学ぶ

実りの地でたくましく

【NEWS大地を守る10月号】置賜から今日も

【送料無料】おいしい・便利・安心がかなう宅配!まずはお得に、お試しセット1,980円!
白芒(しろのげ)もちを自家製豆の納豆、ずんだでいただくおきたま興農舎・小林さんご一家のごはんは、全部、ここで採れたもの。大きな瓶は地元で"瓶漬け"と呼んで愛される薄皮丸なすの漬物です。薄皮ならではの味染みが美味。

美しい山々に囲まれた山形県南部の置賜(おきたま)地方。古来、豊かな食文化が育まれてきました。この地に有機農業の礎を築いたおきたま興農舎を訪ねます。

58人で米も野菜も果物も

南に吾妻、西に飯豊、朝日連峰、北は遠くに月山、東に蔵王。見渡す限りぐるりと山々が連なり、足元には青い稲穂の波が揺れています。
盆地特有の寒暖差と肥沃な大地が豊かな恵みをもたらし、美食の宝庫として知られる置賜地方。おきたま興農舎(山形県高畠町)は、この場所で1989年に創設されました。大地を守る会とは1975年の設立当初から付き合いのあった、小林亮さん(77歳)ら11人によって始動。現在は実に58人もの生産者が、米や枝豆、りんごにぶどうといった年間50品目以上を大地を守る会に出荷しています。
「父の田んぼとは全く味が違ったんです」と、小林亮さんの次女・和香子さん(46歳)。今から22年前の就農当時、父の亮さんに任されたという田んぼを前に話します。
そこはかつて別の農家が米を作っていた場所でした。違いとは何でしょう?と和香子さんに尋ねると、「味がしなかったんです」とぽつり。
「父の土作りとの差ですよね。そのときに、土ってすごいって思ったんです。お米って2000年以上も昔から作られていますよね。だから、過去にその土がどう作られてきたかという蓄積の上に、今の私の農業があるんです。できたお米も〝先人とともに作った〞という感覚。20年以上やってきて、やっと父の味に追い付いてきたところなんです」
お米ならつや姫、コシヒカリ。枝豆ならゆかた娘や秘伝。口に運ぶと作物のうまみが迫り、「おきたま」と冠した力強さに魅せられる方も多いでしょう。味の違いは土の違い。代々の土作りによって育まれています。

高畠町の北側、南陽市から見下ろす置賜盆地の眺め。四方を山に囲まれたなかに平地が続き、「山の形で方角がわかる」といいます。
現在は野菜を担当する和香子さん。枝豆の選別に大忙し。

”山の石”で土を強く

1970年代、慣行農法が主流だった時代に有機栽培にいち早く取り組み、のちに〝有機農業のふるさと〞と呼ばれるようになった山形県高畠町。小林亮さんが現在のような栽培に切り替えたのもそのころ、まだ25歳でした。おきたま興農舎を立ち上げる17年前のことです。
「俺は小さいときから体が弱くて体育の授業も掃除も免除。遠足にも行けない子どもだった。農薬散布を手伝うと吸い込んでしまって必ず次の日寝込んでな。限界を感じたんだ」
亮さんはまず、「自分が生きるためにどうしたらいいか」と農薬を抑える実験を自身の田畑ではじめます。微生物による土作りや木酢液での防除を行う中で出会ったのが、当時の高畠町で研究されていた粘土農法。町の北東部で採れる鉱物を粉砕して田畑の土に混ぜる方法でした。
亮さんが〝山の石〞と呼ぶその鉱物は淡い灰色で砥石にも使われる石。砥石のくずを捨てた場所で作物が丈夫に育ったという偶然から土壌改良材として開発されたものです。
亮さんいわく「何しろ採れた作物がおいしくて日持ちがいい。硝酸態窒素の過剰吸収を抑えるから、あくが抜けて糖度ものる。丈夫に育つから、農薬散布が最低限で済んだんだ」。

