力に試練を与えよ」

 - 僕がまだ青二才の頃、作家の大江健三郎さんが問うた言葉だが、

今を真剣に見つめ、語り継ぐこと以上の文学があるか。

 

そんな憂鬱にさいなまれながら、

「脱原発と自然エネルギーを考える全国生産者会議」

のレポートをしなければならない、と自らに課してしまっている、心安まらない週末。

 

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まもなく 「元」 となる農水副大臣・篠原孝氏の講演。

「土壌における放射能汚染の除染とチェルノブイリの現況」

と題してお願いしたのだが、ま、何と言うか、

篠原さんは講演どころではなかったのだろう、とご同情申し上げるしかない。

期待はずれと感じた生産者の方には、私からのお詫びでご容赦願いたい。

この政局の中、「大地を守る会の生産者の集まりに行く」 を優先してくれたことを、

素直に感謝しましょう。

 

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農林水産省職員の頃から有機農業を提唱してこられた稀有な方である。

その視点から原発にも強い疑念を持ち、

槌田敦・劭兄弟から室田武、高木仁三郎、内橋克人、小出裕章・・・等々の著作を読み漁り、

これらの方々と知己を広げ、3.11直後から連絡を取り合い、

できるだけの対策を取ってきたとの自負がある。

 

国に、食品での放射性物質の残留基準値がない中で、

「危険なものを流通させてはならない」 との思いで暫定規制値の設定を急いだこと。

(注......それまでは、チェルノブイリ事故後に設定した輸入食品を規制する370ベクレル

 という規制値があったが、それは当時の自給率などを勘案してつくったもので、

  今日の基準とするには改めて精査し直さなければならない。)

また、米の作付時期に入り、土からの吸収率の過去のデータを元に

作付制限の指標を示したこと、などの経緯が語られた。

 

未曾有の事態が進む中で、篠原さんなりに頑張ったのだ。

しかし、静岡のお茶からも検出され、牛肉からも検出され、、、

「農水省だけが悪いのでしょうか」 という本音まで吐露された。

この集まりだから、と少し気を許して喋ってくれた感がある。

 

もちろん、篠原さん個人を指弾するつもりは毛頭ない。

除染についても、僕らにとって目新しい情報は示されなかったけど、

すべてはこれからの作業の積み重ねが勝負なんだよね、

との思いを改めて強くしたのだった。

10万年の想像力を持って、今から・・・

 

これからの食品の流通判断に関しては、

ベラルーシやウクライナの、「経過観察に基づいた」 きめ細かい食品の基準値設定

の手法が参考になる、という示唆は、こちらも思うところである。

ただし、高濃度のミルクを低濃度のものと混ぜてリスクを下げるという提案は、

いただけない。 それはダメです。

 

「原発は害毒である。 脱原発は独、伊、スイスよりも日本が先頭に立つべきだ。」

「食べものもエネルギーも、地産地消を進めなければならない。」

「 (いま流通されているものは) 50歳以上は食べても大丈夫です。

  食べて (この国の農業を、つまり食生産の基盤を) 支えてもらいたい。」

 

個人的には賛同できます。

篠原さんも、是非頑張っていただきたい。 

多忙な中、ありがとうございました。

 

次に、昨今メディアから引く手あまたの飯田哲也(てつなり) さん。

 

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スミマセン。 今日はここまでで。

 



2011年6月30日

キャンドルナイト -今年は復興の願いを込めて

 

6月18日(土)。

山武から幕張の事務所を経由して、

東京都港区芝・ 大本山 増上寺 に到着したのは、午後3時半くらいだったか。

天気は雨に変わっていた。

 

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間もなくステージで、明星学園和太鼓部による太鼓の音が響き始める。

「100万人のキャンドルナイト@増上寺」 の開演。

 

しかし今日の僕は仕事は、こっちである。

大地を守る会 食べて復興応援屋台!

 

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実を言うと、当初は、今年の開催は予定されていなかった。

このイベントを始めてより9年。 全国いたるところで展開されるようになって、

「キャンドルナイト」 の参加者は目標の100万人をはるかに超え

(正確な集計も不能になって)、海外にも飛び火した。

もうここは、一定の役割を終えたんじゃないか。。。

 

その方針を変更させたのは、いわずもがな、東日本大震災である。

東北の復興を応援しよう! メッセージを集め、伝えよう!

そんな声が上がり、増上寺からも 協力OK の申し出が入った。

 

3.11大震災から100日目という日での開催。

主催は、J-WAVEと大地を守る会。

港区後援、協力は増上寺に東京タワー、カメヤマキャンドルハウス、

特別協力で環境省、という体制。

短期間での準備となったけど、メディアからアーティストまで、

たくさんの人たちの力で実現した。

 

「100万人のキャンドルナイト」。

時代の気持ちをしなやかにつかみ、優しく表現したという意味で、

やはりこれは画期的なムーヴメント・イベントだと思う。

 

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この時期の屋外イベントでは、 雨はしょうがないことなのだけど、

やはり人は テントの中に滞留し始める。

満杯状態となって、ややツライ。

 

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食べて復興応援!

生産者たちもやってきて、元気をアピールする。

 

福島わかば会の野菜コーナー。

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冷やしトマトと串刺しきゅうりが人気を博す。

 

南の島からもパインで応援。

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畜産では外せない、3組の競演。

仙台黒豚会の豚汁。

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岩手県久慈市山形町短角肥育部会と総合農舎山形村合同による

岩手短角牛の串焼き。

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背中でも語る男たち。

 

そして茨城から、北浦シャモ生産組合による 「シャモの古代焼き」。

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焼いているのは下河辺昭二さん。

息子さん (左のエプロン姿の若者) が手伝ってくれるようになって、

「オレの息子、オレの息子」 と自慢する、可愛いオヤジ。

 

「大地を守るDeli  エキュート東京店」 も出店。 

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岩手県宮古市で、壊滅的な打撃を受けた重茂(おもえ) 漁協からは、

天然ワカメで復活! を誓う。

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写真中央は、助っ人に入った遠藤蒲鉾店(宮城県塩釜市) の遠藤由美さん。

遠藤さんは自慢の笹かま・焼きさつまで  " 頑張ってま~す " 。

 

岩手・福島の地酒フェアも。

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この日は 「種蒔人」 は控えて、

久しぶりに大木大吉さんの 「自然郷」 をボトルでいただく。

 

他には、鳥取・福栄さんのイカのぽっぽ焼き、たこ焼き、焼きそばなど、

とても食べ切れない。

 

復興にかける生産者にメッセージを書いていただく。

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頂いたたくさんのメッセージは、

今度の救援物資と一緒に届ける予定である。 

 

雨の影響もあって、大地を守る会の野菜販売コーナーが苦戦している。

農産グループ長としては、歩いて見回っている場合ではない。

後半は売り子に立って、声を張り上げる。

最後は、出血叩き売り状態。 とても会員には見せられないけど、

しょうがないよね。 持って帰れないし。。。 

 

Yae ちゃんのライブも、Bird さんのライブも、Salyu さんのライブも、

富永愛さんの朗読も聴けず、

東京タワー消灯のカウント・ダウンにだけは立ち合わせてもらう。

 

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今年は、カウント・ダウンのコールと消灯がぴったり合った。 

 

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あとはめいめいに、キャンドルの灯を囲んで

静かなひと時を楽しんでいただく。

 

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 がんばろう! 東北。

みんなの願いを力に変えて、復興に向かいましょう。

 

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2011年3月23日

被災生産者への復興支援義援金受付を開始します。

 

大地を守る会の消費者会員の方々には、

昨日(22日:火曜日) から配布の 「ほっとでぇた号外」 にて、

義援金の募集を開始しましたが (いつもの注文書で申し込めます)、

生産者や関係者の方々からも多数のお申し出を受けており、

急ぎ専用口座を開設いたしましたので、ご案内申し上げます。

 

お申込みいただいた義援金は、大地を守る会の被災生産者の復興支援等に

活用させていただきます。

義援金の額・使途につきましては、機関誌 『NEWS 大地を守る』 や

ホームページ等を通じて報告させていただきます。

振込指定口座は、以下の通りです。

 

三井住友銀行 六本木支店

普通口座: 7464419 

口座名義: 大地を守る震災復興支援基金
       (ダイチオマモルシンサイフッコウシエンキキン)

 

上記の口座は、別途生産者の方々にお送りした

「福島第一原発の事故に対する大地を守る会の取り組みについて」

にてご案内した口座 (千葉興業銀行) とは異なりますが、

どちらをご利用いただいてもかまいません。

ここでは名義の文字数が少ない方を記載しました。

それでも ATM などでは口座名義の全文字が表示されない場合がございます。

あらかじめご了承ください。

また、大地を守る会では電話・メールによる義援金の勧誘は行なっておりませんので、

十分ご注意ください。

 

また、大地を守る会のホームページでは、

「大地を守る会の震災復興支援活動について」

のコーナーを新設しました。

義援金だけでなく、物資での救援活動や生産者の受け入れ活動など、

各種の支援活動の取り組み状況が逐次アップされますので、

どうぞご確認ください。 

 

とても苦しく、悲しい事態が続いていますが、

前を向き、気持ちを奮い立たせて復興に進み始めた方々の姿には、

私たちも勇気づけられています。 

気持ちを一つにして、大きな力で支援したいと考えます。

一人でも多くの方のご支援ご協力をお願いする次第であります。

 



2011年3月 8日

異常気象で生産者が消えていく・・・

 

東京集会のレポートは2回でいいかと思っていたが、

そろそろ整理しようと思って手に取った記録メモを見直してみて、

やっぱ生産者が語った大事な話だけでも残しておきたいと、改めて思うのである。 

実行委員会から写真もゲットしたし。

 

お祭りのように賑やかで楽しい交流集会のなかで、

唯一といってもいい、重苦しい話題でのステージ30分一本勝負。

" 生産者が語る 「異常気象レポート」 " 。

 

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私へのイメージが暗いものに固まるのがこわくて、

スタッフ・エプロンを羽織ってもみたのだが、ぜんぜん似合ってないじゃんよ。

写真も暗いしィ 。。。

解説もこんな感じで・・・

 

「異常気象」 という言葉には、もう聞き飽きた感も持たれることかと思うが、

この言葉にも定義があって、

けっして不安を煽るために都合よく使われているわけではない。

気象庁によれば、それは

「統計的に、30年に1回以下の出現率で発生した気象現象」

ということになっている。

この言葉がひんぱんに登場するほどに、

気候変動は日増しに激しくなってきていることを意味している。

 

例えば昨年夏の高温・猛暑は、気象庁が統計を取り始めた1898年からの、

過去112年間での最高記録である。 

つまり100年に一回かどうかも分からない記録というわけだ。

世界全体で見ても、統計上2番目の高さだった。

しかもベスト5はこの10年ちょっとの間に集中している。

 

冬になれば、日本海側ではこれまた記録的な豪雪となった。

日本の観測地点37ヶ所で最大積雪記録が更新されたのが、この冬である。

「集中豪雪」 なる言葉まで生まれた年として残ることになる。

背景として指摘される 「ラニーニャ現象」 は、

世界気象機関 (WMO) が 「100年の中でも最強クラス」 と呼んだほどだ。

 

そして自然災害の規模は、年々大きくなっている。

 


2月24日の日記で示した2010年の世界の異常気象MAP (気象庁データ)

を見てもお分かりのように、世界のあちこちで異常気象が観測され、

それらが相互に関連し合い、かつ至る所で災害をもたらしている。

しかも今後の気候変動はより不確実性を高め、激変する可能性を帯びてきている。

温暖化とは年々少しずつ気温が上がるということでなく、

乱高下の変動幅がどんどん激しくなることだと理解しなければならない。

 

IPCC(気候変動に関する政府間パネル) 第4次報告によれば、

20世紀後半の気温上昇・温暖化は、もはや自然要因だけでは説明できない。

明らかに人為的な要因が加わっている、と指摘されている。

気候変動がもたらす社会的影響は、

時限爆弾ともいえる人為的ウィルスを抱えながら進んでいると言える。

 

同時に地球規模で進んでいるのが、

人口の増加と耕作面積の減少 (地力の短期的収奪・砂漠化も含めて)

という自己破滅的な動向の加速化である。

温暖化は水収支も悪化させていて、世界は水資源の奪い合いを激しくさせている。

前世紀の経済発展のエンジンとなった石油は供給力ピークを越えた。

投機マネーはいよいよ穀物市場を荒らし始め、

外国の耕地を買い漁る 「ランド・ラッシュ」 という言葉まで生まれた。

買われた土地の下には水脈がある。

 

昨年から今年にかけては、

ソ連やオーストラリアの干ばつによる不作や輸出禁止政策が穀物の高騰を誘引し、

それがアラブ諸国や北アフリカの政情にも影響を与えている。

世界は前代未聞の資源戦争の世紀に突入した。

 

かたや日本では、山 (=水源) は荒れて外国資本に買われはじめ、

耕作放棄地は平地にまで及び、

持続性がどこにあるのかよく分からない輸出市場に期待をかけて

関税撤廃 (これは農産物だけの話ではない) に乗せられようとしている。

基盤が脆弱化しつつあるなかで、防壁のない戦を始めようとしている気がするのは

僕だけだろうか。

 

そんな状況を背景に、昨年各地から届いた写真を見ていただく。

例えばこんな写真。 

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これは茨城県筑西(ちくせい) 市、大和田忠さんの人参畑。

7月中旬~8月いっぱい、ほとんど雨が降らない大干ばつに見舞われた。

7月下旬に播種(はしゅ) した人参が発芽したのは9月になってから。

灌水設備がない畑のため、大和田さんは、タンクで水を汲んできては撒く、

汲んできては撒く、を繰り返したが、10月の冷え込みもあって、

この畑の人参はついに大きくならなかった。

 

東北地方を襲った 虫の異常発生と北上 は以前にもレポートした通りである。

奇形果が大量に出たトマト、日焼けで白くなった柑橘・・・

農業歴ウン十年の生産者でも、これまで経験したことがないという

現象があちこちで発生した。

 

発言をお願いした北海道中富良野町、「どらごんふらい」 のメンバー、

石山耕太さんが解説してくれた人参畑。

 

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8月の断続的ゲリラ豪雨によって畑は水浸しになり、根の先端から腐っていった。

玉ねぎ畑は先日の日記で見てもらった通りである。

 

それでも石山さんは、しっかりと前を向いて語ってくれたのだ。

 

我々にできることは何か?

異常気象が当たり前という前提で、高温、低温、多雨、少雨を問わずに対応可能な

心と、体と、手段を持ちたい。 

簡単にあきらめないこと。

あきらめざるを得ない時は、すばやく次の戦略を練ること。 

そして、作物の生命力を信じたい。

 

夏の次は冬。

日本有数の漁港、鳥取県境港で漁船を持つ(株)福栄専務取締役、岩田健二郎さん。

大地を守る会には、イカやカニ製品を出していただいている。

 

昨年末から正月にかけての記録的集中豪雪で、

たくさんの小型漁船がやられた。

 

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小型漁船の主は、60歳以上の方が多い。

船舶の保険料は高く、こういうことがあると、「もうやめるわ」 という人が現われる。

災害のたびに漁業者がいなくなっていくのだという。

 

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突発的な災害だけでなく、温暖化は海水温の変化ももたらしていて、

岩田さんは魚種が減っていることも不安であると語る。

境港は多様な魚が揚がる、つまり海の豊かさを誇っていたものだが、

魚種が減るということは、確実に漁業資源の枯渇にもつながってゆく。

そこに災害が襲うと・・・ 一次産業者には耐える力も衰えてきているのです。

国に何とかしてほしいと思ったりもするんですが・・・ 

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先日、世界銀行の総裁が、

「世界の食料価格は、極めて危険な水準まで上昇している」 と警告を発した。

私たちは、これからさらにひんぱんに異常気象を経験することになる。

食料の奪い合い、資源争奪戦が激しくなる中で、

自由市場に出れば出るほど、

食べものが一部の人たちの力で左右されるリスクが増すことになる。 

 

ここ2ヶ月ほどの新聞を見ても、かなりヤバイ記事が増えている。

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食糧危機は、来るべき不安ではなく、現在進行中の事態なのである。

僕らはすでに

ゆで蛙 (だんだんと温度が上がっていく中で、知らずに茹で上がってゆく)

と同じ状態に陥ってないだろうか。

世界中で格差が拡大していっているのは、無関係ではない。

 

私たちは、食べものと水を永続的に供給し続けてくれるこの豊かな国土を

しっかりと守る必要がある。

食と健康と、それを支える環境(=暮らしの土台) を守ることによって、未来は安定する。

できることなら、地球資源をもっとも調和的に維持させているモデル国として

イニシアチブを取るくらいの国になりたい、とすら思う。

 

そのために私たちが日々取るべき行動とは、究極のところ、

誰とつながり、何を食べるのか、食も水もお金も含めた資源をどんな循環でまわすのか、

という点に集約されていくのではないだろうか。

頑張って作り、食べる。 その輪を強化したい。

その輪に選ばれる組織でありたい。

けっして嘘をつくことなく。

 

私たちの交流は前に進んだか。

 



2011年3月 5日

「食の記憶」 が伝える豊かさ ~ だいち交流会 から

 

大地を守る東京集会の1日目、

2月26日(土) に開かれた 「だいち交流会」 の模様もアップしておきたい。 

この日は首都圏13の会場に分散して生産者と消費者の交流が行なわれ、

僕は墨田区・錦糸町の会場に参加した。

こちらの会場を準備してくれたのは、会員が主体となって運営する 「だいちサークル」

のひとつ、Fuwatto の方々である。

 

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こちらで設定されたテーマは、

「日本縦断? 地域の食べ方み~つけた。」

 昔ながらの食べもの、各地の郷土料理、我が家自慢のおススメ料理、

 私だけの 〇〇 な組み合わせ、つくる人特権の味、

 今日はどんなメニューが並ぶかな。

 さあ、みんなで 「食の旅」 に出かけよう。 オー!

 

-というわけで、参加者は少人数で各テーブルを囲み、

与えられたテーマ (お題) に沿って思い描いた答えを紙に記入し、発表する。

お題は3つで、変わるたびにメンバーが入れ替わりながら、進められる。

 

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最初のテーマは 「我が家のおススメ料理、各地域のふるさとの味」。

ふたつめは 「大至急!3分でごはん。あなたならどうする !? 」。

みっつめは 「忘れられない味」。

みんな悩んだり、照れたりしながらも、面白がって書いている。

 

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自分の書いた食材を発表するうちに、雰囲気が自然と和んでくる。

しかも出てきた答えは、見事にそれそれの地域の食文化を反映している。

消費者の場合は、ふるさとの味、である。

「ああ、なるほど」 から 「なにそれ?」 まで。

 


いま思えば、ちゃんとメモしておけばよかったと後悔するほど、

なかなかにその人の素性というかDNAを、見事に表現していたような気がする。

 

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「ふるさとの味」 は、特定の食材であったり、郷土料理だったり、母の秘伝の味だったり。 

「3分でごはん」 では、おにぎりにも微妙な味つけや具材に違いが見える。

納豆が随所に登場するかと思えば、

たとえば僕のように、「忘れられない味」 は、四国から上京して初めて食べた納豆である。

関東の人間は腐ったもん食っとる・・・・・あの驚愕の体験。

連合軍捕虜にゴボウを食べさせた廉(かど) で戦犯に処せられた話など

比ではないと思ったくらいだ。

しかしこの糸を引く怪しい食べものは、腐敗ではなく 「醗酵」 なのだという。

ニッポンは広い! ワシはまだな~んも知らんのんちゃうか、という衝撃。

龍馬もきっと同じ体験をして、世界に目を開いたのだと、僕は今でも秘かに信じている。

 

ま、そんな個人的な体験はどうでもいいとして、

「食」 とは、かくも人間を表現する。 ただ生きるために必要なものだが、

それだけに互いを知る上での格好のコミュニケーション素材なのかもしれないし、

であるからこそ 「食」 は人をつなげるのだろう。

ブリア・サヴァランの 『美味礼賛』 だったっけ。

 - あなたが何を食べているのかを言ってみたまえ。 あなたが何者かを言ってみよう。

記憶が曖昧で、スミマセン。

 

「生産者」 と 「消費者」 という枠組みに捉われず、

テーブルを回りながら、キーワードに沿って自己紹介し、

私の 「食風景」 を語り合い、相手を理解する。

初めて会った水産関係の生産者を、「〇〇丼の人」 として記憶に留めたりして。

こういうのもあり、か。 自分にまとわりついている固定観念を少し反省する。

 

会の最後に、「頑固な野良の会」(茨城) の阿部豊さんに、歌で締めてもらう。

 

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大企業勤めを捨て、有機農業の世界に飛び込んでもう20年以上になったね。

農作業のなかで作ったのであろうオリジナル曲に加えて、

サッチモ(ルイ・アームストロング) の 「WHAT  A  WONDERFUL  WORLD」

を自分流に訳したという一曲を披露してくれた。 

 

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もっと時間がほしかった、とみんな思ったことでしょう。

アットホームな、素敵な交流会でした。

Fuwatto の皆さんに感謝、です。

 

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他でも12ヵ所で、

それぞれに趣向を凝らした楽しい交流が繰り広げられたことと思う。

あとは楽しく飲む、も欠かさずに。

 

この地区別交流会も始めて28年。

気がつけば、当時生まれた世代が仕切るまでになっている。

伝統というのは継続のなかで育まれながら、

かつ静かに変化もしているのだった。

 



2011年3月 2日

2011年の 「大地を守る東京集会」, 無事終了

 

" 大地を守る会の オーガニック フェスタ " 

 - 時代遅れのワタシには少々照れくさいようなタイトルを冠した

「大地を守る東京集会」 が無事終了した。

 

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来場者、約 3,500名。 

事故や目だったトラブルもなく、いい交流の一日をつくれたのではないかと思う。

出展いただいた生産者・メーカーの方々に、まずは感謝です。

また、至らない点も多々あったはずのところを

大らかに受け止めながら楽しんでくれた会員の方々と来場者すべての方に、

心から御礼申し上げます。

 

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そして実行委員の方々、お疲れ様でした。

 

1978年2月に 「地球は泣いている 東京集会」 を開催してから、

毎年欠かさず続けてきたこのイベントも、もう34回を数えるまでになった。

思い返せば、僕が二日間にわたる総合司会をやらされたのは、

入社して2年目の84年のことだった。

以来、だいたい司会は生意気そうな若手が指名されるようになった。

翌85年から職員と消費者による実行委員形式でやろうということになって、

僕は実行委員に手を挙げて、

二日間のうちの一日を地区に分かれて交流する企画が実現した。

それやこれらは、いまや大地を守る会の伝統と言われるまでになった。

僕にとっての東京集会自慢はそこまで遡る。

 

そして年々規模が大きくなるに連れ、

実行委員会の負担は当時とは比べものにならなくなったけど、

こういった積み重ねがあって伝統も進化したきたわけだ。 

もちろん実行委員に限らず、スタッフ・出展者全員の力であることは言うまでもない。

それぞれにとっての 「私の自慢の東京集会」 が、また新しく生まれていく、

それこそが嬉しい。

 

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企画は盛りだくさんにあったのだけど、自分の受け持ちもあって、

回れた部分だけでも、盛況ぶりを紹介したい。

写真だけで流します。

雰囲気が少しでも伝われば幸いであります。 

 

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みんな一生懸命生きている。

その生を謳歌しながら、楽しくつながりたい。 

この仕事は、そのためにこそあるんだよね。

 

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未来を生きる子供たちへの責任を果たしたい、と強く思う。

 

失敗はしても、嘘はつかない。

そんな関係を築きたくて続けてきた  " 顔の見える関係 "  づくりだけど、

会長が壇上からお詫びせざるを得ない事態があったこともあって、

盛会であっただけに深く責任の重さを考え直す、

記憶に残さなければならない東京集会となった。

まだまだ、だね。

 



2011年2月24日

異常気象は現場で起きてるんだ~

 

 - というサブタイトルでいきたいんですけど・・・

 

「 2011だいちのわ 大地を守る東京集会

 大地を守る会のオーガニックフェスタ

実行委員、Oからの野望が語られた。

 

ふ~ん、別にオレはいいけど。 でも、こだわるわりにはパクリっぽいよね。

ハァ、まあそうなんですけど、これでいきたいんです・・・

 

2月27日(日)、今年の東京集会で僕に与えられた仕事は、

13時から17時まで連続的に展開される

「大地を守るカフェトーク」 のなかのプログラム -生産者が語る 『異常気象レポート』

という30分コーナーの司会である。

いつもこんな役回りで声がかかるのが気になるところだが。

 

トーク・コーナーを担当する実行委員のO君から提示されたサブタイトルがこれ。

~異常気象は会議室で起こってるんじゃない! 現場で起こってるんだ!~

気持ちは分かるけどね・・・

 

で、本番まで残すところ一週間となって、ようやくこちらも東京集会モードとなってきて、

バタバタとスライドの確認やイメージの整理に取り掛かってみれば、

改めて事の重大さをかみしめざるを得ない、という次第である。 

 

そもそも 「異常気象」 とは  - から頭の整理は始まるのだが、

昨今の世界の気象動向を振り返ってみるだけでも、

食糧供給の問題にとどまらず、こんにちのアラブの騒乱から原油の高騰にまで

つながっていることが浮き彫りになってくる。 

 

たとえば、これが気象庁データにある昨年1年間の世界の天候異変現象のMAPである。

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地球の反対側の現象が私たちの暮らしを直撃してくる。

グローバル時代の危うさを示している。

 


温暖化の真偽についてはまだ専門家の間で複雑な議論があるようだが、

地球の気温はこの数十年、上昇の一途にあることは間違いなく、

しかもそれが自然要因以外によることも間違いないようで、

それが気候変動を激しく、不確実なものにさせている。

これからさらに変動の振幅 (=自然災害の規模) は大きくなることが予想されている。

 

温暖化は食料の供給(&価格) を乱高下させる要因にもなっている。

動植物の単純な変調に留まらず、生態系そのものを不気味に狂わせつつある。

加えて、人口増加と耕地面積の減少、地力の低下、オイルピークの問題

などなども相まってきて、投機マネーまでが自己増殖を目的として侵入してくる。

食料はますますもって戦略物資と化してゆくことだろう。

人の動きも荒れてくる。 それは今、まさに起きている。

TPPなんて、とてもとても暴挙としか思えなくなる。

 

そして異常気象はますます頻繁に発生する。

それは、進行形として現場で起きているのである、たしかに。

 

去年の夏にレポートした、北海道中富良野・太田農園の玉ねぎ畑。

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去年の夏の出来事、ではすまないのかもしれない。 

写真を送ってくれた石山耕太さんに登場願うこととした。

もう一人お願いしたのは、鳥取県境港から岩田健二郎さん。

この冬の豪雪は尋常じゃなかった。

" 現場で起きた "  生の報告を聞いてもらおう。

 

たった30分でも、しっかり伝えたいと思う。

このブログを読んでくれている方には、お決まりの結論になると思うが。

いっそ、アル・ゴア (アメリカ元副大統領) の言葉を引用させてもらおうかな。

 

  未来世代が私たちにこう尋ねているところを想像してみてほしい。

  「 あなたたちは何を考えていたの?

