大地を守る会: 2012年11月アーカイブ

2012年11月23日

「希望」 を捨てないこと

 

「藤本敏夫没10年を語る」 第2部は、立食パーティ。

 

故人を偲ぶ場でもあるかと思うんですが、いいのでしょうか。

「いいのよ、希望を語る場なんだから。 やっちゃいましょう」

と登紀子さんのひと声で、「鏡開き」 での2部開演となる。

お酒は新潟・JA津南町から届いた樽酒 「霧の搭」 。

 

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藤本さんの戦友、『インサイダー』編集長・高野孟さんによる乾杯があって、

しばしご歓談タイムに。

古い仲間と、あるいは昔のライバルと、交流を楽しんでいただければ-

でもくれぐれも内ゲバは無しでお願いしますよ。

内ゲバは藤本さんが強く戒めた行為です。

 


今や各界で重鎮となった方々のリレートークが始まる。

 

本会実行委員を引き受けていただいた青果物流通研究会幹事長、

松源商事(株)代表取締役、鹿間茂 様。

 

島根から、(有)木次乳業相談役、佐藤忠吉 様。 

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「だいたいの病気は経験したからねえ、体はボロボロ」

と言いながら、90歳にして矍鑠(かくしゃく) たる振る舞いは脱帽するしかない。

 

全国産直リーダー協議会事務局長、千葉・さんぶ野菜ネットワーク常勤理事、

下山久信 様。

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「藤本さんから託された言葉を、私は忘れてません。」

有機農業の発展に尽くす覚悟であります、、、とそんな挨拶だったような。

 

伊藤忠食品(株)相談役、尾崎弘 様。

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藤本さんの遺影に向かって語りかける。

 

(株)きわむ元気塾社長、元・(株)すかいらーく代表取締役、横川竟(きわむ) 様。

あづま食品(株)会長、黒崎信也 様。

「種まき大作戦」世話人、鴨川T&T研究所長、田中正治 様。 

生活クラブ風の村理事長、池田徹 様。

 

その後も何人もの方が登壇しては、藤本敏夫を語るのだった。

藤本さんの交友の広さを、改めて思い知らされる。

 

残り30分となり、

歌手となった次女・Yae ちゃんに挨拶と歌をお願いする。 

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Yae ちゃんはますますお父さんに似てきたように思う。

二児の母になって、もう 「ちゃん」 で呼ぶ年齢ではないね、ごめん。

Yae さんが歌った

日本ユニセフ協会メッセージ・ムービー 「ハッピーバースディ 3.11」 のテーマソング、

名も知らぬ花のように」 は、ぜひ聞いて欲しい。

 

トリはもちろん、加藤登紀子さんしかいない。

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参加者にお礼を言いながら、

目の前にたしかな道が開かれていることを、

藤本さんが示した 「希望」 の道があることを、語った。

どんな辛い時でも希望を捨ててはいけない、が彼の口癖だった・・・

 

藤本敏夫が果たせなかった、農の革命、農による革命の姿が、

お登紀さんには見えているかのようだ。。。

 

エンディングでお登紀さんが提案。

「藤本が好きだった知床旅情を、みんなで合唱したい。」

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この曲が好きだった男を、僕はもう一人、知っている。

同僚だった彼との 「お別れ会」 でも歌った。

あれ以来、封印していたのに・・・ だめだ、泣きそうになる。

 

名残り惜しく、解散。

 

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参加された皆様が、それぞれに 「希望」 を感じ取っていただけたなら

本望であります。 

 

裏方はともかく、表向きは何とか回ったので、安堵する。

会計の締めなど面倒な残務が残っているが、

最低限の責任は果たせたかなと思う。

手伝ってくれたスタッフの皆様、この場を借りて御礼申し上げます。

 

おまけの一枚をアップしておこうかな。

誤解を恐れず・・・

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新右翼団体 「一水会」 会長、鈴木邦男氏と。

初めて生でお会いした 「鈴木邦男」 は、穏やかで、やさしいオジ様ふうだった。

藤本さんは政治信条や思想を超えて愛される方だったけど、

はたしてこの方とはどんな論争をやったのだろうか。

深く気になるところだ。

 

