2015年4月 7日

福島県二本松・南相馬交流ツアー レポート

初夏を思わせる晴天の3月。思い思いを胸にした一行14名が、福島県二本松・南相馬交流ツアーに出発しました。中通りの郡山から、浜通りの南相馬まで県内半分を横断する2日間、福島の「今」と「リアル」に出会う旅の始まりです。大地を守る会では、2012年の「福島応援ツアー」、2014年の「いわき市・富岡町を訪ねるツアー」に続く震災後3回目の福島への旅です。

(開催概要はこちら)

今回の旅をアレンジしてくれたのは、福島交通の支倉文江さん。福島市にお住まいです。「震災後はこうしてマイクを握ってよく喋るようになりました」。先日、震災後4年目にしてようやく自宅に除染が入ったそうで、除染物は、中間貯蔵施設へ運ばれるまで敷地内にあるそうです。「福島を、よく見て帰って伝えてほしい」。支倉さんに始まり、この後私たちは行く先々でたくさんの笑顔に遭遇することになります。

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道の駅ふくしま東和

まず到着したのが二本松市の「道の駅ふくしま東和」。合併により今はなくなってしまった町の名を冠した、人口7,000人の山あいにある小さな道の駅です。東和は「ひと坪でも耕せる土地は耕せ」と言われ、地域の再生をいち早く有機栽培に託し取り組んで来た地域。店内には、添加物ナシの手作り品がずらっと並びます。この道の駅、地元のお父ちゃん軍団が中心となって2005年に旗揚げした「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」が母体となって運営しています。当初は「こんなとこに道の駅を作って誰が来るの?」と言われ、行政と3年間の契約で始まったそうですが、今では年間1億円を売り上げる名物スポットになっています。

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東和は、かつて養蚕日本一と言われた地域でした。昭和50年には、地域で生産額13億円となりますが、中国産や化学繊維に押され、あっという間に需要が激減。それと引き換えに、様々な問題が露呈します。産業の空洞化、少子高齢化、財政危機・・・。そこで立ち上がったのが、前述の男性陣。「前向きにやってると何かが始まる」と、業種がバラバラな経営者達が団結し、他地域と競合しない、里山の恵みを生かす事業に次々とチャレンジしていきました。

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「資源を循環させ垂れ流しにしないことは、里山に住んでいる使命」との言葉どおり、地場野菜のブランド化、有機堆肥の製造販売、地ビール醸造、農家民宿にレストラン等のアイディアを具現化。中央省庁からIターンする人もいて「震災後にも離れていった人がいない」。それもそのはず、全ての発想の根底には「コミュニティの再生」という希望があるのです。「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」の事業は、今では260戸の農家を巻き込んで、さらに盛り上がりを見せています。「震災は確かにいろんな爪痕を残したけれど、過去を振り返ってばかりはいられない」。見るのは常に前の方。2015年1月には、全国の地方新聞社と共同通信社が設けた「第5回地域再生大賞」で、全国50団体の中から準大賞にも選ばれています。(写真:道の駅のお弁当)

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ふくしま農家の夢ワイン

次に訪れたのが「ふくしま農家の夢ワイン」。ここでも元気なのは、男性たち。「おじさん8人衆が、飲んだ勢いで」、町おこしにはどぶろくか?いや、女性に受けるならワインだろうと夢を膨らませました。何年も放置されていた元養蚕施設を借り受け、電気工事以外は自前で改修!耕作放棄地にぶどうを植え付けた翌月、震災に見舞われてしまいます。しかし彼らの発想はこうでした。「明日はどうなるか分からない。本気でワイナリーをやろう」。3.11が起爆剤となって、稼働への準備が急ピッチで進みました。(写真:ふくしま農家の夢ワイン㈱)

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メンバーは、交代で山梨県勝沼へワインづくりを学びに行きました。そして、震災で売り先を失くしたりんごのシードルをいち早く商品化。「ワインより先に出来ちゃった」というシードルは、約2,000本を完売。その後2013年にはワイン特区の免許を得、県内初の民間ワイナリーとなりました。発酵に失敗して大量にロスを出したりと試行錯誤を重ねながら、無借金経営で、今年3年目に入っています。

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ワイナリーのメンバーの一人で、大地を守る会のりんご生産者でもある熊谷耕一さんは言います。「我々の役目は、次の世代に受け渡すこと」。楽しみながら、飲みながら。ロゴのぶどうが5色なのは、地域の祭の「五色の旗」からもらっているのだそうです。
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震災の年、東和の名産であったりんごは、大量廃棄に追い込まれることになりました。「とうとう終わりと思った」と話すのは、大地を守る会の生産者で羽山園芸組合の代表・武藤喜三さん。安達太良の山並みを望むりんごの木の下で、厳しかったこの4年間を振り返ってくださいました。

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(写真:羽山園芸組合の資料より)