   私たちの将来のことを心配してくれなかったの?

   自分のことしか考えていなかったから、地球環境の破壊を止められなかったの?

   ――止めようとしなかったの?」

  私たちの答えは、どのようなものになるのだろう。

                            ( 『不都合な真実』より/枝廣淳子訳 )

 

2011年2月27日、「大地を守る会のオーガニックフェスタ」。

どなたでもOK。 ぜひご来場ください。

 



2010年11月14日

35周年-" 新たな挑戦の時代 " が始まっちゃったよ!

 

" しんどい "  日記を表題に掲げてきた我がブログとしては、 

この一日をスルーさせるわけにはいかない。。。 しんどいけど。

10月30日(土)、加工食品製造者会議の翌日、

NGO大地を守る会の臨時会員総会と (株)大地を守る会の臨時株主総会をやって、

35周年記念パーティへとなだれ込んだ長~い一日の話。

 

会場は千葉・幕張、アパホテル&リゾート東京ベイ幕張。

朝10時から午後2時までNGOの総会、午後3時から株主総会。

議案は他にもあったが、議論はほぼこの一本に絞られている。

NGOと株式会社の合併である。

 

ともに時間をオーバーして審議いただいた。 

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最終的に承認をいただいたものの、

現時点ではまだ合併後のかたちが見えないことが、

会員の不満や不安を激しく募らせたように思う。

特にNGOで展開してきた運動面がどのように組織内に位置付けられ、

会員の活動が保証されてゆくのか。

35年続いてきた、" 運動体と事業体を車の両輪として展開させる " 

という組織論の発展的転換。 

これを進化と言われてもイメージできない、というのも尤もなところだと思う。

 

組織論というのは、未来永劫にわたってこれこそが正しいと言い切れるものはなくて、

社会状況とともに変化させることも必要になる時がある。

NGOと株式会社が時に別々に切り分けられて語られることに対する漠とした不安は

僕らの中に常にあったし、この組織において、NGOだけが美しく存在し続けることは

実態としてあり得ない。 

大地を守る会は  " 無農薬の大根一本を、つくり、運び、食べる "  運動から始まったのだし、

会員は生産者と消費者 (と事業体の社員) なのだから。

一方でひとつになればなったで、

事業体が持っている宿命的な業(ごう) に運動面が引きずられ、

その健全性が維持できるかという不安も生まれる。

 

だからこそ2年前、僕らは会社の定款に

「 『自然環境に調和した、生命を大切にする社会』 の実現を目指す社会的企業」

であり続けることを、憲法の前文のように付記した。

" 設立時の理念を本業のなかに血肉のように浸透させ、たたかい続ける企業となる " 

宣言である。

とは言ったって、どんな形にしても、要(かなめ) は構成員の意思の持続性にかかっている。

 

加えて、将来的に会社の上場を目指すという大胆な表明もあり、

両総会は合併と上場論議とが交錯しながらの進行となった。

「今はまだ、(上場は) 少年が東大に入ると宣言したようなものですから・・・」

という会長説明もなかなかだけど、

こういう事業にこそ社会は投資すべきではないか、

と言い続けられる事業が展開できたなら、それはそれで挑戦に値する、という思いはある。

これは囲碁や将棋でいうところの、驚くべき次の一手、新手である。

 

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この 「承認」 は期待の大きさとともに、責任の重大さの自覚が求められた決議であることを、

僕らは肝に銘じなければならない。

35周年宣言の起草に関わった者が言うのも恥ずかしいが、

自分の現役中にここまで来ようとは、とても思わなかった。

時代の変化はスピード感を増している。 

それだけ大きな社会的期待を受け止める決意表明をしたわけだ。

社会変革を目指す運動論をエンジンに据えた事業体を、

僕らはビジョンとモラルを持って走らせなければならない。

世界を席巻するグローバリゼーションを前にして。

 

35周年。 

よくぞここまで、で終わるわけにいかない。

新たな時代を拓く、厳しい船出を、とりあえずみんなで励まし合う。 

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ご参加いただいた皆様、有り難うございました。

 

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生産者を代表して、設立時からお付き合いいただいたお二人から

ご挨拶をいただく。

 

静岡県浜松市のお茶の生産者、樽井ちえ子さん。 

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北海道江別市、じゃがいもの生産者、金井正さん。 

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そして、加藤登紀子さんはビデオ・レターでメッセージを送ってくれた。 

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藤本敏夫・登紀子夫妻の遺伝子を受け継いだ、八恵ちゃんが謳ってくれた。

 

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彼女を見ると、配送員時代 を思い出してしまう。

オレも頑張ったよ、と言いたくなっちゃうのだ。

 

記念のケーキを用意してくれた、ムーラン・ナ・ヴァン の加藤パティシエにも感謝。

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最後は、職員が並んで皆さんをお見送り。 

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感謝と、次の時代への決意を込めて。

ガンバローね、みんな。

 



2010年10月23日

オヤジを越えて進もう -『土と平和の祭典2010』

 

良い酒は悪酔いしない。

それは個人差と飲む量による、とまあもっともな反論はあろうが、

それでも、多少の無理を押して断言しておきたい。 良い酒は悪酔いしない!

それに良い酒は、人を、またその場を、幸福にする。

酒呑みの自己弁護と言われれば、その通り、と答えるしかないけど。

 

10月17日(日)、純米大吟醸の余韻も冷めやらぬ朝の6時に喜多方を発ち、

シアワセに爆睡して、気がつけば郡山、そして東京。

フラフラと日比谷公園にたどり着けば、今日も楽しいお祭りである。

大地に感謝する収穫祭、

種まき大作戦 ~土と平和の祭典2010~

 

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先代の会長、故藤本敏夫さんの遺志を受け継いで、

娘の八恵(歌手名:Yae ) ちゃんが実行委員長を務める

次代の食と農を開拓する者たちの祭典。 

食や環境問題に携わるたくさんの市民団体やお店、生産団体、ミュージシャンたちが

手弁当で集まって祭りをつくり上げる。

 

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僕は二日酔いだからということではなくて、

昨年、野菜をたたき売って顰蹙(ひんしゅく) を買った反省から

売り子に立つのは自粛させられて、

小音楽堂でのトーク・セッションの司会というおつとめを仰せつかったのだった。

 

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「土と平和の有機農業セミナー」 と銘打ってのセッション。

開始前に簡単な打ち合わせをして、ぶっつけ本番。

 

実行委員長・八恵ちゃんの開会の挨拶に続いて、

  " 有機農業のカリスマ "  埼玉県小川町・霜里農場、金子美登(よしのり) さんの

基調講演が行なわれる。

金子さんはNPO全国有機農業推進協議会の理事長でもある。

 

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有機農業を始めて40年になる。

30軒の消費者を探すのに数年かかり、30年経って村も動くようになった。

今では行政の支援で地元の学校給食に使われるだけでなく、

加工も含めた食の地域循環を進める  " 有機農業の里 "  として、

小川町は全国に知られるまでになっている。

研修生を受け入れるようになって31年。

育てた100数十人の研修生の9割が非農家というのも、霜里農場の特徴である。

 

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農民が元気になったら、美しいムラになる

と金子さんは語る。

食の自給だけでなく、タネの自給、エネルギーの自給、

そこから見えてきた平和で安定した社会・・・

40年の実践を経て到達した金子さんの世界は深く、重みがある。

 「いのちが見えない文明に未来はない

この国の農をつくり直す起爆剤は、非農家かもしれない。

 

--と基調をつくってもらって、北海道から九州まで7人の若者たちが登壇。

 

北海道瀬棚町から参加してくれた元ミュージシャンの富樫一仁さん。

ギターを鍬に持ち替えて10年。 農業に転身した理由は、自身の重いアトピーから。

" 自然の摂理に従った農業 "  をモットーに、20haの農地でコメや大豆などを栽培する。

食べ物で健康を保てることの喜びを一人でも多くの人に伝えたいと語る。

 

秋田県大潟村から、入植2世の武田泰斗さん。 有機稲作をベースに80頭の肉牛を飼う。

こちらも就農して10年。 悩みは家畜の世話で休みが取れないことと草取りの人材確保。

親と対立することもしばしばあり、正直やめたいと思うときもある、とこぼす。

でも親と対立するのは自信がついてきた証拠だし、経営に悩みを持つのは

それだけ真剣に生きているってことだよ。 発展途上の33歳である。

 

山形県鶴岡市、庄内協同ファームの小野寺紀允(のりまさ) さん。

横浜でサラリーマンをやっていたが、

「やっぱり山形が好きだから」 1年前に帰って就農した。

父の農業、母が経営する農家レストランを手伝いながら、

食の都・庄内を農業で活性化させたいと夢を膨らませている。

 

神奈川県愛川町に新規就農して1年という千葉康伸さん。

8年間東京のど真ん中でサラリーマン生活を続けるも、

「都会に飼われている」 と感じて、都市を見切って転進を決意した。

高知の土佐自然塾・山下一穂さんのもとで 「お金を払って」 勉強して、

ようやく販路も見つかってきて、今はまだ 「どうにか食べていける」 状態だけど、

自分の足で立っている、生きている実感があると言う。

就農を希望する人へのアドバイスは - 「行動すること」。

 

千葉県匝瑳市,佐藤真吾、29歳。 就農して7年。

米は有機でやれるようになったが、ピーマンなど施設(ハウス)での野菜栽培は

特別栽培レベル。 もう新規就農者というより落ち着いた農業者の姿を醸し出しつつある。

 

米どころ新潟からは、農業生産法人 「いなほ新潟」 の社員として働く関徹さん。

実家は米農家だが、ストレートに家には入らず、他流試合で学ぼうとしている。

腹の中で実家の田んぼを気にしながら。

「子どもの頃から田舎の風景が好きだった。 耕作放棄の田畑を見ると胸が痛みます。」

田んぼを残したいと語る27歳。 僕らはこういう人に近未来の食を依存することになる。

 

最後に長崎有機農業研究会の松尾康憲さん。

親が有機農業の世界に入り、自分も当然と思って就農したが、

今ではとにかく親父と対立する日々だと言う。

 

どうしたらオヤジを乗り越えられるか・・・

会場からも質問が出たが、答えは簡単なことだ。

納得させられる結果を残すこと、それしかない。

そのためには、オレの (やりたいようにやれる) 畑を持たせてもらうことも必要だけど。

否定される理由にはその上を行く理論武装も必要だ。

「分かってくれない」 だけでは子供のまんまとしか思われないからね。

 

7名の若者たちを眺めながら思ったことは、みんなカッコいい! イケメン揃いだということだ。 

顔立ちだけじゃなく、爽やかな感じがとてもイイ。 内面の強さや誇りも顔に出ていて、

すべてを前向きにとらえている。 語る言葉は甘いが、捨てたもんじゃない。

司会をやってたもんで、写真をお見せできないのが悔しい。

 

最後は金子さんと、歌手の加藤登紀子さんにも上がっていただき、まとめをお願いする。

お登紀さんが、司会を無視して仕切り始める。

「ここにこそ希望がある」 でまとめさせていただくことにする。

 

与えられた仕事が終わった途端に、気が抜けた。

大地を守る会のブースでは、さんぶ野菜ネットワークのお母ちゃんたちが

人参ジュースの販売に精を出してくれている。

埼玉から助っ人に駆けつけてくれたのは、志木の三枝さん。

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川越の吉沢重造さん。

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 ダブルの上着にシャレた帽子。

ゼッタイにウケをねらってきたとしか思えない。

でも男なら、似合っていようがいまいが、死ぬまでダンディズムを枯らせてはいけないのだ。

それが藤本さんの教えだったしね。

 

出店でご協力いただいた生産者の皆さん。有り難うございました。

このイベントの総括は、もう僕の守備範囲を超えているので、割愛させていただきます。

 

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2010年8月21日

35歳 初めての誕生日パーティ

 

大地を守る会の誕生日は、1975年8月19日、ということになっている。

大手町のJAホールで開催された集会で、農薬公害の追放を訴えて

「大地を守る市民の会」 設立が宣言された日である。

数えて35年。

今まで、この日になにか記念の行事をやることはなかった。

20周年、30周年、と行なわれたセレモニーも、生産者の都合などを勘案して、

だいたい10月下旬から11月の頃合いに開催された。

恥ずかしながら、この日を意識することはまったく無かった。 

みんな忙しく、貧しかったし。

 

それが何と、職員の間から自発的に、

35周年の誕生パーティというのが企画されたのだ。

しかも藤田会長はじめ設立当時から残る3名の大先輩には、テッテー的に内密に進められた。

いや、カンペキだったね。

 

2010年8月19日。

社内の一角で、秘かに準備されたお誕生会が催された。

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                      (写真提供:実行委員会より/以下すべて)

 

パーティの内容や準備の経過などは、

すでに 「~大地を守る会の活動レポート~ ブログ大地を守る」 にアップされているので

そちらをご覧願うとして、

一人700円のカンパで用意された内輪のささやかなお祝いに、

28年選手の僕もつい感慨に耽ったのだった。

 


大地を守る会の農産加工部門である

(株)フルーツバスケットのパティシエ、加藤浩一くんが

社長の加藤保明さん (姓は同じだが親子でも親戚でもない) に気づかれないよう、

隠密裏に静岡から幕張まできて、デコレイトしてくれたケーキ。 

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ケーキは、大地を守る会設立当時から残る3名の大先輩に贈られた。 

真ん中が藤田和芳会長 ( (株)大地を守る会社長 )。 

右が加藤保明理事 ( (株)フルーツバスケット社長)。 

左が長谷川満理事 ( (株)大地を守る会取締役)。

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藤田・加藤両氏は設立時代、同じ出版社で働いていた関係。

加藤・長谷川両氏は大学時代の同級生という関係。

いきさつは、ブログ大地を守る会を参照されたし。

もちろん設立時代のメンバーは他にもいたのだが、

3名は  " 激動の35年 "  を生き抜いた功労者というわけである。

 

「藤田さんたちがこの会を作ってくれなかったら、私たちは今ここにいない」

誰ともなくそんな声が聞かれ、スタッフがうなずき合ったりしている。

たしかに、、、

「大地を守る会」 はなくとも、時代は同様な組織を誕生させたことだろうが、

その組織の個性や文化は、人によってつくられていく。

途中で分裂したかもしれないし、あるいはもっと大きくなっていたかもしれない。

いずれにしても、いまのこの社員200人が、35歳の日の構成員となって

この場で祝い合うということは、まあないだろう。

初代会長の故藤本敏夫さんも含め、この人たちでなかったら、

僕もこの組織に拾われることはなかったかもしれない。

 

僕が入社したのは1982年。 藤本さんが会長を務められた最後の年の秋だった。

藤本さんはすでに千葉・鴨川で 「自然王国」 建設に着手されていた。

大地を守る会が初めて新聞に求人広告を出したのは、そんな時だった。

面接された加藤さんは、「くそ忙しいのに、また来たよ・・」 とか吐き捨てながら、

僕の履歴書を受け取られた。

数日後、「二次面接を受けていただきます」 と連絡があって再度出向いたら、

藤田さんはなかなか会社に現われなかった。

1時間ほど遅れて来られて、履歴書を見るなり、

「●●●大か。 ●●●● 派かな?」 なんて物騒なことを聞いてくる。

「免許はあるんだね。 いつから来れる?」

モッタイつけたわりには底が知れるような面接で、

僕は幸か不幸か、募集1名のところ、ついでの補欠として採用されてしまった。

木造アパートを改造したショボい事務所兼倉庫を眺めながら、

オレの人生はここで終わるのだろうかと、恐怖を感じたものだ。

一生アウトサイダーか。 親不孝モンになっちゃうな・・・

 

入社してしばらく経った年末のある日、先輩社員がヒソヒソ話をしていた。

「ボーナスが出るぞ、今年は」

「いや、信じるのはまだ早い」

僕はずっと気になっていることを質問した。

「藤本さんはいつ会社に来られるんですかね」

「知らねぇよ、そんなこと」

社長はいなくとも、会社は回る。 皆それぞれに判断して夜遅くまで会議をやっている。

会議が終わったら、一杯やりながら激論が始まる。

面白い組織だと思った。 ハマっちゃったんだよね、何の因果か。。。

 

ケーキとビールのみ、という慎ましやかなお誕生会で、

お三方も、それぞれに思い出を語られたが、共通していたのは、

「当時はいつ潰れてもおかしくない状態で、正直ここまで来れるとは思わなかった」

という感慨だった。

「ある時、長谷川クンが泣きながら訴えてきたんだよね。

 " オレの給料はいいから、生産者にお金を払ってやってくれ "  って・・・」

藤田さんも、さすがにこのエピソードを披露した時には一瞬喉を詰まらせた。

創業者たちの連帯感は、こういう経験を経て醸成されたのだ。

情けないまでの切なさや悔しさはまた、意地の炎も強烈に燃やしたに違いない。

 

藤本-藤田と引き継がれて35年。

不思議とゆるがない思想と、腹の底に意地を隠し持って、僕らは走ってきた。

しかしそれ以上に共通してあったのは、未来志向と楽観だったように思う。

 

ケーキとビールと、農産グループから差し入れたマンゴーとスイカで

ヘンな腹持ちになりながらも、

3名の大先輩の多少の満足感を含んだ笑顔を眺めることができて、

28年選手にとっても少しは誇りたいような気分にさせてもらったのだった。

屈託なく笑っている若者たちに感謝したい。

 

いまこの組織は、またまた大胆な階段を自ら設定して、登ろうとしている。

目の前にいる若者たちだけでなく、

今日生まれた子どもたちが35になった時にも、

「ありがとう」 と言ってもらえるだけの仕事をしなければならないと思う。

茨の道は終わらない、てことね。

 



2010年6月20日

ダイアログカフェ & キャンドルナイト

 

沖縄レポートの途中だが、今日はキャンドルナイトの日。 

増上寺に行く前に、昼間、もう一つの集まりにも参加してきたので、

二つあわせて報告しておきたいと思う。

 

まずは午後1時から、青山学院大学で開かれた

「第2回 環境ダイオログカフェ ~食から考える生物多様性~ 」。

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昨年、米づくりと環境教育プログラムでお手伝いした 「NPO法人 たいようの会」 と、

青山学院大学小島ゼミの主催で開かれた。

小島ゼミとは、元環境省地球環境審議官の小島敏郎さん (現青山学院大教授) が

持っているゼミのことで、小島さんはたいようの会の専務理事でもある。

 

今年10月、「生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)」 が

名古屋で開催されるが、世間の関心はまだイマイチの感がある。

そこで学生から社会人までが一緒になって、

生物多様性を身近な 『食』 との関係から考えてみようということで召集がかかった。

 

大地を守る会もおつき合いのあるクリエイティブ・ディレクター、マエキタミヤコさんを

コーディネーターとして、ダイアログカフェという手法で進められる。

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写真前のテーブルの左にいるのが小島敏郎さん。

 

ダイアログカフェとは、まず立場や年齢や文化の異なる人たちが

小さなテーブルに分かれ、それぞれで意見を交わし、アイディアを出し合いながら、

そのテーブルでの合意を導き、ひとつの文章にまとめる。

スローガン的なコピーではなく、具体的で主語述語の整った文章にする。

次に最後に全体で討論しながら出された文章を加筆したり削除したり

別々のものをくっつけたりしながら、

会議全体の総意としてまとめ上げてゆく、というもの。

民主的な合意形成の方法として、昨今は国際会議でも採用されているようである。

 

今回の討議テーマは、次のように設定された。

「食」 に対しては、安心、安全、味、価格など多様な要求があるが、

それらの個人的な要求と 「生物多様性」 を共存させるための具体的提言をまとめてみよう。

 


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出された意見は、

できるだけ国産のものを食べる(自給率の向上)、地産地消の推進、

ゴミを出さない、メディアやネットを活用して多くの人に伝える、などなど

特段目新しいものはなかったが、討議の結果を全体の提言として文章にまとめる、

という作業の行程が面白い。

「もっと具体的に」 とか、「それで目的がどう達成できるのか」 と

キャッチボールが繰り返されているうちに、それなりの提言にまとまっていくのだ。

学生たちから 「(安全・安心や生物多様性保全のために) 農家に補助金を出す」

といった提案がなされ、それに対して社会人から 「安易な補助金頼りはいかがなものか」

といった反応が出る。

なかには 「(食情報の乱れに対して) マスコミに規制をかける」 といった意見が出て、

批判を浴びる場面もあったりして。

 

テーブルでのセッションは2回に分かれ、出された提言は40を越えていたか。

時間切れで、結局最後のまとめまで進められなかったが、

食と生物多様性というテーマに学生たちが感じ取っているレベルが推し量られ、

それなりに楽しい刺激を受けた会議となった。

 

会議後の懇親会はパスして、増上寺に走る。

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けっこう集まってきている。

なにより雨でないのが嬉しい。

我々スタッフの感覚では、それだけで成功である。

 

到着後、ただちに会場警備を指示される。

トランシーバーを渡され、境内をウロウロする係。

所定外ののところでロウソクをつける人がいたら控えていただき、

後ろが込み合ってきたら前に詰めるようそれとなく誘導し、

トランシーバーからは 「アーティストの写真撮影は注意するように」 と指示が入り、

迷子のお子さんの連絡が入るとそれらしき女の子を捜し、

東に喧嘩あればツマラナイカラヤメロトイヒ・・・・・

 

ま、このイベントに来る参加者は基本的に行儀がいいので、

さほどの仕事はなかったのだが、さて皆さん満足していただけたかどうか。

会場関係で見きれなかった点、至らなかった点などあったら、ごめんなさい。

 

17時50分、明星学園の和太鼓でステージ開演。

田んぼスケープでコラボさせていただいている文化人類学者・竹村真一さんと

大地を守る会会長・藤田和芳のトークが行なわれる。 

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続いて、Yaeさん+カイ・ペティートさん(ギター)、Skoop On Somebody さん

のライブ。

 

20時を前に、東京タワー消灯のカウントダウン。

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10,9,8,7,6,5 ・・・

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4,3,2,1,ゼロッ !

