ヒストリー

走り続けて40年、大地を守る会の原点をたどる

【第36話】コメをめぐる挑戦の歴史(その4)

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93年の大冷害に端を発してのコメの緊急輸入、そして94年の米パニックには、実は前兆があった。すでにコメの在庫はヤバい状況にあったのだ。
2年前の91年も作況指数95という不作の年だった。92年10月には政府のコメ在庫量は26万トンにまで減少していて、その年の早場米を早食いしてつなぐとともに、政府は奨励金をつけて復田(増産)を呼び掛けた。減反にも補助金をつけながらの苦肉の策だった。
しかし減反政策が続く中で面倒な復田に応じる農家は少なく、コメの需給調整は危うい綱渡り状態になっていた。そこに作況指数74という大冷害が襲ったのである。 

もう一度書きたい。

 

冷害は天災だが、コメ不足は人災である。

 

提携米アクションネットワーク(現:提携米研究会)はこの事態を看過できなかった。
何度もの協議を経て、大胆な決断をする。
減反政策は憲法違反である。国に中止を求める裁判を起こそうというのだ。
環境問題に詳しい2人の弁護士(梶山正三さん、菅野庄一さん)が手弁当で手伝ってくれた。

減反政策は生産者の作る自由を奪っているばかりか、作付可能面積の減少により離農・耕作放棄地を増大させ、国土の荒廃を招いている。米パニックは減反政策による需給調整の失敗によるものであり、国民に混乱を与えた。

減反政策は国民全体の生存権を脅かす憲法違反の愚策である。

減反政策差し止め提訴原告団メンバー

呼びかけに応じて生産者・消費者合わせて1079名が集まり、原告団が結成された。
94年10月19日、東京地裁に提訴。「減反政策差し止め訴訟」(減反裁判)が始まった。

 

 

裁判では毎回、原告団(生産者・消費者)による口頭弁論を展開した。

生産者はその運用の非道さと集落の荒廃を招いたことを、消費者はコメ不足によっていかに経済的・精神的苦痛を味わったかを、切々と訴えた。

僕は95年4月の第2回公判で、減反政策が環境に及ぼした影響について展開した。途中から悔しさが募ってきて、声の震えが止まらなくなったのを覚えている。

 

裁判は長期化し、27回の口頭弁論を経て2001年8月24日、請求自体を却下(棄却)するという形で敗訴した。2審と最高裁判決は翌年、同様の形で下された。
政策の是非は判断せず、いわば門前払いである。
ほぼ想定された通りの結果に終わったのだが、しかしこの裁判を通じて、減反政策の問題点を網羅的に解き明かした意義は大きかったと思っている。

 

減反(水田転作)は形を変えて今も根強く続いている。
TPPを巡る論争が続く中、経済的な影響だけでなく、国民生活の安定(と持続可能性)という観点から、改めて食糧政策のあるべき姿を描き出す必要があるのではないだろうか。

最後に、米をめぐるヒストリーにもう一つ付け加えておきたい。

大地を守る会には、生産者・消費者・事務局(職員)が特定のテーマの下に集まって活動する「専門委員会」が存在する。大地を守る会の特徴の一つとして語られる機能だ。
86年の「大地・原発とめよう会」から始まって、現在5つの専門委員会が存在する。

二つめの委員会として、コメをテーマに活動する「米プロジェクト21」(最初は「大地のおコメ会議」)が設置されたのは1988年。

世間がコメの輸入自由化論争に揺れる中、専門家や生産者を招いての勉強会から始まったのだが、これまで辿ってきた様々な運動にも関わりながら、次第に生産者の米づくりを支援する企画を精力的に試みるようになる。
合鴨農法で無農薬栽培にチャレンジしようとした生産者には、合鴨(肉一羽分)を引き取るオーナー制度をつくって応えた。

田んぼを一枚でも多く残していこうと、酒米をつくって大地を守る会オリジナルの日本酒を開発した(現在の「種蒔人(たねまきびと)」)。「種蒔人」ではお酒一本につき100円を「種蒔人基金」としてプールして、田んぼや水を守る活動に充てている。飲むことで環境を守ろうというワケだ。酒呑みの言い訳としては最高のお酒である。

種蒔人

 

無農薬での米づくりを体験したい、という消費者メンバーのひと言から始まった「稲作体験田」は90年から始まり、今年で27年目に入っている。

稲作体験

 

秋田県大潟村の生産者たちによる豊かな広葉樹の森(水源)を取り戻す活動の応援は23年になった。田んぼと森のつながりを学ぶ格好の素材となっている。

秋田大潟村ブナ植林

 

そして94年からの「備蓄米」制度の立ち上げと、以来続いてきた消費者との交流(食べる人の顔が見える関係)は、生産者にとって、3.11後の放射能対策に敢然と立ち向かった原動力の一つになったことは間違いない。

生産と消費を信頼で結ぶことこそ、安全な食と環境を保証する基盤である。それは「子供たちの未来」を守る作業にもつながっている。

 

2013年、大地を守る会が企画した「日本の原風景・里山の棚田米」が、「フード・アクション・ニッポンアワード」商品部門での最優秀賞を受賞した。

 

作りながら守る環境、食べて守るその土台。両者をつなげる願いを込めた企画だった。

 

長いコメの話になってしまったけど、いや実に硬軟織り交ぜながら、大地を守る会は歩んできたのである。
この歩みはまだまだ続く。作る人が希望を捨てず、食べる人が待っている限り、止めるわけにはいかない。

戎谷 徹也

戎谷 徹也(えびすだに・てつや、通称エビちゃん) 出版社勤務を経て、1982年11月、株式会社大地(当時)入社。 共同購入の配送&営業から始まり、広報・編集・外販(卸)・全ジャンルの取扱い基準策定とトレーサビリティ体制の構築・農産物仕入・放射能対策等の業務を経て、現在(株)フルーツバスケット代表取締役、酪農王国株式会社取締役、大地を守る会CSR運営委員。 2008年農水省「有機JAS規格格付方法に関する検討会」委員。2013年農水省「日本食文化ナビ活用推進検討会」委員。一般財団法人生物科学安全研究所評議員。