大地を守る会: 2011年3月アーカイブ

2011年3月23日

被災生産者への復興支援義援金受付を開始します。

 

大地を守る会の消費者会員の方々には、

昨日(22日:火曜日) から配布の 「ほっとでぇた号外」 にて、

義援金の募集を開始しましたが (いつもの注文書で申し込めます)、

生産者や関係者の方々からも多数のお申し出を受けており、

急ぎ専用口座を開設いたしましたので、ご案内申し上げます。

 

お申込みいただいた義援金は、大地を守る会の被災生産者の復興支援等に

活用させていただきます。

義援金の額・使途につきましては、機関誌 『NEWS 大地を守る』 や

ホームページ等を通じて報告させていただきます。

振込指定口座は、以下の通りです。

 

三井住友銀行 六本木支店

普通口座: 7464419 

口座名義: 大地を守る震災復興支援基金
       (ダイチオマモルシンサイフッコウシエンキキン)

 

上記の口座は、別途生産者の方々にお送りした

「福島第一原発の事故に対する大地を守る会の取り組みについて」

にてご案内した口座 (千葉興業銀行) とは異なりますが、

どちらをご利用いただいてもかまいません。

ここでは名義の文字数が少ない方を記載しました。

それでも ATM などでは口座名義の全文字が表示されない場合がございます。

あらかじめご了承ください。

また、大地を守る会では電話・メールによる義援金の勧誘は行なっておりませんので、

十分ご注意ください。

 

また、大地を守る会のホームページでは、

「大地を守る会の震災復興支援活動について」

のコーナーを新設しました。

義援金だけでなく、物資での救援活動や生産者の受け入れ活動など、

各種の支援活動の取り組み状況が逐次アップされますので、

どうぞご確認ください。 

 

とても苦しく、悲しい事態が続いていますが、

前を向き、気持ちを奮い立たせて復興に進み始めた方々の姿には、

私たちも勇気づけられています。 

気持ちを一つにして、大きな力で支援したいと考えます。

一人でも多くの方のご支援ご協力をお願いする次第であります。

 



2011年3月 8日

異常気象で生産者が消えていく・・・

 

東京集会のレポートは2回でいいかと思っていたが、

そろそろ整理しようと思って手に取った記録メモを見直してみて、

やっぱ生産者が語った大事な話だけでも残しておきたいと、改めて思うのである。 

実行委員会から写真もゲットしたし。

 

お祭りのように賑やかで楽しい交流集会のなかで、

唯一といってもいい、重苦しい話題でのステージ30分一本勝負。

" 生産者が語る 「異常気象レポート」 " 。

 

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私へのイメージが暗いものに固まるのがこわくて、

スタッフ・エプロンを羽織ってもみたのだが、ぜんぜん似合ってないじゃんよ。

写真も暗いしィ 。。。

解説もこんな感じで・・・

 

「異常気象」 という言葉には、もう聞き飽きた感も持たれることかと思うが、

この言葉にも定義があって、

けっして不安を煽るために都合よく使われているわけではない。

気象庁によれば、それは

「統計的に、30年に1回以下の出現率で発生した気象現象」

ということになっている。

この言葉がひんぱんに登場するほどに、

気候変動は日増しに激しくなってきていることを意味している。

 

例えば昨年夏の高温・猛暑は、気象庁が統計を取り始めた1898年からの、

過去112年間での最高記録である。 

つまり100年に一回かどうかも分からない記録というわけだ。

世界全体で見ても、統計上2番目の高さだった。

しかもベスト5はこの10年ちょっとの間に集中している。

 

冬になれば、日本海側ではこれまた記録的な豪雪となった。

日本の観測地点37ヶ所で最大積雪記録が更新されたのが、この冬である。

「集中豪雪」 なる言葉まで生まれた年として残ることになる。

背景として指摘される 「ラニーニャ現象」 は、

世界気象機関 (WMO) が 「100年の中でも最強クラス」 と呼んだほどだ。

 

そして自然災害の規模は、年々大きくなっている。

 


2月24日の日記で示した2010年の世界の異常気象MAP (気象庁データ)

を見てもお分かりのように、世界のあちこちで異常気象が観測され、

それらが相互に関連し合い、かつ至る所で災害をもたらしている。

しかも今後の気候変動はより不確実性を高め、激変する可能性を帯びてきている。

温暖化とは年々少しずつ気温が上がるということでなく、

乱高下の変動幅がどんどん激しくなることだと理解しなければならない。

 