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お見事。

 

あとはゆったりと、中孝介さんの歌声を聴きながら

それぞれの時間を、ロウソクの灯とともに、どうぞ。

 

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我々は静かに見回りつつ、

石段に落ちたロウを剥がしたりしながら片づけに入る。

22時過ぎ、解散。

やっぱビールでも飲まないと、となって・・・・

いつになっても、俺たちにスローな夜は許されない。 

 



2010年6月 7日

守る会総会を終えて

 

6月5日(土)、2010年度の 「(NGO)大地を守る会」 総会を終え、

遅くまで職員たちと飲んでしまって、少々けだるい週の始まりである。

年に一回の最高議決機関を乗り切った安堵感も、多少手伝っているような。

役員の改選も紛糾することなく承認いただけたし。

 

前年度の活動報告に決算、今年度の活動方針に予算、

それぞれを審議いただき、承認を得る。

運動体としての 「NGO 大地を守る会」と、事業体としての 「株式会社 大地を守る会」 を、

車の両輪のように走らせながら運営してきたのが 「大地を守る会」 の特徴だが、

両者はけっして切り分けられるものではなく、

NGOの総会であっても、個々の質問はすべて両者にまたがっていて、

いつしか渾然一体となった議論になってしまう。

 


 

たとえば、ある活動部門で 「事務局員が足りない」 と指摘されれば、

受け手は 「そう簡単に社員は増やせないよ」 と考えながら回答していたりする。

 

たとえば、  " 有機農業を拡げる "  は会の基盤ともいえる運動理念であるが、

いろんな運動を展開しつつも、現実に生産者を増やし、

彼らの経営が安定していく力を与えられるのは事業部門のはたらきである。

つまるところ、運動の質や成果を議論する際には、

結果的に " 事業部門の今 " が問われるという形になり、

必然的に (株)大地を守る会に対して厳しい目が向けられる。

NGOで立派なことを言っても、やっていることは何よ! というわけだ。

 

この  " 運動と事業の両立 " という理念を成立させるためには、

生産と消費というやっかいな対立構造を、現実の流通 (売買) という場で

どう止揚していくかが常に問われるわけだけれど、農産物の場合、

生産者とは量も値段も契約したうえで、一方で消費者からは任意の注文制という形で

モノを動かしている以上、そのひずみは、常に余剰と欠品という現象となって現われる。

その悩みが時に集中的に表現されるのが、

「野菜セット・ベジタ」 (組み合わせお任せの野菜セット) といった

調整弁的な機能を持って設定されたアイテムである。

これがなければ 「好きな時に好きなものを」 注文できるというシステムの

根幹が揺るぐことになるのだが、これすらも消費者の支持がなければ持続できない。

 

都市生活者の需要(ニーズ) と地方の生産力をマッチングさせるには、

相応の市場機能的調整能力が必要になるところだが、我々の今の力では、

ただただ相当なストレスを消費者にも生産者にも与えてしまっていることになる。

 

しかもこれは量や値段といった問題だけではない。

当会の会員には、陰陽の考えにもとづく食養論を大切にするマクロビオティックの方もいれば、

食物アレルギーを持った方もいる。

あるいは環境負荷の視点で現実の矛盾が厳しく指摘される。

象徴的なのがトマトの旬の問題であったりして・・・。

圧倒的なトマトの需要と、冬場にトマトをセット野菜に入れてくれるなという

明確な思想的抗議を前に、僕らの説明は視点によってブレ続ける。

 

自給率を圧倒的に下げている勢力であるにも拘らず、

胃袋が集中する都市の要望 (圧力) は実に多様で、時にわがままである。

一方で、僕らが支援し育てるべき生産者は全国に点的に存在する人々である。

需給の規模や距離もアンバランスな中で、

この両者を上手につなげ、さばいていくことがまだできないでいる。

そういう意味で、この運動は常に成長の過渡期であり、

過渡期のストレスを乗り越えるには、知恵と工夫と、したたかな戦略が求められる。

大地を守る会が標榜する 「オーガニック革命」 に戦略はあるのか、

それは事業に反映されているのか、ということなんだろう。

 

総会では、ベジタの全面改定に向けた検討を開始していることを伝え、了解を願った。

一つの課題を乗り越える知恵と工夫に、「腹案はあります」 と言ったあとで、

縁起が悪いので撤回したが、ないわけではない。

 

こんなふうに35年、愚直に議論してきた団体である。

運動を語り合いながら、現実の流通を議論する。

生産と消費の圧力を受けながら、儲けると株主(=会員) に叱られる。

そんな組織って、他にあるだろうか。

実にしんどい。

 -といいながら28年になろうとしている。 そうとうM的人間になった気がする。

 



2010年5月15日

富平(フーピン) 学校

 

5月12日(水)、中国からお客さんがやってきた。

北京富平(フーピン)学校というNGO団体。

農村女性の貧困救済を目的とした家政婦学校としてスタートして、

職業訓練から互助ネットワークづくり、起業研修、

マイクロクレジット(少額融資) 制度などの事業へと発展してきている。

 

その富平学校が、中国で大地を守る会のような組織を作りたいと

研修にやってきたのだった。

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中国といえばご存知の通り、めざましい経済発展の裏で、

格差の拡大や環境破壊が激しく進んでいる国である。 

都市部では食の安全への不安も増していて、

「有機農産物」 は一般の野菜より10倍以上の値段で売られたりしているらしいが、

その実、有機農産物の表示はあまり信用されていないという。

また農民の暮らしは全然よくならない。

 

そこで彼らが注目したのが日本の 「大地を守る会」 というわけで、

中国でも持続可能な農業をベースにして生産者と消費者をつなげる事業を立ち上げようと

プランを練り始めたという経過である。

 

富平学校長の沈(Shen) 曙東さんは、実は3年前、

日本のソーシャル・ビジネスを視察して回った際に、当会を訪れている。

その時から 「これだ!」 という直感を抱いたのだと言う。

そして2年が経ち、昨年10月、今度は藤田会長が沈さんに招かれ、

農村を訪問して相互の交流が始まった。

 

そしていよいよ、沈さんは事業のパートナーと有機農業の青年リーダーを連れて、

組織の仕組みを詳細に知るためにやってきたのだ。

「大地を守る会35年の歴史のすべてをお見せしたい」 と藤田は応じた。

カッコいいなぁ。 でも実際のレクチャーは我々の仕事である。

 


翌13日(木)、生産管理の仕組みについて説明する。

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生産者の開拓から、契約、栽培管理やトレーサビリティの仕組みなど、

概略の説明は有機農業推進室・吉原清美が担当する。

質問は多岐にわたり、ときに設立時の話にまで遡り、ときに微妙なディテールを

実例を示しながら解説する。 基本から応用まで、国の法律から大地の基準まで・・・

予定の半日で終わらず、夕方までかかる。

これからどうやって生産者を組織していくか、多少の参考になったなら幸いである。

 

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疲れを知らない彼らは、物流センターを視察して質問を浴びせ、

スーパーマーケットや東京駅のデリを視察し、

また専門委員会 「森と住まいづくりフォーラム」 の活動に参加し、

2ヶ所の産地を回って有機農家と意見交換し、

夜は大地職員と交流した。

 

13日の夜は 「山藤」 で懇親会。

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14日の夜は幕張で職員と交流会。

ここでは逆に富平学校の活動についてレクチャーしていただく。

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北京富平学校長・沈さんは、元は投資会社のコンサルタントという経歴の持ち主。

中国でも新しいソーシャル・ビジネスの世界を発展させたいと願っている。

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こちらは山西省蓁子(サイシ) 村の農業リーダー、カンさん。

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有機で大豆や綿花を栽培している。 

一度は有機をやめようと思ったこともあるが、

若者たちを組織して農業を発展させるにはやはり有機農業だと思い直した。

今では50人のメンバーがいるとのこと。

我々のほうも学ぶべきことがたくさんあるじゃないか。

 

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中国の食と農業や環境の変化はモロに日本に影響する。

同じアジアの民として、互いの経験や知恵を交流させ一緒に発展できたらいい。

両国の信頼関係づくりにも少しは貢献できるのではないだろうか。

 

いつか中国に行く機会があったら、

尊敬する偉大な政治家、周恩来の話なども彼らとしてみたいと思う。

戦後、日本への批判が厳しい中で、

「日本に賠償は求めない」 「悪いのは政治や軍であって日本人そのものではない」

と言い切った政治家。

この人が願ってやまなかった朋友関係は未だのままだ。

 

また会いましょう。 再見(ツァイツェン)!

 



2010年3月28日

Deli 開店

 

本日、東京駅改札内・サウスコート(旧メディアコート) 内に、

「エキュート」 開業。 同時に 「大地を守るDeli」 も、無事オープンしました。 

 

心配で、気になって、埼玉は飯能の奥地から様子を見に来てみました。

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スタッフも、ここまでの疲れを見せず、張り切ってくれてます。

先日誰かが叫んだ 「火の車!」 ではありませんので、ご心配なく。

日本語、勉強しろ!っつうの。 なんて、あんまり人のこと言えないか。

 

ま、こんな様子です。

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丸の内側の中央口と南口の間、中央線のエスカレーターを降りると

すぐに目につく、なかなか好位置にある。 

 


人が多いのは初日ということもあるでしょうが、とはいえここは東京駅。

朝、昼、夕、夜と人の波は絶えません。

朝8時開店に始まって、閉店は22時 (日曜・祝日は21時まで) 。

こんな日が1年365日、続きます。 

大丈夫か、大地を守る会・・・ 頑張らなくっちゃね。

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「エキュート東京」 のキーワードは、

" 東京人におくる ニッポン Re-STANDARD " 。

日本のイイモノを現代のライフスタイル向けに編集し、

日本のモノで暮らす日本の生活シーンを提案する。

このテーマで、31ショップが食や文化で競うことになる。 

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「 大地を守るDeli 」 自慢の定番品は、

「10種類の季節野菜サラダ」 に 「季節の香味野菜たっぷりから揚げ」、

「山形村短角牛のコロッケ」、「ヘルシービューティー弁当」 。

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フードマイレージ - POCO の表示もあります。

 

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こんなふうに、サラダ、揚げ物、弁当、そして野菜に果物などが、

常時30品目並びます。

 

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一人暮らしの娘と息子用に、サラダとキーマカレーと短角牛コロッケを買いました。

レジに時間がかかりすぎる感があります。 早く慣れるようにね。

 

帰りは広尾の 山藤 で、久しぶりに家族で食事。

Deli の自慢をして、お土産を渡して、調子に乗って、飲む。

本日は、種蒔人でなく、「長四郎」 を一本、空ける。

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原料米は、新潟の神田長四郎・長平親子による作品。

神田さん、美味しかったですよ。

ご馳走様でした。

 



2010年3月23日

東京駅に 「 大地を守る Deli 」 !

 

一ヶ月前には、大宮駅エキュートで2週間限定の販売をやったと思ったら、

今度は、東京駅構内に出店!という話。

しかもこれは催事ではなく、常設店舗なのであります。

 

東京駅改札内・サウスコート (丸の内側) の商業スペース

エキュート東京」 (今はまだ工事中のところ) に、

3月28日の日曜日、「大地を守る Deli 」 がオープンします。

 

デリってなに?世代ですので、名前に関する質問はお断りします。

四半世紀前の時代に、「頑固な八百屋」 と幌に描いたトラックを転がしていた若者としては、

ここは 「大地を守る惣菜屋」 だろうが! とか言いたいところですが、

ハイハイ (≒ うるさいかも ) 、てなもんで。

 

古い奴ほど新しいものを欲しがるものでございます(鶴田浩二)・・・

とか言ったところで、たそがれのダンディズムを受け止めてくれる若者は

21世紀には存在しないようで。

あの説教臭いオヤジに突っかかっていた若僧(水谷豊) も今や、

相棒を従えたデカになっちゃってるし。

 

ま、見当違いのぼやきはそこまでとして、要するに、

大地を守る会の食材を使ったオリジナル惣菜が毎日約30品目!(ホントか?)、

東京駅構内のお店に並ぶわけです!! (うう~、こんな時代が来るとは・・・)

 

ただ今、こんな感じで準備が進んでいます。

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エキュート東京では、新装開店に向けて、

インターネットでも、「ecute 東京物語 公開中。

「大地を守る Deli 」 のプレゼンもやってくれています。

「おいしい野菜は大地を救う!」 だって。

というわけで、野菜も少しは置かせてもらいます。

 

28日オープンに向け、スタッフは必死の形相になっていて、

今日、「火の車です!」 と報告したスタッフがいました。 もうかよ。。。。

 

季節の野菜サラダ、短角牛のコロッケなどなど、オリジナル惣菜を用意して、

皆様をお待ちします。

しかも東京駅内で初めて、フードマイレージを表示したお店が登場するのです。

東京駅経由とかで降りた際には、まじ必見、だけじゃなく、

ご利用いただけると嬉しいです。

 


 



2010年3月 3日

進化する我らの伝統-「大地を守る東京集会」(続)

 

さて、「たんぼスケープ」 のプレゼンを終えたあとは、

専門委員会 「米プロジェクト21」 のブースに張りつく。

1年間の活動を紹介するとともに、生物多様性農業支援センターが制作した

DVD「田んぼ」 の上映、バケツ田んぼセットのプレゼント、などを準備する。

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昨年の秋、「稲作体験」の最後に子どもたちでこしらえたコラージュが可愛い。

 

「お米クイズ」では、田んぼの畦に生える草と蝶の関係を、さりげなく伝える。

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シロツメグサ(クローバー) にはモンキチョウ、というような関係が自然界にはあるのだけれど、

雑食動物であるヒトは、そんなナイーヴな生命のつながり(鎖)を無頓着に壊している。

 

稲作体験で子どもたちの尊敬を一身に集める陶(すえ)ハカセが、

例年展示していたビオトープのジオラマを改良して、

今年はプチ・ビオトープを用意してくれた。

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しかもキットは一個一個、陶さんの手づくりである。

 

稲作体験に参加してくれた子どもたちが、すえセンセーを見つけ、

ブースに飛び込んできた。

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すっかりはめられて、プチ・ビオトープ作りにチャレンジ。 恐るべし、陶ワールド。

 

向かいのブースでは、お米の生産者たちが合同で、

賑やかにマス売りを展開。

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他の生産者やメーカーさんたちのブースは全然回れず、

紹介できなくてすみません。 とにかくどこも賑わったようで、よかったです。

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どこも回れないなかで、人の入りが気になったのは、こちら。

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「未来の食卓」上映会。

東京集会で上映して、各地での上映会を呼びかけてはどうか、と提案した手前、

ご覧になった方々の感想など聞いてみたいと思う。

「疲れた生産者がやってきて寝る場所にならないか」

と心配した職員がいたようだが、これを見て寝る生産者がいたなら、

そんな方には 「大地」 からお引取り願ったほうがいい。

 

餅つきコーナーは、他の米プロ・スタッフ+職員の応援隊できっちりやり切ってくれたようで、

餅つき指導を担ってくれた佐原自然農法研究会からは、

「来年も我々にやらせてもらいたい」との、ご機嫌な決意表明が届いた。 良かった、良かった。

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本大会終了後の交流会には何と600人の参加、とのこと。

芋洗い状態だ。

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みんな余韻を引きずっていて、もっともっと交流を楽しみたい、話をしたいって感じで、

二次会、三次会・・・帰れなくなった奴らでカラオケ、と蒲田の夜は続くのだった。

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前回お伝えした宮城の高橋伸くん(写真右)。

つなぎのまま電車に乗って、二次会に突入してきた。

「新幹線で周りから引かれちゃいましたよ。」 

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こういうノリは、嫌いじゃない。 本音を言えば、大好きだ。

 

蒲田でそのままビジネスホテルに一泊。

3時半という時間にもかかわらず、入れてくれたホテルに感謝。

 

二日目は港区会場に直行。

テーマがまた恐ろしい。 「大地を守る会のお酒について知ろう!」。 

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僕は、大地を守る会の日本酒開発の歴史やコンセプトを話す役割を

仰せつかっていたものの、頭はボケて、なおかつ激しいだみ声。

かなりヤバイ昔話を披露したり、種蒔人では大事な基金の話を抜かしたりと、散々な出来。

しかしそこは天鷹酒造さんや林農園さんなどプロの方がしっかりフォローしてくれて、

酒客たちには知識欲までくすぐられながらの、楽しい酒席になったのではないだろうか。

 

そしてなぜか、終了後・・・・・

事務局もあずかり知らない連絡網がはたらいたようで、

他の会場から続々と  "  懲りない人たち  "  が集まってくる。 

夕方から、またしても大宴会。

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もう勘弁してくれ!!! 

時計を見たら深夜1時を過ぎていた、という記憶がかすかに残っているが、

誰と何を話したのか、思い出せない。

 

カメラには、こんな写真が残っている。

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阿蘇の大和秀輔さんではないか。

日本酒をラッパ飲みしているのではなく、マイク代わりにして唄っているの図。

「エビちゃんも、全然出ない声でなんか唄ってたよ」 と聞かされた。

 

藤田会長も生産者・消費者と一緒になって、

まるで歌声喫茶ふうに合唱している写真もあったが、個人情報に触れそうなので、

アップはやめておきたい。

 

最後に、若いスタッフ諸君へ。

みんなそれぞれ自分の持ち場でしっかり働いてくれたようで、嬉しい。 

もちろん至らない点も多々あったことだろうが、反省は次に生かして、

この伝統を 「守る」 のではなく、 「進化」 させていってもらえることを願っています。

 



2010年3月 2日

進化する我らの伝統-「大地を守る東京集会」

 

2月27日(土)-「2010だいちのわ ~大地を守る東京集会~」 。

 蒲田にある 「大田区産業プラザ Pio」 にて開催。 参加者 約2,500名との報告。

2月28日(日)-「だいち交流会」 。 

 首都圏13ヶ所に分かれての生産者と消費者の交流会。

 延べ人数は集計中のようで、まだ発表されず。

 

二日間にわたる僕らの 「東京集会」 が終了した。

土曜日の夜から喉がつぶれ、日曜日の夜には声が出なくなり、

月曜日から風邪の症状が本格的に出てきて、ちょっとやばい状況にいたる。

今日は一日、中間管理者のための訓練(研修) を受ける予定だったのだが、

パスして最低限の仕事だけやっつけて上がらせていただく。

過去28回の東京集会経験でも、ここまできつい年はなかったような気がするな。

(病院のベッドに伏していて欠品となった12年前は別として。)

 

「東京集会」 二日間の全体の概要については、昨年開設された公式ブログ

「大地を守る会の活動レポート ~ブログ大地を守る 」 に譲ればいいよね。

(大地を守る会の活動を幅広くレポートするブログ。 楽しい食のイベントはだいたいこっち。)

僕は僕なりの、二日間の総括をしなければならない。

 

一日目のミッションは、ふたつ。

専門委員会 「米プロジェクト21」 に与えられた出展ブース&餅つき大会、

そして偉そうに予告した 「たんぼスケープ」 の成功である。

正直、ブースと餅つきはスタッフが動いてくれていたので、

個人的には、この日は後者に賭けていた、といっても過言ではない。

 

2月27日午後2時 「たんぼスケープ」 サイト・オープン!

を告知してから、生産者の反応が他と違う、という印象を持った。

 "  大地に言われたから投稿してみるか  " とかではなくて、

何か特別な期待を持って面白がってくれている、という感じだったのだ。

それだけに、内心かなりの緊張感も持ちながらの  "  ぶっつけ本番  " 突入だった。

 

午後2時、予定通り、特設ステージでトークセッションの開始。

トップバッターが、このサイトを制作してくれたELP代表、竹村真一さんである。

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左が竹村さん。 右がナビゲーター役を指示された私。

竹村さんに 「たんぼスケープ」 のコンセプトを語っていただく。

 


竹村さんとのお付き合いは、もうかれこれ24年になるか。

最初のつかみが、心にくい。

「僕の息子はいま19歳ですが、彼の体は隅々まで大地の食べ物でつくられています。

 この場を借りて生産者の方々に御礼申し上げたい。」

 

竹村さんと仕事でもご一緒するようになったのは、

2005年に始まった 「100万人のキャンドルナイト」 から。

その運動を広げる原動力となった、素ん晴らしいウェブ・サイトをつくってくれたのが、

僕らが竹村チームと呼ぶ 「ELP (Earth Literacy Program)」 のスタッフたちである。

今や世界中に広がったキャンドルナイト・ムーヴメントをつなぐ 「窓」 として、

環境関係のホームページ部門で賞も獲得した傑作である。

 

竹村さんはキャンドルナイトのウェブ・サイトや、自ら開発した 「触れる地球」 を映しながら、

私たちは今、世界がつながっていることをみんなで共有できる、

新しいコンテンツを獲得しつつあることを力説した。

「たんぼスケープ」 はまさにその文脈の中で編み出されたものである。

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たとえば田植えが、石垣島から始まり北海道へと北上してゆく様が、

日本列島の美しい水田風景とともにアップされてゆく。

ウチの田んぼではこんなに生きものたちが賑わっていると、虫たちの姿が登場する。

あの峰にこんな雲がかかったよ、明日は雨か?

そんな楽しい絵が日々日本地図上に映し出され、一人一人の生きている姿が

共感をつないでゆけたら、どんなに楽しいことでしょう。

 

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                                                                         (撮影:カイザーOnozuka )

マスコミは暗い話題ばかりを追い掛けていて、

まるで未来はないかのような錯覚に陥るけれど、そんなことはない。

明るい話題もいっぱいあるんだということを、私たちは伝え合う必要があります。

ああ、ここで、こんな人たちが、こんな思いで米を育てている。

この国はまだ捨てたもんじゃない! 

と思えるようなつながりを作り出したいのです。

 

今年は生物多様性の年ですが、このサイトに集まってくる画像やコメントが

この国の生物多様性を語るものになれば、

僕はこれを名古屋の国際会議(COP10) に持ち込みたい。

 

みんなの手で織りなす生物多様性の国、か・・・・いいなあ。

 

しかし、残念ながら、このトークの場で

 「さあ、サイトがいま、オープンします!」 - と同時に投稿がポッポッと点灯して~

という演出は叶わなかった。

さすがにぶっつけ本番というのは無茶な要求だったようだ。

キャンドルナイトの美しい仕掛けを作った制作担当・アラカワ氏の力をもってしても。

バグというのは発見されてからつぶしていくもので、

試運転の時間があまりになさすぎた。

 

投稿してから駆けつけてくれたり、ケータイに写真を撮ってきてくれた生産者の皆さん。

ごめんなさい。 私が演出優先で強引過ぎたようです。

特に!

「これから行くぜ!」のメッセージを入れて、そのつなぎ姿のまま新幹線に飛び乗って

やってきた宮城・中田町の高橋伸くん。 申し訳ない、ホント。

 

いま画面はだんだんと安定化に向かっています。

正常にサーバーに残された投稿についてはアップできると思いますが、

最初に投稿されたもののいくつかは消えたかもしれません。

 

どうかこれに懲りず、みんなで新しい世界をつくりあげる

「僕らのサイト」 として進化させていきたいと願っています。

バンバン投稿してほしい!

