2010年6月18日
珊瑚の島で 後継者会議
もしお手元にあれば日本地図を開いて、鹿児島から沖縄を眺めてみてほしい。
種子島・屋久島のある大隈諸島からトカラ列島・奄美諸島までを薩南諸島と呼び、
その南方の沖縄諸島・先島諸島は琉球諸島と総称される。
(両方ひっくるめて 「南西諸島」 となる。)
しかし僕は 「琉球諸島」 より 「琉球列島」 という呼び方のほうが好きだ。
もっと言えば、 「琉球弧」 という表現に血が騒いだりする。 なんでだろう。
ここは沖縄本島から南西約300kmに位置する、先島諸島・宮古島。
ざっくりと言えば、九州本土と台湾の中間に沖縄本島があり、
沖縄本島と台湾の中間に宮古島がある。
山がない、川らしい川もない、丸ごと珊瑚礁によってつくられた島。
南四国の海に育ったワタクシの目にも、ここは空気も風土も文化も違う
まったくの異国である。
この島で、 『 大地を守る会 第8回全国後継者会議 』 が開かれた。
昨年、島根県浜田市(といっても旧弥栄村) の 「やさか共同農場」 で開催した際に、
「来年は宮古島で開催した~い。 ぜひ来て~!!!」
とアッピールしたのが、宮古島に入植して7年の西川卓治くんだった。
沖縄本島よりまだ向こうでの開催に、昨年以上に不安先行の準備になったのだが、
そこは7年にわたって親交を温めてきた若者たちの心意気である。
北は秋田・福島から鹿児島まで、内地から14名の次世代生産者たちが
宮古島に乗り込んできてくれた。
せっかくの沖縄行きということで、奥さんとお子さん同伴というのも2組あった。
「オオッス」 という挨拶や、子どもとすぐにうち解ける光景が、とても嬉しく感じる。
会議は17~18日の日程で、僕らは16日の午前中に羽田を立ち、
那覇空港を経由して、夕方に現地に入った。
前日入り、ということは・・・・・前夜祭から始まるってことだ。
駆け足で2軒の生産者と畑を回って、夜は彼らの農産物を取りまとめてくれている
「有限会社 真南風 (まはえ)」 さんとの懇親会に臨む。
宮古島の生産者を中心に、沖縄本島や石垣島からも生産者が集まってくれた。
本番前というのに、二次会まで設定されて、
そこで恐れていた、宮古島伝統の泡盛の回し飲み 「オトーリ」 の洗礼を受ける。
「オトーリ」とは-
まず 「親役」 が口上を述べ、コップ酒をイッキ飲みする。
そして親役が酒を注ぎながら座を囲んだ全員にコップが回ってゆく。
回ってきたらイッキに飲む。
ひと回りしたら、親役が次の親を指名して、指名された親はまた口上を述べ、
イッキ飲みする。 それが順番に繰り返される。
もともとは豊作祈願の神事から始まったようだが、いつの間にか島の慣例となって、
沖縄本島の人の間では 「宮古にだけは泊まるな」 とも言われているんだとか。
島内では、この泡盛イッキ回し飲みの是非をめぐって終わりのない論争が続いているらしい。
泡盛を空けながら口角泡を飛ばし・・・て感じかしら。 終わんねぇな、ゼッタイ。
そんなキビシイ前夜祭を経て、
6月17日、「大地を守る会 全国後継者会議」 が開催される。
恒例の藤田会長挨拶の後、
「真南風 (まはえ)」 代表、夏目ちえさんの挨拶。
真南風の歴史を語る夏目さん。
歴史をひも解けば、僕らのつながりは1986年秋の大イベント 「ばななぼうと」 にまで遡る。
全国250の市民団体から集まった500名を越す人々がひとつの船に乗り、
徳之島から石垣島までめぐりながら、
「いのち・自然・暮らし」 をキーワードに、市民運動のネットワークづくりを語り合った。
当時、石垣島・白保のサンゴ礁を守りたいと空港建設に反対していた魚住けいさんが、
サンゴ礁とともに生きる島の暮らしを支えるのだと、漁民と手を組んで
天然もずくの産直事業に乗り出していた。
" 批判・告発型の運動から提案型運動へ- "
今でいう社会起業の先駆けともいえる市民事業の種が一斉に蒔かれた時代だった。
僕もまだ若かったな。
あれから沖縄各地に仲間の生産者が増えていって、「真南風」 設立へと至る。
魚住さんは強い意志をもって走り続け、2004年、ついに天にまで昇ってしまわれた。
そして魚住さんの遺志を継いだのが夏目さんだが、
代表を引き受けるにはずいぶんと悩まれたようである。
背中を押したのが生産者たちであることは言うまでもない。
あれから20数年、俺もオッサンになったな・・・などと感慨に耽っているうちにも、
若者たちは屈託なく、ツカミをとりながら自己PRを始めている。
3回目だったかの開催地、愛知・天恵グループからは3名の参加。
3年前の開催地、長崎・長有研からは2名。
過去2回開催した埼玉からは瀬山公一が、昨年のやさか共同農場からは竹岡篤志が、
家族連れでやってきた。
みんな律儀である。
今回のニューフェイスはこの人。
長野県松川町 「農事組合法人まし野」 の熊谷拓也くん。
農大を卒業して、アメリカのリンゴ農園で2年の研修経験を経て、
今年の春、実家に就農した。
夢は、アメリカで自分のリンゴ農園を持つこと、だとか。
こちらが今年の開催地・南アフリカ、じゃなかった沖縄の、若手生産者たち。
左から3番目が、攻めは強いが守りはからきしと思われる西川卓治選手。
出身は大阪で、栃木の有機農家で修行した後、
奥さんの実家・宮古島に二人で帰って、有機農業を始めた。
新規就農にはタフさだけでなく、明るさもあったほうがいい。
ボケで笑いを取る関西DNAと常に前向きな行動力は、
地域を変えるエンジンになるかもしれない。 期待のキャラだ。
さて次に、沖縄大学・盛口満先生の講演となるのだが、
疲れたので、今日はここまで。
今回の宮古島体験は、ネタがいろいろあり過ぎて、
こんな調子で続けたらいったい何回の連載になるのかしら。
せめて3回で終わるようにしたい。
本土にはいないと思われるトカゲのデート、発見。