大地を守る会: 2008年2月アーカイブ

2008年2月28日

「だいちのわ2008」

 

2月24日(日) 朝9時。

東京・大手町のサンケイプラザ4階ホールに、大地職員が集合する。

それぞれに前日の余韻をひきずりつつも、必要な緊張感は維持している、ようではある。

 

事務局・町田の進行で直前のミーティングが始まる。

大山事務局長、野田専務理事、藤田会長から諸注意・訓示含めた挨拶がある。

僕は自分の役割の流れをチェックしていて聞き漏らしてしまったが、おそらくは

「来場されたすべての方々に満足してもらえるよう、スタッフとしての自覚を忘れず、

 気を引き締めて、かつゆとりを持って、機敏に、楽しみながら、なおかつ気配りを忘れず、

 けっして生産者・消費者より先に食い物に飛びつかず、......」 というような感じで、

過去30回の歴史で積み重ねられた反省を元に、気合いが入れられたと推測する。

 

外は昨日に続いて強風である。 交通機関が乱れているようで、集客が心配になる。

早めに到着した生産者から、昨日の風が春一番だったと聞かされる。

昨日から新聞もニュースも見てないワタシ。 あちこちで被害があったみたい。

春を告げる風だが、実際は災害をもたらす風でもある。

職員情報によると、どこかの地区の会場では黄砂が飛んでくるのが見られたそうだ。

ほぉ~、うわぁ、今年も来たか......とか言いながら、皆で眺めたんかな。

はるばる中国大陸から飛んでくるのは砂だけでなく、花粉も細菌も汚染物質も運ばれてくる。

「空中は国際交流の舞台である」 (農業気象研究者の内嶋善兵衛さんの言葉)。

環境や自然というものには、国境なんてないからなぁ。

地べたでは国境を挟んで不健康なせめぎ合いが続いているけど・・・・

 

さてこちらは、生産-流通-消費の 「だいちの輪」 の交流の舞台。

いよいよ本番。

 


大地を守る会会長、藤田和芳の挨拶。

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ここでも僕は出たり入ったり、やってきた生産者を誘導したりで、細切れにしか聞いてないのだが、

昨年から止まることのない食品をめぐる事件などに触れながら、

意識ある生産者・消費者のお陰で発展してこれたことに感謝しつつ、

次なる大地の展開に向けての構想が表明された。

(詳細はいずれ正式に発表されるので省略)

 

続いて生産者10組による列島リレートーク。

廃校になった小学校を改造して、消費者が農業体験しながら宿泊できる施設をつくった

「どらごんふらい」 の布施芳秋さん (北海道富良野)。

独自の自然卵養鶏を営みながら地域で有機農業を広げる取り組みを展開する

濱田幸生さん (茨城県行方市)。

農業経営から暮らしまで、エネルギーの自給を目指す梅の湯浅直樹さん (群馬県榛名町)。

林業(山) や環境と調和したきのこ生産に挑む自然(じねん)耕房の佐藤英久さん (群馬県前橋市)。

南伊豆で伝統の鰹節製造を守るカネサさん。

 

国産と非遺伝子組み換えのナタネにこだわり続ける米澤製油さんからは、

オーストラリアのノンGMナタネでは、栽培農家と密な関係を築いてきている、との報告。

 こういうネットワークを広げていきたいものだ。

 

次の写真は、山形県東根市でさくらんぼを栽培する奥山博さん。

今日は後継者の博文君も一緒に壇上に上がって、立派な発言をした。

親父としては、嬉しい舞台となったことだろう。

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午後の環境セミナーで講師をお願いした宇根豊さんも登壇。

百姓に当たり前にあった感性や、農と自然の深き関わりから新しい未来を構想する

宇根ワールドの "さわり" を披露して、「よかったら午後、聞きに来てください。」

 

山形は庄内地方の農民たちで結成された 「庄内協同ファーム」 。

提携米運動で一緒になって、もう20年になった。

今回は結成メンバーの一人である斉藤健一さんと、後継者世代の富樫俊悦さんが二人で登場。

こちらも若手が育ってきている。

こうやって若い世代が増えてくるのは、何より嬉しい。

しかも彼らは、堂々と笑いを取ったりする。 度胸がいいと言うか、しなやかな感じなのだ。

斎藤さんは歴史を語ってくれた。

93年の米パニックの時。 注文が殺到して、5kg を 2kg袋に詰め替えて供給したことがあった。

あったね、そんなこと・・・ああ思い出してしまうよ。

  会員から怒りの声が上がった-「これまで大地の米を買ってきた人を優先すべきだ!」

  こんな手紙を書いた-「困っている人が目の前にいる。 みんなで分け合いたい。 受け入れて欲しい。」

・・・なんか泣けてきたよ、斎藤さん。 写真撮りも忘れて感慨に耽ってしまった。

(実行委員の方へ -スクリーンに写した写真が違ってましたね。 斎藤さん、失礼しました。)