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すみません。 体調思わしくなく、続きは明日に・・・・・。

 

最後に、竹村さんのトークに対する心に残った感想をひとつ。

キムチでお馴染み、韓国食品のミンさんから。

 

  「韓国にはね、言葉は種である、という言葉があるの。

   竹村さんのトークは、まさに " 種 " だと思った。」

 



2010年2月22日

大宮にお立ち寄りの際は-

 

≪お知らせ!≫

ただいま、JR大宮駅構内 「エキュート大宮」 にて、

大地を守る会出店-「オーガニックライフ」 を開催中。

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場所は、中央改札(南)から入って、コモレビ広場の前に位置した

エキュート大宮内 「イベントBOX」

 

大地を守る会の野菜・果物・お米・調味料などの加工品の他、

宅配では普段ホールでしか買えないムーラン・ナ・ヴァンのケーキも

カット販売中。 

 

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期間は、3月1日(月)までの限定です。

時間は、9:30~22:00 (日曜日は20:30まで)。 

 

大宮駅に降りられる機会がありましたら、

またお近くまで来られてお時間がありましたら、

ぜひお立ち寄りください。

エキュートは改札の中にありますので、ちょこっと下車して覗くこともできます。

夕食用に、訪問先のお土産用に (もちろんご自宅用にも)、

ご利用いただけると嬉しいです。

 

なお、ちなみに、大地を守る会の職員が交替で店番に立ってます。

慣れない者もおりますもので、

もし失礼の段がございましたら、どうぞ叱ってやってください。 

 



2009年12月14日

TV朝日「地球号食堂」に、That's 国産「特選おせち」登場!

 

テレビ朝日で毎週日曜日の夜に放映されている人気番組、

 地球号食堂 エコめし宣言~

今年の9月まで12年にわたって続いた 「素敵な宇宙船地球号」 の後身番組ですが、

そこで年末の2回にわたって、大地を守る会の日本料理店 「山藤

の梅田鉄哉総料理長がコーディネートした 「特選おせち」 が登場します。

 

今回のゲストは、片岡鶴太郎さん。

岩手県久慈市山形町(旧山形村) の短角牛に、

東京有機クラブの阪本吉五郎さんや川里弘さんの畑を訪ね、

国産素材による絶品のおせちを実現させます。

また 「地球号食堂」 店長の劇団ひとりさんやアナウンサーの矢島悠子さんが

「山藤」 西麻布店の料理長である青木剛三さんの手ほどきで、

定番のおせち料理にも挑戦するとか。

 

放映日は以下の予定です。

12月20日(日)23:30~24:00 山形村短角牛が登場します。

12月27日(日)23:35~24:05 東京有機クラブが登場します。

 

当会・広報室のスタッフが持ち回りで大地を守る会の活動をレポートする

ブログ大地を守る でもその収録の様子がレポートされているので、

よろしかったらご一読ください。

こちらのブログ、まだ新しく、書き手が何人もいるので更新頻度が高い。

ちょっと悔しい。 ま、問題は継続だからね。

 

加えて!

26日(土)と27日(日)の二日間、

六本木のテレビ朝日イベントスペース umu にて、

地球号食堂マルシェなるイベントも開催されます。

これまで番組で紹介された全国の厳選素材が勢ぞろいし、試食販売されます。

当然、大地を守る会の野菜や短角牛を原料にした製品も出品します。

来場者プレゼントも用意されるようですので、ホームページにてご確認を。

私たちも、東京有機の野菜や短角牛ビーフシチューなどを並べて、

たくさんのご来場をお待ちします。

 

さて、ウメさんのおせちを、番組ではどんなふうに料理してくれるのか。

見てあげるとしよう。

 



2009年11月29日

エコを仕事にする ~物流センターからカフェ・ツチオーネまで~

 

PARC(パルク : アジア太平洋資料センターという団体が主宰する

自由学校については、以前(4月15日)に紹介した経過があるので

説明は省かせていただくとして、

その  " オルタナティブな市民の学校 "  のひとつの講座 「エコを仕事にする」

の最終回に、11月28日-「大地を守る会の物流センターを訪ねる」 が設定された。

というわけで昨日、

5月から有機農業や林業や環境NGOの現場をあちこち歩いてきた生徒さんたち

20名強が、千葉・習志野物流センターの見学に集まってくれた。

午前中、三番瀬を回ってきたとかで、靴にアオサなんかをくっつけている。

 

「エコを仕事にする」 と言われると、正直戸惑うところがある。

僕らは 「エコを仕事にしてきた」 のだろうか ・・・

 

有機農業はエコか。 エコと呼んでいいだろう。 " 環境保全 " 型農業の牽引者として。

有機農産物を食べることはエコか。 エコな暮らしのひとつの要素だろう。 

しかしその畑と台所をつなげることを生業(なりわい) にするとなると、

これは生々しく  " 物流 "  の世界となる。

モノが食べものであるがゆえに、エコな無包装より食品衛生を優先する。

温度管理のためにはエネルギーも使う。

何よりも、宅配とはエコな物流と言えるだろうか・・・

僕らの仕事は、エコの観点からいえば、矛盾と悩みに満ち満ちているよ。

 

物流センター内を見学して回る生徒さんたち。 年代もまちまちだ。

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入荷-検品から、保管-仕分け-包装-出荷までの流れを見ていただく。

 


青果物の保管には、温度管理は欠かせない。

保管倉庫だけではなく、センター内全体が温度管理されている。

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有機JASの認証を受けた農産物は、小分けする際に他のものが混ざらないよう、

また一貫して 「有機性」 が保持されるよう、ラインが分けられている。

その管理体制全体が有機JASの認定を受けないと、JASマークは貼れない。 

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「この物流センターは、有機JASの認証を取得したラインを持っています。」

説明する、物流グループ品質検品チームの遠田正典くん。

 

宅配用のピッキングのライン。 

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参加者には想像していた以上の規模や設備だったようだ。

「エコか」 と問われれば、ひるむところも多々あるけど、 

それでも3年前にこのセンターを建設した際には、

壁の材質から接着剤を使わない工法など、可能な限り環境には配慮したつもりだ。

配送車は順次、天然ガス車に切り替えてきたし。

言ってみれば、「エコを仕事にする」 というより、

「仕事を一つ一つ、粘り強くエコ化させていく」 という感じかな。

 

センター見学のあと、大地を守る会の概要や活動の沿革、仕事の中身などを

説明させていただく。

歴史を辿りながら、僕らは本当に仕事をつくってきたんだなぁ、と思う。

1975年、創設時のスローガン-

 「こわいこわいと百万遍叫ぶよりも、安心して食べられる大根一本を、

  つくり、運び、食べよう」 ・・・ウ~ン、大胆なコピーだ。 実に具体的である。

オルタナティブなんていうシャレた日本語がまだなかった時代から、

「生命を大切にする社会」 づくりに向けて、そのインフラをエコシフトさせるための

" もうひとつの道 "  を提案し、模索し続けてきた。

消費者のお宅に運ぶだけでなく、学校給食に乗り込み、卸し事業を始め、

食肉や水産物の加工場を建設した。

今では、自然住宅からレストラン、そして保険の提案まで。

今でいう  " 社会起業 "  の先頭を走ってきたという自負が、ある。

 

最終回の講座を終えて、

「エコを仕事にする」 参加者一行が、懇親会に選んでくれたのが、

カフェ・ツチオーネ自由が丘店。 新習志野から駅を乗り継いで九品仏へ。

 

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最後はエコな空間で、エコな食事とお酒で、楽しんでいただく。

半年に及ぶ12回の講座をともに学んできた人たちは、

すっかり仲間の雰囲気になって話が弾んでいる。

 

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シンプルだけど、体が美味しい!と反応してくるような食事。

ダシを変えるなど、ベジタリアンにも対応している、とか。

 

ツチオーネだったら行く! と、

この講座のコーディネーターの大江正章さん(コモンズ代表、PARC幹事) も遅れて登場。 

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 ご機嫌で、ひと演説。

 

すごくいい店! 野菜もお酒も美味しい!

 -でしょう。 こっちもいい気分になって、「種蒔人」を振る舞わせていただく。

 

最後にみんなで記念撮影。

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すみましぇ~ん。 酔っ払っちゃってま~す。

 

僕らは、農民でも漁民でもなく、製造者でもない。 林業家でも大工でもない。

ただひたすら人をつないで、仕事を作ってきたネットワーカーだ。

それはそれで、誇りにしたいと思う。 

 

僕らはたしかに、ここまでは来た。

 



2009年6月27日

定款変更

 

今日は 「稲作体験2009」 の第1回草取りの日なんだけど、

立場上のプレッシャーも受けて、株式会社大地を守る会の株主総会に

出席することになってしまった。

早々に委任状 (正確には 「議決権行使書」 ) を出していたのに、ちぇ!

 

今日は田んぼの写真が撮れないので、自分の放置田の写真を撮ってみた。

放置田? 耕作放棄という意味じゃなく、放ったらかしているプランターのこと。

5月17日の田植えで余った苗を持ち帰って、二つのプランターに植えたのだが、

一つのほうが水漏れ防止が弱くて貯まらないもんだから、畑状態になってしまう。 

そこで途中から実験気分になって、水だけは補給しながら放置してみた。

 

常に水がひたひたの田んぼ。 草取りもしていない。

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こちらは、水が抜けてしまう田んぼ。

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想像以上に、えらい差が出てしまった。

苗も弱く、株数も少ない。

 

実はこれぞ、田んぼの要諦 (ようてい) なんだよね。

 


田んぼの草取りはしんどい作業だけど、それでも畑より草の種類は少ないのだ。

水を張ることによって陸生の雑草は生えなくさせることができる。

水生雑草は繁茂するけど、泥水状態だから草は抜きやすい。

豊富な水と一緒に生きてきた人々が、自然をちょっと変えて作り上げた

最高の食糧生産装置だと思うのである。

 

これに、苗を育てた後に移植する技術 (田植え) を加えると、

これから伸びてくる草よりは土壌の栄養吸収の競争力を優位にさせる。

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上の右の写真ですら、勢い (=生産力) は弱いけど、

決して草に負けているわけではない。

 

さて-

体験田で、みんながワイワイガヤガヤと楽しく (しんどく) 草取りに熱中している間、

僕は幕張の会議室で、淡々と過ぎる株主総会の議題に付き合っている。

でも今回は、つまらない、なんて言ってはいけないこともあったので、

稲作体験のスタッフ諸君には許してほしい。

会社としての重要な意味を持つ定款変更が、議案として提出されていたのだから。

 

会社の定款に、以下の前文を新設する。

 

  株式会社大地を守る会は、「大地を守る会」 の理念と理想である

  「自然環境に調和した、生命を大切にする社会の実現」 をめざす社会的企業として、

  株式会社としてのあらゆる事業活動を、「日本の第一次産業を守り育てること」、

  「人々の生命と健康を守ること」、そして 「持続可能な社会を創造すること」、

  という社会的使命を果たすために展開する。

 

一年前、会社名を (株)大地から (株)大地を守る会 に変更して

迎えた最初の株主総会で、憲法の前文に相当する文章を定款に加えた。

かなり異色の定款ができたと思う。

これから、わが社のすべての事業はこの " 縛り " を受けることになる。

この仕掛けの意味を、職員諸君は肝に銘ずるべし。

この会社を、ゼッタイにヘタらせない決意の表明なんだからね。

 

今回はもうひとつ、「優先株主」 なるものの新設が提起され、

これも承認されて、株主総会は大きな問題なく終了することができた。

 

でもまあ、田んぼのほうが好きだな、やっぱし。

昨日の、米の生産者会議の解散前に立ち寄った公園には、

紫陽花が咲き誇っていた。

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あ~あ、今年は小金井の阪本吉五郎さん宅のあじさい鑑賞会にも行けなかったなあ。

急いた気分で生きていると、思わぬ失敗もするぞ、とか

花を見つめながら思うのだった。

 



2009年6月22日

100万人のキャンドルナイト in 増上寺

 

電気を消してスローな夜を-

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6月21日、夏至。

地球から見ると太陽が最も北になって、北半球の昼が一番長くなる一日。

この日を中心に、今や全国津々浦々で色んな形で催されるようになった

 100万人のキャンドルナイト

環境省や農水省もバックアップして、たった数年の間に、

100万人どころではない巨大イベントに膨れ上がった。

 

大地を守る会は今年も、東京タワーの消灯カウントダウンを演出するイベント、

「東京八百夜灯2009」 を担当する。

今年の会場は、4年ぶりに帰って参りました、徳川家の菩提寺-港区芝 「増上寺」 。

4年間開催できなかったのは、1回目のときに故忌野清志郎さんが

「ボーズ」 のカツラを被って登場したのがお寺の逆鱗に触れたからとか、

キャンドルのロウがいっぱい境内に残されて出入り禁止になったからだ、

とかの噂があるが、そんなことはなく (まったくない訳ではないが)、

たんにお寺の事情によるものである。

- ということがこれで立証できたか。

 

あいにくの雨にも拘らず、集まってくる人々。

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境内でブース出展していただいた方々。 

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大地を守る会は、フードマイレージのPR。

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まだ明るい午後5時30分、開会。 

オープニングは、恒例となった明星学園の和太鼓演奏から。

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スタッフの控え室にも勇壮な太鼓の響きが伝わってきて、

自然と気持ちも高揚して飛び出してきた。

 

大地を守る会国際局の顧問、小松光一さんと出くわす。

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フィンランドだったかのご友人を連れて、ワインで夏至の夜を楽しもうという寸法だ。

いいですね。

 

だんだんと日も暮れてきて、

ライトアップされた東京タワーと厳粛なお寺のコントラストが映えてくる。

楽しく会話を弾ませていた人々も不思議と沈思するようになり、

あるいはファンタジックな幻想に誘われたりする。

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我々スタッフは、会場全体の警備やら進行補助やらゲストの方々のお世話やらで、

実は舞台を眺めることはほとんどない。

Yae さんの透き通った歌声が控え室まで届くのに、しばし聞き入る程度か。

元総合格闘家の須藤元気さんがギターの弾き語りを披露し、

木原健太郎さんのピアノと宮崎隆睦さんのサックスのセッションがあり、

中嶋朋子さんが詩を朗読し、会場全体が優しさに包まれてくる。

 

オイラはと言えば、ひたすら控え室にて全体の進行につつがないことを確認する。

何かあったら何でもする、いわば非常時の予備要員のようなものだ。

途中からは、酒が入ってしまった某事務局長を

「この部屋から一歩も出すな」 という会長の特命を受けて、仲間の見張り役も引き受ける。

俺たちにスローな夜は許されないのだった。

 

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断続的に降り続ける小雨の中、ずっと立ってライトダウンを待つ人々。。

 

5、4、3、2・・・・・午後8時ジャスト。 消灯。

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全体にどよめきが起こり、少し感動する。

そう、素直に感動するものなのだ。

 

たった2時間、電気を消したからといってなんだっつうのよ、

という声もあることは知っている。

しかし、たった2時間といえども、全国いたるところで、

いろんな建物が同時刻に一斉にライトダウンする、という仕掛けが " 実現 " したことに、

何かを感じた人たちが大勢いたことはたしかである。

環境省が後押ししたことももちろんあるけれど、

それをアリバイ的と揶揄する向きもあるけれど、

辻信一さん (明治学院大学教授) はじめたくさんの著名人が賛同し、

かなりのマンパワーが動いたからこそ、東京タワーも消えた、いや、消したのだ。

これは紛れもなく力だろう。

行動することで何かを変えることはできる、それを " 実感 " する、

という実験 (イベント) は成功した、と思いたい。

 

木原健太郎さんのピアノが静かに語る。 

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ロウソクの灯には、愛がある? 

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去年のイベントの記憶がないのは、どうしてだろう・・・

そうだった、山形の斉藤健一さんの葬儀に出かけたのだ。

東京まで帰ってきて、人が恋しくなって、イベントも終わる頃だというのに、

芝公園に向かったのだった。 香典返しの包みを持ったまま・・・

 

「キャンドルの灯りの中で、熊谷和徳さんのタップダンスを見ながら

 中嶋朋子さんの絵本の朗読を聞くのが、こんなにも幻想的なものとは

 思いもよりませんでした」 という感想があった。

 

たった2時間でも、電気を消して、スローな夜を、愛する人と。

これはいつ実験しても、毎日実践されてもいいことです。

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2009年4月23日

明日への環境賞

 

朝日新聞社から 明日への環境賞 という賞をいただいた。

同社が創刊120周年にあたる1999年に創設したもので、

地球温暖化防止から地域に根ざしたリサイクル活動など、幅広い分野を対象に

環境活動を実践している団体に贈られてきたものだ。

 

昨日(4月22日)、その贈呈式が朝日新聞本社にて行なわれた。

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第10回となる今回の受賞は、

大阪を拠点に活動する 「地球環境と大気汚染を考える全国市民会議」、

長崎県対馬の 「ツシマヤマネコを守る会」、そして大地を守る会の3団体。

 

環境問題でのコラムなどでよく目にする、同社編集委員の竹内敬二さんから、

それぞれの団体の業績紹介があり、

秋山耿太郎(こうたろう)社長より藤田会長に賞が贈呈された。

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(右は弊社の大野由紀恵広報室長。 奥様ではありません。) 


授賞理由には、こう書かれている。

「農薬による環境汚染が社会問題化した1970年代から30年以上にわたり、

 日本の有機農業の拡大をリードし、生産者と消費者を結びつけ、

 地域の自然保全にも取り組んでいる。」

 

農薬を悪と決めつけ、ただ批判するのでなく、

「無農薬の大根」 をつくり、運び、食べる、という具体的な提案を通じて、

有機農業を広げてきた。

生産(者) と消費(者) をつなぎながら30年余が経ち、 

生産者会員は2,500人、消費者会員は9万人を超えた。

各地で自然保護活動に取り組む生産者会員がいる。

「フードマイレージ・キャンペーン」 や 「100万人のキャンドルナイト」 など

新しいムーヴメントを起こして、若者にも環境への関心を呼び起こしている。 

-そんなふうに評価をいただいた。

3団体の記念撮影が行なわれる (左が藤田和芳会長)。

手に持っているのは 『水の惑星』 と名づけられた正賞の賞杯。

豊かな水に恵まれ、微妙なバランスの上に成り立つ地球をイメージしたもの。

富山ガラス造形研究所の渋谷良治氏の作品、とのこと。

 

「この賞は、素直に嬉しい」 と藤田は語る。

無農薬野菜を実現させ、ただ愚直に運び、生産者と消費者の輪を広げてきた。

それが環境の側面から評価されたのだから、喜びもひとしおである。

「 30年前は、有機に取り組んだばっかりに村八分にされたお百姓さんもいた。

 この賞は、粘り強く有機農業を広げてきた生産者と、それを支え続けてくれた

 消費者に対して贈られたものだと思う。 みんな喜んでくれている。

 日本の農業をめぐる状況はけっして良くなってはいないが、

 これを励みに、さらに前に進んでゆきたい。 」

 

会長の挨拶を聞きながら、僕も襟を正す。

 

選考はけっこうもめたようである。

特に大地を守る会の場合は、規模が大きすぎる、

もう立派な (いっぱしの、の意味) 企業体ではないか、という声があったようだ。

それでも、30数年にわたって地道に有機の世界を広げてきたこと、

各地で環境保全のために実践している生産者がいて、

それを支えているのが都市の消費者であるという関係が築かれている。

それを将来につながるひとつの社会モデルとして認めよう、

ということになったのだと聞かされた。

 

贈呈式の後の祝賀会で、関係者で秋山社長と藤田会長を囲んで記念写真を1枚。

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 『明日への環境賞』 は、この10回 (10年) を区切りとして、いったん終了、とのこと。

これまでの受賞は43団体とお一人。

大地でお付き合いのあるところでは、木次乳業さんや、

このブログで何回も紹介している 「農と自然の研究所」 (代表:宇根豊さん) が受賞している。

 

宇根さん。 最後に並ばせていただきました。

「何が並んだ、だ。 ま~だまだ、よ」 と言われそうか。

 



2009年3月29日

九品仏に ツチオーネ

JR渋谷から東急東横線・自由が丘で大井町線に乗り換えて次の駅、

九品仏 (くほんぶつ) という駅に降り立つ。

 

九品仏といえば、淨眞寺ですな。

正式名は 「九品山唯在念仏院淨眞寺」 (くほんざんゆいざいねんぶついんじょうしんじ)。

江戸幕府四代将軍家綱公の時代、1678年に建立されたという古刹。

開山した高僧 「珂碩上人」 (かせきしょうにん) が彫刻した

九躰の阿弥陀如来像(九品仏) が安置されている。

 - と、にわか仕入れの知識を披露してみたりして。

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駅の改札を出て、左手に目をやれば、そこはもう淨眞寺の参道入口。

その伝統の町に、4月1日、注目のカフェがオープンする、

というので行ってみることにした。

とか言っちゃて、要するにまあ、接客の練習台として呼び出されたようなワケなんだけど。

日曜日だっつうのに・・・・・

 

改札から出て、淨眞寺とは逆方向、右手を見れば、

オーッ! 目の前に、どっかで見たようなデザインの看板があるじゃないか。

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老眼が進む身には近すぎるくらいの、もろ駅の前。

 

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うん。 まあまあのつくりだ。

 

中はといえば・・・・・


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いいでしょう。

大地を守る会と提携していただいている、北の住まい設計社さんはじめ、

家具のオークビレッジさん、畳の添島商店さんなど、あらゆる関係者が応援してくれた、

シアワセなカフェの誕生である。

 

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テーブルの素材は、ミズナラ。

その上にさりげなく置かれているのも、ミズナラの苗木。

私たちの暮らしは、森の生命とつながっている。

 

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取材に入っているのは、CSテレビ局とのこと。

 

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こんな和のコーナーもある。

無農薬のイグサで編まれた畳の温かさを体感していただきましょうか。

 

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いい気が流れている。

セコい私の不安は、お客さんが長居することだ。

 

食材は、THAT'S国産とフェアトレードを表現する。

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軽く焼いただけのキャベツ。 こんなに甘いものだったか。

農産グループ長失格 ?

すべてが、心地よく、旨い。

農産物の仕入担当者としては、ついつい慎重になっちゃうけど、

それを保証する仕事に邁進することだけは、誓わなければならない、生産者とともに。

このお店の信頼を支える重要なポジションだからね。

 

お店の音楽には、真空管アンプというのが使われている。

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僕はよく分からないけど、ほんものの音の再現性が違うようだ。

 

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デザートについても、ただパクパク食べて、すみません。

酒飲みだけど、これなら毎回食べたい、と思う。

粗雑な人間の自分には上手く表現できないけど、品って言葉を考えたりさせる。

美味しい、って言うのは、素材と職人の調和の賜物なのだろう。

尊敬できる仕事を食で感じてみるのは、必要なことだ。

感性を鍛えると、文化も豊かになる。 オイラには遅いかもしれないけど。

 

いい店ができた。

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「私たち、もうだめだわ。 別れましょ」

「僕の何が気に入らないのかね」

・・・・・やさしいお茶を飲みながら、「僕がいけなかったのかな」

    「そうよ。 まったくあなたがいけないの」

・・・・・笑顔が戻る。 

そんな力があるかどうかは分からないけど、人生の物語にもお付き合いできそうな、カフェ。

(写真のモデルは大地職員で、物語とは一切関係ありません)

 

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店長の上吹越 (かみひごし) さん。

こういうお店って、マニュアルの前に心が必要ですね。 頑張ってください。

 

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阿弥陀如来が佇む街に生まれた 『カフェ・ツチオーネ』 。

4月1日、オープンです。

 

愛されるみんなの作品、になるようにしたい。

 



2009年3月 7日

2009 だいちのわ (後編)

 

二日間にわたる2009年 「大地を守る東京集会」 も最終ラウンド、

打ち上げともいえる交流会の開催。

 

今やオープン・セレモニーに欠かせなくなった 「種蒔人」 新酒による鏡開き。

今年は大和川酒造さんも張り切って、 「種蒔人」 オリジナルの薦被(こもかぶ) り

を用意してくれた。

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未来に向けて種を蒔く- そんな願いを込めて鏡を開く。

最近は職員の結婚披露宴からもご用命を頂戴する、幸せを運ぶ薦被りの新装です。

( 披露宴での新郎新婦による鏡開き。 皆さんもいかがですか。 )

 

では、生産者、消費者、職員による大交流会のスタートです。

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生産者・消費者・大地事務局の3者が気持ちを一つにして、

ヨイショ、ヨイショ、ヨイショ~、の掛け声で鏡を開きます。

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宴が始まれば、写真を撮る間もなく、いろんな人につかまって、

感想や互いの近況を伝え合い、夢を語り合い、時に厳しい批評も頂戴し......

