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食料の安全保障について考える

正月明けから穀物やら環境やらと、しんどい話題を続けてしまって、
少々心苦しいところもあるのだけれど、
その後も追い討ちをかけるような情報ばかりが入ってくる。

やっぱ、これは俺のせいじゃない。

小麦の値上げからフードセキュリティ論まで、一気に進めてみたいと思う。
 
 

今日の新聞報道によれば、
製粉最大手の日清製粉が、3月からパスタを値上げすると発表した。
業務用パスタが30~40%、家庭用パスタが15~20%の値上げ幅である。

昨年11月にも値上げしたばかりだが、
その後も原料のカナダ産小麦の高騰が続いているため、とある。
カナダ産デュラム小麦の国際価格は、昨年8月からすでに倍以上になっている。

業界2位の日本製粉も、3位の昭和産業も
「日清さんと同程度の値上げを検討している」 と。
どこも状況は同じであるからして、
まるで申し合わせたかのように、と言っては失礼なのかもしれないが、
業界内のバランスが図られているようではある。

いずれにしても過去最大の値上げ幅である。

カナダ産の小麦が高騰する背景には、
EUでのデュラム小麦の不作、バイオ燃料原料への転作、ロシア・中国などでの需要増
などが挙げられている。
奪い合いになっているわけだ。

一方で、中華麺や餃子の皮に使われるオーストラリア産小麦は、
2年連続の干ばつに見舞われている。
こちらは、06年度に28万トンあった輸入量が、今年は1万トン程度になる見通し。


そしていよいよ、小麦輸出国が相次いで輸出を規制し始めた。
ロシア、アルゼンチン、カザフスタン、中国、ウクライナ、セルビア、インド…

「価格上昇どころか、現物の確保自体が難しくなっている」
と農水省の幹部が語っている (1/9付朝日)。

危機感を強めた農水省は、4月から 「食料安全保障課」 なる部署を新設するという。
新たな輸入ルートの開拓を目指すほか、国際需給などの情報をこまめに発表し、
食料安保の必要性を訴える、とのこと。

これぞまさに 「泥縄」 ってやつだ。

「新たな輸入ルートの開拓」って、どこにあるんだろう。
米・豪・カナダ以外に輸出余力のある国は、ないはずだが。
「3カ国とのパイプを広げるのが現実的」 との意見も出されているが、
すでに奪い合いの状況下にあるっていうのに、「パイプを広げる」 とは???

別な形で金を積んで、無理やり引き出させようとでもするのだろうか。
みんな引き締めに入っている中で-。
とんでもない高い買い物になりそうだ。 しかもそれには税金が使われることになる。
私たちは別な形でツケを払わされるのか。


ここで、
食料のグローバル化を唱えてきた偉い人たちの、
その主張されてきた論を振り返ってみたい。
こんな感じだ。

  世界の穀物価格が高騰しても、購買力の高い日本には危機となりえない。

  購買力が低い国のためには、国際的な緩衝在庫や緊急融資制度を用意し、
  先進国が輸入自由化を進め、国際市場の変動を吸収すべきである。

  輸出国の禁輸措置を防ぐためには、国際協調に沿って行動し、
  輸出国のよき顧客となるべきであって、農業保護に固守することはかえってマイナス。

  国内生産基盤の維持に必要なのは、潜在力としての生産力であって、
  平時から農業生産が維持されねばならぬわけではない。

  平時の自給率にこだわる必要はない。
  自給率に拘泥することは政策の自由度を狭め、改革の芽を摘むことになりかねない。

   <以上は、農林水産政策研究所・川崎賢太郎氏が論点整理をした論考-
    「グローバリゼーション下の食料安全保障」(『農業と経済』2007年8月臨時増刊号)
    から引用させていただいた。>

どう思われるだろうか。
いま進んでいる動きを見つめながら、
ひとつひとつの論に、自分なりの言葉を対置していきたいと思う。

  ●購買力の高い日本。
   -あらゆる食品が数10%値上げしても日本の消費者は大丈夫って、誰のことよ?
     格差社会が広がる中で…
   -すでに国際市場では、買い負けたりしてるんじゃなかったっけ。

  ●先進国が自由化を進め、輸出国のよき顧客となる。
   -ブッシュさんの演説に、すでに答えがあるようだ。
     「食料自給は国家安全保障の問題であり、それがつねに保証されている
      アメリカはありがたい。」
     「食料自給できない国を想像できるか?
      それは国際的圧力と危険にさらされている国だ。」

     どこも自給率の維持は国家の使命だと考えている。
     ‘よき顧客’ はありがたいが、国内需要を保証するのが先決だろう。
     各国の小麦輸出制限はそう語っている。

  ●必要なのは非常時の生産力で、平時から自給率にこだわる必要はない。
   -行を割くことすら腹立たしい。
     非常時の生産を保証するためには、平時の生産力が維持されなければならない。
     優良農地も、生産技術も、不断の営みによって保たれる。
     錆びついた刀は、抜けなくなる。
     抜けたところで、斬る力と技の衰えた者は、たたかうことすらできないだろう。


ここまでつらつらと書いてきて、ふと思い出したのが、1993年。
‘平成の米パニック’ が起きた年の冬、
テレビ朝日の 「朝まで生テレビ」 なる討論番組に呼ばれて、議論に参戦したことがあった。

ああ、あの時とおんなじ気分だ。

 (長くなってきたので、明日に続けます)

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コメント

ちょうさん

いつも読んで頂き、有り難うございます。
宇根さんは、ありふれた田園の風景にも命を感じる方ですね。2月24日の東京集会でも講演をお願いしました。私が司会を務めます。たくさんの方に聞いて頂けたらと思っています。エビ

先日、宇根豊さんが新潟で講演しました。
百姓が作ってきた田、畑、里山、自然。農を無くならせたら、日本は、日本人を育ててきた環境はどうなると言うのか。それはもはや日本人ではなくなる。
この国をどうしようとしているのか。

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