ヒストリー

走り続けて40年、大地を守る会の原点をたどる

【第6話】地球は泣いている…

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池袋西武百貨店での「無農薬農産物フェア」は大成功をおさめ、購入の問い合わせが殺到する。たった一本しかない電話回線が鳴り続ける。とても対応し切れない。ましてや、店舗を持たない(持てない?)大地を守る会が最初にとったシステムは、グループを作ってまとめて一ヶ所に届ける共同購入方式だったので、すぐにお届けに上がれるわけではない。問い合わせを頂いた方一軒一軒、訪ねては説明をして回った。

 

「仲間を集めてステーション(共同購入の呼称)を作っていただければ、週に一回、配達に来ます」

「1回で最低3万円の購入(売上)がないと維持できません」

「特定の生産者が育てる野菜ですので、注文された野菜が必ず届けられるとは限りません。欠品があり得ることをご理解ください」

「また注文以上に収穫しなければならない時もあります。その時は可能な限り引き取ってください」……

 

まるで殿様商売だ。消費者にとっては実に厄介な話である。近所の人たちに声をかけ、ステーションを結成する。毎週の注文を箱単位で(ジャガイモ10㎏、人参5㎏といった具合に)取りまとめ、しかしいざ配送車が到着しても、注文した大根は欠品だと開き直られ、逆にキュウリをもっと買ってくれとか迫られる。葉物には虫食いの穴が空いていた。

それでも西武線沿線中心にステーションが続々と生まれていく。横浜や千葉にも飛び火したりして、消費者の数は確実に増えていった。仲間が集まらないと相談を受ければ、周辺にチラシをまき、公園や空き地を借りて青空市を開いた。

 

一見、事業は軌道に乗り始めていたが、契約栽培を前提とした生産と注文制をベースにした消費の矛盾(対立)がつきまとう以上、それは脆いパイプでしかない。第4話で書いた「生産と消費を信頼でつなげる」というミッションが、問われていた。

そこで藤本・藤田たちがとったアクションは、いま思えば極めてオーソドックスな一歩だった。生産者と消費者を一堂に集め、本音で語り合おうというものだ。生産者は消費者の健康を守り、消費者は生産者の経済を支える、そんな関係を一歩ずつ築いていこう。時期は生産者の集まりやすい農閑期の冬にしよう。

そうして始まったのが、今日まで毎年1回、欠かさず開催され続けることになる伝統行事、「大地を守る東京集会」である。

第1回は1978年2月、集会名は

『地球は泣いている! 東京集会』

壇上に立つ藤本敏夫さん

 

残念ながら、この時の記録がどこにも残ってない。残っているのは2枚の写真だけである。しかし、たんに安全な食べものを普及させようというのでなく、食の土台である大地や海を取り戻すのだ、という気概がこのタイトルからうかがえないだろうか。

藤本さんの妻、加藤登紀子さんもギター一本で歌ってくれた。

ギター一本で歌う加藤登紀子さん

 

 

翌年の3月、「大地を守る東京集会」と名称を改めて開催。以来「東京集会」は、大地を守る会にとって一般名詞となった。

 

あれから38年。地球は泣いている、今も。

その悲鳴が聞こえているか、お前には…

自らに問い続けたいと思う。

 

前回 【第5話】藤本敏夫・加藤登紀子の登場、そして伝説のフェアへ はこちら

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戎谷 徹也

戎谷 徹也(えびすだに・てつや、通称エビちゃん) 出版社勤務を経て、1982年11月、株式会社大地(当時)入社。 共同購入の配送&営業から始まり、広報・編集・外販(卸)・全ジャンルの取扱い基準策定とトレーサビリティ体制の構築・農産物仕入・放射能対策等の業務を経て、現在(株)フルーツバスケット代表取締役、酪農王国株式会社取締役、大地を守る会CSR運営委員。 2008年農水省「有機JAS規格格付方法に関する検討会」委員。2013年農水省「日本食文化ナビ活用推進検討会」委員。一般財団法人生物科学安全研究所評議員。