何だか覚えてないけどよく笑い合い、

ジャンル・地域・立場を超えての交流が繰り広げられた。

 

北海道の高野健治さん(中央) と九州・阿蘇の大和秀輔さん(右) 。

消費者のYさんと一緒に何を話したのか、ホント、楽しそう。 

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何があったって、僕たちはいつでも語り合うことができる。

これが僕の信念である。 

 

今春入社予定者の若者たちに囲まれてご機嫌の、ブレス(熊本) の波村郁夫さん。

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肥後もっこすの目には、今年の新人はどんな印象だったでしょうか。

 

卵とマヨネーズの安保鶴美さんと愛娘・小雪ちゃん(左の二人) を見つけたので、

一枚撮ってもらう。

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小雪ちゃんは今年、大学院に上がるそうだ。

「彼氏は?」 - 「大地で見つけたいですぅ 」

安保父娘の右隣は、やまろく米出荷協議会の岩井清さん・佐藤正夫さん 。 

 

山形・しらたかノラの会の大内文雄さんと疋田美津子さんが声をかけてくれた。

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代表の加藤秀一さんとは、提携米運動を始めてから一緒にたたかってきた。

組織運営でいろいろあったけど、「ノラの会」 として再出発して、

軌道にも乗ってきたとのこと。 よかった。

 

元大地職員で長野に入植した遠藤幸太郎。 (右は交流局・虎谷職員)

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無農薬でのトマトとプルーン栽培に挑戦している。

「早く大地と作付(契約) できるようになりたいです。」

 

交流は、解散後も、さらに続く。

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上の真ん中は、北海道・富良野、今グループの菅野仁恵さん。

列島リレートーク、聞きたかったなあ。 スミマセンです。

 

阿蘇の下村久明さんには、手づくり凧(たこ) の実演と指導をやってもらった。

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大地職員相手に、凧の魅力を語ってる?

 

こちらは、「おさかな倶楽部」 の愚連隊。

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いや、失礼。

左から、札幌中一の橋本稔さん、吉田和生・生産グループ長、大地OBの杉浦英夫さん。

魚屋には魚屋の矜持 (きょうじ) ってもんががあるんだよ!

 

水車むら農園・臼井大樹さん。 トーク、お疲れ様でした。

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(右は、静岡のお茶農家出身の職員、市川泰仙くん)

トークのあとに、親父さんからのメッセージが紹介されていたね。

「私はいつも大地にわがままや勝手なことを言ってきた、うるさい生産者でしたが、

 息子は本当にいい奴ですので、どうかよろしくお願いします。」

太衛さんは、今も詩を書き続けているのだろうか。

 

みんないつまでも名残り惜しく・・・・・でも笑顔で帰って行かれました。

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藤田会長を囲んでいるのが、福岡・成清海苔店の成清忠・千賀さん夫妻。

「オレにとってはもう一番の、最高の嫁!」

とくずれまくりの忠くん。 ご馳走さまです。

手前はいつも奥さんに責められている(?) 北海道・美瑛町の早坂清彦さん。 

「そんなシアワセ、いつまでも続くと思ってんの 」 ・・・・・

人生は複雑である。

 

来年も、笑顔で会えるよう、もっと大きな夢を語れるよう、

私は私のやるべきことを、やるしかない。

 

今年も楽しく終えることができました。

皆さま、有り難うございました。

また一年、頑張りましょう。

 



2009年3月 6日

2009 だいちのわ (前編)

 

15地区に分かれての交流会に続いて、

3月1日(日) はみんな集まっての全体集会、

「2009 だいちのわ ~大地を守る東京集会~」 の開催。

今年のテーマは、「みんなでつくる おいしい お祭り」。

会場は、蒲田にある大田区産業プラザ Pio 。

飲んだくれの僕は朝の集合に自信がなく、昨夜の調布から蒲田に直行して、

カプセルホテルに潜り込んだのだった。

 

10時開会。 時折り冷たい雨が降るという天候にもかかわらず、出足がいい。

例によって、藤田会長の挨拶からスタート。

自分は午後からの 「出会いの広場」 の展示の手配に手間取り、会長の挨拶は聞けずじまい。

とりあえず借り物写真で雰囲気だけでも。

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すごい!! すでに満席に近い。

 

準備の合い間をぬってホールに上がり、「全国生産者めぐり 列島リレートーク」 を覗く。

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熱気で、マジに目が覚める。


以前紹介したことのある " ニッポンの食の安心を考える工務店 " 

河合工務店の河合孝さんが、今の住宅の問題点を説明しつつ、

森を守る住宅の意味を熱くぶっている。

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続いて、静岡県藤枝市・水車むら農園の臼井大樹さん。

親父さんの太衛さんの写真から始めるところが律儀である。 

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「父も元気で、今は林業の方に力を入れてます」

水車むらの歴史は、もう40年くらいになるだろうか。

それはそのまま日本の有機農業運動の歴史と重なっている。

藤枝の山間部で、水土と地域社会の有機的つながりを唱え、仲間 (水車むら会議) と

一緒に建設した風車が、今もその象徴として存在する。

無農薬の緑茶栽培から始まり、国産紅茶を再興させ、

いま大樹さんは埋もれていた品種の復活に力を入れている。

何年前になるか・・・・・囲炉裏を囲んで夜遅くまで議論し合ったことを思い出す。

 

次は、都市農家の登場。

横浜市都筑区で、無農薬で葉物を栽培する折本新鮮野菜出荷組合の加藤之弘さん。 

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横浜市の農業の強さをPRするとともに、

都市近郊に農地と農業があることの大切さを、環境面から防災面まで含めて訴える。

パワーポイントを駆使したプレゼンテーションも、なかなか。

彼らの農業の継続に重くのしかかっているのが、相続税の問題である。

この悩みは、けっこう深い。

 

続くは新潟から、

佐渡トキの田んぼを守る会、斎藤真一郎さんと大井克己さんが登壇。

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一度は絶滅したトキの復活を願って、繁殖から野外復帰までこぎつけ、

さらにトキと共に生きる美しい島づくりを目指して、

無農薬・減農薬栽培、冬水田んぼ、ビオトープづくりなどを進めてきた。

農業から島を変える! 気合いの入った力強い宣言だった。 

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みんな熱いね。

このパワーとネットワークがあれば、まだまだ変えられる。

行ってみよう、この先の世界へ。 と、こちらも気合いをいただく。

  

4名の方しか聞けなくて、他の発言者の皆さん、すみません。

 

自然食品店 「すみれや」 さんの弁当をいただいて、

午後からは、「 出会いの広場 」 「 『わ』 Cafe 」 「 1Day トーク 」 の同時オープン。

僕は 「広場」 専門で動き回る。

 

福島わかば会さんは、甘酒のふるまいに野菜の直売。

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マゴメ米店さんを中心に、各地の生産者が大地を守る会の米をPR。 

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提携米研究会のブースには、遺伝子組換えいらない!キャンペーンも合流。

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千葉・さんぶ野菜ネットワークは、有機農業推進モデルタウンの事業活動を紹介。 

研修生や新規就農者を募る。

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農産グループ農産チーム職員による、大地を守る会の野菜・果物の展示即売。

「とくたろうさん」 コーナーも。 

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専門委員会 「米プロジェクト21」 のブースも、

今回は農産物エリアで一緒に展開させていただいた。 

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まったく農産関係の写真ばかりですみません。

それ以外、まったく回れなかったのです。

聞けば、午後のオープンのあと、

またたく間に受付で用意してあったプログラムがなくなったとのこと。

最終来場者数は、5000名。

予想を超える参加者に、誰も自分の持ち場で手いっぱい状態だったと思われます。

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農産と米プロのブースから抜けて、「手づくり体験コーナー」 での餅つきの準備。

手伝ってくれたのは、山形・コープスター会、千葉・佐原自然農法研究会、そしてマゴメさん。

餅の返しには、福島わかば会の安藤ヒサさんが急きょ助っ人で入ってくれる。

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臼と杵での餅つきに並んだ子どもたち。

みんな喜んでくれた。

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いかつい感じの生産者も嬉しそうである。 

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餅つきって、何でこんなに楽しいんだろう・・・・・

会場ではもち米を蒸すことができないもんだから(直火禁止)、

実はかなり冷汗気味のオペレーションだったんだけど、やってよかった、ホント。

 

とりあえず、今日はここまでで-

 



2009年3月 4日

夢を語ろう! 田んぼを増やそう(後編)

 

《昨日に引き続き...》 

では、「大地を守る会の備蓄米」 で提携している

稲田稲作研究会 (福島県須賀川市) の若手メンバー、伊藤大輔くんの熱いアピールを。

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 「稲田稲作研究会」 は、私たちの父たちの熱い思いで産声を上げました。

研究会発足より 「減反」 や 「生産調整」 という政府の政策には異議を唱え続けて20年、

皆様にご愛顧いただいている 「備蓄米」 等の増産を続けてまいりました。

 

私たちにとっての 「生産調整」 とは、

自分たちの最大限の技術と管理によって 「うまい米」 を作って、

私たちを支えてくれている方々のオーダーが増えることによる生産増加や、

自分たちへの評価に比例する言葉であり、田んぼを守るための糧であります。

 

現在、稲田稲作研究会が目指す農業とは、

産地ぐるみで後継者を育成することで、非耕作地をなくし、

古くより日本の食文化であり日本人の健康を支えてきた米を衰退させることなく、

次世代へ、そのまた次世代へと永年持続したくなるような農業と、

瑞穂の国日本と言われた美しい田んぼの景観や環境を守ることです。


今まで3ヘクタール程度の稲作農家が所有する農業用機械の総額は、

おおよそ3,000万円程度かかっていました。

そこに燃料代、メンテナンス代、自分を含む家族の人件費などが必ずかかります。

機械投資のための農業になり、魅力がなくなる。

兼業農家になり、手抜き農業になる悪循環に陥る構図になって、

それが本来の稲作を衰退させている大きな要因だと思います。

現在、研究会のなかに、稲作15ヘクタールと、ハウスきゅうり25アールを年間2作、

収穫日数240日を家族のみで営んでいるメンバーがいます。

この方は、元々の耕作面積は5ヘクタール程度でした。

しかし 「備蓄米」 の立ち上げ基盤構築と、機械の共同利用による農業に賛同して

主要メンバーとなり、稲作の重要なポイント作業以外はわれわれ生産法人部門に

作業を委託して、ハウス園芸をしながら、近隣で稲作を断念する農家さんのほ場を

次々と自作地にして維持してきました。

生産法人部門としての作付も、試験ほ場として3ヘクタールでスタートしたところ、

ここ数年の後継者不足や諸事情で断念せざるを得ない状況に陥ってしまった耕作地を

借り受けし、10ヘクタールまで増えました。

 

産地としてのモデル農業を自分たちで試行錯誤し、築き上げ、

田んぼ1枚ごとに評価することで生産意欲やモチベーションを高め、

安心・安全と 「満足」 を満たすような管理と、「食べ物半分、食べ方半分」 と考えて、

産地加工で米のパンや麺、乾燥野菜、製粉など、新しい食べ方を提案することで

「農業」 や 「食」 にある潜在能力を引き出すことに意欲的に取り組んでいます。

 

後継者不足。

その背景には、人に頼る農業への依存、輸入農産物等の大型農業にはない

自分たちの緻密な農業をマーケットに認識させる努力、進化をしなかったことに対する

ツケであると思います。

 

私たちは、親の背中を見て、ここに立つことを決しました。

どんな時も 「進化を忘れない」 「怠らない」 姿に、私たちが共感できたからこそ、

この場に立っています。

このような基盤を構築した先人の方々に深く感謝し、

それを守ることが私たちの宿命であり、進化することが

われわれの仲間や次世代につなぐためのタスキになると信じております。

私たち稲田稲作研究会は、種まきと同時に、毎年

 「希望」 と 「未来」 という種も一緒に播かせていただきますので、

皆様には、 「備蓄米」 や 「種蒔人」 の、茶わん一杯、おちょこ一杯が愛されることで、

そこに住む生き物、森が守られる。そして次世代が育つことを、

想像していただければ本望です。

「買う責任」 を果たしていただいている皆様のために、

私たちは 「作る責任」 をもって応えていくことを、

改めてこの場でお約束させていただきます。

 

・・・・・なんという若者だ。

オレのまとめの言葉を先取りされてしまった。

親父さんたちと僕らが語り合ってきたことを確実にモノにしてきて、

しかも 「進化させる」 と。 たくましくなったね。

しかもしっかりオヤジに似てきちゃって、まあ ・・・ウルル。

 

減反の生々しい話や、稲作特有の数字 (反とか俵とか金額とか) が

フツーに飛び交ったもんで、消費者には難しく聞こえたようだ。

その辺は基礎資料を用意すればよかったかと反省する。

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会場からの質問も、価格の話まで出たりして、ヘビーな第1部になったけど、

とりあえずは、私の注釈的なまとめよりも、

ここまでの生産者の語りこそが、今回のテーマを表現したということにしたい。

 

第2部はテーブルごとにフリーの意見交換。 

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司会が気を遣うことも少なく、自然に会話が弾んでいる様子が、嬉しかった。

ただやっぱり話題が米に流れたりして、米以外の生産者には申し訳なかったですね。

 

第3部は、お酒を試飲 (試飲ですよ、試飲) しながらの懇談。

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原料米の生産者を脇に、「種蒔人」 の説明。 

 

こちらは、同じく大地のオリジナル酒 「四万十純米酒」 をつくっていただいている

高知県・無手無冠 (むてむか) 酒造の山本勘介さん。

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社名の由来は、" 余計な手を加えない、冠も無用  "  の精神からきている。

土佐気質丸出しの蔵。

「四万十純米酒」 の原料米生産者は、窪川町の原発計画を阻止した男、

島岡幹夫さんである。

今日は、他の自慢のお酒も持参してくれて、交流会を盛り上げてくれた。

 

最後に、記念撮影。

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主催者のねらいや思いをどこまで拾えたか、司会としてはちょっと苦しいところだけど、

皆さんの笑顔に救われます。

 

長くなったので、二次会は割愛。

消費者会員のHさんと、大地を守る会が昨年進めた  " ブランディング "  について、

ひとしきり議論してしまったことだけ、報告しておきます。

愛知・天恵グループの津田敏雄さん。

「二次会でエビちゃんに失礼なこと言って傷つけたんだけど、謝っといて」

との伝言を承りましたが、

すみません。 大事なお叱りの言葉、覚えてないんです・・・もう一回、お願いします。

 



2009年3月 3日

夢を語ろう! 田んぼを増やそう

 

年が明けて、産地新年会シリーズが始まり、

終わったと思えば 「大地を守る東京集会」 の準備が佳境に入り、

何とか走り終えて、気がつけば3月である。

2月はホント、書けなかったなぁ。 ネタもいろいろあったのに、残してしまった。

酒がいけない? いや、それはまったく自分のせいだけど、

ついつい真剣勝負でやっちゃうんだよね、しかも最後まで・・・・・

 

少し疲れも取れてきたところで、東京集会二日間のレポートを記してから、

溜まったものを順次吐き出していきたいと思う。

 

『 2008だいちのわ ~大地を守る東京集会~ 』

一日目は2月28日(土)、15の会場に分かれての 「だいち交流会」。

ぼくの今年の割り当ては、調布会場。

消費者会員が主体となって準備された会場で、設定されたテーマが

「 夢を語ろう! 田んぼを増やそうプロジェクト 」

長く米の消費が減り続け (最近少し盛り返してきているけど)、

減反政策も40年近くにわたって継続されてきた。

気がつけば恐るべき勢いで耕作放棄された農地が増えている。

ようやっと農水大臣も減反の見直しを語るようになってきたなかで、

消費者の立場から、「田んぼを増やそう」 の声を挙げてくれたわけだ。

我が専門委員会 「米プロジェクト21」 もお手伝いしないわけにはいかない。

 

調布会場には、生産者・消費者・事務局合わせて約80名ほどが集まった。

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「今年は米でいきます」

企画準備当初からこう宣言した実行委員長、鬼弦千枝子さんの挨拶から。

「生産者の生の声を聞いて、私たちに何ができるのかを考えたい」

配布された栞(しおり) にも思いが綴られている。

-みんなの経験や知恵や繋がりを生かして、きっと未来に残せるようなことができるのでは・・・

 

第1部は、全体でのセッション。

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司会を託されてしまった。


自分のお喋りは極力自制して、生産者に順次、語っていただく。

 トップバッターは、宮城・蕪栗 (かぶくり) 米生産組合の千葉孝志さん。

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蕪栗沼周辺の水田地帯が野生生物保護のための貴重な湿地として

ラムサール条約に登録され、今や全国区になった当地でも高齢化の波は激しい。

千葉さんは、何とかして地域環境を守りながら、

消費者に喜ばれる米づくりを続けていきたいと語る。

有機JASを取得し、田んぼには魚道を設置するなど、

生き物の豊かな田んぼを復元しようと試みている。

肥料などの資材も地域で循環させるために新しい堆肥場もこしらえた、とのこと。

 

続いて、山形・みずほ有機生産組合の菅原専一さん。

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田んぼの一部をビオトープ (生物循環を豊かにする空間として設計された場所、のような意味)

にして蓮の花を咲かせたところ、田んぼにゴミを捨てる人がいなくなった。

除草の手がだんだんと足りなくなってきて、合鴨農法を取り入れたが、

生態系のバランスが崩れるのではないかという疑問も残っている。

それでも子どもたちの田んぼへの関心が高まってくれて、教育的効果は高いと実感している。

真面目な菅原さんらしい発言だった。

生産者独自の工夫、様々な試行錯誤が、地域に刺激を与えているのです。

悩みや疑問は、みんなで共有しようではないですか。

そこから何かが生まれてくるはずだから。

 

茨城・大嶋康司さんには、減反政策についての思いを語ってもらう。

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大嶋さんは減反はやってない。

「やるかどうかは生産者の自主性に任される、というのが正しい解釈のはずなんですが・・」

周りの農家も許容してくれているが、そこは地域の特性もあって、

地域の減反面積を請け負って収益性の高い作物を作る農家もいたりする。

地域的な締めつけの厳しい東北の生産者に気を遣いながら、複雑な心境を語る。

嫌なテーマでふって、すみませんでしたね。

 

減反については、協力しないと認定農業者が剥奪されるとか、

受けていた融資も前倒しで返せと言われる、とかの話まで出てくると、

消費者には、何がどうなっているのか???-という世界である。

要するに、「減反政策をやらないと、みんなが好きなだけ米を作って、価格が暴落する」

という理屈が金科玉条のようにまかり通っているわけだけど、

これくらい農家を馬鹿にしている話はない。

農民を自立した経営者とみなしてない。 というか、なって欲しくない勢力がいるのだ。

" 好きなだけ米を作る " 状況でも、すでになくなっていることは、

宮城の新年会の話でも触れた通りである。

作らせないために税金を使うのではなくて、

作って欲しい作物に助成するのが正しい考え方ではないか。

 

さて、生産者にとっては、この人には頭が上がらない。

米の仕入れから精米までをお願いしている八王子の(株)マゴメ社長、馬込和明さん。

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減農薬の米を学校給食に卸すなど、みんなの米を懸命に販売してくれる。

一方で、米の需要拡大も模索していて、

米粉を使ってのパン製造や製麺など、様々な加工にも取り組んでいる。

「朝ご飯にパンを食べる人には、米粉のパンにしてくれれば、

 それだけ田んぼが守られるんだけどね」 と訴える。

・・・そうなんだけど、大地の会員さんはおそらく国産小麦のパンだろうから、

やっぱ、もっと広く、国産を食べる人を増やすことが道ですね。

 

山形・米沢郷牧場の伊藤幸蔵さん。

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取り組んでいるのは、飼料用の米生産。

「これで国産飼料 (自給) 率70%以上の鶏肉の生産ができます」

田んぼは、もっともっと活用できる生産基盤なのだ。

 

若者世代を代表して、福島・稲田稲作研究会の伊藤大輔さん。

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しっかりと原稿を作ってきて、読み上げた。

それはそれはなかなかの内容で、聞き惚れてしまった。

 

久しぶりに力を入れたら、また長くなってしまった。

続きは明日とさせてください。

 



2009年2月26日

《予告》 3月1日(日)は、大地を守る東京集会へどうぞ!

 

予告とお誘い、です。

今度の日曜日、3月1日は、大地を守る会の1年でもっとも大切にしてきた

『2009だいちのわ ~大地を守る東京集会~』 。

今年もやって参りました。

1978年2月に第一回の 「地球は泣いている! 東京集会」 を開催してより、

連綿と積み重ね、32回を数えるまでになりました。

 

今年の会場は、大田区蒲田にある 「大田区産業プラザ Pio」 。

会場が広くなったこともあり、お祭り的要素も盛り込んで、楽しく交流いただけるよう

スタッフが全力で準備しています。

生産者・メーカーさんによる物販 (展示即売) も多数出展します。

会員以外の方々も歓迎です。

お友達・お知り合いをお誘い合わせのうえ、ぜひ!

