社会貢献活動(CSR)

時には昔の話を

大地を守る会 40周年記念対談[上]

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加藤登紀子さんと藤田がピアノの前に並んで

対談は加藤さんの事務所の一室で行われました。

大地を守る会は今年40周年を迎えました。設立からこれまでの長い道のりを支えてくださった恩人の一人が歌手の加藤登紀子さん。加藤さんのお連れ合いは大地を守る会初代会長の故・藤本敏夫さんです。今年デビュー50周年となる加藤登紀子さんと、大地を守る会代表取締役・藤田和芳との特別対談が実現。大地を守る会の「これまで」と「これから」を語り合いました。

 

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大地を守る会はここから始まった

藤田 おときさん、デビュー50周年おめでとうございます。 加藤 大地を守る会も40周年? もうそんなになるんだ! 藤田 2、3人の仲間と「大地を守る市民の会」を立ち上げたのが1975年8月19日です。 加藤 藤田さんはまだ会社勤めをしながら、土日にトラックで野菜を運んで団地で売っていたんでしょう? 藤田 ええ、そうしたら11月ころにおときさんのお連れ合いで、学生運動のスターだった藤本敏夫さんが「おもしろいことをやってるじゃないか」と尋ねて来た。僕らは「農業に関わって生きていきたい」という思いで共鳴し、藤本さんには「大地を守る会」の初代会長に、2年後には株式会社の初代社長になっていただきました。だから藤本さんというのは最初に井戸を掘った人であり、一緒に歩いてきた仲間であるという気持ちですね。 加藤 ちょうど次女のYaeを出産したころで、詳しい事情はわかっていなかったけれど、当時はただ「やるしかない」という感じで藤本についていきましたね。男は夢を見ることが大切ですから。 藤田 僕が機関紙などに書いた文章を藤本さんが読んで尋ねて来てくれたとき、「実は刑務所に入ってる間、ずっと農業をやりたいと思っていたんだよ」と仰って。 加藤 ちょっと! この対談を読んでる方に、どうして刑務所に入っていたかを説明しなくて大丈夫? 藤田 極悪人かと思われますね(笑)。 加藤 藤本は72年に、いくつかのデモの指導をしたということが積み重なって3年8カ月の実刑判決を受けることになりました。そこで私が無理やり刑務所に押しかけ女房しちゃったという(笑)。 藤田 ともかく、藤本さんが個人的に悪いことをしたわけではなくて、あの政治の季節にそれほど影響力が強かった人だったということです。大地を守る会がスタートした当初、僕らはよく藤本さんに自宅へ呼んでいただいたり、新宿で飲んだり……。 加藤 私たち、しょっちゅう一緒にいる関係でしたよね。最初の3年はほんとに大変で、私も「支えなきゃ」と燃えました。品目も最初のころはきゅうりとお茶くらいしかなかったもの。 藤田 そうそう、レースのカーテンみたいな小松菜とかね。 加藤 「この農家と出会ったからきゅうりを売らないといけない」というような意気込みだけで始まってるんですよ。 藤田 毎年、大みそかにおときさんのところで食事をいただくと、みんな「今年一年頑張って、これでよかったかな」という気になる。経営も大変だったし、労働条件も厳しかったけど、藤本さんは「給料が少ないのはこのビールで我慢してくれよ」みたいな。   加藤登紀子 1965年にデビューし、「百万本のバラ」「ひとり寝の子守唄」など日本の音楽シーンに残る数々のヒット曲を生み出す。世代やジャンルを超えた活動は歌手という枠に留まらず日本を代表するアーチストとして国際的に活躍。   大地を守る会40周年記念対談[中]はこちら 大地を守る会40周年記念対談[下]はこちら

大地を守る会編集部

大地宅配編集部は、“顔の見える関係”を基本とし、産地と消費地をつなぐストーリーをお届けします。