2015年4月23日

4月9日(木)病児保育の活動を行う認定NPO法人フローレンスと共催で、
イベント「おっぱいとごはん」を開催しました。
会場は東京都中央区のグロースリンクかちどきです。
4月になり、雨と肌寒さむい日が続き、お子さん連れ予定の参加者も多かったために、
心配しましたが、イベント当日の9日は朝からクリアな青空が広がりました。



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こちらがイベントのようすです。
会場には、妊娠中の方々、乳児を連れたお母さんたちでいっぱいです。
9名の赤ちゃんも、ピンクのエプロンのフローレンスの専門のスタッフが
丁寧にフォローしてくれました。



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イベントの講師は「母乳110番」で相談員と顧問として、悩む母親たちの声に耳を傾けてきた
竹中恭子さん(左)と産婦人科専門医の村上麻里さん(右)です。

初めての育児、特に母乳については母親にとってわからないことばかりです。
おっぱいの量は足りているか、卒乳はいつか、離乳食はいつから?
お母さんなら最初に誰もが抱く疑問について、お2人から説明をいただきました。

昔は、自分の母親や親せき、近所の人たちが赤ちゃんを世話するようすを
年中目にすることが出来たので、抱っこやおんぶはどうすればいいのか、授乳の時の姿勢は何がラクなのか、
などの方法を先輩の女性たちの姿から学ぶことができました。
しかし、現在の社会環境のなかでは、知識はあっても、具体的な経験から学ぶことがなかなかできません。
だからお母さんたちの多くが迷うのでしょう。

竹中さんからはアトピー症状のあった娘さんの子育て&母乳110番相談員としての
経験から食事作りの話を。村上さんからは三姉妹の母&顧問の医師として、
医学的栄養的に問題ない場合と問題ありの場合の見分け方、など貴重なお話しをいただきました。

母乳110番の問い合わせの電話のなかには、「子育てに後悔したくない」とおっしゃるお母さんもいらっしゃるとか。
「でもね。」竹中さんはおっしゃいます。
「後悔しない子育てはないのですよ。子どもが成長するということはある程度の心の痛みをともなうものです。」

子育ての選択はお母さんが100人いれば100通り。
母乳も離乳食も「こうでならないといけない」という知識にふりまわされないで、
お母さんと赤ちゃんの気持ちやペースを大事にしてほしい。
おっぱいも食事も足りていればよいので、なによりお母さんと赤ちゃんが楽しくラクであってほしい......。
講師の村上さんと竹中さんの、会場に集まったお母さんたちへの想いが満ちあふれた時間でした。







2015年4月 8日

開催日:2015年2月28日(土)
会場:江東区東大島文化センター3階 第1・2会議室

「ふたたび・みたび、会ってみませんか」というテーマで開催された、江東会場のだいち交流会。

作る人・届ける人・料理する人・食べる人が、集まり、おしゃべりしながら、割烹着の会・消費者有志のみなさんが作ったごちそうをいただきました。味のおいしさはもちろん、お料理に使われた食材ひとつひとつの作り手が集結しているので、とても贅沢な食卓です。アットホームな雰囲気でおしゃべりできること、みんなで食卓を囲めること。そのおいしさは格別でした。

これこそが、だいち交流会の醍醐味です。

今年は大地を守る会40周年。複数の家庭が共同で購入する仕組み「共同購入」の発祥の地・東大島が会場ということで、「大地はじまり物語」と称して、ベテラン消費者、生産者へのインタビューショーも開催。当時の苦労話も飛び出して「ほんもののおいしさ」を巡るたくさんの思い出に会場は大盛況でした。

皆さんもぜひ、大地宅配のおいしさと「ふたたび・みたび、会ってみませんか?」。その場でのおいしさはもちろん、参加後に普段の食事が一層おいしく楽しくなること間違いなしです。交流会はもちろん、大地を守る会のイベントは、心からの「いただきます」と「ごちそうさま」が詰まっています。

(営業部 栗村)

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お待ちかねのごちそうタイム! 料理をとる時も楽しくおしゃべり。

このブログでも、レシピ、当日のメニュー、参加生産者のお名前リスト、マップをお見せします!