「大地を守る会」 の今、を感じ取っていただければ幸いです。

詳細はこちら ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/news/2009/0126_810.html

 

わたくし・エビは、1階-出会いの広場の農産物関係のブースを拠点として、

餅つき体験の仕切りなどやってます。

もしかしたら会場の隅で生産者に囲まれて苦戦しているかもしれませんが、

どうぞお気軽にお声掛けください。

たくさんの方々との出会いを楽しみにしています。



2009年1月16日

ガザからの叫びを

 

一昨日の日記では、「考えてしまう性 (さが)」 なんて書いてしまったけど、

そんな暢気なことを言っている場合ではなくなってきた。

とても信じがたい、とても許しがたい事態が、

国際的非難の高まりを嘲笑いながら、恐ろしい勢いで進んでいる。

イスラエル軍のパレスチナ・ガザ地区への空爆に、地上戦も加わり、

激しく侵攻しながら虐殺が行なわれている。

数日前までは、ここで書くかどうか、多少のためらいもあったが、

とにかく友人の声だけでも届けなければならない、と思う。

 

大地を守る会でも販売に協力してきた 「パレスチナ刺繍製品」(ガザでも製作)

を通じての支援団体、NPO 「パレスチナ子どものキャンペーン」 から届いた叫びである。

来週会員さんにお届けする予定の刺繍商品は今回の侵攻前に納品されたものだが、

現在、生産者の安否は確認できないとのこと。


読んでほしい。 


 

ガザ 1月15日16:30 (日本時間23:30)
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500メートル先に戦車が・・・
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国連の本部が攻撃されました。 今、私の家族と一緒に家にいますが、

家から500mのところにイスラエル軍の戦車がいて外にでることができません。

これまでで最悪の日です。

彼らはテル・アル・ハワ地区に侵入し、

次に小麦が保管されていたUNRWA (国連) 本部を攻撃して火事が起きました。

テル・アル・ハワ地区の人々は、女性も子どもも通りに出て逃げ出しました。

この地域は人口密集した住宅地です。 男たちが集められ、建物が取り上げられて

火がつけられました。 あらゆる方向から爆撃と砲火を浴びせ、

アブダビのジャーナリスト2人が負傷し、1人は重傷です。

 

今、新たな空爆が始まりました。(爆発音)

イスラエルは状況をどんどんエスカレートさせています。

今、人々は家を離れてあちこちに動き回っています。

あらゆる方向から攻撃を受けているので、どこにも行けず、人々はただ動き回るだけです。

いろいろな地域が攻撃を受けています。

そのような地域から人々は逃げ出しています。

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人々が逃げまどっている
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昨夜は朝まで恐ろしい時を過ごしました。銃撃が連続しています。

(また爆発音を飛翔体の飛行音)

多くの人々が残骸の下敷きになっています。

パレスチナ赤新月社が運営しているアル・クッズ病院も攻撃を受けました。

ここには500人のパレスチナ人が避難しています。

この病院もテル・アル・ハワ地区にあります。

病院も救急車も民間防衛局も消防署も、全てが攻撃されています。

多くが負傷したり死んだりしています。

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石油の備蓄も小麦もなくなった
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多くの人がただ逃げ回っています。

今日の午後は多くの人がただ毛布やかばんだけを持って

攻撃された地域からこちらに逃げてきています。

テル・アル・ハワ地区の人々は国連本部に逃げ込んでいましたが、

そこも攻撃されました。

イスラエルは攻撃してUNRWA職員と避難民の3人が負傷しました。

ここにはUNRWA本部のオフィスと倉庫がありました。

大きな問題は、この施設には石油が備蓄されていたことです。

石油やガスの備蓄が破壊されたのは破局的です。

これらの燃料は病院や井戸から水をくみ上げる施設に供給されていました。

ガソリンや燃料はUNRWAだけにしかなかったのです。

石油は攻撃目標になった二つのものの一つです。

もう一つは小麦粉でした。 もうガザには小麦も石油もありません。

空爆は無差別で、攻撃はあらゆる方角に向けられています。 ただ殺すだけです。

皆さんによろしく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アムジャッドさんと電話がつながり、話を聞くことができました。

彼には、小さな娘が二人います。 子どもたちはどんな思いでいるのでしょうか。

電話で話をすることしかできない自分がとても辛いです。

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特定非営利活動法人 パレスチナ子どものキャンペーン

 

オリーブオイルをいただいている団体 PARC(パレスチナ農業復興委員会)

はヨルダン川西岸地区になるが、彼らも緊急食料物資をガザに送る活動を開始した。

しかし、搬送をバックアップしてくれる国連機関も攻撃されるという異常な事態である。

生命を維持するための支援物資の保管場所から病院、救急車まで

爆撃対象とするというのは、これはもう戦争という政治ではなく、

民族の抹殺を狙っているのか、とすら思えてくる。

1月4日には、イスラエル軍兵士が住民110人を誘導して一つの建物に閉じ込めて、

翌朝それを空爆するという行為にまで及んでいる。

これでは、かつてナチスがユダヤ人に対して行なった大量虐殺、

ホロコーストの再現ではないか。

いま、パレスチナの人々が、かつてのユダヤ人となっている・・・・・

「ならず者」 でもやらないような残虐さだ。

長い時間をかけて築いてきた国際ルールも機能しない。

もはや、どう考えても、正義はない。

 

パレスチナ子どものキャンペーンのHPでは、現地からの生々しい情勢や声が

日々アップされています。 たくさんの支援を求めています。

オリーブオイルで提携しているオルター・トレード・ジャパン では、

ヨルダン西岸からの食料支援を 『フード・バスケット支援』 と名づけて支援に入りました。

大地を守る会でも、募金集めで協力することを決定しました。

願わくばたくさんの人に伝え、できる方法で一人でも多くの人を救い、

「とにかく止めさせる」 力につなげたいと願うばかりです。

 

今この時も、必死で 『だいちロード』  の看板を見つめている人がいるような気がする。

 



2008年10月20日

2008種まき大作戦-土と平和の祭典

 

10月19日、日曜日、晴れ。

日比谷公園にて、『2008種まき大作戦 土と平和の祭典』 開催。

小音楽堂前の噴水広場にテントを並べた 「農家市場」 に、大地を守る会も出店。 

大勢の来場者を前に、野菜・果物の試食販売でPRする。

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子どもたちの人気者、短角牛のたんくんも活躍。

 


天気もよく、日比谷公園という場所もよかったか、出足好調で、

野菜、果物はどんどん売れてゆく。

e08101915.jpg (photo:Onozuka)

 

今回、出店に協力してくれた生産者は、

新農業研究会(青森)、瀬山農園(埼玉)、さんぶ野菜ネットワーク(千葉)、

東京有機クラブ(東京)、長崎有機農業研究会(長崎) の方々。

 

青森から駆けつけてくれた新農研の若者たちです。 (左端は大地職員)

e08101914.jpg (photo:Onozuka)

今回は、二度の雹にやられても立派に育ったリンゴを持ってきました。

「ちょっと傷があるけど、食べてやってください!」

 

宅配や大地を守る会取り扱い食材の説明をするスタッフ。

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e08101917.jpg  (photo:Onozuka)

 

なんと午後2時過ぎには、すべて完売!

最後はブースのオブジェとして用意した " 畑の里芋たち " まで、奪われてしまった。 

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去年の記憶で、夕方にやってこられた方々には、何にもなくて、

まことに申し訳ありませんでした。

去年は午前中が雨模様で、夕方には叩き売り状態でしたからねぇ。

 

大地を守る会コーナーの脇で談笑する、歌手の加藤登紀子さんと藤田会長。 

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33年前には想像もできなかった有機農業の広がり。

世間では農業の衰退とか言われているけれど、

農に関心を寄せる若者たちは間違いなく増えている。 

ムーブメントの風を感じながら、

草創期を一緒に歩いた二人は、さてどんな会話を交わしたんでしょう。

 

とにかく、たくさん集まってくれました。 感謝します。

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種まき食堂のコーナーでは、

中津ミートさんのフランクフルトに、北浦シャモの 「古代焼き」 で勝負。

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北浦シャモの下河辺さんは息子さんを連れてやってきた。  

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「どう、エビちゃん。 いい男だろう」

 ほんとだ。 よかったねぇ、お父さんに似なくて・・・・・

 

有機農業を目指す人、来たれ。

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小音楽堂では、 

各地で活躍する若者たちのトーク。

有機農業運動の第2世代も、逞しくなってきた。

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ライブステージでは、ゆったりと芝生に座って、

家族でコンサートやトークを楽しむ。 

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右にあるのは、竹で組んだテント。

 

昔の道具を使っての脱穀や籾すりの実演。 その向こうは竹馬づくり。 

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ステージで歌う祭典の実行委員長、Yae さん。 

e08101916.jpg (photo:Onozuka)

お父さん(藤本敏夫さん、前大地を守る会会長)の遺志を継いで、

千葉・鴨川の農場-「自然王国」 で農業もやっている。

二人目の子どもも生まれた。

今日はお母さん (登紀子) さんとのジョイントもあったようだが、

こちらは絶え間ないお客さん相手に、ステージはほとんど見れなかった。

 

土と平和 ・・・・・は重なっている。

種をまこう、みんなで。  耕そう、未来を。

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東京のど真ん中で、たくさんの人たちと手をつないだ一日でした。

 



2008年9月30日

ムーラン・ナ・ヴァンの加藤浩一、優秀賞受賞

 

さる9月17日、東京・日本菓子専門学校において、

クリームチーズを使用したケーキ・コンテストが開催され、

大地を守る会のグループ企業である (株)フルーツバスケットが運営する

「ムーラン・ナ・ヴァン」 (フランス語で 「風車」 の意味/静岡県三島市)

のパティシエ・加藤浩一君が、最終審査の結果、

みごとに優秀賞を受賞した、との一報が入りました。

めでたい話なので、ここでも紹介します。

 

主催は、BUKOアーラフーズジャパン。

BUKOは高級ナチュラル・クリームチーズで業界では良く知られているブランドで、

アーラフーズ社はEUでは最大の乳製品メーカーだそうです。

 

加藤君の作品は、ベースこそデンマーク産のクリームチーズですが、

お店本来のコンセプトである地元産の果物や、できるだけ安全性にこだわった素材を

使ったもので、そのことも高く評価されたようで、嬉しい話ですね。

 

このコンテストにはスカンジナビア航空とロイヤルコペンハーゲン・ジャパンが協賛していて、

加藤君は、輝かしいトロフィーと副賞にデンマークまでの往復旅券をゲットした模様。

コンテストの内容や受賞者及び作品についての詳しい紹介は、

近く柴田書店発行の専門誌 『カフェ・スィーツ』 などで紹介される予定とのこと。

詳細は、ムーランのHPおよびBUKOのHPを、ぜひご覧ください。

BUKOのHPでは、審査の動画や審査員評もアップされています。

 

ではHPからお借りして、加藤君の作品を-

 「mangue fromage au poivre noire」 

 

おめでとう、加藤君。 

初挑戦で受賞とは、我々も嬉しいです。

 

皆さま。 三島にお越しの節はぜひムーランにもお立ち寄りください。

 



2008年9月28日

ぼくにとっての 『東京集会』

 

9月26日の夜から昨日 (9/27) のお昼まで、

年2回 (春・秋) 恒例の職員合宿が幕張で行なわれる。

今回のテーマは、毎年2~3月に開催している 『大地を守る東京集会』 について。

年に一度、生産者と消費者が一堂に会して行なわれる、

大地を守る会にとって最も大切なイベント。

もちろん生産者と消費者の交流はいろんな場所で活発に行なわれているのだが、

『東京集会』 は、いわばその年の集約のような、"みんな集まれ~" の場として、

30年以上続いてきた。

 

すでに来年に向けての準備がスタートしていて、

今回の合宿は、職員みんなで東京集会を振り返り、

来年に向けて様々な思いやアイディアを出し合ってみよう、という企画で行なわれた。

これ自体が、職員にとってのトレーニングでもあるし、

東京集会の成功に向けて、気持ちをひとつにまとめていく仕掛けかと理解した。

 

そこでなんと、東京集会の思い出を3分で語れ、という宿題を仰せつかった。

あなたにとっての 『大地を守る東京集会』 とは- 


自分にとっての東京集会・・・・・振り返れば、もう26回経験している。

思い出を数え始めたらきりがないよ、とか思案しながら、

いつの間にか振り返ってしまっている。

 

大地に入って3ヵ月後の、初めての東京集会は、前会長・藤本敏夫さんの退任挨拶だった。

千葉の鴨川に、夢のような王国を建設するとか言ってる。

そうか、国王になって圧制を・・・・・と思った職員は僕一人ではない。

そしていきなり小グループに分かれての討論会の司会をやらされた。

テーマは、「余剰と欠品を考える」。 我々にとっての永遠の課題である。

怖そうな消費者と生産者に囲まれ、入社して3ヶ月の事務局員は汗だくになっていた。

2年目には、二日間ぶっ通しての司会を任される。

いきなり若手に振る、という伝統は、すでにこの頃からあったんだね。

3年目は、初の実行委員会形式での運営をすることになって、自分で手を挙げた。

消費者会員にも集まってもらって喧々囂々やりながら、

実現したのが、1日を地区に分かれて交流する 「地区集会」 だった。

これは今でも続いている。 1985年のことだ。

 

以来、いろんな役回りを、まあ逃げずにこなしてきたと思う。

パネルディスカッションの司会もやった。 パネラーを受けたこともある。

壇上で泣いたこともある。

 

1994年には、晴海の見本市会場を使って 『 森と海と大地のDEVANDA (出番だ!) 展 』

というのをやった。 これは他団体も一緒になって  " 第一次産業の復権 "  を掲げた

一大イベントになった。 大臣や国会議員もやってきた。

僕は主催者としての仕事に加えて、大地を守る会のブースの仕事もあって、

10個くらいのファイルを同時に進行させていた。

どこにも逃げられない、あの緊張感は今でも覚えている。

僕の人生にとっても、かなり大きなメモリアル・ワークだった。

  「無理を言い 無理をするなと無理を言う」 -会場のトイレにあった落書きである。

  社長さんだろうか。返歌も- 「そんな社長は 日本一!」

  飾られた会場の裏で、ドラマは展開されている。

 

地区集会を、エビの思うように使っていい、とか言われたこともあった。

かなり気合い入れて考えたが、ふたを開ければ、時は狂牛病の真っただ中にあり、

思い描いた構想が空回りしたことも、苦い思い出として残っている。

 

思い出の一つ一つに何がしかの教訓が残っているが、

まとめて言えば、こういうことになる。

年に1回、同じ時期に同じイベントが連綿と続いて、そこで何がしかの仕事があてがわれる。

伝統の重みも感じながら、新しい風も吹かせたいとか考える機会。

そんな場があるということは、大地を守る会の職員にとって、

いろんな意味で自分の力を測ることができる、とてもシアワセなことである。

同じ仕事をしても、去年より上手に仕上げられる。

同じ質問を会員から受けても、今年はもうちょっと責任感を持って答えられる。

参加者への対応も、心に余裕を持ってできる。

この一年で自分がどこまで成長したかを見つめられる、

そんな場があることは、本当にシアワセなことなんだよ。

 

時間をすっかりオーバーしてしまって、言い忘れたことがある。

集会が成功するかどうかは、実はかなり我々事務局員の心 (気持ち) にかかっている。

どんなにシャレた集会をやっても、我々の立ち居振る舞いが悪ければオジャンである。

どんなにダサい集会であっても、我々の心でカバーできれば、

それは時に感動につながることもある。 それを僕は経験で知っている。

だから続いてこれたんだと、古株に数えられるようになって、僕はそう考えている。

心して取り掛かろう。

 

今年も若手中心で、しかも入ったばかりの新人を抜擢するという

今までにもない斬新な構成での実行委員会が始動した。

今回の合宿では、ワールドカフェ方式とかいう、

テーブルを回りながら意見をまとめていくという手法が用意されていて、

それはそれで楽しませてもらいました。

さあ、どんな 『東京集会』 が出来上がることだろうか。

 

来年の 『大地を守る東京集会』 は、2月28日(土) ~ 3月1日(日) 。

1977年の第1回- 『地球は泣いている 東京集会』 から、数えて33回目。

地球は泣いている・・・・・か。

このコピーを超えない限り、東京集会は終わらないんだろうな、きっと。

 



2008年7月14日

今日はアフリカから-

 

最近とみに海外からの視察が増えている。

通常は、大地を守る会の国際局で対応するのだが、

農業分野での視察や研修内容によって、こちらに出番が回ってくることがある。

 

今日やってこられたのは、

ケニアとタンザニアで農業技術指導をしているという政府職員さんたち4名。

研修を依頼してきたのは、通称 「ジャイカ」 (JICA) と呼ばれる国の外郭団体、

「国際協力機構」 (Japan International Cooperation Agency) である。

青年海外協力隊を派遣している団体と言えば分かりやすいだろうか。

我ら農産グループ内にその協力隊出身者がいて、その職員を経由して

話が正式に舞い込んできた。

 

農村開発に取り組むアフリカの政府職員が、

なぜ有機農業の活動を行なう我々のところに?


その辺は自分もよく分からないのだが、

どうもこの国の農業に関するひとつの潮流として注目を頂戴したみたいである。

 

今回も例によって、日本の戦後の農業の歴史から紐解きながら、

大地を守る会とは何ぞや、を理解していただくのだが、

場所は本社の会議室ではなく、習志野物流センターで実際の物流ライン業務も

見てもらいながらの講義とする。

 

ここでも、彼らの目が輝いた (と見えた) のが、

大地を守る会の誕生から事業の拡大へといたるプロセスであったようだ。

加えて、生産者との関係と栽培情報の細かさ、だろうか。

 しかし、この間私が説明したアメリカ人ともオーストラリア人とも違うと思った

特徴的な反応は、「生産者が契約を守るのか?」 という疑問だった。

市場価格が高くなったら、そっちに出すのではないか?

僕の回答は極めて簡単で、

「そんなことをすれば、市場が安い時に (ウチに) 出せなくなります。」

どうやら、彼と彼女らの悩みどころは 「約束を守らない」 農民、というあたりか。

そこにはどうも、自分が想像し切れてないお国事情があるように思われる。

 

有機農業が近代農業と根本的に違うのは、

農薬や化学肥料を使わない、という単純なことではなくて、

それを可能にする技術と思想にある。

特に、地域資源を活かしながら環境を保全し、自給型の農業を考える際に有効である。

それは、交換価値を地域 (あるいは仲間) で回しあう、つまり自立につながる。

 

本来は最も豊かであったはずのアフリカを貧しくさせたのは、環境でも生産技術でもなくて、

モラルを喪った自由主義経済とそれを後押しした国際政治だと思っているのだが、

短時間の研修時間ではコミュニケーションできなかった。

 

おそらくは、彼らのお国の都市で大地のような宅配システムが有効とは思えない。

どうか、自前の生産技術の維持と、それを支える国民(消費者)という

独自の生産-消費モデル作りを進めて欲しい、と願ってやまない。

それが、この星の多様性を守ることになるはずだから。

 

もっと語り合いたいものだが・・・

とか思いながら、新しいトラックをバックに一枚撮って、お別れする。

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それにしても・・・・・最初から気になっていた。 どことなく元気がないのだ。

聞いてみれば、やっぱり。 この時期の、日本の湿度にやられたね。

「ニッポン、暑いです」

赤道直下の、しかも身体能力の高いアフリカ人も参らせる

アジア・モンスーンの凄さよ。

 

これをかつて (昭和3年)、和辻哲郎という哲学者が分析している。

『 湿気は最も堪え難く、また最も防ぎ難いものである。 にもかかわらず、

  湿気は人間の内に 「自然への対抗」 を呼びさまさない。 その理由のひとつは、

  湿潤が自然の恵みを意味するからである。』 

                -和辻哲郎著  『風土-人間学的考察』 (岩波文庫 ) より-

 

僕らの哲学は、80年前の和辻より進化したのだろうか。

小賢しい科学技術論で重箱の隅をつつきあうような論争はやめて、

この列島の気候風土と、それが育んだ文化に、もっと身体を近づけてもいいんじゃないか。

それだって、この国が果たせる国際貢献のひとつだと思っている。

 



2008年5月 1日

『カンブリア宮殿』 いよいよ・・・

 

4月8日の日記で取材の模様について書いたテレビ東京 『カンブリア宮殿』

の放送日が、正式に5月5日に決まりました。

日記で放送日を 「...らしい」 とお伝えしたのは、じつはインサイダー情報だったようで、

こういうのは正式に告知されるまで流してはいけない、と広報からお叱りを受けてしまった。

フライングでした。 申し訳ございません。

 

テレビでは予告編も流れ始めたようで、

黒沢さんの畑で、藤田さんの後ろに私が立っていたとか。

ああ、気が重い......なんでだろ。

 

ま、そんなワタクシ事はさておき、藤田会長が作家・村上龍氏とタレント・小池栄子さん

を相手に、さてどんな感じでやってくれたのでしょうか。 

なんでも学生運動の頃の話もしたとか......時間ある方はどうぞご覧になってください。

今回のタイトルは-

 「メイド ・ イン ・ ジャパンで食糧危機に立ち向かえ!」 

5月5日(月) 22:30~23:24 です。

 

テレビ東京系列では、テレビ北海道、テレビ愛知、テレビ大阪、テレビせとうち、TVQ九州放送。

系列以外では、岐阜放送、びわ湖放送、テレビ和歌山、熊本放送、で放送されます。

 ( ※ 各放送局の放送日程・時間については、各放送局もしくは新聞等にてご確認ください。)

BSデジタルでは、BSジャパンで、5月8日(木) 21:00から。

CSデジタルでは、日経CNBCで、5月10日(土) 11:00から となっています。

 

番組のホームページでも、トップ画面で予告が出ています。

 ⇒ http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/

 

感想などお寄せいただけると嬉しいです。

 



2008年3月 1日

身近な環境セミナー

 

さて、別室で開催された 「身近な環境セミナー」 へと移る。

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ホールからセミナー室に入れば、

LESSON-1 『 "エコシフト" チャーミングに世界を変える方法 』 が続いている。

講師はマエキタミヤコさん。

自分を楽しく変え、社会をチャーミングに巻き込んでいくためのノウハウについてのお話。

 

(※上の写真はLESSON-3の様子です)

 

たしかに、最近のキャンドルナイトやフードマイレージ・キャンペーンといったムーヴメントは、

ちょっと古いタイプのワタシには、新しいセンスの登場を感じさせるものだ。

この仕掛けがあっという間に社会に広がったのには、彼女の存在も大きい。

 

質疑の最後で、参加者からこんな質問が上がっている。

「こういう集会に男性(熟年オヤジ) を参加させるにはどうしたらいいでしょう」


マエキタさんの回答はこう。

「無理やり引っ張り出そうとしてもかえって逆効果になるかも。

 その人の好きな話題や趣味、たとえば釣りとか、から

 こういった世界に関心を持たせるように仕向けていったらどうでしょう。」

 

このテーマには、実は私にも秘めたアイディアがある。

でも団塊の男たちを相手にすると考えただけで、あとが面倒くさい、

というのが我々世代の共通感覚でもあって、どうも前向きになれなかったりする。

 

それにしても、と出番を待ちながら思う。

俺には、こういうチャーミングな話題での司会というのが回ってきたことがないなぁ。

 

ま、考えるだけ無駄か、と気を取り直して、

LESSON-2 『遺伝子組み換え最前線』 に入る。

講師は 「市民バイオテクノロジー情報室」 代表の天笠啓祐さん。

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いまどんどん増加の一途をたどる遺伝子組み換え作物の状況。

すべての背景はグローバリゼーションにある。 みんなが "安さ" を求めているからだ。

バイオ燃料の需要で、生産量は増えているのに価格も上昇している。

需給バランスで動いてきたはずの価格が、投機によってつり上げられている。

コーンの連作により土壌バランスが壊れ、障害が起きてきている。

その対策に殺虫毒素を組み込んだりして、2種、3種の混合組み換え作物が出現している。

国内での分かりにくい表示の問題。

動物の世界では、3倍体のサケが実用化されようとしている。

こういった動向が伝えられる。

 

う~ん。 では私たちはどうすればいいのか。

それこそチャーミングに世界を気づかせる方法はないものか。

妙案はまだ霧の中だ。

 

無理を承知で、この間抱き続けている疑問を天笠さんにぶつけてみる。

「除草剤耐性+殺虫毒素といった混合遺伝子組み換えの技術はさらに複雑になってゆくだろうが、

 自然界では順次それに対する耐性が生まれ、

 品種改良と耐性のいたちごっこのスピードもまた速くなっていくと思われる。

 一方で土壌は疲弊していってる。

 どこかで作物生産自体が立ち行かなくなる崩壊の時が来るのでは、と思うのだが、

 天笠さんの見通しは?」

 

天笠さんの答え。

「それが分かるなら、教えてほしい。」

 

はっきりしていることは、

穀物の安定供給のためには、土の健全さを維持し、多様な種を保持することこそが、

持続可能な道であるということだ。

何としても、生産と消費のつながりで非遺伝子組み換えの世界を守り続ける。

そしてただ遺伝子組み換え作物を拒否するだけでなく、

生態系の多様性の保持を、「未来を保証する豊かさ」 として魅力的に語るための視点を、

そして言葉を、私たちは獲得しなければならない。

 

LESSON-3 『 「農の未来」の扉を開けよう 』

ひとつのヒントがここにある。

講師は 「農と自然の研究所」 代表・宇根豊さん。

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食の 「安全」 というが、安全は食べものの一つの価値でしかない。

その安全を、分析・検査や証明 (認証) で確かめなければならないような、

そんな社会をつくってしまったことこそ、農薬というものの最大の罪悪である。

安全証明を成分検査で確かめるというのは、そのモノの内部に向かっているが、

安全・安心を外側から確かめることだって可能なのだ。

 

たとえば赤トンボは日本じゅうで約200億匹生まれているが、

その99%は田んぼで生まれている。

カエルはその5倍はいて、カエルもまた98%が田んぼで生まれる。

たとえばアゲハチョウはセリ科の葉っぱを食べる。

無農薬で人参を育てると、アゲハチョウも育つ。

赤トンボやカエルやアゲハチョウを育てているのは、実は農業である。

(彼は 「農業」 とは言わず、 「百姓仕事」 と表現する。)

ただ人参の生産性だけを考えて農薬を撒けば、蝶との関係は崩れる。

安ければいいと輸入に頼って、この国から田が消えれば、赤トンボも消える。

 

そんな生きものの目から、食べもの (の価値) を見つめる、

そんな "まなざし" を取り戻したい。

それこそがいま提唱している 「田んぼの生きもの調査」 の意味である。

自然は生きものの生命で満たされていて、

生きものが賑わう世界、そこからこそ (安全な) 食べ物はつくられる。

(彼は 「作る」 とは言わず、 「できる」 「なる」 と表現する。)

