2011年5月21日

「食の安心・安全」て何だ? -茨城大学で講義

 

茨城大学農学部に、お邪魔してきた。

電車を乗り継ぐこと約2時間、JR常磐線・石岡駅からバスに揺られること約20分。 

稲敷郡阿見町というところにある。

 

うららかな陽光を浴びて、ちょっと汗ばむくらい。

土曜日ということもあってか学生の影もなく (それでいいのか・・・とか思いながら)、

落ち着いた~ というより、のんびりとした風情のキャンパス。

都心のなかで喧騒を撒き散らしながら過ごした我が学生時代の空気とは

エライ違いである。

 

別に青田刈りに来たわけではない (人事担当でもないし)。

全国有機農業推進協議会や日本有機農業学会の理事でもある

中島紀一教授から呼ばれて、

学生さん相手に講義をする羽目になってしまったのだ。

 

こちらでは通常のカリキュラムとは別に、学部内の全学科横断的な講座があって、

今年の前期課目として 「農産物総合リスク論」 という特別講義が設定された。

対象は3年生と4年生。

そのなかのひとつ- 「農法と安全性」 という講義のなかで、

「有機農業の農家と結びあって」 というテーマで話をしろ、というお達し。

 

授業計画を見れば、他にも

家畜飼育法とその安全性、食の安全と市民の役割、農薬の安全性、

遺伝子組み換え作物の安全性、機能性食品の安全性、食品の摂取方法と健康管理、

といったテーマが組まれている。

各テーマそれぞれで、意見の異なる二人の論者を招いて話を聞き、

学生自身で議論しあう、という構成になっている。

 


今回の、もう一人の講師は生協の品質管理の責任者の方で、

講義は聞けなかったのだが、レジュメを拝見したところ、

以下のような骨子で話されたようである。

 

商品価値は、「価格」 と 「品質」 のバランスで成立し、

「価格」 と 「安全」 は関係ない。 「農法」 と 「安全」 も関係ない。

安全性の確保とは、法令順守を基本として、

(製造・生産に係る) すべての工程における管理の徹底、

そして正確かつ適正な情報提供にある。

食品には、食中毒菌や異物、ウィルス、食品添加物、農薬、アレルギー物質など

様々な危険要素が存在し、それを予防、除去、または低減に努めること。

それらのリスクを正しく理解し、適切に管理すること。

 

農法については、(慣行とか有機とかで) 安全性の区分はしない。

農薬は、環境に配慮しつつ、必要な場合に適正に使用する。

持続可能な農業とは、生産者が主体的に取り組むもので、

天候不順や市場動向などの状況変化に臨機応変に対応しつつ、

適正な利益を確保すること (経営の持続性) によって成り立つ。

それを前提としつつ、

提供するすべての商品とフードチェーン全体での安全性を確保するために、

仕様書の更新や産地点検、各種検査等のチェックを実施してゆく。

 

よくまとまっていて、さすが大きな生協さんである。

僕らの考えも重なるところが多い。

ではどこが 「意見の異なる論者」 になるのだろうか。

 

違いが生れる基点は、農法に対するこだわり、に尽きるだろうか。

農法といっても、肥料や資材や菌等の選択によって、また栽培技術や理論によって

いろんな 「農法」 が存在するので、

とりあえずここは有機農業と慣行農業 (一般栽培) とで区分けして話を進める。

 

論点の違いを際立たせるためには、ここから始めなければならない。

大地を守る会は、1975年、「農薬公害の追放と安全な農畜産物の安定供給」

を掲げてその活動をスタートした。

中島先生を一瞥すれば、歴史からかよ・・・ という顔をしている。

 

