雑記帳: 2013年4月アーカイブ

2013年4月 7日

フラーの言葉

 

前回の日記で、

" 「子どもたちの姿は、私の未来」-そんな台詞を残したのは ~ "

とテキトーな記憶で書いたのが気になって、確かめたくなった。

記憶の原文は、こうだった。

バックミンスター・フラー著、芹沢高志訳、

『宇宙船地球号 操縦マニュアル』(ちくま学芸文庫、2000年10月発行) から。

 

  太陽から貯めるのに何十億年もかかった化石燃料を燃やして、

  そのエネルギー貯金だけに頼って生きるのか、

  あるいは地球の原子を燃やして私たちの資本を食いつぶして生きるのか、

  どちらにしても、それでは後の世代の人間たち、そして彼らの前に広がる日々に対して、

  まったく無知、そして完全に無責任というものだ。

  私たちの子供たち、そして彼らの子供たちが、私たちの未来なのだ。

  全生命を永遠に支えることができる私たちの潜在的な能力を包括的に理解して、

  花開かさなければ、私たちは宇宙のなかで破産する。

 

数年ぶりにパラパラと読み返してみて、

工学者としての理系の解説は相変わらず難しいままだが、

たくさんの啓示的な言葉に再会する。

 


  おとなになるにしたがって生まれてくる偏狭さとは反対に、

  自分たちが抱えているできるだけ多くの問題に対して、

  できるかぎりの 長距離思考 をつかってぶつかっていくということに、

  私はできれば 「子供じみた」 最善を尽くしたい。

 

  絶滅は過度の専門分化の結果である

 

  進化は、無数の革命的な出来事からなる。

 

  宇宙船地球号はあまりにも見事にデザインされた発明なので、

  知られている限りで200万年はこの船の上にいるというのに、

  私たち人類は船に乗っていることに気づきさえしなかった。

 

  宇宙船地球号に関してはとりわけ重要なことがある。

  それは取扱説明書がついていないということだ。

 

  私が描く今日の人類の姿とは、まさに一秒前に殻を破って、

  外に歩みはじめたというところ。

  無知や試行錯誤を許してくれた栄養もすでに尽き果てた。

  私たちは宇宙とのまったく新しい関係に直面している。

  知性の翼を広げて、飛び立っていかねばならず、

  さもなければ死んでしまう。

 

  私たちは 「どれだけ大きく考えられるか」 と問うべきだ。

 

  宇宙はシナジェティックだ。 生命はシナジェティックだ。

 

  即刻解決しなければならないそのような問題の典型は

  一般的な意味での汚染であり、

  つまり空気とか水の汚染だけでなく、

  私たちの頭のなかにたまった情報の汚染をも含めた汚染なのだ。

  これでは冥王星(プルート) じゃないが、

  この惑星を 「汚染(ポリュート)号」 と名付けなおす日も近い。

 

  マクロには包括的に、ミクロには先鋭的に、

  その解決を図っていけば、そんなに費用がかかるものではない。

 

  人間は富とはなんであるのかわかっちゃいない

 

  富とは未来に向かってエネルギーの再生がうまくいくようにする私たちの能力

 

  私たちのメイン・エンジン、つまり生命の再生プロセスは、

  風や潮汐や水の力、さらには直接太陽からやってくる放射エネルギーを通して、

  日々膨大に得られるエネルギー収入のみで動かねばならない。

 

まだあるけど、これくらいで。

「現代のレオナルド・ダ・ヴィンチ」 といわれ、ノーベル平和賞候補にも挙がった

フラーは、19世紀末に生まれ、1983年に亡くなっている。

彼が初めて 「宇宙船地球号」 と呼んだのは 1951年 のことだ。

「原子力発電なんて馬鹿げている」 と見抜いていた稀代の発明家。

3年後のチェルノブィリ原発事故を目にしていたなら、

彼の 「地球号」 メッセージと予言は、どんな怒りに変わっただろうか。

あるいは悲哀に満ち満ちたものになるか。。。

あれから四半世紀が過ぎてなお、惨劇は繰り返され、

僕らはまだ翼を広げて飛び立てないでいる。

 

外は強風が荒れ狂っている。

どうやったら飛べるのだろう、僕たちは。

書を捨て、この風に叩かれてみるか。

 



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