【レシピ】
江東会場交流会レシピ(考案者:割烹着の会).pdf

【メニュー】
2015江東会場 しおり メニュー.pdf

【リスト】
2015江東会場 しおり 生産者リスト.pdf

【マップ】
2015江東会場 しおり 生産者マップ.pdf

2015年4月 7日

初夏を思わせる晴天の3月。思い思いを胸にした一行14名が、福島県二本松・南相馬交流ツアーに出発しました。中通りの郡山から、浜通りの南相馬まで県内半分を横断する2日間、福島の「今」と「リアル」に出会う旅の始まりです。大地を守る会では、2012年の「福島応援ツアー」、2014年の「いわき市・富岡町を訪ねるツアー」に続く震災後3回目の福島への旅です。

(開催概要はこちら)

今回の旅をアレンジしてくれたのは、福島交通の支倉文江さん。福島市にお住まいです。「震災後はこうしてマイクを握ってよく喋るようになりました」。先日、震災後4年目にしてようやく自宅に除染が入ったそうで、除染物は、中間貯蔵施設へ運ばれるまで敷地内にあるそうです。「福島を、よく見て帰って伝えてほしい」。支倉さんに始まり、この後私たちは行く先々でたくさんの笑顔に遭遇することになります。

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道の駅ふくしま東和

まず到着したのが二本松市の「道の駅ふくしま東和」。合併により今はなくなってしまった町の名を冠した、人口7,000人の山あいにある小さな道の駅です。東和は「ひと坪でも耕せる土地は耕せ」と言われ、地域の再生をいち早く有機栽培に託し取り組んで来た地域。店内には、添加物ナシの手作り品がずらっと並びます。この道の駅、地元のお父ちゃん軍団が中心となって2005年に旗揚げした「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」が母体となって運営しています。当初は「こんなとこに道の駅を作って誰が来るの?」と言われ、行政と3年間の契約で始まったそうですが、今では年間1億円を売り上げる名物スポットになっています。

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東和は、かつて養蚕日本一と言われた地域でした。昭和50年には、地域で生産額13億円となりますが、中国産や化学繊維に押され、あっという間に需要が激減。それと引き換えに、様々な問題が露呈します。産業の空洞化、少子高齢化、財政危機・・・。そこで立ち上がったのが、前述の男性陣。「前向きにやってると何かが始まる」と、業種がバラバラな経営者達が団結し、他地域と競合しない、里山の恵みを生かす事業に次々とチャレンジしていきました。

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「資源を循環させ垂れ流しにしないことは、里山に住んでいる使命」との言葉どおり、地場野菜のブランド化、有機堆肥の製造販売、地ビール醸造、農家民宿にレストラン等のアイディアを具現化。中央省庁からIターンする人もいて「震災後にも離れていった人がいない」。それもそのはず、全ての発想の根底には「コミュニティの再生」という希望があるのです。「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」の事業は、今では260戸の農家を巻き込んで、さらに盛り上がりを見せています。「震災は確かにいろんな爪痕を残したけれど、過去を振り返ってばかりはいられない」。見るのは常に前の方。2015年1月には、全国の地方新聞社と共同通信社が設けた「第5回地域再生大賞」で、全国50団体の中から準大賞にも選ばれています。(写真:道の駅のお弁当)