 

次の写真は、宮城県大崎市で冬水田んぼ(冬にも田んぼに水を張る)に取り組む、

「蕪栗米生産組合」 の千葉孝志さん。

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地元の蕪栗沼と周囲の田んぼ一帯が、

渡り鳥にとって貴重な休息地・餌場としてラムサール条約 に登録された。

世界で初めて、田んぼ自体が大切な湿地帯として認められたのだ。

晩秋の頃から冬にかけて、何十万羽ものガンやハクチョウがここに体を休め、餌をとって過ごす。

ラムサールに登録されたからといって、千葉さんの取り組みや生活が変わるわけではない。

彼は仲間たちと、さらに前に進もうとしている。

 

風で心配されたが、気がつけば会場は満杯である。

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ここで午前の部、終了。

弁当もそこそこに、午後の展示準備に入る。

 

ホールの設営を一気につくりかえて、「だいちショールーム」 の開店。

我が専門委員会 「米プロジェクト21」(略称:米プロ) のコーナー。 

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米プロの活動紹介、種蒔人基金のPRなど。

今年も一番人気は、「バケ田んセット」 である。 家庭でイネを育ててみようというもの。

種モミ (秋田・花咲農園の戸澤さんから頂いた無消毒のアキタコマチの種モミ) と

作り方を書いた紙を配る。

加えてここでのオリジナルは、水槽を使ってメダカや野菜も一緒に育ててみようという、

家庭でできる 「水田ビオトープ」 だ。 メンバーの陶武利さん作の見本ジオラマが好評。

子どもたちは、必ずメダカの前で立ち止まる。 子どもは本当に生きものが好きだ。

この意味は深く捉える必要があるね。

 

ホールの真ん中は、子どもたちの遊び場になっている。 

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他の専門委員会や別なコーナーも紹介すべきところなのだが、まったく見ることができない。

米プロのブースも他のスタッフにお願いして、

並行して行なわれている 「身近な環境セミナー」 の部屋に向かう。

二人の講座の司会をすることになっている。

 

また長くなってしまった。 でもいっぱい伝えたくてしょうがないのです。 

ということで、続く、になります。

 



2008年2月27日

「だいち交流会」 -横浜中区会場での話

 

二日間にわたる 「大地を守る東京集会」 が無事終了した。

終わった後も、残ってくれた生産者・消費者・事務局入り乱れて、二次会、三次会と、

議論あり、唄ありで飲み明かし、宙に浮いたような体で出勤すれば、

" せっかく東京に出てきたわけだし " ということで事務所に顔を出してくれる生産者がいる。

月曜日も商談やら農業談義やら...

夕方にはサンケイプラザに忘れ物を取りに行って、この日は終了 - 爆酔、じゃなくて爆睡。

(最近のワープロ漢字変換は油断ならない。 なぜ酔と出る? ご主人のことは分かってるとばかりに...)

そんなわけで例によって、

溜まった宿題を焦るものから順番にやっつけている今日 (27日) である。

 

さて、この怒涛の二日間をどう伝えようか、思案するもまだ頭の中が定まらない。

そういう時はオーソドックスに、時間を辿りながらいってみましょうか。

 

まずは一日目 (2/23)。12地区に分かれての 「だいち交流会」。

実行委員会から割り振られた横浜中区会場に行く。

場所は中華街や横浜スタジアムのあるJR関内駅前の「横浜酒販会館」ホール。

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午後1時半開会。

10に分かれたテーブルには、「ビール席」 とか 「ガス灯席」 とか

横浜にちなんだ名前がつけられていて、それぞれに分かれて座った生産者が順次紹介される。

大御所、重鎮が来ている。

北海道江別市の金井正さん。 じゃが芋・かぼちゃ・小豆などの生産者だ。

 

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「大地とのお付き合いは、そうですねぇ、 もう34年になりましょうか」......って、

大地発足年 (75年) からってことですね。 脱帽。

 

私の席は 「マッチ席」。

1875年、平沼に工場が建設され、汽車印のマッチが製造されたのだとか。

「アイスクリーム」 に 「カフェ」、「石鹸」、「鉄道」、「波止場」、「人力車」、「西洋野菜」 と、

ヨコハマのハイカラな歴史が偲ばれる。

 

生産者紹介のあと、「小さな勉強会」 と称して、二つのテーマで勉強会。

ひとつは原発。

大地を守る会の専門委員会 「原発とめよう会」 の事務局・斉藤聡が原発の問題点を語る。

次が私に課せられた課題 -「抗生物質と耐性菌の話」 。

なんでこういう場で抗生物質 (Vs. 耐性菌) なの ?