おきたま興農舎代表・小林亮さん。「土は命の集合体。今まで何をどう作ってきたかで、土の中の微生物の種類や数、作物のおいしさも変わってくる」と話します。
50年来田畑に入れ続けている土壌改良の味方、粘土鉱物。

近所を回って仲間を集めた

農薬や化学肥料に頼らなくても良い作物ができると確信した亮さんは、それから2年間、「農薬を半分にしてみないか」と近隣農家を説得します。
「慣行農法で生計を立ててきた農家にとって、農薬の使用を抑えることは博打に近い。崖から飛び降りる気持ちだったろうと思うよ」。
生活に直結する栽培方法の転換は、運命をともにする決断でした。しかし、「周りに味方を作れない人が社会変革は起こせない」と、近しい人から減農薬栽培の体系を普及し、草の根的に地域の農業を変えていったのです。
大地を守る会と出会ったのもそのころでした。農業新聞の小さな記事に「東京でリヤカーを引きながら野菜を売りはじめた人たちがいる」と感銘を受け、東京都西新宿の教会跡にあった事務所を訪問。「自分たちの作物を理解してくれる消費者に届けられたら、生産者の自立に向けてきっと役に立つ」という思いで、産地直送の取引の道筋を作ったといいます。

りんご農家の本田久美子さん(左)を訪ねるおきたま興農舎の小林温さん(50歳)。和香子さんの夫で2006年に就農。生産者同士の密な会話も大事な仕事です。
樹齢60年以上になる本田さんのふじ。先代の樹に手を加え、枝をこうして横に大きく広げています。
炎天下で枝豆を収穫する中西宏太郎さん(43歳)。"枝豆部会"と呼ぶ出荷チームに次々運搬。

在来種をつないで

稲穂一粒一粒の先端から、細く長い毛のようなものが伸びています。在来種「白芒(しろのげ)もち」の稲です。毛のようなものは野生の稲に見られる「芒(のげ)」。人類は長い歳月をかけて野生の稲を栽培に適したものに改良してきましたが、栽培化にあたって失われてきたものの一つに芒があります。
長い芒を持つこの稲は、亮さんの祖母の家で自家用に細々と栽培していたものでした。品種改良されている稲とは異なり、草丈が高くてやわらかく、倒れやすいのも難点。倒れてしまうと機械に絡んで収穫は困難を極めます。栽培する側にとって厄介なうえに、採れる量は一般的なもち米の半分ほど。育てにくいと存続が危ぶまれていた稲でした。
しかし、その米で作ったおもちがあまりにおいしく、亮さんは種を譲り受けて栽培をはじめます。「芒が白いから」と名付けたのも亮さん。以来、自家採種で作り続けている貴重なもので、大地を守る会でも年末だけこの米の玄米もちを扱っています。
私たちが訪ねた日、小林さん一家とともに白芒もちのお昼ごはんをいただきました。つきたての真っ白なおもちは驚くほどきめ細かく、なめらか。ふわふわと空気を含んで伸びが良く、口の中でとろけていきます。田んぼでの悠々とした姿を表すように、味わいも清高なものでした。

長い芒を持つ白芒もちの稲。

まだ有機という言葉が一般的でなかった時代に、自らの体が発する声を頼りに有機栽培、減農薬栽培を地道に広げることからはじまったおきたま興農舎。果敢に挑む一歩がなければ、私たちはこの豊かな食を味わうことはできなかったでしょう。
実りの秋を迎え、土と人が手を携えて育んだ作物が届いています。10月はりんごやぶどう、そして新米。「安全でもうまくなければ意味がない」と、おいしさを大切に作り続けてきた味を楽しんでみてください。

大粒ぶどうの高尾を実割れがないか、粒をよく見ながら収穫していきます。急勾配の園地を斧と鋸で開拓したという小黒敏明さん(77歳)は初期からの仲間。
8月下旬のシャインマスカット。この先、9月の気温が下がってくると寒暖差で糖度が増します。

大地を守る会の野菜はこちら
※該当商品の取り扱いが無い場合があります。

大地を守る会編集部