2011年5月 9日
母の問いに逡巡した私 -福島行脚その③
「ミニ講演会&里山交流会」 報告の続き。
原発と放射能汚染の講演に続いては、
この地に入植して15年、「あいづ耕人会たべらんしょ」 の生産者でもある 浅見彰宏さん から、
石巻と南相馬での " 泥だし+炊き出し " ボランティアに参加した報告がされた。
TV等で何度も見せられた惨状であっても、
やはり実際に行動してきた方からの生の話と映像は、
臨場感を持って迫ってくるものがある。
「元気を与えたいと思って行ったのに、逆に元気をもらって帰ってきた。」
ボランティアを経験した方々が共通して持ち帰ってくるこの感覚。
生死の境目でなお人を思いやれる心とか、
普段は表に出ない人間の強さとか深さのようなものに触れたのだと思う。
自分がしていない体験談は、どんなものでも聞く価値がある。
講演と報告の後の質疑では、
一人の若いお母さんからの質問が胸にこたえた。
「 山都に嫁いで来て、二人の子どもができて、まさかこんなことが起きるなんて・・・
先祖から受け継いできた田畑があって、この土地を離れるわけにはいかない。
そう思いながらも、子供のことを考えると不安がいっぱいです。
どうすればいいんでしょうか。」
長谷川さんへの質問だったのだが、誠実に答えようと思えば思うほど、
質問者には歯がゆい回答になってしまう。
今はまだ大丈夫だけど、これから近隣の測定データをこまめにチェックして、
出来る防衛策をとりながら、、、
長谷川さんをフォローしようか、でも彼女の不安を払拭できる明快な回答は・・・
と一瞬二瞬の逡巡が手を挙げさせるのをためらわせてしまって、
その方のやや辛そうな 「どうもありがとうございました」 のひと言で、
僕は目を伏せてしまったのだった。
昼間の作業の疲れもある中、楽しい交流会を前に時間を30分オーバーしても、
参加者は熱心に耳を傾け、いわゆる " 集中してる " 感じが漂っている。
厳しい自然と折り合いつけながら、支え合って里山の暮らしを実直に紡いできた人たちに、
こんな会議を、、、
やらせるんじゃないよ! と、激しく言いたい。
さて、重たい雰囲気はここまでとして、
約40分遅れて、地元の方々との交流会となる。
(写真提供:浅見彰宏さん)
暗い陰は陰として、農民はその本能に従って田を守り、作物を実らせよう。
それしかない。
今年も滔々と堰に水が流れ、豊作になりますように。 乾杯!
久しぶりにチャルジョウ農場の 小川光さん や息子の未明 (みはる) さんら
の元気な姿も確認できた。
「山都の農場は " どうしようもないバカ息子 " に託して、私は西会津に住んでます
(注:光さんは西会津で遊休地の耕作を引き受け再生させている)」 と、
西会津の名刺を頂戴する。
バカ息子は、" どうしようもない頑固親父 " がいなくなって清々している様子。
面白いね。
振る舞ってくれた山の幸とともに、とっぷりと楽しい時間を過ごさせていただく。
こういうときはだいたい飲みすぎてしまう。
「本木・早稲谷 堰と里山を守る会」事務局長の大友さんによると、
水利組合のメンバーが、この一年で3戸退会されたとのこと。
昨年は4戸。 この2年間で20戸が13戸に減ってしまった。
浅見さんがこの地に入って15年のうちに、半分以下になったことになる。
農村の高齢化はもはや口で騒ぐだけではすまない、切迫した状態になっている。
食と環境を支える土台が崩れていっている。
それは、超ド級の震災と同じレベルで、この間進んでいるものだ。
ただ、今このときに恐怖が凝縮されてないだけで。
来たれ!若者たちよ。 この美しい水源を、一緒に守らないか。