今や  " あいつは左翼に転向したか "  とか揶揄されたりしている鈴木さんだが、

右とか左とかの単純な色分けで語る時代は、とっくに終わっている、

と僕は思うのである。

 したがって、「赤から緑へ」 というのも違和感がある。

赤であろうが白であろうが、あるいは黒であろうが、

足元には緑がなければならない。

 

藤本さんが好きだった、

裕次郎最後の歌 (加藤登紀子作曲) の一節にある。

 

  右だろうが 左だろうが 我が人生に悔いはない (「我が人生に悔いなし」)

 

カラオケで歌って悦に入ってる場合ではないんだよね。

 

( 注:本レポートに使用した写真は、前回も含め、すべて弊社・宇都宮義輝撮影。)

 



2012年11月22日

「藤本敏夫」 後の10年を語る

 

大地を守る会初代会長、元 「鴨川自然王国」 代表理事、

藤本敏夫さんが亡くなられて10年が経った。

亡くなる前に、当時の武部勤農林水産大臣に宛て、

次代の食と農を再建する道筋を説いた 「建白書」 を提出し、

若者たちに向かっては 「農に帰ろう」 と呼びかけた。

「青年帰農」 は藤本さんの遺した最後のメッセージだ。

 

11月17日(土)、この10年の時を見つめ直す集い。

藤本敏夫没後10年を語る ~ " 土と平和の祭典 "  の前夜に~」。

 

場所は、学生運動に青年の血潮を燃やされた 「いちご白書」世代には

実に懐かしいことであろう、日比谷松本楼。

それらしい世代のひと癖ありそうなおじさんたちが続々と集まってくる。

なかに混じるように、藤本さんの影響を受けた我々世代や若者たちの姿がある。

これはけっして同窓会ではない。

この10年の流れを読み解き、未来への希望を確認するために、

僕らは集まったのだ。

 

妻の加藤登紀子さんが持参した写真が飾られた。

いい顔してる。 藤本さんはホントにカッコよかった。

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" 獄中の男と結婚!"  という、

芸能界では今もって例を見ない伝説のスキャンダルから始まり、

幾度かの離婚の危機を乗り越え (僕が知っているのは1度だけだけど)、

鴨川自然王国設立の時には  " 円満別居 "  なる新語が生まれた。

危うい関係のようでいて、僕らには分からない  " 絆 "  が二人をつないでいた。

 

定員180名の部屋にぎゅうぎゅうと詰め込む。

文句や不満は言わせず詰め込む。

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17:00、第一部の開会。

実行委員長・藤田和芳 ((株)大地を守る会代表取締役) の挨拶。 

 

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  いま世の中は大変な混乱のなかにある。

  もし藤本さんが生きていて、この状況を目の当たりにしたら、

  いったい何と言うだろう。 そしてどんな行動に出るだろう。。。

 

藤田のこの言葉が、今日の基調になったようだ。

 

司会をお願いしたのは、フリー・アナウンサーの山川健夫(ゆきお) さん。

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元フジテレビのアナウンサーだが、

いただいたプロフィールに、すでに気合いが入っている。

「 1970年、朝の情報番組内での 「ベトナム反戦通信」 がもとで番組を降ろされた挙句、

 その後の社内闘争でアナウンサー生命まで失う。  もっとも

 今も番組に出ていられたとしても、「反原発通信」 で間違いなく降ろされていただろう。

 1985年退社後、東京を離れ、房総の里山で 「農的暮らし」 を実践。

 しかし昨年の3.11後、放射能によって快適な循環的暮らしを断たれた。

 「いのち」 を無視した人間社会の在り方を根こそぎ変えたい。」

 

 明治大学 「野生の科学研究所」 所長・中沢新一氏による記念講演。

タイトルは、

「今こそ農業の時代 ~藤本敏夫から託された未来~」。

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開催近くなって、ご本人は 「赤から緑へ」 という表題を希望してきたのだが、