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ふくしま農家の夢ワイン

次に訪れたのが「ふくしま農家の夢ワイン」。ここでも元気なのは、男性たち。「おじさん8人衆が、飲んだ勢いで」、町おこしにはどぶろくか?いや、女性に受けるならワインだろうと夢を膨らませました。何年も放置されていた元養蚕施設を借り受け、電気工事以外は自前で改修!耕作放棄地にぶどうを植え付けた翌月、震災に見舞われてしまいます。しかし彼らの発想はこうでした。「明日はどうなるか分からない。本気でワイナリーをやろう」。3.11が起爆剤となって、稼働への準備が急ピッチで進みました。(写真:ふくしま農家の夢ワイン㈱)

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メンバーは、交代で山梨県勝沼へワインづくりを学びに行きました。そして、震災で売り先を失くしたりんごのシードルをいち早く商品化。「ワインより先に出来ちゃった」というシードルは、約2,000本を完売。その後2013年にはワイン特区の免許を得、県内初の民間ワイナリーとなりました。発酵に失敗して大量にロスを出したりと試行錯誤を重ねながら、無借金経営で、今年3年目に入っています。

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ワイナリーのメンバーの一人で、大地を守る会のりんご生産者でもある熊谷耕一さんは言います。「我々の役目は、次の世代に受け渡すこと」。楽しみながら、飲みながら。ロゴのぶどうが5色なのは、地域の祭の「五色の旗」からもらっているのだそうです。
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震災の年、東和の名産であったりんごは、大量廃棄に追い込まれることになりました。「とうとう終わりと思った」と話すのは、大地を守る会の生産者で羽山園芸組合の代表・武藤喜三さん。安達太良の山並みを望むりんごの木の下で、厳しかったこの4年間を振り返ってくださいました。

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(写真:羽山園芸組合の資料より)


羽山園芸組合は、全国から駆けつけたボランティアの人たちとともに木の皮を削り、高圧洗浄をしました。フルーツ王国・福島では様々な果樹にこの手法が試されましたが、柿や桃は枯れてしまったそうです。りんごは、かろうじて大丈夫でした。しかし「バランスが崩れ、今までと違う位置に虫や病気が発生するようになった」と武藤さん。それでも木を観察しながら除染と有機栽培を続け、2013年にはセシウム検出「ND(検出限界値未満)」までこぎつけました。大地を守る会ではこの間、変わらず仕入れて売ることで応援を続けてきました。今年からはグループ会社「フルーツバスケット」製造の「つぶ入りピュアなりんごジャム」も販売していきます。(詳しくはこちら)

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山あいの温泉に浸かった後は、りんご生産者・熊谷さんの営む農家民宿「くまさん」にて、お楽しみの懇親会です。地野菜の煮物「ざくざく」をつまみながら、どこへ箸を伸ばしてよいか迷うこのご馳走!羽山園芸組合のお母さんたちの手料理は、どれも滋味深し・・・でした。

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飯館村から小高区へ

二日目。一行は全村避難をしている飯館村を通って、浜通りへと向かいました。人口6,000人、かつて「日本一美しい村宣言」をした飯館村では、除染で働く人や車と、除染土を入れたフレコンバックの山に言葉を失います。暮らしのにおいが感じられない景色は、本当に寂しいものです。山を越え、南相馬市へ入ると景色は一変。一見すると、ふつうの暮らしが営まれているようにも見えます。しかしところどころには仮設住宅が。そしてまだ戻れない住人がここにも沢山いるのです。そうしてバスは、福島第一原発から20km圏内の小高区に到着しました。

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お話しくださったのは久米静香さん。避難先・相馬市の借り上げアパートから通って来ています。「震災後の半年間は、泣いて泣いて泣きくれていました。その次の1年間は、東電を恨んで暮らしました」。そうするうちに心臓を病んで入院。「憎しみからは何も生まれないと分かって。何がしたいか、自分に問いかけた時、ただ一心に小高に戻りたいと思ったんです」。震災まではふつうの主婦だったという久米さんは、NPO法人「浮船の里」を立ち上げます。そして今取り組むのは、古くから小高にあった手仕事「お蚕さん」。桑を育てていた人を探しあて、ご主人の事業所で蚕を飼って、仲間と糸作りをしています。遠く群馬から紡ぎや機織りを教えに通ってくれる人も現れました。「私はお母さんなので、待つことはできる。ほとんど毎日ここにいて、立ち寄ってくれる人を待ちます。でも、小高のために、とか背負ってはいないんです。自分にできることをやるだけです」。快活な微笑みの奥にある、静かな瞳が印象的でした。

