2012年11月 5日

NEWS 大地を守る2012年11月号 東日本大震災から1年半が過ぎた

復興息づく、東北を巡る

 3月11日の東日本大震災から1年半が過ぎようとする9月中旬。震災後、大地を守る会の復興支援活動を

先頭に立って行った事務局長・吉田和生(当時水産畜産責任者)が、三陸沿岸を襲った巨大津波によって

被害を受けた生産者たちのもとを訪ねました。復興に向けて進む生産者たちの長い道のりは、ひと通りでは

ありません。震災当時の様子から、復興に臨む想いや今後の展望について、生産者たちの〝今の声〞を

お届けします。

(NEWS大地を守る編集部)


津波で養殖いかだをすべて失った奥松島水産振興会の

二宮義秋さんと、養殖の状況を船で見に行く吉田。

下は、震災後に新しく吊るした養殖いかだで成長する

1年目のカキ。被災地の希望のシンボルです。































重茂 



半島内陸部にあったため津波の被害を免れた

工場で、ワカメの芯取り作業が行われていました













重茂漁業協同組合 岩手県宮古市

   これからの漁村モデルをつくっていく

 重茂半島は、岩手県の中でも巨大な津波に襲われた地区の一つです。その高さは37mにも及んだといわれ、

重茂漁協にあった800隻の船は、わずか20隻ほどを残し流されてしまいました。当時は国の補償がいつに

なるかわからなかったこともあり、震災後3日目には、重茂漁協は船の手配や工場の修復のために動き

出しました。

 「組合員である漁師たちに復興への道筋を示す必要がありました。今振り返ると、驚異的なスピードで

復興に突き進んだと思います」と話す後川良二さん。

 後継者不足に悩む漁協が多い中、重茂漁協は組合員の約8割に後継がいるという優良な生産者組合

でした。また、石けん運動や青森県の六ヶ所再処理工場反対など、海の環境を守る運動に積極的に取り

組んできた組織力の強さがありました。

 「大地を守る会から送られた2隻を含め、なんとか船を200隻集めて漁を再開しましたが、不慣れな船を

何人もの漁師が共有しながら漁をする状態が続き、これまでのような漁獲量を復活させるのは困難でした」。

 現在では船の数も増え、組合員の8割が漁に戻っています。

 「水揚げ量が増えることも、もちろん大切なこと。でも2割の人が震災後に漁をやめたのも事実。

だからこそ漁協としては、重茂地区に住むことの価値も高めていきたい。老人が安心して暮らせる、

子どもを安心して育てられる、そういう新しい漁村づくりを進めていきたいですね」




定置加工販売課長 兼 購買課長
後川 良二さん

震災後、リアス式海岸沿いの道路や橋が壊れたため、孤立した

生産者たちに歩いて支援物資を運んだ後川さん。








気仙沼


建物の損傷が少なかった内陸の加工場では、

スタッフが元気に働いていました。











村田漁業株式会社 宮城県気仙沼市

 戻ってきてくれた従業員とともに

 村田漁業は、本社の1階が被災したほか、加工場や製氷工場が大破。

そして、加工場で一人の若い従業員が尊い命を失いました。

 「震災後に黙々とがれきの片づけをする従業員の姿を見たときに、絶対に元に戻してみせる、

と決心しました。ただ、失業保険の給付のために従業員を一時解雇せざるを得なかったときは、

本当につらかったです」と、当時のことを思い出し、村田憲治さんは涙をにじませていました。

 また、震災時に倉庫内にあったマグロやカツオ約400トンは腐敗してしまうため、海洋投棄を

余儀なくされたそうです。

 「商品が重機でごっそり持ち上げられる姿は切なかったですね」。

 その後、昨年の8月には製氷工場が、11月末には加工場が復活し、販売を開始しました。

約50人いた従業員のほとんどは会社へ戻ってくれたそうです。

 「昨年、大地を守る会への年始用マグロの出荷を目指したのですが、残念ながらそれは

かないませんでした。

でも、地元の人たちが、全国から寄せられた支援のお礼にと、贈り物用に商品を購入してくれ

ました。地元での知名度が上がったのは思わぬ効果です」。

 村田さんは「気仙沼の復興はまだまだ先」と話します。市内には地盤沈下によって建物を

再建できる土地が少なく、都市計画の目途が立っていないからです。村田漁業の本社ビルは、

今年の2月にようやく完全復旧しました。大地を守る会では、今年から村田漁業の商品の取り

扱いを再開しています。



代表取締役社長 村田 憲治さん

地元では、屋号である『「川」の字のマグロを食べないと年を

越せない』と言われるほど、気仙沼市の中でも老舗のマグロ

問屋。







石巻


「おとうふ揚げ」を持つ従業員の皆さん。元気に戻って

きてくれました。

本商品は商品カタログ『ツチオーネ』148 号で取り

扱います。









-株式会社髙橋徳治商店 宮城県石巻市-

  私たちは、何を学んだろうか?

