追録(Ⅱ)-台風がくれた財産
昨日は中途半端に閉じてしまった。
ガス欠というより、休暇明けの残業に土日の青森出張もあり、ちょっと息切れした感じ。
失礼しました。
昨日の日記で書きとどめておきたかったこと。
新農研が30年を経て、周りも羨むほどに後継者が育ってきた土台には、
一戸さんたち創設メンバーの悲喜こもごもの苦労や失敗の歴史があるわけだが、
それを支えた根性や意地みたいなものは、
かなり地域の風土や文化によって育くまれてきた個性を有していて、
同時にその風土への誇りのようなものが、いつも背中から滲み出ていたのだろう。
これはきっと大事な “精神” なのだ。
そんなことを、世界一の扇ねぷたに重ねて思ったのである。
生き方や技術に嘘があっては後継者はついてこない。
『後継者を育てた津軽魂 -新農研の伝統とスピリッツは、受け継がれている。』
私の個人的な監査報告として追記しておきたいと思う。
農作業日誌に記されることはない、作物より前に生産者を育てる土台技術として。
そしてもうひとつ、書き残しておきたいこと。
台風がくれた財産があった、のである。
思い起こせば3年前(04年)、青森は5つもの台風の影響を受けた。
特に9月8日に襲った18号は、県内全域でりんごを落として行った。
この台風は全国的に被害をもたらし、
大地では見舞金のカンパを募って、各地の生産者に届けた。
新農研は、その見舞金を使って、
りんご農家用に独自の工夫をこらした作業日誌を作成して、メンバーに配ったのである。
今回の監査で、それが自分たちの営農を証明するものとして認められた。
消費者からの3年前の見舞金が、
生産者の日常的な道具となって今も生きていることが確認されたのだ。
「金額がどうのではなくて、消費者からの気持ちが嬉しかった。
とにかく何かに生かさないといけないと思って、みんなで考えたんよ」 と語る一戸さん。
生産者と消費者の気持ちが、農作業日誌でつながっている。
監査されるのはそこに書かれた内容だが、
私にはこの日誌の存在自体が、この組織を語るものであった。
日誌の秘話は、自然と1991年(平成3年)の台風19号の話題へとつながる。
16年にもなるか。
収穫直前の青森を直撃した大型の台風は、りんごの樹をなぎ倒した。
使えるりんごはすぐにフルーツバスケットに運ばれ、ジュースやジャムになった。
それに、『台風に負けないぞ!セット』ってのがあったね。
あの時は、もうカンパでしのげるような話ではなかった。
被害の大きかった産地に上記のセットを作ってもらって、
消費者に1口5千円で買ってもらおう。
中身は、お任せである。
‘何も売るものがない’という産地には、
「手づくりの農産加工品でも民芸品でも、何でもいい。何もなければ手紙だけでもいい。
とにかく消費者に‘負けない’気持ちを伝えて欲しい」
「何でもいい、と言われたら、逆になんでもよいとはいかなくなるじゃない。
みんなで気持ち込めてジュースやら落ちたりんごやら詰めたな…」
「有り難かったな。ほんとに。
農業やめる人や、何年分もの借金を抱える羽目になった人がいる中で、
何とかその年をしのげたんだから」
りんご栽培はすべて先行投資である。
お金と労力をかけて育て上げ、秋の収穫で一年分を獲る。
それが収穫を目の前にして……
監査がいっとき、思わぬ思い出話となる。
これも日誌が与えてくれた時間である。
忘れてはいけないことだ。
記録のトレーサビリティの奥にある、土台の思想を作り上げるものを。