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田舎から

夏休みをいただいて、帰郷しています。
つまらない絵で恐縮ですが、私の田舎の風景です。

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高校卒業と同時に上京して●●年。帰るたびに町が小さくなっていく気がする。
町のサイズ自体は変わってないのだけれど、
どうも活気というものが次第に薄れて、
寂れてゆくさまが町全体を縮ませているように思えるのだ。
それでも、懐かしさと愛おしさのようなものは年々強くなってくるから不思議である。

港に立つと思い出す、中原中也の詩の一節。

  これが私の故里(ふるさと)だ
  さやかに風も吹いてゐる
       心置きなく泣かれよと
       年増婦(としま)の低い声もする
              (「帰郷」-『山羊の歌』所収)


玄関を出ればすぐにも海が見渡せ、
夕暮れ時は漁師たちが土手に座って、海を眺めながらたむろする。

家の裏に回れば、屋根の縁まで崖が迫っている。
裏庭(崖の下)はいつも水が滴っていて、そこはガマガエルやカニやトカゲらの世界だったが、
10年くらい前に防災上の理由からコンクリート壁になってしまって、姿を消した。
子どもの頃は屋根の上からびょんと裏山に跳び移って遊んだものだが、それもできなくなった。

またその屋根にはなかなか立派な青大将が棲んでいて、
「家を守っとる」とか言って大事にしていたが、とうにいなくなったようだ。

毎年いくつもの台風がやってきて、
漁師の息子がロープを咥え、荒海の中を泳ぎながら自家の船を避難場所まで曳航するのを
じっと見ていたことがある。
風の強い日には、海鳴りがゴウゴウと、山の上から聞こえてくる。

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手前の浜は、昔は造船所があったところ。
常時新しい漁船が建造されていて、大漁旗をなびかせてはこの浜から下ろされたものだ。
今は見る影もなく、朽ち果てた漁船が一艘、わずかに往時を偲ばせている。

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港の突端の赤い灯台から外海に出ると、
ひょっこりひょうたん島みたいな無人島が鎮座していて、
その島まで泳いでわたるのが少年の密かな目標だった。

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この島はかつて夏のキャンプ場として子どもたちを楽しませたのだが、
いつの頃からか、キャンプする風景は見られなくなった。
浜で泳ぐ人の姿もなく、
子どもたちは、笹川財団が建ててくれた近くのプールに行くのだそうだ。
その方が安全で助かると大人も言っている。

この島や浜が、年寄りを除いてみんなの視界から消え去られたのなら、
俺が買い取って、サバイバル体験基地にしてやろうか。
-なんてことを夢想したりする。

30年以上も前、
この地方に原発建設の話が持ち込まれた時、町を挙げて反対運動をした。
我が家も玄関に「原発反対の家」というステッカーを貼った。
原発の危険性を学んで反対したわけではない。
「そんな面倒なもん、ここにはいらん」というシンプルな理由で、町はひとつになっていた。
あの頃は、町全体に自信があった。
「海さえこのままであれば」、漁業で充分暮らしてゆけたから。

粗野だけど強くてカッコよかった漁民たちは、どこかへ消えてしまった。
子どもたちを海や山に連れ出しては色んな遊びを教えてくれた大人もいない。
人はいなくなり、なぜか漁獲も減る一方で、山は鬱蒼と暗さを増していく。

でも、帰るたびに愛おしさは募る。
年のせい? それだけなのかなあ・・・


冒頭の中也の詩の最後-

  あゝ おまえはなにをして来たのだと……
  吹き来る風が私に云ふ

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