もう案内チラシにも書いちゃったんで、とやんわりお断りした。

もしかしてご機嫌ななめかと心配していたが、冒頭からその話で切り出された。

「 『赤から緑へ』 のタイトルでやりたいとお願いしたんだが、

 どうもみんなから不評を買ったようで・・・」

すみません。

 

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中沢さんは、大きな歴史的文脈のなかで

藤本敏夫という人物を捉え直されていたようだったが、

この会の事務局責任者としては、話は聞こえていても頭に入らない。

裏方はけっこうドタバタで、

あの人が来ない、あれがない、3階(第2会場) に中継がつながらない、、、

とかなんとか、いろんな調整と判断で焦ったり混乱したりしていたのだった。

覚えているのは、こんなくだり。

「 藤本さんはただ有機農業の必要性や意義を語っていただけでなく、

 文明の流れを読み、描き、しっかりした歴史観を持って、語り、行動された。

 ただ、ちょっとだけ早過ぎた。。。」

 

講演に続いて、登紀子さん司会によるトークセッション。 

「 『青年帰農』 から始まった10年 若者たちの新しい生き方 」  

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パネラーは、まず

農山漁村文化協会・編集局次長で季刊 「地域」 編集長、甲斐良治さん。

2002年、増刊 「現代農業」 の編集長時代に 『青年帰農』 特集号を組み、

病院で藤本さんのインタビューを行なった。 それが藤本さん最後の言葉となった。

次に、山形・米沢郷牧場代表の伊藤幸蔵さん。

1999年、藤本さんの呼びかけで結成された

「持続農業推進 青年農業者連盟」 の代表も務めている。

 

「茨城自然小国」 の斎藤博嗣さん。 脱サラを考えていた時に

『青年帰農』 特集号に出会い、鴨川自然王国を訪ね、茨城で就農した。

そして、現在の鴨川自然王国代表である藤本博正さん。

経過は斎藤博嗣さんと同様だが、こちらは自然王国のスタッフとなって畑を耕し、

藤本さんの次女・ 八重ちゃんと結婚した。

藤本さんが亡くなって自然王国をどうしようかという話になった時、

「私が受け継ぐ」 と宣言したのが八重ちゃんだ。 

その後の運営に、博正さんの存在が大きな力になった・・・んだと思う。

 

藤本さんはよく、農 「業」 に進まなくてもいい、「農業ごっこ」 のようなものでもいい、

とにかく 「農」 に触れる、「農」 を知る、「農」 的な暮らし方が大事である、

と説いていた。

そういえば大地を守る会の会長時代、

「大地を守る会は有機農業運動の小学校である」 と言われたことがある。

つまりどんな人にも門戸を開放して、

たくさんの人たちに有機農業に触れる機会を提供する、

そんな入門編的な役割がある、と。

藤本さんはあの時点ですでに、中学校も高校も大学も想定した

新たな構想を描いていたワケだ。

 

登紀子さんはステージで、よく語っていた。

「夢見る男は美しい」 と。

あの頃、オレたちチンピラは飲むたびに

「夢だけじゃ食えねえんだよ」 と野良犬のように吠えていた。

 

いまたくさんの若者が有機農業を目指す時代になった。

「有機農業で飯が食えるか」 という大人の問いかけなどモロともせず、

「農」 の世界に飛び込んでくる若者たち。

彼らは、「飯を食う」ため、の前に、「生き方」 として

「有機農業」 を土台にした暮らし方を求めているように思う。

彼らがこれからどんなふうに社会にコミットし、

どんなムーブメントを起こすのかはまだ未知数だが、

社会の価値観の地殻変動を示すひとつのマーカーであることは間違いない。

明日の 「土と平和の祭典」 の主役も彼らたちだし。

 

セッションの内容は、、、ちゃんと聞けてないので割愛。

藤本さんの思い出ではなく、「青年帰農」 から生き方を変えた男たちの

今今の  " 農への思い "  が語られたことと思う。

それが登紀子さんが願った藤本さんへの餞(はなむけ) だろうからね。

 

とりあえず、一部終了。

 



2012年11月20日

伸くんの大豆で作った豆腐 -「フード・アクション」で受賞

 

各種レポートの途中ですが、

早く伝えたいと思っていたニュースがあるので、はさませていただきます。

 

