OHッ!コータローじゃないか!
今週発売されたコミック誌
『ビッグコミック スピリッツ』 (№6・7号/小学館)。
広報から情報が入り、コンビニで入手。
TVドラマにもなった超長寿連載漫画 「美味しんぼ」 を開く。
オオー!なんと、遠藤幸太郎じゃないか!
今週発売されたコミック誌
『ビッグコミック スピリッツ』 (№6・7号/小学館)。
広報から情報が入り、コンビニで入手。
TVドラマにもなった超長寿連載漫画 「美味しんぼ」 を開く。
オオー!なんと、遠藤幸太郎じゃないか!
正月休みもあっという間にあけて、今日から仕事再開。
また慌しい一年が始まりました。
テレビも新聞も、メディアは正月から、かなり意識的に環境問題を取り上げていましたね。
世界各地で進行する、温暖化によると思われる異変。
CO2 排出量をめぐる攻防、など。
普段からそんな情報ばっかり食わされてきた者には、
正月くらいはゆっくりさせてもらいたく、正直見きれませんでしたが、これも
世界が尋常ではなくなってきていることの証しなのでしょう。
一方で、原油や穀物はすっかり投機の対象になって、
あらゆるものの値上げが避けられない情勢です。
誰かが、人々の生存条件を儲けの対象にしている。
‘お金が神様’ になった社会の、究極の有り様に向かっているような…
「日本人は、資本主義も使えないまま、大地も海も使い捨てようとしている」
というような意味のことを言ったのは故・司馬遼太郎さんですが、
どうも世界全体が、資本主義というか、自由主義経済そのものを
コントロールする能力を失いつつあるのかもしれない、とそんな気分にすらなった
正月でした。
じゃあ、お前はどうするんだよう?
-ですよね。
やれるだけのことはやりたい。
ただ、厳しいです。
「生産者にも、消費者にも喜ばれる流通システムを」
ではなくて、
おそらく一緒に耐えながら 「守り合う」 ことは可能か、
ということへの挑戦になることでしょう。
みんなで環境と暮らしを守りあう。
そのためには、新しい 「経済圏」(システム) づくりに向かうしかないのではないか。
それは可能か?
それが今年からの、私のテーマです。
アメリカの作家、ノーマン・メイラーが、
新聞のインタビューに応えて、こんなことを語っています。
日付も書き忘れた切り抜きですが-
民主主義とは大きな賭けであり、非常に珍しい政治体制だ。
次の世代のために、毎日の小さな変化を積み重ねていくのが民主主義のやり方だ。
その退屈さに耐えるには、判断力と意識をもった人々がいることが前提になる。
民主主義は常に育てていくものであり、再生させていかなければならないのだ。
次の世代のために、毎日の小さな変化を-
耐えられるだけの判断力と意識を-
そのことを忘れずに、今年も働きたいと思います。
皆様 あけまして おめでとうございます。
初詣に行ってきました。
地元・飯能(埼玉県です) の山の上にある 「天王山 竹寺」 というお寺。
正式の名は、「医王山 薬寿院 八王寺」。
天安元年(857年)、慈覚大師が開いたとされる古刹です。
天台宗3代座主・円仁ですね。
上の写真は、ここの名物・茅の輪。
心身の清浄、無病息災を祈願して、くぐります。
標高490mに立つ本殿。
9年前に焼失したものの、飯能市民はじめ多くの方の寄進もあって、
4年後に再建されました。
自宅から車で10分少々のところに陶芸の窯がある。
「飯能窯」 と称し、地元飯能の山の土で焼く。
江戸時代、天保年間から明治時代にかけて焼かれたようだが、廃れてしまった。
それを1975(昭和50)年、
虎澤英雄さんという陶芸家が土岐のほうからこの地に入り、
100年ぶりに飯能焼を復活させた。
いま、島根に来ています。
加工品と乳製品の生産者会議が、
アイスクリームで好評いただいている木次乳業さん(雲南市)のところで
開かれたのです。
全国から35社ほどのメーカーが参加してくれました。
会議後は日本一小さなワイナリー、奥出雲葡萄園で懇親会を開いて解散。
でもその後、出雲駅前のホテルに宿を取った何人かともう一軒。
これがまたちょっとくせのある、いや失礼、ハートのあつい連中。
日本中が神無月となり、出雲だけが神有月となる10月も終わり、
参集されていた八百よろずの神さんたちもご機嫌で去った出雲の地で、
出雲の酒に酔って、結構あつい語り合いの夜を過ごしてしまいました。
でもって明日は、このまま羽田経由で秋田まで飛びます。
大潟村の生産者たちと山に登って、ブナの植林です。
こちらも暑苦しい生産者に囲まれることかと。
そんなわけで、パソコンを持参したにもかかわらず、続きは書けずじまい。
おそらくは明日も無理でしょう。
スミマセンが、連載は一時中断でご容赦ください。
先週のネタがまだ2本ほどあったのに、もう週末。
しかも後半は、来週の仕事もいくつか前倒しでやっておかなければならず、
どうにも書く時間が取れずじまいとなってしまった。
というのも、明日(21日)から26日まで、アメリカなのです。
先週のネタがまだ2本ほどあったのに、もう週末。
しかも後半は、来週の仕事もいくつか前倒しでやっておかなければならず、
