2015年3月アーカイブ

2015年3月19日

生態系に合った農業、そして暮らし。 世界を変える「アグロエコロジー」

気候変動、生物多様性の危機、大規模機械化農業、遺伝子組み換え、地域社会の衰退、格差社会、多国籍企業の巨大化・支配......。
私たちが抱える問題は、食や農業をはじめとしてさまざまで、それらは年々より複雑に関係し合っています。



それに対して、近年世界で注目されているのが「アグロエコロジー」。



アグロエコロジーとは、エコロジー(生態系)に沿った農業であり暮らしであり、問題に対する解決でもあります。
具体的にあげてみると、有機農業、小規模・家族農業、スローライフ、パーマカルチャー、フェアトレードなど、本当にさまざま。
環境、農業、社会、文化、経済における、考え方でありながら実践、そして変革なのです。



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アグロエコロジーを分かりやすく説明したポスター。



そんなアグロエコロジーについて、もっと皆でシェアするため、理解を深めるため、広げていくため、霜里農場・全国有機農業推進協議会の金子美登さん、津南高原農産代表取締役の鶴巻義夫さん、稲作、果樹農家・農民詩人の星寛治さんのメッセージを受けてつくられた「有機農業の明日を語る会」が、2月11日(祝水)、「日本アグロエコロジー会議」第1回・勉強会を開催しました。



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「東京アーバンパーマカルチャー」を主宰し、日本とアメリカでワークショップや講演を行っているソーヤー海さんと、明治学院大学教授・辻信一さん。



大地を守る会の生産者で、全国有機農業推進協議会の事務局長・下山久信さんや、環境=文化運動、スロービジネスを行う明治学院大学教授・辻信一さんをはじめ、若手や海外の仲間も大いに交えた総勢20名で、丸一日かけて講演やディスカッションを実施。それに負けないくらいの想いや興味・関心を持った参加者約400名が集まりました。



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会場は満員。メモをとるなど、皆さんとても熱心に聞かれていました。



私たちの暮らしの中で何が起きており、私たちはどのようにしたらよいのか、実際にどのような取り組みや活動、文化がなされているのかについて、興味深くおもしろいお話が盛りだくさんでした!



そんな記念すべき「日本アグロエコロジー会議」第1回・勉強会の内容は、こちら「ブログ大地を守る」に随時アップしていきます。なぜ今、アグロエコロジーなの? 海外ではどのような動きがあるの? では、日本は......? 1回ではお伝えしきれないので、何回かに分けて、少しずつ皆さんとシェアしていければと思っています。



世界変えるヒント、ぜひご覧ください!




2015年3月 9日

宮古田老町を巡る復興と冬の味覚ツアー レポート


2月14日(土)

 東京駅に集合し、総勢21名で一路、盛岡へ。盛岡駅も晴天。やはり東京よりいくぶん寒いです。バスに乗りこみ沿岸部へ向かいます。

まず向かったのは岩泉にある泉金酒造さん。

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名水「龍泉洞の水」を使用した龍泉 八重桜」など銘酒を製造販売しています。甘酒で暖まった後、蔵の中を見学させていただきました。ところせましと立ち並ぶ大きなタンクや清潔に管理された道具類を見て回ることができ、試飲のあとさっそく買い込む方もいました。 

続いて宮古市田老町へ。万里の長城とも言われた防潮堤で有名な、しかし小さな町です。こちらでは震災後「学ぶ防災」として、津波の被害経験とそれによる防災の教訓を伝える活動をしている方々に迎えられました。

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ガイドは元田(もとだ)さん。実際に防潮堤の上、第一、第二、第三の堤防、が交わる場所に立ってみました。田老町の町全体がほぼ見渡せます。東日本大震災のときには高さ10mの二重防潮堤を5~6mも超える津波が押し寄せました。現在は14.7mの防潮堤が作られています。 元田さんは言います。

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『防潮堤は時間稼ぎのためなのです。津波田老と言われ、あんなに昔から津波の怖さを教わってきて防災対策もしていたにもかかわらず、油断と過信で被害が出てしまった。』『人間は辛いことを忘れることで前を向くけど、今回の教訓は忘れずに語り継いでいかなければいけない。』時間経過とともに人の気持ちも変わっていくもの。そのなかで教訓を語り継いでいくことの大切さをそれぞれの胸に刻んで、田老を後にしました。