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南相馬

久米さんと別れた一行が最後に向かったのは、南相馬市原町区の畑。大地を守る会が国産菜種油をいただいている「グリーンオイルプロジェクト」(詳しくはこちら)の畑でもあります。案内くださったのは「えこえね南相馬」理事長の高橋荘平さんと理事の奥村健郎さん。ウクライナで得られた「放射性物質は油に移行しない」という知見に基づき、土壌のセシウムを吸収する菜花を農薬不使用で栽培しています。そうして収穫したナタネは、栃木県のNPO法人「民間稲作研究所」へ運び、搾油・商品化しています。「酸化しにくく、へこたれない油」で、カルパッチョにおすすめだそうです。

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畑から少し歩いた所には、頭上高く設置されたソーラーパネルの一群がありました。ここは「南相馬ソーラーシェアリング」の拠点です。太陽光を、農作物の生育と発電で分かち合おうという試みです。農地転用において前例のない取り組みのため、行政の厚い壁に何度もぶち当たって来ましたが、今年、かぼちゃと大豆で栽培が許可される見込みだとか。「なんとか突破口にたどり着いた」と奥村さん。事例を作って、他へ波及させていきたいと考えています。

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ここには、二人の故人の想いも託されています。一人は原発ゼロ社会を提言し、エネルギー地産地消への試みに協力を惜しまなかった、法政大学の舩橋晴俊さん。そしてもう一人は「子どもは宝」と言い、原発から23km地点で末期がんを押して産婦人科医を続けた高橋享平さん。高橋ドクターは、高橋理事長のお父様でもありました。バトンを引き継いだ高橋理事長は言います。「除染で目の前の不安を取り除くことと、希望が持てる新しい取り組み、この両輪が大切なんです」。日本はおろか世界に先駆けた試みが、南相馬で始動しています。

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おわりに

ツアーの終わりに、グリーンオイルプロジェクトの中心である稲葉光國さんの言葉をひいて社員の秋元がこう結びました。「福島が一番厳しい状況に置かれている。その福島が元気になれば、日本全国が元気になる」。同じく参加社員で、復興支援の野菜セット「福島と北関東の農家がんばろうセット」(詳しくはこちら)を企画する井口はこうも感じました。「福島では、もっとも先進的な取り組みがなされている」。
自分が立っている地で、自分にできることって何だろう。そんな思いに駆られたら、福島を思い出したい。また訪ねたい。時々、福島のものも手にとってみよう。ツアーに参加した今、「福島」から連想する言葉は「笑顔」です。
(自然住宅チーム 鎌倉恵津子)

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小高区の「浮船の里」で織られている絹織物

2015年3月19日

気候変動、生物多様性の危機、大規模機械化農業、遺伝子組み換え、地域社会の衰退、格差社会、多国籍企業の巨大化・支配......。
私たちが抱える問題は、食や農業をはじめとしてさまざまで、それらは年々より複雑に関係し合っています。



それに対して、近年世界で注目されているのが「アグロエコロジー」。



アグロエコロジーとは、エコロジー(生態系)に沿った農業であり暮らしであり、問題に対する解決でもあります。
具体的にあげてみると、有機農業、小規模・家族農業、スローライフ、パーマカルチャー、フェアトレードなど、本当にさまざま。
環境、農業、社会、文化、経済における、考え方でありながら実践、そして変革なのです。



