2010年6月22日
楽園の果実
宮古島レポートの続きを。
6月18日(金) 朝、我々 「大地を守る会 全国後継者会議」 一行は、
宮古島から来間 (くりま) 大橋を渡り、来間島に渡る。
昨夜のビーチから眺めた橋の向こうにある、
周囲10キロ、人口200人に満たない島。
1995年、日本一長い農道橋が開通して、便利になった反面、
島に車があふれるようになり、ゴミ (現地の人はチリと言う) が増え、
空き巣やバイク泥棒など犯罪まで発生するようになった。
橋は必要だと思いながら、なくしてはいけないものもあるはずだと、
この島の農家に嫁いだ砂川智子さんが、
著書 『楽園の花嫁』 でその光景や悩みを綴っている。
さて、この島でのお目当ては、その智子さんの夫、砂川重信さんである。
完熟マンゴーの生産者だ。
智子さんが惚れた 「日本一黒い男」。 腹ではなく肌のことです。
砂川さんのマンゴー、" 完熟 " の称号は伊達ではない。
なんたって、実が熟して落ちるまで樹に成らせる。
砂川さんのこだわり、というより " それが自然でしょ " という感覚が
砂川マンゴーの本質である。
しかも農薬も化学肥料も一切使わない、有機マンゴー。
断然、味が違う。 濃厚な甘さに上品な酸味、口の中でとろける感触は、
まさに " 楽園の果実 " と呼ぶにふさわしい。
沖縄は20数年ぶりで、恥ずかしながら初めて見るマンゴーの樹。
ネットを取れば、まだ赤いけど堂々たる大きさに育っている。
これが黄色くなって、袋の中で自然落果するまで待つのである。
智子さんの著書。
マンゴー栽培を始めた頃の様子が記されている。
『 輸入自由化で和牛の値段が下降しはじめる前にどうにかマンゴー栽培を始めたい。
そう決心した私たちは最初の年に6アール、次の年に20アールのビニールハウスと
用水池を完成させた。 風速45メートルの台風にも耐えられるという
沖縄仕様の鉄骨ビニールハウスは、私たちに夢を膨らませ満足感を与えてくれたが、
炎天下の困難な建設工事と多額の借金という現実も残してくれた。
マンゴーの苗木は植え付けてから3年めで花が咲き、
去年から6アール分のマンゴーとパパイヤ、島バナナなども出荷している。
私たちのマンゴーはすべて 「楽園の果実」 と名付け、
申し込み順に今朝収穫したものを直接消費者に送っている。
有機栽培でなるべく農薬を使わないように。
マンゴーが大好物の私の3人の子供に、安全で美味しいものを食べさせてあげたい。
そんな親の思いが、そのまま私たちの農業姿勢になっている。
だが、年々増えてゆく収穫量にどこまでそういう姿勢で対応できるのか・・・。
理想と現実にどう折り合いをつけていくか・・・。 まだまだこれからだ。 』
1995年頃の話。 お二人の当時の心情がうかがわれる。
砂川さんのパッションフルーツ。
ただ酸っぱいだけの果物と思っていた人も、これには驚きの声を上げる。
酸味とのバランスがよく、 「甘い!」 のだ。
パッション~といっても 「情熱」 の意味ではない。
その花の形が、欧米では十字架に打たれた釘を連想させるようで、
キリストの受難 (the Passion) の花と名付けられた、のだとか。
それにしても驚いたのが、
閉じていた蕾に声をかけたり触ったりしているうちに、
あっという間に全開まで開いてくれたことだ。
すごいサービス精神!! てことはないよね。
ハチでも飛んできたと錯覚したのか。
ちょうどそういう時間だったということもあるのだろうが、
呼ぶ声に応えるかのように動き出した花弁に、来客を喜んでくれている、
と感じたのは僕一人ではなかったと思う。
この花のどこが十字架に打たれた釘に見えるのか、キリスト教門外漢の私には分からない。
「情熱のフルーツ」 にしようよ。
智子さんが運営するカフェ、「楽園の果実」 でひと休みさせていただく。
夏のような日差しに、むせ返るような湿度の下で、
爽やかなマンゴージュースが、とても嬉しい。
智子さんに会えなかったのが残念。
観光客や短い滞在者には、ここはまさに " 楽園 " である。
しかし、それで宮古島レポートを終わらせるわけにはいかない。
「大地を守る会 全国後継者会議」 の視察プログラムを通して、僕らは、
この島に実に深い問題が横たわっていることを知らされたのだ。
それはいま地球上で進行している重大な危機の、ひとつの縮図だと言える。
最後に、地下ダムと有機農業の話を。