ヒストリー

走り続けて40年、大地を守る会の原点をたどる

【第37話】有機農産物の基準論争から生まれた「DEVANDA」運動

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ここまで牛乳やコメといった素材を軸に、社会的運動などを絡めながら、大地を守る会の歴史をたどってきた。
まったくゼロから出発して、あれこれ取り組んではジグザグと進んできた。
悪戦苦闘だが楽しくもある道のりだった。

そして少しずつ、時に大胆に、僕らは有機農業(オーガニック)の世界を広げていった。

1985年から始めた宅配事業が何とか軌道に乗り、86年の「ばななぼうと」は社会にインパクトを与え
それを機につながった日本リサイクル運動市民の会と提携して設立した宅配組織「らでぃっしゅぼーや」は驚異的な伸びを示した。

のちに「第2次有機農業ブーム」と称される時代を牽引したと自負してもいいだろう。 

 

しかしこの勢いが新たな問題を生むことにもなる。
当時はまだ「有機農産物」という言葉には社会的に認知された定義がなく、勝手に表示されても規制する制度がなかった。

その頃からブームに乗ってか、中身の分からない「有機野菜」が出回るようになる。
「有機栽培」と印刷された段ボールやシールが公然と売られるようになって、ついに公正取引委員会が乗り出した。
そして1989年9月、「無農薬」「完全有機栽培」と表示された野菜が不当表示として摘発された。 

メディアの報道も盛んになり、「有機」表示への消費者の不信感が募る中(逆に大地を守る会やらでぃっしゅぼーやは情報の確かさで会員が増えていく)
それまで有機農業に関心を示さなかった(意図的に無視していた?)農林水産省も腰を上げることになる。

 

91年4月、同省内に「青果物等特別表示検討委員会」が設置され、約1年半の検討を経て92年9月、「有機農産物等特別表示ガイドライン」が発表された。 

 

しかしその内容に、生産者・消費者を問わず、全国の有機農業関係団体が猛反発する。

まず、「有機農産物」は“必要最小限の使用が認められた化学合成資材以外の農薬・化学肥料の使用を中止して3年以上経過したもの”と規定され
一方で「無農薬栽培」は前作の収穫後から当該農産物の収穫まで農薬を使用せず栽培されたもの、「無化学肥料栽培」は同様に化学肥料を使わずに栽培されたもの、とされた。

「有機」には使用が認められた資材(農薬)があり、「無農薬」には一切の農薬の使用は認められないが「3年」の縛りはなく
しかも化学肥料の使用は問わない(見る側には分からない)。
同じく「無化学肥料」には農薬の使用は問題にされない。

はたしてこれで消費者は安全性を判断できるだろうか。

むしろ優良誤認を招きかねない表示の仕組みではないか。

次に「減農薬栽培」。生産過程における農薬の使用回数が、当該地域で慣行的に栽培された同作物の使用回数の5割以下とされた。
「減化学肥料」も同様で、当該地域の慣行栽培での施肥量に対して窒素換算で5割以下とされた。
こちらもまた、当時の有機農業関係者には受け入れられるものではなかった。 

 

我々の間で使われていた「減農薬」とは、使用回数で線引きするものではない。

 

あくまでも“どうやって農薬を減らしていくか”という技術的探究とたゆまぬ努力が大事なのであって、「有機農業運動」はその道筋も包摂していた。
回数とは、一時的な結果でしかない。

しかも慣行栽培の使用回数の根拠となる防除暦(都道府県単位で設定された作物別の防除指針)は、地域によって大きく異なる。
トマトひとつとっても北海道(21回)と南国高知県(41回)では倍の違いがあるし、秋田県のコメの防除暦に基づけば大潟村のコメはすべて減農薬である。
作物の栽培期間や方法によっても回数は違ってくる。

 

また、回数より問題なのは農薬の選定である。


毒性や残留性の高いもの(=効果が高い)を使えば5割減はより達成可能になる。 

まさに突っ込みどころ満載といったガイドラインであったが、反発したのはそれだけではない。
そもそもの狙いが「市場流通の適正化」という名の表示規制でしかなく
有機農業を育成・発展させるという思想がまったくなかったことだ。

農水省には「農薬は(適正に使用すれば)安全である」という前提があり、有機栽培も慣行栽培も安全性は同等であるという論理をくつがえすことができない(今も同じ)。

しかし一方で“消費者の健康志向にこたえる有機農産物”という付加価値を認め、
表示のガイドラインを設定してしまった。有機農業者たちの意見を反映させることなく。 

大地を守る会はガイドライン実施反対の先鋒的役割をはたした。
他の有機農業団体と連携して3回の要望書を提出し、永田町の憲政記念館を借りて全国集会も開催した。

有機表示ガイドラインへの反対

 

しかし農水省はガイドラインの制定を強行した。 

盛り上がった反対運動は怒りと失望に覆われるのだが、ここでせっかく集まったネットワークを力にして、有機農業の発展を自分たちで進めようという提案がなされる。

 

提起したのは大地を守る会代表・藤田和芳である。

しかも農業だけでなく、同じように自然と密接につながっている漁業や林業も含めた、一次産業全体の復権を掲げた新しいムーブメントにしよう、というものだった。 
藤田は胸に温めていたキャッチを持ち出した。
「一次産業の出番だ!」という勢いを表現したい。

そこで生まれたのが『DEVANDA』(出番だ)である。

英語の堪能なスタッフがその文字を使って「DO IT ECO-VITAL ACTION NETWORK FOR DYNAMIC AGRI-NATIVE」(環境を大切にし、いきいきとした農林水産業を実現するために行動するネットワーク)なる言葉を編んだ。
アメリカ人に見せたところ「ヘンな英語だね。でもまあ、いいんじゃない」と笑ってくれた、という逸話が残っている。

有機農産物の表示ガイドライン反対から、日本の一次産業の復権を掲げた運動へ。

大胆な提案だと思われたが、これは大地を守る会にとっては、ある意味自然な、鍛えられた思考回路でもあった。
反対だけでなく、もっと活き活きとして、ワクワクするような提案型運動。僕は90年代の「ばななぼうと」が始まったかと思った。 

DEVANDAの提案は、共感の波で受け入れられた。

「藤田さんにこんなセンスがあるとは思わなかったわ」と消費者団体代表の女性に言われたりした。
またしても嵐のような日々に突入する。

そして1994年2月27日、東京・晴海の国際見本市会場で、デビューとなる『第一次産業(いのちのしごと)独立宣言 - 森と海と大地のDEVANDA展94 』が開催された。

戎谷 徹也

戎谷 徹也(えびすだに・てつや、通称エビちゃん) 出版社勤務を経て、1982年11月、株式会社大地(当時)入社。 共同購入の配送&営業から始まり、広報・編集・外販(卸)・全ジャンルの取扱い基準策定とトレーサビリティ体制の構築・農産物仕入・放射能対策等の業務を経て、現在(株)フルーツバスケット代表取締役、酪農王国株式会社取締役、大地を守る会CSR運営委員。 2008年農水省「有機JAS規格格付方法に関する検討会」委員。2013年農水省「日本食文化ナビ活用推進検討会」委員。一般財団法人生物科学安全研究所評議員。