2013年1月10日
手抜き除染・・・
年明け早々から腰が抜けてしまいそうになる報道が続いている。
" 手抜き除染 " だって・・・
除染作業で回収した落ち葉などを、作業エリア外や川に捨てたり、
水をそのまま流したりしていたらしい。
もちろんすべての地域 (現在、本格除染が進められているのは4市町村) で
手抜きが横行しているとは思いたくないが、
安心して暮らしたい、あるいは 「早く故郷に帰りたい」 と願う人たちにとっては、
やり切れない怒りを感じていることだろう。
あるいは福島県全体への不信や不安感につながらないかと
危惧する県民もいるかもしれない。
この報道で、除染を請け負った企業や作業員のモラルの低さを嘆いた方もいることと思う。
しかしどう考えても、これは構造的な問題である。
除染のガイドラインを示したものの、仮置き場も決められないまま
ゼネコンに丸投げした政府 (環境省)。
元請けゼネコンはさらに下請けに委託し、
下請け業者は作業員を日雇いして作業にあたる。
どの業者も、赤字で受けることはできないと、
作業者に支払われるはずの危険手当て(1日1万円) が抜かれたりする。
現場はといえば、ガイドライン通りにやってたらとても期日までに終わらないし、
周囲からの移染もあったりするなかで限定したエリアの作業じゃ
とても完全な除染なんて無理 、とか思いながら作業にあたる。
現場監督に指示されれば、「そういうものか」 とか 「いいのかなぁ」 とか思いながら、
川で長靴を洗ったり落ち葉を捨て流したりする作業員。
ここに住む人たちのことを思いながら真面目に作業にあたった人にとっては、
ゴミ出しのルールを守らない人々と一緒に住んでいる住人
のような感覚に陥ったことだろうか。
こうして誰にも達成感は生まれず、形ばかりの実績が積み上げられ、
数千億円の税金が消えていく。
ゼネコンを " 指導 " するだけではさすがにまずいと考えたか、
環境省は 「除染適正化推進本部」 を立ち上げた。
はたしてどう 「適性化」 されるのか、注視したいところだが、
僕の中にある決定的な疑問は、
どうして現地の業者を使おうとしないのか、ということだ。
できるならその土地に住む人たちも作業計画に関与できる形にすべきだろう。
地元の人たちが納得できる計画を立て、作業員も現地雇用を中心にすれば、
" 私たちの故郷を回復させる " 作業になるし、
それだけで確実に " 手抜き " は減るはずだ。
貴重な税金も地域に還元される。
愛や誇りも取り戻せるかもしれない。
地域が主体となった回復運動を支援することこそが国の役割だと思うのだが、
国が進める " 除染 " には、寄り添うゼネコンの姿は見えても、
地元自治体や住民の姿は見えてこない。
このままでは、ただの作業記録以外、何も残らない。
震災直後に海外から賞賛されたこの国の民のモラルが、
あろうことか内側から踏みにじられ破壊されていってるように思わされてしまうのは、
僕だけだろうか。
「故郷で死にたい」 と訴えながら仮設で亡くなる人が続いている。
子供を連れ九州に避難した母子が
「帰っても昔のような近所付き合いはできない」 と孤独感を滲ませる。
僕らは今もこんな光景を見せつけられていながら、
一方で 「一丁上がり」 と移動していくゼネコンにお金を吸い取られている。
新年にあたり、田中正造の言葉を引いた論説をいくつか見た。
真の文明は
山を荒らさず
川を荒らさず
村を荒らさず
人を殺さざるべし
ゲンパツ文明は、見事なくらいにこの真逆の光景を、僕らの前にさらしている。
やめようよ、ホントに。
原発を造り出した時点で人間は間違った方向にむかってしまったのかもしれない
原発だけでなく細かく言えば 地球を汚す車・工場すべてが いけないものなんだと思う
そんなこといったら生活できませんが 人間は滅亡に向かって 生活していることは 確実です
今生きている人類には関係ないことかもしれませんが 100年後の人類ははたして生きているのだろうかと思うと疑問です