ヒストリー

走り続けて40年、大地を守る会の原点をたどる

【第38話】DEVANDA運動と、表示のその後

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94年2月27日、東京・晴海で開催した『森と海と大地のDEVANDA展’94 』は、環境庁や林野庁、水産庁に加えて科学技術庁まで後援に名を連ね、全国から農・林・漁業関係、環境保護団体、生協、企業など、実に幅広い団体が参加するビッグイベントとなった。

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晴海のメイン会場ステージの様子。当日は、野菜の即売会やライブから、フリーマーケットまで、多彩なイベントが催された。

 

大地を守る会とらでぃっしゅぼーやそして首都圏の生活協同組合が呉越同舟よろしくブースを並べ、ライバル心を隠すことなく、かつ和気あいあいと自分たちの活動をPRした。
その光景は、この業界を知る人々を驚愕させた。

各団体のPRに生産者のトークあり、ライブあり、農民芸術展あり…。有機農業は冷害に強かったという調査結果も発表した。 

当時の内閣官房長官はじめ政治家もやってきた。
農水省幹部もお忍びで視察に来た。

来場者1万5千人。華々しいDEVANDAの船出だった。
裏方は死ぬ思いだったけど。

国際見本市会場の男子トイレの個室にはこんな落書きがあった。

 

「無理を言い、無理をするなと無理を言う」

 

返句もあった。

 

「そんな社長は日本一!」
(落書き主はもちろん我が社の関係者ではない、と思うが…)

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93年の大不作の際、有機栽培で作った米が冷害に強かったという報告を踏まえ、食料自給率を高めるために有機農業のこれからの役割について議論がなされた。

DEVANDA運動は全国に広がり、翌95年には東京・千葉・神奈川・北海道など11都道府県に分散して「いのちの祭り」を開催。総来場者は24万人を数えた。

また同年3月には、韓国・ソウルで「日韓DEVANDA」も開催された。日本から有機農業生産者300名強が海を渡り、韓国の農業者たちと熱い議論を交わした。

 

有機農業の思想の根幹は「生命の共生」である。

土壌をつくる微生物から大型動物やヒトにいたる食物連鎖の糸、植物も含めた生態系、それらを構成する生物多様性を見つめながら営まれる農の世界こそ、有機農業である。

「この世に用無しの生き物などいない」

有機農業とは平和の思想であり、有機農業の国際連帯は世界平和にもつながる。
その後も年々深められていく日・中・韓の有機農業者たちの真摯な交流は、大地を守る会の中国事業も含め、いつかそれを立証するはずである。

有機農業とは、規格基準と表示規制といったレベルの話ではないのだ。

 

DEVANDA運動と「いのちの祭り」はその後数年で収束していくのだが、一斉に終わったわけではなく、「解散」を宣言したわけでもないので、終わりの日にちは書けない。

いつかまた大同団結する日が来る- ということにしておきたい。

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DEVANDAの翌年から続いた「いのちの祭り」。写真は国立昭和記念公園会場。

DEVANDA運動の成功は、有機農業がもはやニッチ(すきま)ではないことを世に示した。

またDEVANDAに集った各団体がともに会員(生協は組合員)数を伸ばしたことも記しておきたい。
大地を守る会がひとり勝ちしたわけでなく、パイを奪い合ったわけでもない。
有機農業の市場規模自体が広がったのだ。

そしてこの輪は、脱原発や遺伝子組み換え食品など運動テーマでも連携する形で、今も生きている。

相手をけっして批判せず、競合しながらともに“いのちと暮らしを守る”活動を展開し、社会を変えていく- DEVANDAは市民運動をひと回り成熟させて収束した。

 

さて、表示ガイドラインその後である。

92年10月に「有機農産物等の特別表示ガイドライン」を制定するや、農林水産省は間髪を入れずJAS法(農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律)を改正する。

従来より加工食品の品質基準を定めて検査・認証する制度であったJAS法に、新たに特色ある生産方法についての基準を定め認証する仕組みを導入して、そこに有機農産物や「地鶏」等をはめ込もうとしたのである(「作り方JAS」とか呼ばれた)。

 この動きに対しても有機農業団体や消費者団体は強く反対したのだが、農林水産省は99年にJAS法の再度の改正案を国会に提出、7月に成立させる。
しかもそれは、コーデックス委員会(FAO/WHO合同食品規格委員会)で有機食品の国際基準が採択されるのとほぼ同時だった。
「有機食品」の国際基準と整合性をもった国内制度の作成と、すでに「時代遅れ」のレッテルを張られていたJAS制度の再生・存続を同時にねらったものとして、僕らは官僚の手際というものに舌を巻いたものだった。 

翌2000年1月、有機農産物と有機加工食品の基準となる「有機JAS規格」が制定され、新たな認証制度が生まれることになる。それはまさにコーデックス国際基準をなぞったものであった。

さらには、「有機」と「無農薬」の優良誤認を避けるという意図で、「無農薬」表示は「特別栽培農産物(節減対象農薬):栽培期間中不使用」と表示する旨の指導が行われる。

節減対象農薬とは「有機」で使用可能な農薬以外を指す。

つまり「栽培期間中農薬不使用」には有機で使用可能な農薬はカウントから除外する(使って良い)ことを意味する。

 

では有機許容資材も使わない「無農薬」はどうすればいいのか。

 

農水省の説明はこうだった。

「一切の農薬を使っていなくても、検査すれば農薬の残留がある場合がある。無農薬は“農薬がまったく残留していない”と理解される恐れがあるので、使ってはならない」

ごく稀なケースを根拠として、無理やり「無農薬」表示を抹殺したのだ。
こうやって、生産者の実践とともに創られ、語られてきた言葉が、国家に奪われていった。 

この間、僕らは反対の意思を粘り強く訴えながら、一方で「本来の有機農産物の基準とはどうあるべきか」を模索していた。対抗軸を示す必要があると思ったのだ。

そうして約3年にわたる内部議論とシステムづくりを経て、1999年5月、独自基準である「大地を守る会有機農産物等生産基準」を定め、発表する。

 

僕らはこの基準に込めた思いを、“生産者とともに進化する基準”と表現した。

戎谷 徹也

戎谷 徹也

戎谷 徹也(えびすだに・てつや、通称エビちゃん) 出版社勤務を経て、1982年11月、株式会社大地(当時)入社。 共同購入の配送&営業から始まり、広報・編集・外販(卸)・全ジャンルの取扱い基準策定とトレーサビリティ体制の構築・農産物仕入・放射能対策等の業務を経て、現在(株)フルーツバスケット代表取締役、酪農王国株式会社取締役、大地を守る会CSR運営委員。 2008年農水省「有機JAS規格格付方法に関する検討会」委員。2013年農水省「日本食文化ナビ活用推進検討会」委員。一般財団法人生物科学安全研究所評議員。