大地を守る会: 2014年4月アーカイブ

2014年4月22日

原点を思い出させてくれた丹那交流会

 

4月19日(土)、箱根の南に位置する静岡県田方郡函南町。

大地を守る会の低温殺菌牛乳(通称 「大地牛乳」) のふるさと

丹那盆地のこの日は、

とても風が強くて、時折小雨も降る肌寒い一日だった。 

満開で出迎えてくれた菜の花も、少々寒そうに震えている。

 

e14042201.JPG

 

伊豆・丹那盆地は 130年に及ぶ酪農の歴史を誇る里である。

360度山に囲まれ、町とか村とかではなく、里と呼ぶほうが似合っている。

ここで 函南東部農協 主催による 「丹那・生産者交流会」 が催された。

会場は、18年前に建設された 「酪農王国 オラッチェ」。

 

e14042202.JPG

 

e14042203.JPG

 

この交流会の歴史も古い。

国内では当時ほとんどなかった低温殺菌牛乳(65℃・30分殺菌、最初は62℃だった)

を開発したのが82年 8月のことだから、もうかれこれ 32年になる。

今でも超高温殺菌(130℃-2秒) が主流という悲しい乳文化のこの国で、

それは画期的な取り組みだった。

 

相当な覚悟で導入してくれた低温殺菌の製造ラインを維持すべく、

まだ組織の小さかった大地を守る会は、

他の流通組織や静岡県下の消費者団体にも働きかけて、

共同でこのホンモノの牛乳を育てようと呼びかけた。

そこで結成されたのが 「丹那の低温殺菌牛乳を育てる団体連絡会」(略称 「丹低団」) だ。

当然のごとく生産者との交流も活発になる。

 

僕が入社したのもちょうどその頃で、

生まれたばかりの大地牛乳の生産と消費を安定させるべく、

にわか仕込みの知識で宣伝しては、

消費者の方々を事あるごとにお連れしたものだった。

東名高速道路から小田原厚木道路-箱根ターンパイクと自ら運転して。

丹那交流会は低温殺菌牛乳の歴史そのものと言ってもいい。

と偉そうに言いながら、僕がこの交流会に参加するのは

15年ぶりくらいなんだけど。

 


今回首都圏から集まってくれた会員さんは 80名ほど。

ちょっと寒い開会式となったが、

リピーターの方は 「去年もこんなだったし、慣れてます」 と笑ってくれる。

ま、バーベキューが始まれば体もあったまるか、ってなもんで。

 

e14042204.JPG

 

挨拶しているのは農協の組合長で、

オラッチェの代表も務められている片野敏和さん。

その後ろ(写真左)に控えているのが、

低温殺菌部会長の酪農家・川口さん。

 

e14042205.JPG

 

低温殺菌部会の酪農家は、現在10名。

そのなかで最も若手である大塚さん夫妻が紹介される。

 

e14042206.JPG

 

大塚さんは酪農家の次男として育ち、元教師だったのだが、

お父さんが体をこわしたのを機に酪農を継ぐことを決心した。

「やっぱり俺らの代で牛飼いを終わらせるわけにいかないと思って・・・」。

継いでから結婚もできて、子どもも生まれて、

子どものためにも良質な牛乳を生産し続けたいと思って、頑張ってます。 

 

有害な菌を死滅させて栄養価を残す、

そのための殺菌法としてパスツールがあみ出したのが 「パスチャライゼーション」

と言われる低温殺菌法(62~65℃・30分もしくは75℃15秒) である。

当然、超高温殺菌に比べると生産効率が落ちる。

しかも牛乳を低温で処理するということは、

もともとの原乳がきれい(衛生的) でなければならない。

雑菌数の少ない乳を生産するには、

牛舎の衛生管理から牛の健康管理まで細かく気を配る。

広大な牧野で育てる欧米では当たり前の殺菌法だが、

狭い面積で採算の合う乳量生産を余儀なくされている日本の酪農では、

なかなかに厳しい。

低温殺菌牛乳を維持させるためには、

少々高くても支援したいという消費者の存在が必須となる。

ホンモノの牛乳を理解してくれる消費者がいてくれる

と信じることで、生産者も頑張れる。

若い生産者が、誇りを持って牛を育てられる社会にしたいものだ。

 

