2012年9月 8日

しつこく、食の安全基準とは-

 

今週もいろいろあって、2本はアップするつもりだったのだが、書けず。

しょうがないのでまとめて報告としたい。

 

9月4日(火)、PARC (パルク/アジア太平洋資料センター) が主催する

「自由学校」 に呼ばれる。

「どうする日本の食と農」 という講座の第6回、

「消費者と生産者をつなぐ現場の模索と苦闘」 というタイトルをつけてもらって、

3.11以降の放射能対策の取り組みから、食品の基準の問題、

これからの方向について考えていることなど、お話しさせていただいた。

 

この講座。 僕の前に福島の生産者が二人、講師を務めている。

一人は浅見彰宏さん(喜多方市山都町 「あいづ耕人会たべらんしょ」) 。

もう一人は、二本松市 「ゆうきの里東和」 の菅野正寿さん

彼らのあとというのは少々やりにくい。

講座のレベルを下げてなければよろしいのですが・・・

 

その夜は受講者や出版社・コモンズの大江さんたちと一杯。

懐かしい方にもお一人再会して (昔、配達していた自然食レストランの方) 、

楽しい時間を過ごさせていただく。

 

翌5日(水) は、

自分で印刷・帳合いした資料を300部担いで、朝から千葉に出向き、

「千葉県の食べもの・飲みもの、給食の安全性 放射能は大丈夫?」

という長いタイトルのシンポジウムにパネリストとして参加する。

コーディネーターは、オーガニック・ジャーナリストの吉度日央里さんと

歌手の加藤登紀子さん。

パネリストには 「さんぶ野菜ネットワーク」代表の富谷亜喜博さんのお顔もあった。

 

このふたつの機会で、僕が強調させていただいたことは、

食品の安全基準 (規制値) とは何のためにあるのか、

という点において日本の行政は根本的な過ちを犯しているのではないか、

ということ。

 


前にも書いたことだけど、

食品の基準とは、「食べる人を守る」 ためにある。

これは揺るぎない大原則である。

しかしこの国のやり方は、ともすると産業を守るために機能させようとしていないか。

農産物で言えば、生産者・メーカーの経営を守ろうとして

「これ以上厳しくすると生産者がやっていけない」 と言わんばかりに

最初の基準が設定された感がある。

このような目線だったとしたら、そこから公正な行政は生まれない。

 

消費者は 「食べる」 という命がけの行動をもって、

選択した生産物と生産方法、ひいてはその生産者を支援することになるわけだが、

汚染を負担する(身体で引き受ける) ことはできるものではない。

しっかりと 「食べる人 (特に感受性の強い子ども) を守る」 ための基準を設定して、

基準への信頼を確保し、生産者もそれを指標として生産に取り組むことで、

生産と消費の信頼関係は担保されることになる。

「基準を超えるものは流通させない。 生産者にはきっちりと補償して対策を支援する」

と宣言し、指導を徹底する必要があったのだが、

どうも見ている方向が違っていたとしか思えない。

その後は、ボタンのかけ違いのように進み、国民は国の基準を信用しなくなった。

「これくらい食べても大丈夫」 と識者が語る一方で、

「基準は厳しくしてもらわないと、俺たちまで信用されなくなる。

 かえって風評被害を生むことになるんじゃないか」 と

危機感を募らせた生産者が多くいたことを、中央の人たちは誰も気づかなかった。

 

国の基準は 「最低限の安全保障」 として、一定の信頼が確保されなければならない。

公的基準が信用されない社会は不幸としか言いようがなくなる。

また、その基準をより高めていくために民間の努力が存在するワケだけど、

この国の行政は、どうもそういう民間を排除しようとする。

 

食べる人を守るために基準を設定し、厳しく運用する。

そのために生産者を支援する - というのが本来の理屈でなければならない。

したがって、基準が守られていることを保証するための体制は、

流通段階での測定よりも、(モノの流れの)上流でのモニタリング体制が重要となる。

生産地でしっかりモニタリングして、不安のあるものは出荷しない、

というモラルを持って取り組まれることが、生産への信頼を向上させる。

それをサポートするのが行政の役割である。

その意味において、2台の測定器を生産地に無償で貸し出していることを、

僕はけっこう誇りに思っているのである。

 

振り返れば農政は、だいたい 「農林水産業」界のために動いてきた。

結果はほとんど失敗の連続だったように思われるが、

問題の根源は、政策の大元が

「国民の健康を守るために、農林水産業をどう健全に保つか」

という道筋になってないからじゃないかと思う。

自分たちの健康を維持するための施策なら、消費者は 「支払う」 用意がある。

アルバート・ハワード卿(英国) の60年以上も前の言葉、

「国民が健康であること、これは平凡な業績ではない」 (『ハワードの有機農業』)

は、今もって未達の教訓である。

 

「基準」 によって生産と消費が対立してしまった不幸を、まずは修復する。

次に、測定によって 「基準が守られている」 ことを担保する。

そして生産者の取る対策をサポートする。 ゼッタイに切り捨てない。

その上で、汚染と不安の元凶を取り除くために、

" ともに "  支えあい、たたかう連帯感を産み出したい。

 

千葉でのシンポジウムでは7人のパネリストがいて、

トップバッターで指名されて、つい早口で喋ってしまった。 

少しでも真意が伝わったなら嬉しいのだが。。。

 

シンポジウムのあとは、関係者と連れ立って、

近くの自然食レストランで昼食を共にする。

ここでお登紀ぶし炸裂。

「私たちはみんな、食といのちのもとである  " 農 "  とつながらなきゃいけないの。

 " 農 "  とつながって、生きることの意味を見つめ直すなかで、

 本モノの社会を変える力が培われてゆくのよ。 革命を起こしましょう!」

ちょっと記憶が怪しいが、そんな感じで、みんなの感動が伝わってくる。

「登紀子さ~ん、千葉県知事になってください!」

という声が飛び出して、さすがの加藤登紀子も面食らう。

「いや、あの・・・そういう人生設計は立ててないので・・・」

と笑って取り繕うしかない。

 

さて、5日はその足で中野まで移動。

駅でジェイラップの伊藤俊彦さんと落ち合い、

環境エネルギー政策研究所(ISEP) にて、

稲田での自然エネルギー構想についての作戦会議。

脱原発社会への次なるステージを用意する、そのための準備を急ごう。

 

6日(木) は、今度はこちらの放射能連続講座の打ち合わせで、

吉度さんとミーティングを実施。

7日(金) は、この間の土や水の測定結果を持って茨城に。

今のところ不安なデータは示されてないが、油断せず、

継続して水系などの調査を進めることを確認した。

 

" 生産と消費のつながりを取り戻す " なんて簡単に言ってるけど、

これは容易なことではないし、しかも一つの施策で片づかない。

いろんな課題がつながっていて、

僕らは否応なく大きな社会システムを作り直す作業に向かっている。

やっぱこれは  " 革命 "  という言葉こそ相応しい。

 


Comment:

加藤登紀子に千葉県知事をやってもらい、千葉から日本を革命するって、まんざら悪いことじゃないかもしれないような気もする。

from "metre maide" at 2012年10月 1日 20:45

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