故有吉佐和子さんの小説 『複合汚染』 をきっかけに、

農薬問題(その危険性) にアプローチするなかで、

農薬の害に警鐘を鳴らすお医者さんと有機農業を実践する農民に出会い、

彼らの育てた野菜を消費者に届けるパイプ作りの必要性に気づかされたことで、

僕らの仕事は始まった。

有機農業を広め、その農産物が社会に安定的に供給される仕組みを築くことによって、

生産者、消費者、両者にとっての農薬リスクを排除・低減することができる。

" 安全な食生活・暮らし "  を保障する社会を築いていくこと、

それこそが最大のリスク対策であり、リスク管理の前提である。

 

仕様書確認や検査といった管理の仕組みというのは

(我々も、どこにも負けないくらいの自負をもってやっているが)、

あくまでもその結果の確かさを検証する、

あるいは  " 見える化 "  させるツールであって、

それだけでは安全や安心を保障する社会をつくったことにはならない。

(講義じゃなくて、アジ演説になるんじゃないだろうな・・・ と教授は不安を覚えただろうか)

 

さて、昨今当たり前に使われる  " 食の安全・安心 "  であるが。

「食の安全」 とは何か?

「食の安心」 とは何か?

逆に、「食におけるリスク」 とは何か?

さらには、 「食べる」 って、どいういうこと?

生徒さんに問いかけながら、進めさせていただく。

(ほとんど自分で喋ってんだけど・・・)

 

すべての人にとっての安心・安全の 「基準」 というのが

明確に見定められているなら、コトは実に簡単である。

しかし、「安全」 を語る際には、考え方や人の事情によって

様々なレベルの基準が発生するのが、「食」 というやつだ。 

" 国の基準値にしたがっているなら、それは 「安全である」 " という視点と、

" リスクはひたすらゼロを目指すべきである "  という 「予防原則」 の観点の間には、

無限の選択肢があって、

どういう立場に立っているのかによって安全基準は異なってくる。

 

私たちは、現状で設定されている社会規範 (法律) は守りつつ、

一方で 「予防原則」 も懐に持って、基準そのものを進化させていく姿勢を

持たなければならない。

しかもそれはただ単純に、厳しくなることを意味するものではない。

社会の水準を底上げしていくためには、しなやかさも求められる。

であるがゆえに、それらの行動と結果を検証し、改善してゆくために

管理の仕組みは存在する。

 

最も大切なのは、食を通じた生産と消費の  " 信頼 "  を取り戻すことである。

作る者に必要なモラルや責任感は、

 " 食べる "  という行為によって支えられ、維持されるワケだから。

そのつながりによって、食を支える土台である環境も維持される。

 

「ただちに健康危害はない」 から

「ずっと大丈夫」 と言える社会に進むことが大切なんじゃないでしょうか。

であるからして、エヘン、大地を守る会は原発にも反対してきたのです。

 

小賢しい管理の手法は社会人になってから覚えればよい。

学ぶ時間が与えられている今は、

人の健康を脅かすリスクというものの根源がどこから生れてくるのかをこそ、

探求してほしい。

と言って、書籍まで紹介する。

『肥満と飢餓 -世界フード・ビジネスの不幸のシステム- 』

 (ラジ・パテル著、作品社刊) くらい読んでおけ。

(やり過ぎだよ、お前・・・ と苦笑いする教授)

 

本来のテーマに沿えたのか、まったく自信がない。

生徒たちは、ワケ分からなくなっちゃったかもしれない。

中島先生、スミマセンでした。

 


Comment:

ぱちぱちぱち〜\(^o^)/。
すばらしいです!
大学の授業だから、学生も、これぐらいは理解できないで、この先就職なんて難しいぞ!って感じです!
いやぁ〜。聞きたかったなー。
私もご紹介いただいた本を読んで勉強いたします!

from "てん" at 2011年5月30日 22:36

てんさん

有り難うございます。
後日、生徒さんの感想を頂きましたが、真意を理解して「よかった」と書いてくれた方と、充分理解できなかった方に分かれました。半分でも刺激を与えられたなら本望ではありますが、若者相手の授業なんですから、独りよがりではいけない、とも反省するところであります。

from "戎谷徹也Author Profile Page" at 2011年6月 2日 22:52

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