稲は稲だけでは育たないのだ。

ホンモノの安全・安心の物差しは、生命とのつながりを見る "まなざし" のなかにある。

 

食べものは自然からの使者である。

人と自然は、食べものによってつながっている。

自然は毎日食卓に上がっている。

食べものが自然を伝えている。

 

百姓の仕事が、自然の風物や四季の風景をつくった。

風景を美しいと思うのは、そこに百姓仕事が生きているから。

百姓は、その仕事の楽しみで踏ん張ろうではないか。

仕事の中身で人生を生きてゆこうではないか。

 

「宇根ワールド」 の深い情念の世界を、僕はどうしてもまだ伝えられない。

でも少しは感じとってもらえただろうか。

前にも書いたけど、有機農業運動に宇根豊という人物を得たことは、とても幸運なことだ。

そして百姓仕事に誇りを持つ生産者とつながっていられることに、私たちの幸運もある。

我々運び手は、そのお米・その野菜がもっている "意味の全体" を伝える

まなざしと方法を、獲得しなければならない。

できればチャーミングに。

 



2008年2月28日

「だいちのわ2008」

 

2月24日(日) 朝9時。

東京・大手町のサンケイプラザ4階ホールに、大地職員が集合する。

それぞれに前日の余韻をひきずりつつも、必要な緊張感は維持している、ようではある。

 

事務局・町田の進行で直前のミーティングが始まる。

大山事務局長、野田専務理事、藤田会長から諸注意・訓示含めた挨拶がある。

僕は自分の役割の流れをチェックしていて聞き漏らしてしまったが、おそらくは

「来場されたすべての方々に満足してもらえるよう、スタッフとしての自覚を忘れず、

 気を引き締めて、かつゆとりを持って、機敏に、楽しみながら、なおかつ気配りを忘れず、

 けっして生産者・消費者より先に食い物に飛びつかず、......」 というような感じで、

過去30回の歴史で積み重ねられた反省を元に、気合いが入れられたと推測する。

 

外は昨日に続いて強風である。 交通機関が乱れているようで、集客が心配になる。

早めに到着した生産者から、昨日の風が春一番だったと聞かされる。

昨日から新聞もニュースも見てないワタシ。 あちこちで被害があったみたい。

春を告げる風だが、実際は災害をもたらす風でもある。

職員情報によると、どこかの地区の会場では黄砂が飛んでくるのが見られたそうだ。

ほぉ~、うわぁ、今年も来たか......とか言いながら、皆で眺めたんかな。

はるばる中国大陸から飛んでくるのは砂だけでなく、花粉も細菌も汚染物質も運ばれてくる。

「空中は国際交流の舞台である」 (農業気象研究者の内嶋善兵衛さんの言葉)。

環境や自然というものには、国境なんてないからなぁ。

地べたでは国境を挟んで不健康なせめぎ合いが続いているけど・・・・

 

さてこちらは、生産-流通-消費の 「だいちの輪」 の交流の舞台。

いよいよ本番。

 


大地を守る会会長、藤田和芳の挨拶。

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ここでも僕は出たり入ったり、やってきた生産者を誘導したりで、細切れにしか聞いてないのだが、

昨年から止まることのない食品をめぐる事件などに触れながら、

意識ある生産者・消費者のお陰で発展してこれたことに感謝しつつ、

次なる大地の展開に向けての構想が表明された。

(詳細はいずれ正式に発表されるので省略)

 

続いて生産者10組による列島リレートーク。

廃校になった小学校を改造して、消費者が農業体験しながら宿泊できる施設をつくった

「どらごんふらい」 の布施芳秋さん (北海道富良野)。

独自の自然卵養鶏を営みながら地域で有機農業を広げる取り組みを展開する

濱田幸生さん (茨城県行方市)。

農業経営から暮らしまで、エネルギーの自給を目指す梅の湯浅直樹さん (群馬県榛名町)。

林業(山) や環境と調和したきのこ生産に挑む自然(じねん)耕房の佐藤英久さん (群馬県前橋市)。

南伊豆で伝統の鰹節製造を守るカネサさん。

 

国産と非遺伝子組み換えのナタネにこだわり続ける米澤製油さんからは、

オーストラリアのノンGMナタネでは、栽培農家と密な関係を築いてきている、との報告。

 こういうネットワークを広げていきたいものだ。

 

次の写真は、山形県東根市でさくらんぼを栽培する奥山博さん。

今日は後継者の博文君も一緒に壇上に上がって、立派な発言をした。

親父としては、嬉しい舞台となったことだろう。

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午後の環境セミナーで講師をお願いした宇根豊さんも登壇。

百姓に当たり前にあった感性や、農と自然の深き関わりから新しい未来を構想する

宇根ワールドの "さわり" を披露して、「よかったら午後、聞きに来てください。」

 

山形は庄内地方の農民たちで結成された 「庄内協同ファーム」 。

提携米運動で一緒になって、もう20年になった。

今回は結成メンバーの一人である斉藤健一さんと、後継者世代の富樫俊悦さんが二人で登場。

こちらも若手が育ってきている。

こうやって若い世代が増えてくるのは、何より嬉しい。

しかも彼らは、堂々と笑いを取ったりする。 度胸がいいと言うか、しなやかな感じなのだ。

斎藤さんは歴史を語ってくれた。

93年の米パニックの時。 注文が殺到して、5kg を 2kg袋に詰め替えて供給したことがあった。

あったね、そんなこと・・・ああ思い出してしまうよ。

  会員から怒りの声が上がった-「これまで大地の米を買ってきた人を優先すべきだ!」

  こんな手紙を書いた-「困っている人が目の前にいる。 みんなで分け合いたい。 受け入れて欲しい。」

・・・なんか泣けてきたよ、斎藤さん。 写真撮りも忘れて感慨に耽ってしまった。

(実行委員の方へ -スクリーンに写した写真が違ってましたね。 斎藤さん、失礼しました。)

 

次の写真は、宮城県大崎市で冬水田んぼ(冬にも田んぼに水を張る)に取り組む、

「蕪栗米生産組合」 の千葉孝志さん。

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地元の蕪栗沼と周囲の田んぼ一帯が、

渡り鳥にとって貴重な休息地・餌場としてラムサール条約 に登録された。

世界で初めて、田んぼ自体が大切な湿地帯として認められたのだ。

晩秋の頃から冬にかけて、何十万羽ものガンやハクチョウがここに体を休め、餌をとって過ごす。

ラムサールに登録されたからといって、千葉さんの取り組みや生活が変わるわけではない。

彼は仲間たちと、さらに前に進もうとしている。

 

風で心配されたが、気がつけば会場は満杯である。

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ここで午前の部、終了。

弁当もそこそこに、午後の展示準備に入る。

 

ホールの設営を一気につくりかえて、「だいちショールーム」 の開店。

我が専門委員会 「米プロジェクト21」(略称:米プロ) のコーナー。 

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米プロの活動紹介、種蒔人基金のPRなど。

今年も一番人気は、「バケ田んセット」 である。 家庭でイネを育ててみようというもの。

種モミ (秋田・花咲農園の戸澤さんから頂いた無消毒のアキタコマチの種モミ) と

作り方を書いた紙を配る。

加えてここでのオリジナルは、水槽を使ってメダカや野菜も一緒に育ててみようという、

家庭でできる 「水田ビオトープ」 だ。 メンバーの陶武利さん作の見本ジオラマが好評。

子どもたちは、必ずメダカの前で立ち止まる。 子どもは本当に生きものが好きだ。

この意味は深く捉える必要があるね。

 

ホールの真ん中は、子どもたちの遊び場になっている。 

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他の専門委員会や別なコーナーも紹介すべきところなのだが、まったく見ることができない。

米プロのブースも他のスタッフにお願いして、

並行して行なわれている 「身近な環境セミナー」 の部屋に向かう。

二人の講座の司会をすることになっている。

 

また長くなってしまった。 でもいっぱい伝えたくてしょうがないのです。 

ということで、続く、になります。

 



2008年2月27日

「だいち交流会」 -横浜中区会場での話

 

二日間にわたる 「大地を守る東京集会」 が無事終了した。

終わった後も、残ってくれた生産者・消費者・事務局入り乱れて、二次会、三次会と、

議論あり、唄ありで飲み明かし、宙に浮いたような体で出勤すれば、

" せっかく東京に出てきたわけだし " ということで事務所に顔を出してくれる生産者がいる。

月曜日も商談やら農業談義やら...

夕方にはサンケイプラザに忘れ物を取りに行って、この日は終了 - 爆酔、じゃなくて爆睡。

(最近のワープロ漢字変換は油断ならない。 なぜ酔と出る? ご主人のことは分かってるとばかりに...)

そんなわけで例によって、

溜まった宿題を焦るものから順番にやっつけている今日 (27日) である。

 

さて、この怒涛の二日間をどう伝えようか、思案するもまだ頭の中が定まらない。

そういう時はオーソドックスに、時間を辿りながらいってみましょうか。

 

まずは一日目 (2/23)。12地区に分かれての 「だいち交流会」。

実行委員会から割り振られた横浜中区会場に行く。

場所は中華街や横浜スタジアムのあるJR関内駅前の「横浜酒販会館」ホール。

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午後1時半開会。

10に分かれたテーブルには、「ビール席」 とか 「ガス灯席」 とか

横浜にちなんだ名前がつけられていて、それぞれに分かれて座った生産者が順次紹介される。

大御所、重鎮が来ている。

北海道江別市の金井正さん。 じゃが芋・かぼちゃ・小豆などの生産者だ。

 

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「大地とのお付き合いは、そうですねぇ、 もう34年になりましょうか」......って、

大地発足年 (75年) からってことですね。 脱帽。

 

私の席は 「マッチ席」。

1875年、平沼に工場が建設され、汽車印のマッチが製造されたのだとか。

「アイスクリーム」 に 「カフェ」、「石鹸」、「鉄道」、「波止場」、「人力車」、「西洋野菜」 と、

ヨコハマのハイカラな歴史が偲ばれる。

 

生産者紹介のあと、「小さな勉強会」 と称して、二つのテーマで勉強会。

ひとつは原発。

大地を守る会の専門委員会 「原発とめよう会」 の事務局・斉藤聡が原発の問題点を語る。

次が私に課せられた課題 -「抗生物質と耐性菌の話」 。

なんでこういう場で抗生物質 (Vs. 耐性菌) なの ?

そうですね。 けっして楽しい話にはならないし・・。 でも受けちゃったんです。 

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実はこういう話。

抗生物質というのは、微生物から作られた、他の微生物の増殖や発育を抑制する物質の総称で、

有名なのが1929年に最初に発見された 「ペニシリン」。

戦後になってたくさんの抗生物質が生まれ、そして

今では農薬や家畜・養殖の飼料などに普通に使われるようになってしまった (ご存知でしたか?)。

その総量は年間2000トンを超える。

病院や外来処方で人間の病気治療に使われるのは、実はそのうちの500トンでしかない。

抗生物質は特定の細菌に対して毒性を示す。 人体そのものへのリスクは少ない。

しかし時間とともに 「耐性菌」 が発現して、その抗生物質が効かなくなる。

当然、濫用すればその時間は短くなる。

医療現場では、「ペニシリン」 → 耐性の出現 → 「メチシリン」 →

耐性 (メチシリン耐性黄色ブドウ球菌:MRSA) の出現、ときて、その院内感染が問題となった。

そしてMRSAに効果のある、究極の抗生物質と言われた 「バイコマイシン」 が作られたが、

すでにバイコマイシン耐性ブドウ球菌が出現している。

すなわち抗生物質と耐性菌は、こんなふうに " いたちごっこ " しながら、

生命・生態系の必然として 「進化」 しているのだと言える。

この 「進化」 によって種の多様性が確保され、

どんな天変地異や恐怖の伝染病が発生しようが生命が維持されてきたと考えれば、

耐性菌の出現は恐れることではない。 いや、恐れても仕方がない、と言うべきか。

私たちはこの星の生命体として、否も応もなく微生物と一緒に生きている。

 

とりあえず私たち (今を生きているヒト) にとっての問題は、いざ感染症が拡散した際に、

抗生物質が効かない (効く抗生物質がない) 事態が想定されることである。

したがって、抗生物質とは 「必要な時だけ利用する」 (耐性の出現を遅らせる)

のが賢明な付き合い方、ということになる。

 

しかし日本では、農業・畜産・水産の現場で野放図に使われ過ぎているために、

自然界で耐性菌の出現が起きている。 しかも相当な範囲とスピードで。

すでに沖縄のヤンバルクイナから抗生物質の耐性菌が確認されている。

北海道のアライグマからも、河川の細菌からも・・・・・

米国の医学教科書には、こういう記述があるそうだ。

「新しい抗生物質ができても、日本では数ヶ月で耐性菌が出現する」

 

耐性の出現は抗生物質に限らず、あらゆる薬剤に言えることである。

家庭用殺虫剤 (Vs.チャバネゴキブリ) から遺伝子組み換え作物まで-

いたちごっこのスピードが速まれば速まるほど、我々にとってのリスクも高まる。

 

そこで私たちが唱える  " 有機農業の推進 "  とは-

その食品の安全性にとどまらず、生態系の安定 (多様性の保持) や環境との調和を通じて、

生命の健康を守ることだと考える。

生態系の安定は、たとえオーガニックであろうが、輸入品では賄えない。

だからこそ  " 基本は国産でいこう "  というのが大地の考え。

有機農業もまた、微生物と共存・共栄する考え方・技術として 「進化」 しつつある。

 

国産の原料にこだわってくれる畜産も存在する。

それらの受け皿となってくれる加工者もいてくれる。

これらのつながり (輪) を支えているのが、まぎれもない  "消費の力" 。

でもけっして特別な人たちでやってきたわけではない。

だいたいがごくフツーのオジサン・オバサンたち。

今日はそんな人たちが集まって、その輪が見える日。

どうぞ、とくとご覧になって、大いに交流してほしい。

 

とまあ、何とかこのテーマを依頼された実行委員の要望には応えられたか、

と思ってはいるのだけど、本当はどうだったか......

その辺は本人には分からない。

 

勉強会のあとはテーブルごとに歓談。

「有機農業はとにかく草取り」 と生産現場での苦労話 (さんぶ野菜ネットワークの斉藤勝男さん) や、

畜産での餌の話 (中津ミートの太田雄大さん) が出る。

特にノンGM飼料が確保できなくなってきていること。 どうやって安全な循環をつくるか。 

「コンビニの食品残さを醗酵させて餌にするのも考えたりするが、添加物が心配だし・・・」

などなど~

「すこしくらい高くても安全なものを、と思って買っている。 頑張ってください」

こんなありがたい消費者の声は、想像以上に生産者に響いていることは、

この場を借りてお伝えしておきたい。

 

《もうちょっと東京集会のトピックで続けます。》

 



2008年1月28日

STOP! ロッカショ

 

昨日(1/27)は日曜日だというのに忙しい一日になった。

 

朝9時半から六本木で「おさかな喰楽部新年勉強会」。

漁業資源の保護に取り組む漁業を証明するMSC認証について。

 

11時半に終えて、水産物生産者たちと日比谷公園に向かう。

 

持参のおにぎりに無料で振る舞われたつみれ汁(大地が担当)

を頂戴してお昼を済ます。

 

午後1時から、核燃料再処理工場の稼動に反対する集会とパレード。

 

パレード解散後

そのまま東京から新橋に向かって、おさかな喰楽部の新年会。

二次会までやっちゃって、

今朝はちょっとしんどい1週間のスタートだ。

 

ということで、まずはロッカショ集会の模様からお伝えしておきたい。


日比谷野外音楽堂集会に集まった参加者は2000人。

寒いけど、まあ晴れてよかった。

 

ステージは吉本多香美さんのアフリカンダンスから始まり、

多彩なゲストがそれぞれに演奏や歌を歌い、

再処理工場を止めようとのメッセージを伝えた。

 

吉本さんは、あるTV番組で原発に批判的な発言をしたところ、

番組のスポンサーが電力会社であったがために降ろされた

という話を吐露して、今のメディアの弱さを訴えていた。

こういう発言が、タレントの世界から出てきているところに、

広がりが感じられる。

 

梅津和時さん率いる「こまっちゃクレズマ」のジャズ演奏。

 

梅津さんは大地の国際局のツアーなどにも

'芸人'としてよく同行してくれる楽しい方だ

 

サンプラザ中野くん(最近「くん」がついたらしい)。

「大きな玉ねぎの下で」「ランナー」を歌ってくれる。

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随分痩せたと思ったら、マクロビオティックですっかりベジタリアンに

なったのだそうだ。

 

ミュージシャンのSUGIZOさん、

川田龍平さん・大河原雅子さん・保坂展人さんらの国会議員も登壇。

 

僕にとって、それよりも嬉しかったのは、

サーファーたちが乗り込んできたことだ。

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サーフィンは海から恩恵を受けているスポーツだ。

海の水もガブガブ飲んだりする。

波乗りの人たちにとって、目に見えない放射能はおそろしい。

原子力発電所が出す放射能1年分を1日で排出する再処理工場なんて、

許すわけにはいかない。

 

彼らはただ自分を守るためだけに動いているのではない。

ビーチ・クリーンナップ(ゴミ拾い)など地道な活動もしている。

彼らの危機感は、漁師の危機感に連帯している。

 

サーファーをバックに、

岩手県宮古から大挙して参加された重茂漁協の漁民たちが上がる。

皆、合羽姿にタオルの鉢巻、手には大漁旗。

何だか頼もしく感じる。

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先祖から引き継いだ豊かな自然を次の世代に伝えたい。

美しい海が放射能で汚染されるのは忍びない。

役所は危険じゃないというけれど、

それなら東京のど真ん中につくればいい。

なんで東北に持ってきて、40メートルの深さで流すのか。

都会の人には、もっと田舎を大切にして欲しい。

 

集会後はパレードに向かう。

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子どもを抱いた母親もたくさんいる。

家族で楽しそうに歩く人たち。

全体の雰囲気は、やっぱり昔と違って明るくなったような...

まあいいことだ

 

日比谷から銀座、東京へと歩く。

先頭のほうからはシュプレヒコールの声もかすかに聞こえるが、

3番手集団を任された大地の隊列は、お喋りしながらただ歩いている。

これも大地らしい。

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途中から男の子が

「再処理工場を止めよう!」

と声を張り上げてくれたので、

大人たちもそれに合わせて声を出す。

 

道行く人も立ち止まって我々を見ている。

たまにオジサンが拍手をくれたり、手を振ってくれるオバサンがいて、

お礼を言ったりしながら、歩く。

 

再処理工場がいよいよ稼動するという段階に至って、

たしかに色んな方たちが動き出した。

象徴的なのは、世界的な音楽家・坂本龍一さんの登場か。

 

ウェブサイトを立ち上げ、誰もが自由にダウンロードできる音楽

(クリエイティブ・コモンズと言うらしい)をアップして、

そこにたくさんのアーティストが

ボランタリィで楽曲やアートを提供している。

 

ミュージシャンのSUGIZOさんが呼応して、

こんな本も出版された。

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ロゴをデザインしたのは、これまた世界的デザイナー、

ジョナサン・バーンブルックさん。

この名前は覚えておいて欲しい。

大地でもいずれ登場してもらうことになるはずだ。

 

これ一冊で再処理工場の問題が分かる。

加えて、たくさんのアーティストがメッセージを寄せている。

Mr.Childrenの桜井和寿さん、

女優の高樹沙耶さん、

ブロードキャスターのピーター・バラカンさん、

ギタリストの佐藤タイジさん、などなど。

 

カッコいいと思ったのは、

選曲家・桑原茂一さん(クラブキング代表)のこんなセリフだ。

 

   YMOの存在が私の人生に不可欠だったように、

   STOP‐ROKKASHOへの意思表示もまた必然だ。

   国家は本来私たちを幸せにするために存在すると信じて生きている。

   私の人生を肯定するなら、今私は行動するしかない。

 

有名人の力を借りて運動を喧伝するのは恥ずかしくもあるが、

読みやすく、装丁もコンパクトで、かわいらしい本に仕上がっている。

あまり関心のない友人などに勧めるには'使える'かもしれない。

彼ら有名人たちも、利用してもらいたい(役に立ちたい)

と強く願っている。

 

翌日、国会議員の仲介で、80万人分の署名が国に提出された。

80万の意思表示があっても、国の既定方針が覆ることはないだろう。

 

しかし、この運動は多様性を見せ始めている。

たんに再処理工場をどうするかを超えて、

新しい価値観による社会をつくるムーヴメントに発展する

可能性を感じさせる。

 

本当に変えてみたいものだ、僕らの力で。

 



2008年1月23日

大地を守る東京集会

 

毎年2~3月に開催してきた、生産者と消費者が一堂に会して交流する

『大地を守る東京集会』。

 

1978年2月に第1回-『地球は泣いている 東京集会』 を開催してから、

数えること31回目。

大地がもっとも大切にしてきたイベントである。

 

今年は2月23日(土)と24日(日)の二日間にわたって行なわれる。

23日は、各地区12ヵ所に分かれての 「だいち交流会」。

24日は、東京・大手町のサンケイプラザに集まっての 「だいちのわ 全体集会」。

各地区や全体集会それぞれに実行委員会が結成され、

いま準備が急ピッチで進められている。

 

全体集会の実行委員会は、10年くらい前から若手職員中心で運営されてきている。

そんなわけで、私もここ数年は、担当する専門委員会(米プロジェクト21) の展示以外は、

だいたい上京してこられた生産者のお相手がメインになっていたのだが、

今年は、何やら仕事が多い。


そのひとつが、「身近な環境セミナー」と題された連続講演のプログラム。

3名のゲストの講演のうち、お二人の司会をやる羽目になってしまったのだ。

 

お一人は、市民バイオテクノロジー情報室代表の天笠啓祐さん。

遺伝子組み換えに関する最新情報を語っていただく。

どうやら、昨年10月の米国コーン視察以来、

この問題で色々と偉そうに喋ってしまったのが、祟ったようである。

 

二人目は、農と自然の研究所代表の、宇根豊さん。

このブログでも何度か紹介してきた、私の尊敬する思想家であり実践家である。

しかも宇根さんについては、交渉ごとや連絡までやらされてしまっている。

......なんて人のせいみたいな言い方して。 要するに、

「宇根さんなら俺が話をつけてやる」 とか調子よくやっちゃったワケなのよね。

 

また一方で、遺伝子組み換えのほうでも、

実は密かにひとつの '仕掛け' を画策していたのである。

 

アメリカのノンGMコーン生産者、Mr.ケント・ロックを集会に呼ぼうと考えたのだ。

鶏の餌の生産まで '顔が見える'。 それによって食の未来を語り合える関係づくり。

市場価格とは違う価値感によってノンGMを維持して、種の多様性を支えあう、

そんな関係を築く第一歩にできないだろうか......

 

結局ケント氏の都合がつかず、目論みは実現できなかったのだが、

農作業が少し楽になる6月ころには来れるかも、との逆オファーが内々に届いていて、

これはこれで無駄ではなかったかと思う。

 

当日、司会が出しゃばるわけにはいかないが、

天笠さんには情勢分析だけでなく未来への展望も語ってもらうつもりなので、

そこに少し絡めて報告できるものを用意できればと考えている。

 

宇根さんの講演テーマは、『農の未来の扉を開けよう』。

食の未来を守る道筋を描きつつ、その'扉'を、いま、私たちの手で開ける。

生産者にも消費者にも刺激的な話になれば、と願っている。

 

そんなことを考えてるうちに1月も終盤になってきて、尻に火がつき始めた。

米の展示のほうにまだ手がついてない。一気に進めなくては......

 

前日の「だいち交流会」では、

参加することになった会場の企画準備にあたっている会員の方から、

これまた難しいテーマでの話が依頼されてきている。 頭が痛い......