農林水産省が食糧自給率向上を目指して展開している

「フード・アクション・ニッポン」 なるキャンペーン活動があって、

そこで自給率向上に貢献する様々な取り組みを表彰する

「フード・アクション・ニッポン アワード2012」 にて、

大地を守る会で販売している 「東北想い・宮城の大豆の豆腐」 が

「食べて応援しよう!賞」 を受賞しました。

 

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これは、震災以降販売不振に苦しむ宮城県登米市の大豆生産者

「N.O.A」 さんの有機・無農薬の大豆を使って、

神奈川の豆腐メーカー 「おかべや」 さんが各種のお豆腐をつくってくれたもの。

販売が始まってから僕も毎週1丁か2丁は買うようにしているが、

なかなか大豆をさばききれないでいる。

そんな折りでのこういう受賞は、大変有り難いものである。

広報部隊も、少しでも販売に貢献しようと、

メディア関係にリリースしてくれている。  詳細は、こちらを見ていただければ。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/press/2012/11/2012.html

 

N.O.A の高橋伸 さんにしてみれば、

" 表彰状よりも発注(大豆の注文) が欲しい! " 

というのが偽らざる本音だろうと思うけど、

各方面に PR してるってことだけは、これを機にお伝えしておきたい。

 

「N.O.A」 高橋良・伸親子を紹介した記事は、もう2年以上前になるか・・・

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2010/02/04/

参考まで。

 

「フード・アクション・ニッポン」 については、だいぶ前に少々批判したことがある。

たしか、何億もの予算(税金) を使っていろんな広告やイベントを打っても

自給率は一向に上がらず、広告代理店(D通さん) に吸い取られてるだけだと、

そんな感じで皮肉ったと思う。

最近はバックナンバーを探すのもひと苦労で、、、、、これかな

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2008/10/27/

 

いや、もうひとつ、たしか

「朝ごはんを食べると成績が上がる」 といったような電車の広告に

神経逆なでされて、 

「余計なお世話じゃ! みんな必死で生きてんだ! こんなもんに税金使いくさって」

と噛みついた覚えがあるのだが、見つからない。

 

ま、しかし、それはそれとして、

自分たちの活動や食材が評価されるのは、素直に嬉しいことなのである。

堂々といただいて、宣伝にも使わせてもらいます。

 

表彰状は、現在、幕張本社の受付前に飾られている。 

先般いただいた、稲田・ジェイラップからの感謝状と並んで。

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お客様が眺めてくれるのを見たりするのも、素直に嬉しい。

 

「東北想い・宮城の大豆の豆腐」

まだ食べてない方は、ぜひ一度お試しを!

 



2012年11月19日

短角ナイトⅡ

 

ブナの森は広大な天然の水がめだった。。。

 

三陸や秋田の誇り高い漁師や百姓たちが、

汗を流して千年先まで守ろうとしている水源がある。

いっぽうで僕らは、水道代さえ払えば水は手に入る、

それが当たり前の日常を享受している。

水源地の保全に日々不安を感じながら暮らすこともなく、

ダムの貯水量が減って節水が呼び掛けられた時だって、

次に雨の降る日までのいっ時の辛抱のような感覚だ。

 

母国へのお土産に何が欲しいかと聞かれ、

「水道の蛇口」 と答えたアフリカ人がいたという話があるが、

笑ったり蔑(さげす) んだりしている場合ではないように思う。

安全な水と食料の安定確保は、

古今東西を問わず国家存続をかけた一大事業であったし、

常に争いの元になる生命資源なのに (今もシビアに進行している)、

いつの間にかこの国の政治家の多くは、土台の重大性を忘れちゃったみたいだ。

お金さえあれば国民を幸福にできると信じているのだろうか。

 

政治の 「治」 とは、もとは水利を管理することを表した文字である。

世界のあちこちで水道事業が企業に乗っ取られていってる時代にあって、

水保全と一体であるべき一次産業を育成できないで

自由市場主義にただ身を任せようとする政治とは相当に危うく、

愚かだと言い切っておきたい。

 