そうですね。 けっして楽しい話にはならないし・・。 でも受けちゃったんです。 

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実はこういう話。

抗生物質というのは、微生物から作られた、他の微生物の増殖や発育を抑制する物質の総称で、

有名なのが1929年に最初に発見された 「ペニシリン」。

戦後になってたくさんの抗生物質が生まれ、そして

今では農薬や家畜・養殖の飼料などに普通に使われるようになってしまった (ご存知でしたか?)。

その総量は年間2000トンを超える。

病院や外来処方で人間の病気治療に使われるのは、実はそのうちの500トンでしかない。

抗生物質は特定の細菌に対して毒性を示す。 人体そのものへのリスクは少ない。

しかし時間とともに 「耐性菌」 が発現して、その抗生物質が効かなくなる。

当然、濫用すればその時間は短くなる。

医療現場では、「ペニシリン」 → 耐性の出現 → 「メチシリン」 →

耐性 (メチシリン耐性黄色ブドウ球菌:MRSA) の出現、ときて、その院内感染が問題となった。

そしてMRSAに効果のある、究極の抗生物質と言われた 「バイコマイシン」 が作られたが、

すでにバイコマイシン耐性ブドウ球菌が出現している。

すなわち抗生物質と耐性菌は、こんなふうに " いたちごっこ " しながら、

生命・生態系の必然として 「進化」 しているのだと言える。

この 「進化」 によって種の多様性が確保され、

どんな天変地異や恐怖の伝染病が発生しようが生命が維持されてきたと考えれば、

耐性菌の出現は恐れることではない。 いや、恐れても仕方がない、と言うべきか。

私たちはこの星の生命体として、否も応もなく微生物と一緒に生きている。

 

とりあえず私たち (今を生きているヒト) にとっての問題は、いざ感染症が拡散した際に、

抗生物質が効かない (効く抗生物質がない) 事態が想定されることである。

したがって、抗生物質とは 「必要な時だけ利用する」 (耐性の出現を遅らせる)

のが賢明な付き合い方、ということになる。

 

しかし日本では、農業・畜産・水産の現場で野放図に使われ過ぎているために、

自然界で耐性菌の出現が起きている。 しかも相当な範囲とスピードで。

すでに沖縄のヤンバルクイナから抗生物質の耐性菌が確認されている。

北海道のアライグマからも、河川の細菌からも・・・・・

米国の医学教科書には、こういう記述があるそうだ。

「新しい抗生物質ができても、日本では数ヶ月で耐性菌が出現する」

 

耐性の出現は抗生物質に限らず、あらゆる薬剤に言えることである。

家庭用殺虫剤 (Vs.チャバネゴキブリ) から遺伝子組み換え作物まで-

いたちごっこのスピードが速まれば速まるほど、我々にとってのリスクも高まる。

 

そこで私たちが唱える  " 有機農業の推進 "  とは-

その食品の安全性にとどまらず、生態系の安定 (多様性の保持) や環境との調和を通じて、

生命の健康を守ることだと考える。

生態系の安定は、たとえオーガニックであろうが、輸入品では賄えない。

だからこそ  " 基本は国産でいこう "  というのが大地の考え。

有機農業もまた、微生物と共存・共栄する考え方・技術として 「進化」 しつつある。

 

国産の原料にこだわってくれる畜産も存在する。

それらの受け皿となってくれる加工者もいてくれる。

これらのつながり (輪) を支えているのが、まぎれもない  "消費の力" 。

でもけっして特別な人たちでやってきたわけではない。

だいたいがごくフツーのオジサン・オバサンたち。

今日はそんな人たちが集まって、その輪が見える日。

どうぞ、とくとご覧になって、大いに交流してほしい。

 

とまあ、何とかこのテーマを依頼された実行委員の要望には応えられたか、

と思ってはいるのだけど、本当はどうだったか......

その辺は本人には分からない。

 

勉強会のあとはテーブルごとに歓談。

「有機農業はとにかく草取り」 と生産現場での苦労話 (さんぶ野菜ネットワークの斉藤勝男さん) や、

畜産での餌の話 (中津ミートの太田雄大さん) が出る。

特にノンGM飼料が確保できなくなってきていること。 どうやって安全な循環をつくるか。 

「コンビニの食品残さを醗酵させて餌にするのも考えたりするが、添加物が心配だし・・・」

などなど~

「すこしくらい高くても安全なものを、と思って買っている。 頑張ってください」

こんなありがたい消費者の声は、想像以上に生産者に響いていることは、

この場を借りてお伝えしておきたい。

 

《もうちょっと東京集会のトピックで続けます。》

 



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