どうにも書く時間が取れずじまいとなってしまった。
というのも、明日(21日)から26日まで、アメリカなのです。
閑話休題
秋ですね。
埼玉の奥武蔵から、千葉の埋立地・幕張まで。
ちょっと気恥ずかしいですが、通勤途中で見た秋の風景をお届けします。
こんにちは。
ときどき叔父さんや叔母さんが手を合わせてるのを見かけます。
こんなタイトル自体、おこがましいのかもしれない。
会ったのは2度だけだから。
ドキュメンタリー映画監督、佐藤真(まこと)さん。
9月4日、49歳の若さで逝ってしまった。
訃報はすでに報道で知っていたが、
今日(9/28)の朝日新聞夕刊の 「惜別」 欄を見て、書きたくなった。
佐藤さんの監督第1作は 『阿賀に生きる』 (完成1992年)。
89年から3年がかりで、新潟水俣病の老人の日常を淡々と追ったドキュメンタリー。
佐藤さんはスタッフとともに現地で共同生活をしながら、カメラを回し続けた。
芸術選奨文部大臣賞新人賞など、いくつもの賞をとった、彼の記念碑的作品である。
でも僕の思い出は、その前の助監督時代の作品
『無辜なる海-1982年水俣-』 (1983年)になる。
岡本太郎作 『明日の神話』
高さ5.5m、全長30mの巨大壁画。
この絵のコーナーだけは写真撮影が許可されている。
この壁画は1969年、メキシコで制作された。
翌年開催される大阪万博のモニュメント 『太陽の搭』 制作と同時並行して作られたという
天才・タロー力技の作品である。
メキシコ・オリンピック景気をあて込んで建設されていたホテルの
ロビーに飾られる予定だったが、ホテルは建つことはなく、
絵は各地を転々とするうちに、ついに行方不明となってしまった “幻の大作” 。
9月16日。
9月に入って初めて得た休日。しかも連休。
ずっと行きたいと思っていた場所に向かう。
江東区・深川にある東京都現代美術館。
会員の方にはしばらく前にチラシを配布させていただいた、
トトロの森を描いた人-ジブリの絵職人 『男鹿和雄』 の絵画展が開かれている。
でもお目当てはこれだけではない。
同時開催されている 『磯辺行久展』 に加えて、
岡本太郎の幻の大作壁画-『明日の神話』 が観れる。
休日の男鹿和雄展は2時間待ち、という情報は入っていたが、
「今日しかない!」と決意して出かける。
夏休みをいただいて、帰郷しています。
つまらない絵で恐縮ですが、私の田舎の風景です。
高校卒業と同時に上京して●●年。帰るたびに町が小さくなっていく気がする。
町のサイズ自体は変わってないのだけれど、
どうも活気というものが次第に薄れて、
寂れてゆくさまが町全体を縮ませているように思えるのだ。
それでも、懐かしさと愛おしさのようなものは年々強くなってくるから不思議である。
港に立つと思い出す、中原中也の詩の一節。
これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いてゐる
心置きなく泣かれよと
年増婦(としま)の低い声もする
(「帰郷」-『山羊の歌』所収)
8月に入りました。
時候の挨拶としては、『残暑お見舞い申し上げます』 なのですが、
気象庁は今日ようやく、
関東甲信越地方が「梅雨明けしたとみられる」との発表。
-何かさえない夏の到来ですね。
四季の変化が美しいと言われる日本で、
ここ数年、というか年々、季節がその季節らしくなくなり、
農家も「過去の経験でやれなくなっている」と嘆くことが多くなっています。
どうか、夏らしい夏であってほしいものです。
梅雨明けから約1ヶ月は、太陽の光輝く、言わば日本の乾期。
稲(米)も一気に成熟期へと進みます。
稲ではこの時期、晴天だと、一日で1haあたり約100kgの体をつくるそうです。
約170kgの二酸化炭素が、大気から作物に吸収される計算になるとか。
CO2削減にもっとも貢献するのは、健全な自然のバランス、ということでしょうか。
関東以北の水稲も、今のところすこぶる順調の様子。
でもこういう時はかえって不安になったりもします。
切ない‘収穫の秋’にならないことを祈りたい。
2007年8月1日、梅雨明けの日の感想でした。
昨日から今日にかけて、青森で行なわれた「第11回全国米生産者会議」。
昨夜は会議のあと、同じ会場で1時間ほど歌手・Yaeさんのライブが開かれた。
父(大地の初代会長・藤本敏夫さん)が亡くなって5年が経ちました。
私がデビューしたのもちょうど5年前。
ここで、こうして大地の生産者の前で歌えるなんて、
お会いできて嬉しいです。
父もきっと喜んでくれていると思います。
ボクはもうすでにウルルン状態。
立派になって………
ボクがまだ新米配送員だった頃、25年前の冬の雪の日。
夜の9時くらいだったか、飯も食えずにたどり着いた最後の配達先で、
めずらしく家にいたお母さん(加藤登紀子さん)が、
「あなた、何も食べてないの? 食べてく? 娘の残り物だけど」
八重ちゃんたちが食べた後の少しの残り物にがっつく野良犬野郎。
呆れた感じで眺めながら、お登紀さんは言ったんだ。
「大地を、辞めないでね」