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〜真田信之のお膝元、沼田を訪ねて〜その①

【真田丸】真田家ゆかりの甲冑を発見!?

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真田といえば、天下の徳川の大軍を手玉にとった猛将一族として老若男女問わずファンが多いですね。なかでも徳川VS豊臣の大合戦、大坂の役での真田の赤備えは後世に伝わる名勝負!その戦いで使用されたかもしれない!?真田の赤備えがなんと!群馬県の沼田のとあるお家にあるという情報を耳にし、さっそく御邪魔してきました。

代々沼田で農業をするお家に眠る真田!? の家宝

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群馬県の北部に位置する沼田市。四方を山に囲まれ、標高差が250m〜2000mと起伏に富んだ盆地にて、3年以上無農薬及び化成肥料散布0、有機質肥料100%で『小松姫』というコシヒカリを育てる金井繁行さん。

大地宅配でも金井さんのお米は「おいしい」「食べやすい」「お米が好きになった」とかなり評判です。

『小松姫』とはテレビドラマでも話題の真田信之公の奥様の名で、かつて真田信之公がこの地を治めていたとき、小松姫と共に『真田用水』という潅漑工事に力を注ぎ、荒田だった沼田を実り豊かな地に変えてくれたという伝説にあやかって名付けられました。

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400年以上前に造られた『真田用水』は、今も現役。金井さんの田を含め、沼田の田はこの水路のおかげで潤っているそうです。なかでも金井さんのお米、『小松姫』は国際的コンクールでも毎年金賞を受賞するなど、世界的にも注目をされている存在なのです。

さて、そんな金井さんですが、実はご実家になんと、テレビで話題の真田家ゆかりの品があるそうなのです。

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お殿様のワガママを聞いたご褒美にGETした真田の甲冑!

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「うちの先祖は1590年、真田信之公が沼田にこられた時に上田よりついてきた家臣の一人でした。1615年の大坂夏の陣で豊臣が滅び、翌年徳川家康が亡くなったとき、この沼田の領地を息子の信吉公に任せて、奥方の小松姫と上田に戻るのです。このとき、上田から連れてきた家臣のうち、何人かを沼田に置いておきたいと思われ、そのとき残された家臣のひとりというわけです」

なんと金井さんは真田家に仕えていた家臣のご子孫。真田家ゆかりの品にも期待が高まります。さて、そのゆかりの品とはどんなものなのでしょうか。

「実は合戦にも使われたといわれる真田の赤備えです。ドラマや小説でもよくでてくる豊臣家VS徳川家の大坂の役のとき、信之公の弟、信繁公が赤い鎧に鹿角の兜をつけ勇猛果敢に戦ったときなどにみられるあの赤い甲冑。それが代々、我が家には伝わっているのです」

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真田の赤備え。赤備えとは戦国時代あらゆる武具を朱塗りにした部隊をいいます。実は赤の他にも黒、白、青、黄と様々な色があるのですが、赤備えは戦場で目立つとあって、昔から勇者の証といわれており、歴史の重大な合戦シーンなどでよくあがってきますね。なかでも真田の赤備えは、徳川家康を追いつめたという伝説の代物。歴史ファンなら涎もの……いや、思わず拝んでしまいそう!

「真田の赤備えが我が家にある理由は、信之公から先祖が賜ったことから始まります。沼田という土地は、関東最北の平地部にある北上野の要衝でしたので、戦国時代より近隣の有力大名が何度も戦った場所でした。その沼田を守るために、信之公は信用できる忠臣を沼田に置きたかったのでしょう。上田に帰りたいという家臣の気持ちを癒すために真田家ゆかりの品を分け与えたそうです。その家臣の一人として祖先は信之公から赤備えの甲冑をいただいたと伝わっています」

赤備えの甲冑をいただいた金井家の他にも、刀や槍、さらにはあの有名な真田の印である六文銭の一つを家紋としても良いと許された家臣もいたようです。

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「先祖に真田の赤備えの甲冑を渡したとき、信之公は何かあったら、これを私だと思ってくれといわれたそうです。そして長男の信吉公を支えてくれと頼まれた。普通、殿様だったら、残れ!と命令すればいいのに、信之公はそうはなさらず、沼田に残る家臣に、真田家所縁のものを与えてくださった。主君からそのように頼まれるとみんな感動しますよね。それから我が一族には、赤備えの甲冑が伝わるようになったといわれています」

借金の質になりかけた真田の赤備え!?

金井さんのご先祖が真田信之公から赤備えの甲冑を賜ってから400年。金井家でこの甲冑は大事に守られていたのですが、なんと最大の危機もあったようです。

「我が家は分家でして、甲冑があったのは本家です。でもその本家は江戸末期に事業に失敗し、財産を全て失いました。屋敷も山も田んぼも借金のカタに高利貸しに取られて、いよいよ明日借金取りが来るというとき、本家から我が家に連絡があり、甲冑を取りにきてくれといわれたそうです。信之公からいただいた家宝ですからね。本家もこれだけは誰にも渡せないと思ったんでしょうね。私の祖先は真夜中こっそりと大八車に提灯かかげて取りに行ったようですよ。まあ、そのおかげで、この甲冑は人手に渡らずうちにある。それが嘉永6年(1853年)頃ですから、今から160年くらい前のはなしですね」

甲冑と一緒に守ってきたのはなんと戦の指示棒ともいうべき采配。この采配の白紙の房の部分には、戦いのときに付いたといわれる血の痕があって、かなり生々しい雰囲気。

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「これがあの真田信繁公のものかどうかはわかりません。でも真田家ゆかりのものであると当家では伝わっています。真田の甲冑には手の甲に六文銭が縫い込まれているのですけれど、うちの甲冑にも六文銭がついています」

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代々金井家は農業を生業とされているようです。実はおもしろいことに信之公の父、昌幸公には金井高勝という弟がいて、戦いが苦手で侍をやめ、帰農した人なのです。

同性の金井さんはもしかしてそのご子孫なのではないかと尋ねてみたら「うちはそんなに位の高いものではありません」と笑われました。でも、金井高勝の死んだ後、その子孫は上田で農業をはじめたといわれていると文献に記されているようですから、そのなかの一人が信之公の家臣となり、沼田に一緒に来たという話も想像できなくもないですね。

「私は甲冑というのは武将にとっては戦いの中、自分の身を守るものでもあるけれど、もうひとつの意味があると思います。それは死装束であるということ。いかに立派に死ねるかという男気のあらわれだと感じるのです。ですからこの前に座ると、何事も死ぬ気で一生懸命にせよ、と殿様からいわれているようで、身が引き締まります」

かつて信繁公が徳川の大軍に真田の心意気を見せつけた真田の赤備え。時代を超えて、真田に縁深い沼田に住む金井繁行さんの家にあるのは偶然?それとも必然?こればっかりは神様しかわからない、歴史の浪漫を感じずにはいられませんね。
                             ②へ続く

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大地を守る会編集部

大地宅配編集部は、“顔の見える関係”を基本とし、産地と消費地をつなぐストーリーをお届けします。