2012年12月29日
「土」 に感謝して、一年を終えたい。
周りが短い休暇に入って行くのを横目に見ながら、
宿題が終わらず居残りさせられている少年、じゃなかった中年。
開き直って諦めよう。 もはやここまで。。。
この一年を振り返りながら、
お前が飲む酒は美味いかと自問自答してみる。
まあまあ・・・ だったとも言えそうだけど、後悔もいろいろある。
もっとバットを振っておけばよかった・・・ アニキ金本の言葉が胸に突き刺さってくる。
アニキ、お疲れさまでした。 感動を有り難う。
それから松井くんも。 君の縦じまのユニフォームが見たかったのに、残念。
最高のパフォーマンスが見せられない、と引き際を鮮やかにする者。
かたやボロボロになりながらもたたかい続けた男。
どちらも美しい。
今年は、2月の朝日新聞シンポジウムを皮きりに
けっこう外に呼ばれた一年だった。
雑誌で " 論戦 " を頼まれたこともあった。
短い寄稿だけど、「共著」 と言ってもよいらしい本が2冊。
- 『放射能に克つ 農の営み』(コモンズ)
- 『脱原発の大義』(農文協)
6回シリーズの放射能連続講座は、自分なりに頑張ったつもりだが、
参加者の疑問を拾いきれなかったのが心残りで、
ま、これは次につなげていくことで何とかカバーしたい。
一番の喜びは、やっぱ、福島の生産者からいただいた感謝状かな。
今も会社の受付に飾らせていただいている。
頑張った生産者には、必ず答えがついてくる。
そう確信させてくれた一年でもあった。
彼らが諦めない以上、僕ももっと働かなければならないと思う。
まだ震災前のオーダーには戻ってないけど、粘り強く連帯していくしかない。
そして、彼らの願いを受け止めるかのように応えてくれた
「 土 」 に、深く感謝したい。
脱原発社会に、有機農業は必須アイテムだ。 それは間違いないだろう。
それにしても原発社会とはなかなかに堅牢なものだ。
建設は継続、計画は(白紙を撤回して) 再検討、再稼働は是々非々、
自然エネルギーでは賄えないしコストが云々・・・と巻き返しにやっきである。
故郷を追われた万を超す人たち。
仮住まいの地で亡くなってゆく人たち。
今も激しく被ばくし続けている作業員。
悔しさをこらえながら必死で除染に取り組む農民たち。
彼らの苦悩は、はたして浮かばれるのだろうか。
加えて、もう原発事故は起きないと思っているフシがある。
安全対策はどう進んだんだろう。
残っている原発の半分以上は27年以上になっている。
廃炉の時代が目の前に来ている。
そもそも当初の予定通り30年で廃炉にしていたら、
福島第1原発の事故は起きなかった。
すでに16基が30年を越している。
反省はあるのか・・・
廃棄物の処分も決まらない・決められない技術に、
どう考えても現実性はないとしか思えない。
新しい場所への立地はほとんど困難だろうし
(その意味で、大間と上関は何としても通したいのかもしれない)、
今ある場所に増設を繰り返しては、リスクが高まるばかりである。
まして廃炉のコストは(電気代とは別に) 税金で補填する動きになりつつある。
これから想像もつかない年月、生み出されないエネルギーのために、
いや、いつ暴走するかもしれない恐怖を抑えるために、
子孫たちは負担を強いられ続ける。
どちらがハイ・コストなのか、火を見るより明らかではないか。
持続可能な社会に向かって、イノベーションに進むしかないだろう。
農民たちが諦めることなく土を耕すなら、
僕らもそれぞれの持ち場で、種をまき続けなければならない。
原発のことを考えると、どうしてもテンションあがっちゃうね。
ま、けっして枯れることなく、来年も走り続けたいと思うのであります。
皆様も、どうぞお体に気をつけて、
良いお年をお迎えください。
今年も拙いブログを読んでいただき、有り難うございました。
荒川の支流・名栗川。
この川べりで暮らして26年 (といってもほとんど留守だったけど)。
この川とも、間もなくお別れになりそう。
帰った夜のせせらぎの音は格別だった。
キレイな水がある、それはとても幸せなことだと教えてくれた。
癒してくれてありがとう。
どうか永遠に。