羽山園芸組合は、全国から駆けつけたボランティアの人たちとともに木の皮を削り、高圧洗浄をしました。フルーツ王国・福島では様々な果樹にこの手法が試されましたが、柿や桃は枯れてしまったそうです。りんごは、かろうじて大丈夫でした。しかし「バランスが崩れ、今までと違う位置に虫や病気が発生するようになった」と武藤さん。それでも木を観察しながら除染と有機栽培を続け、2013年にはセシウム検出「ND(検出限界値未満)」までこぎつけました。大地を守る会ではこの間、変わらず仕入れて売ることで応援を続けてきました。今年からはグループ会社「フルーツバスケット」製造の「つぶ入りピュアなりんごジャム」も販売していきます。(詳しくはこちら)

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山あいの温泉に浸かった後は、りんご生産者・熊谷さんの営む農家民宿「くまさん」にて、お楽しみの懇親会です。地野菜の煮物「ざくざく」をつまみながら、どこへ箸を伸ばしてよいか迷うこのご馳走!羽山園芸組合のお母さんたちの手料理は、どれも滋味深し・・・でした。

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飯館村から小高区へ

二日目。一行は全村避難をしている飯館村を通って、浜通りへと向かいました。人口6,000人、かつて「日本一美しい村宣言」をした飯館村では、除染で働く人や車と、除染土を入れたフレコンバックの山に言葉を失います。暮らしのにおいが感じられない景色は、本当に寂しいものです。山を越え、南相馬市へ入ると景色は一変。一見すると、ふつうの暮らしが営まれているようにも見えます。しかしところどころには仮設住宅が。そしてまだ戻れない住人がここにも沢山いるのです。そうしてバスは、福島第一原発から20km圏内の小高区に到着しました。

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お話しくださったのは久米静香さん。避難先・相馬市の借り上げアパートから通って来ています。「震災後の半年間は、泣いて泣いて泣きくれていました。その次の1年間は、東電を恨んで暮らしました」。そうするうちに心臓を病んで入院。「憎しみからは何も生まれないと分かって。何がしたいか、自分に問いかけた時、ただ一心に小高に戻りたいと思ったんです」。震災まではふつうの主婦だったという久米さんは、NPO法人「浮船の里」を立ち上げます。そして今取り組むのは、古くから小高にあった手仕事「お蚕さん」。桑を育てていた人を探しあて、ご主人の事業所で蚕を飼って、仲間と糸作りをしています。遠く群馬から紡ぎや機織りを教えに通ってくれる人も現れました。「私はお母さんなので、待つことはできる。ほとんど毎日ここにいて、立ち寄ってくれる人を待ちます。でも、小高のために、とか背負ってはいないんです。自分にできることをやるだけです」。快活な微笑みの奥にある、静かな瞳が印象的でした。

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南相馬

久米さんと別れた一行が最後に向かったのは、南相馬市原町区の畑。大地を守る会が国産菜種油をいただいている「グリーンオイルプロジェクト」(詳しくはこちら)の畑でもあります。案内くださったのは「えこえね南相馬」理事長の高橋荘平さんと理事の奥村健郎さん。ウクライナで得られた「放射性物質は油に移行しない」という知見に基づき、土壌のセシウムを吸収する菜花を農薬不使用で栽培しています。そうして収穫したナタネは、栃木県のNPO法人「民間稲作研究所」へ運び、搾油・商品化しています。「酸化しにくく、へこたれない油」で、カルパッチョにおすすめだそうです。

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畑から少し歩いた所には、頭上高く設置されたソーラーパネルの一群がありました。ここは「南相馬ソーラーシェアリング」の拠点です。太陽光を、農作物の生育と発電で分かち合おうという試みです。農地転用において前例のない取り組みのため、行政の厚い壁に何度もぶち当たって来ましたが、今年、かぼちゃと大豆で栽培が許可される見込みだとか。「なんとか突破口にたどり着いた」と奥村さん。事例を作って、他へ波及させていきたいと考えています。

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ここには、二人の故人の想いも託されています。一人は原発ゼロ社会を提言し、エネルギー地産地消への試みに協力を惜しまなかった、法政大学の舩橋晴俊さん。そしてもう一人は「子どもは宝」と言い、原発から23km地点で末期がんを押して産婦人科医を続けた高橋享平さん。高橋ドクターは、高橋理事長のお父様でもありました。バトンを引き継いだ高橋理事長は言います。「除染で目の前の不安を取り除くことと、希望が持てる新しい取り組み、この両輪が大切なんです」。日本はおろか世界に先駆けた試みが、南相馬で始動しています。

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おわりに

ツアーの終わりに、グリーンオイルプロジェクトの中心である稲葉光國さんの言葉をひいて社員の秋元がこう結びました。「福島が一番厳しい状況に置かれている。その福島が元気になれば、日本全国が元気になる」。同じく参加社員で、復興支援の野菜セット「福島と北関東の農家がんばろうセット」(詳しくはこちら)を企画する井口はこうも感じました。「福島では、もっとも先進的な取り組みがなされている」。
自分が立っている地で、自分にできることって何だろう。そんな思いに駆られたら、福島を思い出したい。また訪ねたい。時々、福島のものも手にとってみよう。ツアーに参加した今、「福島」から連想する言葉は「笑顔」です。
(自然住宅チーム 鎌倉恵津子)

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小高区の「浮船の里」で織られている絹織物

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