
それはまだ、国産紅茶が和紅茶と呼ばれる前から。静岡県藤枝市の山間部で、日本の紅茶を作り続けてきた水車むら農園を訪ねました。
五月の一番茶で
藤枝の市街地を離れ、谷あいの川に沿って山道を行くと、隠れ里のようにぽつぽつと民家が現れます。水車むら農園の紅茶工場は、木々が迫る川の向こう岸。「一人ずつ歩いてわたりましょう」と書かれた吊り橋に足を踏み出すと、右手に水車、左手に茅葺屋根。その奥でカタカタと音を立てて紅茶作りが始まっていました。欅も紅葉もお茶の葉も、初々しい緑を纏う5月のことです。
「おいしくなぁれ、おいしくなぁれって言いながらいつもやってるの。今日は暖かくなって、うんと伸びたから、葉っぱがたくさんよね」
今年一番の摘採期を迎えた工場で作業に勤しむのは、水車むら農園代表・臼井太樹(たいじゅ)さんの母、澄江さん。御年88歳。茶葉を抱えては「揉捻機(じゅうねんき)」という葉を揉む機械にパラッ、パラッと振り入れていきます。機械の回転に呼吸を合わせるように、一葉も余すことなく、淡々と。
「年寄りなんでね。子どもたちにはもういい加減にしなさいって言われるわね」。奥ゆかしく笑いますが、茶業に携わって40年以上という円熟の仕事ぶりは、力みも淀みもなく、どこまでも軽やかです。
緑茶に紅茶、筍と、大地を守る会に山の恵みを届ける水車むら農園。紅茶の製造は、5月と7月の2回行われ、5月は一番茶で『五月(さつき)紅茶』を、7月は二番茶で『七夕紅茶』を作ります。摘み取った葉が次々運び込まれるこの日は、3台の機械で1時間半前後の揉捻(じゅうねん)を15回。そのあと乾燥、粉砕を経て、生葉で1400㎏近くあったものが330㎏の紅茶になりました。作業が終わるころには、日暮れです。








青々とした葉が紅色に
「お茶の葉はね、この一芯(いっしん)がつんって元気に上を向いてるのがいいんです。うまみがしっかり詰まってる。一芯五葉(いっしんごよう)ぐらいを刈り取っていきますよ」
臼井太樹さん(61歳)が、紅茶工場の裏山を抜けて、山の上の茶園に招いてくれました。茶刈機を掴み、2人体制で摘採を始めます。「一芯五葉」とは、先端の新芽とその下の5枚の葉のこと。今年伸びた分を刈り取っていきます。
ところで、紅茶の葉は畑にあるときから茶色いわけではありません。緑茶も紅茶も、茶樹はツバキ科の常緑樹「チャノキ」で葉は緑色。そのうえ、多くの国産の紅茶がそうであるように、水車むら農園の紅茶は、緑茶で名高い「やぶきた」などで作られます。では、青々とした茶葉は、いつから紅茶の姿になるのでしょう。
茶葉は摘採後、すぐに酸化発酵を始めます。緑茶はここで蒸して酸化を止めるため緑のままですが、紅茶はまず風を当ててしおらせる「萎凋(いちょう)」を行います。すると約50%の水分が抜け、カサカサとした状態になります。
「葉っぱはね、しおれていく段階で必死に抵抗するんですよ」と太樹さん。「命が尽きていく過程で、いろんな香り成分を出す。紅茶のふくよかな香りはそこで生まれるんです」
しおれたあとは、揉捻の工程へ。葉は文字通り「捻って揉む」ことで、組織がほぐれていきます。
「揉んですりつぶして細胞を壊してあげると、空気に触れてなかった細胞が空気に触れるでしょう。そうすると酵素が一気に酸化を促す。生の葉っぱのままだと、1週間ぐらいは緑なんだけどね」
若葉色から茶褐色へ。
次第に水分がしみ出し、色が深まります。そして、仕上がった茶葉に湯を注ぐと、ほのかな紅が感じられます。その〝紅〞が、発酵茶の証。光に透かすと滲む赤みが、紅茶らしい気品を添えます。
「今日は450㎏採りましたよ。350㎏ぐらいかなと思ったけど、量ってみたら450㎏。2人だけで結構がんばったでしょう」と太樹さんが清々しく笑います。山の茶園での摘採は、想像以上の重みです。




香り立つ和紅茶の祖
澄んだせせらぎのほとりに佇む木製の水車。水車むら農園を象徴するこの水車が建造されたのは1981年のことです。全国に反原発運動が広がる中、先代、故・臼井太衛(たえい)さんのもとに有志が集まり、エネルギー自給のための水車を作って、民家を移築。当初は水車の動力で小さな紅茶の機械を動かしたり、米を搗いたり。その後、1986年には、萎凋機、揉捻機を入手して、本格的な紅茶製造が始まりました。
「あのころは水車むら農園で国内の製造量の半分ぐらいを作ってたんです。日本の紅茶生産が今よりずっと少ない時代だった。自分はね、緑茶だけだったら継いでなかったと思うんです。農薬や化学肥料に頼らない栽培で、しかも紅茶だったから、希少価値があったし面白かった」
太樹さんは1993年に家業に入り、2000年に代表に。7年前から紅茶製造を担い、受け継いだ味を少しずつ磨きます。
「安心安全な紅茶という土台はすでに親父が作ってくれていたから、自分はおいしさを育てる役割。どっしりとしたボディというのではなく、すっきりとした味、リピートしたくなる紅茶を目指してね。そのために雑味が出ないように、工程を整えていったんです。前の茶葉が少しでも機械に残ってると雑味になるから、時間をかけて取り除く。揉捻のあと、時間を置くと重くなるから、置かない。すっきり感も香りの立ち方も、良くなっている気がします」
やさしくて軽やかな紅茶。
水車むら農園の紅茶を飲むと、山の風が吹き抜けるようなさわやかさを感じることでしょう。国産の紅茶は「和紅茶」として注目されるようになりましたが、まだまだ希少な存在です。それがさらに少ない時代から、積み上げてきた味わい。口に含むと、砂糖を入れていないのに甘みが広がり、静かな余韻が残ります。ここでしか作れない日本の紅茶が、今日も山の上で育まれています。


COLUMN
注目の「和紅茶」外国産とどう違う?
国産の紅茶の歴史は明治時代、輸出用の紅茶作りから始まりました。1971年の輸入自由化で一度は姿を消しかけましたが、近年「和紅茶」として、その味わいが見直されています。
外国産の紅茶がアッサム種など渋みの強い品種を使うのに対し、和紅茶は「やぶきた」のような緑茶品種のほか、「べにふうき」「べにほまれ」など国産の紅茶向け品種でも作られています。品種によって個性は異なりますが、外国産に比べると渋みがおだやかです。また、和紅茶は発酵を深く進め過ぎず、香りや甘みを残すように仕上げる生産者も多く、軽やかな味わいが特徴。日本の土地が育てる、やさしい一杯です。
生産者の食卓より
もしかして“紅茶は熱湯”と思っていませんか?
うちの紅茶をおいしく淹れるには、じつは熱湯はだめ。せっかく甘みとうまみのある紅茶を作っているのに、100℃で淹れると、苦みが出てしまうんです。お湯をポットに入れておくと自然に冷めて、ぬるくなっちゃった。これでいいの?って淹れると、逆においしいっていうときがありますよね。あれです。緑茶も紅茶も同じ茶葉。80℃、90℃が最高だけど、冷ますのが面倒な場合は、やかんごと水につけるといいですよ。
写真:寺澤太郎
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