2012年8月15日

『 故郷 』

 

11日の夜に帰って14日の朝には発つという、中二日の里帰りを敢行。

墓参りをして仏さんをお迎えして、

お坊さん(地元では  " おじゅっさん "  と言う) を呼んでお経をあげてもらって、

仏さんをお見送りすることなく、いわんや阿波踊りに興じることもなく、帰ってきた。 

まったく親不孝モンである。

 

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9日に行なわれた農林水産省の 「地域食文化活用マニュアル検討会」 では、

自己紹介がてら、こんな軽いエピソードを披露してしまった。

 僕の田舎は南四国の小さな漁村で、

 この時期の食卓は毎日のように、カツオの刺身だった。

 高校生の時、そのことを仲間にぼやいたら、

 「エビんちに行くとカツオがたらふく食べられる!」 というので

 友達が何人も遊びに来てしまった。

 お袋は気合いが入って、「今日は料理をしなければ」 と、肉を買ってきた。

 (僕はそれ以来、友達を呼ぶと肉が食える、という公式を覚えた。)」

 

自慢話ではなくて、哀しいオチのつく話である。

あの頃の海は豊饒だった。

漁師たちには自信がみなぎっていて、

だから原発建設の計画が持ち上がった時も、一気呵成に潰したものだ。

今はそんな勢いなど見る影もない。

 


地元の漁協(自宅の隣にあった) に勤めていた母は、

漁師から毎日のように漁の残りものをもらって、お陰で魚に困ることはなかった。

「またカツオか・・・」 とぼやく、飢えたおぼっちゃま3人を横目に、

母は持ち帰ったカツオをさっさとさばいて、スダチをふんだんに絞って、

「これ食べとき」 と大皿を置いて、また浜(港の仕事) に戻っていった。

おそらく、ただ切るだけの刺身は、「料理」 の範疇ではなかったのだ。

一方で僕が一番好きだったのは、

金にならない雑魚をすりつぶして揚げた、この地方でいう 「天ぷら」、ざこ天だった。

おやつは何と言っても、磯もん(磯遊びで取ってきた小さな巻貝) である。

僕たちの 「食文化」 は、海とともにある暮らしそのものであり、

その文化をゲンパツに売り渡すことなど、到底考えられることではなかった。

 

しかし、、、今なら売るかもしれない。

海は誰のものでもなく、未来から預かっている永久資産のはずなのに。

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食文化マニュアル検討委員会で、中田典子委員から、

福井県小浜市での食を基盤にしてのまちづくりや食育活動についての

素晴らしいプレゼンを聞かされたあとに、

しぼんでゆく我が故郷を目の当たりにしながら、浮かんできたのは

小浜に隣接する大飯 (現:おおい町) 出身の作家、故・水上勉の

 『故郷』 という作品の一節だ。

 

  「 成長やないぞ・・・・・魚もすまん磯に荒廃させといてなにが成長かいな。

   これは退化や。 せやよってに、フィリピンから、兵隊で死んだ人らの

   生まれ変わりの娘さんらがはるばるやって来て、

   村を立て直すために肥えくみはじめとる・・・・・そんなことわからんのかいな 」

 

「食文化」 を、特産品のカタログのようなものにしたくない。

生命の湧く海や大地とともにいることの 「誇り」 を蘇らせるような、

そんな力を吹き込ませたいものだ。

『故郷』 にはこんな親子の会話の場面も出てくる。

 

   < あれは文明のお化けだよ。 何も年とってからお化けの棺桶のそばへ

   眠りにゆかなくてもいいじゃないか >

   ハドソン河畔のマンションで、子供らは、富美子の故郷移住をそのようにいって

   反対したのだ。

   ・・・・・・・・・・

   原発銀座と人もよぶような所へ、わざわざ、老後になって帰ってゆかなくても、

   と息子たちはいうのだが、富美子はこの意見をまともにうけとれない。

   「 謙ちゃんにかかるとママの故郷は二束三文になっちゃったけどね・・・・・

   ママには、この世にたった一つしかない故郷なの 」

   「 そこが原発の巣になっちまってるんだよ。 ぼくは、異常だと思うよママの故郷は」

   異常か。 ほんとうに異常なのだろうか。 富美子は自問自答して、考えこむ。

   そして、少しまをおいてから息子たちにこういうのだ。

   「 日本はいま、世界一のお金持ちになれた・・・・・

   その原動力を国に提供しているのが若狭なのよ。 ママの故郷なのよ。

   ママの故郷のお爺さんやお婆さんがいなければ、

   日本の今日の発展がなかったかもよ。 そんなに、ママの故郷をいじめないでよ。

   山も海もきれいなところなんだから・・・・・

   あなたたちだって海水浴にいって、大喜びで、いくらむかえにいっても

   晩まで帰ってこなかったじゃない。 すてきな村だいってたくせに・・・・・ 」

   そういっているうちに、富美子は心で泣くのだ。

   どうして、外国へきてまで、こんなことを言いあわねばならないのだろう。

   夫はだまって、聞いているだけだった。

   もちろん、この議論に勝負のついたためしはない。

 

水上勉さんは、故郷・若狭を深い愛をもって描きながら、

原発が人の心や暮らしの底にあった 「安定した重し」 のようなものを壊していく様を、

人それぞれの言葉や情感から表出させていくのだが、

つい自分の故郷の風景をダブらせてしまっている自分を、悔しいと思いながら読んだ。

なお、この作品は1980年代のものである。

 

こちらに戻ってくる前の晩、

漁の減ったカツオを調達してきた老母のセリフが、腹が立つ。

「 この子らは、カツオ切ってやっとったらええんでな、楽な子やった 」

反論は、やめた。

ま、僕の体の素は、海の命でつくられたようなものだ。

「食文化」 の再発見には、山の神さんや海の神さんも動員したい。

怒り来たれ、八百万の神々よ。 

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Comment:

四国への里帰り、鰹の話、水上勉の話、農林水産省の 「地域食文化活用マニュアル検討会」のことなど最近の文章はリリシズムに溢れてとても良いね。

from "佐藤彌右衛門" at 2012年8月25日 03:47

弥右衛門さん。
有り難うございます。生まれ故郷への郷愁は年をとるにつれ募ってくるようで、つい抒情的になってしまいます。良いのか悪いのか……自分では判別つかない有り様です。

会津でのエネルギー完全自給!
展開を期待しています。我々で協力できることがあったら、ぜひお声かけください。

from "戎谷徹也" at 2012年8月25日 15:15

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