 続けて向かったのは、浄土ヶ浜パークホテル。三陸随一の景勝地、浄土ヶ浜を眼前に眺めるホテルです。総支配人の関(せき)さんのお話を聞きました。

こちらでは震災当時70名の予約客がいましたが、地震、津波から逃げてきた人たちが殺到したそうです。支配人の判断でホテルを避難所として解放し、その後1カ月、被災者と従業員、総勢500名の共同生活が行われることになります。もちろん従業員も被災をしています。 

どうしてそのような対応ができたのか、関さんは言います。『ホテルにとって究極のホスピタリティは命をお守りすることです。従業員一人一人にもこの考えが浸透しています。』『現場への信頼こそが現場の力を最大限発揮できると考えています。』日頃からの意識づけと勇気ある決断。トップとチームの一体的な組織力。とても力強いメッセージを受け取りました。

そしてこう締めくくられました。『人工物は壊れても自然のものは戻ってくる。その力を信じてこれからも観光の復活に力を尽くしたい。』

 このあとは三陸の冬の味覚を堪能しました。毛ガニ、鮭、あわび、帆立、、、。贅沢なお食事と共に参加者同士の交流も深まり、夜は更けていきました。 

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2月15日(日)  

まず浄土ヶ浜の散策に出ました。遊覧船のガイドをしている金澤(かなざわ)さんのお話を聞きました。

地震があったその時、船のひとつはドッグの上にあったため移動できず、破壊されてしまいました。もうひとつの船は約6km先の沖へ退避。その後42時間、沖にいたまま待機することに。普段ウミネコに与えるパンを食べて空腹をしのいだそうです。警報が解かれ陸へ戻るときには普段15分のところ2時間もかかったそうです。浄土ヶ浜は、深く青い海と、鋭くとがった白い岩肌、緑のアカマツのコンストラストが美しい浜です。津波の被害を想像できないほど静かで、まさに極楽浄土のようでした。 

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続いて、宮古市民の台所・宮古魚菜市場(みやこぎょさいいちば)に立ち寄ってたくさんのお買い物をした後、木村商店さんに向かいました。

木村商店さんでは、海近くにあった工場と店舗は跡形なく流され、従業員一名は未だ帰らず。先の見えない未来に突然襲ってくる不安を抱えながら歯を食いしばって頑張ってきたそうです。代表の木村さんは、それを思わせない、にこやかな笑顔と軽妙なトークで迎えてくれました。三陸の浜の新鮮で高品質な素材を用い、天然だしにこだわって、三陸のおふくろの味を提供しています。地元名産のイカ徳利づくりの体験をした後、お惣菜の数々を試食して、皆さんおいしい!おいしい!と喜びながらお土産を手にしていました。 

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つぎは山田町へ。ここでガイドをしてくださったのは、新生やまだ商店街協同組合の椎屋(しいや)さん。

山田町も津波で甚大な被害を受けましたが、多くは火災被害だったそうです。モニュメントとなっているJR陸中山田駅の駅舎の大時計は津波のあった15時27分を指したまま止まっていました。
ここでは高台移転などの取り組みを紹介していただきました。低地は居住禁止区域に指定され、中心市街地では商業施設を共同店舗としたり、住宅が多く集まる地区はかさ上げをしたり、大規模な町の再編が行われているところでした。住んでいた人にとってはとても時間のかかる事業であることがわかりました。 

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このツアーの最後のイベントは、三陸山田かき小屋で牡蠣の食べ放題。

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目の前の山田湾で、今朝、水揚げしたばかりの牡蠣が鉄板の上で豪快に蒸し焼きにされます。お店のおかあさんたちの元気な声と手さばきで目の前の牡蠣は次々に殻を剥かれて出されます。今年とれた牡蠣は震災後初めての養殖の成果であり、実入りも良いそうです。ぷっくりと大きな身と味付け不要の磯の香りに、すぐにお腹はいっぱいに。大満足でお店を後にしました。 

これでツアーの全工程を無事に終え、盛岡駅で挨拶をして解散となりました。

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 震災によって生じた傷の深さ、大きさ、を目の当たりに感じて、学ぶことの大切さを改めて感じると共に、多くの人の笑顔にふれ、勇気ある行動を知り、逆に元気をもらう。そんなツアーになったような気がします。このツアーを企画してくださった岩手県北観光さんと、たずさわってくれた全ての方に改めて感謝するとともに、また足を運び、会いにいきたいと強く思いました。(大地を守る会 鈴井)


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