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鶏肉生産者の叛乱?

さて、話は一日遡って、12月15日(土)。
茨城県石岡市(旧八郷町)にて生産者の集まりがあり、出かける。

集まったのは、大地に鶏肉を出荷していただいている常陸地鶏協議会と
北浦シャモ生産組合の生産者たち。
以前にレポートした米国のコーン視察で一緒だった下河辺昭二さんの
仲間への視察報告会 +夜は懇親会(という名の忘年会)、という集まりである。

下河辺さんは、私のブログ・レポートや写真を適当にチョイスして構成して、
パワーポイントの画面効果なども駆使して報告。
仕事の合い間に、よくつくったもんだと思う。

続いて、これも視察で一緒だった工藤さんという生協の方から、
遺伝子組み換えの問題点や現在の状況・課題などを概括的にまとめた報告。
これもなかなかの力作であった。

そのあとに私から、補足的にポイントの整理と
これからの取り組みの方向などを話させていただく。口だけで。

お二人の後に、ということなので、話す内容は聞きながら考えるしかなく、
写真を撮るのも忘れてしまった。

要は、生産と価格の安定を目指すためにも、
地域(国内)での自給力の向上に向けた取り組みの強化と、
米国のノンGMコーン生産者との連携の必要性を伝えたわけだが、
いまここで、現実に、
飼料高騰の直撃をくらいながら苦しいたたかいを強いられている生産者たちには、
かなり ‘しんどい展望’ というか、話であったことには違いない。

そして、その後の懇親会、である。 ・・・・・・・・・・
 
 

会場は、なかなか寂(さ)びのきいた飲み屋の座敷。

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店主みずからの手で仕留めた熊や猪や鹿の肉が食べられる飲み処。

今日は猪鍋が出る。
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下河辺さんのシャモ肉のタタキも用意されていた。
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なんだよ。料理の写真はしっかり撮るワケ?
-すみません。報告会は集中していて、写真なんてすっかり……

いや、お伝えしたかったのは、料理ではなくてね。

ここで、生産者との、ちょっとしたひと悶着があって、
生協の方には申し訳ないけど、こんな展開になってしまったのだ。

彼 (生協の方) は、生産者の訴えに応えていた。
「3月から値上げすることを組織で決めた。そこまでやったよ!」

目の前で飲んでいた生産者がこう応えた。
「待てない。じゃあ、3月まで出荷はやめる!」

それじゃあ話にならないだろうと、思わず割って入ってしまったのだった。

原料が上がった。なので値上げします。
それで生産と消費がうまく回るなら、誰も苦労はしない。

生産 (売る者) と消費 (買う者) は、
今の経済原理では基本的に 「利害(損得)が対立する」 関係に置かれている。
これが資本主義社会の矛盾の表層である。

でも僕たちが創造しようとしているのは、
「安全な食」 「持続的=安定的な環境」、要するに 「未来を保証する社会」 であって、
だからこそ今は、互いの 「つなぎ」 の立て直しに意地を張るしかない。
原価が上がったから単純に売価も上げる、では 「つなぎ」 ではない。

値上げする時には、
お互いどこまで頑張ったか、何をしたのかのプロセスが必要なのだ。

その間は、耐えなければならない。
言い換えれば、耐えて、次に何を語れるかがが勝負なのだ。

「俺たちが、精一杯頑張って鶏を出荷しても、今月の決算は赤字。
 この気持ちが分かるか、あんたに?」

この言葉に、僕はキレてしまった。

分かっている……本当はそう言いたかった。
でもやっぱり、鶏を飼って生計を立てている者ではない。

思い切って、言い放ってしまった。

「分からないよ。だから何だってんだ!」

分からない奴に 「何が分かるか?」
-では、もはやコミュニケーションもなにもあったもんじゃない。

しばし、僕とその生産者は、生協の方の存在を無視して、
机を叩いたりしながら不毛な激論をしてしまったのであった。

経営は難しい。
赤字をどう乗り越えるかは、業態の違う人間がたやすく言えるものではない。
しかし!
ホンモノの食べ物の生産を支える仕事をしてきた者の矜持(きょうじ)をかけて、
俺は言いたい。

苦しい時こそ、根性と知恵が必要だ。
それを示さなかったら、次に行けないじゃないか。

世間の政策通が言っているような、
農地の売り買いの自由化や、新規参入に活性化を求めるような政策ではなく、
長年の技術と地域風土との折り合い (調和) の取り方を知っている人たちと、
僕は、できることなら付き合い続けながら食の基盤を残したいと思う。
それを支えられる仕事をしたいと思ってやってきたつもりだし。

ただ無為に、やむを得ず値上げを続ける、は経営ではない。
「値上げまで出荷は止める」
じゃあ何も残らないじゃないかァ!

……てなわけで、一戦やってしまったんだけど、

生産者もこんな直情的な反応を予測してなかったのか、
落ち着いたところで-
「分かっているよ。ただ言わないと気がすまない」

僕も素直になって言わせていただく。
「分かっているつもりです」

「ぜひ俺の鶏舎を見にきてくれ。ちゃんとやってるから」
と彼は言ってくれた。


野生の肉を食って、イキり立ったのかな -反省。

枯淡を求めつつ、ちょっとアンバランスな欲が残る飲み処。
象徴するような屏風が、俺たちを見ている。
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「遊びをせんとや 生まれけむ」

この言葉って、梁塵秘抄でしたか。
でも、この詞は、必死で働いた人でないと出てこないのでは -そんな気がした。

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コメント

ちょうさん
慰めていただき、有り難うございます。またやっちゃったぁって感じですが、でもなぜか喧嘩した生産者とはその後とても仲良くなります。本音で言い合えなくなったら終わりですしね、我々は。
ただし「口うるさい」は別ですので、気をつけましょうね、お互い。

頭ではわかっていても、言いたい事がある。
酒ってそんな為に飲むものでないの。飲んだ彼も受け止めてくれるエビさんがいてよかったと思います。私もよくやりました、だまっていることは自分にうそをついているようで。今は酒をやめた私ですが、言いたいことはしらふでも言います、だんだんひどくなって家族にけむたがられています。

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