ま、政治への言及はしばらく慎重にしよう。 騒々しい事態になってるし。

それに、福島での収穫祭から小水力発電、秋田でのブナの森づくりと

振り返っているうちにもいろんな出来事があって、ネタがどんどん溜まってる。

 

17日(土)は 「藤本敏夫没後10年を語る」 会を何とか無事に終え、

昨日は朝から東京海洋大学のワークショップに出て、

午後は日比谷公園の 「土と平和の祭典」 に顔を出した。

 

いやその前に一本、この報告をしておかなければ。

11月10日(土) の夜に、丸の内 「 Daichi & keats 」 で開かれた食事会

- 「 短角ナイトⅡ 」。

 先日長々とレポートした農水省の 「山形村調査」 でお世話になった

下館進さん (JA新いわてくじ短角牛肥育部会長) が参加されるというので、

お礼を言いたくて申し込んだ。

調査の報告書もお渡ししたかったし。

 

この日、下館さんたち3名は、

横浜市青葉区にある 「こどもの国・バーベキュー場」 で開催した

「 " 食べて応援 "  バーベキュー大会」 に参加した足で

丸の内まで来られたのだった。

疲れも見せず、短角牛のPRに努めている。

強い思いと、誇りがあるのだ。

 

19時、「短角ナイト Ⅱ」 のスタート。

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「やまがたむら短角牛」 の特徴を説明する下館進さん。

 「牛と一緒に暮らしてきた」 という表現がすごく自然に受け止められる、

それが山形村の人たちである。

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東北山間地の風土に合って、健康に育てた  " 当たり前の牛肉 "  が

" 幻の和牛 "  とか言われて光を当てられるのは本来の望みではないだろうが、

安全性(=健康)へのこだわりでは 「比類ない和牛」 だと、胸は張りたい。

 

店内では、ずっと撮りためてきた  " 短角牛の1年 "  の映像が流されていた。 

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仔牛の出産風景や闘牛大会や放牧地で跳ねる姿など、貴重な映像が撮られている。

現在編集中とうかがった。

封切りは、、、東京集会あたりかしら (勝手な推測)。

 

「 Daichi & keats 」 自慢の農園ポトフ。

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このゴロゴロ感が、農家の庭先で野菜を食ってるぞって感じで、

何か分かんないけど、やる気になる。

 

そして、この日のメイン・ディッシュの登場。

「短角牛のワラ包み焼き」 

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一度焼いて、ワラで包んで、さらにオーブンにかける。

店長の町田正英が、「これからオーブンにかけます」 と披露して回る。

 

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ワラの香りがする牛肉!!!

 

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燻製の香りではない、ワラにくるまれて火を通ってきた牛肉の、

野趣でいて品のある風味が、とてもウマい。

短角牛の滋養がドレスアップされて・・・とか気取って言いたくなる、

短角牛の魂を伝えようという料理人のチャレンジ精神を感じさせる逸品だ。

 

短角牛センマイと雑穀のアラビアータとかいうのも美味かった。

酒が進んでしまって、雑穀おじやと D&k デザートは周りの方々に譲って、

あとで後悔する。

 

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山形村の調査報告書を下館さんにお渡しし、

町田店長のはからいで、参加者に農水省の検討会の報告もさらっとっさせてもらった。

 

地域で育まれた食文化をちゃんと見直すことが地域の活性化につながる、

そのモデル・ケースのひとつとして山形村と短角牛が指名された。

経済性の尺度だけで切り捨てられつつあった地域を、

地域再建のヒントを有する事例だと持ち上げるのも調子のいい話だけど、

社会資産の見直し、価値をはかるモノサシの転換に向けて、

引き続きホンモノをぶつけていきたいと思う。

 

「短角牛のワラ包み焼き」 ・・・今もあの香りが忘れられない。

短角もすごいが、ワラの力もあなどれない。

日本食文化の素材とは、美しい風景を構成する者たちでもあるのだ。

何としても守ろうよ! と叫びたい。

 

次に食べられるのはいつだろうか・・・

僕にとっては宴会2回分の出費に相当したのが、なかなか厳しいところだ。

 



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