 震災後、髙橋徳治商店には工場復旧のため多くのボランティアが集まりました。しかし、いくら泥を

すくっても地盤沈下した工場内には、ヘドロが再び入り込みます。代表の髙橋英雄さんは「こんなこと

をして、意味があるのだろうか?」と深く思い悩んだと言います。

 そんなとき心の支えになったのは、避難先の神社で生活をともにした約180人の人々の顔でした。

電気も水もない共同生活の中、笑顔を振りまいてくれた小さな子どもたち、野の花を摘んで生けてく

れたお年寄りたち。「震災翌日になってようやく小さなおにぎりをみんなで分け合いました。そしたら

身体がふわーっと温かくなったんです。あのときのことは忘れられません。彼らがいなかったら、自分

は今頃どうなっていたか」と髙橋さんは振り返ります。

 工場のラインが一部再開してから最初に製造した「おとうふ揚げ」は、大地を守る会が「一日も早い

復活のためには、生協などの取引先と統一商品で」と提案したもの。「応援してくれた人たち、関わっ

てくれた地元の関係者の期待を裏切れない」と、髙橋さんは商品の品質にとことんこだわりました。

 髙橋徳治商店では、今の工場から約6km内陸に自然エネルギーを取り入れた新工場を建築中。

髙橋さんがその想いを強くしたのは福島でのある集会で、一人の少女が「私たちの未来を返してくだ

さい」と訴えたのを聞いたから。「背筋を正さざるを得なかった」と髙橋さん。震災に何を学んだのかと

いう自問に、「食べものの大切さ、人や地域とのつながりの大切さに気付かされました。あのおにぎり

を忘れずに、進んでいきたいと思います」。



代表取締役社長 髙橋 英雄さん

避難所で一緒に苦楽をともにした仲間たちの思い出の写真を

見せながら、当時を振り返ってくれました。










東松島

修復したカキ養殖いかだの向こうには、

津波で破壊されたいかだの残骸が今も

残っていました。海底にがれきが残って

いるため、いかだから吊るすカキの養殖

ロープを短くせざるを得ないそうです。















-奥松島水産振興会 宮城県東松島市-

  カキの加工場を何とか建てたいです

 震災の日、消防団に所属していた二宮義秋さんは、津波の浸入を防ぐため、消防車で堤防へ向か

いました。そのとき、すれ違った車の中に、父と母、妻、子どもの姿があったそうです。

 「家族とすれ違った直後に津波が襲ってきました。家族が乗った車は私と反対方向に走っていまし

たが、津波がものすごい速さで車を追いかけていたので、正直、もう家族は死んだと思いました」と、

二宮さんはあの日を振り返ります。

 家族を失ってしまったかもしれないという悲しみで気力も失われていましたが、次の日親戚に会い、

家族が助かったことを確認。大地を守る会にも連絡を入れてくれました。

 現在二宮さんは、カキの殻をむく処理場をほかの生産者と共同で使っています。また、カキの種は

組合員で均等に割り振ることになりました。二宮さんが生産できるカキの量は、震災前の3分の1程度

の量になってしまったそうです。

 「早くおいしいカキをお届けできるようになりたいです。ただ、震災前の状態に戻すには、まだまだ

時間がかかると思います。津波で壊れた橋も道路も復旧の目途が立っていません。まず私は、カキ

の加工を建てることに力を入れたいと思います」。


二宮 義秋さん

父・二宮義政さんのカキ養殖事業を引き継ぎ、今や二宮さんのカキ

生産の大黒柱となった義秋さん。乗っていた消防団の車が波に流さ

れるも、奇跡的に脱出することができました。

 まだ、カキの処理場を共同で使っていたり、仕入情報をやり取りす

                   るファックスも使えない状況。再開時期はもう少し先になりそうです。


大地を守る会の震災復興支援

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