IPCC(気候変動に関する政府間パネル) 第4次報告によれば、

20世紀後半の気温上昇・温暖化は、もはや自然要因だけでは説明できない。

明らかに人為的な要因が加わっている、と指摘されている。

気候変動がもたらす社会的影響は、

時限爆弾ともいえる人為的ウィルスを抱えながら進んでいると言える。

 

同時に地球規模で進んでいるのが、

人口の増加と耕作面積の減少 (地力の短期的収奪・砂漠化も含めて)

という自己破滅的な動向の加速化である。

温暖化は水収支も悪化させていて、世界は水資源の奪い合いを激しくさせている。

前世紀の経済発展のエンジンとなった石油は供給力ピークを越えた。

投機マネーはいよいよ穀物市場を荒らし始め、

外国の耕地を買い漁る 「ランド・ラッシュ」 という言葉まで生まれた。

買われた土地の下には水脈がある。

 

昨年から今年にかけては、

ソ連やオーストラリアの干ばつによる不作や輸出禁止政策が穀物の高騰を誘引し、

それがアラブ諸国や北アフリカの政情にも影響を与えている。

世界は前代未聞の資源戦争の世紀に突入した。

 

かたや日本では、山 (=水源) は荒れて外国資本に買われはじめ、

耕作放棄地は平地にまで及び、

持続性がどこにあるのかよく分からない輸出市場に期待をかけて

関税撤廃 (これは農産物だけの話ではない) に乗せられようとしている。

基盤が脆弱化しつつあるなかで、防壁のない戦を始めようとしている気がするのは

僕だけだろうか。

 

そんな状況を背景に、昨年各地から届いた写真を見ていただく。

例えばこんな写真。 

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これは茨城県筑西(ちくせい) 市、大和田忠さんの人参畑。

7月中旬~8月いっぱい、ほとんど雨が降らない大干ばつに見舞われた。

7月下旬に播種(はしゅ) した人参が発芽したのは9月になってから。

灌水設備がない畑のため、大和田さんは、タンクで水を汲んできては撒く、

汲んできては撒く、を繰り返したが、10月の冷え込みもあって、

この畑の人参はついに大きくならなかった。

 

東北地方を襲った 虫の異常発生と北上 は以前にもレポートした通りである。

奇形果が大量に出たトマト、日焼けで白くなった柑橘・・・

農業歴ウン十年の生産者でも、これまで経験したことがないという

現象があちこちで発生した。

 

発言をお願いした北海道中富良野町、「どらごんふらい」 のメンバー、

石山耕太さんが解説してくれた人参畑。

 

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8月の断続的ゲリラ豪雨によって畑は水浸しになり、根の先端から腐っていった。

玉ねぎ畑は先日の日記で見てもらった通りである。

 

それでも石山さんは、しっかりと前を向いて語ってくれたのだ。

 

我々にできることは何か?

異常気象が当たり前という前提で、高温、低温、多雨、少雨を問わずに対応可能な

心と、体と、手段を持ちたい。 

簡単にあきらめないこと。

あきらめざるを得ない時は、すばやく次の戦略を練ること。 

そして、作物の生命力を信じたい。

 

夏の次は冬。

日本有数の漁港、鳥取県境港で漁船を持つ(株)福栄専務取締役、岩田健二郎さん。

大地を守る会には、イカやカニ製品を出していただいている。

 

昨年末から正月にかけての記録的集中豪雪で、

たくさんの小型漁船がやられた。

 

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小型漁船の主は、60歳以上の方が多い。

船舶の保険料は高く、こういうことがあると、「もうやめるわ」 という人が現われる。

災害のたびに漁業者がいなくなっていくのだという。

 

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突発的な災害だけでなく、温暖化は海水温の変化ももたらしていて、

岩田さんは魚種が減っていることも不安であると語る。

境港は多様な魚が揚がる、つまり海の豊かさを誇っていたものだが、

魚種が減るということは、確実に漁業資源の枯渇にもつながってゆく。

そこに災害が襲うと・・・ 一次産業者には耐える力も衰えてきているのです。

国に何とかしてほしいと思ったりもするんですが・・・ 

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先日、世界銀行の総裁が、

「世界の食料価格は、極めて危険な水準まで上昇している」 と警告を発した。

私たちは、これからさらにひんぱんに異常気象を経験することになる。

食料の奪い合い、資源争奪戦が激しくなる中で、

自由市場に出れば出るほど、

食べものが一部の人たちの力で左右されるリスクが増すことになる。 

 