 

久しぶりに、ちょっとばかししんどい東京集会になってきている。

 

では、大地の東京集会にまだ行ったことがない、という方のために、

昨年の様子を何枚か、貼り付けておきます。

 

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真面目な討論あり、楽しい出会いあり、美味しい時間もあり。

参加された皆さんに満足してもらえるよう、

実行委員会諸君が、いよいよ夜なべモードに入ってきています。

乞う、ご期待ということで。

 



2007年12月27日

山藤 広尾店

 

昨夜は、今年最後の外での飲み会。

開店して間もない、大地の直営店 『山藤』 広尾店で締める。

 

『山藤』 の1号店である西麻布店はコース料理がメインで、

正直言って、我々には 'ちょっと軽く' という気分では入れないレベルである。

まあ、勝負どきに利用させてもらうって感じ。

 

一方、広尾店は単品料理で、値段もかなり抑えてくれている。

 

他団体の方との席だったので、料理の写真を撮ったり、は控える。

ま、もともとあまり、料理を前にして写真をバチバチ撮るのって、好きじゃない。

恥ずかしながら、料理を評したりするのも、実は苦手なのだ。

 

思うに、どんな料理であれ、

「まずい」 なんて言おうものならお袋から張り倒されて育ったのが、

すっかり 「料理」 を表現できない人間にしてしまったのではないか、

などと秘かに自己分析したりしているけど、

別に親には感謝こそすれ、不満も恨みもない。

 

終わりごろ、店内風景だけ撮らせていただく。

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定番の食材生産者の絵が飾られている。

 

葉物は東京有機クラブ。

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夕べは生産者の阪本啓一さんも来て、カウンターで知人と談笑されていた。

 

北浦シャモ農場。

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お米は神田長平くん。

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いただいたのは-

アジとイカの刺身に生ガキを1個、小松菜の煮浸し、キンピラ、里芋煮、

そして北浦シャモと短角牛の串焼き。

 

仕上げは、ご飯とお漬物。

 

どんなに褒めても結局は身内なので、賛辞は控える。

ただ、一緒に飲んでくれた方が 「美味い!本当に美味い」 と言ってくれたことは

お伝えさせてください。

 

特別に、一瞬だけ、と頼んで、厨房を覗く。

手前のお釜がイイね。

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いつもここにいるはずの、料理長のウメさんの姿が見えない。

 

雲隠れ?-まさかね。

年末最後の大勝負、『山藤のおせち』 の仕込みに取り掛かっているのである。

 

しばらく前に、おせち内容の仕様書が回ってきて、しげしげと眺めたことを思い出す。

 

通常の加工食品の場合は、「製造工程」となるのだが、

ここでその欄に書かれてきたのは、いわゆるレシピである。

 

レシピを見ても、ウメさんの腕の秘密が解き明かされるわけではない。

 

「焼き ⇒ 冷却 ⇒ 煮る ⇒ 煮る」 とか

「洗浄 ⇒ 浸漬 ⇒ 煮る ⇒ 火を止める ⇒ 煮る ⇒ 仕上げ

 ⇒ 計量 ⇒ 金属探知機 ⇒ 品質チェック ⇒ 詰め」

を見たところで......

 

-いや、待て。

調味料の入れ時の違い、隠し味的な材料、

それに 「煮る ⇒ 煮る」 「煮る ⇒ 火を止める ⇒ 煮る」 の行間あたりにも、

奥義の匂いを感じさせるものがある。

加えて、作業ごとの温度と時間の関係、特に時間だ。

 

最も時間をかけているのが、実は目立たない一品だったりする。

作業ではなく、その間の待つ (寝かす?) 時間だけで、しめて96時間!とか。

 

材料もすごいね。

揃えたくても揃えられる料亭はないのではないか。

 

山形村 (現岩手県久慈市) に住み着き、村の人々と山村の食文化に精通した

料理人・梅田鉄哉ならではの品揃えだ。

 

お値段も張ってしまって、ウチではちょっと......

我が女房どのは 「ムカつく!」 とか言ってるし。

まあ、いつか買えるよう、頑張って働くことにしよう。

でも数量限定だから、職員は注文しても、結局はじかれるんだろうけど。

 

ウメさんはいま、孤独に違いない。

集中力を研ぎ澄まして、命を捌 (さば) く。

お正月に喜んでくれる見たこともない家族の顔を想像しながら、

「煮る ⇒ 火を止める ⇒ 煮る」 の作業を繰り返しているのだ。

 

頑張ってね、ウメさん。

 

どうか暮れぐれも、事故なく届きますように。

 

ちょっと 「種蒔人」 を飲み過ぎたか...

山藤のおせちには届かないけど、

贅沢な、年末最後の 「飲み会」 となってしまった。

 



2007年12月21日

だいちロード

 

......という名前の 「道」 が完成した。

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場所は、パレスチナ自治区-ヨルダン川西岸地区の北部にある

コフォ・ジャマールという村。

 

オリーブの畑に道路が引かれたのだ。


 

それまでこの畑、といっても岩山にオリーブの樹が点在する土地だが、

そこには道がなかった。

 

なにしろデコボコの岩山。

車は入れず、収穫する時も、肥料をやる時も、

すべて岩場を登ったり降りたりしながらの人力作業だった。

 

ここに道をつくろう。

 

昨年、取り扱いを始めたオリーブオイルの現地を訪問した際に、

オイルという商品の流通にとどまらない支援策が話し合われ、

「パレスチナ平和の道プロジェクト」 が立ち上がった。

 

これをきっかけに、大地を守る会の国際支援基金制度として

「DAFDAF(ダフダフ)基金」 が正式に設立され、

「道」 は最初の支援プロジェクトとして位置づけられた。

 

DAFDAFとは、

The Development Assistance Fund of Daichi for Asian Families の略。

「交流先の農民や家族の生活向上や農業の技術向上などのために支援を行なう基金」

というような意味合い。

20年くらい前から進めてきたアジアを中心とした海外の農民たちとの交流を

もう一歩進めて、

交流先の有機農業の発展を具体的に支援するプロジェクトを進めようというものだ。

 

「パレスチナ平和の道プロジェクト」基金の呼びかけが行なわれ、

応じてくれた会員数は1,487名。 集まった基金が1,449,000円。

 

そして、道が完成した。 全長1.3km。

 

もちろん大地からの基金だけでなく、

現地の人々も、ある人は土地を提供し、ある人はお金を出し、あるいは労働力を出して、

みんなの手でつくられたものだ。

 

道路の入口に立てられた看板。

「DAICHI WO MAMORU KAI」 の文字が、何だか面映い感じ。

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現地のオリーブ生産者やその家族にとって道ができたことは、

我々の想像したより遥かに嬉しい出来事だったようだ。

11月に現地を訪れ、道路を確認した大地のツアー一行は大歓迎され、

その道を歩くのに大勢の人がついてきたという。

 

畑まで、足元を気にせず行ける。収穫した実を車で運べる。

彼らにとって 「道」 は悲願だったのだ。

 

道の中腹で、関係者と記念撮影。

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生産者の代表から、感謝状ならぬ、

オリーブの「感謝切り株」 が藤田会長に手渡される。

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「道ができて、みんな喜んでいる。

 道ができてから、みんな元気が出て、村が活性化している。」

村長さんからは、そんな話もいただいたようである。

 

オリーブの収穫は、家族みんなでの作業となる。

子どもたちも手伝うのだそうだ。こんなふうに。

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ここではパレスチナの歴史や政治はあまりに重たすぎて触れられないが、

彼らはただ昔からこの地にいて、したがっていつまでもこの地で、

平和にオリーブとともに暮らしたいのだ。

 

私たちはテロリストなんかではありません。

そのことを日本の人たちに伝えて欲しい......

 

これが視察ツアー一行に託されたメッセージである。

 

ツアー一行は帰る前に、イスラエルの人たちとも会っている。

皆とてもいい人たちで、大地の取り組みにも理解を示したという。

日本人ということでの配慮も多少はあったかもしれないが、

憎しみや偏見や予断のないところでは、

人と人は自然に分かり合えるものだと思いたい。

 

問題は根が深く、あまりにねじれ過ぎてしまっているので、

これ以上、軽々しいコメントはできない。

しかし、平和はけっして政治だけで築かれるものではない。

その前に、人と人が分かり合い、助け合う 「道」 が作られなければならない。

 

ツアーに同行した職員から報告を聞いて、写真も借りられたので、

この場でもお伝えしたく、書いてみた。

いいお手伝いができたんじゃないか、と思う。

僭越ながら、ご協力いただいた皆さんに、改めて心から感謝したい。

おそらくは機関誌 「だいちMAGAZINE」 でもレポートされるはずなので、

その際はぜひご一読を。

 

報告を聞いたその日、

「パレスチナ子どものキャンペーン」 という教育や福祉面での支援をしている団体からの、

パレスチナ刺繍製品の審査を通過させた。

パレスチナを支援するNGO同士の横のつながりがないのが気になるところではあるが、

我々は我々のできる範囲で 'つながり' を深めていきたいと思う。

 

ちなみに、DAFDAF基金では、ふたつ目の支援プロジェクトが進んでいる。

ミャンマーでの有機農業の農場を支援する計画だ。

こちらにはすでに1,576,500円の基金が寄せられている。

 

いずれも複雑な国情をもつ場所だけど、

だからこそ民衆レベルでの元気が出る物語を編み出したいものだ。

 



2007年10月15日

成清忠蔵さんを偲ぶ

 

先週はずっと外での飲み会が続き、

記しておきたい話題は増えるものの、全然書くことができなかった。

ひとつずつ、書き残していくことにしよう。

 

まずはこの報告から始めなければならないだろう。

13日(土)の夜、品川プリンスホテルで行なわれた 「成清忠蔵さんを偲ぶ会」。

 

成清(なりきよ)忠蔵。

有明の海苔でお馴染み、成清海苔店の親父さんだ。

今年5月21日、63歳で永眠された。

気持ちよく寝て、朝起きたら、すでにこと切れていたという。

安らかな笑顔だったと-

その人の人生を象徴するような潔さ。

 

2000年から4年間、大地を守る会の生産者理事を務められた。

豪放でいて人への気遣いを忘れることなく、

同じ水産物関係の生産者からの信頼も篤く、また消費者のファンも多かった。

 

東京で何としても偲ぶ会を、

ということで全国から成清を愛した人たちが集まった。

 

冒頭で挨拶する藤田和芳・大地を守る会会長。

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   成清さんはとてもシャイな方で、あまり口数は多くはなかったが、

   海苔のこと、海のこと、環境のこととなると、実に熱く語ってくれた。

 

   酒が好きで、

   理事会の会議よりも、そのあとの一席を楽しみにしていたフシもあるが、

   皆を楽しませながら、時に剛毅な一面を垣間見せた。

 

   個性的な生産者が多い水産物の中で、

   成清さんは重石のような役目を果たしていて、

   専門委員会 「おさかな喰楽部」 の魂の部分を育ててくれた・・・

 

成清さんへの献杯の発声は、

「なんとしても水産から大地を守る会の理事を出そう!」

と訴えて成清さんを立てた、伊東の島源商店・島田静男さん。

 

マイクの前に立った途端、絶句。

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奥さんの顔見たら、思わず泣けてきちゃったよぉー。

男・島源、こちらもちょっと涙もろい人情の人である。

 

参加者から次々と、忠蔵さんの思い出や感謝の言葉が述べられる。

 

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四万十の鰻・加持養鰻場の加持徹さん。

 

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理事として同期を過ごした、新農業研究会・一戸寿昭さんも青森から駆けつけた。

 

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東京海洋大学の先生、川辺みどりさん。

大地の会員で、おさかな喰楽部のメンバーでもある。

成清さんが毎年秋に催してくれた 「有明海海苔摘み交流会」 にも参加している。

 

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実行委員を代表して、佃煮の遠忠食品・宮島一晃さん。

 

消費者会員の方々も次々とマイクの前に立っては、思い出を語る。

 

   2月の東京集会のホームスティで泊まっていただいたときにね、雪が降ったんです。

   雪を見ると思い出すって言うんです。

   若い頃、サツに追われて神社の床下で雪に震えながら隠れたんだとか。

   なんでサツに追われたのかは、聞けなかったんですけどね。

 

体を気遣って、「これを飲むといい」といって、何とかの水を送ってきてくれた話とかも出る。

 

僕にもあった。

9年前にガンの手術をして暫くたったある日、自宅に届いた布団袋のようなでかい荷物。

しかし、軽い。

開けてみれば、大量の乾燥スギナである。

 

「これを煎じて飲んだら、ゼッタイよおなると」

 

誰も彼も忠蔵さんから何かをもらっていたのである。もちろんモノという意味ではなくて。

ひとつの生き方を、とでも言えるだろうか。

まるで '愛は惜しみなく' のように。

 

いつも周りの人の体調を心配しながら、

自分のことは頓着せず、

ただ豪快に飲んで、実に恬淡として小気味よく、逝った。

 

ただ・・・早すぎるよ。

もっと自分をいたわってほしかったよ。

(彼は 「わしも飲んどる」 とか言いながら、いやゼッタイ、スギナは飲んでなかったと思う)

 

でも、仕方がない。それが成清忠蔵なのだ。

 

みんな悔しいけど、成清と今日も飲んでいる、という感じで、つとめて明るく

「また飲もう。待ってろよ!」 と偲ぶ。

 

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左から、島源・島田静男さん、遠藤蒲鉾店・遠藤由美さん、札幌中一・橋本稔さん。

大地の水産物生産者を代表する元気印。右端は藤田会長。

 

「藤田さんの偲ぶ会は、盛大にやらんとなぁ」

「まあまあ、皆さんの弔辞は用意してますよ。どっちが先かな?」

 ...という会話だったかどうかは、知らない。

 

偲ぶ会を準備した実行委員会から、忠蔵さんの奥様、君代さんに感謝状が渡される。

渡すのは元消費者理事、佐々木洋子さん。

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最後に挨拶する、ご子息・忠さん。

今や押しも押されもせぬ成清海苔店・2代目である。

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   いまも親父はここにいて、皆さんと一緒に楽しく飲んでいます。

 

・・・グッときて、あとは覚えていない。 凛として、立派な跡取りだ。

次の時代を作ろうぜ。親父のためにも。

故人を偲びつつ、実はもう一度、僕らは自分の生き様を振り返り、励まされているのだ。

成清の友人として、恥ずかしくない生き方をしよう。

またいつか、この親父から

「おお、こっち来いって。いいから、ここで飲めって言うとるとよ」

と言ってもらえるために。

 

ただ心配なのが、あの世でセクハラ騒ぎを起こして追放されてないか、だ。

すべてが許される世界ならいいんだけどね。

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いつも大地を守る会の発展を願い、労を惜しまなかった成清忠蔵さん。

ありがとうございました。

 



2007年10月 6日

「野菜は文化」を語り続けた人-江澤正平

 

まさか2週続けて朝日・夕刊の「惜別」欄を紹介することになろうとは-

 

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(10月5日付朝日新聞・夕刊)

 

「野菜と文化のフォーラム」名誉理事長、江澤正平さん、95歳。

野菜の先生の先生、八百屋界のカリスマ、

私には'ゴッドファーザー'のような圧力すら感じさせられた、長老。

怖そうで、でも実に優しかった、

大正デモクラシーの匂いと明治人の気骨を持った人 (と好き勝手に評しています)。

 

9月14日、そのドンが逝った。

 

この方もまた私が思い出を語るのは 'おこがましい' のだが、

僕には僕の、語りたい思い出もあるのである。


まずは、1990年9月7日、

茨城県十王町(現日立市)で関東の生産者の集まりがあった。

そこで記念講演をお願いしたのが江澤正平さんだった。当時すでに78歳。

 

江澤さんは矍鑠(かくしゃく)と胸を張り、生産者を挑発、いや叱咤激励した。

 

   高度経済成長などで都市に人口が集中しだし、野菜の指定産地制度ができ、

   量の確保に走り出してから野菜が変わってきた。

   農薬や化学肥料が大量に使用されるようになり、外観だけで見るようになってしまった。

   おかげで農家は自分が食べるものと出荷するものが違うようになったが、

   それは農家のせいではない。

   '食べもの'ではなく、流通の都合に合わせた物品を作らざるを得ない状況の中で、

   本当の食べものを作っている皆さんの前でお話できることは光栄なことです。

 

   生産者から流通者、そして消費者への、野菜についての正しい情報の流れができていない。

   生産者はもっと品種の違いによるおいしい食べ方の違いなどについて

   伝えていかなければならないし、流通者は野菜に対する知識をもっと持たなければならない。

   消費者が外観で選ぶからといって見てくれだけで流通させるのではなく、

   もっと勉強して本当の価値を伝えなければならない。

 

   本当においしい品種がまだ各地に残っている。

   それは風土と調和している品種である。

   これを守っていくことは、まさに文化を守っていくことだ。

   農家がそれを守り、ただしい情報と一緒に消費者に伝えてゆき、

   消費者がしっかりした受け皿となることで農家も維持できる。

   そういう関係を作っていくという意味で、大地の役割に期待したい。

   安全でおいしい野菜は、そういった「関係性」で守られていくんだよ。

 

   食べもの全般に様々な薬が使われてきたが、

   その影響はこれから本格的に現れてくるだろう。

   環境問題も悪化する。 皆さんの役割はますます重要になる。

 

江澤さんの講演のあと、生産者が順番に壇上に立って発言されたが、

僕の記憶に残っているのは、つくばの中根通夫さん(故人)だ。

 

   野菜が文化なら、オレたちゃ文化人だぁ。

   農業は最高の仕事だよ!

 

翌日の解散の際、中根さんは握手してきて、

「いやぁ、いかったァ。 エビスダニくん!がんばるから」

 

僕にとって、生産者会議の意義に確信を持った会議の一つである。

もちろん私の力ではない。江澤正平のすごみが生産者に活力を与えたのだ。

 

江澤さんの信念は、その後、あちこちで形になっていく。

加賀野菜に○○の伝統野菜・・・地域の文化を語る野菜が世に出てくる。

すべて江澤DNAである。

 

西武系列の青果販売会社の社長を辞し、60代後半からの伝道人生。

頭を垂れるしかない。

 

そして1997年、僕が当時の広報室から大地物産青果事業本部に異動した時、

思わぬ電話がかかってきた。江澤さんからである。

 

「エビスダニ君が青果の方に来たってんで、何かお手伝いできることもあるかと思ってね」

 

元帥のような人からの電話に起立する二等兵、の図。

 

僕はこう見えても度胸はある方で(世間知らず、という意味)、

88年だったか、巨大な圧力団体・全国農協中央会(全中)の会長

と同席する羽目になったホテルの一室での会食でも、

順番に出される食事を一人パクパク食べて、

「せっかくの料理をそのまま下げさせる農協の親玉って何よ」って目をして、

ウチの藤田会長が恥をかいたと言われたバカである。

 

でも、江澤さんは怖かった。正直。

自分の弱さを見透かされるのが分かっていたのだ。

 

当時の大地物産・戸田センター(埼玉県戸田市)の厨房で、

野菜の食べ比べ会が行なわれるようになった。

江澤さんは謝礼も足代も断って、貧相な大地の厨房まで足を運んでくれた。

 

98年に僕が病気で入院した時には、突然見舞いに来てくれ、

「僕なんか何度切ったか。君もようやく一人前になれるね」 と笑って帰っていかれた。

江澤さんは、その時も癌を抱えていたはずだ。

 

寝てる場合じゃないと思った。

 

国立癌センターの公衆電話から電話をもらったこともある。

「僕はこれから手術だから、言っとくけど・・・」

あーせーこーせーと言われたはずなんだけど、その気力に圧倒されて、

実は何も憶えてない。

 

江澤さんは大地にとって、怖い親父そのものだった。

あの人に見られている、と思うだけで身が締まった。

江澤さんから与えられた命題は、今の とくたろうさん に受け継がれている。

大地の中では珍しく、しぶとくあっため続けて誕生した企画である。

 

これは5年前、大地の六本木分室で催した、卆寿記念の一枚。

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この日、江澤さんは青年のように言った。

「いま、マルクスの資本論を読み直してるんだけど、目が弱くなってね」

青果問屋に生まれ育った江澤青年が、実は戦前のリベラリストだったことを知る。

 

90で資本論かよ・・・

 

ちょうど半分しかない若造には返す言葉もない。「ほえー」と感心するのみ。

飽くなき学究の徒とは、こういう人のことだ。

 

僕はその夜の懇親会で、ようやく傍で話し込むことができた。

 

その後も、江澤先生を招いての野菜の食べ比べは断続的に続いた。

市川塩浜のセンターに来る時も、車で迎えに出ると言うのに、

「君ねぇ。僕には足があるんだよ」 と叱りながら、

「最近目が見えなくなってね。時々電信柱にぶつかるんだ」

-だから迎えに行くって言ってんじゃん! このくそじじぃ!

 

話が長くなってしまいましたね。すみません。

 

あの気骨、いつまでも 'もっと知りたい' いや '本当のことを知りたい' と学び続ける意欲。

粋な江戸っ子の気質を持ち、お洒落で、

しかも、これぞ真のデモクラット、と思わせる見識。

 

最近は奥さんに本を読んでもらって勉強していると聞いていた。

 

「惜別」 の記事によれば、

伴侶のチヨさんが7月に亡くなられ、後を追うように旅立った、とある。

 

ああ・・・出来の悪い教え子だったな。

 

亡くなられて1週間ほどを経て、

家族で葬儀を済ませたこと、生前のご厚情に感謝する旨の葉書が届いた。

江戸っ子・江澤正平、最後の指示だったか。

 

合掌。

 

<追記>

江澤さんと大地の出会いは、実は創業期にまで遡ります。

大地を守る会の機関誌『大地MAGAZINE』で、

藤田会長の追悼文が掲載される予定ですので、ぜひご一読下さい。

 



2007年7月12日

世界を変える社会起業家100人

 

昨日発売の週刊『Newsweek』(日本版)。

「世界を変える社会起業家100人」という特集が組まれている。

その100人に何と、大地を守る会会長・藤田和芳が選ばれた。

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貧しい人のために無担保の小口融資銀行をつくったことでノーベル平和賞を受賞した

バングラデシュのムハンマド・ユヌスさんや、

ハチミツ・ビジネスでアフリカ農民を支援するケニアのファルーク・ジワさんらと並んで

藤田さんが紹介されている。

お付き合いのあるところでは、「フェアトレード・カンパニー」のサフィア・ミニーさんのお顔もある。


ここで選ばれた基準-「社会起業家」とは。

環境問題や農業、途上国支援、貧困救済などの分野で社会貢献を目指しながら、

その活動を「ビジネス」として成立させることで持続可能性を獲得している起業家、

という感じで要約できるか。

しかもここで重要なのは、社会変革の牽引者として認められるか、ということのようだ。

 

藤田さんがメディアに登場するのはもう珍しいことではなくなったけど、

今回は、たかが6行での紹介とはいえ、「世界の100人」である。

えっ? そうなの? へぇ~、すごい!!! -これが社員の大方の反応みたいだ。

まるで他人事みたい。

仕方ないよね。イベントを派手にやることはあっても、

日常の仕事はかなり地味で、ストレスとのたたかいのような日々だからねぇ。

 

これは「時代の流れ」なのだ、きっと。

新しい、21世紀型の事業が形成されることを、社会が求めている。

 

それは利益こそ神のようなお金のための社会ではなく、一方で単純な理想主義でもない

人の暮らしとこの星の資源の限界性とがきちんと調和した社会を築き直す仕事。

そのためには、'できることから始める''経営の自立を優先する'という現実主義も時に採用される。

藤田さんが迷った時によく使う言葉が、「清濁併せ呑もう」だ。

"濁"を自覚することが、今日の覚悟を決め、明日へのステップを意識させる。

 

藤田さんが選ばれたのは、そういう意味で、僕ら社員にとっても誉れである。

事業の拡大(持続性)と社会運動の展開は、「大地」の車の両輪とよく言われるが、

その'意思'を持続させたのは、それなりの組織論があったからだと思っている。

 

たった6行でも(しかも設立年が違ってる。75年です)、素直に、嬉しい。

僕も大地に入ってまもなく四半世紀。よくやって来れたなぁ......実に感慨深い。

と同時に、25年前には想像できなかった'時代の変化'というものが、

今はそこそこ見えるような気がする。

 

大地は、人と地球に貢献する企業として全うしなければならない。

これは俺たちの義務だ。

この「期待」という重圧に、大地の一員として応えたい、と改めて思う。

 



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