酪農王国にはいろんな動物がいる。

小さい頃から生き物と触れ合うのは大切なことだ。 

e14042207.JPG

 

e14042208.JPG

 

バターやアイスクリームの手づくりも体験できる。

ここのアイスクリームはメチャメチャ評判がいい。

それは原乳の質と新鮮さによる。

 

e14042209.JPG

 

大地を守る会が丹那牛乳(函南東部農協)さんに低温殺菌牛乳の開発を

持ちかけたのにはワケがある。

管内の牧場と工場の距離が極めて短いこと(新鮮なうちに処理できる)、

東京に近いこと(新鮮なうちに運べる)、

もともとの乳質がいいこと(牛を健康に育てている)。

 

1980年代に入り、原乳が余ってきたことも背景にあって、

大手乳業メーカーが無菌パックに詰めた LL(ロングライフ) ミルクを開発し、

それを常温で流通できるように法改正しようと厚労省に働きかけた。

それに対して中小メーカーや酪農団体が激しく反対し、

全国の消費者団体も呼応してLLミルクの反対運動がまき起こった。

大地を守る会も運動に賛同したのだが、

牛乳について学ぶなかで、低温殺菌という本来の牛乳を

生産者と一緒に開発しようという方針に至った。

そこで白羽の矢を立てたのが丹那牛乳だった。

 

生産者にとっては相当にリスクの高い、迷惑な話であったようだ。

それでも応じてくれたのは、酪農家としてのプライドがうずいたからだと思う。

どこよりも先んじてホンモノの牛乳を実現して見せようか、という

意気に火がついたというか。

 

LL牛乳反対から低温殺菌牛乳の開発へ。

反対に留まらず、あるべき提案をぶつける。

この運動論は、

以後の大地を守る会の生き方を決定づけたと言ってもいい。

 

バーベキューのお肉は岩手県山形村の日本短角牛。

やっぱ短角は美味い。

加えてオラッチェ自慢の 「風の谷のビール」。

どれも提案型運動の産物である。

交流もだんだんと打ち解けていく。

e14032210.JPG

 

空模様も怪しいので、急きょ農協の会議室に場所を移して

車座での懇親会となる。 

 

e14042211.JPG

 

生産者の思い、牛を育てる日々の苦労など聞いているうちに、

「そもそも何で低温殺菌をやろうと思ったんですか?」

の質問が飛び出した。

石川さんから 「そこは大地さんから・・・」 と目配せが。

喜んで、久しぶりでの低温殺菌牛乳開発秘話を披露させていただいた次第。

 

e14032212.JPG

 

駆け足で牛乳工場を見学して、

オラッチェ向かいにある、片野組合長の牛舎を見学。

昨今は伝染病の心配もあって、

道路からの説明となる。

 

e14032207.JPG

牛にストレスをかけないように配慮された、

仕切り壁なしのフリーバーン牛舎。

牛たちも僕らに興味を持って、じっとこちらを眺める。

もっと近づいて来てほしかったのかも。

飼い主の心が想像される。 

 

e14042212.JPG

 

久しぶりの丹那交流会で、自分の原点を蘇らせた一日。

今日は書けなかったけど、 僕は去年から、

オラッチェ内にあるジャム&ケーキ工房 「フルーツバスケット」 の

取締役を任免されている。

放射能対策やらローソンさん営業やら生産部長やら、

この間兼務が続いたので肩書きだけの状態だったのだけど、

  いよいよ本気でこの地に関わろうと思っているところである。

「地域」 とい うテーマとともに。

 



2014年4月20日

大地を守る会伝統の「合宿」、復活

 

