雑記帳: 2011年4月アーカイブ

2011年4月20日

穀雨の日に

 

4月20日。 旧暦では3月18日、辰の月の中気。

二十四節気では 「穀雨」 の日。

どんよりとしつつもこの時季の雨は、

万物の生育を促し、百穀を潤すと言われてきた。

 

昔の人はこうやって季節と付き合ってきたのだが、

いま、僕らの心は若葉にすら心弾む余裕を失ってしまっている。

それどころか、雨は目に見えない放射能への不安を含有させて降ってくる。

 

穀雨を経て、気分は田植えへと高揚していくはずなのだけれど、

東北・北関東は作付そのものすらおぼつかない様子が伝えられてくる。

放射能による土壌汚染の程度によって、

米の作付を見合わせる (米を作るな) 、という指導がされ始めている。

 

この判断は、いいのか? 逆じゃないのだろうか?

 

また震災復興に向けて諮問機関 「復興構想会議」 が設置されたかと思えば、

議長からいきなり 「震災復興税」 が提案された。

僕だって国民として負担する気持ちはやぶさかではないが、

復興のビジョンや青写真もないところで、責任の論議もないまま、

いきなり  " 財源は国民負担で "  から始めるなんて、おかしくないだろうか。

 

整理して語りたいが、今日は気力がない・・・ 

ちょっと、このギスギスした心境を落ち着けたいと思う。

 

こういうときに、思い出す心象風景がある。

4年前の年末にも紹介した、

渡辺京二著 『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー) に描かれた世界。

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かつて明治維新という名の社会革命が起きたとき、

ジパングという国がいかに文明の劣った国かと思ってやってきた西洋人が、

この国の美しさに驚愕した。

人々は小さいが、ぜい肉はなく、男たちは美しい体躯をしている (ただし足が短い)。

生活は質素だが、とても清潔で、礼節があり、家に鍵をかける習慣がない

(ただし男たちがふんどし一丁で歩くのだけは野蛮だ)。

子どもたちはとても大切にされ (甘やかし過ぎているきらいもあるが)、

ふくよかでいつもニコニコして、人なつこい。

少女が赤子を背負ってあやしながら、本を読んでいる!

庭や田園はきめ細やかに手入れされ、見事に調和を保っている。

何と美しく、豊かで、パラダイスのような国。

 

日本を賛美した西洋人たちはまた同時に、

西洋列強にひたすら追いつこうとする国の行く末を見つめ、

その美徳が近く滅ぶであろう予言と哀しみも語っている。

 

こんな時代がたしかにあった。 

僕が育った四国の小さな漁村では、それは昭和の風景としてあった。

 

いま真に未曽有の危機の中にあって、

諸外国から称賛される日本人の和の力が本当だとしたら、

消えた風景とは別に、

まだこの国の精神文化は滅んでいなかったのかとも思い直したくなる。

ならばその心をけっして捨てずに、

21世紀の社会革命に向かいたいものだ。

 

みんなの力で復興に向かおうというときに、

国民に肩代わりさせることを真っ先に考えるなんて、野卑だ。

それとも真っ先に守りたいものを視野に入れているのか・・・

ビジョンから行こうよ!

それから設計図、そして見積りの提示、じゃないのか。。。

 

今年の 「穀雨」 は冷たく、暗すぎるね。

 

いやそれでも、光はないわけではない。

復興構想会議の委員の一人に、本ブログで何度も登場いただいている

竹村真一さん(京都造形芸術大教授、ELP代表) が入ったことだ。

あまり期待が過ぎると本人もつらいかもしれないが、

精一杯応援したいと思う。

 



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