ヒストリー

走り続けて40年、大地を守る会の原点をたどる

【第18話】フルーツバスケット設立、そして王国建設へ

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1982年の低温殺菌牛乳「大地パスチャライズ牛乳」の実現、85年の「丹低団」(丹那の低温殺菌牛乳を育てる団体連絡会)設立を経て、生産者と消費者の交流はさらに活発になり、“丹那”は大地を守る会の一大交流拠点となっていった。そしてここに、大地を守る会に芽生えていた次なる構想が、にわかに実現へと動き出した。

“自前の農産加工場を持ちたい。”

あの頃、仕事を終えたあとに一杯やりながら、僕らはよく議論していた。

農産物というものは、どうしても時々で出来不出来がある。収穫量は想定通りにはいかないし、生鮮品として販売するには限りがある。畑で廃棄するものもあれば、売れ残りというロスも発生する。まして決まった畑で契約栽培された有機・無農薬(あるいは低農薬)の農産物である。丸ごと引き受けられる力が欲しい。

生産者とのパイプを強化していくためにも、「加工」という受け皿があれば、新たな商品の開発にもつながるんじゃないか……

しかしまだ、しょせん飲んだくれの夢物語でしかなかった。

そんな折、反LL運動で関係を深めた「土と健康を守る会」のリーダーだった小森真名子さんが大地を守る会の調布センターのお店で働いていて、売れ残ったキウイでジャムを作ってくれた。それが大変おいしくて、企画部長(兼NGO大地を守る会事務局長)だった加藤保明は「これだ!」と閃き、目を輝かせた(ということになっている)。

加藤と小森さんは、新宿区大久保にあった畜産加工場(当時の㈱大地牧場)の一室を借り、ジャムの開発に没頭するようになる。添加物を使わず、栄養価をできるだけ損なわない加熱方法で、素材の味を生かしたジャム。

農産加工場の構想がいよいよ具体化した時、「ぜひ当地に」と誘致を表明してくれたのが丹那牛乳低温殺菌部会の生産者たちだった。話はトントン拍子に進んだ記憶がある。

1987年2月20日、函南町平井の山の中腹に、赤い屋根のジャム工場、(株)フルーツバスケットが設立された。株主リストには低温殺菌牛乳の生産者や「丹低団」リーダー諸氏の名前があった。これぞ本来の“社会的投資”であろう。

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製品第1号は、青森・新農業研究会のりんごを使ったジャム。実に幸せなスタートだった。しかし農家には「送れば何とかしてくれるだろう」の感覚があって、傷んだ果実まで一緒に届けられ、真名子さんが激怒して突っ返したといったエピソードも生まれたりした。

その年の秋、遅い台風19号が発生した。日本海に抜けたあと大陸からの偏西風に阻まれてカーブし、青森・秋田を直撃。収穫期に入っていたりんごが大量に落ちた。

ここでフルーツバスケットは落ちたリンゴを、売るあてもないのに引き受けることを決意する。静岡の地元紙で紹介された記事の一部を紹介したい(新聞名・日付不明)。

台風19号の影響で、壊滅的な打撃を受けた青森県のリンゴ農家を救おうと、無農薬、無添加のジャムやジュースを製造・販売している函南町平井の「フルーツバスケット」(藤田和芳社長)が、落下リンゴのジャム作りにフル稼働。すでに同社の今年度生産予定数量の三倍もの瓶詰めジャムが出来上がり、「リスクを背負ってでも、なんとかリンゴ農家を手助けしたい」と、消費者団体などを対象に「リンゴジャムはいかが」と販路拡大に懸命だ。

「いかが…」って、まるでNHKラジオ「昼の憩い」のような調子だが、僕らは売るのに本気で必死だった。自前の農産加工を持つことの力を確かめるために。

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丹那での消費者との交流はいっそう盛り上がり、新たな拠点づくりの構想が持ち上がる。地域活性化にもつながることから行政(函南町)まで参画して準備が進められ、1997年9月23日、ついに丹那盆地の一角に大きなテーマパークが出現した。「酪農王国オラッチェ」の建国である。これを機にフルーツバスケットも王国内に工場を移転し、今日に至っている。

オラッチェ (1)

㈱フルーツバスケット設立から28年の時が流れた。「丹低団」はその役割を終えたとして2002年3月に解散した。消費者との交流はイベントではなく普段着のものとなり、酪農王国は幾多の試練を乗り越えながら何とか黒字経営を維持しているが、生産者は寂しさを感じるようにもなっている。

フルーツバスケットも世代交代の時を迎えた。まさか自分にお鉢が回ってこようとは思いもよらなかったことだが、歴史を背負って走るしかない。襷(たすき)の重さを誇りとして。

青森の生産者を台風被害から救った気概を忘れることなく、南箱根の一角にある大地を守る会の小さな拠点から、未来を救う取り組みを目指したいと思う。

LL牛乳反対運動から酪農王国建設まで。大地を守る会を象徴するエポックとして、長々と書いてしまった。牛乳の話はここまでにして、さらに大地を守る会が飛翔していく80年代の話を続けてみたい。

【第15話】反対から創造へ《牛乳編》
【第16話】反対から創造へ ―低温殺菌牛乳の実現!
【第17話】「丹低団」に「パック連」―牛乳が結んだ新たなネットワーク

 

戎谷 徹也

戎谷 徹也(えびすだに・てつや、通称エビちゃん) 出版社勤務を経て、1982年11月、株式会社大地(当時)入社。 共同購入の配送&営業から始まり、広報・編集・外販(卸)・全ジャンルの取扱い基準策定とトレーサビリティ体制の構築・農産物仕入・放射能対策等の業務を経て、現在(株)フルーツバスケット代表取締役、酪農王国株式会社取締役、大地を守る会CSR運営委員。 2008年農水省「有機JAS規格格付方法に関する検討会」委員。2013年農水省「日本食文化ナビ活用推進検討会」委員。一般財団法人生物科学安全研究所評議員。