2012年8月 6日

NEWS 大地を守る2012年8月号 山形村短角牛(岩手県久慈市)牧野に、躍る

新緑萌える春に牧野に放たれ、夏を過ごし、紅葉の頃には再び里へ――。
日本の伝統的な飼育方法「夏山冬里方式」で育てられる、山形村短角牛。
その故郷・山形町が、東日本大震災から続く売上不振で深刻な状況にあります。
「山上げ」が行われた山形町を訪ね、山形村短角牛の歴史を振り返りながら、短角牛をめぐる人々の、生の声をお伝えします。(NEWS大地を守る編集部)



   山形村短角牛「山上げ」牧野を駆け、尻尾を立てて歓喜
 東北の、遅い春。新緑が豊かに萌える5月初旬。
 ゲートが開くやいなや、この日を待ち焦がれた母牛たちは、美しい緑のじゅうたんへと一斉に駆け出していきます。
続いて、この冬から初春に産まれた子牛たち。初めて見る外の世界に驚き、大迷走。突っ走って柵を突き破ってしまう子、隣の山裾まで駆ける子、そして、ふと母の姿が無いことに気づいて「もぅもぅ」鳴く子......久しぶりの牧野をひとしきり堪能した母も、わが子を探して「もぅもぉぅ〜」。牧野に、母と子が呼び合う声が響き渡ります。
 やがて、ようやく落ち着いた母子は再び寄り添い、新鮮な牧草を食み、湧き水を飲んで、子牛は乳をもらいます。生産者の一人が「ほら、あれを見て」と指さす先には、ピンと尻尾を立てた子牛。愛らしいその姿は、牛が喜びや気持ちよさを表している様子なのだとか。生産者も目を細める、春の行事「山上げ」ならではの風景です。
 母子は、これから秋まで、この牧野でゆったりと過ごします。おひさまをたっぷりと浴び、雨の日や日差しが強い日は木陰で憩いながら、少しずつ少しずつ山頂へ―― 子牛は日に日にたくましく育ち、母牛は自然繁殖によって再び、新たな"いのち"を宿すのです。

飼料自給と循環型農業、大地を守る会が山形村短角牛を選ぶ理由
 生産者はその間、秋から冬にかけての餌作りに精を出します。デントコーン(家畜用トウモロコシ)などの種を撒き、収穫し、断裁して乳酸発酵させ、サイレージ作り......と大忙し。畑に使う肥料は、もちろん、牛のたい肥。国産飼料、それも生産者自らが餌作りに取り組む久慈市山形町(旧山形村)ならではの、循環型農業のあり方です。
 秋、牧野の草が心許なくなり、風も冷たくなると、牛たちは、暖かくておいしい餌がもらえる牛舎が恋しくなってきます。迎えのトラックにいそいそと乗り込むと、里へ―― ここで、母と子はお別れ。ごくわずかな種雄牛、次世代の母となるもの、そして肥育牛に選別されるのです。肥育牛は国産100%の飼料を食べ、翌秋から順次出荷されていきます。
 私たちが"食べる"こととは、他者の"いのち"をいただくこと。ただ、同じ「食べられるさだめ」でも、閉じこめられ、過剰な餌を与えられ続け、本来の生態をねじ曲げられるのは、非情と言えるでしょう。「山形村短角牛」は、違います。
少しでも牛の生態に近い飼育を――大地を守る会が「山形村短角牛」を選ぶのは、そういう理由からです。


美しい日本の風景を守りたい-「山形村」産直31年

南部赤べこから「短角牛」へ
山形村、牛飼いの歴史

 東北地方に牛が導入されたのは、遠く室町時代にまで遡ります。特有の赤褐色から「赤べこ」と呼ばれ、頑強で忍耐強く、沿岸から内陸部へ塩や海産物を運ぶなど、主に荷役に使われてきました。民謡の「南部牛追唄」は、荷を運ぶ牛を追いながら歌われたもの。
そして、山形村で年に数回開かれてきた闘牛は、列の先頭をいく強い雄牛を決めるために、力のあるもの同士で角を突き合わせさせたのが始まりなのだとか。
 この荷役牛をつかう「牛方(牛追い)」の多くが山形村から出て、また、山形村は「子とり(繁殖)」の地になっていきます。
稲作に向かなかった山形村は、炭焼きや雑穀作りのかたわらで牛を育て、子牛を売ることで暮らしを立てたのです。当時はもちろん配合飼料などあるわけもなく、夏は山に放して草を食べさせ、冬は牛舎に入れて飼いました。現在も引き継がれる「夏山冬里方式」は、ここから始まったのです。
伝統の闘牛生産者が"勢子"をつとめる