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アグロエコロジーを分かりやすく説明したポスター。



そんなアグロエコロジーについて、もっと皆でシェアするため、理解を深めるため、広げていくため、霜里農場・全国有機農業推進協議会の金子美登さん、津南高原農産代表取締役の鶴巻義夫さん、稲作、果樹農家・農民詩人の星寛治さんのメッセージを受けてつくられた「有機農業の明日を語る会」が、2月11日(祝水)、「日本アグロエコロジー会議」第1回・勉強会を開催しました。



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「東京アーバンパーマカルチャー」を主宰し、日本とアメリカでワークショップや講演を行っているソーヤー海さんと、明治学院大学教授・辻信一さん。



大地を守る会の生産者で、全国有機農業推進協議会の事務局長・下山久信さんや、環境=文化運動、スロービジネスを行う明治学院大学教授・辻信一さんをはじめ、若手や海外の仲間も大いに交えた総勢20名で、丸一日かけて講演やディスカッションを実施。それに負けないくらいの想いや興味・関心を持った参加者約400名が集まりました。



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会場は満員。メモをとるなど、皆さんとても熱心に聞かれていました。



私たちの暮らしの中で何が起きており、私たちはどのようにしたらよいのか、実際にどのような取り組みや活動、文化がなされているのかについて、興味深くおもしろいお話が盛りだくさんでした!



そんな記念すべき「日本アグロエコロジー会議」第1回・勉強会の内容は、こちら「ブログ大地を守る」に随時アップしていきます。なぜ今、アグロエコロジーなの? 海外ではどのような動きがあるの? では、日本は......? 1回ではお伝えしきれないので、何回かに分けて、少しずつ皆さんとシェアしていければと思っています。



世界変えるヒント、ぜひご覧ください!


2015年3月 9日


2月14日(土)

 東京駅に集合し、総勢21名で一路、盛岡へ。盛岡駅も晴天。やはり東京よりいくぶん寒いです。バスに乗りこみ沿岸部へ向かいます。

まず向かったのは岩泉にある泉金酒造さん。

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名水「龍泉洞の水」を使用した龍泉 八重桜」など銘酒を製造販売しています。甘酒で暖まった後、蔵の中を見学させていただきました。ところせましと立ち並ぶ大きなタンクや清潔に管理された道具類を見て回ることができ、試飲のあとさっそく買い込む方もいました。 

続いて宮古市田老町へ。万里の長城とも言われた防潮堤で有名な、しかし小さな町です。こちらでは震災後「学ぶ防災」として、津波の被害経験とそれによる防災の教訓を伝える活動をしている方々に迎えられました。

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ガイドは元田(もとだ)さん。実際に防潮堤の上、第一、第二、第三の堤防、が交わる場所に立ってみました。田老町の町全体がほぼ見渡せます。東日本大震災のときには高さ10mの二重防潮堤を5~6mも超える津波が押し寄せました。現在は14.7mの防潮堤が作られています。 元田さんは言います。

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『防潮堤は時間稼ぎのためなのです。津波田老と言われ、あんなに昔から津波の怖さを教わってきて防災対策もしていたにもかかわらず、油断と過信で被害が出てしまった。』『人間は辛いことを忘れることで前を向くけど、今回の教訓は忘れずに語り継いでいかなければいけない。』時間経過とともに人の気持ちも変わっていくもの。そのなかで教訓を語り継いでいくことの大切さをそれぞれの胸に刻んで、田老を後にしました。


 続けて向かったのは、浄土ヶ浜パークホテル。三陸随一の景勝地、浄土ヶ浜を眼前に眺めるホテルです。総支配人の関(せき)さんのお話を聞きました。

こちらでは震災当時70名の予約客がいましたが、地震、津波から逃げてきた人たちが殺到したそうです。支配人の判断でホテルを避難所として解放し、その後1カ月、被災者と従業員、総勢500名の共同生活が行われることになります。もちろん従業員も被災をしています。 

