<05>知って学ぼう!: 2013年3月アーカイブ

2013年3月31日

ヘナの使い方講座を開催しました

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3月13日(水)ヘナの使い方講座を開催しました。


ヘナのメーカーであるナイアードから講師の方を迎え、ヘナとはどのようなものか学びました。
こちらはナイアードの並木さんからヘナについて、お話いただいたようす。

ヘナはインドやイスラム圏の国々で古くから、髪染めやボディペイント、マニキュアなど、
女性の肌や髪を美しくしてきたハーブです。

ナイアードのヘナは、ハーブと染色の知識が豊富なインド人の現地スタッフと一緒に、
上質な葉を選んで買いつけることから始まります。
葉の粉砕などの加工にも立ち会うことで、丁寧な品質管理を行い、
植物の粉末のみでできた良質なヘナをお届けしているのです。

講座では、大地を守る会の取締役である野田をモデルに
実際に染めの実演を行いました。

使用したヘナは「ヘナ+木藍」。黒茶系に染まる色です。



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染めのようす。
ナイアードの小椋さんからつむじからしっかりともみ込むように、ヘナを入れていただきました。

たっぷりとヘナを使い、しっかりと保温することが
きれいに染めるコツです。



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染め上がりの野田のようす。
会場から「似合ってます~」のお声もいただきました。
本人の感想は「気持ちよかった~!」とのこと。
髪の色もかわり、さっぱりした表情です。


「ヘナ+木藍」は、染めて、洗いながした直後、色目に緑がかることがありますが、
1~3日で黒茶系に変化していきます。

では、染め前、染め後、1週間後の表情と髪の色の変化を見ていきましょう。


こちらが、ヘナで染める前の野田。
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髪を染めるのは、人生で初でした。



こちらが、ヘナ+木藍で染めた直後の様子です。

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髪に色が入り、シャープな感じになりました。
全体的に緑がかってみえます。



こちらが1週間を経過した野田です。

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色味がしっかりと黒茶に落ち着いてきました。
さらに若々しく見えます。


髪だけクローズアップでみると...。

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ちらが染め上がりすぐに、近づいて撮影した髪の色合い。
緑がかってみえます。




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一週間後に撮影した髪の色合いです。
黒茶の色に落ち着いてきました。とてもいいですね。

「自然でとてもいい」と家族からも好評だったと、本人も喜んでいました。

また、染めの回数を重ねるごとで、さらに深い色になるとのことなので、
野田はこれからヘナを使ってケアしていきたいとやる気満々です!!

新年度です。
ぜひ、皆さんもヘナでリフレッシュしてみてください。








2013年3月15日

NEWS 大地を守る2013年3月号

東日本大震災から2年を迎えて

つながろう、未来と。

仙台黒豚会 久保 勇さん・久保 至よし勇ゆきさん
震災を機に、至勇さんが養豚業を継ぐことを決意。

東日本大震災から2 年が経ちます。被害の大小にかかわらず、あの日、誰もが一度立ち止まり、これまで歩んで

きた暮らしや原発への考えを見つめ直しました。この2 年間は、これから先へと続く道をどうやって歩いていくの

か、考える時間だったのかもしれません。大地を守る会の生産者や消費者のなかには、震災をきっかけに、家業を

継ぐ決心をした若き担い手や、新しいことをスタートさせた人たちがいます。家族とのつながり。

地域とのつながり。生産者とのつながり。誰かと手を携え、前を向いて歩くことは、未来へとつながっています。

人との絆の大切さを感じながら、新しいことにチャレンジしている皆さんを応援しましょう。

(NEWS大地を守る編集部)


自分の将来を考えて、家業を継ぐことを決めました


川の字になって寝た日々。家族の絆が強まりました
毎日の作業は「楽しい」という至勇さん。「まだまだ学
ぶことは多いけど、10年後には自分の考えで養豚を
やっていきたい」と力強い。                
 宮城県の遠田郡に、仙台黒豚会のメンバーである久保 勇

さんと息子の至勇さんを訪ねました。久保さんは、5カ所に

豚舎を所有しており、取材で訪れた第2農場だけで800?