ここ2ヶ月ほどの新聞を見ても、かなりヤバイ記事が増えている。

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食糧危機は、来るべき不安ではなく、現在進行中の事態なのである。

僕らはすでに

ゆで蛙 (だんだんと温度が上がっていく中で、知らずに茹で上がってゆく)

と同じ状態に陥ってないだろうか。

世界中で格差が拡大していっているのは、無関係ではない。

 

私たちは、食べものと水を永続的に供給し続けてくれるこの豊かな国土を

しっかりと守る必要がある。

食と健康と、それを支える環境(=暮らしの土台) を守ることによって、未来は安定する。

できることなら、地球資源をもっとも調和的に維持させているモデル国として

イニシアチブを取るくらいの国になりたい、とすら思う。

 

そのために私たちが日々取るべき行動とは、究極のところ、

誰とつながり、何を食べるのか、食も水もお金も含めた資源をどんな循環でまわすのか、

という点に集約されていくのではないだろうか。

頑張って作り、食べる。 その輪を強化したい。

その輪に選ばれる組織でありたい。

けっして嘘をつくことなく。

 

私たちの交流は前に進んだか。

 



2011年3月 5日

「食の記憶」 が伝える豊かさ ~ だいち交流会 から

 

大地を守る東京集会の1日目、

2月26日(土) に開かれた 「だいち交流会」 の模様もアップしておきたい。 

この日は首都圏13の会場に分散して生産者と消費者の交流が行なわれ、

僕は墨田区・錦糸町の会場に参加した。

こちらの会場を準備してくれたのは、会員が主体となって運営する 「だいちサークル」

のひとつ、Fuwatto の方々である。

 

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こちらで設定されたテーマは、

「日本縦断? 地域の食べ方み~つけた。」

 昔ながらの食べもの、各地の郷土料理、我が家自慢のおススメ料理、

 私だけの 〇〇 な組み合わせ、つくる人特権の味、

 今日はどんなメニューが並ぶかな。

 さあ、みんなで 「食の旅」 に出かけよう。 オー!

 

-というわけで、参加者は少人数で各テーブルを囲み、

与えられたテーマ (お題) に沿って思い描いた答えを紙に記入し、発表する。

お題は3つで、変わるたびにメンバーが入れ替わりながら、進められる。

 

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最初のテーマは 「我が家のおススメ料理、各地域のふるさとの味」。

ふたつめは 「大至急!3分でごはん。あなたならどうする !? 」。

みっつめは 「忘れられない味」。

みんな悩んだり、照れたりしながらも、面白がって書いている。

 

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自分の書いた食材を発表するうちに、雰囲気が自然と和んでくる。

しかも出てきた答えは、見事にそれそれの地域の食文化を反映している。

消費者の場合は、ふるさとの味、である。

「ああ、なるほど」 から 「なにそれ?」 まで。

 


いま思えば、ちゃんとメモしておけばよかったと後悔するほど、

なかなかにその人の素性というかDNAを、見事に表現していたような気がする。

 

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「ふるさとの味」 は、特定の食材であったり、郷土料理だったり、母の秘伝の味だったり。 

「3分でごはん」 では、おにぎりにも微妙な味つけや具材に違いが見える。

納豆が随所に登場するかと思えば、

たとえば僕のように、「忘れられない味」 は、四国から上京して初めて食べた納豆である。

関東の人間は腐ったもん食っとる・・・・・あの驚愕の体験。

連合軍捕虜にゴボウを食べさせた廉(かど) で戦犯に処せられた話など

比ではないと思ったくらいだ。

しかしこの糸を引く怪しい食べものは、腐敗ではなく 「醗酵」 なのだという。

ニッポンは広い! ワシはまだな~んも知らんのんちゃうか、という衝撃。

龍馬もきっと同じ体験をして、世界に目を開いたのだと、僕は今でも秘かに信じている。

 

