2013年12月 6日
11/16・17 震災からの復興を後押しするみやぎ応援ツアー
11月16~17日。大地を守る会の専門委員会「おさかな喰楽部」で、「第2回震災からの復興を後押しするみやぎ応援ツアー」を行いました。
参加したのは、大地を守る会社員4名、生産者2名、消費者9名の総勢15名。東日本大震災で被災した練り物の生産者・高橋徳治商店、カキ漁師・二宮義政さんのご家族との交流を目的に、宮城県東松島市を訪れました。
初日は、高橋徳治商店の新工場を見学、代表の高橋英雄さんに震災当時の話から、新工場を立ち上げた現在までのお話を、当時の写真とともに語っていただきした。
高橋徳治商店は、震災当時は同県石巻市にあり、本社工場、自宅も1階部分は完全に浸水、「冷凍原料」が置いてある魚町工場にいたっては大破し、原型すらとどめていなかったそうです。被害総額は流された原料だけでも2億円以上、それに伴い従業員は止むを得ず「解雇」するしかありませんでした。
高橋徳治商店の震災から300日の復興ストーリーはこちらhttps://store.daichi.or.jp/NewsDetail/index/contentscd/31/year/2009/no/121
津波で壊滅的なダメージを受けた石巻市。高橋徳治商店の前の通りは、満潮になると海水が流れ込んできた。
石巻市は津波の被害が甚大で、自宅や工場を失い、地域も壊滅状態、先の見えない不安と記憶に焼きついた悲惨な光景、一時は自分を失いかけ、精神異常もきたしたという高橋さん。そんなどん底から新工場を設立するまでの勇気を持つことができたのは、取り引き先やボランティアの方々の献身的な助けと励ましでした。石巻市には延べ5,000人以上が全国から駆けつけ、「なぜそこまで...」。言葉を失うほどの支援を受け、泥が流れ込み見えなかった工場の床が姿を見せるにつれ、復興への意欲が湧いてきたそうです。「やれるかもしれない。やるんだ」。
高橋徳治商店の新工場の屋根には、ソーラーパネルを設置。災害時には、地域に電力を供給する役割を担う。
新工場の見学では、従業員の皆さんの感謝に満ちた笑顔が印象的で、高橋さんの話しぶりも、一年前と比べると晴れやかで前向きで安心しました。また、「食べ物を通して、何かを伝えたい」という皆さんの気持ちも伝わりました。
ちょうど冬のおでんシーズンです。高橋徳治商店の"命を吹き込んだ味"を、噛みしめて食べたいと思います。
『おとうふ揚げ』のご注文、高橋徳治商店(宮城県石巻市)の復興ストーリーその2はこちら
https://store.daichi.or.jp/NewsDetail/index/contentscd/31/year/2009/no/129
おでんシーズン真っただ中。忙しくも、気持ちを込めて仕事に取り組み従業員の皆さん。
「風化させてはいけない」と、参加者に震災当時の出来事、そして復興へ歩みだすまでの気持ちの変化まで、写真とともに語ったくれた高橋徳治商店代表・高橋英雄さん。
人口4万3千人のうち、1107人が犠牲になった東松島市。なかでも東名地域野蒜海岸付近は、500名以上が犠牲になり、多くの被害があった地域です。この東名に居をかまえ、牡蠣養殖をおこなっていた二宮義政さんとその家族を尋ねた二日目。
来年用の牡蠣の種付けも終わり、順調に育っています。二宮さん個人の牡蠣棚を見学。
外洋に移動された、1月に出荷予定牡蠣。これからもっと大きくなります。家族の牡蠣養殖の中心を担う息子の二宮義秋さんも嬉しそう。
牡蠣養殖が盛んな東松島においても、外洋での養殖が可能な東名地域の漁師さんたちは、皆、自分たちの牡蠣が一番うまい自負していますが、船上で食べた牡蠣は、まさに「今まで食べた牡蠣で一番うまい!」と、参加者全員が口をそろえて賛美の言葉がとびかっていました。
港に戻り、二宮家でささやかな交流会。たっぷりと自慢の牡蠣をいただきつつ、震災時の話、そして牡蠣の生態、魚場の話、牡蠣の剥き方講座まで、残された時間ギリギリまで交流を深め、再会を約束して別れました。
2011年6月のキャンドルナイトで、二宮さんに応援の意を込めて送った大漁旗を前に記念撮影。二宮義政さん(中央・シルバーのジャケット)も、念願だった交流会が実現できて嬉しそうでした。
※二宮さんの牡蠣は、大袋での販売になりますが年明けに販売予定です。世界で一番おいしい牡蠣を、会員制宅配ほか、大地を守る会のウェブストアでご注文ください。
大地を守る会のウェブストアはこちら
https://store.daichi.or.jp/Top
一歩一歩進んでいる、東松島市の復興
ツアーの最後には、一般財団法人「東松島みらいとし機構(HOPE)」のメンバーに、東松島市の被災地視察、復興の現状を説明していただくミニツアーを開催。HOPEは、東松島市役所とともに復興まちづくり計画の実務遂行を担い、一般企業、ボランティア、市民と協力して、快適で安心な新しい社会システムの構築を使命にたちあがった団体です。
はじめに見学したのは、二宮さんのご自宅があった東名地区。かつて塩田だった土地を田んぼにして開拓した土地は、地盤沈下により海になり、現在でも水を抜く作業が続いていました。次に三井物産が市から土地を借り上げて作ったメガソーラー施設の見学。津波によって更地となった土地の有効利用を目的に建設され、賃料が市の収入となり市民に還元されるしくみです。また、一般財団法人「CW.ニコル
アファンの森財団」と一緒に取り組んでいる、新しく建設される小学校の裏山の整備を見学。津波の被害で傷ついた子どもたちの癒しとなるツリーハウスの建設を見学。いずれも、HOPEの復興フェーズに沿った計画であり、市民の認知、協力体制も広がりつつあります。
東松島市をめぐり気付いたのは、一年前と比べると一歩ずつではあるが、確実に復興している姿でした。象徴的だったのは、来年早々にもすべての処理が終了するという瓦礫の山が、明らかに小さくなってきていること。これは東松島市が10年前にも津波の被害にあい、瓦礫処理のノウハウを持っていたこともありますが、市内にある8つの自治協議会が、それぞれミニマムに自治を行い、迅速に対応してきた証です。地域のコミュニティーの力こそが、国にも企業にもできない"復興の原動力"となるのだと感じました。高橋徳治商店の生産再開では、多くの雇用を生み出しました。また、二宮さんが住み、被害の大きかった東名地区では、牡蠣まつりの開催計画もあります。おさかな喰楽部では、今後、被災した生産者の食べ物を食べて応援する動きとともに、こうした地域の取り組みにも寄与し、復興の後押しを続けます。
東名地区で水没したまま残された家。この家の向こうに二宮さんの家があった。
更地に建設されたメガソーラー施設。土地の賃料が市の収入となり、市民に還元される仕組み。