3月の日記を焦りながらアップしているうちに 4月に入り、

桜吹雪を愛でる余裕もなく、

今日は早くも二十四節気でいうところの 「穀雨」 である。

気まぐれな春の天気に翻弄されながらも、植物は生育の足を一気に速める。

やっぱり、日本の新学期は春、4月がいいと思う。

古いヤツだとお思いでしょうが・・・

 

古いヤツだと・・ (鶴田浩二 「傷だらけの人生」) の名セリフも、

もはや遠い死語か。

特攻隊あがり(真実は微妙に違うらしいが) の名優・鶴田浩二が

上から目線で若者を叱る。

「お前たちはそれでいいのか。 俺たちの若い頃は・・・」

「へ~ん。 特攻隊だかなんだか知らねえけどよお」

とイキ巻いていた当時のチャラ男 (1976-82年 NHKドラマ 「俺たちの旅路」)

は、いま相棒を連れて紳士ヅラしている水谷豊だ。

僕もいつの間にか後輩に説教する歳になって、

鶴田浩二が懐かしいと思うようになってしまったか。

ちょっとっ寂しい。。。  いや、それじゃイカンよね。

 

4月から新しい辞令を受けた。

ま、それはいずれ報告するとして、

後輩に託す思いで、ひとつの試みを敢行させていただいた。

4月12日(土)、

2年ぶりに 「合宿」 と銘打っての社員研修が実施された。

例年は春と秋に行われていて、

ここ2年は緊縮財政ということもあって自粛していたのだけれど、

しかしやっぱり、こういう伝統は残していこうと、あえての開催となった。

「残すべきだ」 と助言してくれたのは、何を隠そう、

ローソンさんから来た取締役である。

 


幹事は部署持ち回りで、今回は生産部主催となった。

僕にとっては、異存なし、である。

限られた予算ではあったが、選抜したスタッフとともに工夫を凝らして、

楽しく、かつ為になってモチベーションが上がる企画を、

と考えながら用意させていただいた。

かねてより職員に聞かせたいと思っていた人に打診して、

二つ返事で協力を承諾してくれたのは、

一般社団法人 「ラブテリ東京&ニューヨーク」、細川モモさんである。

 

春の職員研修なので、

第一部は事業計画や目標について共有する時間として、

第二部にモモさんの講演を用意した。

いま進行する日本人の食と健康の危機的状況について。

我々がやらなければならないミッションを想像しながら聞いてほしい、と。

 

並行してラブテリの女性陣による社員の健康度チェック。

おっさんたちの嬉しそうな顔ときたら・・・

21世紀になっても、ニンゲンはまだ

生物進化学的にオスはオスの本質を残している。

いや、これは揶揄しているのではない。 健全性の証しだからね。

 

結果は・・ 会社の危機管理案件なので伏せさせていただきたい。

まあ、だいたいの人が嬉しそうな顔をしていた、ということで。

僕らは健康でなければならないのだ、なんて言える立場じゃないけど。。。

 

夕方からは懇親会。

チョー安い中華料理店を借り切って、我々の食材を持ち込めるだけ持ち込んで、

酒を含む飲み物は、ほとんど大地を守る会のものだけが消費された。

もちろんお金は約束通り払ったので、お店も満足してくれたはずだ。

社員に指示したのは、

「お店の料理もちゃんと食べよう。 食べて、我々のミッションを再確認せよ」。

こんな言い訳をサラッとできるのも、歳をとったせいだ。

 

この春の新卒入社も含めて 3年分の新人発表

(新人の顔見せパフォーマンス大会、これが合宿の伝統行事)

もやって、

まあまあの出来ではあったか、と思う次第。

生産部長として最後のご奉公、の一日だった。

 

この日記を実は、静岡県伊豆半島のつけ根、

丹那盆地のとある別荘地で書いているのだけれど、

その報告は次回に。

 



大地を守る会のホームページへ
とくたろうさんブログへ