大地を守る会に「牛を売る」
村の命運を託した決断

 その後、南部牛は、明治から昭和初期にかけて輸入された「ショートホーン種」を交配、改良されていき、日本固有の肉専用種「日本短角種」となります。西日本に多い黒毛種と違い、「赤べこ」の血を引くだけあって筋肉質で頑強な牛です。
 当時の山形村の主な産業は、炭焼き。けれど木炭は、昭和の半ばには他のエネルギーに取って代わられていきます。村の窮地に、新たに取り組み始めたのが、肉牛としての短角牛の飼育でした。
 ただ、山形村は昔から繁殖させた子牛を売るのが主体で、肥育して肉牛として売る経験がありません。混乱、そして赤字続きのなか、ある時、「短角牛を買いたい」という団体が現われます。輸入飼料に頼らず、伝統的な「夏山冬里方式」で育てた牛を買いたい。ちゃんとした赤身の肉が欲しい――それが、大地を守る会でした。
 当時の大地を守る会は、まだまだ小さな団体でしたが、日本の農業・畜産業について考え、健全に育った牛を探し求めていました。そして出会ったのが、短角牛だったのです。「牛を売って、ちゃんと金を払ってくれるのか」――山形村の当時の担当は悩んだと言います。けれど、本物の牛を育て、それを理解できる消費者に売れるなら......山形村は、決断します。
2012年5月の山上げツアー

 「短角牛」の枠を超え
村と付き合う

 取り引きにあたり山形村が出した要望は、短角牛だけではなく「村と丸ごと付き合う」こと。単純に、牛を育て、それを売る・買うだけではない関係性ーーもちろん、きちんと育てられた短角牛には正当な評価をし、正当な価格を支払う。でもそれだけでなく、「村一番の名産」以外の、ほかの産物にも光を当てよう、村の経済を支えようと山形村との産直提携が結ばれ、1981年の年末「短角牛」は、初出荷の日を迎えます。翌々年からは、会員が山形村を訪れる「べこツアー」も開始されました。安全で、おいしい食べ物を作る人々、その商品の価値を理解し、買う人々......国内版「フェアトレード」とも言える関係の始まりでした。
 以来、山形村と大地を守る会は歩みをともにし、短角牛のほか、共同出資して設立した㈲総合農舎山形村を通じて、ほうれんそうやしいたけなどの農産品・加工品を取り扱っています。短角牛もまた、飼料の完全な国産化をはかるなどの進歩を遂げています。「いわて短角牛」ブランドを冠するなかでも国産飼料100%は山形村だけの取り組みであり、いずれ東北全体へ、そして日本中に広がっていく、そのモデル作りでもあると考えています。
山上げのとき、おどおどする子牛たち


日本の将来のために
今こそ「食べて、支える」

 昨年3月、東北は甚大な被害を受けました。東日本大震災、そして、東京電力福島第一原子力発電所の事故。東北の畜産業は、交通麻痺によって飼料が入手できず、多くの家畜を失いました。そんななか、山形町は直接的な被害も少なく、また、生産者自らが飼料作りを手がけてきた甲斐あって、牛の餌に困ることもありませんでした。
 けれど、原発事故の影響は、「短角牛の売上低下」という形で、原発から300km以上も離れた山形町にも表れました。「やれることは全部やろう」。震災の翌月には牧草や稲ワラの放射能検査、そして7月には出荷する牛の全頭検査も始め、これまでのところ全頭不検出(放射性セシウム134・137および放射性ヨウ素131が概ね10ベクレル/㎏以下)という結果です。それでも、震災前に比べ出荷頭数にして6〜7割と、短角牛の消費は極端に落ちてしまっています。
 東北産の食べ物を食べることを、強要はできません。ただ、「山形村短角牛」は、大地を守る会の、食や第一産業に対する取り組みの象徴です。村ごと付き合うーー山形町との約束を果たすために私たちが出来ること、それは「食べること」ではないでしょうか。商品を買い、食べることが、山形町へのなによりの応援です。そして、生産者をはじめとする山形町の人々に会うことがあれば、ぜひ「食べてます」「おいしかった」と伝えてください。そのひと言が山形町を支え、東北を支え、日本の美しい農村風景を守る、大切な原動力になるからです。

※山形村は2006年3月、旧・久慈市と合併して久慈市山形町になりました。

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