ヒストリー

走り続けて40年、大地を守る会の原点をたどる

【第32話】「自立」のための支援とモデルづくりを世界に

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小松光一さんという相棒を得て、大地を守る会会長・藤田はまるで水を得た魚のように世界に飛び出していった。

不謹慎ながら、それは新しい遊びに夢中になる悪ガキ同士のようにも映ったものだが、「ばななぼうと」から「食糧自立を考える国際シンポジウム」、そして同じ88年に作家の立松和平さんらと組んで仕掛けた「いのちの祭り」(注)などを経て、藤田の思考は「民衆交易(フェアトレード)で支援するのも大事だが、それぞれの農民が互いに自立を目指しながら連帯する道筋がなければならない」という確信に至ったに違いない。

しかも時代は自由化に拍車がかかっていた。アジアの農民たちと「自立」を合言葉につながりたいという熱情が、彼を走らせたのだと思う。

韓国などから日本の有機農業を学びたいというオファーも、その頃から入り始めていた。

 

1990年1月、NGO大地を守る会は「国際局」を立ち上げる。そして怒涛のように、アジアの農民団体との交流が始まった。こんな感じだ。

  • 90年11月……韓国ツアー実施。韓国カトリック農民会と交流。
  • 91年1月……タイツアー実施。タイ東北部で農村開発に取り組むNGO「NERDEP(ネルデップ)」と交流。
  • 91年3月……台湾ツアー実施。台湾農民連盟と交流。
  • 91年9月……インドネシア・バリ島ツアー実施。プリアタン村のスバック組合と交流。
  • 91年11月……第2回韓国ツアー。韓国カトリック農民会、全羅南道信用組合らと交流。
  • 92年1月……第2回タイツアー。タイ東北部イサーンの伝統農業復興グループと交流。このツアーには韓国・台湾からも参加があった。

韓国・タイ・バリ島への交流ツアーは毎年行われるようになり、その後もモンゴル、中国、さらにはヨーロッパ、カナダと、有機農業をベースとした国際交流の輪は広がっていった。

バリツアーの様子。

バリツアーの様子。

ファトレードによって輸入された産品の取り扱いも徐々に広がっていったが、大地を守る会の考え方の根本は、あくまでも「自立」だった。

現地ではこんなやりとりもあった。

フィリピン・ネグロス島を訪問した藤田は、村を豊かにするために「もっとバナナを買ってほしい(お金が欲しい)」という農民の要望に対して、「まずは自分たちの食べものを自給できるようにすべきだ。バナナだけでなく、もっと米や野菜もつくってはどうか」と答えた。食の自立は暮らしを安定させるための土台である、そのための応援と連帯なのだと。

 

タイ東北部でも、「日本にはもっとコメを買ってほしい」に対し、「コメを売って(かえって)貧しくなるのではなく、自給力を蓄えるための技術交流を深めよう」と語り合った。

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国際局を立ち上げて四半世紀以上が経過して、さすがにツアーの数は減ったけれども、各国の団体との友情は続いているし、国際的の活動はさらに、パレスチナ、パキスタン、ミャンマー、東チモール、中国と広がっている。

パレスチナへの支援では農道を建設し、オリーブの苗木を送っている。パキスタンには古着を集めて、子供たちの教育の場づくりを支援している。ミャンマーでは新しい有機農場建設が、東チモールでは養鶏場づくりが続いている。

すべて「自立」への道のりを応援する取り組みである。老子の言葉にある「授人以魚 不授人以漁」(人に魚を与えても1日しのげるだけだが、釣りを教えれば一生食べていける)を、我々なりに実践するものだ。

 

中国では、農村開発や貧困問題に取り組むNGO富平(フーピン)学校と提携し、2013年より北京を拠点に宅配事業を開始した。これはモノの輸出入ではなく、いわば「大地を守る会」そのものの輸出である。

中国で、生産者と消費者をつなげ、健全な形で有機農業が育つことは、たんに「食の安全」の確保にとどまらず、モラルの向上(偽装などのない社会づくり)から環境問題の改善にもつながり、新しい日中関係を育む力にもなるのではないだろうか。

大地を守る会の社員が現地の生産者を指導している。

国際局の活動は他にもあるが、ここまでにしたい。

「ばななぼうと」から始まって、自分たちらしい海外とのつき合い方を模索しながら今日まで歩いてきた。地道だけれど、一人一人仲間を増やしながら、自由化(という名の支配)に負けない“自立した”農民ネットワークを築いてゆき、小さくても一つのモデルを、そこに作る。これが大地を守る会の仕事だと思っている。

 

 

(注)「いのちの祭り」……1988年夏、全国農業協同組合中央会(全中)を巻き込んで、国技館で開催した一大イベント。藤田は全中会長や作家の立松和平さんらと並んで実行委員に名を連ね、コメの輸入反対に加え、有機農業の推進や脱原発を全国の農協に呼びかけた。

この時の名コピーが仲畑貴志さんによる

「人類はアブナイものをつくり過ぎた。これから農業」である。

「いのちの祭り」はこれを起点として、農協だけでなく消費者団体や全国の労働組合、地方の企業など賛同者が続出し、歴史的事件になるとまで言われた全国大会が計画されたが、昭和天皇の病状悪化により、直前になって自粛された。

しかし労働組合や地方からの参加者にとっては「今さら引き返せない」事態となっていて、会場となった代々木公園で、事務局に入っていた僕は全国から集まってきた方々にひたすら頭を下げ続けた。

「だから農協とはやりたくなかったんだ。バカヤロー!」

労働組合の方から激しい罵声を浴びせられたのを、今でも覚えている。

結局この仕掛けは頓挫してしまったが、その後「いのちのまつり」という名前は各地に広がり、様々なイベントが展開された。

戎谷 徹也

戎谷 徹也(えびすだに・てつや、通称エビちゃん) 出版社勤務を経て、1982年11月、株式会社大地(当時)入社。 共同購入の配送&営業から始まり、広報・編集・外販(卸)・全ジャンルの取扱い基準策定とトレーサビリティ体制の構築・農産物仕入・放射能対策等の業務を経て、現在(株)フルーツバスケット代表取締役、酪農王国株式会社取締役、大地を守る会CSR運営委員。 2008年農水省「有機JAS規格格付方法に関する検討会」委員。2013年農水省「日本食文化ナビ活用推進検討会」委員。一般財団法人生物科学安全研究所評議員。