どうしてそのような対応ができたのか、関さんは言います。『ホテルにとって究極のホスピタリティは命をお守りすることです。従業員一人一人にもこの考えが浸透しています。』『現場への信頼こそが現場の力を最大限発揮できると考えています。』日頃からの意識づけと勇気ある決断。トップとチームの一体的な組織力。とても力強いメッセージを受け取りました。

そしてこう締めくくられました。『人工物は壊れても自然のものは戻ってくる。その力を信じてこれからも観光の復活に力を尽くしたい。』

 このあとは三陸の冬の味覚を堪能しました。毛ガニ、鮭、あわび、帆立、、、。贅沢なお食事と共に参加者同士の交流も深まり、夜は更けていきました。 

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2月15日(日)  

まず浄土ヶ浜の散策に出ました。遊覧船のガイドをしている金澤(かなざわ)さんのお話を聞きました。

地震があったその時、船のひとつはドッグの上にあったため移動できず、破壊されてしまいました。もうひとつの船は約6km先の沖へ退避。その後42時間、沖にいたまま待機することに。普段ウミネコに与えるパンを食べて空腹をしのいだそうです。警報が解かれ陸へ戻るときには普段15分のところ2時間もかかったそうです。浄土ヶ浜は、深く青い海と、鋭くとがった白い岩肌、緑のアカマツのコンストラストが美しい浜です。津波の被害を想像できないほど静かで、まさに極楽浄土のようでした。 

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続いて、宮古市民の台所・宮古魚菜市場(みやこぎょさいいちば)に立ち寄ってたくさんのお買い物をした後、木村商店さんに向かいました。

木村商店さんでは、海近くにあった工場と店舗は跡形なく流され、従業員一名は未だ帰らず。先の見えない未来に突然襲ってくる不安を抱えながら歯を食いしばって頑張ってきたそうです。代表の木村さんは、それを思わせない、にこやかな笑顔と軽妙なトークで迎えてくれました。三陸の浜の新鮮で高品質な素材を用い、天然だしにこだわって、三陸のおふくろの味を提供しています。地元名産のイカ徳利づくりの体験をした後、お惣菜の数々を試食して、皆さんおいしい!おいしい!と喜びながらお土産を手にしていました。 

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つぎは山田町へ。ここでガイドをしてくださったのは、新生やまだ商店街協同組合の椎屋(しいや)さん。

山田町も津波で甚大な被害を受けましたが、多くは火災被害だったそうです。モニュメントとなっているJR陸中山田駅の駅舎の大時計は津波のあった15時27分を指したまま止まっていました。
ここでは高台移転などの取り組みを紹介していただきました。低地は居住禁止区域に指定され、中心市街地では商業施設を共同店舗としたり、住宅が多く集まる地区はかさ上げをしたり、大規模な町の再編が行われているところでした。住んでいた人にとってはとても時間のかかる事業であることがわかりました。 

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このツアーの最後のイベントは、三陸山田かき小屋で牡蠣の食べ放題。

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目の前の山田湾で、今朝、水揚げしたばかりの牡蠣が鉄板の上で豪快に蒸し焼きにされます。お店のおかあさんたちの元気な声と手さばきで目の前の牡蠣は次々に殻を剥かれて出されます。今年とれた牡蠣は震災後初めての養殖の成果であり、実入りも良いそうです。ぷっくりと大きな身と味付け不要の磯の香りに、すぐにお腹はいっぱいに。大満足でお店を後にしました。 

これでツアーの全工程を無事に終え、盛岡駅で挨拶をして解散となりました。

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 震災によって生じた傷の深さ、大きさ、を目の当たりに感じて、学ぶことの大切さを改めて感じると共に、多くの人の笑顔にふれ、勇気ある行動を知り、逆に元気をもらう。そんなツアーになったような気がします。このツアーを企画してくださった岩手県北観光さんと、たずさわってくれた全ての方に改めて感謝するとともに、また足を運び、会いにいきたいと強く思いました。(大地を守る会 鈴井)

  

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