九代目 弥右衛門 襲名
9月20日(木)
東京は明治記念館-「鳳凰の間」にて、
「九代目弥右衛門襲名を祝う会」が開かれる。
べつにヤクザの世界の話ではない。
大地のオリジナル純米酒 『種蒔人』 の醸造元である大和川酒造店
代表の佐藤芳伸氏が、
代々当主が継いできた 「弥右衛門」(やえもん)の名を正式に襲名し、
そのお祝いの会が催されたのだ。
大和川酒造店。寛政2(1790)年創業。
以来217年、会津は蔵の街・喜多方にて、連綿と酒林を掲げてきた。
大和川の名は、奈良・斑鳩を流れる川の名に由来する。
江戸も後期に入った頃、大和から会津に移り、酒造りを興したのが初代・佐藤弥右衛門さん
というわけで、佐藤家当主は以後ずっと 「弥右衛門」 の名を守ってきた。
先代の弥右衛門さんが亡くなられたのが一昨年。
それ以前より芳伸さんが社長として経営を任されてはいたが、
いよいよ晴れて九代目襲名と相成った次第。
もちろん戸籍上での正式改名である。
幼名・芳伸ちゃん(同世代の友人はこう呼ぶ) 改め九代目弥右衛門氏は、
すでに6月に北宮諏方神社にて襲名の報告を済ませ、
地元での盛大な襲名披露宴が開かれたのだが、
東京の友人やファンが黙っておらず、今回の東京での「祝う会」開催となった。
列席者は80名ほど。
清酒業界関係者に加えて、メディア関係者、カメラマンにピアニスト、大学教授など、
多彩な顔ぶれは、佐藤氏の活動領域の広さを物語っている。
ちょっと緊張の面持ちで挨拶する九代目弥右衛門さんである。
弥右衛門襲名には、芳伸さんも相当の決意がいったのだとういう。
歴代の弥右衛門がそれぞれに果たしてきた功績が重かったのだ。
伝家のカスモチ原酒「弥右衛門酒」など数々の銘酒を生み出し、
積極的に文人墨客を招いては喜多方の文化を発展させてきた歴史が
「弥右衛門」 の名に刻み込まれている。
先代はと言えば、
喜多方の町並み保存に傾注し、蔵の街・喜多方を全国に発信した功労者である。
でも芳伸ちゃんだって、すでに相当の実績である。
地元会津の米にこだわり、熱塩加納村での有機農業の発展を陰で支え、
世に出した純米吟醸酒の数々。
古い蔵を改造した 「北方風土館」 では、著名な芸術家の個展やコンサートなどが開かれ、
喜多方を文化・芸術の香り高い街に育てている。
古い蔵や町並みを守る活動の先頭に立ちながら、
最新の技術を導入した新しい蔵では、酒造りを体験させる門戸を市民に開放している。
自らの手で日本酒ファンを育てているのだ。
昨今は海外へも意欲的に出かける。
「良い日本酒は、どんな料理にも合う」 が彼の信念である。
実際に、海外での日本酒評価は確実に上がっている。
思い起こせば1993年、大冷害の年。
須賀川の稲田稲作研究会・伊藤俊彦さんと初めて訪問した時、
当時専務だった芳伸氏は、すでにこちらの意図を正確に捉えていて、
たった1回、ものの1時間程度の商談でコンセプトが出来上がった。
そして翌年の冬、できあがったのが、
大地のオリジナル純米酒第1号 『夢醸』(むじょう) だった。
日本の米を守りたいという強い思いと、俺たちの夢を、醸してゆこう。
飲む人の夢もまた、じっくりと熟成されていきますよう。
こんな思いで名づけられた 『夢醸』 は、
21世紀に入り、『種蒔人』 と改名された。
明日を信じて、未来への種を蒔き続けよう。
2002年には、稲田稲作研究会と大和川酒造店、大地の3者で
『種蒔人基金』 を設立。
この酒で、水(系)を守り、米(田)を守り、森を守る、具体的な行動を起こそう。
今年やったことは、飯豊山の山小屋掃除に種蒔山への道普請、
そして棚田の水路補修ボランティア。
実にささやかではあるけど、我々にできる具体的な水系保全の一歩であり、
酒飲みとしての 「弥右衛門」さんへの恩返しである。
専門委員会 「米プロジェクト21」 メンバーで、弥右衛門さんを囲んで一枚。
我々も 「弥右衛門」 の歴史につながっている。
この重みを忘れることなく、
「種蒔人」 が九代目弥右衛門の功績に花を添えるものになるよう、
大事に育てていかなければならない。