ま、そんな個人的な体験はどうでもいいとして、

「食」 とは、かくも人間を表現する。 ただ生きるために必要なものだが、

それだけに互いを知る上での格好のコミュニケーション素材なのかもしれないし、

であるからこそ 「食」 は人をつなげるのだろう。

ブリア・サヴァランの 『美味礼賛』 だったっけ。

 - あなたが何を食べているのかを言ってみたまえ。 あなたが何者かを言ってみよう。

記憶が曖昧で、スミマセン。

 

「生産者」 と 「消費者」 という枠組みに捉われず、

テーブルを回りながら、キーワードに沿って自己紹介し、

私の 「食風景」 を語り合い、相手を理解する。

初めて会った水産関係の生産者を、「〇〇丼の人」 として記憶に留めたりして。

こういうのもあり、か。 自分にまとわりついている固定観念を少し反省する。

 

会の最後に、「頑固な野良の会」(茨城) の阿部豊さんに、歌で締めてもらう。

 

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大企業勤めを捨て、有機農業の世界に飛び込んでもう20年以上になったね。

農作業のなかで作ったのであろうオリジナル曲に加えて、

サッチモ(ルイ・アームストロング) の 「WHAT  A  WONDERFUL  WORLD」

を自分流に訳したという一曲を披露してくれた。 

 

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もっと時間がほしかった、とみんな思ったことでしょう。

アットホームな、素敵な交流会でした。

Fuwatto の皆さんに感謝、です。

 

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他でも12ヵ所で、

それぞれに趣向を凝らした楽しい交流が繰り広げられたことと思う。

あとは楽しく飲む、も欠かさずに。

 

この地区別交流会も始めて28年。

気がつけば、当時生まれた世代が仕切るまでになっている。

伝統というのは継続のなかで育まれながら、

かつ静かに変化もしているのだった。

 



2011年3月 2日

2011年の 「大地を守る東京集会」, 無事終了

 

" 大地を守る会の オーガニック フェスタ " 

 - 時代遅れのワタシには少々照れくさいようなタイトルを冠した

「大地を守る東京集会」 が無事終了した。

 

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来場者、約 3,500名。 

事故や目だったトラブルもなく、いい交流の一日をつくれたのではないかと思う。

出展いただいた生産者・メーカーの方々に、まずは感謝です。

また、至らない点も多々あったはずのところを

大らかに受け止めながら楽しんでくれた会員の方々と来場者すべての方に、

心から御礼申し上げます。

 

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そして実行委員の方々、お疲れ様でした。

 

1978年2月に 「地球は泣いている 東京集会」 を開催してから、

毎年欠かさず続けてきたこのイベントも、もう34回を数えるまでになった。

思い返せば、僕が二日間にわたる総合司会をやらされたのは、

入社して2年目の84年のことだった。

以来、だいたい司会は生意気そうな若手が指名されるようになった。

翌85年から職員と消費者による実行委員形式でやろうということになって、

僕は実行委員に手を挙げて、

二日間のうちの一日を地区に分かれて交流する企画が実現した。

それやこれらは、いまや大地を守る会の伝統と言われるまでになった。

僕にとっての東京集会自慢はそこまで遡る。

 

そして年々規模が大きくなるに連れ、

実行委員会の負担は当時とは比べものにならなくなったけど、

こういった積み重ねがあって伝統も進化したきたわけだ。 

もちろん実行委員に限らず、スタッフ・出展者全員の力であることは言うまでもない。

それぞれにとっての 「私の自慢の東京集会」 が、また新しく生まれていく、

それこそが嬉しい。

 

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企画は盛りだくさんにあったのだけど、自分の受け持ちもあって、

回れた部分だけでも、盛況ぶりを紹介したい。

写真だけで流します。

雰囲気が少しでも伝われば幸いであります。 

 

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みんな一生懸命生きている。

その生を謳歌しながら、楽しくつながりたい。 

この仕事は、そのためにこそあるんだよね。

 

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未来を生きる子供たちへの責任を果たしたい、と強く思う。

 

失敗はしても、嘘はつかない。

そんな関係を築きたくて続けてきた  " 顔の見える関係 "  づくりだけど、

会長が壇上からお詫びせざるを得ない事態があったこともあって、

盛会であっただけに深く責任の重さを考え直す、

記憶に残さなければならない東京集会となった。

まだまだ、だね。

 



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