1000頭の豚を育てています。ここの豚舎では、床にはもみ

殻とおがくずをミックスしたものが敷き詰められ、ふかふかで

温か。

豚たちも気持ちよさそうです。

「東日本大震災のとき、豚舎の一つが倒壊して放牧状態

になってしまいました。

豚はデリケートな動物ですし、怖かったと思いますよ。

飼料は、非遺伝子組み換えのトウモロコシを主体に麦や

キャッサバ、米粉を配合したものを与えていましたが、

石巻の飼料工場がつぶれてしまったため調達が滞って

しまいました。次に届くのがいつになるのかわからないの

で、少しずつ与えて過ごしましたね。

 震災のときに思ったのは、最後に頼りになるのは『人』だな

ということ。断水していたため、川で水を何回も汲んできて豚

に飲ませりして、人力でなんとか乗り切りました」と、父・勇

さんは震災直後の日々を振り返ります。

 水も電気もなく、ろうそくの灯りで10日ほど過ごすうちに、

家族の生活に少しずつ変化が表れました。

「電気がないから、朝、お日様が昇ったら起きて、暗くなった

ら寝る生活でしたね。水汲みは誰、食料の確保は誰、ガソリ

ン確保は誰と役割分担を決めて、協力しながら生活しまし

た。

それまで、家族で一つの部屋に集まることは少なかったの

ですが、毎晩、親子で川の字になって寝てました。

家族の絆が強くなったように感じます」と、父・勇さん。


震災が、将来を考えるきっかけになりました

 震災当時、息子の至勇さんは、自動車の整備工場で働き始めて

1年くらい。ようやく仕事を覚えてきた頃だったそうです。

「震災で工場は閉鎖されてしまいました。石巻や志津川で被災して亡くなった先輩や友人がいて、自ずと自分の

将来のことを考えるようになりました。うちには倒壊した豚舎もありましたし、父もこの先どうしようかと考えて

いたと思います。二人で改めて話し合ったわけではないですが、2011年の12月に父と一緒の仕事をすることを

決意しました。いずれ家業を継ぐと考えていましたから、早く基盤を作っておきたいと思ったんです。震災は

つらいことだけれど、自分にとっては、5年後、10年後のことを考えるきっかけになったと思います」と、父の仕事を

継ぐ決意をした、心境の変化を語ってくれました。

 仙台黒豚会と大地を守る会が手を携えて、今年で20年。父・勇さんは、創立メンバーでもあります。

「昔の畜産は、生産者と消費者が触れ合うことはありませんでした。大地を守る会では、東京集会などで、

私たちが東京まで行って会員の皆さんとお話をする機会がありますし、会員の皆さんが産地ツアーなどで見学に

来てくれます。

生産者と消費者が会い、豚肉を食べた人からフィードバックしてもらえるからこそ、これまで続けてこられたの

かなと思います。どこの誰に食べられているかわからないままだったら、仕事への意識が違っていたと思います

ね」

 至勇さんも昨年10月のバーベキュー大会(こどもの国)に参加したとき、うれしい声をもらったのだとか。

「『仙台黒豚会のお肉はくさみがなくて食べやすい』と、いろいろな方に声をかけてもらいました。純粋にうれしいで

すね。整備工場の仕事は、正常なゼロの状態から故障でマイナスになったものをゼロに戻す作業。でも、「おいし

い」はプラスですから。仙台黒豚会の豚肉のおいしさをもっと知ってもらい、震災後、落ち込んでいる消費を回復さ

せたいです」と、至勇さんは頼もしく語ってくれました。


仙台黒豚会の豚肉はこちら!

「くさみがなくておいしい」と定評のある仙台黒豚会の豚肉。
ぜひお求めください。


大地を守る会の震災復興支援

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